昨年10月の漫画家やなせたかし氏の訃報に続き、今年に入って今度は詩人まど・みちおさんが亡くなるという悲報に触れる。
「ぞうさん」「やぎさんゆうびん」「1年生になったら」など、日本人の心のふるさとといえる多くの詩と童謡を生み出した詩人のまど・みちお(本名・石田道雄)さんがH26年2月28日午前、老衰のため亡くなった。104歳だった。
まどさんは、25歳で幼年雑誌「コドモノクニ」に投稿した童謡2編が選者の北原白秋に認められ、詩や童謡の世界にデビュー。34歳で召集され、シンガポールで終戦を迎えた。20代の頃から詩人として活躍。「ぞうさん」「やぎさんゆうびん」「1年生になったら」などを手掛け、時代を超えて子供たちに親しまれてきた。
1994年には日本人で初めて「児童文学のノーベル賞」と言われる国際アンデルセン賞作家賞を受賞した。
新聞などで彼の経歴や人柄に触れ、詩が好きな私として、まどさんに強く魅かれるものがある。気に入った記事を集めてみた。
1. 「ぞうさん」について
ぞうさん
ぞうさん
おはなが ながいのね
そうよ
かあさんも ながいのよ
誰もが口ずさめる歌詞である。
ちょっと悪戯心が湧いてきた。一発、私流に「ぞうさん」を捩(もじ)っちゃえ!
『ぼくの象さん』
象さん
象さん
ぼくの象さん
お鼻が寝ているよ
早く起きて
そうよ
おかあさんが 待ってるよ
最初から大変失礼しました。真面目な話に戻します。
戦後を代表する童謡「ぞうさん」を書いたのは1951年。作品を頼まれ、一気に6編書いた。その1編が「ぞうさん」だった。作曲家の故團玖磨(だんいくま)が曲をつけ、ラジオで放送され、国民的な愛唱歌になった。
詩人の谷川俊太郎さんがまどさんをこう評している。「こんなにやさしい言葉で、こんなに少ない言葉で、こんなに深いことを書く詩人は、世界で、まどさんただ一人だ」と。
この「ぞうさん」にも実は深いことが隠されている。
『ぞうさん』について、まどさんは「他の動物と違っていても、自分が自分であることは素晴らしいと象はかねがね思っている」と語っていた。
先日亡くなった詩人の吉野弘さんは童謡『ぞうさん』について、こう言っている。「<おはながながいのね>は、象の鼻が長すぎることをいくらかからかった者の意地悪と読めないこともない」
仲の良い親子の歌というのとはちょっと違う解釈である。「ところが、そういう意地悪すら<そうよ/かあさんも ながいのよ>が見事に肩すかしを食わせるのである」。大好きなおかあさんの鼻も長いことを誇らしげに答え、悪意を吹き消してしまった子象である。
詩は好きに読んでもらえばいいという作者のまど・みちおさんだが、吉野さんの解釈には「一番、その通りという気がします」と言い残している。「自分はこの世に生かされているんだという誇り。他とは違うからこそ、うれしいんです」。まどさんはそう語っていた。
(H26.3.1(土)毎日新聞「余禄」から抜粋)
2. まどワールドの神髄
<蚊も亦(また)さびしいのだ。刺しもなんもせんで、眉毛などのある面(かお)を、しずかに触りに来ることがある> (『蚊』)。
いのちとは、美しくて哀しい宝物だと教えてくれた人である。
「マナコは だまっている/でも/『ほくナマコだよ』って/いっているみたい/ナマコの かたちで/いっしょうけんめいに・・・」。生き物ばかりではない。ぞうきんやほこり、トンカチやおならまで、どこまでもやわらかな言葉で包み込み、祝福してくれた詩だった。
子供に分からぬ言葉は使わないが、「自分の中のみんな」の言いたいことが童謡になり、「自分の中の自分」が作るものが詩になったという。どんな小さな生命も、ささいな物事も、この世にあることのかけがえのなさを心にしみわたらせたまどさんの言葉である。
「まいねんの ことだけれど/また おもう/いちどでも いい/ほめてあげられたらなあ・・・と/さくらの ことばで/さくらに そのまんかいを・・・」。この春は天国で詩人の願いが叶えられるよう祈る。
こうしたまどさんの詩の紹介と解説を読んでいると、私が踊り子さんに対してレポートや童話・ポエムを書く姿勢とよく通じているなと感じる。
私は踊り子さんに順番なんて付けたことがない。
いま目の前のステージにいる踊り子さんが一番だと思って観ているし、その踊り子さんのレポートを書いているときはその人が一番好き!と思って書いている。そう思えなかったらいいレポートは書けない。
だからこそ、ステージを観ながら、その踊り子さんのことを一番よく表現できる言葉のフレームを一生懸命に探している。ある踊り子さんから「太郎さんの言葉には踊り子を元気にする魔法の力がある」と褒められたことがあるのは、そのせいだと自負している。
3. まどさんのユーモアセンス
応召したまど・みちおさんに近藤和一という友人ができた。調理師だという。教練で、二人して上官から「気合を入れる」ビンタを食らった。
休憩時間、隣に座る友の帽子が目に留まった。殴られてぼんやりした頭で、縫い取られたカタカナの名前を逆から読んでしまう。「チイズカウドンコ」。調理師で、チーズかうどん粉。おかしくて笑った。ふつうは泣きたい場面だろう。まどさんの詩が生まれ出る水源の泉を見たようだ。
世の中は愉快で心地よいことばかりではない。醜い欲と邪心が大手を振って歩く。つらい仕打ちがある。
それを嘆くのではなく、ほんの小さな楽しいことを、美しいものを、穏やかな眼差しで見つめ続けた。「私は絶望感が持てないほど弱い人間だから」と語ったが、まどさんの詩が多くの人に愛されたゆえんだろう。
(H26.3.1(土)読売新聞「編集手帳」から抜粋)
こうしたユーモアセンスこそが、まどさんをいつまでも若くし、104歳まで長生きさせた原動力だと感じた。
私がストリップをネタにたくさんのジョークを連発しているのは、このまどさんのユーモアセンスだ!と納得した。私もストリップで長生きするぞー!(笑)
ちなみに、冒頭に『ぼくの象さん』なんてお下品な詩を書いちゃったけど、まどさんなら笑って許してくれるだろう。
平成26年2月