旧ユダヤ人祖界地と何鳳山(前編)
旅行社に勤めている私が、魯迅公園の次にオススメしたいところ。
それは
旧ユダヤ人祖界地
きっと、上海に住んでおられる方、旅行でこられた方、歴史に関心のある方は
上海が祖界地であったことはご承知のとおり。
でも、2010年の万博に向けて、それが取り壊されつつある。
築100年以上の建築物がある上海、
何千年もの悠久の歴史を誇る中国にとっては、
新しい都市であるのに過ぎないのかもしれない。
万博会場に近い旧ユダヤ人祖界地は、都市開発によって壊されないまでも、
新しく塗り替えられている。
1930年代、ユダヤ人たちはナチスドイツによりひどい迫害を受けはじめる。
自国をまだ持たない当時のユダヤ人たちは、世界各国に散っていた。
そして、ナチスによる迫害が始まり生き延びるため、逃亡することを余儀なくされる。
当時、逃亡してきたユダヤ人を含めオーストリアには18万ものユダヤ人がいた。
しかし、多くの国ではユダヤ人の受け入れを拒否する。
一方、オーストリアはナチスとの併合を迫られていた。
そんな中、オーストリアで中国外交官として働いていた何 鳳山氏は、
少しでも多くのユダヤ人が上海に逃げられるよう彼らに“命のビザ”を発行することを決意する。
リトアニアの杉原千畝を彷彿とさせるが・・。
数千人のユダヤ人は、命からがら上海へ。
しかし、その先で彼らを待っていたものは、上海を指揮下においた日本軍であった。
もともと上海に住んでいたユダヤ人、中国各地から集まってきたユダヤ人、
オーストリアなどから逃亡してきたユダヤ人など併せて数万ものユダヤ人が
上海に集合する。
彼らが住まう祖界地のすぐ横には日本軍の基地。
その上、日本軍はナチスドイツとの同盟軍。
日本軍側としてもユダヤ人を野放しにすることはできない。
こうして、現在の通路だと、東は通北路、西は公平路、南は恵民路、北は周家嘴路、
その狭い地にユダヤ人を押し込めることになる。