最近の踊り子さんに「本番まな板ショー」と言っても通じないことが多いようです。
中には逆に、ストリップ=「本番まな板ショー」と思い込んでいたところ、見学してみて、あまりにショー・アップされた内容に驚き、それに憧れてこの世界に入ってくる方もいるようですが。
ストリップの基礎知識として、過去の歴史を知っておくのも大切なことと思います。
今回は私の知っている限りで、ストリップの今昔を話してみます。
私が初めてストリップに行ったのは18歳のとき。今から30年近く前のことになります。
当時のストリッパーは、今以上に職業意識が強かったような気がします。今はいろんな風俗がありますから他からの流動がありますが、当時はストリッパーという仕切られた職業世界があったのでしょう。
そのためか、お客が望むなら「何でもあり」といった感じで、今では考えられないエログロの企画までありました。
ストリップといえば、基本は今と同じ「踊り→ベッドショー→オープン」なのですが、ベッドショーは天狗ベッドショーといって、踊り子さんは大人のおもちゃの天狗の鼻(こけし)を使用してオナニーを演じていました。今の踊り子さんには大人のおもちゃを使用する人はほとんどいなくなりました、私の知っている限り池袋ミカド劇場のHIKARUさんくらいかな。
また、オープンの前に必ず「入れポン出しポン」なるメニューがありました。踊り子さんがこけしをお客に手渡してあそこに出し入れさせるサービスです。中には、お客の指をあそこに出し入れさせる方もいました。当時18歳の私にとってはけっこう興奮するものでした(^0^)
一人特筆すべき踊り子さんがいました。「薬師丸桃子」さんといい、薬師丸ひろ子と菊池桃子がアイドル全盛時、二人をもじったユニークな名前だったので記憶に残っています。アイドルというよりは綺麗系の方でしたが美人で人気がありました。彼女はステージ上で積極的に奇抜なアイデアに取り組んでいました。そのひとつがアヌスへの「入れポン出しポン」でした。小さいこけしでしたが度肝を抜かされました。彼女はSMにも挑戦し、浣腸ショーなんてものがありました。お客がじゃんけんで数人ステージに上がり、次々と彼女に浣腸していく。最後に水槽にまたがり、排泄シーンを見せる、という凄い内容でした。
当時は、本番まな板ショーが全盛で、踊り子の半数がこれをやってました。魅力的な踊り子が出てくると、お客はわれ先とじゃんけんしてステージに上がりました。外人さんもたくさん本番まな板ショーをやっていました。ストリップの雰囲気が今よりもずっとギラギラしていたと思えます。しかも、土曜日なんかはオールナイトでやってましたからね。
以前も話しましたが、私はこの本番まな板ショーが嫌いでした。観客は魅力的な踊り子さんが出てきたときは我先に上がりたがるのに、そうでないとひいてしまいます。すると、若い人が半ば強制的にステージに上げさせられます。私も18歳と若かったのでよく標的にされました。これが嫌でストリップから足が遠のきました。
本番まな板ショー以外にも、白黒ショー(プロの男女の絡みショー)、獣姦ショー(ステージの上で本当に犬とエッチするんですよ。エッチしながら犬がうぉ-うぉ-と叫ぶのがハイライト)。今もよくありますがSMショーも当時から盛んで、お客に鞭を渡して踊り子さんを打つことまでさせていました。強く打たれて本当に喜んでいる女性もいましたよ。他にも、私は見たことはありませんが出産ショーというのもあったようです。
総じて、昔はエログロ路線でした。これでもかこれでもかと欲望をエスカレートしていったという感じです。
私はしばらくストリップから足が遠ざかっていたこともあり、それがいつの頃からかはっきりしませんが(おそらく風営法の規制が厳しくなった頃から)、ストリップがアイドル路線に変わっていきます。
私はたまにしか劇場に行きませんでしたが印象に残っているのが、渋谷道頓堀劇場所属の影山莉菜さん。彼女は酒井法子によく似た本当にアイドル系の娘で、すごく人気がありました。1995年に惜しまれながら30歳直前に引退したのを記憶してます。また、同じ時期に、今の渋谷道頓堀劇場の経営者である清水ひとみさんがかぐや姫などのストリップ・ミュージカルを始めてました。今から20年近く前の話になりますが。
考えてみたら、当時は風俗界全体に大きな変化がありました。というのは、ビニ本に始まり、ホテトルなどが登場して、素人の女の子が気軽に風俗界に入り込んできました。アダルトビデオがそれに拍車をかけ、風俗界の素人化路線がどんどん進みました。
そういう中で、ストリップ界にもAV女優さんが登場してきたわけです。ストリップのアイドル化路線も時代の大きな流れに沿っているわけです。
エログロは別の風俗として密かに(?)発展していってます。
しかし、時たま、SMショーなんかがストリップ劇場で公演されます。また最近、素人大会と称してピンクサロンちっくなものが流行しています。劇場の経営者としては実入りが多いと聞きます。このように、時に他の風俗との交流というかシナジー効果みたいなものもあるとお互い刺激になっていいとは思います。
しかし、やはりストリップの王道はヌードやショーの美しさを追及する今の路線だと私は確信しています。今のストリップをいつまでも楽しみたいものです。
平成17年
【参考】
●額縁ショー
1947年1月15日、東京都新宿角筈(下名材の新宿三丁目)の帝都座で「名画アルバム」という催し物として始まった。このときのモデルは甲斐美晴。
乳房は露出していたが、陰部は扇で隠されていた。踊りはなくじっとているものであったので額縁ショーと呼ばれていた。
その後、規制は緩和され、変化を付けるために、行水ショーなど様々に工夫された。
●
1948年台東区浅草の常磐座にて初めて踊りを取り入れたストリップショーが開催された。
その後、全国的な広がりを魅せ、大衆娯楽へとなった。
1950年代、フランス座やロック座、カジノ座、東洋劇場など浅草公園六区、そして新宿セントラル劇場、新宿フランス座といったストリップ劇場では幕間に軽演劇の流れを汲むコントが行われた。渥美清、三波伸介、伊東四郎、萩本欽一など
1970年代のビートたけしなど、昭和を代表する喜劇人や井上ひさしなどの脚本家を連綿と輩出する舞台にもなっていた。
この頃、ストリップダンサーはバタフライといわれる一種の前張りを股間に付けていた。
(後に出るOS系に比し、いわゆるTS系と呼ばれる)
●
1970年代頃から、関西地区を中心に全裸になって(全スト)女性器をあらわに見せる得だしショーの一条さゆりらが人気を博した。(いわゆるOS系)
一条は摘発されたが、次第に全ストが一般的になった。
●ショーの内容のエスカレート化
レズビアンショー
白黒ショー
残酷ショー SMプレイ
マナ板ショー
獣姦ショー
1985年の風営法の施行後警察による取り締まり強化のためストリップ劇場が激減した
●1980年代は、アイドルストリッパーとして人気を博した美加マドカ、本番は行わず「オナニーショー」で有名になった清水ひとみ、後に「伝説の踊り子」と呼ばれた影山莉菜など、若くて容姿のよいアイドルダンサーが活躍した。
また、その頃から(1990年頃以降は特に)観客の人気を集めるためにアダルトビデオに出演していた女優が舞台に上がることも多くなり、導入当時は会場前に長蛇の列が出来、入れ替え制にするなどの人気が上がったが、集客は低減し続け、2000年代に入る頃には全盛期と比べると見る影もない状況となった。
●
近年では他の性的娯楽の選択肢が増えたこともあり、入場者数が減少し、経営が成り立たず閉鎖を余儀なくされる劇場も多い。改正風俗営業法の規制下に入り、屋台のように一旦営業が取り止めになると新規の営業許可が出来ない事となった。