今回は「言わなきゃ分からない」というテーマを書いてみました。
あるストリップ仲間が、ラウンジで私が書いている手紙を覗き込んで、「ずいぶん長い手紙を書いているねぇ~。要は‘好きだよ’って一言書けばいいんじゃないの」と冷やかした。
なるほど、言いたいことはその一言なのかもしれないな、と一瞬苦笑いした。でも、それだけじゃ、手紙そのものがつまらなくなる。恋文というのは、その一言がなかなか言えないため、ああでもない、こうでもないと回りくどくなりがちになる。でも、愛しているとストレートに言えないからこと、愛している気持ちを韻に含んで表現する言葉というのはとても味があると私には思える。とくに日本には、それを美徳と感ずる奥ゆかしい文化がある。
ただ、私が踊り子さんに対してラブレターを書くときは、意外にストレートに愛情表現をしている。口ではなかなか言えない言葉でも、文章なら抵抗なく書ける。
私がステージから見つめる熱い眼差しは、単にエロだけではなく、踊り子さんのことを本当に好きになっている。そうでないと夢中で応援できない。現実は疑似恋愛と分かっていても、劇場の中ではある意味‘本気’なのである。私の言葉は踊り子さんを元気にする魔法の力があるとある踊り子さんに言われたが、それは本気の言葉だからだと思う。
自分の気持ちは言葉に表さないと相手には伝わらない。
どんなに愛していると思っていても、何も表に出さないことには相手には分からないのである。「好きならどうして言ってくれなかったんだ。言われないと分からないじゃないか。」と言いたくなる。「私の気持ちが分からないなんて、あなたはなんて鈍感なの」と言われても、気持ちは表現しないと伝わらない。最近のTVコマーシャルで「‘思い’は見えないが、‘思いやり’は誰にでも見える」というのがあるがまさに同義。
私事になるが、最近、仕事の中で、上司に対して不満を感じている。こんなに頑張っているのになんで評価しないのか? 自分がこんなに悩んでいるのになんで分からないのか? etc
私の上司は、現在机を並べて仕事をしておらず、いつも近くにいるわけではない。上司の仕事は広範囲にわたり時間に忙殺されている。上司にとって私の仕事は専門外でよく理解できないため、基本的におまえに任せたと言う。私は逐一メールなどで仕事の報告をしている。しかし、上司は内容をおそらく理解していない。そのためか相談事を書いても、なにも反応がない。なにも問題がないときはいいが、問題があって悩んでいるときは感じてほしいし、一緒に悩んでほしい。
上司に言わせると、「それなら、はっきりそう言え!」と言う。私に言わせると、なぜ部下である私の仕事を理解しようと努力しないのか。部下に任せて、その上にのっかるだけなら上司はいらない。私と今の上司は全く信頼関係ができていない。
完全にコミュニケーション不足なのだと思う。言いづらいこともあろうが、お互いの不満を分かち合わないことには始まらない。上司は自分の理解不足を素直に認め、私のところに降りてきて、一緒に取り組む姿勢を示す必要がある。また私も、これまで遠慮してきたが、言いたいことをストレートに伝える努力をしていかなければならない。そうしないとお互いの溝は埋まらない、ひいては会社にとってもマイナスだ、と感じている。今では第三者に間に入ってもらい上司とコミュニケーションを図るように努めている。
ここでも「ちゃんと言ってもらわないと分からないだろう!」がある。
人間関係あるところ、お互いの気持ちを察するということはとても大切なこと。顔色や表情で心理状況を感じ取らないといけない。本当はそれが基本なんだと思う。
日本人は本来この‘察する文化’で育ってきた。西洋は個を大切にするがあまり、家族の中でも完全に壁で囲まれた個室を設けようとする。ところが、日本では昔から、部屋の仕切りには襖や障子が使われ、隣にいる家族の雰囲気を察することができるようにしてきた。隣近所の出入りだって自由だった。だから、コミュニケーションが密になり、相手の気持ちは言われなくても分かった。しかし、西洋化が広がり、家族の中でもどんどん個室化が進む。核家族化も進み、隣はなにをする人ぞ、全く関心を持たなくなった。そのため、日本人は察することが急激に苦手になってきている。
「言わなきゃ分からないだろう」というのは本当はとても悲しいことなのかもしれない。
言わなくても分かる、そういう以心伝心たる信頼関係のある家族や仕事仲間というのは本当に物事がうまくいくものだ。人間というのは本来、そういう信頼関係を作りたくて日々頑張っているのだと思う。
さてさて、私の踊り子さんに対する熱い想いは、言わなくても分かってもらっているのだろうか。あ、いや、手紙で書いてるか・・・それが伝わっているかだな(笑)
平成23年3月