最近ストリップを観ながら思うことを書いてみます。

 

数ある劇場の中でどこに行くかを決めるとき、当然お気に入りの踊り子さん目当てで選びます。(仙台の場合は別ですが・・)

お気に入りの踊り子さん目当てとなると、不思議なことに(いや当然か)、エロポラはもう撮らなくなります。いや撮れなくなるというのが正しい言い方かな。

もっと言えば、ヌードが目的でなく、お気に入りの彼女に会いたいというのが目的になります。つまり、ストリップという場を借りて「擬似恋愛」を楽しんでいるわけです。

踊り子さんはステージを通じて、私にひとつのラブストーリーを提供してくれているわけで、私はそれに自分なりの脚色をします。例えば、素敵な出会いがあり、楽しいデートもあります。しかもお陰さまでベットインまで容易に想像ができますね(^0^) あくまで空想の世界であり、(まぁ、現実は一方的な片思いでしょうが)それでも十分に満足できるわけです。

そこで大事なことは、「あなた仕事で脱ぐ人、わたしお客として観る人」という冷めた構図ではなく、踊り子さんをひとりの女性として意識しているという点です。そう、「擬似恋愛」の対象として。

かっこよく言えば、「心のストリップ」を楽しんでいるともいえるのかな。ストリップですから外見は全て見れるのでしょうが、さらに相手の人柄、気ごころ、知性など内面の部分にまで触れてみたいという願望です。

 

そのためには踊り子さんとのコミュニケーションが必要になります。私はその手段として手紙を媒体としているわけですが、私にとって「ポラ代は踊り子さんに手紙を渡す切手代」なのです。最初に手紙を出すかどうかは私の好みによりますが、出した後一歩進んでファンになるかどうかは相手の「反応のよさ」に左右されます。

私は「反応のよい」女性が好きです。男性というのは好きな女性の気をひくために一生懸命努力します。頑張ってもまったく反応してくれないとがっかりしますし、最後には自分に気がないものと諦めの気持ちになっていきます。

女性をデートに誘うために、男性は涙ぐましい(?)努力をします。女性との会話が苦手な私は、若い頃デートに望んで会話フローチャートなるものを用意していました。彼女がYESと答えたら次の話題はこう、NOなら話題をこう変える、などなど(笑)。相手の反応が悪いと苦労します。「女は愛嬌」といいますが、こうした男性の努力をうまく引き出し安心させるのも女性の大切な役割じゃないかと思います。ファンにポラを買ってもらったり、応援してもらうコツのひとつはこのへんにありそうですね・・。

ある女性との最初のころのデートで、彼女がまったく食事に手を付けなかったことがありました。嫌いなものは事前に確認しているし、どうして食べないのか私にはショックでした。彼女はまったく元気がないし・・・私はそのとき「この恋は終わったな」と感じていました。結論から言うと、このとき彼女は本当に具合が悪かったようです。なぜなら、その彼女が今の私のワイフですから。

 まぁ 男とはこんなものです。

 

ストリップの場合は、そもそも会話などのコミュニケーションが難しいところもあり、また踊り子さんによってはそういうコミュニケーションが嫌いな踊り子さんも多いのかなとも思います。

そういうなかで、お気に入りの踊り子さんに巡り合えたというのはとてもラッキーだと思います。手紙に限らず、彼女に接していると幸せな気分になります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、前回のお話の続きをさせていただきます。

 

 ストリップを長く見ていると、踊り子さんの出入りの激しい職業だなぁと思うことがあります。

ステキな新人がめでたくデビューして喜んでいたのに二度と会えないってことも結構あります。なかなか長続きしない方も多いようです。

 なぜ長続きしないのかなぁと徒然に考えてみました。

・   華やかなイメージがあったが、最初に思っていた世界と違う。

・   踊りは好きだがおぼえるのも大変だし、上手く踊れる自信がない。

・   オープンやポラができない。

・   お客さんの態度が悪い。野次られてへこむことが多い。

・   女の世界なので難しいところがある。

・   風俗なので世間体が悪い。

などなど・・・

個々人にそれぞれ事情・考え方があるのは当然ですが、一度決心してこの世界に飛び込んだからには安易に辞めてしまうのは本当に惜しいなぁと思います。

私はこんなふうに思うことがあります。

 

 踊り子さん、いやむしろ世間の方ですが、ストリップに対して偏見があるのかなと思います。特に踊り子さんは自分の仕事に対して職業意識をしっかり持つ必要があります。

 ストリップは、風俗ではなく、アートです。

昔のように、本番まな板ショー主流の頃のストリップはたしかにソープやファッションヘルスと同じ「男性の性の処理場」として風俗のひとつと言えましたが、今のストリップには「男性の性の処理場」としての役割は全くなくなりました。

 今のストリップは「ショー」としてステージを楽しむ場となりました。

 ショーという意味では、演劇やミュージカル、コンサートと相異ありません。ストリップは身体をもって表現するアートなのです。私は以前からストリップというと脱ぐ= ヌードとなるので、むしろ「お華見」という表現にしたらいいと思っていました。世間的には「ストリップを見に行く」というより「お華見に行ってくる」と言った方が通りがいいですよね(笑)。

単に女裸体が出るがゆえに風俗のひとつと整理されるのはとても心外なことです。ヌードは昔から芸術の対象なのです。芸術だからこそ「ごゆっくりご鑑賞ください」と場内アナウンスされるのです。

 

踊り子さんの中には自分がストリップに向いているかどうかを悩む方がいますが、それは「ストリップ向き」かどうかではなく単に「後ろ向き」の考え方をしているに過ぎません。

どうすれば踊りが上手くなれるか、どうすれば上手に自己表現ができるか、先輩のお姐さん達のように美しく踊れるにはどうしたらいいのか等等、常に前向きに取り組み、新しい演目にチャレンジしていったら、ストリップに向いているかどうかなんて悩む暇がなくなります。前向きに取り組んでいる人は仕事を楽しんでいるわけですから、動きに張りがあり、自ずと輝いて見えます。

 

 

10周年を迎えた三人の大ベテランの方の言葉を紹介します。

H16年9月に10周年を迎えた相沢かれんさん(H23年12月引退)の言葉。

『来週は10周年です。この舞台にたって10年!!いろいろな試練と戦ってきました。(中略) 私は10周年を迎える9/1はじめて自分に「おめでとう」と言えます。私は1つのことをやり遂げるのに10年間の時間を費やせたら本物だな・・・って思うから。やっとその時が来ました(涙)』

H17年4月に10周年を迎えた大阪東洋ショーの森田久恵さんの挨拶の言葉。

『2005年4月1日にデビュー10周年を迎えることができました。まさかこんなに長く続けられるとは思っていませんでした。10年、本当に早かったです。辛い時もありますが、それ以上に楽しさ、観てもらえる喜びの方が大きいです。すべて自分で考えたことができるステージは私にとって最高の時間です。同じステージは絶対にないと思っているので、毎回のステージを大切にしています。その時の森田久恵を観てください。これからもストリップを楽しんで下さいね!』

H17年7月に10周年を迎えたTSの早瀬みなさん(H24年12月引退)の言葉。

『10周年を迎えて感じたことは…「10年やったという実感がない・・」ということ(笑) だけど。そんなんでも、重みとか、10年ってすごいなぁとかは感じてます。あまり、重くは考えたくないので、私らしくさらっといきたいです。まだまだたくさんのステージ創りますよ!! 楽しみにしてまた見に来て下さると嬉しいです』

私の大好きなベテラン3人の言葉です。どうです、ステキな言葉ですよね。こういう姿勢でステージに望んでいるからこそ、三人ともいつ見ても神々しいまでに輝いているのだと思います。

 

ステキな踊り子さんに頑張ってほしくて、思いついたことを並べました。なんか参考になれば幸いですが・・

まぁ、ひとりのストリップファンの戯言と聞き流してもらってけっこうです。

 

これからも精一杯応援させていただきます。素敵なステージを今後も期待します。                                     

 

 

 

 

 

 

新人として初めてのステージは不安だらけですよね。初めてステージに乗るときなんか心臓が破裂するほどバクバクだと思います。

まぁ、いくつになってもステージに出るときは緊張するといいます。この緊張感を良い方向に生かしていきたいものです。

 

さて、今回は、新人さんにこれからも絶対にストリップを続げてほしいという気持ちを込めて、次のお話をさせていただきます。

 

 

新人のうちは無我夢中だと思いますが、その一生懸命さが好感を呼びます。

最初のうちは上手く見せようと意識しすぎる必要はありません。ベテランの踊り子さんにはない初々しさがお客さんを喜ばせます。いまの自分をそのまま見てもらうだけでお客は十分満足します。

 

実際、すっかりこの業界の顔になった踊り子さんの中にも、デビューしたての頃はいつ辞めようかと考えていたと言います。

ロック系のある踊り子さんは今では押しも押されぬ大ストリッパーのひとりですが、彼女でさえ、『始めは"とりあえずデビュー週と予定の入っている浅草の2週で、体が大丈夫で続けられそうなら"なんて弱気に始めましたが、もう一周年を迎えられました。』と一周年の挨拶に書いてありました。

また他にも、お気に入りの踊り子さんも、こんなことを言っています。

『私もデビューして数ヶ月間は、もう来月の仕事で最後!!なんて、やめたい時期もありましたが、気をぬくところや、ストレスをためない様に少しリラックスした気持ちで楽屋生活を送っているうちにそんな気持ちもなくなってきました。踊り子さんのお仕事はダンスが好きなだけでは出来るお仕事ではないと思います。でもその分学ぶ事も多いお仕事ですね。不思議な世界だと思います。お姐さん方やお客さん、出会いのとても多い職業です。それだけ縁もあるという事で、大切にしたいと思います。』

『(前略) 踊り子になってからはストリップを極めたいと思う様になりました。今は、ステージに出てお客さんの目の前で踊るのがとても楽しいです。昔は写真を撮られるのも苦手でしたけど、今は大好きです。ほんと、たまにフッと思うのですが、私が人前に出る仕事をするなんてネって。不思議で仕方ありません。デビューしてから1年ちょっと経って、顔なじみのお客さんもすごく増えました。自分に会いに来てくれるのがとても嬉しいです。』

二人ともとてもステキな踊り子さんです。最初は弱気になることもあったにしても、最後には前向きな気持ちが伝わってきますよね。

 

ひとつアドバイスさせてください。

ストリップという仕事に対する心構え、難しく言えば「職業意識」についてです。

ステージに立ったときに、お客さんが喜んでいるのが感じられるはずです。そのときのお客さんの顔を観察してみて下さい。本当に幸せそうな表情をしているはずです。つまり、ストリップとは男性に「幸せ」を与える職業なのです。

特に、特定の踊り子さんのファンの方を観察していると、ポラ撮影のとき一言二言会話して握手して振り返ったときの表情は皆さん本当に幸せそうです。大好きな女性とのささやかな触れ合い、コミュニケーションに幸福感を味わっているのです。

考えてみれば、ストリップのお客さんというのは「かわいいもの」だと思います。女性にもてない人が多いでしょうし、見るだけで満足するつつましさがある。おそらく金銭的にもあまり余裕のない方が多いのかもしれませんね。お金があれば他の風俗だってたくさんあるわけですから。・・・そういう淋しい男性に夢を与える、意味のあるお仕事なのです。

更にいえば、私は「ストリップはアートだ」と考えています。単なる風俗のひとつと整理されるのは心外です。この点は次の機会に詳しく話してみたいと思います。

 

もっと具体的なアドバイスとしては、どんな仕事でも共通ですが「習うより慣れろ」ということがあります。他のお姐さん方の話を聞いたりステージを拝見するだけでは自信がつきません。かえって自信をなくすこともあります。まずはステージに慣れることが第一段階です。

そのうえで、先輩のお姐さん方のステージを拝見させていただくのがいい勉強になります。皆さん、個性豊かないい味を出しているはずです。そのまま真似るのではく、最終的には自分なりの味を出すようにならなければ本物ではありませんが、そのためも参考になるはずです。

 

これからも精一杯応援させていただきます。素敵なステージを今後も期待します。

 

                                 

 

 

 

 

 

 

さて、今回も踊り子さんに役に立ちそうな話をしてみます。

踊り子さんは、美しいヌードが売り物ですが、踊りを始めいかに自分の身体で美しさを演出するかが勝負です。そのために練習も必要でしょう。

ただ、ストリップファンの一人として思うのは、特定の踊り子さんのファンになるきっかけというのは、ヌードや踊りとは違うところにあったりします。

私がストリップに通い出しかれこれ11年ほど経ちますので、私の体験に基づいて、ファンの心(ハート)をつかむ秘訣を話してみたいと思います。

 

1.     目で殺す

目は口ほどにものを言うといいます。

ほとんどの踊り子さんは、あえて視線を合わせないようにして踊っています。新人さんは特にそうです。また気が散らないようにするにはその方がいいのかもしれません。

そういう中で、真剣に見ているお客さんにあえて視線を合わせてニコッと微笑んでくる踊り子さんがいます。「真剣に見てくれて有難う」と目で語っています。そういうときグッとくることがあります。

挑発的な視線を投げかけてくる踊り子さんもいますね。ドキッとしますね。そういうのは自信家の踊り子さんが多いかな。

 

2.     スキンシップを図る

渋谷道頓堀劇場では、1ステージが終わる度にフィナーレで、道劇専属の踊り子さんたちがお客さんと握手して回るのが恒例です。ですから、道劇の踊り子さんの中には他の劇場に出演したときもオープンの終わりに握手することもよくあります。

大阪東洋ショーの麻生祥子さん(H16.12引退)が道劇に出演していたときに、この握手をおぼえ、必ずオープンの最後にお客さんと握手してましたね。

ロック系の若林美保さんは、ポラを買って握手するときに、びっくりするほどの強い力で握り返してくる。そのうえなかなか手を離さない。お客は一瞬びっくりしますが、これはかなり印象として残ります。次にポラを買うときはお互いそのことを知っていますから暗黙のうちに目で語り合えます。つまり、彼女は手を強く掴むだけでなく、お客のハートをしっかり掴んでいるわけです。

ロック系の吉野サリーさんは、それを一歩進めて、オープンの最後に、お客の頬をおっぱいで挟むサービスをします。これは究極のスキンシップといえますね。

 

3.     さりげない会話

ファンは気に入っている踊り子さんに自分のことをおぼえてもらいたいのです。

ポラを撮るときに、「お久しぶり」とか「いつもありがとう」など、あなたのことを知っていますよという一言は効果的です。これだけで必ずそのお客はリピートします。一番いいのはその人の名前を呼んであげることです。名前をおぼえてもらったらファンは最高に嬉しいのです。

また、ポラにサインを頼まれたら、一言コメントを添えるとファンは喜びます。ポラの裏にびっしり書き込んでくる人もいます。中には丁寧に手紙を添えてくれる方もいます。私が、ファンになった踊り子さんにお手紙を書き出したのは、こうしたコメントが嬉しくて、そのお返しに始めたものでした。

 

4.     気持ちを込める

人間は感情の動物です。最後は相手に気持ちが伝わるかどうかでファンになってくれるかどうかが決まります。

とくに笑顔は大切です。ポラを買ってもらう時、相手への感謝、相手の存在を受け入れたいという気持ちは笑顔から伝わります。

先ほど握手の話をしましたが、握手ひとつでも、両手で包み込むように握手されるのは気持ちのいいものです。女性の手のひらは男性にとっては柔らかくてとても感触のいいものです。なによりも、「よろしくお願いします」という気持ちが伝わってきます。

最も大切で、最も難しいのがこの「気持ちを込める」ことだと思います。

 

 

思いついたことをアトランダムに書き綴ってみました。お役に立てれば幸いです。

もちろん最初に述べたように、踊り子さんは踊りをしっかりマスターし、ステージで自己表現できるようにすることが大前提であることは言うまでもありませんが。

 

 

これからも応援させていただきます。素敵なステージを期待します。

 

                                     

 

 

 

 

仙台に単身赴任していた頃の私のストリップ日記から。

 

今日は「夢見心地を求めて」という話をします。

 

 毎週のように土日は仙台から関東に遠征している。しかも、交通費を節約するために夜行バスで移動する。だから、当然身体的には疲れるはず。しかし、それ以上に精神的満足が大きいので止められない。

 関東の劇場でラストまで観劇して、夜行バスに乗り込んだ時、まさに夢見心地になっていることがよくある。お気に入りの踊り子さんと楽しいひとときが過ごせた満足感。このままバスの中で夢の続きをみていたい気分。

 

実は今、夜行バスの中で物思いに耽っている。以前、この夢見心地を味わったことがあるなぁ~。記憶が蘇ってきた。

 妻とは見合いで知り合った。一目で気に入って、毎週土日に東京から秋田まで夜行列車で会いに通った。見合いなので、結納まで三ヵ月と早かった。付き合い始めて一番楽しい時期でもある。結納当日の夜、私は夜行列車に乗って東京に戻ることになっていた。プラットフォームまで見送りに来てくれた妻が、私が乗る列車の音が聞こえると涙をこぼした。私は妻がいとおしくて抱きしめて優しくキスをした。

 列車に乗り込んで、最後まで手を振ってくれた妻の姿を思い出しながら、寝台に横になった。

 今更ながら想うが、あのときの妻の涙が私の人生のクライマックスだった。愛されている実感、愛される喜びを味わった。大げさかもしれないが、生まれてきた良かったと思える瞬間だった。今では妻には笑い話でも言えないが、心からそう思っている。

 男と女の本当にいい思い出はプラトニックなもの。真にピュアな心でないと感動は味わえず、いい思い出にはなれない。

 私は、あのときと同じ感激を、今ストリップで味わっていることにふと気づいた。

 

 ストリップというのは多くの観客を相手にヌードを披露する場。だから特定の客に対して、特別のサービスをすることはできない。

 では、単にステージを観るだけで、こんなに夢見心地になれるかというと、なれない。ストリップを初めて観た頃はそれで十分だったかもしれないが、今のようなストリップ常連になると、視覚による刺激だけでは夢見心地までには至らない。なにがプラスされたかと言うと、仲良くしてもらえたという嬉しさと心が触れ合った喜び。心が触れ合うにはどうしてもコミュニケーションが必要になる。しかし、ストリップでは会話はできない。そのために手紙が有効になる。ときに手紙は会話をはるかに凌ぐ威力をもつ。相手の心にストレートに入っていき、会話以上に熱く語れることもある。

 私は手紙だけを目的にストリップ通いしているわけではない。手紙NGの方は応援しないと思われているかもしれないが、そうとも限らない。しかし、ことストリップの場合、手紙によって心のコミュニケーションができていることは事実で、大きな感動はほとんど手紙から得られている。従って、私は手紙抜きにストリップは語れない。手紙こそが心の架け橋なのだ。

 お金を払えば、ヌードを観たり、SEXの処理はできるのだろうが、いくらお金を払っても心は買えない。

 ストリップというのは本来、心の触れ合いを前提としていない。それなのに、こんなに楽しい心の触れ合いができるなんて、私はすごく贅沢な遊びをしていると実感する。

 ある踊り子さんからこう言われた。「たくさん通ってくれるお客さんは電話番号やメール・アドレスなどを聞きたがる。その点、太郎さんはいつも手紙をくれるだけ。不思議だなぁって思っていた。」「太郎さんは踊り子と客とは一定の距離を保って付き合うのがいい関係と言っている。太郎さんはすごくいい遊び方をしているんだなと思う。」

 

 長くお付き合いさせて頂いている踊り子さんとは、会うたびに安心感のようなやすらぎがある。

 一方、新人さんとは出会いのときめきがある。デビューしたばかりの新人さんは不安でいっぱいだろう。そういうときに手紙で励ましたりアドバイスすると感激してくれる方が多い。手紙のお陰で、一気に相手との距離が近づく。勇気をもって交際を申し込んでOKしてもらえたような喜び・・・いや、まずは友達レベルかな(笑)。ともかく仲良くなりかけた瞬間というのは激しいときめきを覚える。恋がゲームであるなら、まさにこの瞬間こそがクライマックス! 私が新人好きなのは、この瞬間がたまらなく好きだから。まるでストリップ界のプレイボーイ!ははは、実際は全くモテマセンが(笑)

 それでも、夢見心地を求めて、今日も劇場を彷徨っています。

 

 

 

 

 

 今回は、ストリップにおける手紙の効用について話してみます。

 

おそらく手紙はストリップにおける私の専売特許みたいなものじゃないかな(笑)。踊り子さんにとって、私=手紙であり、手紙を渡さない私は想像できない!? 私が手紙を書かなくなったら味気ないとも思うし、私としても手紙を書かなくなったらストリップ通いは止めると思う。

 ストリップのある友人が私のことを‘手紙ストーカー’だねと笑う。ストーカーというのは悪い言葉だが、手紙ストーカーという表現はうまいなぁと感心してしまった。まさに、私は手紙OKの方を求めて劇場を彷徨っている(笑)。

 

 私はストリップを観始めた当初から踊り子さんに手紙を渡していたわけではない。劇場通いを始めて五年ほど過ぎてから、何気にお気に入りの踊り子さんに手紙を渡したら、すごく喜んでくれて、しかもお返事を頂き、すぐに手紙の魅力に嵌まってしまった。

 もともと私は趣味でエッセイや童話などを書いていたので、書くことは大好き。これまでも、自分のこと、妻のこと、子供のこと、童話のことなど、興味をもったテーマを見つけて書き続けてきたが、一時、書くテーマをなくして断筆していた。そこに、長く観続けてきたストリップという新しいテーマを見つけて、また書き始めた。踊り子さんへの手紙という形や、ストリップ・エッセイとして書き続けている。最近は、それに童話を書き添えたら好評だったので、また童話の創作意欲も湧いてきた。

 ストリップ観劇と物書きとしての自己表現が結びついて、最高の楽しみに昇華した。手紙がなかったら、これだけストリップに嵌まらなかっただろうし、こんなに長くストリップ熱を維持できなかっただろうと思う。

 ともかく、私は手紙を通じて踊り子さんを応援するスタイルになっていった。

 

 ただ、手紙は目的ではなく、あくまで手段である。私がストリップ通いする目的は‘踊り子さんと仲良くなりたい!’この一点にある。その手段として、たまたま手紙が私に一番適していたということ。

 踊り子さんと仲良くなるには最低限のコミュニケーションが必要になる。踊り子とファンといえども一つの人間関係であり、人間関係を構築していくためにはコミュニケーションは不可欠。一言でコミュニケーションといっても、目で挨拶したり、会話をしたり、電話、手紙やメールなどの文章交換、といろいろある。その中で、たまたま私の場合は書くのが好きだったから、手紙を通じてのコミュニケーションがむいていたに過ぎない。ただストリップの場合は一方向性のステージが中心のため、コミュニケーションがかなり制限され、一般的なコミュニケーションである会話もポラタイムのほんの短い時間しかない。そのため、踊り子さんと長く話したければ手紙を書くしかない。

 この手紙という武器はかなり効果的に踊り子さんの心の中で爆発してくれる。手紙というのは私の熱い想いが直接踊り子さんの心の中に入り込んでいく。私は外見には全く自信がないし口下手なのだが、文章による自己表現には慣れているし、他の人よりは長けている自負もある。だから、私のことを理解してもらうには文章を通じての方が手っ取り早い。

また、長年、踊り子さんと手紙でコミュニケーションしているので、私の手紙もそれなりに進化を続けている。長い間ストリップ・エッセイやストリップ日記を書き貯めているのでかなり沢山のネタをもっている。今時点の踊り子さんに何が一番ふさわしい話題かを考えて話のネタを提供しているつもり。さらに、単にワープロで印刷したものを渡すだけでは味気ないので、必ず手書きのコメントとネコのイラストを入れるように心がけている。これが踊り子さんに好評。手書きの方が温かみがあるし、直接自分に対してだけのものだから嬉しいと喜んでくれる方が多く、できるだけ手書きを増やすようにしている。新作を拝見したら、ステージ感想を書いてあげると殆どの方は喜んでくれる。私の言葉で褒められるのが一番嬉しいと言ってもらえれば私としても最高に嬉しい。特に新人さんに対しては、最初にステージを拝見したら、すぐにステージ感想を届けるようにしている。

 

 では、踊り子さん側の反応はどうか?

私の手紙に対して、何も反応がない人から、丁寧にお返事を書いてくれる人までいろいろ。その反応で仲良くしてくれるかどうかを判断する。

私に関心がなければ、私の長い文章は読まないだろうし、仮に読んでも返事を書く気にはならないだろう。反応がないということは私と仲良くする気がないと受け止め、仲良くなる縁がなかったものと諦める。私自身、一生懸命書いて何の反応もないと虚しさを感じてしまう。ポラ代を払ってまで縁をつなぐ意欲がなくなる。全ての踊り子さんが私の手紙を受け入れてくれるはずもないわけで、踊り子さんはいっぱいいるのだからと割り切っている。あまりしつこいと本当に手紙ストーカーになっちゃうからね(笑)。

いつも手紙を読んでくれている方がたまたま忙しくて読めないのは全く問題ない。長く応援させて頂いていると気心が知れている。むしろ「ごめんなさい。今バタバタしているので、後でゆっくり読ませて頂きますね。」の一言が私への配慮を感じ心地よかったりする。

 たくさんコメントを書いてくれているのだが、全く心に響かない人もいる。私の手紙の内容になにも触れず、通り一片のことしか書いていない。おそらく全ての客に同じことを書いているのだろう。これでは私の手紙を読んでくれているのかどうか分からない。私の話し相手になるつもりはなく、義務的にポラサインの作業をこなしているだけと感じる。時には義務的を通り越して事務的になっている方もいる。コメントはたくさん書けばいいというのではなく、相手に気持ちが伝わればたった一言でもいい。私が手紙で提供した内容に対して「○○かぁ~。ムズカシイね」と一言あるだけでも十分気持ちが伝わる。やはり、心を込めて対応しないと心というのは伝わらないもの。だからこそ、難しくもあり、大切なことなのである。

 文章が苦手と言う踊り子さんも多い。しかし、相手に心を伝えるのに文章の上手い下手は全く関係ない。格調高い文章なのに気持ちが全然通じないときだってある。いくら文章が下手で、字が汚くても、心がこもっていれば必ず心は伝わる。ワープロでじっくり考えた私の文章より、私の汚い手書きで、その場で思いついたコメントを喜んでくれる踊り子さんが多いのもそのせいと私自身感じている。まぁ、気心が知れ、かまえずに楽しくやれるのが一番かな。そうすればコメントもさらりと書けるもの。そういう関係になりたくて、劇場にまめに通っている。

 

 私のような手紙好きな客は殆どいないだろうね。手紙を書きたいと考えているファンもいると思うけど、いざ手紙を書こうとすると、なかなか筆が進まないもの。その点、もの書きを趣味としてる私は楽しみながら書ける。これは私の特技であり、私の専売特許に近い(!?)。

 書くのが好きな分、ついつい長くなってしまう。おそらく、踊り子さんにとって、私の文章は長くて読むのが大変、そのうえ返事を書くなんてもっと大変。踊り子さんにとっては甚だ面倒な客だと思う。

 いくらストリップの話に限定しているとはいえ、踊り子さん全員に気に入ってもらえるとは思っていない。活字や長い文章が嫌いという女性もいるので、そういう方には相手をしてもらうつもりはない。私は自分の文章を喜んでくれる方のみ相手をしてほしいと思っている。要は相性の問題。だからこそ、そういう人と出会ったときの喜びは極上である。なにせ、ストリップの話題は家族や友人と話せないので、踊り子さんに話し相手ができると無上の喜びを覚えるし、そして物書きとしての筆も喜ぶ。

 

 もう少し、手紙の効用について話してみよう。

私は手紙へのこだわりが強い分、手紙への反応を敏感に感じる。手紙にはその人の性格がかなり反映されるがゆえに、ストリップというのに外見より先に内面から踊り子さんの魅力に気づいていく。だから、どんなに外見が素敵でも手紙への反応が悪いと一気に関心が萎えてしまう。

踊り子さんに手紙を出した瞬間、長い文書はダメという方がいる。活字が嫌い・・今の若い人は漫画や動画で育ってきているので本を読まない人も多く、印刷された長い活字を見た瞬間に拒否反応を起こす人もいるようだ。「こんな長い手紙、読む気もしない」と言って屑箱に捨ててしまう踊り子さんもいるほど。しかし、人間がもっとも人間らしいことのひとつに文字への順応性がある。人は文字を通して成長する。文字は文化そのもの、だから文字を嫌いな方は知性や教養を感じない。この時点で私がファンになる価値を見出せなくなる。

私は外見で踊り子さんを判断しない。むしろ、どれだけ心を感じるかでファンとして応援するかどうかを決めていく。外見だけだと次第に飽きがでてくるが、心を感じさせてくれる方は会うほどにどんどん好きになっていく。そして関係が深まっていくのを感じる。

私がストリップにおいて最も望んでいること、それは踊り子さんと楽しく会話が弾み(実際は文通だが)楽しいデートができたような感覚。この娘は絶対応援しよう! そう心に誓えるような方と出会ったときが最高に幸せを感じる。

そのために、私は手紙で踊り子さんの心のドアをノックしている。踊り子さんは仕事柄足は開いてみせてくれるだろうが、心はなかなか見せてくれない。そういう中、ときに私と相性が合って心のドアを開いてくれる方がいる。そういう方と出会う喜びは何ものにも代え難い。まさにストリップにおける縁だと感じている。

 

平成22年                         

 

 

 

 

 

今回は「言わなきゃ分からない」というテーマを書いてみました。

 

 あるストリップ仲間が、ラウンジで私が書いている手紙を覗き込んで、「ずいぶん長い手紙を書いているねぇ~。要は‘好きだよ’って一言書けばいいんじゃないの」と冷やかした。

 なるほど、言いたいことはその一言なのかもしれないな、と一瞬苦笑いした。でも、それだけじゃ、手紙そのものがつまらなくなる。恋文というのは、その一言がなかなか言えないため、ああでもない、こうでもないと回りくどくなりがちになる。でも、愛しているとストレートに言えないからこと、愛している気持ちを韻に含んで表現する言葉というのはとても味があると私には思える。とくに日本には、それを美徳と感ずる奥ゆかしい文化がある。

 

 ただ、私が踊り子さんに対してラブレターを書くときは、意外にストレートに愛情表現をしている。口ではなかなか言えない言葉でも、文章なら抵抗なく書ける。

 私がステージから見つめる熱い眼差しは、単にエロだけではなく、踊り子さんのことを本当に好きになっている。そうでないと夢中で応援できない。現実は疑似恋愛と分かっていても、劇場の中ではある意味‘本気’なのである。私の言葉は踊り子さんを元気にする魔法の力があるとある踊り子さんに言われたが、それは本気の言葉だからだと思う。

 

 自分の気持ちは言葉に表さないと相手には伝わらない。

 どんなに愛していると思っていても、何も表に出さないことには相手には分からないのである。「好きならどうして言ってくれなかったんだ。言われないと分からないじゃないか。」と言いたくなる。「私の気持ちが分からないなんて、あなたはなんて鈍感なの」と言われても、気持ちは表現しないと伝わらない。最近のTVコマーシャルで「‘思い’は見えないが、‘思いやり’は誰にでも見える」というのがあるがまさに同義。

 

 私事になるが、最近、仕事の中で、上司に対して不満を感じている。こんなに頑張っているのになんで評価しないのか? 自分がこんなに悩んでいるのになんで分からないのか? etc

  私の上司は、現在机を並べて仕事をしておらず、いつも近くにいるわけではない。上司の仕事は広範囲にわたり時間に忙殺されている。上司にとって私の仕事は専門外でよく理解できないため、基本的におまえに任せたと言う。私は逐一メールなどで仕事の報告をしている。しかし、上司は内容をおそらく理解していない。そのためか相談事を書いても、なにも反応がない。なにも問題がないときはいいが、問題があって悩んでいるときは感じてほしいし、一緒に悩んでほしい。

 上司に言わせると、「それなら、はっきりそう言え!」と言う。私に言わせると、なぜ部下である私の仕事を理解しようと努力しないのか。部下に任せて、その上にのっかるだけなら上司はいらない。私と今の上司は全く信頼関係ができていない。

 完全にコミュニケーション不足なのだと思う。言いづらいこともあろうが、お互いの不満を分かち合わないことには始まらない。上司は自分の理解不足を素直に認め、私のところに降りてきて、一緒に取り組む姿勢を示す必要がある。また私も、これまで遠慮してきたが、言いたいことをストレートに伝える努力をしていかなければならない。そうしないとお互いの溝は埋まらない、ひいては会社にとってもマイナスだ、と感じている。今では第三者に間に入ってもらい上司とコミュニケーションを図るように努めている。

 ここでも「ちゃんと言ってもらわないと分からないだろう!」がある。

 

 人間関係あるところ、お互いの気持ちを察するということはとても大切なこと。顔色や表情で心理状況を感じ取らないといけない。本当はそれが基本なんだと思う。

 日本人は本来この‘察する文化’で育ってきた。西洋は個を大切にするがあまり、家族の中でも完全に壁で囲まれた個室を設けようとする。ところが、日本では昔から、部屋の仕切りには襖や障子が使われ、隣にいる家族の雰囲気を察することができるようにしてきた。隣近所の出入りだって自由だった。だから、コミュニケーションが密になり、相手の気持ちは言われなくても分かった。しかし、西洋化が広がり、家族の中でもどんどん個室化が進む。核家族化も進み、隣はなにをする人ぞ、全く関心を持たなくなった。そのため、日本人は察することが急激に苦手になってきている。

「言わなきゃ分からないだろう」というのは本当はとても悲しいことなのかもしれない。

 言わなくても分かる、そういう以心伝心たる信頼関係のある家族や仕事仲間というのは本当に物事がうまくいくものだ。人間というのは本来、そういう信頼関係を作りたくて日々頑張っているのだと思う。

 

 さてさて、私の踊り子さんに対する熱い想いは、言わなくても分かってもらっているのだろうか。あ、いや、手紙で書いてるか・・・それが伝わっているかだな(笑)

 

平成23年3月                            

 

 

 

 

 

 新作を出したとき、どの踊り子さんも客の目にどう映っているか気になるもの。そんなとき、感想を書いて渡すと、踊り子さんから予想以上の反応があって驚くとともに、大好きな踊り子さんに喜んでもらえたことに私自身が無上の喜びを覚える。

 ある踊り子さんから「太郎さんの文章には踊り子を元気にする魔法の力がある」という言葉を頂き恐縮至極したことがあるが、それならばと最近できるだけ作品感想を書くように心掛けている。

 

 私がステージ作品を鑑賞するポイントを列記してみる。

①.   一番大切なのはコンセプト。まず、今回の作品はダンスで魅せようとしているのか、ストーリーとして見せようとしているのか。そのテーマは何か。

そこがはっきりしないと踊り子さんが今回のステージに託した想いが伝わってこない。

②.   全体の構成。概ね、最初の立ち踊り→次の立ち踊り→ベッドと移行する。単調になりすぎず、例えば静→動→静などメリハリよく流れているか。

③.   選曲が重要。とくにベッドは選曲が命。

ときに、立ち上がりの曲に踊り子さんの想いが込められていることが多く、曲の歌詞をじっくり味わうと伝わってくるものがある。

④.   色彩。とくに衣裳にこだわる。照明も大切。色がテーマになっていることも多く、色の中に踊り子さんの想いが託されている。

⑤.   最後に振付。①から④まで踊り子さん自身が考えて、振付だけプロにお願いするケースも多い。それだけ振付には技術が要る。さりげないステップに練習量が窺え、思わず拍手したくなることもある。

決めポーズもおさえたい。ベッドの盛り上がりは決めポーズが左右する。

⑥.   小道具などの脇役も押える。細かいところに苦心の跡が見えたりする。

髪形の変化も見逃せない。

 

 

 4月前半、新宿ニューアートで水野美香さんの新作を拝見。先月中の仙台ロックまでが着物の出し物だったので、今回は5月頭の3周年記念に向け、周年作を仕上げてきたかと真剣に観た。一度ステージを観ただけでイメージされるものがあったので、すぐに手書きで感想を書き、2回目のポラ時に渡した。次のように書いた。

 

 初めて新作を観終えて、印象に残ったのは「白」。

一曲目は、純白のウェディング・ドレスで華やかに登場。二曲目、ドレスを脱ぐと下に白い軽装。そして、ベッドも白いシャツ(ブラウス?)。と白い衣裳が続いた。

美香さんは身体が大きいので、白い衣裳を着るとステージ全体が白く感じられるほど。彼女はステージで「色の迫力」を感じさせる術を知っている。前作の着物では赤が印象に残っているし、一年ほど前に私は美香さんに「黒の魅力」というステージ感想を書いたこともある。他にも、青が強調されたステージ作品もあった。このように、彼女の作品には色彩感覚が豊かに表現されている。

もちろん、その色に彼女の心理が織り込まれている。白には清楚、純粋、上品さなどを感じる。純白のウェディング・ドレスへの想いは女の子なら誰しも強いもの。美香さんもお年頃になり結婚願望が出てきてもおかしくないが、まだ引退するには早すぎる。三周年を迎え中堅の踊り子としての自覚も芽生える時期でもあり、おそらく結婚相手はステージ(orファン)なのではないかな。これまでの自分を一旦真っ白な状態に戻し、改めて新しい水野美香像を模索していきたいという踊り子としての心意気を、私はこの「白」に感じた。

 ベッドでは、白いシャツに、黒いボタンが付いている。更に黒いパンティと黒いハイヒール。白い中に黒をアクセントとして置いたところに美香さんらしい粋を感じ、セクシーさを増している。

 ベッド曲は、尾崎豊の名曲「I love you」を女性がカバーしたものでいい雰囲気を出している。ラストの立ち上がりの曲は知らないのだが、歌詞を味わっていたら心にぐっとくるものがあった。

 

 以上の感想を手書きでさっと書いて渡した。

 今回の作品は実は周年作ではなく、周年作へのつなぎとして今回の公演に間に合わせたものだった。「そう、本当は周年作にしたかったんですが、日舞の曲が先週までの姐さんとかぶっていたので急いで作ったんですよ。」 踊り子さんというのは、曲がかぶったりすることをすごく気にするんだね。観ている客としてはあまり気にならないんだけど、演じる方の立場はやはり違うんだろうね。

 美香さんのお返事、すごく喜びが伝わってきて、読んでる私が興奮した!!

「びっくり~!! 私のこの出し物の気持ちと表現と伝えたいコトを精一杯盛り込んだのが、全て伝わっていて本当に感げき!! こうふんして漢字が出てこない位。 (中略) 表現したかったコトとコンセプト伝わっていて嬉しいデス。ダンス2曲とベッド共に白×他一色が全部のスタイルです。」

 また、私が立ち上がりの曲について触れたことが美香さんの心にヒットした。「立ち上がり『ステファニーのBecause of you』の歌詞の最後『ありがとうを伝えたい』ってトコが本当に周年作にしたかったんです。」

 好きな踊り子さんに喜んでもらえる応援というのがファン冥利。いろんな応援があると思うが、私のようなステージ感想は踊り子さんの琴線に触れることがよく分かる。美香さんが私の感想を読んでから、後のステージがルンルン気分だったと言ってくれた。私の言葉が踊り子さんを元気付ける魔法の力になれれば、私としてはこれ以上の喜びはない。

 

平成21年6月                           仙台ロックにて

 

 

 

平成21年1月の引退を前に12月にひなさんへ渡した手紙を披露します。私のノスタルジーを共感していただけると嬉しいです。

 

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来年1月、ちょうど5周年での引退ですか。。。

9月の仙台ロック公演のときには、まさかこんなにすぐに引退することになるとは思いませんでした。ただ、お手紙の中に「私はもう体も悲鳴をあげてて病院行っても体に悪いことを止めなさいと言われるだけで・・・。ステージ辞めるってこと・・。できるだけ頑張るけど、長い人生の道のりを考え、壊れてしまう前には卒業する道を選ぶ日が来ると思ってます。」とあったので、すごく心配していました。あのときには、すでに引退の決意をされていたのですね。

仙台ロック後に、引退のことをひなさんファンから聞かされ、仙台ロックから1ヵ月後の、10月中の新宿ニューアート公演に、ひなさんに会いに行った次第です。いつもと変わらずに応対してくれ、まさか来年早々に引退してしまうんだなんて思えない、いや思いたくない・・・。

でも、引退は避けられない事実。やはり、それを意識してステージを見てしまう。

当日は二個出しでしたが、どちらも素晴らしい出し物。ひなさんがこの作品がラストの作品になりそうと言ってましたが、ひなワールドの最後を飾るに相応しい作品に仕上がっています。

ひなさん、本当に素敵な踊り子さんに成長したなぁ~。

本当に綺麗になったなぁ~。

私はステージのひなさんを見ながら、ベッドのときポロポロ涙を流していました。もしかして気づいていたかな?

いったい何がこんなに涙を誘うんだろうか・・・

 

私は、ひなさんの2004年1月1日川崎ロック・デビューから見て応援しています。私のストリップ日記を見ると、1月3日に初めて会い、その週1月9日にも会いに行っている。私が渡した手紙、とくに私の童話に対して丁寧に感想を書いてくれ凄く感激したのをよく覚えています。それ以来、ずっと仲良くしてくれて、いつも丁寧に手紙でコミュニケーションして頂きました。本当に嬉しくて、感謝でいっぱいです。今日で、ひなさんに会うのは何回目かなとストリップ日記帳を追ってみたら76回目でした。お手紙はその何倍も交わしているはずですね。

ひなさんのデビュー当時から、私は踊り子さんに手紙を渡し始めました。だから、今のようにワープロでのネタは全くなく、最初は自筆で手紙を書いていました。たくさん書くには限界もあり、すでにあった童話エッセイが主体のお手紙でした。ストリップ日記帳を辿り、私がこれまで一番多く手紙交換させて頂いている方は誰かなと思ったら、ひなさんの半年後にデビューした広瀬あいみさんで、ひなさんは二番目でした。最初の頃はネタのストックがなくって、前日の会社でのソフトボール行事など日記風に書いてたことを思い出します。あいみさんがむしろ私の自筆の手紙を喜んでくれてたのを記憶しています。そのあいみさんも最近引退説が流れていて心配しています。ひなさんやあいみさんは、私がストリップに対して「手紙」という新しい魅力を感じ始めた転換期にデビューしました。

手紙がなかったら、これほどストリップにのめりこまなかったと思います。観るだけでは途中で飽きてたかもしれません。手紙は踊り子さんとの会話ですが、その前に自分との会話です。もともと昔から書くことが趣味でしたが、当時はテーマを無くし、休筆状態。そこに、大好きなストリップというテーマができました。すでに5年ほど観続けているので話題にも事欠かない。ということで夢中になって書き続けました。

ひなさんのステージを観ながら、ひなさんの姿に当時の自分の姿を見つけました。とても懐かしくて胸をしめつけられました。最初の頃から現在までの手紙交換がひなさんの出し物とともに走馬灯のように頭の中を駆け巡りました。私が涙したのは、踊り子さんの中に見える自分に対してだったのです。

以前、自分の子供に対して童話エッセイを書き綴っていました。そのときに、子供を見ながら、何度も涙することがありました。自分の子供の中に、はっきりと過去の子供の頃の自分が見えるのです。その姿を見つけると涙が滴り落ちるのです。

それと同じ現象が、踊り子さんに対しても起こったのだと感じました。

 

ひなさんのことをデビューからずっと見てきました。例えが悪いですけど、芋虫が美しい蝶に変わるのをしっかり見届けてきました。その裏には人知れぬ努力があったことは疑いないことです。ひなさんがすごい努力家であることは誰もが認めることです。ステージに対する真摯な努力が自信になってきらきらと表情に表れていましたよ。ただ、その努力が腰を痛め致命傷になったことはとても皮肉なことですが(涙)。

私は手紙交換させて頂いたお陰で、内面の成長も窺えました。私の小難しい文章にも賢い感想をたくさん頂きました。すてきな考え方をしているなぁ~女性としてとても魅力的な方だとずっと思っていました。

サインなどで忙しいのにいつもお手紙を頂きました。感謝でいっぱいです。もちろん私以外のファンもとても大事にされていた。ファンみんながそんなひなさんの人間的魅力に憧れていた。

思えば思うほど、引退を前に悲しくなってきます。

 

ただ、改めて振り返ると、ひなさんの成長とともに、私もすごく成長できました。先ほども述べたように、書くネタに困ってた五年前から今まで、ストリップを通していろんなことを考え文章にしてきました。文量だけでも凄い枚数です。私自身数えたことはありませんが、本が何冊も書けそうです。ひなさんにもいっぱい読んでもらいましたね。

ストリップを通じ、ものを見る目、感じる心を磨いてきました。私は今の自分に満足しています。ここまで成長させてくれたストリップに、そして踊り子さんに、感謝の気持ちでいっぱいです。その1人が間違いなく、ひなさんです。

踊り子とファンが共に成長できる関係というのが理想だと思うんです。だから、ひなさんとの思い出は私の中でいつまでも輝いています。

私はひなさんのことは忘れません。

 

平成20年12月                            DXKにて

 

 

 

 

 

 

ストリップは選ばれた絶世の美女ぞろい。彼女たちと仲良くなりたいという夢を抱く。

 しかし、いつも思う。「自分は何のとりえもないダメな男だ。女性に好かれるはずがない。」と。自分の容姿を見るに、どう見ても彼女達に相手をしてもらえる感じがしない。

しずかちゃんを想うのび太の気分。しかも、自分には助けてくれるドラえもんはいない。

 私には一体何があるのだろう・・・

 

久々にこんな童話が思い浮かんだ。

 

 

 

題名は『ミツバチの手紙』・・・

 

 どこまでもどこまでもお花畑が広がっていた。その中に小さな小さな林があり、また、その林の中に一本の大きな大きな木が立っていた。

 木には、ミツバチの城があった。城には一匹のかわいいお姫さまが住んでいた。いずれ女王蜂となる彼女も適齢期をむかえ、城をあげてのお披露目式が盛大に行われた。

 彼女の相手となる働き蜂達は平等に求婚できる権利を与えられた。しかし、ミツバチ世界にも階級制、すなわち上働き・中働き・下働きの三つに区分され、実際にお姫さまに求婚できるのは上働きのミツバチに限られていた。

 

 案の定、上働きのミツバチであるA蜂が求婚を申し出た。役人バチ達が彼のお目通りを認め、お姫さまの前に通した。少し小太りで貫禄十分のA蜂はミツバチの間で権力者として名が通っており、たくさんの下働き蜂達を使って、多くのハチミツを集めさせ、それをお姫さまにプレゼントすることができた。

 しかし、べらべらと自慢話をするA蜂に対して、お姫さまは全く関心を示さず、目を合わせようともしませんでした。

 

 上働きのミツバチの中で、もう一匹求婚したのが、財産家のB蜂。彼は金に糸目をつけずに沢山の光物を揃えた。その上で、お目通りを認められ、お姫さまの前に通された。B蜂も、自慢げに光物をどうやって手に入れたか、それぞれがどういう謂れや効用があるかを理路整然とお姫さまに説明し出した。

しかし、キザでインテリっぽいB蜂に対しても、お姫さまは一切こころを開こうとはしませんでした。

 

そんな中、一匹の下働きのC蜂がお姫さまのお披露目のときに、一目で心を奪われてしまいました。C蜂は身分も低く、お金もなく、他にも何も持っていません。でも、お姫さまに対する熱い気持ちだけは誰にも負けません。

「背も高く、かっこいいミツバチがたくさんいる。それに比べ、自分は背も低く、顔も悪い。外見が悪いうえに、他にもなんの取り得もない。ぼくにあるのはあなたを想う強い気持ちだけ・・・」

悩んだあげく、彼は一通の手紙をお姫さまに贈ることを考えました。彼はそれを書くために何日も何日も時間をかけました。しかし長々と書いたわけではなく、簡潔に自分の気持ちを伝えることに徹しました。

彼はそれを持って、お城を訪れました。何度も何度もお姫さまへのお目通りを懇願しましたが、頭の固い役人蜂達が絶対にお目通りを許しません。役人蜂の一人が、彼の真摯な態度に好感を抱き、こっそり手紙をお姫さまに渡してくれることを約束してくれました。C蜂はお姫さまに会えず、泣く泣くお城を後にしました。

 

その手紙は、親切な役人蜂のお陰で、運良くお姫さまの手元に届きました。

お姫さまはその手紙を開いて驚きました。なんと文字が輝いているのです。愛する人に短い文章で心を伝えるとき、言葉は光を放つと言われます。

更に不思議なことが起きました。彼の真心のこもった言葉たちが手紙から飛び出し、お姫さまの耳元で優しく語り始めました。言葉は心地よいメロディを醸します。お姫さまは愛されている喜びを感じ、心が和んでいくのが分かりました。次に言葉たちは、お姫さまの手をとって踊り出しました。お姫さまは嬉しくなり一緒にダンスを楽しみました。・・・

 

お姫さまが目を覚ましたとき、外はもう朝になっていました。お日様が彼女ににっこり微笑み、そよ風が優しく彼女の心を誘いました。

お姫さまの心は決まりました。

お姫さまは急いで城を抜け出し、C蜂のもとに走りました。C蜂を見つけたお姫さまは彼に向かって叫びました。

「あなたを私の王子様にお迎えに参りました!」

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 ときに踊り子さんから、ステージの上から熱い目線をいただけることがある。その見つめ合えた瞬間、踊り子さんの目には私だけが写っている。どんなに短い時間であろうが、その踊り子さんの目を独占できた満足感が走る。

 手紙というのは、読んでいただけた瞬間に直接踊り子さんの心に入っていく。そして、その間は踊り子さんの心を独占できる。手紙にはそういう効用がある。

 だから、手紙を読んで頂ける踊り子さんとはすぐに親しくなれる。私は手紙を受け入れてくれる踊り子さんを大切にしたい。

 

  私は手紙のお蔭でストリップにはまっている。手紙は踊り子さんとの会話であると同時に、自分自身との会話である。自分がどんなことを話してくれるかを楽しみにしながら、いつもパソコンに向かっている。

 

平成21年7月                           川崎ロックにて