人は受け取るにふさわしいものを受け取る。

 

これは

 

存在の法則

 

宇宙の法則だ

 

 

あなたは自分が準備したものだけを受け取る。

 

 

受け取れなくても、

それは不公平ではなく、

 

むしろあなたの準備が欠けていたのだと

了解しておきなさい。

 

 

しかし私たちのマインドはいつも、

不当に扱われていると信じ込ませることで、

自分をなだめようとする。

 

 

私たちはいつも、

自分の価値に確固とした信念を持っていて、

存在に不平を言う。

 

 

私たちは常に、

自分自身の価値に見合ったものを受け取る。

 

 

価値と達成は、

同じ事柄をさすふたつの名前だ。

 

 

しかしマインドは多くを望むが、

ほんのわずかな努力しかしない。

 

 

期待と努力の間には大きな隔たりがある。

 

 

この隔たりはまったく自滅的だ。

 

これは大いに害になり得る。

 

 

このために、どこからか、

何かを手に入れようと望みながら、

私たちはあちらこちらをさまよう。

 

 

このような人が増えると、

彼らを利用しようという、

 

 

小賢しい人物が全面に出てくるのは確実だ。

 

 

彼は、人々が求めているものを

ただで与えようと持ちかける。

 

 

こうした人間は、ほとんど何も知らない。

彼はどこからか決まり文句を持ち出してきて

人々に働きかける。

 

 

その影響はそれほど深くないが、

どれでも害を及ぼしかねない。

 

 

ー Osho

 

 

 

慈善という名の他人を助けるという名目

* リンクをクリックするとosho.comへ移動します

 

ただで与えようとする者までもが

あちらこちらをさまよって

 

我もわれもとしゃしゃり出て、

あれでもない、これでもないと

試行錯誤しているのが

 

どうやら

 

今日のスピリチュアルと言われるものらしい。

 

 

それらの活動を「ライスワーク」になぞらえ

 

ライススピリチュアルワーク

 

とわたしは呼んでいる。

 

ライスワークより

害があるようにも思えることがあるのだが...

※ライスワーク「食べていく」ために携わる仕事のこと

 

 

多くを望んだマインドは

 

外側の世界で競争しはじめる。

 

 

 

The Mystic-path

Eternal-Soulが提供するセッション各種は

下記をご覧ください。

 

 

 

 

インド・瞑想の旅のご紹介

 OSHO生誕地でのセレブレーション

2022年12月6日(火)~12月18日(日)

※お問合せは下記瞑想センターへ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

神は人ではなくエネルギーだ。

 

 

これはエネルギーが、

個々人へはどんな配慮もしないことを意味する。

 

 

個々人に起こることは何であれ、

何の区別もなく起こる。

 

 

たとえば、川の土手に生えている木は、

流れゆく水の流れから養分を受け取る。

 

 

花を咲かせ、実を結び、

大きく強く成長するだろう。

 

 

だが、同じ流れでも、

そこに木が落ちてしまえば、

その速い流れに連れ去られてしまう。

 

 

しかし、川がその両方の木に何かをしたわけではない。

 

 

川は川辺の木の育成にも、

水の中の木を滅ぼすことにも、関心がない。

 

 

川はただ流れている

 

川は流れるエネルギーだ

 

それは人ではない

 

 

人々は相も変わらず、

神を一つの人格として見るという間違いをおかしている

 

 

神についてのあらゆる概念が、

あたかも人であるのは、そういうわけだ。

 

 

神はとても優しく

 

とても恵み深く

 

常に私たちを祝福してくれると人々はいう。

 

 

それは神に負わせた期待と欲望だ。

 

 

しかし、人になら、期待を押し付けても、

もしそれが果たせなければ、

責任を負わせられるだろう。

 

だが、エネルギーにそんなことはできない。

 

だから、

エネルギーを人格であるかのように扱おうものなら、

道からそれてしまうだろう。

 

 

そうすると、夢に迷い込んでしまうからだ。

 

 

もしエネルギーとして扱えば、

結果は全く異なるだろう。

 

 

.........................

 

聖なるエネルギーが

 

祝福と恩寵になるようにと望むのなら、

自分自身に対して何かをしなければならない。

 

 

ー Osho

 

 

The Mstic-path

エネルギーワークは下記サイトをご覧ください。

 

 

 

インド・瞑想の旅のご紹介

 OSHO生誕地でのセレブレーション

2022年12月6日(火)~12月18日(日)

※お問合せは下記瞑想センターへ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ただひとつのエネルギーだけでは、

決して爆発は起こらない。

 

爆発とは、

ふたつのエネルギーの合一だ。

 

もし爆発がひとつのエネルギーで可能なら、

とうの昔に起っていただろう。

 

それはちょうどマッチ箱を持っていて

その近くにマッチ棒を置くようなものだ。

 

それがずっとそう置かれたままならば、

何の炎も現れないだろう。

 

その二つの間の距離がいくら近かろうと 

 --5ミリだろうが、2.5ミリだろうが同じだ。

 

何も起こりはしない。

 

爆発には、二つのものの衝突が必要だ。

 

そうして初めて、

あなたに火がつく。

 

双方の内側には炎が隠されている。

 

しかしそれは、

ふたつのうちの一方だけでは生み出せないものだ。

 

爆発は、ふたつのエネルギーの出会いによって起こる。

 

個々人の内側に眠っているエネルギーは、

サハスラーラに上昇しなければいけない。

 

そうして初めて合一が、爆発が可能になる。

 

サハスラーラ以外のところでは、

どんな合一も不可能だ。

 

※「サハスラーラ」は第7チャクラやクラウンチャクラとも呼ばれ、身体にある7つのエネルギーセンターの7番目

 

 

それはちょうど、

太陽が外で光り輝いているのに

扉が閉まっているようなものだ。

 

光は扉の外にある。

 

 

あなたが扉まで近づいていこうとも、

家の中であれば、太陽の光に出会うことはない。

 

 

ドアが空いてこそ、

初めて太陽の光と出会うことができる。

 

 

OSHO

 

 

神秘の合一 

 

ユニオ・ミスティカ 

 

 

まず一人で行う

 

最初のステップ

 

それは容易でないかもしれない...

 

それは時間を必要とするかもしれない...

 

それは忍耐の連続で骨が折れるかもしれない...

 

 

一つのことが終われば

 

また次へと移り変わり、

 

それはいつ終わりを告げるのかも分からない。

 

 

いたたまれず目を逸らし

 

偽りの自己を演じると

 

また、同じところへ振り戻される。

 

 

その最初のステップとは...

 

 

下記をご覧ください。

 

 

「宇宙の巨大なハーモニー、

大いなる音楽そこに解釈がないとき、

すべてのものが美しく、ただくつろいでいる。」

※クリックすると外部サイトへ移動します。

 

 

 

 インド・瞑想の旅のご紹介

 OSHO生誕地でのセレブレーション

2022年12月6日(火)~12月18日(日)

※お問合せは下記瞑想センターへ

 

 

 

◎カウンセリング 

パーソナルリーディングセッション

↓No.3をご覧ください

 

 

 

 

 

 

 

どの子供も、持ちうる限り多くの愛とともに、

 

持ちうる以上の愛とともに生まれる。

 

子供は愛として生まれる。

子供は愛という原料で作られている。

 

しかしその親たちは愛を与えることができない。

 

そこには敬意がないし、愛もない。

 

親たちは愛とは何かを知らない。

 

母親は夫を愛したことがないし、

夫は妻を愛したことがない。

 

→こちらの記事も参考ください。

 

愛はそこには存在しない。

 

そこには

支配、所有欲、嫉妬

 

そしてあらゆる種類の毒があり、

 

それが愛を破壊する。

 

愛はとても壊れやすい花だ。

それは守られなければならない。

 

水を与えられなければならない。

その時だけ愛は強くなる。

 

子供の愛はとても壊れやすい。

 

一人で放っておかれた子供が

生存できると思うかね?

 

子供が一人で放っておかれたら、

生きるのは不可能に近い。

 

その子は死んでしまうだろう。

 

そしてそれが愛に起っていることだ。

愛は放っておかれている。

 

親たちは愛することができない。

 

そしていいかね。

 

私は彼らに責任があると言っているのではない。

彼らは、あなたが被害者であるように、被害者だ。

 

彼らの親たちも同じだった。

 

 

ー Osho

 

 

夫婦やカップルの親密な出来事を題材にすれば、

商業的には爆発的に売上げが伸び、大ヒットとなり得えますが、

 

他人の事情を覗き見、知りたいという欲求不満な人、

How to ○○、他人の寝室事情に興味を持ち、一から十まで他の経験を見聞きして参考にしなければいけない大人が多いことに驚かされます。

 

そして、それらをさらに助長させ、ビジネスに利用する人がいることも確かなこと。

 

勝気さあまりに「暴走する欲望」は行き着くところまで行かなければならず、相当な頭打ちに会わなければ、他者からの客観的意見やアドバイスに耳も傾けることも、立ち止まることもできません。

 

利益追求や競争に打ち勝つために私生活を暴露風に仕立て、利用するのは大人の自由ではあるものの、

 

はたして、そこに子供がいる場合に、彼らにどのような影響を及ぼすことになるのでしょうか?

 

 

本日は『家族』をテーマにしたセラピーのひとつを

本家サイトにご紹介しました。

↓下記リンクからご覧ください

 

 

 

 

 

 

個人セッションはこちら↓のNo.3をご覧ください。

 

 

 

 

愛は人を無欲にすると私が言ったら、

あなたは驚くかもしれない。

 

欲望は、もし自分にこれがあったら

きっと満足するだろうと考えて欲する。

 

だが欲望とは不満から生まれるものだ。

 

二つの中心が出会い、溶け合う時には、

ある新しい錬金術的な質が生まれる。

 

そこには充足感がある。

 

それはあたかも<実在>全体がストップして

動きが一切なくなったかのようだ。

 

そうなったら現在の瞬間が唯一の瞬間になる。

 

存在の新しい質だ

 

存在のこの質は言う

 

<神>は在る ーーと。

 

<神>は論議ではなく、ある充足

 

充足を感じとる感覚(フィーリング)のことだ。

 

 

愛をサダナ(修行)にしなさい

 

 

ー Osho

 

 

 

ある日の朝

 

眠りから目覚めでる

 

そのぼんやりとしたまどろみの中でやってきた言葉。

 

 

『サダナ(修行)にしなさい』

 

いつか何かの書籍で読んだフレーズだろうと、

やり過ごしたかった。

 

しかし...

それはぼんやり頭に浮かんでいた

『こと』に間髪入れずで、

 

『そのこと』を指しているのだろう。

 

そう... 

 

それらのガイダンスの大半はマインドには

不都合なことが教示される。

 

それは進もうとする反対のことがよくある

 

マインドには不都合でも

何かを手放す必要があれば

 

それらをハートで受け止め、

その聖なる導きに従ってみる。

 

そうしなければ見えてこない景色がある

 

 

**********

 

 

OSHOが提唱するZorba the Budda

ゾルバ・ザ・ブッダ

 

愛と覚醒

 

映画「その男ゾルバ」に称される

踊り・愛とブッダの目覚め

 

ー 半分でしかない人間が全体的にはなり得ない。

神聖さとは全体的である ー

 

どちらか一方、もしくはどちらも

少しずつかじって一生を終えられるのであれば、

それでも良かったのだが...

 

どうもそのような訳にはいかないらしい。

 

 

ゾルバ (流行りのワクワクもそう)だけでは人生に深みがないことを

今ではにわかに理解している。



その反対もしかり。

 

 

 

↓こちらの過去記事もどうぞ

1・2番目であればサダナは特に必要ないのだろうか?

 

 

 

 

 

 

オンラインシェア会は

↓こちらのNo.2をご覧ください。

 

 

.............

 

弟子と師(マスター)は大きな闘いの中にある。

 

大いなる闘争が続く。

弟子が不運なときにのみ、弟子の勝利はあり得る。

 

師が勝利するとすれば、弟子が祝福されている、

非常に幸運ということだ。

 

闘いが起こるのは、

弟子が誤った動機で師のところに来ているからだ。

 

 

おそらく、自我が何らかの霊性を求めたから

やって来たのだろう。

 

弟子は人生の落伍者となった。

 

お金、権力、特権、尊敬、経済的成功、政界での野望

 

その世界で弟子は失敗した

 

利己的な旅の頂上を極めることができなかった。

 

大統領や首相になれなかった。

もはや生はその手から走り去っているのだが、

弟子はひとかどの人物になりたがっている。

 

無名の人でいるのは、

極めて、極めて不愉快なことだ。

 

最後に人々は宗教的なものを捜し求める。

 

そちらの方が簡単そうだ。

 

ある種の自我へ到達するにも、

ある形の自我を具現するにも、

そちらの方が簡単そうだ。

 

何はともあれ、和尚のサニヤシンにはなれる、いとも簡単に。

※サニヤシン:弟子(他の聖者の弟子でも同じこと)

 

そして、 すばらしい気分、

特別な存在になった気になれる。

 

 

宗教的と言われる人々は、

俗世でできなかったことを実現しようとする。

 

ーー ときには難行苦行によって。

何日も続けて断食をする者、その人は特別な存在となる。

そんなに断食できる者などいやしない。

 

マゾヒストなのだろう。

そうに決まっている。

 

自殺的なのだろう。

そうに決まっている。

 

ところが、その人は、

人々に偉大な大聖(マハトマ)として尊敬されだす。

 

 

すごい断食をした、肉体に逆らった、安楽に抗した。

 

 

刺のベッドに横たわったり、何年も立っていたり、

砂漠で柱の上に何年も座っていたり

ー ただ、柱の上に座っているだけだが。

 

とても居心地が悪い。

眠れないし、休めもしない。

 

だが、人々を惹きつける。

 

突然苦行者は、極めて重要な人物となる。

なりたくてもなれなかった首相や大統領でさえ、

やってくるようになる。

 

 

これほど偉大な苦行者に祝福してもらえれば、

権力の世界でさらに上に行けると考えているからだ。

 

苦行者は、とても心地よい満足した気分になる。

今や、自我は絶頂に達した。

 

王や、首相や大統領までが会いにくる。

 

弟子は誤った動機でやってくる。

 

あるいは、ひどい混乱状態にあって、

何らかの平安を手に入れようとしてやってくる。

 

どうして平安を手にしたいのだろうか。

 

自分の野心をもっとうまく実現できるようにと望むからだ。

 

.............

 

 

本物の師に出会えば、

薬はない、万能薬はないと言うだろう。

 

また、心穏やかにしてやろう、健康にしてやろう、

ああしてやろう、こうしてやろう、

 

そうすれば俗世に戻ってもっとうまく望みを遂げられるだろう、などとは言わない。

 

違う

 

 

師は、野心のせいであなたは取り乱している

混乱しているという。

 

野心を落としなさい。

 

 

本物の師が請け負えるのは、

あなたの野心、

あなたの自我を取り去ること、

あなたを殺すことだけだ。

 

あなたは護ってもらおう、安心を手にしよう、

支えを見出そうとしてやって来た。

 

だが、本物の師とは、支えを次々に奪っていく人のことだ。

いつの日かあなたはぺしゃんこに潰れる。

 

そしてまさにその崩壊の中で、

灰から新たな存在が生まれ出る。

 

 

その新たな存在はあなたと無関係、

あなたと繋がりを持たないほどに新しい。

 

過去を持たない、未来も持たない、

 

今ここの純粋な存在でしかない。

 

 

 

Osho

 

 

社会のさまざまな分野で技術のマイスターとなるには、

長年の修行と自己研鑽が必要。

 

それでもマイスターの域に手が届かない人は山ほどいる。

 

社会でそれなりの地位に就くには、

長年の積み重ねと、

主観ではない客観的な能力と人格への承認が必要となる。

 

それも、望めば誰でもなれるものではない。

 

ところが・・

こと、スピリチュアル業界に関しては違う。

 

いとも簡単に誰でも名乗ればマスターにでも

覚醒者や解脱者など...

何にでもなれてしまう。

 

 

しかし・・

マスターと呼ばれる存在は局所的ではあり得ない。

 

広範な生の全体を知り、

あなたの全存在、その質、未来を決定づける存在である。

 

 

目に見えない世界だから...

どうせ証明はできないのだから...

みんな好きなことを言っているんだから...

と、侮ってはいけない。

 

そこを取り違えると、

あなたは大きな負債を負うことになる。

 

 

あなたが本当に求めているもの

それは一体、何なのか。

 

 

新メニュー追加しました!

No.3 ハートからのカウンセリング & 

直感によるパーソナルリーディングセッション

 

 

 

 

 

■ エネルギーワーク 無条件の愛

「祝福が降り注ぐ、純粋な愛のパワー」

頭で考える「無条件の愛」・「無償の愛」とは違うことが分かります。

※ここ↑に書いていることがチャネリングメッセージとしてやってくるようですが・・どことつながっているのかしら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

9月のオンラインシェア会

↓こちらのNo.2をご覧ください。

 

 

.............

 

 

理解すべきことが二、三ある

 

一つは、嘘とは非常に気持ちのいいものだということだ。

 

.... 特にその人が真実を知らないうちは。

 

誰かがあなたに「あなたを愛している」という。

 

彼は嘘をついているのかもしれない。

 

自分が嘘をついているとも知らずに、嘘をついているのかもしれない。

 

何しろ、同じことを何人にも言って来ているのだから。

 

彼には大したつもりはない。

 

だが聞くあなたにとっては、それはハートに触れる。

 

さて、真実を知るのは心乱れることかもしれない。

 

相手は嘘をついているのかもしれない。

彼は無意識に、衝動的に嘘をついているのかもしれない。

 

本当は一度も愛したことなどないのかもしれない。

 

どうもそれが、この世の状況のようだ。

 

人々は決して愛さない。

 

ただ、自分は愛していると信じているだけだ。

 

そうでなければ、これほどの惨めさはあり得ない。

 

愛があったら、こういう惨めさを全て取り除いたはずだ。

 

こちらの記事もどうぞ

 

 

二つ目は、嘘はお手軽だということだ。

 

求め、探し、長い巡礼を続ける必要はなくなる。

 

嘘なら発明することができる。

 

真理は発明できない。

 

真理は発見できるだけだ。

 

そして人々は普通、近道を選ぶ。

 

どうして大変な道を行くことがある?

 

そして嘘は近道に見える。

 

.... それ以上の近道など見つからない。

 

何時いかなる瞬間にも、どんな嘘でも発明できる。

 

だが、真理を発見するには

自分の命を賭けなければならない。

 

周りの虚偽の全構築物に反対しなければならない。

 

あなたは孤独な旅人にならなければならない。

 

真理というものが存在するのかどうかさえ確かではないのに。

 

それには途方もない勇気が必要だ。

 

嘘なら何も勇気などいらない。

 

どんな臆病者にもそれはできる。

 

あらゆる臆病者は現にそうしている。

 

美しい嘘を考え出し、でっちあげ、それを飾り、互いに贈り合っている。

 

いっときの間、それは幸せを与えているように見える。

 

だが、嘘は所詮、嘘に過ぎない。

直ぐにそれは死んだ玩具なのだとわかる。

 

あなたは騙されていた。

それゆえの惨めさだ。

 

だが、それでも人々は根本原因を見ない。

 

彼らは「この男が騙したんだ、この女が騙したんだ」と考える。

それはこの男とか、この女とかいった問題ではない。

 

社会全体が、虚偽が生活様式になるようなやり方で生を営んでいるということだ。

 

上手な嘘をつけばつくほど、

自分の嘘を論理的に見せることができればできるほど、

 

その人はそれだけ尊敬されることになる。

 

虚偽が尊敬を、褒美を、ノーベル賞をもたらす。

 

真理は死を、磔をもたらす。

 

だとしたら、どうして真理のことなど気にかけることがある?

 

イエスならラビとして申し分なく、たくさんの信者を従えた立派な人として受け入れられたに違いない。

* ラビ:ユダヤ人が宗教的指導者に対して用いる敬称

 

彼を磔にする必要などなかっただろう。

 

だが、何世紀にもわたって続いてきた虚偽に対立することを言い始めて、彼は自ら磔を呼んだのだ。

 

だから、嘘には何かがある。

 

だからこそ、人々はわかっていながら嘘をつき続ける。

 

 

 

Osho

 

 

孤独な旅人になり真理を求めようとする人たちと

 

お手軽に嘘を織り混ぜながら、

表面的に出来上がったものから後戻りできない人たち。

 

真理を求めたところで、

それはいつ、どのような形で手にできるか分からない。

 

形として確かなものが早く欲しい...

 

そもそも、前者と後者は行き先違いの船に乗ったのだが、

後者は同じ船に乗っていると思っているのかもしれない。

 

だから、つながるネットワーク範囲が違うのだが...

※ちなみに海上では衛星通信を利用していて最大2〜10Mbpsの通信速度

 

 

さらに航海は続くが

どちらが「ノアの方舟」となるのか・・

それはわからない。

 

これが今のスピリチュアル業界で起こっている、

いわゆる二極化と言われる所以 (ゆえん)

 

 

ちなみに...

 

「私の言っていることは本当だから信じて欲しい」

なんて...

短絡的でとても怪しくないでしょうか。

 

 

■ 新メニュー追加しました!

No3. ハートからのカウンセリング & 

直感によるパーソナルリーディングセッション

 

 

 

 

■ エネルギーワーク 無条件の愛

「祝福が降り注ぐ、純粋な愛のパワー」

 

頭で考える「無条件の愛」・「無償の愛」とは違うことが分かります。

※どうやら…ここ↑に書いていることがチャネリングメッセージとしてやってくるようですが・・またぁ〜?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一度に一人だ

 

一度に二人の女性を愛したとすれば、

それはどういうことだろうか。

 

分裂した人格の持ち主だということだ。

 

精神分裂症

 

あなたは一人ではない、二人だ。

 

 

一度に三人の女性を愛したら、あなたは三人だ。

 

また、どんな女性にでも、

会えば恋をしてしまう人々がいる。

 

誰が通り過ぎても、突然好きになる。

 

すべての女性が恋の対象だ。

 

その人たちは群衆だ。

 

同時に何人に恋をするかで、

自分の中に住んでいる人の数が数えられる。

 

それは、自分の中に何人住んでいるかを数えられる

非常にすばらしい方法

 

非常に手軽な目安だ。

 

だが、一人の女性に恋をすると、

あなたはまとまり調和していく。

 

あなたは全体になる。

 

葛藤がないので正気になる。

 

聞いた話だが.....

 

花嫁と花婿がホテルのエレベーターに乗り込んだ。

 

するとかわいいエレベーターガールが、花婿に向かって

「ハ〜イ、ダーリン」と言った。

 

カップルが目的の階へ降りるまで、

他に言葉は交わさなかった。

 

エレベーターを降りたとき、花嫁が叫んだ

 

 「誰なの? あの女」

 

とても気まずそうに花婿は言った。

「何にも聞かないで。明日、あの娘に君のことを説明しなきゃいけなくなって、大変なんだから」

 

二人の女性を愛することさえ危険だというのに

 

二人の師を愛することは、

その百万倍も危険だ。

 

なぜなら、女性への愛は肉体の愛に過ぎないだろうし、

その分裂は肉体的なものに限られるからだ。

 

あるいはせいぜいマインドの愛だろうから、

マインドの分裂に留まる。

 

ところが師への愛は魂の愛だ。

 

二人の師を愛すれば魂は分裂し、

完全に統一性を失うだろう。

 

あなたはばらばらになり、

まとまっていられなくなる。

 

あなたは姿、形、まとまりをすっかり失う。

 

だが、統合を達成するためにこそ

 

師の許にいるのだ。

 

いったん、一人の師を愛したら、

その師の許に留まりなさい。

 

その人に幻滅しても留まれと言っているのではない。

 

幻滅したら、もうその人はあなたの師ではない。

そのときには、そこにいても仕方がない。

 

別の師を探しなさい。

 

だが、決して心の中に同時に二人の師を置いてはならない。

 

どちらかはっきりさせなくてはならない。

 

これは普通の決断ではなく、極めて重要な決断だからだ。

 

それはあなたの全存在

その質、未来を決定づける。

 

 

 

Osho

 

 

.............

 

精神分裂症

何を言っているのかよく分からない人たちがいる

 

滅多に起こらない「魂の出会い」をし、

「魂の愛」を感じたはずだが...

 

同じような異性が何人も出現する。

 

魂を揺さぶられる出会いは

そう滅多にあることではないはずだけれど ...

 

一人の人や現実と向き合うことには骨が折れる。

 

二人も三人も同様の人を相手にできるのは

とてつもなくタフな人なのだろう。。

 

単なる男女の出会いを

何か流行りの形に当てはめてラベルを付け

恋愛(夢)ドラマ仕立てにすると

 

大衆の興味を惹きつけることは間違いない。

 

 

 

新メニュー追加しました!

3. ハートからのカウンセリング & 

直感によるパーソナルリーディングセッション

 

 

 

 

 

■ エネルギーワーク 無条件の愛

「祝福が降り注ぐ、純粋な愛のパワー」

 

頭で考える「無条件の愛」・「無償の愛」とは違うことが分かります。

※どうやら…ここ↑に書いていることがチャネリングメッセージとしてやってくるようですが・・またぁ〜?

 

 

 

 

 

 

9月のオンラインシェア会 更新!

※9/11→9/18.Sunに変更しました!

↓こちらNo.2をご覧ください

 

 

 

.............

 

二、三言っておきたいことがある。

 

まず、あなたの生はあなたの生であるということ。

 

それは他の誰のものでもない。

 

だから、自分を他人に支配させてはならない。

 

それは生への裏切りだ。

 

両親、社会、政治家、聖職者、誰であれ他人の支配を許せば、あなたは生き損なう。

 

生は内にあるが、支配は外からくるからだ。

 

それらは絶対に出会わない。

 

いちいち、何にでもノーと言うようになれと言っているのではない。

 

そういうのも余り意味がない。

 

人間には二つのタイプがある。

 

一つは従順で何にでも誰にでも服従しようとするタイプ。

 

彼らには自立した精神が全くない。

 

未熟で子供っぽく、父親的人物、何をすべきかすべきでないか言ってくれる人をいつも捜している。

 

自己の実存を信頼できない人たちだが、そういう人は世の中の多数を占める

 

... 大衆だ。

 

それから、そうした他人とは反対に、社会や社会的価値を拒絶する少数派がいる。

 

彼らは自分たちを反逆者だと思っている。

 

だが、そうではない、ただの反対者に過ぎない。

 

というのも、従うにしろ逆らうにしろ、

 

社会が支配的なものとしてあり続けているならば、

 

社会に支配されていることに変わりはないからだ。

 

.............

 

 

本当の反逆者というのは、社会に反対も賛成もせず、

 

ただ自分の理解に基づいて生きていく人のことだ。

 

社会に反しようが反するまいが構わない。

 

それはどうでもいい。

 

時には社会に同調することもあるだろう。

 

時には反することもあるだろう。

 

だが、それは考える必要のないこと。

 

反逆者は自分の理解、自分の小さな明かりに従って生きる。

 

非常に自己中心になっていく、と言っているのではない。

 

違う

 

反逆者はとても謙虚で、自分の明かりがとても小さいことを知っている。

 

しかし、その明かりしかないのだ。

 

頑固ではない

 

とても謙虚だ

 

反逆者はいう

 

「私は間違っているかもしれない。でも、自分に従って間違うことを許して欲しい。」と。

 

それが学ぶための唯一の方法だ。

 

いつも命令する人のことを伺っているなら、従っても従わなくても変わりはない。

 

命令する人を伺っているなら、

従おうと決心しようが従うまいと決心しようが、

 

あなたはあなたの生を絶対に知り得ない。

 

生は、生きられなければならない。

 

自分の小さな明かりに従わなければならない。

 

何をすべきか、常にそれが明らかなわけではない。

 

あなたは非常に混乱している。

 

そのままにしておきなさい。

 

だが、混乱から脱する道を捜しだすように、人のいうことを聞くのは、とても安直だし値打ちもない。

 

人は死んだ決まり文句が言える。

 

こうしろ、あれをしてはだめ、とあなたに指図する

 

... しかも確信を持って。

 

確かさを追求すべきではない、理解しようとすべきだ。

 

確かさを追求し出せば、なにがしかの罠にはまる。

 

確かさを求めるのではなく、理解しようとしなさい。

 

確かさは簡単に手に入る。

 

そんなものは誰にだって与えられる。

 

だが、結局あなたは失うだろう。

 

ただ、安全でいたいがために、

 

あなたはあなたの生を失うことになる。

 

生は確かではない、安全ではない。

 

生は危険だ。

 

刻一刻と、更なる危険の中に入っていく。

 

それはギャンブルだ。

 

何が起こるのか、人には決して分からない。

 

だが、分からないのはすばらしいことだ。

 

予測のつくものなら、生は生きるに値しないものだろう。

 

すべてが望み通りで、全てが確かだとしたら、あなたは人間ではなく機械だろう。

 

全てが安全で確かなのは機械だけだ。

 

人間は自由に生きている。

 

自由には危険と不確かさが欠かせない。

 

真に知的な人間は、いつもためらっているものだ。

 

なぜなら、頼るべきドグマ(教義)など一切持たないからだ。

 

そういう人は事態を見つめ、

 

それに呼応していかねばならない。

 

 

Osho

 

 

経済的自立に関することは

↓ こちら

 

 

 

本当の自分に還るために、

 

これをしなければいけない。

あれをしなければいけない。

 

ということはありません。

 

もっともっと、と目の色を変え、

懸命になっている人は

 

夢のせいで、現実は手付かずのまま・・

 

何かが違うことに気がつかない。

 

その「何か」は、

 

「生を別の方向」へ向けて知ること。

 

.............

 

■ エネルギーワーク 無条件の愛

「祝福が降り注ぐ、純粋な愛のパワー」

 

頭で考える「無条件の愛」・「無償の愛」

とは違うことが分かります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

男性が本当に男らしく在るためには、

冒険心を持ち、

創造的になり、

人生で可能なかぎりの多くのことを主導で進めていくことだ。

 

女性が本当に女性らしく在るためには、

男性の背後でエネルギーの貯水池にならなければならない。

 

その冒険心が、

できる限り多くのエネルギーを持てるように。

 

エネルギーが必要なのは、

 

冒険心が何らかのインスピレーションを持つため、

冒険心が何らかの詩を持つため、

冒険心に満ちた魂が女性の中にくつろぎ、

生命力で満たされ、

若返るためだ。

 

一緒になってポジティブに進んでいく男性と女性は、

ひとつの全体だ。

 

本当のカップルは ー

 

本当のカップルはごくわずかしかいない。

 

お互いが、相手とポジティブに結びついている。

 

99%のカップルは、ネガティブな形で結びついている。

 

世界にこれほどの惨めさがあるのはそのためだ。

 

 

繰り返そう ー

 

男性は男らしく、

女性は女らしくあるべきだが、

ポジティブな形でそうあるべきだ。

 

そうなれば共にあることは瞑想になり、

共にあることは本当に素晴らしい冒険になる。

 

共に在ることは日々、

新たな驚きをもたらす。

 

その時、生はこれらの二つの極の間のダンスになる。

 

彼らはお互いに助け合い、お互いを育む。

 

 

↓こちらの過去記事もどうぞ

 

 

それからもうひとつ、

 

もし単に男性と女性の外面的な出会いにすぎないなら、

それほどの重要性はなかっただろう。

 

それはまた、

それぞれの男性と女性の存在の深いところでの出会いでもある。

 

なぜなら、

男はみな内側では女でもあるし、

女はみな内側では男でもあるからだ。

外側で相手と出会って溶け合うことは、

 

本当はこの内なる出会いを準備するための練習、実験にすぎない。

 

..............

 

だが、この内なる出会いを起こらせることは、最初のうちは難しい。

 

内なるものは目に見えないからだ。

 

まず最初は、目に見えるところから練習しなくてはならない。

 

外側の男性と出会いなさい、

外側の女性と出会いなさい。

 

この出会いとはどんなものなのか、

その体験をいくらかは得られるように。

 

そうすれば、実にゆっくりと、

あなたは内側を探して同じ極性を見つけられるようになる。

 

内側の男性と女性が出会う日、

その日は大いなる祝祭の日になる

 

ー あなたにとってだけでなく全存在にとっての。

 

一人の人が再び戻ってきたのだ。

無数の数えられないほどの存在の中から、

ただ一人の人が到着した。

 

.............

 

しかし最初の練習は、

外側でなされなければならない。

 

覚えておきなさい。

 

外側の世界で女性を知らない限り、

 

彼女のすべての豊かさを、

彼女のすべての甘さと苦さを知らない限り、

 

そして外側の男性を知らない限り、

彼のすべての美しさとすべての醜さをを知らない限り、

 

あなたは内なる次元に動いていくことはできない。

 

あなたは陰と陽

 

シヴァとシャクティが内側で出会うのを許すことはできない。

 

そしてこの出会いは全く持って重要だ。

 

究極的に重要なものだ。

 

なぜなら、唯一その出会いをもって、

 

あなたは神になるからだ。

 

それ以前では決してない。

 

- Osho -

 

 

対極にいる女が持つエネルギーのプールから

しっかりとインスピレーションを汲み取り、

 

ダイナミック、かつポジティブに

そのエネルギーを使い、

この地球に沿った形で、次から次へと

現実世界の社会に具現化してゆく男

 

その男のエネルギーの源であること、

 

女の持つエネルギーに敏感に呼応し、

ただ受け取ってくれること、

 

その存在に喜びと感謝が溢れる。

 

まるで二つの極のエネルギーが

バトンタッチしながら、ダンスするかのように...

 

 

外側に現れる男女(の関係性)を、

ある種の魔力で動かそうとすること自体、表面的なこと。

 

外側の男性、女性に出会う経験は、

自分の内側の世界、

内奥へ向かうために用意されたもの。

 

その出会いの神聖さに感嘆しつつ、

ときに、打ちのめされながらも

自分の内側を探すきっかけとなるもの。

 

それは、他者が魔力的な力で介入して

どうこうできるものではありません。

 

 

 

■ オンラインシェア会

2. SECRET MEETING * women's secret

 

開催日時:2022年9月11日(日) 20:00〜

詳細は下記サイトにて

 

 

 

■ エネルギーワーク

無条件の愛

「祝福が降り注ぐ、純粋な愛のパワー」

 

頭で考える「無条件の愛」・「無償の愛」

とは違うことが分かります。