ついでに「カガミの原理」を話します。
「あなたの中に私が見えないの」
こんな別れ言葉がドラマや映画のワンシーンにあるような気がします。
この言葉をふつうに解釈すれば、彼に他の女性ができて、もう私には関心がないのでしょうね。もう分かれるしかないわね。という意味になるでしょう。一見、相手の意思を尊重して、自分から身を引くように捉えられますが、実はそうではないと思います。
彼女は、彼を通して、彼の中にいる自分を楽しんでいたのです。
女性はいつも鏡を見ていますね。鏡を通して、鏡の中の美しい自分に見とれているわけです。
私は最近、鏡が困った存在になっています。お風呂上りの鏡を見ては出てきたお腹が恥ずかしくなり、毎朝鏡を見ては薄くなった髪を気にする。鏡を見ていると嫌になります。でも、あるがままの姿を写しているのだからしょうがないですね。鏡に文句は言えません。
同じように、他人の顔がカガミにもなります。
好きな踊り子さんを見ているときの私は必ず笑顔になります。私の笑顔に対して、笑顔で返してくれる踊り子さんの顔を見て、私は自分を発見して喜んでいるのかもしれません。
逆に、踊り子さんの中に全く自分を見つけられないことがあります。つまり、全く私に関心がないということが分かります。そういうときには、どんなに綺麗な踊り子さんでも一気に関心が薄れていくのが分かります。
自己愛という心理学の用語があります。人間というのは、自分しか愛せないもの。自分の子供を愛するということは、あくまで「自分」の子供であるから。そう、子供の中の自分を愛していると解する。
以前、私はストリップを通して擬似恋愛を楽しんでいるということを書いたことがありますが、よく考えるとこれもそういうことなのかもしれません。
自己愛という概念はたしかに最もらしいけど、なんか淋しい考え方ですね。
相手の顔がカガミになるというのはひとつの真実だと思います。
であるならば、例えば、笑顔で相手を見つめれば、相手も笑顔で返してくれます。怒った態度で対応すると相手も感情的になります。これもひとつの「カガミの原理」です。相手が自分の気持ちを反映するがゆえに、いつも相手には気持ちのいい態度で接していきたいものだと常々思います。