こんばんは

ステップあやですニコ

 

 

今日は、最近見て号泣した映画の紹介。

 

 

 

虐待されて育った男の子が一人家を出て成長し、傷ついた心を癒していく様子が書かれた映画です。

 

 

2013年に出された漫画エッセイ>新版 母さんがどんなに僕を嫌いでもの映画版で、漫画版も私持ってるのですが、映画はまた違う感じで好きでした。
 
(7年前、私の本の漫画エッセイ版の出版が決まったので参考に買いました。私が漫画の勝手がわからなないため台本が書けずその企画はボツになりましたw)
 
 
 
 
私は、虐待された経験はありませんし、虐待された人の気持ちが分かるなんて軽々しく言えないし分かるはずない、って思っていたけど、
 

 

同じ体験してなくても

 

あ、その気持ち知ってる、
 
って共感できる部分は本当に多かった。
 
 

 

虐待された経験あるの方も、このブログよんで”あやさんなら話せると思った”といって私のセッション来られる方も少なくないのでなんでかなって思ってたのですが、まったく同じ体験じゃなくても ”共通の痛み、喜び” を私に感じてくれた人なのかもと思いました。

 

 

 

たとえば、

 

 

 

・母に認められたくて愛されたくて、自分の気持ちは押し殺して”明るくイイ子”を演じ始める心の傷

 
 
・母に喜んでほしくてしたことも、ものも、こんなもの!って投げつけられ否定される時のショック
 
 
・仕事の忙しさや父とうまくいかないことがあると、自分(私の場合は長女の私)に八つ当たりが向かってくる恐怖。
 
 
・家の中に”安心”がなく、子供らしくのびのび自己表現できる居場所がない孤独。
 
 
・”豚 気持ち悪い、産まなきゃよかった” など虐待的なことを言われても、そんなことを言われる自分が悪いから…思いこんで正当な怒りも表現できなくなる孤独と悲しみと自己否定感
 
(私は母にその言葉は言われなかったけど、大声でケンカするたび”子供がいなければお父さんと離婚してた” など聞いてた。)
 
 
 
・傷つきから身を守ろうとする防衛本能なのか、辛いことほど誰かに相談したり助けを求めたりすることができず、平気なフリしたり笑顔を作ってしまう癖とその孤独感。
 
 
・人前で笑顔で明るい子を演じる自分と一人になった時の孤独感。
 
 
・親が否定するこんな自分、ばれたらほかのみんなも離れていくに決まっているだろうと、心の傷を隠しそうと必死になる気持ち。
 
 
・孤独の暗闇の中で、たった一人でも、本気で自分の心の痛みを気にかけてくれる人の存在に救われてた気持ち。

 

 
・自分のダメなところ、恥ずかしいと思っている自分を隠しながら生きてきたけれど、ダメな部分もずるい部分も含めて信頼する人に見せ始める時の心の変化
 
 
・ダメな部分も作っていない自分も、まとめて受け入れられた時に凍り付いていた心がふわふわと溶けていくように感じた温かい感覚と温かい涙。
 
 
・人との関係で受けた傷は、癒えるときも対人関係の中で癒やしていくほかないんだという感じ
 
 
・・・などなどほかにもいっぱい、、痛みも温かさも、共感しすぎて胸がいたかったです。
 
 
 
 
 
この映画の虐待母の役は吉田羊さんだったのですが、私の母の面影が似てるのもあって、イライラしてる顔も、他人の前では優しいいいお母さんの面を見せる様子も、とてもリアルに思い出しました。
 
 

あまり書くと、これから見たい人にネタバレになるので控えますがあと一つだけ書くとすると

 
 
親だからこうあるべきとか
子供だからこうあるべき
とか関係なく、
 
理解は気づいた方からすべし

 

というか、

理解する力のある方が先に気づく

 
 
という言葉。
 
 
ここは私自身もやってきたことだなあと思いました。
 
 
けど、”作っていない本当の私”など受け入れられるはずもないと思いこんで疑わないときは、全然その言葉の意味は分からなかったし、自分から相手を理解しようなどとは思えなかったです。
 
 
”誰といても心がひとりぼっち”じゃなくなってきたころ、父に対して”私が先に父を理解する”をやってきたことに気付きました。
 
*すぐ怒鳴る、なんでも金で解決みたいな言動、見た目や年齢に関してデリカシー皆無な発言、若いころは女癖悪く子供の私がしりぬぐいすることも…とにかく変わった父です。
 
 
病気を理解してほしい、助けてほしい、親なのだからこうしてほしい。そういう”子供としての訴え”もさんざんやって、それはできないことなんだと諦めがついたからこそ、できたことかもしれません。
 

 

親を許すためじゃなくて、自分のために

 

やったよ。
 
結果、”父側の事情”を理解することで、私自身が楽になったことはありました。
 
 
 
 
 
共感できないところ…、というか、ハラハラしてしまうところもありました。
 
エンディングは特に。
 
 
主人公が、自分を苦しませ捨てたお母さんに温かく愛を差し伸べる部分。
 
 
 
私が接している人やこのブログを見てる人の中には、子供を虐待してしまうお母さんの立場の人もいて、自分自身も温かく愛されること知らないケースも多いと思うから、ラクになってほしいとは思います。
 

 

でも、虐待された子供がそこまでできなくてもやらなくても大丈夫だよ、逃げていいし離れていいよ、温かい人達に支えられながら自分が先に幸せになること優先していいよ、、、
 
 
お母さんが立ち直るきかっけを作ってあげなくても”その人のタイミングでちゃんと来る”から大丈夫…、
 

 

って思いながら最後は見てました。
 
 
 
 
ただ、私自身は、

”母が生きていたらどうしたかな?”

と考えてみたら、
 
主人公のたいじくんみたいに、子供としての目線(親としてこうしてほしかった、どうしてこうしてくれないの)ではなく、
 
”一人の大人として”母に歩み寄ること
”一定期間”は、続けてみたかもしれない。
 
 

自分の心が傷だらけでぼろぼろのころはできなかったと思うけど、ここでみんなに言ってること、母にも言ってあげたかったなって一人の人間としての私が思うから。

 

 
 
イイ人演じなくていいよ

ちゃんとしてなくていいよ

世間に人にどう思われたっていいよ

頑張らないでいいんだよ

お母さん、辛かったね、頑張ってきたね、もう十分だよ
 

 

って、母に言ってあげる人が、母の人生で一人もいなかったみたいだったから。
 
 
母も世間体と~べき思考に縛られる生き方で、イライラしていて、あたりやすい私にあたり散らしていた部分も多かったのだというのは、今の私は整理がついているから。
 
 
まあ、でも、どんな言葉も、本人が求めてるタイミングでなければ余計なことでしかないので、押し付けないようにという意味で”一定期間”。
 
 
それでも、助けてとか分かってとか認めてほしいとか、子供目線じゃなくて、今の大人の私の目線で、”私が”思うことを、母に話してみたかったし、生きていたらそうしていたかもしれないとは思います。
 
 
そしたら、。。母と私の関係は温かく変わっていたはずとは思いません
 
 
そうなったかもしれないけど、頑固な母だから結局死ぬまで変わらなかったかもしれないし、私は”それじゃダメだあれじゃダメ、世間”は普通は…と口うるさく言われるのはメンドクサイので距離を置いてるかもしれないし、、
 
と、
 
 
想像するしかできないので、いくら考えても、想像の域を出ないことなのですけれども、
 
 
そんなふうに結論のないことに思いを寄せるのも、心の整理になって、私はこの映画、自分を見つめるいいきっかけになりました。
 
 
何より一杯泣いたら、スッキリした!
 
ストレスホルモンは涙と一緒に排泄されるんだよ、って著書に書いたけどマジで実感した! 
 
 
 
 
私のレビューこんな感じですニコ
 
この映画、見てみたいなって思った方は、どうぞ自粛中にやってみたいことの一つに加えてみてね。
 

私は

UNEXTていう動画配信サイトでみました。
登録から31日間無料でインターネット(スマホでもPC)もみられるそうです。

dTV
とかでもあるかも?

 

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私自身の家族関係では、”一見ふつう””一見仲良し”だったけど、実はとっても寂しかった思い出がたくさんあって、私の心の病気と無関係とはいえません。

 

 

といっても、家族のせいで病気になった、とも思っていません。

 

 

私の場合は、ですが、病気につながる”辛い生き方*考え方の癖”ができるに至った数ある”経緯”の中の一つとして、家庭環境、学校環境があったと考えています。

 
 

需要あるか分からないけど、私の体験を読んでるうちに、自分自身の言葉にならない気持ちが言葉になったとか、考え方や行動を楽になるよう変えてみるヒントになったって声も聴くので、後日改めてこれまで書いてきた記事のリンク集作りますね。

 

 

 
今日も最後まで読んでくれてありがとう。

 

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