旅行社と旅行者の紹介する上海・中国 -86ページ目

旧ユダヤ人祖界地と何鳳山(前編)

旅行社に勤めている私が、魯迅公園の次にオススメしたいところ。

それは

 旧ユダヤ人祖界地


きっと、上海に住んでおられる方、旅行でこられた方、歴史に関心のある方は

上海が祖界地であったことはご承知のとおり。


でも、2010年の万博に向けて、それが取り壊されつつある。

築100年以上の建築物がある上海、

何千年もの悠久の歴史を誇る中国にとっては、

新しい都市であるのに過ぎないのかもしれない。


万博会場に近い旧ユダヤ人祖界地は、都市開発によって壊されないまでも、

新しく塗り替えられている。


1930年代、ユダヤ人たちはナチスドイツによりひどい迫害を受けはじめる。

自国をまだ持たない当時のユダヤ人たちは、世界各国に散っていた。

そして、ナチスによる迫害が始まり生き延びるため、逃亡することを余儀なくされる。

当時、逃亡してきたユダヤ人を含めオーストリアには18万ものユダヤ人がいた。

しかし、多くの国ではユダヤ人の受け入れを拒否する。

一方、オーストリアはナチスとの併合を迫られていた。

そんな中、オーストリアで中国外交官として働いていた何 鳳山氏は、

少しでも多くのユダヤ人が上海に逃げられるよう彼らに“命のビザ”を発行することを決意する。

リトアニアの杉原千畝を彷彿とさせるが・・。

数千人のユダヤ人は、命からがら上海へ。

しかし、その先で彼らを待っていたものは、上海を指揮下においた日本軍であった。

もともと上海に住んでいたユダヤ人、中国各地から集まってきたユダヤ人、

オーストリアなどから逃亡してきたユダヤ人など併せて数万ものユダヤ人が

上海に集合する。

彼らが住まう祖界地のすぐ横には日本軍の基地。

その上、日本軍はナチスドイツとの同盟軍。

日本軍側としてもユダヤ人を野放しにすることはできない。

こうして、現在の通路だと、東は通北路、西は公平路、南は恵民路、北は周家嘴路、

その狭い地にユダヤ人を押し込めることになる。



上海の足(あり得ない!!編)

見てしまった。

私がとても愛してやまないこの公共バスの・・・。

100年の恋も冷めるってまさにこのこと?

それは、今では数少ない 1元バス(クーラー無しの16円バス)に乗ったときのこと。

そのバスにめぐり合って、古さを満喫して・・・。

助手席側に乗った私は運転手の足元に目を落とす。

さっきから、何となく気になっていたの。一つの線が。

そして、まさかと思いつつも、よくよく目をこらしてみるとそれは輪ゴム。

何重にもまとめてある小さな輪ゴム。

何に使っているのか?

それは、それは、それは、

アクセルのパッキン的な役割をしているもの。

多分パッキンというか、スプリングみたいなものが壊れていて

アクセルが下にいったまま戻らないからゴムで支えてるみたいなのね。

でも、私の命はこのゴムに支えらているのかと思うと、

怖い! をとおりこして、安い命なんだ~という結論に至った。

上海の足(免費車・スーパー無料バス編)

上海に住んでみて思うのは、先日も述べたように交通費が安いということ。


スーパーへ行く無料バスもその一つだ。

だってスーパーまで無料で出ているし、50分~1時間に一度の割り合いで出ている。

使わないのは損だと思う。

ただ、大抵の場合、バスは公共機関で使われていた中古のバス。

バス内をよく見ると、以前そのバスがどこの路線をいくらで走っていたのか分かるからすごい。


さて、夕方6時からの最終バスに乗ろうとしたら、何か様子がおかしい。

バスのドアが開いていない。

そして、違う路線バスを運転するおじさんが、こっちへこっちへ、手招きする。

となりに立っていた若い女の子と目を見合わせていく。

この路線バスは最終便出ないからこっちに乗れよ、ということらしい。

本当にちゃんと行ってくれるのかな?路線違うし。

そんな不安を抱えながら出発する。

さすがの上海人も少し不安みたい。

いつもは超うるさくやかましいおっさんもおばさんも、運転手の行き先をじっとみつめている。

そしてその路線はいつもとルートを換えながら、結局家の前で降ろしてくれた。


私が好きな上海はやはりここであろう。

ぶっきらぼうで、お客にお礼を言うわけでもなく、雑で汚いけれど、変なところで人情味がある。


もし機会があれば、是非この免費車(無料の車の意味)に乗ってみてほしい。

すごい排気ガスで、タイヤは擦り切れて中の繊維が出ていてすごく危険に感じるけれど。

上海市民に少しだけ近づいた気がする。


上海を旅行するあなたへ

中国人の友達が、上海を案内してほしいっていうから、

後から考えるとなんだか変だけど上海を案内した。

確かに、私のほうが上海に長くいるんだから仕方ないか。


旅行社勤めだけに、普通に上海を案内するわけがない。

新天地?豫園?外灘?

私が案内しなくてもそんなところ一人でいけるでしょ。


最近、日本人の友達はもとより中国人や他の外国人を案内する場合、

日本人が敬遠する旧日本軍の残骸、

知られざる上海、

これが私の旅行テーマだ。

とはいっても、歴史研究の先生方みたいに

詳しくは説明できませんが。

さすがに旧日本軍に関しては、周りの中国人の方が

気を遣ってくれちゃうけれど、現実を見ることは大切だと思う。


まず、初心者は魯迅公園から。

魯迅というと、学校で、阿Q正伝という名前を聞いた覚えがあるのでは?

私の場合そのレベルしか知らなかったけれど、

調べれば調べるほど中国人にとって“現代文学の父”と言われるほどの

重要人物。偉~い人なのだ。

この間、魯迅記念館に行ってみた。

入り口でチケットを人数分もらい(入場無料)

入館する際、荷物チェック(X線みたいな)を受け、

水を持っていると係員に飲んでみせて中にやっと入れる。

(かなり厳重チェック!!)

魯迅の作品、魯迅が影響を受けた人々など魯迅の一生について、

映像や、遺品などの展示物から知ることができる。

魯迅が仙台で医学を勉強していたころの写真と映画、

中国で危険分子として扱われ、書いた書物は発禁処分となり、

公安から目をつけられていた中、内山氏にかくまわれたことなど。

日本人でも偉い人がいたものだ、と思いきや、

次のエリアでは日本軍に首切りされる人の写真が・・・・。

しっかり愛国教育してますね。

最後は魯迅の国葬の映像で終わるのだが、

魯迅が亡くなるまでのレントゲン写真、宋慶鈴が魯迅に宛てた達筆な手紙

そして、亡くなる前まで使っていたコーヒーカップなど展示されている。

でも、特にすごいのが、日本人の友人が作ったデスマスク。

眉毛やひげなどが埋め込まれ生々しい。

 

でも、でも、日本人に馴染み深い公園ではあるものの、

なぜか韓国人が多い。

確かに、日本人観光客はもの静かでマナーもよく目立たないのは確かだ。


では、なぜ韓国人が多いのか?

それは、敵国日本軍に韓国人が命をかけて中国のために戦ったので、

魯迅公園は韓中友好の場所である・・らしい。

それに、昔、この辺りは日本人疎開地はもとより、日本軍の占拠地ともなったし。

魯迅公園より車で10分くらいの位置にある和平公園は、その昔

日本軍の武器庫があったそうな。


上海、この名を聞くと中国の中の近代都市とイメージする人も

少なくないだろう。

でも、違う観点から上海を見るとき、この街がただの経済都市でないことに

気づかされる。

上海の足

上海で暮らしたことのある方、上海へ旅行へ来られた方なら大体思うこと


それは、交通のアクセスがなかなか良いということ

交通費が安いということ


もちろんあちらこちらから自転車、歩行者、バス、車などが歩道であれどこであれやってくるので、

危険ではある。


ところで、やはり、上海市民の足といえば、自転車、電動自転車、摩托車(スクーターなど)だといえる。

今朝、バスの上から眺めていておもしろいと感じたのはそれらに付けられた名前。


Forever、この名前が結構多いのだが、賽峰、賽論、都市風といったものもよくみかける。

そしてV6というものもあった。おっさんが乗っていたけれど。

上海名牌、上海著名、上海都市など上海のついたものも多い。

でも、一番のヒットは赤兎馬と書かれた真っ赤な電動自転車におばさんが乗っていたこと。


人口の多い中国では、こういう乗り物で自分の個性を発揮しなければならないんだ、

と思う今朝であった。