私のように定期的に中国や香港、台湾を往来する運命学を生涯志す者にとって、日本の易学が中国や香港、台湾でどのように評価されているのか、気になるものです。
東洋運命学の核心は易にあり、その原文は易経(周易)です。断易(五行易)、梅花神易(宋易)など易はその後、どんどん発展して行きますが、原点は周易です。写真は私が西安郊外の温泉地・驪山(りざん)で撮影したものです。易のマークはこのように風水の良い場所でよく使われます
中国で出版されている運命学の書籍は、日本と違い、中国各地の有名大学が出版しています。つまり、各大学で運命学の研究を独自で研究し、著作を発表しているのです。日本では、ごくごく少数を除き、運命学(占い)の本を大学の教授が執筆している例をほとんど見たことがありませんが、中国では再評価されているのです。
中国では文化大革命で中国の伝統的な学問や文化が徹底的に破壊され、文化遺産も破壊されました。
しかし、文革が終わり、1980年代から改革開放政策が進み、1990年代から本格的に資本主義経済が導入されてからは、中国政府も富国強兵としてのハードパワーだけではなく、ソフトパワー(文化力)が国力増強にとって実は非常に重要であることに気付き始め、2000年を過ぎてからは中国の伝統的な文化力を復興、再興させることに力を注ぎ始めました。
中国語を世界語に近づけるために世界各国に孔子学院を作って中国語を初級から学ぶスクールを開校して普及させている動きはその一環です。現在では、中国各地で孔子像が建立され、孔子の教えが復権してきています。天安門広場東側の中国国家博物館前にあった孔子像が撤去されたことを一部メディアが報じて、それに煽られて孔子像が撤去されたことを騒ぐ易者(実際に中国大陸を訪れたことすらない)もいますが、中国人民大学のキャンパス内に巨大な孔子像(深川宝琉撮影)が建っているように、全体の流れは私が何度も直接、中国各地を見て回った限り、孔子像が着実に増えています。
また、中国内で2008年の北京五輪直前ぐらいからブームになってきたのが国学です。つまり、四書五経から三国志演義、孫子の兵法など中国が独自に培ってきた道徳規範や戦略戦術、人のマネジメントから経営管理に至るまで、欧米のビジネス界では得ることができない中国伝統の人間学を国学として定義し、中国中央テレビの専門チャンネルや出版物を通して幅広く普及させるようになりました。
その中で息を吹き返してきたのが、易を中心とした中国古来の運命学です。幸運なことは、中国では、国学の分野の一つとして運命学が学問として認められてきていることです。文革時代には中国大陸で長年培われてきた風水に関しても風水師が弾圧され、香港や台湾に避難するしかない状況でした。
それがどうでしょう。最近は各大学の哲学系の教授らが執筆の陣頭指揮を執り、「実用国学」という分野の出版物として八字(四柱推命)や紫微斗推命、六壬神課、姓名学など運命学関連の本格的な書籍が続々と出版されてきています。今回も北京大学哲学系を訪れましたが、その流れがさらに加速していることを実感しました。北京大学ではちょうど、キャンパス内にある樹木を伐採して区画整理をする時期でしたが、国学の流れが変わってきていることを象徴しているかのようにも見えます。
日本の場合、大学で運命学の研究は易経の分野以外、学術的にほとんどされていません。易占の本を書いている人で中国大陸に一度も行ったことがなく、大家のようにしている人もいて、唖然とさせられます。運命学の書籍を執筆している人が大学のアカデミズムの世界で受け入れられるような学術的な論文を発表できる力量がない(易経の専門家には中国語が流暢で中国に造詣が深い方もおられますが、ごくごく少数)こともありますが、日本の大学では運命学が、まるで「当たるも八卦当たらぬも八卦」というレベルでしか見られていない閉塞状況にあるからです。
香港、台湾、中国では風水師や算命師は対社会的にも認められる教職的な評価になっていますが、日本では、占い師という肩書きは、相当有名でない限り、対社会的評価が決して高くありません。
評価が低い理由としては、運命学を本格的な人間が生きていく上で必要な実学であるだけでなく、学術的にも昇華できるだけの力量がないということや、運命学を私利私欲に使い、商売の道具として悪用している例が事欠かないことが要因です。
日本でも、中国の国学復興の潮流に合わせ、少しずつでも運命学が大学のアカデミズムの中でも受け入れられ、対社会的にも評価される動きに変わっていくことを願うのみです。そのためには運命学を教える側が、社会貢献できる学問として確立する力量が必要となってきています。
そこで、運命学の基礎は易なのですが、その原点である易経を含む原書をコンパクトにまとめたものがないかと探しても、なかなかありません。易経に関しては、解説書は多々ありますが、たとえば、易経を含む四書五経を原典だけコンパクトにまとめたものは一冊も出版されていません。
実は、中国でも、四書五経をコンパクトにまとめた本の出版は最近は皆無に等しいです。香港や台湾、シンガポールではなおさらありません。
今月初旬、北京に滞在した時、「中国書店」という北京の老舗の古本屋に行きました。
そこで、ようやく、解説抜きの原典だけを編集した「四書五経」を見つけ、購入しました。こんな本があるとは、非常に幸運でした。しかも一冊15元(1元=12円)で超リーズナブル。
1990年に岳麓書社という出版社から出版された陳戌国編集の「四書五経」です。四書五経だけで800ページぐらいで収まるコンパクト版で、易経は「周易」とのタイトルで原文だけが書かれています。非常に読みやすい。
基礎を学び直すには、孔子が韋編三絶(いへんさんぜつ=ぼろぼろになるまで繰り返す読み込むこと)したように、コンパクトで手軽に読み返すことができる小冊子的な使い方ができます。
日本でも四書五経の伝統は江戸時代に培われました。武士の家に生まれた者は、たとえ貧しくとも親子とも「世間のリーダーになる」との自覚があり、5~6歳になると藩校に通って「人間学」たる四書五経を学びました。
会津若松藩の日新館の「什の教え」では、リーダーとしてのき徳目を四書五経からたたき込み、「ならぬことはならぬ」との会津魂のようなモラルを教え込んでいます。江戸末期から明治維新にかけて最大の原動力となった薩摩藩の郷中教育も同様でした。封建社会で管理教育していく上で四書五経は重要な役割を果たしていきましたが、現代社会でも、運命学を学ぶ者にとっては四書五経、とくに易経は不可欠です。
香港や中国、台湾では、「高島易断」の本が目につくことがあります。実際は本格的な本は2冊しか出ていません。
まず最初に強調しなければならないのは、現在、日本に存在する高島易断という占いグループは「高島易断」を確立した高島呑象(高島嘉右衛門)とはまったく関係がありません。高島呑象は、まずもって、弟子を取りませんでした。ですから高島呑象の高島易断を正統に相続している占いグループや人は一人もないのです。現在、「高島易断」を名乗っているグループは正統ではない(まったく無関係)ということです。
中国で出版されている高島易断の本は「実用国学」体系の出版物の一つとして出している「高島易断」という本と全国百佳出版社から出している「高島易断 占断破解」(高島嘉右衛門著・王治本訳)です。
ここでは後者を紹介しておきます。
「高島易断 占断破解」は439ページある本格的な高島呑象の具体的な500以上の実占内容を記した易占実例集です。
明治34年1月、高島呑象自らが前書きを記し(もちろん全て中国語に訳されています)、夏や殷の時代の連山易、帰蔵易から周易が成り立つまで、いかに64卦、384爻の内容が完成していったのか、克明に説明されています。
前書きには栗本鋤雲や副島種臣が簡単明瞭に同著に関しての評価を記していて興味深い内容です。
さらには、中国語に翻訳した王治本氏のあいさつ文。「友人を介して高島翁とお目にかかり、易断について話が及んだ。高島翁は『この著書を日本語だけで記しているのは惜しい。海外に紹介するため、あなたが中国語に訳してくれないか』と依頼され、承諾したものの、内容を深く理解して翻訳するのに八ヶ月以上かかり、ついに完成できた」と喜びの感想を記しています。
同著では、高島呑象自らが実占した具体的な占例を64卦384爻について一つ一つ紹介。明治時代の著名人や動乱などについて、その時々の動向や先を見通した実占内容は現代日本の社会状況、会社の経営、国運について深く洞察できる非常に参考になる内容がふんだんに織り込まれています。
日本で失せ物占(決して失せ物占自体が悪いことだとは思いませんが)あたりで当たっていることを自慢する本を書いて高島易、昭和易の継承であるかのごとく振る舞う「小人」(低レベルの易者)がいますが、大いなる誤解であり、天地の差です。
中国では失せ物占のようなレベルの実占例を著書にしたら笑われ、だれも書いていません。運命を決する判断こそ、易者がなすべきことであり、易の専門誌でも一切書かれない(日本で廃刊になった易の専門誌に失せ物占が当たったことが掲載されたことを自慢するなど愚かです)。
本物の易者は、歴史の節目節目で政治の中軸に関わり、影で日本を動かす人物。日本の国運を憂い、日本トップの経営陣や政治家を指南するだけの器があったことが著書でも深くうかがえます。
周易に関する解説書は中国では膨大な数、出ていますが、近代の易断として非常に本格的な具体的な実例集として同著が中国や香港、台湾でも評価されていることを示す翻訳書であることがよく分かります。日本ではその後、高島呑象の易断をさらに深めた加藤大岳など、昭和易の大家が輩出されていますが、中国語で翻訳され、幅広く中国でも知られているのは高島呑象の高島易断のみです。
易に関心のある方々は、日本国内での高島易断の評価だけでなく、中国やアジアでどのように評価されているかを知るとさらに深く周易を学ぶことができることでしょう。