今日は「潮の満ち干(ひき)」の話をしてみます。
新宿歌舞伎町でストリップを見ていると、外国人ツアーがどっと入って場内が混み合ってきたと思いきや、少しするとその団体がすうーっと引いていき場内が静まりかえることがあります。私はストリップの「潮の満ち干(ひき)」現象と呼んでいます。(笑)
少し理科の話を始めます。
海の潮の干満はどうして起こるのか? いうまでもなく、月と太陽の引力(起潮力/潮汐力)によって地球上の海水が引っ張られるからです。その力は意外にも、月の方が太陽よりも2倍ほど影響が大きく、多少乱暴にいえば「海の潮は月によって起こる」と言えます。もう少し専門的にいえば、起潮力は天体の質量に比例し、距離の3乗に反比例しますので、太陽は月の2,700万倍も質量があるのですが、距離が400倍も遠いため、起潮力は、質量の小さな月の方が太陽より2倍も大きいのです。
そのため、昔から海の潮汐を表す指標として月齢(月の満ち欠け)が使われます。
言うまでもなく別に月本体が本当に欠けるわけではなく、太陽に照らされて明るい半面とその陰の見えない半面の地球から見える割合が変化するために起こる見かけ上の現象です。月が太陽と同じ方向にあると地球からは月の陰の半面しか見えませんので月が見えない状態「新月(朔)」となり、太陽と反対方向にあると明るい半面のみが見える「満月(望)」の状態になります。さて、月の満ち欠けは平均して29.53059日でこれを朔望月(さくぼうげつ)と呼びます。朔望の朔は新月を望は満月を示す言葉です。私たちの生活は月単位で営まれていますが、まさに月の満ち欠けに合わせているわけです。
さて、理科の話はこの辺で止めて、ストリップの話に戻します。
最初に外国人ツアーの話をしましたが、考えてみたら、ストリップには他にも「潮の満ち干(ひき)」現象はたくさんあります。外国人ツアーに限らず、1ステージが終わると、前にいたお客が帰り、後から来たお客がその席に入る。お客が入れ替わっただけで劇場そのものは変わりません。また、ベテランの踊り子さんが辞め、新人の踊り子さんが入ってくる。これもストリップ全体ではなんら変わらないごとく営まれていきます。
世の中というのは刻一刻と変わりつつ、その実なんら変わっていないということがよくあります。局部的には変わったかもしれないが大局から見ればなんら変わっていないということです。
さきほど月の満ち欠けの話をしましたが、たしかに月は満ちては欠け、欠けては満ちてと変化して止みません。このため変化するものの象徴、人間界では栄枯盛衰のたとえなどにも用いられてきました。一方、満ちては欠け、欠けては満ちて再び元の状態に戻ることから不変なものの象徴としても用いられていました。
こういうことに思い馳せば、小さいことに固執するのは馬鹿馬鹿しいことだと思います。
よく、ある踊り子さんのリボンだった方が別の踊り子さんのリボンになった等いろいろ噂話を耳にしますが、そんなことは、一ファンが抜けてもまた別のファンが付くわけで、単に入れ替わったにすぎません。さわぐことではありません。
もうひとつ思うことは、私達の生活は月や太陽に従いつつ営まれているという事実。
私たちは年月日という区切りの下で生活していますが、例えば生き物の繁殖は一年を区切りにしているものが多く、人間の場合は女性の生理にて一月が区切りになっています。このように知らず知らずのうちに月や太陽に従いつつ営まれているわけです。
もっとも基調になるのが一日の区切りです。
私は「日々新た」という言葉が大好きです。なにかをするときに気力というのが満ちたり引いたりする。こういう文章を書くことでも、気力充分で取り組めることもあれば、疲れているのか全く気力が萎えることもあります。そういうとき、一日という区切りがあるのが有難いなぁと思うことがよくあります。踊り子さんだって、四回のステージでへとへとになることもあるでしょうが、日を変えることによって翌日また新たな気持ちでステージに取り組めるわけです。
この大いなる宇宙神は、私たち人間に過去の疲れや悩みを忘れさせ、そして新しい気持ちで物事に取り組ませるようにしてくれているのだと思わずにいられません。