▼本文の前に-------------
2週間前にあやさんのブログを見つけ、必死に読んでいるところです。コメント欄も読んでいます。
皆さんどんどん良くなっていくのに、私は全然かわっていません。
最初は3食少しずつ食べだして、過食衝動も止まって、治るかもしれない、なんて思っていたのに、
ここ数日、やっぱり
太りたくない思いが強くなり、
また一定以上食べないようにしては
反動で過食、の繰り返しです。
みんなと同じものを食べる時間が怖くて、友達づきあいはおろか
冠婚葬祭でさえも何年も顔を出していません。
全てに疲れて、もう何も考えたくありません。
頑張りたくないんです。
ずっと一人で好き勝手に食べていたいのです。
こんな風に考える私は病気じゃなくて本当に意志が弱くて我侭です。
やらなければいけないことは分かっているのに、意志が弱い私は一生治らない気がします。
(リンゴさんより)
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ステップあやです
その気持ち人ごとでなくほんとに良く分かるよ。
ダイエット依存は死ぬほど辛いのに、その快感に逃げ込んでしまいたくなってしまう。
ずーっと野菜や低カロ食品食べてたい、衝動がきたときは衝動に溺れてお菓子や菓子パンをドカ食い、過食してたい
。。。。ってね。
そんな時、自分を責めないでいいよとか、前向きに考えて・・
とか言われたって無理だよね。
自分の生活を犠牲にし
他人の生活まで巻きこんでまで、
痩せることにしがみついていたい
その痩せル湖との強迫観念も
「病気の症状」のひとつなんだよ
ってことは説明して来た通りだけど、
それでも10年単位で苦しみの中にいる人にとっては、
わがままじゃないよ、
って言葉ももう聞きなれて、
何の意味もなくなってしまったかもしれない。
人は外見じゃないよっていう言葉もそうだよね。
私もね、ずっと心が付いてこなかった。
やりたいこと見つけようったって
そんなにすぐ見つからないし、
見つかったって、やせたい気持ちと食のこだわりが邪魔してうまくいかないし、
過食嘔吐がやっと止まっても
運動にしがみついてたり
拒食やめてもまだ食に拘って
普通に人付き合いできなかったり。
ちゃんと食べないと自分の時間があったらあっただけ食べたい吐きたい衝動こらえてるか爆発してるか、になる過食衝動は止まらない、
って頭で分かってても
心がそれを受け入れたくない、
食べられない。
そうやって食べないから
生体防御の仕組みとそての
ものすごい過食衝動は止まらなくて
こんな食欲で自由に食べたら
ずっと止まらないんじゃないか、
結局このまま、ずーっと同じとこぐるぐるまわって一生おわっちゃうんじゃないか
って不安なのに、
ゆっくりでいいんだよ、
焦らないで、
って言われても、
「今も苦しくて10年も20年も苦しい状態なのに、ずっとこの調子でいろってこと?」
って絶望的な気持ちになったりしてた(誰もそんなことはいってないのに・・)。
だからそう感じちゃう人の苦しみも、知ってるよ。。
無理なときは無理。
そういう時期もあるよね。
ここのブログではこうしたらいいよ、ってヒントを沢山書いてきたけど、それをやってみようかなって思えるのはタイミングって人それぞれだろうなって事は分かってていて書いてるよ。
なかなか前に進めないからって
意志がどうとか関係ないし
我侭だってことでもない。
やる勇気がないからって
自分を責めないでいいよ。
私だって
ココに書いてること頭で理解して、
実行に移していったのは、
何年もかけてすこーしずつだったの。
今の自分でちょっとだけ
手をのばしたらやれそうな事、
一つずつやっていけば大丈夫だから。
変われないことを責めなくてもいいの。
できた事、
できてはないけど頭で気づけた事、
頭で気づけていても、前はピンとこなかったことが今は心で実感できたこと、
すべてが進歩でそれが積み重なっていくのです。
自分がちっとも成長してないって沈みそうになったら、そういう前進もふくめて部紙に書き出してみてもいいかもよ、
私も最近、
色々考えることに疲れちゃって、
考えるのお休みしてます。
考えすぎて頭が疲れてるときは
”受け身の娯楽”に逃げるみたいです。
”読む”よりも”聴く””観る”になる。
考えるの休んで疲労がとれたらまた考えればいい。
あるいは今やれそうな事をただやって、運命に身をまかせて、どうなるか見守るのもまた良いかなあと思っています。
摂食障害のときはこういう健康的な逃げ道がなくなっちゃってるのね。
摂食障害になる方は、人とのコミュニケーションが不得意のために(恋愛や友達、家族、仕事などにおいて)自分が思うよりも抱えきれないほどのストレスを抱えています。
しかも、ストレスの健康的な解消手段も分からなくなってる人が多いと思う。
食べ方や体型だけではなく、生活の至るところでこれはダメ、あれはダメ、~すべき、~べきでない、と自分を”正しさ”で縛っているうちに
ストレス解消手段にも
罪悪感を感じるようになったり
やっても無題だと自分から取り上げてしまうから、、
そんな辛い生き方をしてきたからこそ
無理にでも痩せることや
過食時の一瞬の快感に依存することが
(苦しいやり方ではあるけれども)
少しでもストレスからラクになるための唯一の手段になっちゃった。
そんな状態が摂食障害なんだ。
甘えとか
我儘とかは逆でね
自分のことを後回しにして
他人に嫌われないように
人にばかにされないように
世間に間違ってるといわれないように
って、自分を置き去りにして頑張って生きてきた。
それで成長することもあったけど、もうこの辺でその頑張り方は限界だよって病気が教えてくれてるんだ。
だから、それを治すためには
ストレスを溜めない方法と、健康的な解消手段を少しずつ身に付けていくことが必要なんだけど、
それを身につけている間は
どうしても身を守るために
今まで慣れ親しんだ
”痩せる安心”食べる快感”に
しがみ付いてしまうんだと思う。
それは悪いことではなくて、そのように、症状に助けられながらも、もっと健康的な”快/安心”を見つけていけば、そのうち症状は必要なくなるときがくるから。
だからこのブログには、ストレスとバランスをとるために必要な自動的にウツ傾向にならない感情=脳の状態を作るための食事や栄養のことも書いてるけど
ストレスを人一倍抱え込んでしまう原因となっているココロの癖と対処法、についても、書いてるんだよ。
もういわれなれちゃってるかもしれないけど、本当の本当に、ダイエット依存心は我侭とは全く違います。
本当に我侭なひとは自分を責めて苦しんだりしません。
拒食症初期のダイエットハイの時期は痩せることしか考えられなくなるけどそれが症状なんだもの。
それでも、自分を我侭ではないかと思ったことがない摂食障害の方を私は一人も知りません。
この気持ちを理解していない周囲には我がままとか治す気がないように見えてしまうから、辛いんだよね、、
周りも病気のこと、わからないからそういう人もいるけれど、自分はせめて、自分の病気を理解してあげてほしいと思います。
疲れたら治すことも休んでいいよ。
休んでエネルギー充電して
それからまた
立ち上がって、
目の前の階段を1歩だけ上ってみる。
人と比べず自分にできることをやってみる。
そうして、ゆっくり治っていくのが一番早いんだよ。
そのうち、完治前でも何かをちょっとだけ楽しめる段階にくるから、そしたら、苦しさの中にも生きる楽しさが感じられるようになるよ。
ゆっくりなんてやってられない・・って思うのは、ダイエットでも治すことでも敗北感につながってしまう”ゼロか100の思考癖”や結果を急ぐ心の癖”がでてるとき。
急ぎすぎると、焦ってずっこけたり、エネルギー切れになって動けなくなっちゃうのは自然なことだよ。
治す過程って、短距離走じゃなくて長距マラソンだから。
休む時にはちゃんと休み1歩ずつ少しずつ、やってもかわらないような小さなことでもできることをできる程度からコツコツやっていくのが唯一の道であり、なによりの早道なのです。
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