韓国ドラマとか観ますか?

我が家では、昨年はずっと「冬ソナ」ブームでした。「冬のソナタ」を観ましたか?

一昨年の秋にNHKのBSで放送されてから「冬ソナ」ブームに火が点きましたが、我が家では昨年春のNHKの放送からです。昨年3月から8月まで毎週土曜日の深夜11時から韓国ドラマ「冬のソナタ」が放映されていました。妻がビデオに撮って家族で見始めたわけですが、家族全員がはまってしまいました。3月に放映が始まりましたが、全20話あり、完結の8月までとても待てないということで、GWの頃にビデオレンタルでまとめて全巻を見ました。そうそう、いまビデオレンタルでは韓国ドラマブームでひとつのコーナーになっています。冬ソナも何巻もありますが当時は全てレンタル中で予約をしないと借りられないほどの人気でした。

また、この昨年末にNHKでノーカット完全版を再放送し、ますますファン層が拡大したようです。

 

小学三年生のわが娘は、冬ソナの主題歌を韓国語で歌えるほど熱中しています。中年以上の女性がはまるといいますが・・・、これも妻の影響ですね。家に帰ると、妻と娘が韓国語で簡単な会話をしていて驚かされたりしています。

妻は完全にヨン様にはまりました。たしかにヨン様の微笑は罪ですよね。

私は、母の日のプレゼントとして、冬ソナのサントラ盤CDを妻に贈りました。リュウという韓国人歌手が歌っていますが、冬ソナは音楽もとてもいい。ステージで使うことをお勧めしたいくらいです。

カラオケ好きの私は、いまでは韓国語で歌えるようになりました。とくに年配の女性が多いスナックではうけます。先日は接待のためにわざわざ駆り出されて冬ソナソング「最初から最後まで」「My Memory」を歌ったほどです。

妻に歌ってあげるよと言ったら、イメージが崩れるから絶対に止めて!と言われる始末。

 

妻がヨン様にはまるなら、私も負けずにストリップにはまってやるぞ!

ということで、またまたやってきた次第です(^0^) 

 

 これからも応援させていただきます。

 

平成17年6月初                          若松劇場にて

 

 

 

 

 

 

 

 

 新年につき、ちょっと笑える話からスタートします。

朝早く劇場前に順番待ちしていると、ストリップファンの顔馴染みが増えてきます。

時間潰しに話をしていると、ストリップ談義に花が咲くこともしばしばです。

先日、渋谷道頓堀劇場の前でこんな話が出てました。

Aさんが「ここの劇場の表看板って、どこかカニ道楽に似てない?」って言い出しました。

すると、Bさんが「それなら、カニの足でなく、女性の足をパカパカ開閉させると、ストリップらしくていいんじゃない」(笑)

「ちょっと品がないよ。警察に注意されるかもしれないよ」とCさん。

Bさんが「この際、カニ道楽ではなく、かえる御殿にでもしたらどうか」(大笑い)

Cさんが「かえるなんて誰が考えたんだろうね。踊り子さんにとっては迷惑な形だよね。でも、すっかり業界用語になってしまった」。

すると、Aさんが「踊り子さんの名前で、『かえる』ちゃんというのも面白いんじゃない。いつもポーズはかえるばかり・・・なんてね」

Cさんが「そういえば、果物の名前を付ける娘も多いけど・・、りんご、いちご、もも、AVではレモンとかメロンとかいう娘はいるね」

Bさんが「さすがに『かえる』ちゃんという名前は付けれないよ」

 

なんて、つまらないことを喋っていることもある。

が、先日、ある人がいい話をしていた。

TSの看板娘、千堂あやかさん(H19引退)がデビューして人気が出てきた頃、正月の香盤のことで「お正月くらい、ゆっくり休ませてよ」とスタッフに文句を言った事があるそうだ。そのとき、スタッフの方から「お正月のメンバーに選ばれるということはとても名誉なこと。TSにはたくさんの踊り子がいるが、お正月に出演できるということはここの看板を張っているということだ。そのことをしっかり考えなさい」と言われたそうだ。それ以来、千堂さんは毎年喜んで正月公演に出ているとのこと。

何事も馴れてくると不平不満が出てくるが、そういうときこそ初心に返ることが大切なのだろう。いい話だと思った。

《留意》: なお、千堂さんの名誉のために断っておきたい。当時、人気絶頂の千堂さんは毎週毎週連続のステージで本当に疲れきった状態であったようだ。あの発言も決して彼女の傲慢さによるものではない。

 

 新年を迎え、初心にかえって、ますます素敵なステージを期待してますね。

 

 

 

 

ついでに「カガミの原理」を話します。

 

 

「あなたの中に私が見えないの」

こんな別れ言葉がドラマや映画のワンシーンにあるような気がします。

この言葉をふつうに解釈すれば、彼に他の女性ができて、もう私には関心がないのでしょうね。もう分かれるしかないわね。という意味になるでしょう。一見、相手の意思を尊重して、自分から身を引くように捉えられますが、実はそうではないと思います。

 彼女は、彼を通して、彼の中にいる自分を楽しんでいたのです。

 

 女性はいつも鏡を見ていますね。鏡を通して、鏡の中の美しい自分に見とれているわけです。

 私は最近、鏡が困った存在になっています。お風呂上りの鏡を見ては出てきたお腹が恥ずかしくなり、毎朝鏡を見ては薄くなった髪を気にする。鏡を見ていると嫌になります。でも、あるがままの姿を写しているのだからしょうがないですね。鏡に文句は言えません。

 同じように、他人の顔がカガミにもなります。

 好きな踊り子さんを見ているときの私は必ず笑顔になります。私の笑顔に対して、笑顔で返してくれる踊り子さんの顔を見て、私は自分を発見して喜んでいるのかもしれません。

 逆に、踊り子さんの中に全く自分を見つけられないことがあります。つまり、全く私に関心がないということが分かります。そういうときには、どんなに綺麗な踊り子さんでも一気に関心が薄れていくのが分かります。

 

 自己愛という心理学の用語があります。人間というのは、自分しか愛せないもの。自分の子供を愛するということは、あくまで「自分」の子供であるから。そう、子供の中の自分を愛していると解する。

以前、私はストリップを通して擬似恋愛を楽しんでいるということを書いたことがありますが、よく考えるとこれもそういうことなのかもしれません。

自己愛という概念はたしかに最もらしいけど、なんか淋しい考え方ですね。

 

相手の顔がカガミになるというのはひとつの真実だと思います。

であるならば、例えば、笑顔で相手を見つめれば、相手も笑顔で返してくれます。怒った態度で対応すると相手も感情的になります。これもひとつの「カガミの原理」です。相手が自分の気持ちを反映するがゆえに、いつも相手には気持ちのいい態度で接していきたいものだと常々思います。

 

 

                              

 

 

 

 

今日は、ファン心理というものをこっそり話してみたいと思います。

 

 ある踊り子さんが、「いつも応援に来てくれてた方が急に来なくなることはよくあること。その人にもいろいろ事情があるだろうから仕方ないわね。ただ、いつもポラを撮ってくれてた方が急に撮ってくれなくなるっていうのは悲しい想いがするわ」と言ってました。

 ファンというのは気まぐれなもの。すぐに夢中になることもあれば、逆にちょっとしたことで冷めてしまうこともある。

 

 心理学用語で「自己愛」という言葉があります。人間というのは自分しか愛せない。ある異性を愛しているということは、その異性をおもっている自分に満足しているということ。本当に相手のことを愛しているなら、自分のものにしようなどとは考えず、むしろ自己犠牲をもって報いなければならなくなる。

 この考え方によると、ファンはあくまでその踊り子さんに夢中になっている自分自身に満足しているわけで、相手のちょっとした言動が気に入らなくなると簡単に離れてしまうということなのでしょう。

 自分自身を振り返って考えてみると、私は気に入った踊り子さんにお手紙を書いたり、自分の作品であるエッセイ&童話を贈ったりしますが、それに反応してくれると望外の喜びを感じます。逆にまったく反応してくれないとがっかりしてしまう。これは究極、踊り子さんを愛するということより、自分が踊り子さんに愛されたかどうかという事象に重きをおいている、つまり「自己愛」なのではないかと思えてきます。

「自己愛」の考えを前提に、ファンを維持しようとするなら、「あなたのことを想ってますよ」という仕草をして、ファンの心を刺激すればいいことになります。

 

 同じような考え方で、生物学にも「利己的な遺伝子」という有名な学説があります。リチャード・ドーキンスが唱えたこの説の内容とは、人間の本質であるDNA(遺伝子)は自己増殖こそが使命、したがって人間とは自分のコピーを作るための単なる乗り物に過ぎない、というもの。

 この説によれば、男女の恋愛なんて自己増殖の単なる手段ということになってしまう。

 たしかに、人間とは利己的な生き物であると思う。キリスト教における原罪、仏教における我欲という思想は明らかに人間が利己的であることを認めているところでもある。

 最近では「自己チュー」という言葉が流行していますが、まさに人間は自己中心的だなぁと感じることって多いですよね。

 

 難しい話になってごめんなさい。つい、私も単なるエロ親父でないという片鱗を見せたくて・・!?

ともあれ、「自己愛」とか「利己的な遺伝子」の理屈は分からなくはありませんが、この考えはなんか淋しい感じがしますよね。

 そもそも人は一人では生きていけません。人との関わりの中で生きていかざるをえない存在です。であるなら、自己中心的なことばかりで生きていけるはずがありません。

 DNAは螺旋状に絡み合う構造をもっていますが、これは他人との関係と絡み合わずに生きていけないことを象徴しているのだと私は思います。

 ストリップというものを媒介にして、踊り子とファンという関係ができました。これも、ひとつの縁です。「縁を楽しむ」という発想が大切なのだと思います。

 

 

 話を戻して、どうすればファンの心が離れないようにできるのか、を考えてみましょう。

 ファンは、踊り子さんに対して、「変わってほしくないもの」と「変わってほしいもの」の両面を求めています。

「変わってほしくないもの」とは、最初にイメージされた美しさ。できれば、初ステージの頃の初々しさ、一生懸命さ、たとえば初めてポラを買ってもらった嬉しさみたいなものをずっと維持しているような感じの人は接していて気持ちがいい。これは男の身勝手な想いですが。

ファンが喜ぶように、常に美しい存在でなければいけないって結構プレッシャーでもあるでしょうが、逆にやりがいとも云えるのでしょう。

次に、「変わってほしいもの」とは、一言でいうとステージ・パフォーマンス。

ステージがマンネリになりだすと、踊り子さんも気持ちの張りがなくなり、それがファンにも伝わります。

踊り(ステージ)を常に向上していこうとする意欲が大切です。これが励みになります。お客を楽しませるステージを心掛けている踊り子さんはいつも輝いています。そこに、自分自身もお客も満足できるのだと思います。

 

ここで大切なことは、「努力し続けること」です。

外見を磨くとともに、やはり踊りを上手くなるように努力する。いや、努力し続けることです。

これがファンの心を掴んで離さないポイントと私は思います。

「努力し続けること」についてはもう少し言及したいのですが、長くなったので次回のテーマで話してみたいと思います。

 

 

平成17年3月中                       川崎ロックにて    

 

 

 

 

 

 

ストリップの楽しみを人間の持つ五感から考えてみよう。

 

人間にはご存知のとおり、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚という五感がある。

SEXが人間に与えられた最高の快楽であるとするならば、それはこの五感の全てを満たせるからとも云えよう。

それに対して、ストリップは極論すれば「視覚の遊び」と云える。しかし、音楽など聴覚を切り離しては語れないので、あえて視覚と聴覚を刺激する快楽と言い換えたい。視覚と聴覚の遊びとしてはアダルトビデオとよく似ている。特にアダルトビデオの聴覚はもだえ声がポイントとなるか。

ただ、ストリップにはアダルトビデオでは得られないものがある。それはショーとしての臨場感。これを五感を超えた「気」という第六感と云いたい。

さらに臭覚、味覚、触覚まで求めようとするならば、直接的な風俗に走らざるをえない。ストリップを他の風俗と区別するには、ここにひとつの境界線がありそうだ。

私の個人的な意見を云わせてもらえば、踊り子さんの香水などの嗅覚も楽しみのひとつ。香水をかいだ瞬間からその踊り子さんの世界に入り込める。嗅覚というのは人間にとって生まれて最初に働く機能、だから赤ん坊は無意識に母乳を求める。この臭覚を刺激させるのはステージを盛り上げる大きな武器になることを覚えておこう。

また、ストリップもやり方によっては、最近流行の素人大会などのように五感トータルな遊びへと向かうことも可能だ。

しかし一方、これだとストリップとして最も大切な視覚と聴覚の快感がおざなりになる懸念がある。大阪にいる頃よく通っていた十三ミュージックが、最近は素人ショーばかりで衰退しているとの話をよく耳にする。本番生板ショーがなくなった故もこういうことか。

したがって、ストリップには視覚と聴覚だけであるがゆえの良さがある、それはショーの楽しみであったりコスト・パフォーマンスであったりするわけだ。

 

 

五感を基準に考えた場合、人間は間接的な快感を求めるタイプと直接的な快感を求めるタイプに区分できそうだ。

前者がストリップ向きとなる。見るだけで満足するというひかえめタイプ、長い時間も苦にならないのんびりタイプ、かつ触ってはいけないという分別をもつガツガツしてないさらっとしたタイプが多い。こういう「見るだけ人間」がストリップのお客となっている。

それに対して、後者は肉体的な快楽を求めるタイプ。見るだけでは満足しない。SEX→射精という瞬間的な快楽を求める。若いうちはこの傾向が大きいので年齢的な要因が左右する。

直接的な快感を求める場合、それは恋愛でも風俗でも、個々人の交わりがあるため会話も楽しめ、短い時間ではあるが相手の時間を独占できるという特徴がある。

SMなんかは後者なんだろうが、精神的な快楽とも云えそうだ。昔から、ストリップにもSMショーがよく登場するが、前者にも共通する快楽があるからだろう。

間接人間と直接人間を超えたところに、精神的快楽を求める人間が存する。仮想恋愛、擬似恋愛・・・こういう妄想の世界でもある。人間にはこうしたバーチャル的な第7感なる感覚がありそうだ。

 

いろいろ述べたが、踊り子さんも、お客のもつ様々な感覚を刺激するよう、いろいろな工夫をしながらステージに取り組んでほしいなぁと思います。

 

 

 

平成20年11月                          川崎ロックにて    

 

 

 

 

 

 

 今回は、ストリップにおける「自由」という話をしてみたい。

 

 

遊びというのは、個人の時間を拘束するものとそうでないものとがある。

 私のストリップ仲間で、休日は草野球かストリップで過ごす方がいる。草野球はチームで楽しむために、草野球が決まっている場合はそちらを優先しなければならない。ただ彼に言わせると、ひいきの踊り子さんが出演したときには土日はストリップに行きたくてたまらなくなるそうだ。

 自由と拘束のどちらを選びますか? と問われれば、人はまちがいなく自由を選ぶ。

 大げさに云えば、自由主義か社会主義かの結論は、ソ連の崩壊とともに自由主義に軍配が上がっている。そういう話を持ち出さなくても、人間にとって拘束されるほど嫌なものはない。ドイツのナチ政策、シベリア抑留、最近では北朝鮮の拉致など悲惨な歴史が物語っている。

 今はまさに自由な世の中。選択の自由がたくさんあるということは豊かさの象徴。

 しかし、あまりに選択の幅が多すぎて選べないで困っている人もいる。こういう人には、こういうふうにしなさいと言ってあげないと先に進まない。そして彼らは言われたことを嬉々としてやっている。これも一種の拘束である。従って、無意識のうちに拘束を好んでいる人たちもたくさんいるという事実。SMの世界でいえば、M嗜好の方になるのかな。拘束プレイなんてのもある。もっと身近な例では、夫婦関係でも妻の言うとおりにやっていた方が楽と言っている旦那も多い。

 そう考えてみると、すべての人に自由という権利が与えられているとはいうものの、この世は自由と拘束の微妙なバランスのうえに成り立っている。

 

 

 ストリップという遊びのひとつのポイントは「自由」であることと言えると思う。

 誰に強制されることもなく、自分の都合のいい時間に、好きな劇場に、一人で勝手気ままに足を運べばいい。いつ行ってもいいし、何時間居てもいい。

この点は、先ほどの草野球のように何人かが集まって行うものとは根本的に違う。集団で遊ぶものはメンバーが欠ければ成立しないがために、集まることを強制される。

 ストリップの場合は、リボンさんでさえも、強制はされない。自分の好きな踊り子さんに、いつでも、どこでも、自分の都合のいいときに投げればいい。(もちろん、他のリボンさんとの兼ね合いはあるが・・)

 おそらく、ストリップが強制的であったり、自由を拘束するものであったなら、一気に魅力薄になってしまう。たとえば、全国どこであろうがある踊り子さんの応援に必ず行かなければならない、また一日中必ずリボンを投げなければならなくなったら、しだいに苦痛になっていく。自由であるからこそ、好きで追っかけて、好きでリボンを投げたり、献身的に応援できるのだと思う。

 

 恋愛でも、相手の自由を奪うことで破綻するケースが多い。

 好きな人から拘束されたいと思うかもしれないが、実際拘束されだしたら窮屈でたまらない。女の人で親しくなると相手にベタベタしたがる方がいるが、そういうのを嫌う男性も多い。嫉妬心から相手を拘束するなんてのは最低である。つまるところ、人間の本質には「相手の拘束から逃れ、自由気ままでいたい」というのがある。

 仕事でも、長く同じ仕事に関わるといろんなシガラミが出来てきて、知らず知らずのうちにプレッシャーがどんどん蓄積されていく。そうしたときに転勤などで、いまの仕事の呪縛から解き放たれるときにはたまらない快感がある。私はだいたい三年おきに職場が変わっているので、この仕事からの開放感というのがよく理解できる。

 

 要は、自分が好きで自由に行動できるWillの状態であれば満足するが、人から強制されて行うMustの状態であれば苦痛になっていく。

 仕事は本来義務的でMustであるのだが、いかに部下をWillの気持ちで仕事に取り組ませるかが人を使う要諦である。

 恋愛も同じ。相手に拘束されるようなMustの状態は長続きしない。いかに気持ちよく相手のために行動できるかというWillの状態がキープできればその関係は長続きする。

 

 ストリップも同じかなと思う。

 昔は劇団のごとく狭い家世界があって大変だったと思うが、今の踊り子さんは拘束されるのを嫌う方が多いと思う。仕事柄、地方公演もあったりで、時間が拘束されることが多いが、連投から開放されたときはホッとするようだ。

 それ以上に人間関係については敏感だと思う。地方公演なんかでは缶詰状態になるから踊り子さん同士でも大変だろうし、ファンとの間でもいろいろあるだろう。

 リボンさんの中には独占欲の強い人が多いと聞く。リボンを投げてもらって嬉しい反面、これも踊り子さんとって心の縛りになっていく。お客というのはリボンさんでも一見客でも皆平等である。同じように踊り子さんを好きになれるし、また踊り子さんもお客みんなから好かれたいと思っている。だからこそ、そういう独占欲の強いリボンさんを嫌う踊り子さんも多い。

 ファンの方も同じかな。「必ず来てね!」というより、「よろしかったらまた観に来て下さいね」と言われる方が気が楽だと思う。一概には言えませんが・・。

ある熱烈なファンがずっと長くある特定の踊り子さんを追いかけていた。彼女の出演する劇場なら全国どこであろうが遠征し、リボンやタンバリンでステージを盛り上げる。彼にとって彼女は完全に生活の一部になっていた。あるとき、その踊り子が突然辞めてしまった。さぞかし彼の心の空隙は酷かろうと想像する。たしかに一時落ち込んでいたが、ある種ホッとしたところがあったという話を聞いた。それは彼女の呪縛からの開放感なのだ。ただ、そういう性格の男性は次の踊り子さんを求めて、そしてまた追っかけを始めることになるだろうが・・。

 

人間の集まるところには必ず人間関係というシガラミが発生する。それは避けられないことである。

しかし、ストリップというものは出来る限り「自由気まま」に楽しめるものであってほしいと思う。

 

 

 

 

   

 

 

 

今回は「比較する」という話を大げさにしてみたいと思います。

 

私は他人と比較されるのが大嫌いです。

「旅行に連れてってよ。隣の旦那さんはまめに家庭サービスをしているわよ」「勉強しなさい。少しはお兄ちゃんを見習いなさい」・・・よく日常生活の場で聞く言葉ですが、他人と比べられる一言が付け加わるとカチンと来るものです。

仕事では、比較で会社が動くといっても過言ではありません。前年比、予算比、他社比・・などをして少しでもよい方向に導くのが経営そのものです。世の中の発展はこの比較というもので成り立ってきたことは否定しようがありません。会社の人事なんかも、AさんとBさんを比較して昇進が決まっていくわけです。比較されるのが嫌いと言いながらも比較から逃げようがないというのが現実。

 

また、自分は比較しないのか、と逆に問われると、しっかり比較している。

例えば卑近な例で恐縮ですが、異性という例で考えてみても、合コンしたら自分の好みの子の気を引こうとするでしょう。若い頃、風俗に行きましたが、そこでも好みの子を選びました。タイのバンコクに出張に行った同僚が売春宿に入って今夜の相手を選ぶのに雛壇に並んだ沢山のコンパニオンに目移りして大変だったなんて話を聞きます。まるで江戸時代の吉原みたい。ヨーロッパにも飾り窓という売春システムがあるといいます。

結婚相手さえ選べなかった昔に比べ、今の世の中はたしかにすばらしいと云えます。

すべてのことにおいて「選べる」ということは自由と豊かさの象徴です。

 

さて、そういう目でストリップを考えたらどんなことが云えるでしょうか。

関東ではたくさんの劇場があるので踊り子さんを選んで行くことができます。ところが、ある劇場にだけ通う常連さんもたくさんいるし、そうでなくても地方都市のようにひとつの劇場しかなければ踊り子さんを選ぶことはできません。(仙台には仙台ロックしかない)

一般の風俗は女の子を選ぶということからスタートしますが、ストリップというのは選ぶという行為がない、と云えそうです。

 

昔十代の若かりし頃、私は踊り子さんをよく選んで観ていました。面食いでもあったし?、年配の踊り子さんはお袋とダブるせいか見る気がしなかったりしたものです。

40歳を過ぎてまたストリップにはまってから自分でも驚くのは、踊り子さんみんなが可愛く見えることです。昔より踊り子さんの質がよくなったこともあるのでしょうが、一番の変化は自分自身にありそう。そう、自分が年をとったから。

ある先輩が「自分の女房は年をとらないんだよなぁ」と言っていましたが、やけに納得するものがありました。一緒にいて共に年齢を重ねるとお互い年齢を感じなくなります。踊り子さんとの出会いも、初めてステージを見たときから年齢がストップしていると感じることがよくあります。他の人から見るとおばさんだが昔馴染みの人には若かりし昔のままなんでしょう。そういう意味で、大和のお客さんが熟女を好むというのもなんとなく理解できる。

 

年齢の他に、自分自身の見る目が丸くなった気もします。

 踊り子さんにはそれぞれ個性がありますが、その個性を魅力に感じます。いろいろな個性があるからストリップは楽しい。

カラオケが好きでよく行くのですが、レパートリーの中にSMAPの「世界にひとつだけの花」がある。槙原くんの歌ですが、とくに歌詞がいい。

♪♪ ナンバーワンにならなくてもいい もともと特別なオンリーワン ♪♪

素敵なフレーズです。これはストリップにもあてはまります。皆さんそれぞれ素敵な華を持っています。

 

 最初のころは外見で踊り子さんの魅力を判断していました。しかし最近は内面で判断するように大きく変化していきました。外見は飽きがくることがありますが、内面を好きになるとますます好きになっていきます。

 踊り子さんには外見を磨くことよりも内面を磨くよう努力してほしなぁと思ったりもします。その方がファンが長持ちするのですから。

 踊り子さんにとって大事なことは、自分を他人と比較しないことです。他の踊り子さんと比べて自信をなくしたり落ち込んでしまうことはよくあることです。あくまで、自分を見、そしてお客の方を見るのです。そうすれば、いかに踊り(芸)を高めるか、お客に満足していただけるためにどうするかが分かってきます。簡単に言えば、ファンを好きになるということです。

 

 

またまたいつもの説教話になってしまい失礼しました。

これからも応援させていただきます。素敵なステージを今後も期待します。

 

平成20年11月                          川崎ロックにて     

 

 

 

 

 

 

 伊勢名物の「赤福」が製造年月日を偽造したため営業停止になっている。少し前に札幌の「白い恋人」も同様に営業停止になっていたから、白の次は赤かと話題になっている。赤福は日本で最も多く売れているお土産品らしい。残念ながら私は食べたことがない。生ものとして売っていたが、実は冷凍もので解凍した日を製造年月日としていたとのこと。別に冷凍ものでも味が極端に落ちるわけでないからいいと思うのだが、それを正直に開示しなかったところに問題がある。

厳密に言えば、たしかに冷凍ものは生ものより味が落ちると言われている。しかし、私レベルでは味の違いが分からないし、この冷凍技術というのは食料保存や食文化に多大の貢献していることは云うまでもない。

 一方、仙台名物として有名な「ずんだ餅」も生ものであるため、お土産に買って帰っても、当日食べないと味が落ちてしまう。ずんだはしょせん枝豆だし、私個人的にはそれほどデリケートな舌をしていないから翌日食べても構わないと思っているが、お店側では当日召し上がりますかと尋ねてくる。翌日以降に食べる場合は、お土産用に冷凍ものを奨めてくれる。

赤福とずんだ餅を比べると、お客に対する誠実さがずいぶん違っているなと感じる。味は好みがあるが、商品に対する品質という面ではずんだ餅の方が優れている。

 

 雪印から始まり、不二家、ミートホープなど食品会社の不祥事が続いている。内部告発から判明することが多いようだが、やはり不誠実な行いはお天道様が許さないということか。

 私の親しいストリップ仲間に不二家に勤務している方がいる。彼は不祥事があった当初は仕事先の工場が操業停止になって嘆いていた。最初は工場内の清掃ばかりやらされたらしいがもう清掃するところもなくなったよと言っていた。平日が休みになるからと大阪東洋ショー劇場へ遠征して気を紛らせていたが、賞与の大幅カットなど切実な問題となったようだ。経営陣が悪いがペコちゃんは悪くない。私はペコちゃんを応援するため、一時ポラ・ポーズにペコちゃん顔をよく撮っていた。不二家の彼から、そんな気を使うなよと言われたほど(笑)。

 こうした有名ブランドは長い間守られてきた信用であり、たまたま今の経営陣がだらしないだけで、商品そのものが悪いわけではない。そこで働く従業員も可哀想な被害者に過ぎない。不二家の場合は山崎パンが救援したため、彼の働く工場は再開し、収入が安定したため、またいつものようにストリップ通いをしている。

 

 さて、食品偽装問題を話すとまだまだ続きそうだが、このへんでストリップの話に切り換えよう。

 ところで、「ストリップの品質」って何だろう?

 話を進めるにあたって、劇場側と踊り子さん側に大きく区分する。

 劇場側の問題は、設備と経営の二面がある。設備については、劇場の大きさや座席の座りやすさ、照明具合などが挙げられる。劇場ごとに特徴があり、大きければいいというわけでもなく、狭くても客にとって居心地がいい劇場もある。狭い劇場の方がアットホームになりやすく、それを好む客も多い。また、座席の座りやすさは大切。背もたれのない椅子だと長時間は耐えられず、一日中いると必ずお尻が痛くなる。かぶりつきの客は盆周りに座り、盆からの距離が近い方が嬉しいわけだが、そのため席がやたらと狭くて窮屈なときがある。身体の大きい客は無理なので最初から盆周りの席は諦めているようだ。私は身体が小さいので盆周りに十分座れるが、ときに身体の大きい方が隣りにいると窮屈を感じることもある。照明については私なりにこだわりがあり、他のところでもたくさん書いているのでここでは割愛する。

 劇場の施設で一番気になるのはトイレ。昔の古い劇場はトイレが本当に汚かった。最近は改装してトイレを綺麗にしているところが多い。いくら新しい劇場でもトイレが汚ければダメ。これは経営の基本である。

 経営面として気になるのは従業員のマナー。長く通っていると従業員と仲良くなるため、従業員の性格の良し悪しが劇場イメージにつながる。横着だったり、無愛想な従業員もいる。踊り子さんがいいので客を呼べると思い込んでいるようだが、この接客態度は失格である。

 経営面で一番重要なのは、看板に偽りがないこと。予告通りの香盤、とくに目玉の踊り子さんが出演していることは絶対である。劇場スタッフが一番気にするのはメインの踊り子さんが急に出演しなくなること。遠くから楽しみに観に来た人なんか特にショックが大きい。もちろんその週は興行収入が大きく落ちる。一番問題なのは看板に偽りありとして劇場としての信用を失墜させてしまうこと。

ときに急病などで出演できないこともあるだろうが、そういうときこそ出演変更などを劇場前のビラ貼り、劇場ブログなどで出来るだけ早めに周知させることである。ストリップ・ファンは遠征してくる方が多いのでこうした配慮がとくに大切である。

 看板の写真と実物が少し違うなんてことはざら。一見客と違い、常連客はほとんど踊り子さんを把握している。新人さんの場合だけ事前のポスターと違うかどうかとなるが、その一喜一憂がまたストリップの楽しみでもある。

 

 劇場側の話はあまり面白くないので、次に踊り子さん側の話に移ろう。

  先ほどの製造年月日を偽っていた食品ではないが、踊り子さんが歳をごまかしていたなんて話はざらにあろう。聞いた話だが、ある踊り子さんは年に何回も誕生日があって、おそらく誕生日プレゼントが欲しかったんだろうな、ということだった。そんなことをしていたらどんどん歳をとってしまうよね(笑)。

 ストリップの仲間うちで、巨乳と虚乳、美乳と微乳という話があって笑ってしまった。巨乳といっても天然ものと偽造ものがあり、その見分け方はベッドで横になった時に乳が垂れるかどうかだと自慢げに話している方がいた。言葉遊びとしては面白いと思ったが、私はおっぱい星人ではないので、おっぱいの大きい小さいには全くこだわりがないため聞き流していた。今の時代はプチ整形なんて当たり前だから、そんなことにこだわってどうすると言いたい。踊り子さんにとっては嫌な話題で誠に失礼しました。

 おっぱいはまだかわいい話題だと思うが、ではニューハーフがステージに登場したらどうだろうか? 最近のニューハーフは綺麗な方が多いので、うっとりと舞台を眺めていたら、ベッドでおもむろに一物がポロリなんてね。そのときに客はどう反応するかな。ジョークとしては最高に面白いけど、やっぱり客はストリップの看板に偽りありと怒るだろうね。冗談はさておき、ストリップでも、やはり許される品質と許されない品質というのがありそうだね。

 

 踊り子さんは、少しでも綺麗に若々しく見せたいと当然思うだろう。そうした気持ちがこうした品質の話につながっている。偽りがダメだと云ってしまえば、お化粧もダメということになり全てスッピンで舞台に立たなくてはならない。もちろんそんなことにはなりえない。

 踊り子さんが綺麗になりたい願望は、実はお客がそれを欲求しているからなんだ。求めている人がいれば、それに応えるのが商売ということになる。

 所詮ストリップというのは「うつせみの世界」。一時(いっとき)の非現実空間。男というのは上手に騙されればいいのである。その虚空間をひととき楽しめればそれでいいのである。細かいことをうだうだ言っている奴はストリップを観る資格がない。

 

 

平成20年11月                            仙台ロックにて 

 

 

 

 

 

 

 今のストリップ業界は、圧倒的にロック系が強い。劇場数も踊り子さんの数も圧倒的に多い。

 浅草ロックを拠点にして、関東に新宿ニューアート、川崎ロック、浜劇の三劇場を持ち、地方には仙台に仙台ロック、福岡に博多ロックを配する。他系列の劇場を買い取って大きくなっている。私が知るところでも、私が通う仙台ロックは昔は東洋劇場だったし、新宿ニューアートも以前は別の系列だった。今のストリップ業界の中では、ガリバー的存在で、極論すれば1人勝ちの状態とも云えそうだ。

 今のストリップは完全にアイドル路線となっているため、AVの女性を集められる強みがロック系にはある。関東のロックに対し、関西は大阪東洋ショー劇場が西の横綱といえる。東洋もしっかりとAV嬢を集められるので人気がある。アイドル路線にのったこの二劇場が今のストリップ界の「主流」と云えるだろう。

 

 主流があれば「傍流」もある。

 関東では、TS系が根強い人気をもつ。TSミュージックとシアター上野が拠点。また船橋には老舗の若松劇場がある。DX系も、DX歌舞伎では最近は素人大会出身者が踊り子に転進して人気を博している。

 ストリップ・ミュージカルで旗揚げした道頓堀劇場もすごい人気だ。復興してから年数が少ないとあって、踊り子さんの平均年齢が一番若い。

 関東だけでも、他にも池袋ミカド劇場、ショーアップ大宮、大和ミュージックなどがある。私はまだ行ったことはないが。

 関東以外でも、九条OS、晃生、札幌ニューカジノなど、私がお気に入りの踊り子さん所属の劇場もたくさんある。

 

 先ほどアイドル路線が主流と云ったが、むしろ傍流の方が昔からのストリップを継承している感じがしている。

 最近気に入っている踊り子さんに九条OSの天羽夏月(あもうなつき)さんがいる。彼女のステージを観ているとなぜか30年前に初めて観に行ったストリップを思い出す。彼女のもつ艶っぽさに加え、小道具を使うところが昔らしい。こけしだけでなく、先日はベッドのときにあそこから長い真珠をずるずると引き出したときには驚いた。彼女のステージはクラシックであるがゆえに、そこがまた斬新さを生んでいる。

 また、先日、池袋ミカドの結衣さんのステージを観ていて感慨深いものがあった。

 結衣さんはすごい美人なのだが、マングリ・オープンからアナル・オープンまでやっていた。ロック系などでは禁止されている抱っこちゃんが大喜びだったのも印象的。まさに何でもあり!

 そこにはロック系には無い味がある。ロックを優等生とすれば、彼女は不良の味を出している。優等生でないから出せる味というのも凄く新鮮。ここに何かが生まれるエネルギーまで感じてしまった。

 また、ポラ好きの私を狂喜させたのが結衣さんの「立体ポラ」。ポラを着せ替え人形にしている。これは芸術品だ!

  最近、結衣さんの他にも、栗鳥巣さん、結奈美子さん、相田樹音さんなど、ロックにはない斬新なエネルギーを感じさせてくれる方がいる。正直いえば最初は変わっているなぁと思っていたが、私の中でだんだん魅力フルになってきている。

 私は先ほどアイドル路線を「主流」と云ったが、あえて「本流」とは云わなかった。傍流といえども本流になる可能性があるからだ。

 

 劇場系列には微妙なバランスがあって、例えばロック系の劇場にはTS系の踊り子はのらない。逆にTS系の劇場にはロック系の踊り子はのらない。なるほど、競争相手があって、お互い刺激し合いながら伸びるのが一番いい。まぁ、そうはいいながら他の劇場にてロック系とTS系の踊り子さんが一緒にのることはあるのだが・・。

 なにはともあれ、劇場系列もたくさんあった方がいいなぁと思う。個性ある多様性こそが発展の源。お客としてもその方が楽しめるし、ストリップ業界の発展としてもそうあるべきだろう。すべての劇場が頑張って欲しい。

 

 

平成19年     

 

 

 

 

 

 

 

最近の踊り子さんに「本番まな板ショー」と言っても通じないことが多いようです。

中には逆に、ストリップ=「本番まな板ショー」と思い込んでいたところ、見学してみて、あまりにショー・アップされた内容に驚き、それに憧れてこの世界に入ってくる方もいるようですが。

ストリップの基礎知識として、過去の歴史を知っておくのも大切なことと思います。

今回は私の知っている限りで、ストリップの今昔を話してみます。

 

 私が初めてストリップに行ったのは18歳のとき。今から30年近く前のことになります。

 当時のストリッパーは、今以上に職業意識が強かったような気がします。今はいろんな風俗がありますから他からの流動がありますが、当時はストリッパーという仕切られた職業世界があったのでしょう。

 そのためか、お客が望むなら「何でもあり」といった感じで、今では考えられないエログロの企画までありました。

 

 ストリップといえば、基本は今と同じ「踊り→ベッドショー→オープン」なのですが、ベッドショーは天狗ベッドショーといって、踊り子さんは大人のおもちゃの天狗の鼻(こけし)を使用してオナニーを演じていました。今の踊り子さんには大人のおもちゃを使用する人はほとんどいなくなりました、私の知っている限り池袋ミカド劇場のHIKARUさんくらいかな。

また、オープンの前に必ず「入れポン出しポン」なるメニューがありました。踊り子さんがこけしをお客に手渡してあそこに出し入れさせるサービスです。中には、お客の指をあそこに出し入れさせる方もいました。当時18歳の私にとってはけっこう興奮するものでした(^0^)

一人特筆すべき踊り子さんがいました。「薬師丸桃子」さんといい、薬師丸ひろ子と菊池桃子がアイドル全盛時、二人をもじったユニークな名前だったので記憶に残っています。アイドルというよりは綺麗系の方でしたが美人で人気がありました。彼女はステージ上で積極的に奇抜なアイデアに取り組んでいました。そのひとつがアヌスへの「入れポン出しポン」でした。小さいこけしでしたが度肝を抜かされました。彼女はSMにも挑戦し、浣腸ショーなんてものがありました。お客がじゃんけんで数人ステージに上がり、次々と彼女に浣腸していく。最後に水槽にまたがり、排泄シーンを見せる、という凄い内容でした。

 当時は、本番まな板ショーが全盛で、踊り子の半数がこれをやってました。魅力的な踊り子が出てくると、お客はわれ先とじゃんけんしてステージに上がりました。外人さんもたくさん本番まな板ショーをやっていました。ストリップの雰囲気が今よりもずっとギラギラしていたと思えます。しかも、土曜日なんかはオールナイトでやってましたからね。

 以前も話しましたが、私はこの本番まな板ショーが嫌いでした。観客は魅力的な踊り子さんが出てきたときは我先に上がりたがるのに、そうでないとひいてしまいます。すると、若い人が半ば強制的にステージに上げさせられます。私も18歳と若かったのでよく標的にされました。これが嫌でストリップから足が遠のきました。

 本番まな板ショー以外にも、白黒ショー(プロの男女の絡みショー)、獣姦ショー(ステージの上で本当に犬とエッチするんですよ。エッチしながら犬がうぉ-うぉ-と叫ぶのがハイライト)。今もよくありますがSMショーも当時から盛んで、お客に鞭を渡して踊り子さんを打つことまでさせていました。強く打たれて本当に喜んでいる女性もいましたよ。他にも、私は見たことはありませんが出産ショーというのもあったようです。

 総じて、昔はエログロ路線でした。これでもかこれでもかと欲望をエスカレートしていったという感じです。

 

 私はしばらくストリップから足が遠ざかっていたこともあり、それがいつの頃からかはっきりしませんが(おそらく風営法の規制が厳しくなった頃から)、ストリップがアイドル路線に変わっていきます。

 私はたまにしか劇場に行きませんでしたが印象に残っているのが、渋谷道頓堀劇場所属の影山莉菜さん。彼女は酒井法子によく似た本当にアイドル系の娘で、すごく人気がありました。1995年に惜しまれながら30歳直前に引退したのを記憶してます。また、同じ時期に、今の渋谷道頓堀劇場の経営者である清水ひとみさんがかぐや姫などのストリップ・ミュージカルを始めてました。今から20年近く前の話になりますが。

 考えてみたら、当時は風俗界全体に大きな変化がありました。というのは、ビニ本に始まり、ホテトルなどが登場して、素人の女の子が気軽に風俗界に入り込んできました。アダルトビデオがそれに拍車をかけ、風俗界の素人化路線がどんどん進みました。

 そういう中で、ストリップ界にもAV女優さんが登場してきたわけです。ストリップのアイドル化路線も時代の大きな流れに沿っているわけです。

 エログロは別の風俗として密かに(?)発展していってます。

 しかし、時たま、SMショーなんかがストリップ劇場で公演されます。また最近、素人大会と称してピンクサロンちっくなものが流行しています。劇場の経営者としては実入りが多いと聞きます。このように、時に他の風俗との交流というかシナジー効果みたいなものもあるとお互い刺激になっていいとは思います。

 しかし、やはりストリップの王道はヌードやショーの美しさを追及する今の路線だと私は確信しています。今のストリップをいつまでも楽しみたいものです。

 

 

平成17年                                      

 

 

 

【参考】

 

●額縁ショー

 1947年1月15日、東京都新宿角筈(下名材の新宿三丁目)の帝都座で「名画アルバム」という催し物として始まった。このときのモデルは甲斐美晴。

 乳房は露出していたが、陰部は扇で隠されていた。踊りはなくじっとているものであったので額縁ショーと呼ばれていた。

 その後、規制は緩和され、変化を付けるために、行水ショーなど様々に工夫された。

 

 1948年台東区浅草の常磐座にて初めて踊りを取り入れたストリップショーが開催された。

 その後、全国的な広がりを魅せ、大衆娯楽へとなった。

 

 1950年代、フランス座やロック座、カジノ座、東洋劇場など浅草公園六区、そして新宿セントラル劇場、新宿フランス座といったストリップ劇場では幕間に軽演劇の流れを汲むコントが行われた。渥美清、三波伸介、伊東四郎、萩本欽一など

 1970年代のビートたけしなど、昭和を代表する喜劇人や井上ひさしなどの脚本家を連綿と輩出する舞台にもなっていた。

 この頃、ストリップダンサーはバタフライといわれる一種の前張りを股間に付けていた。

(後に出るOS系に比し、いわゆるTS系と呼ばれる)  

 

 1970年代頃から、関西地区を中心に全裸になって(全スト)女性器をあらわに見せる得だしショーの一条さゆりらが人気を博した。(いわゆるOS系)

 一条は摘発されたが、次第に全ストが一般的になった。

 

●ショーの内容のエスカレート化

 

レズビアンショー

白黒ショー

残酷ショー SMプレイ

マナ板ショー

 

獣姦ショー

 

1985年の風営法の施行後警察による取り締まり強化のためストリップ劇場が激減した

 

●1980年代は、アイドルストリッパーとして人気を博した美加マドカ、本番は行わず「オナニーショー」で有名になった清水ひとみ、後に「伝説の踊り子」と呼ばれた影山莉菜など、若くて容姿のよいアイドルダンサーが活躍した。

 

 また、その頃から(1990年頃以降は特に)観客の人気を集めるためにアダルトビデオに出演していた女優が舞台に上がることも多くなり、導入当時は会場前に長蛇の列が出来、入れ替え制にするなどの人気が上がったが、集客は低減し続け、2000年代に入る頃には全盛期と比べると見る影もない状況となった。

 

 近年では他の性的娯楽の選択肢が増えたこともあり、入場者数が減少し、経営が成り立たず閉鎖を余儀なくされる劇場も多い。改正風俗営業法の規制下に入り、屋台のように一旦営業が取り止めになると新規の営業許可が出来ない事となった。