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他人や世間の声から拾った~ねばならない ~べきを自分に押し付けて生きるそれまでの生き方から

自分が心地よいから、好きだから、楽しいと感じるから~したい、

自分が不快から、嫌だから、~したくない、

 

という自分軸の生き方をしていくうちに

 

「体型/体重」の問題がわたしの「すべて」から「一部」になっていきました。

 

 

 

いまのわたしは摂食障害のときに「〇キロ以下でないとイヤ!」と思っていた体重に
なったわけではありません。

 

 

 

けどね、

自分の体型や体重は、わたしという人間のほんの一部

になったから、私は私の人生に満足なの。

 

 

 

 

 


体と心をたっぷ りの栄養で満たして

過剰な運動を減らして

心身の休養をとってきたこと、

 

それと同時に

 

生き辛さに繋がる考え方に気付き

心を楽にしていく練習をしてきたことで

 

 

心身の状態でかわるホルモンのバランスが

 

悪循環から好循環に変わってきたのだと思います。

 

 

 (体型だけ変えよう、過食だけを止めようと

 食べ方情報だけ模索していては、

 ココロも体も変わりません)

 

 

 

 

 

良くなったり悪くなったり

波を繰り返しながらも

 

 

少しずつ

 

人生楽しいかも、

体重体型が満足じゃなくても

自分には結構いいとこあるかも、

 

って思えるようになってきたんだ。

 

 

 

体型だけが私じゃないって思えるようになったからって、「全く」体型が気にならなくなったというわけでもないよ。

 

 

けど

 

痩せなきゃ絶対だめ!

痩せなきゃ自分は恥ずかしい存在だ

っていう苦しいとらわれ(思いこみ、固定観念)ではなくなった。

 

 

 

 

 

痩せたいなあとは思うけど

 

ダイエットのために

自分の心や体に無理をさせてまで

痩せたいとは思わない。

 

ダイエット以外の幸せ、心のゆとりを犠牲にしてまで痩せたいとも思わない。

 

 

 
やせてる人の方が私より価値あるとか幸せなはずとかも思わないかな。
 
 
 

 

だけどね、

 

楽しいこと、心地よいこと、したいことを尊重する自分軸の生き方に変えていくときも、やっぱりそれまでの、人に、世間に、どう評価されるかで自分の価値が決まる気がする他人軸な自分がすぐに消えるわけじゃないから

 

やっぱり暫くは辛いことも多くて

 

そういう意味では

 

辛いことを頑張った

 

っていえるとおもいます。

 

 

 

 

まわりからみたら、

~べき、~ねば をやらなくなって

心地よい生き方を選ぶようになったのだから

逆にがんばらなくなったように見えたんだろうけどね。

 

 

 

そういう意味での

頑張りは=顔晴る

(顔が晴れるように頑張る)

って私はいってるんだけど

 

 

それができたのは、私一人の努力ではなく、困ったときは人を頼る勇気、人にsosを出す勇気を出したからです。

 

 

 

最初の十数年は、

 

誰にもばれないうちに一人で治さなきゃ、てあがいてるだけだったけど、

 

そうやって隠していると、どんどん「人に知られたら軽蔑される、みんな離れていく」とかいう自分の思い込みが膨らんで

 

こんな自分はダメだという自己否定も増えるばかりだった。

 

 

人が怖くて

自分が嫌いで

 

そんな中では食症状も心の生き辛さも、深みにはまってくだけだったのだよ。

 

 

 

あるきっかけがあり、

 

摂食障害のこと人にいうのは

凄く恥ずかしいことだったけど

私は、みぢかな人に打ち明けていきました。

 

 

 

育った家では摂食障害は、摂食障害=痩せたいだけ、食べたいだけの甘えだって言われていたから、親もそうなら皆そうなのかなって思っていたけど、

 

みんな、そうじゃなかった。

 

 

 

打ち明けてみると

私のために泣いてくれる人、

 

 

食べられない私に食事を合わせてくれたり私が楽しめそうな「楽しみ方」を一緒に考えてくれたりする人、

 

病気のことは分からなくても

軽蔑することもなくいままでと変わらずそばにいてくれる人、、

 

 

色んな形がの色んな温かさを

受取れるようになっていきました。

 

 

 

 

 

人に受け入れてもらえたとき、一人で隠していたときは一人で抱えていることを寂しいなんて思ったことなかったのに、はじめて、ずっと寂しかった自分にきづいたんだよ。
 

 

 

 

辛い気持ち、否定せずに受け止めてもらえたときは涙がとまらなくて、心がふわふわって溶けるような感じがした。

 

 

ああ私は一人じゃないんだな

って思えたから、

 

治すために食べたり運動減らしたり

太る恐怖にたちむかっていくことも

 

他人軸な無理な辛い頑張りをやめて

楽しいから心地よいからしたい

と思うことをしていくことも

 

頑張らないダメな自分になるようで怖かったけど

 

 

泣きたいときは泣かせてもらいながら

 

ひとつずつやていくことが出来たんだと思う。

 

 

 

 

 

これを読んでいるみんなも一人で悩んでる方もおおいとおもうのね。

 


自分が抱えている悩みを

 はずかしいことだ、
 バカにされることだ
とか、思ってしまって誰にもいえず抱えてしまうのも、私もずっとそうだったから、わかるよ。

 

 

 

 

 

でもそこは勇気を持ってほしいんだ。

 

 

 

勇気をもって、

 

一人でなおさなきゃ

一人で解決しなきゃって

一人で抱えて

一人で今の自分を自己否定する生き方をかえる。

 

 

心無い人も世の中にはいるけどね

 

同時に、sosを出せば

 

何かしらのかたちで

手を差し伸べてくれる人も、

変わらずそこにいて応援してくれる人も、

いるはずなんだ。

 

 

わかってほしいことを全部

わかってくれる人なんていないし

そりゃ無理だよ。

 

 

 

だけど”自分には分からない部分”を抱えたそのひとごとごと認め、受け入れあえる関係ってうのはあるんだ。

 

 

 

 

誰にも彼にも言う必要はないけど

 

家族とか恋人とか親友とか、

本来、困った時は助け合う関係にいるひとならば、SOS出してみようよ。

 

 

 

中には、心の病気だというだけで離れていく人も、いるかもしれないけれど、

 

 

でもそれで離れていくくらいの友達や彼氏だったら、

 

必死に隠して必死に元気な振りしてないと付き合えない相手なら

 

苦しい部分隠して、調子いとこだけしかみせないで、自分ばかり無理して相手にあわせて一緒にいる必要、意味はあるのかな。

 

 

なぜ、一人でいるより孤独を感じる相手と一緒にいるためにエネルギー消耗するんだろう。

 

 

 
病気を理解できてもできなくても、理解できない部分を抱えたあなたを丸ごと愛してくれる友達も彼氏もいるはずだよ。
 
 
そんな人が、無理してないと認めて貰えない人に認めてもらおうと頑張っているうちは、そこにいてもきづけないなうなる。出会えなくなる。
 
って考えたら、だから私安らげる人間関係が見つかってないのかな、
 
って私納得したんだよ。

 

 


逆にいえば、

そのままの自分でも

思い切ってさらけ出してみれば、

 

手を差し伸べてくれる人だって病気のことは分からなくても、かわらずそばにいてくれる人も、いるものなんだ。

 

 

最初からどーせ無理って心閉ざすのではなく

 

病気だからって

相手が自分自身の幸せ犠牲にして

何でも自分に合わせろと命令するのでもなく

 

ここ協力してもらえたら助かるなってことがあれば、それを自分が相手にきいてみればいい。

 

どうしたらラクなのかわからなくても、こんな時に辛いっていったら

相手が提案してくれることもあると思うよ。
 
 

そんなかんじだよ。

 

 

 

期待と違う答えが返ってくることもあるけど

 

そこで、やっぱりわかってくれないって会話を中断するのではなくて

 

また自分の言葉で

自分の気持ちを伝えて

また相手の気持ちを聞く。

 

コミュニケーションてその繰り返しなんだ。

 

 

自分の気持ちいわずに我慢し続けてあとから爆発させてるひともいるけど

 

そういうひとに限って「自分の場合は自分の気持ちをガマンせずに言い過ぎてる」っていう。

 

 

だけど

 

本当は本当に伝えるべき大切なことは何一つ伝えてないから、結局大きく感情が爆発してる

 

ていうひとがおおと思うよ。

 

 

 

相手の話もきちんときかず、そういうってことはこー思ってるんだろうとか。

 

こういう態度したんだだから私の気持ちはわかってるはずなのに、、

 

とかって相手の気もちを想像で決めつけて、ちゃんと言葉でコミュニケーションをとってない人も多いとおもいます

 

 

それだとね、

 

やっぱり私は誰にも理解されない、大切にされないっていう思いを強めてしまって凄くストレスなのだよね(/_;)

 

 

 

私もまさに↑これ、癖になてるときあったけど

 

 

それで知らないうちに、ストレスが抱えきれないくらいに膨れ上がり

 

それを過食や痩せることの一瞬の快感で曖昧にしないとバランスがとれなくなる

 

という摂食の症状が表れていたのでした。

 

 

 


だから

自分を言葉で伝え
相手を言葉で聞く
=コミュニケーション

これも、手を抜かず、ひとつずつね。

 

 

やってみてダメなら、別の星の人だと諦めもつきます。
 

決して自分は何もせずに

人に治してもらえ

っていってるわけじゃなくてね

 

 

困ったときは人の力を借りながら、
自分でできることはして

 

摂食障害(痩せれば安心)に頼るのではなく

人をちゃんと頼ることを覚えることが

治す、ということなのだと思います。

 

 

 

 

元気で明るい子を演じて

100人に褒められたって

全然心にしみてこないけど、

 

そのまんまの自分を受け入れてくれる人が
一人でも二人でもいてくれることに気づいたら、

 

それはホントにどんなお薬よりも効果的なお薬になるよ。

 

 


このブログを書いてるわたしも一応、「人」です。

 

ある読者の方は、このブログのなかから勇気が出る記事をコピーして辛いときにこっそり読んでその文章を自分の理解者にしている、とおっしゃっていました。

 

 

どんな形でも、物でも、場所でもいいから自分のココロが休まる相手と時間を作ることも、してみてくださいね。

 

 

「一人で解決しよう」から抜け出すーー

 

回復のためにはなるべく早いうちにしていだきたいことのひとつです。

 

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