三宅御土居跡/島根県益田市三宅町 | 沸点36℃

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他愛のない日常と歴史散策、主観

2017年11月5日散策/三宅御土居跡


美術館から戻るような形で、益田川沿いを自転車で走らせ、三宅町方面へ自転車

途中「あら古い学校みたいな建物がある~」と思ったら、歴史民族資料館だったよ


この建物、大正10年(1921)に美濃郡役所として建てられたんですって

その後は益田警察署、えっ👀⁉


それから益田総合事務所を経て、昭和58年に益田市立歴史民俗資料館として開館させたのね

古いけど、立派な建物ね
と、思ったら、国の登録文化財に指定されているみたいだよキラキラ


お庭には樹齢120年のニセアカシア
この木が道路から見えて、ついつい敷地内に入ってしまったの
白いお花が綺麗なんだよね

ニセアカシアといえば、北原白秋の「この道」

この道はいつか來た道
ああ、さうだよ
あかしあの花が咲いてる

の、「あかしあ」はニセアカシアのことなんだそうよ
なるほど、「この道」の背景はきっと北海道

ああ、また話が脱線した


玄関前には、え?消防ポンプ車?
へぇ😃💡⤴

益田氏関連の史料も展示されているみたいだね
入ればよかったなぁ、次は必ず見ておこう


目の前の小学校
この辺りは、徳川夢声という…え?誰?弁士?の生誕地らしい

弁士ってなんだ?
そういや横溝正史の作品「悪魔の手毬唄」に活弁士が出ていたけど、あれと同じようなものなのかな


益田川の橋を渡って…あらあっっ大橋の欄干には丸に九枚笹…益田家の家紋
笹=竹の葉で、長寿・瑞祥・武威・節度・猛々しさの意味があるんですって

ここはちょうど七尾城通りといわれていて、七尾城下と益田家の居館三宅御土居を結ぶ重要な道筋だったのね


時代は違うけど、田畑修一郎という作家かな
この辺りの旅館の養子に入って住んでいたみたいだね

知らないんだけどさ汗
さっきの民族資料館、見ておけばよかったなぁ


三宅御土居跡
井戸が復元されてあったよ

ここは南北朝時代に11代益田兼見によって築造されたと云われる平地居館「三宅御土居跡」


関ヶ原の戦い後、20代元祥が須佐に移るまでお屋敷があったのと、地域支配のための役所としても使われた場所


発掘調査をされた時、堀の存在や館の規模や構造が、未だ全体の形が残っていることが確認されたんだそうよ


東西に高さ5mにおよぶ大規模な土塁もあるらしく、七尾城と合わせて益田氏の城館跡として国の史跡に認定されたんだってキラキラ


静かな住宅地にあるんだけど、発掘調査後に公園にしたのかな、おどい広場になっているわ

益田川も近く、きっと堀と川に守られていたんでしょうね
周辺は益田氏ゆかりのお寺やお墓もあるみたいだし、この町全体が中世の文化を色濃く残しているのね


ぺこぺこり


フライドチキン、どの部位が好き?

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