時宗清瀧山浄光院萬福寺/島根県益田市東町 | 沸点36℃

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他愛のない日常と歴史散策、主観

2017年11月5日散策/時宗清瀧山浄光院萬福寺


益田氏の居館だった三宅御土居跡を見た後、今度は雪舟ゆかりのお寺へと行ってみたよ

ここは雪舟庭園がある時宗益田道場・清瀧山浄光院萬福寺…長っっっ

あ、そうなんだ
雪舟ゆかりのあるお寺は、みな、臨済宗かと思っていたわ汗


寺伝によると、萬福寺は平安時代に建立され、天台宗安福寺として益田川河口付近にあったのを、万寿3年(1026)に津波で流されちゃって小庵だったのを、元応9年(1319)に遊行4代呑海上人が下向入寺された時に、時宗の道場になったんだそうよ

呑海って相模国俣野氏の子孫???
そういや、時宗って…盆踊り???ブッ


応安7年(1374)益田11代兼見がこの地に移築して萬福寺と改称し、寺領31石与えて益田家の菩提寺にと定めたのね

本堂は解体修復はされているものの、明治37年に国の重要文化財に指定されている


禅僧で絵を学んでいた雪舟は、明国と交渉を重ねていた周防国の大名大内教弘を頼って、大内氏領下の雲谷庵に身を置き、中国へ渡り絵を学んでいる

大内氏の重臣陶氏と益田氏は姻戚関係もあって、大内氏とも親密だったのね
帰国した雪舟は、文明11年(1479)兼堯から益田へ招かれて「益田兼堯像図」「山寺図」「花鳥図屏風」を描き、萬福寺及び近くの崇観寺(医光寺)にも山水庭を築いたんだって

楽しみぃ~~~❤


さっき美術館で見たばかりなのに、ここのお寺さんも沢山の重要文化財があるのよ

国重要文化財の「二河白道図」とか「益田兼堯像図」もそうだし、襖絵の「絵本墨画楼閣山水図」や阿弥陀如来立像なんかの寺宝の数々も素晴らしいんだけど、


わたし、これ、好きぃ(*'∀`*)vおんぷ
千手観音菩薩像、平安時代のもの

え?千手???


ところ狭しと展示されていて、でも突如現れたコレには少々びっくり


半分焼けた制札
慶応2年(1866)の石州口の戦いで、だよブッ

きっと、激しかったんだね汗


雪舟庭園

雪舟によって造られた、寺院様式の須弥山世界(仏教の世界観)を象徴した石庭なんですって

正直いうと雪舟の庭園の良さって…わたし、あんまよくわかんないや汗(´゚艸゚)∴ブッ

ところでなんで雪舟って、お庭造りされるんだろうね
当時の禅宗のお坊さんたちが、修行に水墨画を取り入れていたのは知っているけど


板絵「竜虎鷹鍾馗図」
江戸時代のものらしいわ
庫裏の杉板戸なんだって、力作だよねキラキラ


おお、ここへ来ると気持ちがピシッとするね

すると、オッパが発見あっっあっっあっっ


うぉぉ―――――これは汗汗汗
幕府の四境戦争(幕府側だと第2次長州征伐という)石州口の戦いの時の

長州軍が打った弾痕
ブ━.;:;:(゚ε;:(´゚;:.3.;:゚`);:з゚);:;:.━ッ!!

ここ萬福寺は浜田藩が陣取っていて、そこへ村田蔵六…大村益次郎ね、が率いる長州軍が攻めてるのよね

それでここの総門は焼けちゃったんだけど、幸いにも本堂や庫裏は無事だった、ってわけね

わたし、あんまりこうゆうのは他で見ていないんだけど、唯一あるとしたら、東京寛永寺の旧本坊表門の上野戦争時の弾痕くらいかな
あの穴は大きかったなぁ……きっと指示したのは大村益次郎だよねがびょーん


わたし、駕籠ってナマで見るの初めて!!
江戸時代の朱網代駕籠と、黒塗菊・桐紋の挟箱


滝見観音図などの掛軸があちらにも、こちらにも掲げてあって


桜町天皇御綸旨と仁孝天皇御綸旨


Σ(゚□゚(゚□゚*)ナニーッ!!

この髑髏は、万寿3年(1026)津波で溺死した人のものなんですって
25歳くらいの女性と7~8歳くらいの子供のだって

和尚さんの夢枕に立ったんだそうよ

・・・・・Σ( ̄⊥ ̄lll)・・・・・


ぺこぺこり


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