この記事は2012年10月1日の記事のリライトです。

 
「自分を特別扱い」について書いたので関連記事アップしときます。

まだ読んでない人はこちらからよんでね。
 
 
 
 
 


>こちらの記事

 

 

 

外から見える状況や環境だけを比べて

私はそうじゃない、

自分の場合は甘えているだけって
「自分を特別扱い」して自分をいじめなくていいんだよ。


苦しみの本質は

 

「自分のココロをないがしろにして

人や世間の正しさに合わせて生きるつらさ」


という部分なのだから、・・・

 

 



と書いたのですが、クロ猫さんがそこをうまく読み取ってくださったので紹介しておきます。

 

 



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苦しみの本質は

「自分のココロをないがしろにして

人や世間の正しさに合わせて生きるつらさ」


という部分なのだから、・・・

 

 

 


この部分を読んだ時に涙が出てきてしまいました。

 

 

 

自分はそんな生き方をしているつもりはなかったのに、です。
 

 

 

 

私は小さい頃から自分の意見がはっきりしていて大勢の中で自分の意見が少数派だとしても意見を曲げることなく主張していました。

 

そのため一部のクラスメイトに悪く言われる事がありました。

 

意見が違うからというより、 周りに合わせないのが気に入らなかったのだと思います)
 

 

 

 

それはとても辛かったのですが、だからこそ自分だけでも「自分」を肯定してあげよう、と思ってきました。
 

 

 

ちゃんと肯定できているつもりでした。
 

 

 

 

でもこの文を読んで涙が出てきたという事は、私なりに無理をして周りに合わせてきたという事なのだと思います。

 

 

 


自信がなくて他人の顔色をうかがう自分が確かにいるのに、それを認めたくありませんでした。

 


かつて私を悪く言った人達の「自分の心(意見)を無視して他人(の意見)に合わせる」生き方だけはするもんか、あの人達と同じになるもんか、という意地があったのかも。
 

 

 

 

友達から「マイペース」と言われるし、「自分を認めてあげましょう」という言葉に「そんなのできてるよ」と思ってた自分ですが、あやさんの言葉で「本当は自分で思ってるよりずっと無理してきたのかも」と気付けました。

 

 


なんだか涙がどんどん出てくるので、このまま泣いてスッキリしようと思います。ありがとうございました。

クロ猫 

 

 

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ここからステップあやです。
 
 

そう。

 

 

具体的な状況や環境はまったく違っても、本質たどっていくと、似たようなところで苦しんでいたりするんだよね。

 

 

 

まずは、苦しかったことに気づけてよかったね。

 

 


自分で自分の辛かった気持ちを認めなければ、
自分をラクにしてあげたい、

助けてあげようとも思えないもんね。

 

 

 

自分のココロでも、なかなか自分ひとりで気づけないものだし、同じコトバでもタイミングによっては、意味が分からないこととかもあるよね。
 

 

 

 

クロ猫さんが今、すっとココロにはいったのも、
いままでひとりで戦い、

苦しんできた今だからこそかもしれない。

 

 

 

きっと今が、必要とするタイミングだったのだと思います。

 

 

私もタイプは違うけど、

 

”一見”、マイペースで心の病気とは無縁に見られる人でした。

 

今でもそうだけど。

 

 

 

 


基本的に自分の気持ちを伝えるのは苦手だったけど物事をはっきりいう人 ”ふう” の人を頑張って演じてたときもありました

 


でも実際は大事なことはまったく伝えられてなくて、対人関係ではストレスいっぱいかかえてました。

 

 

 
痩せろと言われたら
 
そうなんだ、痩せてない私がダメなんだ、かっこ悪いんだ
 
 
 
人に
世間に
ダサいといわれないよう先回りして、
 
体型も
食べ物も
みる映画も
よむ本も
趣味も
仕事も
 
選んでいたし。
 
 
 
 
コミュニケーションの癖だってそう。
 
 

すこし頑張って伝えても、分かってもらえなかったら否定と捉えてもうなにも伝えないし何も言わない

 

・・・とかって。

 

 

 

 

そういうやり方で怒りや悲しみがつもっていき、

やがて爆発しちゃうようになると

 

「私の場合はみんなと違って

はっきり言い過ぎることが問題なんじゃないか」 

 

要するに自分の場合は特別だ、フツウじゃない、

 

 

とか思ってたこともあったな。。

 

 

 


でも、実際は

 

「そもそもそんなに蓄積するまで自分の気持ちを表現していないから爆発している人」 

 

だったのでした。
 

 

 

この辺はいろんなパターンがあるけど、テーマがコミュニケーションの話しになるので、また機会があったら復習しましょう。

 

 

 

 

似たような環境、似たよう状況の人だけの声をきいて、自分だけじゃなかったんだって励みになることはあるから、それも必要なときも絶対にある。

 

それはそうだと思う。

 

 

 

 

 

 

けどどうしても、みんな、

 

具体的な環境や状況などの、”外からみてわかりやすい部分”の違いとかで恵まれてる、恵まれてない、どっちのほうが辛いはず・・・って考える”頭”で、自分自身のココロのほうを否定してしまいがちです。

 

 

 

それぞれの事情で

生きにくい考え方、価値観ができて
苦しい考え方やコミュニケーションの癖に苦しみ、生きづらさを抱えている
 
 
と考えたら
 
一杯共通点あるのに、表面の「カタチ」にとらわれてしまう、、というのかな。

 

 

 

 

 

親の言うこときくいい子だったか、そうでなかったかとか

 

成績が良かったとか、そうじゃないとか

 

虐待されたとか良い親だったとか

 

毒親育ちとか、仲良し親子だったとか

 

素行の良い人だったか不良的なことやってたかとか

 

 

そういう表面的な部分のちがいに着目して、自分のかかえる生きづらさという共通点は見えなくなってしまうことよくある💦

 

 

 

 


それで、

 

 

自分はソコ違うから例外だ、となったり、

 

私はあの人と比べたら恵まれてるのに、とか、

 

逆にこんな最悪な環境にいるから私には参考にならない、ヒントもない。

 

となってしまったり

 

 

 

兄弟そろって病気になったかそうでないかと比べて

 

 

同じ親に同じように育てられたのに

私だけ病気になった私の場合は特別でやっぱり私が甘えているだけ、

 

だから生きづらさとかコミュニケーションとか私には関係ない話だし、わたしは治らない

 

 

 

とかって絶望的な自己流解釈なってしまったり😭💦。

 

 

 

 

私も、育った環境やきかっけに個人差は誰でもあるけど重要なのそこの違いじゃないんだよー

 

 

自分の中にある生きづらさが

自分が心地よく食べる、生きるのを阻害していて、ソレに苦しんでいるのだよ

 

 

 

自分が自分の考え方の癖、対人関係におけるコミュニケーション(伝える、聞く、捉える)の癖を優しく紐解いていくことを根気よくしていけば

 

誰でもラクに生きられるようになるんだよ。

 

 

それは、環境は関係ないということではなくて

 

 

考え方が変わることで自分が自分らしく生きられる環境とそうでないもの、仕事や付き合う人、自己表現の仕方、すべて、自分が自分のために取捨選択できるようになるからラクになるということまで含んでの意味なんだよー

 

 

 

、って気をつけて書いているつもりなのですが、うまく書けてないことも多いと思う。ごめんね💦

 

 

 

ただ表面的な具体例の比較にばかり注目してると、問題の本質が見えなくなってしまうので、表面の違いにとらわれないこと、自分は違うって特別扱いしないこと、これとても大切なので、頭の片隅でいいのでおいてほしいな。

 

 

 

 

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