今回は、踊り子さんに求める「貴品」という話をしてみたい。

 

 H20年のお正月早々に、応援している踊り子さんへの新年の挨拶がてら川崎ロックに行った。川崎大師ではなく川崎ロックに初詣というのが私らしい。(笑)

 東洋の遠野こころさんのベル(ディズニーの「美女と野獣」)のドレス姿、そして「キツネの嫁入り」を演じた長谷川凛さんの着物姿にうっとりしながら、新年早々心が清められた気分になった。

 

 ストリップというと、女性のヌードを見に行くというのが一般的な言い方かもしれないが、私のような常連になってくると、「女らしさを感じたい」ために劇場に足を運ぶ。

 たとえば、ヌードだから服を脱げばいいというのではなく、脱ぎ方を味わいたい。ときに、脱いだ服を袖の方へ足で蹴っ飛ばしている踊り子さんを見かけるがこれは興醒め。また、ステージに肘を乗せた客や居眠りしている客なんかを足でこずく踊り子さんもいるがこれもお客に対して失礼な行為だと私には見える。ストリップを見る側のお客にマナーが必要であると同じく、踊り子さんの側にも女性らしいエチケットが求められる。

 

 昔のストリップは男性のスケベ心をくすぐろうと本番まな板ショー等どんどんえげつなさを追及していったところがある。それに対して、今のストリップは一種の「貴品」を求めているのではないだろうか。

多くのお客は、心が洗われたり、心が癒されるのを喜ぶ。そのために、ステージの良さ、踊り子さんの良さを、ひとつの作品<アート>としての魅力と感じる。こんな綺麗な方やこんなかわいい娘がヌードを見せてくれるというギャップ的な嬉しさもある。清楚&淫靡のコントラストと云えるか。

 そして、それは踊り子さんの「女性らしい仕草」に凝縮されていく。女性の色気は性器の露出にあるのではなく、女性らしい振る舞いの中に表れてくる。衣装の着こなし、脱ぎ方、ステージが終わった時のリボンさんへのお礼、ポラ時の応対、ポラ・サインへの心遣いなどいろんなところに表出してくる。日本人が着物姿や日舞に特に魅力を感じるのは、そこに「女性らしい仕草」をたくさん感じるからなのだろう。

「女性らしい仕草」は踊り子さんの品性そのもの。それが私が最も魅力を感じる「女性らしさ」である。心の化粧を怠ってはいけない。

 

 新年早々の苦言になり失礼いたしました。

 

平成20年1月                           川崎ロックにて 

 

 

 

 

 

 

ある踊り子さんから「バレンタインに想い出はありますか?」との質問。

 ふう~む・・・ では「血のバレンタイン事件」の話をしましょう。

 

大学時代、家庭教師をしていた。相手は女子高生。

バレンタインの日、彼女がアパートにチョコレート持参で訪ねてきた。初めての訪問に驚くも、チョコレートを贈られ、甘いムードになってきた。すべては神のなりゆきのまま・・・

ベッドには血が残っていた。・・・

 

ははは、これは私の話ではありません。親しくしていた大学時代の同郷の先輩の話。

バレンタインの夜に、先輩のアパートに遊びに行った時に、日中そういうことがあったことを聞かされ、やたら鮮明に記憶に残りました。

私は大学前半は下宿してましたが、後半はアパート生活。しかも、その先輩が卒業する時、彼の住んでいた部屋に入りました。電話や家財道具一式、安く譲ってもらいましたが、譲ってもらったベッドに寝ると、あの話を思い出し悶々とすることもありました(笑)。

先輩は女性には困らない生活をしていたようです。卒業した後、譲ってもらった電話に何人かの女性から電話が掛かってきて、先輩の電話や移転先を教えました。すぐに先輩から電話が来て「連絡先は教えるべき人には教えてあるので、他の人には教えないでくれ!」と釘を刺されました。

私は女性には全く縁なき学生生活を送っていたので、その先輩は憧れでもあり、また先輩も私のことを同郷の後輩としてすごくかわいがってくれました。私の結婚式で友人スピーチをしてくれたのもその先輩です。

もちろん私も若かったので、女性にはガツガツした肉食動物ではありました(笑)が、女性に対しては、遊びで付き合うつもりはなく、結婚したいくらい好きにならないと付き合わないという潔癖なところがありました。そういう中で何度か恋をして、勇気をもって告白しましたが、全て砕け散りました。その度ごとにコンプレックスに悩む青春を送りました。今の自分ならもっと違った展開もあったかなとも思いますが、これが男として人間として成長につながる肥しになりました。だから後悔はありません。

今では結婚もし、歳もくって、おとなしい草食動物になりました(笑)。でも、今こうして踊り子さんと擬似恋愛を楽しんでいる自分は今が青春気分。それはきっと若かりし頃に叶わなかった青春の残り香をストリップに求めているのかもしれませんね。

 

恋少なき男なので、すてきなバレンタインの思い出が話せなくて、すみません。

でも、踊り子さんのように恋多き女性に、恋少なき男が憧れる・・・そういうのも「あり」かなと思っています。(笑)

 

                          

 

 

 

 

 

 お正月にストリップを観劇していると、まるで宝船に乗っているような華やかな気分になる。

 ウキウキ♪ ルンルン♪ ノリノリ♪

 振舞い酒まで出て、気分高揚。

「長き世の遠の眠りの皆覚め波乗り船の音の良きかな」と口ずさむ。これはよく知られた歌で、遠の眠りを「とおのねぶり」と読むと、上から読んでも下から読んでも同じ回文歌になる。私なりに解釈すると、「長い人生である。普段はまじめに生活し、一生懸命に仕事をしていかなければならないが、時には羽目を外し、本性を丸出しで、ストリップを楽しんだらいい。そうすれば、音楽にのり、そして波に乗ったように気分がウキウキになるよ」となる。(笑)

 試したことのある方もいるだろうが、この歌を配した帆掛け舟の絵を枕の下に敷くと縁起の良い初夢が見られるという。

 

 さて、ストリップが宝船だとすれば、踊り子さんは七福神ということか。

 以前は踊り子さんの香盤数は七人が多かった。今でも、TSミュージックと渋谷道頓堀劇場は七人香盤であるが、殆どの劇場は六人香盤になっている。これはポラ主体になってきて踊り子さんの持ち時間が長くなったためである。しかも、ポラは時間がどんどん押す原因になっている。TSミュージックと渋谷道頓堀劇場では時間押しを考慮して最初からダブル、トリプルの調整を図っている。

 私が初めてストリップを観た30年前には、ポラはまだなく、七人の踊り子さんが時間通り始まり時間通り終わっていた。ポラを初めて観たのが30年近く前かな。当時は一枚200円だった。

 昔のストリップというのは、今みたいに外からAV女優出演のように自由に入り込めるオープンな世界ではなく、歌舞伎のような限られた世界で営まれていた。その中で仕事する踊り子さんは芸人として自分なりの持ち味を出していた。それは素晴らしい日舞のときもあれば、特殊な花電車だったり、白黒ショーだったり、なにも芸を持ち合わせていない方は本番まな板ショーをやっていた、という感じだった。芸中心であるがゆえ、また限られた世界で出入りがない分だけ年齢構成はかなり高かった。正直言って、当時若かった私にとっては自分のお袋を見ている気分で嫌な感じも多々あり、それがストリップにはまらなかった原因になった。ただ、はっきり云えることは、昔は芸中心であったがゆえに、年齢層も幅広く、なによりも踊り子さんの個性が豊かだった。昔に比べると、今のストリップは、同じようにかわいい踊り子さんが皆同じような踊りを踊っている、と言われかねない。(まぁ、私としては今の方がずっといいが)

 

 さて、宝船には、おなじみの七福神が乗る。七福神をすらすら言えるかな。恵比寿、大黒、弁財天、寿老人、福禄寿、毘沙門、布袋である。

 昔の踊り子さんには、この神々の面影をもつ方がたくさんいたような気がする(失礼!)。それだけ個性豊かということです、はい。

 この神様たちのルーツは、ヒンズー教、仏教、道教、神道といったアジア全域に及ぶ神々を一つにまとめあげたものらしい。なんでも上手に吸収できるいかにも日本人らしい神々である。最近はツアー客として中国、台湾、韓国の方がたくさんストリップ劇場にみえる。欧米人の方もよく見かける。たまにツアーの方と席の取り合いなどで揉めたりしているが、そんなつまらないことで争わず、みんなで仲良くストリップを楽しめばいい。ストリップは万国共通の楽しみであり、インターナショナルの架け橋になるのではないか。我々はもっと七福神の精神に学ばなければならない。

 そして何よりも、この七福神がもたらす、律儀、有福、威光、愛嬌、寛大、人望、寿命の七福を祈りつつ、今日も厳かな気持ちでストリップを観劇したい。

 

 以上、新春の抱負でした。

 

 

 

 

 

春なので桜の話をさせてください。

 

桜の季節になれば、世の人は花見に出かけます。しかし、桜はあっという間に散ってしまいます。

 そういえば以前会社で花見に行ったとき、同僚の女性が、「桜が散る」というと淋しいので「桜が舞う」と言い換えたいと言ってました。女心ですね。ちなみに、彼女はかなり年配の人ですが・・・

桜が散ると花見にでかけられませんが、ことストリップという「お華見」は年中楽しめるから、いいですね(ヘ0ヘ) ストリップというと脱ぐ=裸というイメージが強いけど、私としては、踊り子さんの華を観に来ているのでむしろ「お華見」という表現にしてほしいくらいです。

 

 カラオケ好きの話題。

毎年この時期になるとサクラの曲をカラオケで歌っています。数年来サクラの曲が続けてヒットしている。H18年はコブクロの「サクラ」、H17年はケツメイシの「さくら」、H16は河口恭吾さんの「桜」、H15は森山直太郎さんの「さくら(独唱)」。カラオケ好きの私には毎年サクラの曲が歌えるのが無性にうれしい・・・

踊り子さんを横に、カラオケが歌えたらどんなにハッピーだろうなと思います。(ヘ0ヘ)

 

 サクラの話題をもう少し続けます。

  私の家の近くの喫茶店でこの時期になると「サクラ・ティー」という紅茶を出します。一杯525円なので安くはないけれど人気があります。桜の香りっていいですよね。

 広島県の尾道で「桜の香水」というのが評判になっているようです。2500円という手頃な値段からお土産として人気が出ているようです。広島に行く機会があったら買ってみたらどうでしょう。

 (ちなみに私は尾道の回し者ではありません。)

 ところで、お気に入りの「香水」を持っていますか?

 ときに踊り子さんの香りに包まれただけでうっとりさせられることがあります。香水の香りがその人の存在感を引き立たせているわけです。

 気に入った香水に出合えると凄くハッピーな気分になりますよね。

 

「さまざまのこと 思ひ出す 桜かな」(松尾芭蕉)

 

                            

 

 

 

 

 

今回は、季節とストリップについて話します。

たとえば、お正月に日舞などのステージを見ているとお正月らしい出し物でいいなぁと思う。私は年がら年中ストリップ漬けのせいか季節を忘れかけてしまう(それは言い過ぎ)ので、季節感を感じさせてくれる出し物には好感を覚えます。

日本人の特徴のひとつに季節への感受性があります。

俳句や和歌が発達したのもそのひとつの表れです。

道元禅師の「春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて涼しかりけり」も有名ですし、清少納言の『枕草子』の最初の出だし「春は曙・・・」を暗誦できる方も多いでしょう。

私も負けずに考えたら、こんな詩になってしまいました。

 

題名は『ストリップ三昧』

 

春はストリップ。

世の人は花見に行くけれど、私はせっせと踊り子さんの華見へ足が向く。

 

夏はストリップ。

暑いときにはストリップで避暑気分。

とくに夏ばて気味のとき、踊り子さんのステージは鰻よりも精がつく。

 

秋はストリップ。

食欲の秋とはいうけれど、性欲あるならストリップへ

芸術の秋とはいうけれど、ストリップだって立派な芸術(アート)だ!

 

冬はストリップ。

寒い日には熱いステージで心も体も暖まる。

 

お正月はもちろんストリップ。

ストリップがあるお陰で私は年がら年中お正月気分♪ るんるん

 

 

あらら、きれいな話をするつもりが、大変失礼しました! 

 

 

 

 

 

 

 

 今回は「踊り子は私の太陽である」という話をしてみたい。

 

ステージを観ながら「踊り子は太陽だ」と感じ、この言葉にこだわって考えてみた。

おそらく、このキーワードは有名な女性運動家である平塚らいてう((明治19年)1886.2.10 ~ (昭和46年)1971.5.24)の「元始女性は太陽であった」から無意識に思い浮かんだものだろう。歴史の教科書で記憶していたものだろうが、もう一度原典を見てみたくなった。

「元始、女性は実に太陽であつた。真正の人であつた。今、女性は月である。他に依つて生き、他の光によつて輝く、病人のやうな蒼白い顔の月である。・・・」

これは、明治44年(1911)9月、女性達の手で編集された日本初の文藝誌「青鞜」の創刊号に掲げられた男女平等を謳う歴史的宣言であり、時にらいてうは26歳であった。

らいてうは本名を奥村明(はる)といい、ペンネームの「らいてう(ちょう)」は雷鳥をかなにしたもの。東京生まれで女性運動の先駆者としてあまりにも有名だが、スキャンダラスな事件もいろいろ起こしている。日本女子大学卒業後、文学会に入り、与謝野晶子や作家の森田草平らに教えを受けるが、らいてう22歳の時にその森田草平と塩原で心中未遂事件を起こす(塩原事件)。後には、年下の画家奥村博史(ひろし)と、あえて家族制度の下での婚姻手続きを踏まない共同生活(同棲)を実行したりと、スキャンダラスな話題に事欠かない「新しい女」であった。彼女の人生を眺めると、多くの人とぶつかり、時代とも対立しながらも、常にチャレンジブルに生きる強い女性であったことがよく分かる。映画にもなっているので興味のある人はどうぞ。

 若い時の彼女の写真を見ると、すごく綺麗な方だと思う。彼女には不思議とストリッパーの匂いがする。ともあれ、らいてうのような方がいたからこそ、今ストリッパーという立派な職業が成り立つのかなとつい感謝したくなる私でした。(笑)

 

 話をストリップに戻しましょう。

 暗いステージにスポット・ライトを浴びて、踊り子さんが登場する。

あらためて考えると、ステージというのは暗い闇というベースがあるからこそ、踊り子さんが光輝くことができる。真っ暗い宇宙空間であるからこそ太陽が光輝くごとく。

また、お客は踊り子さんの華やかな面を見て感激しているわけが、踊り子さんの影の部分は見えない。ステージというのは見えない光と影のコントラスなのか。

 

踊り子は明るく光輝くが、遠く手の届かないところにあるもの。まさに太陽のごとく。

らいてうは女性を太陽と月にたとえているが、私には踊り子が太陽なら女房が月かなと思う。前に、潮の満ち干きの原因となる地球の起潮力というのは太陽よりも月の方が影響大、という話をした。これは、月は太陽よりも大きさではかなわないが太陽よりはるかに地球に近いから。まさに遠くの美人より近くの女房の方が影響力が大きいということか。当然のことである。月はいつも地球に付き従って、地球によって光輝く。地球にとって月がかわいい存在、かけがえのない存在であることに疑いはない。

でも、たまには明るい太陽を仰ぎ見たくなるんだよなぁ~

夜になったら月のもとにちゃんと帰っていくからね。

 

空に太陽があるかぎり~♪

 

 

平成21年6月                         仙台ロックにて 

 

 

【おまけ】

 

『太陽と地球、そして月』

 

 地球は太陽に憧れていました。

 太陽は明るくて暖かくて、眺めているだけでうっとりしちゃいます。

 

 地球は少しでも憧れの太陽に近づきたくて、

 大きな弧をえがきながら、太陽の周りを回り続けました。

長い間、それも気が遠くなるほど長い間。

でも、一向に近づくことができません。

 

地球と太陽との距離は縮めることはできません。

未来永劫に・・

この一定の距離が地球と太陽に与えられた運命(さだめ)なのです。

この運命に従いながら、地球は太陽の周りを回り続けなくてはなりません。

地球はその運命を知っているのか知らないのか分かりませんが、

いつまでも太陽に憧れ続けました。

 

この周心円の活動を無視できるものはこの世に存在しません。

いや、たったひとつありました。流れ星です。

しかし、流れ星は滅多に現れません。

 

ある時、流れ星が地球の側をたまたま通りました。

流れ星は地球に向かって叫びました。

「いつまでも太陽に憧れていてもダメだよ。

君の近くには月がいるのを忘れてはいけないよ」

 

流れ星にそう言われて、ふと横を見てみたら、月がいました。

あまりにも近くにいたために存在を忘れていたのかもしれません。

月も地球に憧れて、ずっと地球の周りを回っていました。

長い間、そう本当に長い間。

 

地球はいつも自分の側にいてくれた月が無性にいとおしく想えました。

地球はこれからは月と一緒に生きていくことに決めました。

                                  オシマイ

 

 

 

 

 

 

 今日は「潮の満ち干(ひき)」の話をしてみます。

 

 新宿歌舞伎町でストリップを見ていると、外国人ツアーがどっと入って場内が混み合ってきたと思いきや、少しするとその団体がすうーっと引いていき場内が静まりかえることがあります。私はストリップの「潮の満ち干(ひき)」現象と呼んでいます。(笑)

 

 少し理科の話を始めます。

 海の潮の干満はどうして起こるのか? いうまでもなく、月と太陽の引力(起潮力/潮汐力)によって地球上の海水が引っ張られるからです。その力は意外にも、月の方が太陽よりも2倍ほど影響が大きく、多少乱暴にいえば「海の潮は月によって起こる」と言えます。もう少し専門的にいえば、起潮力は天体の質量に比例し、距離の3乗に反比例しますので、太陽は月の2,700万倍も質量があるのですが、距離が400倍も遠いため、起潮力は、質量の小さな月の方が太陽より2倍も大きいのです。

 そのため、昔から海の潮汐を表す指標として月齢(月の満ち欠け)が使われます。

言うまでもなく別に月本体が本当に欠けるわけではなく、太陽に照らされて明るい半面とその陰の見えない半面の地球から見える割合が変化するために起こる見かけ上の現象です。月が太陽と同じ方向にあると地球からは月の陰の半面しか見えませんので月が見えない状態「新月(朔)」となり、太陽と反対方向にあると明るい半面のみが見える「満月(望)」の状態になります。さて、月の満ち欠けは平均して29.53059日でこれを朔望月(さくぼうげつ)と呼びます。朔望の朔は新月を望は満月を示す言葉です。私たちの生活は月単位で営まれていますが、まさに月の満ち欠けに合わせているわけです。

 

さて、理科の話はこの辺で止めて、ストリップの話に戻します。

最初に外国人ツアーの話をしましたが、考えてみたら、ストリップには他にも「潮の満ち干(ひき)」現象はたくさんあります。外国人ツアーに限らず、1ステージが終わると、前にいたお客が帰り、後から来たお客がその席に入る。お客が入れ替わっただけで劇場そのものは変わりません。また、ベテランの踊り子さんが辞め、新人の踊り子さんが入ってくる。これもストリップ全体ではなんら変わらないごとく営まれていきます。

世の中というのは刻一刻と変わりつつ、その実なんら変わっていないということがよくあります。局部的には変わったかもしれないが大局から見ればなんら変わっていないということです。

さきほど月の満ち欠けの話をしましたが、たしかに月は満ちては欠け、欠けては満ちてと変化して止みません。このため変化するものの象徴、人間界では栄枯盛衰のたとえなどにも用いられてきました。一方、満ちては欠け、欠けては満ちて再び元の状態に戻ることから不変なものの象徴としても用いられていました。

 

 こういうことに思い馳せば、小さいことに固執するのは馬鹿馬鹿しいことだと思います。

よく、ある踊り子さんのリボンだった方が別の踊り子さんのリボンになった等いろいろ噂話を耳にしますが、そんなことは、一ファンが抜けてもまた別のファンが付くわけで、単に入れ替わったにすぎません。さわぐことではありません。

 

 もうひとつ思うことは、私達の生活は月や太陽に従いつつ営まれているという事実。

 私たちは年月日という区切りの下で生活していますが、例えば生き物の繁殖は一年を区切りにしているものが多く、人間の場合は女性の生理にて一月が区切りになっています。このように知らず知らずのうちに月や太陽に従いつつ営まれているわけです。

 もっとも基調になるのが一日の区切りです。

 私は「日々新た」という言葉が大好きです。なにかをするときに気力というのが満ちたり引いたりする。こういう文章を書くことでも、気力充分で取り組めることもあれば、疲れているのか全く気力が萎えることもあります。そういうとき、一日という区切りがあるのが有難いなぁと思うことがよくあります。踊り子さんだって、四回のステージでへとへとになることもあるでしょうが、日を変えることによって翌日また新たな気持ちでステージに取り組めるわけです。

この大いなる宇宙神は、私たち人間に過去の疲れや悩みを忘れさせ、そして新しい気持ちで物事に取り組ませるようにしてくれているのだと思わずにいられません。

 

 

                             

 

 

 

 

 今日は「私のノーベル賞の思い出」をお話しします。もちろん私がノーベル賞を取ったわけではありません。言わなくてもわかるか・・・(笑)

 

 2010年度のノーベル化学賞に根岸英一さん(75歳)と鈴木章さん(80歳)が輝いた。ノーベル化学賞受賞者3人のうち日本人二人が同時受賞したのだから快挙である。

 その根岸さんが母校である神奈川県大和市の小中学校を訪問したというニュースが報道された。

 私は大和市と聞いて驚いた。なぜなら、最近、私は大和市にある大和ミュージックに行くようになったからだ。根岸さんのアカデミックな話題と私のストリップ観劇という相反するものが大和市で結びついたのだから面白い。

 

 ふと、2002年にノーベル化学賞を受賞した田中耕一さんのことを思い出した。

 田中さんが受賞したのは43歳のときで、当時全く無名だったので世間も本人も驚いた。偉そうな大学教授ではなく、普通のサラリーマン研究者であったことが大きな話題となった。受賞のコメントで、飾らない朴訥とした話しぶりに好感を抱いた方も多いと思う。 

 実は、私と田中さんは同じ大学の同期。もちろん私は学部が違うので面識はないが、私の大学時代の親友(同じ卓球同好会の仲間で、しかも同じアパートに住んでいた)は同じ工学部電気工学科だったので田中さんの顔は知っていた。田中さんは大学時代には目立って優秀な学生ではなかったらしい。むしろ私の親友の方が、当時ノーベル賞最有力候補と云われていた西澤潤一教授の半導体研究所でドクターにまでなったのだからはるかに優秀であった。私の親友はホンダ技研に入ってロボットの研究などをやっていると聞くから、私はひそかに彼にノーベル賞を期待している。受賞したら友人として報道されるかな(笑)。

 

 田中さんのノーベル賞受賞の報道があった時、私は家でのんびりと晩酌をしていた。

 報道される内容に驚き、自分のことのように喜んだ。田中さんとはやけに共通点が多いのだ。先ほど話したように、1978年に一緒に仙台の同じ大学に入る。私は一年就職留年したが、田中さんも一年留年しているので卒業年は同じになった。留年の理由がドイツ語の単位を落としたためと云うから、たしかに優秀とは思われない。ともあれ当時5年間、私と田中さんは仙台で一緒の空気を吸っていたことになる。

 田中さんは8月3日生まれ。なんと私と2週間違いの誕生日。富山中央高校という地方の優秀校から東北大学に現役入学。一年留年したものの、島津製作所に入社。生まれた日も近いし、経歴が私によく似ている。私は聞けば聞くほど他人事のように思えず、晩酌の酒がすすんだ。

 そのとき、隣で一緒にテレビを見ていた女房が強烈な言葉を放った。

「田中さんって、お父さんと経歴がよく似ているのに、なんでこんなに違ったのかしら。私もノーベル賞受賞者の奥さんになりたかったわ。」

 気持よく酒を飲んでいたのに、酔いが一気に冷めた。

 “おれはノーベル賞ではなく、酒がノーメル賞だ!”

 

 冗談はともあれ、同い年の田中さんはノーベル賞で、かたや私はせっせとストリップ通いする中年親父。たしかにずいぶん違ったものだ。女房がくどきたくなるのはよく理解できる。(笑)

 でも、そんなのは全く気にしない。私はストリップ・エッセイを書き続けてノーベル文学賞を狙うぞー(笑)。

 

平成22年10月                            

 

 

 

 

 

 今日は、「一本の鉛筆」というエッセイを披露します。

 

 H25年7月の、マララ・エスフザイさんの国連のスピーチが心に残った。

「一人の子供、一人の先生、一冊の本、そして一本のペンで、世界を変えることができるのです」

 マララさんは16歳の少女。ちょうど一年前、祖国パキスタンで、女子の教育を認めぬイスラム過激派に頭を打たれ、奇跡的に助かった。武装勢力はなお「チャンスがあればいつでも襲撃する」と脅かす。

 彼女の国連のスピーチは人々の心を動かし、マララさんは今年のノーベル平和賞の有力候補に挙げられた。受賞はならなかったが、むしろ良かったのかも。重圧がかかる称賛より、静かに見守り励ますほうがいいこともある。

 

 ちょうど同じ頃、H25年9月に入って、七年後の東京オリンピック開催が決まった。

 ストリップ人気が蔭りを見せ、どんどん劇場が閉鎖している。8月末で船橋の若松劇場が閉鎖したのが記憶に新しい。一方、警察の規制が厳しくなり、大阪東洋ショー劇場やTSミュージックといった老舗の大劇場が休館を余儀なくされている。東京オリンピックが決まったことで、より警察の規制が強化されることが予測される。仕事の場をどんどん狭められている踊り子さんにとっては不安でたまらないと思う。「オリンピックが東京に決まって嬉しい反面、ストリップへの風当たりが強くなる気がして心配です・・・七年後はどうなってるんだろう。」

 ストリップを生活の糧にしている踊り子さんがいると同時に、ストリップを生きる糧、生活のリズムとして人生を楽しんでいる我々ファンがたくさんいる。

 ストリップは決して無くしてはならない日本の文化だと思う。これだけ人に感動を与えられる場はない。踊り子とファンで守っていかなければならない。

 

 私としては、日々応援に通うことと同時に、踊り子を励ますペンになりたいと常々思っている。ある踊り子さんが、私の文章には踊り子を励ます魔法の力があると言ってくれた。

 マザーテレサが「私は世界中に愛の手紙を書き送る神の手に握られた、小さな鉛筆です」と言っているが、同じように、私も踊り子に愛の手紙を書き送る小さな鉛筆になりたい。

 もっともっと多くの手紙を書きたい!ストリップ界のファザー(テレサ)になって、踊り子さんを守り抜きたいと念じている。

 

平成25年9月                             

 

 

 

 

 

 

昨年10月の漫画家やなせたかし氏の訃報に続き、今年に入って今度は詩人まど・みちおさんが亡くなるという悲報に触れる。

「ぞうさん」「やぎさんゆうびん」「1年生になったら」など、日本人の心のふるさとといえる多くの詩と童謡を生み出した詩人のまど・みちお(本名・石田道雄)さんがH26年2月28日午前、老衰のため亡くなった。104歳だった。

 まどさんは、25歳で幼年雑誌「コドモノクニ」に投稿した童謡2編が選者の北原白秋に認められ、詩や童謡の世界にデビュー。34歳で召集され、シンガポールで終戦を迎えた。20代の頃から詩人として活躍。「ぞうさん」「やぎさんゆうびん」「1年生になったら」などを手掛け、時代を超えて子供たちに親しまれてきた。

 1994年には日本人で初めて「児童文学のノーベル賞」と言われる国際アンデルセン賞作家賞を受賞した。

 新聞などで彼の経歴や人柄に触れ、詩が好きな私として、まどさんに強く魅かれるものがある。気に入った記事を集めてみた。

 

1.     「ぞうさん」について

 

ぞうさん

  ぞうさん

  おはなが ながいのね

  そうよ

 かあさんも ながいのよ

 

誰もが口ずさめる歌詞である。

ちょっと悪戯心が湧いてきた。一発、私流に「ぞうさん」を捩(もじ)っちゃえ!

 

『ぼくの象さん』 

象さん

象さん

ぼくの象さん

 

お鼻が寝ているよ

早く起きて

そうよ

おかあさんが 待ってるよ

 

 

 

最初から大変失礼しました。真面目な話に戻します。

戦後を代表する童謡「ぞうさん」を書いたのは1951年。作品を頼まれ、一気に6編書いた。その1編が「ぞうさん」だった。作曲家の故團玖磨(だんいくま)が曲をつけ、ラジオで放送され、国民的な愛唱歌になった。

詩人の谷川俊太郎さんがまどさんをこう評している。「こんなにやさしい言葉で、こんなに少ない言葉で、こんなに深いことを書く詩人は、世界で、まどさんただ一人だ」と。

この「ぞうさん」にも実は深いことが隠されている。

『ぞうさん』について、まどさんは「他の動物と違っていても、自分が自分であることは素晴らしいと象はかねがね思っている」と語っていた。

先日亡くなった詩人の吉野弘さんは童謡『ぞうさん』について、こう言っている。「<おはながながいのね>は、象の鼻が長すぎることをいくらかからかった者の意地悪と読めないこともない」

 仲の良い親子の歌というのとはちょっと違う解釈である。「ところが、そういう意地悪すら<そうよ/かあさんも ながいのよ>が見事に肩すかしを食わせるのである」。大好きなおかあさんの鼻も長いことを誇らしげに答え、悪意を吹き消してしまった子象である。

 詩は好きに読んでもらえばいいという作者のまど・みちおさんだが、吉野さんの解釈には「一番、その通りという気がします」と言い残している。「自分はこの世に生かされているんだという誇り。他とは違うからこそ、うれしいんです」。まどさんはそう語っていた。

(H26.3.1(土)毎日新聞「余禄」から抜粋)

 

2.     まどワールドの神髄

 

<蚊も亦(また)さびしいのだ。刺しもなんもせんで、眉毛などのある面(かお)を、しずかに触りに来ることがある> (『蚊』)。

いのちとは、美しくて哀しい宝物だと教えてくれた人である。

 

「マナコは だまっている/でも/『ほくナマコだよ』って/いっているみたい/ナマコの かたちで/いっしょうけんめいに・・・」。生き物ばかりではない。ぞうきんやほこり、トンカチやおならまで、どこまでもやわらかな言葉で包み込み、祝福してくれた詩だった。

 子供に分からぬ言葉は使わないが、「自分の中のみんな」の言いたいことが童謡になり、「自分の中の自分」が作るものが詩になったという。どんな小さな生命も、ささいな物事も、この世にあることのかけがえのなさを心にしみわたらせたまどさんの言葉である。

 

「まいねんの ことだけれど/また おもう/いちどでも いい/ほめてあげられたらなあ・・・と/さくらの ことばで/さくらに そのまんかいを・・・」。この春は天国で詩人の願いが叶えられるよう祈る。

 

 こうしたまどさんの詩の紹介と解説を読んでいると、私が踊り子さんに対してレポートや童話・ポエムを書く姿勢とよく通じているなと感じる。

私は踊り子さんに順番なんて付けたことがない。

 いま目の前のステージにいる踊り子さんが一番だと思って観ているし、その踊り子さんのレポートを書いているときはその人が一番好き!と思って書いている。そう思えなかったらいいレポートは書けない。

  だからこそ、ステージを観ながら、その踊り子さんのことを一番よく表現できる言葉のフレームを一生懸命に探している。ある踊り子さんから「太郎さんの言葉には踊り子を元気にする魔法の力がある」と褒められたことがあるのは、そのせいだと自負している。

 

3.     まどさんのユーモアセンス

 

応召したまど・みちおさんに近藤和一という友人ができた。調理師だという。教練で、二人して上官から「気合を入れる」ビンタを食らった。

 休憩時間、隣に座る友の帽子が目に留まった。殴られてぼんやりした頭で、縫い取られたカタカナの名前を逆から読んでしまう。「チイズカウドンコ」。調理師で、チーズかうどん粉。おかしくて笑った。ふつうは泣きたい場面だろう。まどさんの詩が生まれ出る水源の泉を見たようだ。

 世の中は愉快で心地よいことばかりではない。醜い欲と邪心が大手を振って歩く。つらい仕打ちがある。

 それを嘆くのではなく、ほんの小さな楽しいことを、美しいものを、穏やかな眼差しで見つめ続けた。「私は絶望感が持てないほど弱い人間だから」と語ったが、まどさんの詩が多くの人に愛されたゆえんだろう。

(H26.3.1(土)読売新聞「編集手帳」から抜粋)

 

  こうしたユーモアセンスこそが、まどさんをいつまでも若くし、104歳まで長生きさせた原動力だと感じた。

私がストリップをネタにたくさんのジョークを連発しているのは、このまどさんのユーモアセンスだ!と納得した。私もストリップで長生きするぞー!(笑) 

 ちなみに、冒頭に『ぼくの象さん』なんてお下品な詩を書いちゃったけど、まどさんなら笑って許してくれるだろう。

 

 

平成26年2月