沈黙を学びなさい。

 

 

そして少なくとも

友だちや恋人や家族

そしてここにいる旅の仲間達とともに

 

 

時には沈黙の内に座りなさい。

 

 

ゴシップを続けたり

話し続けるのをやめてごらん。

 

 

話すことを止める

— それは外側のお喋りだけでなく

 

内側のお喋りもだ

 

 

言葉のとぎれた、その狭間にいなさい。

 

 

ただ坐り、何もせず

互いのためにただそこにいること。

 

 

そうすればすぐに

通じあうための新しい方法が見つかるだろう

 

 

そして、それこそが正しい方法だ

 

 

時には沈黙によって通じあうこと

始めるがいい。

 

 

もし沈黙を体験したければ、

自分の完全な孤独の中に入っていかなければならない。

 

 

それはそこにある。

 

 

自分自身の孤独を喜ぶことが

瞑想とは何かのすべてだ。

 

 

 

ー Osho

 

 

 

独りあることは寂しさではない。

 

創られたどんな美しい言葉より、

 

「表現されない言葉」の方が雄弁

 

ー 恐怖と愛は共存することができない

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私たちはいつも、不幸であることを選んでいるのではないでしょうか? 

それが選んだことだと気づいていないのではないでしょうか?

 

 

これは人間のもっとも複雑な問題のひとつだ。

 

それはとても深く掘り下げられなければならないし

それは理論上のことではない

 

 

― それはあなたに関することだ

 

それはみんながやっていることだ…

 

つねに間違ったことを選んでいる

 

つねに悲しいこと

憂鬱なこと

惨めなことを選んでいる。

 

 

それには深い理由があるにちがいないし

たしかにある。

 

 

まず最初に

人間はどのように育てられるのか

それが決定的な役割を果たしている。

 

もしあなたが不幸だったら

そのことであなたは何かを手に入れる

 

かならず手に入れる。

 

もしあなたが幸せだったら

あなたはかならず失う。

 

 

まさに最初から

気がつく子どもは違いを感じはじめる。

 

 

自分が幸せでなければ

いつでもみんなが思いやってくれる

同情が得られる。

 

 

誰もが愛情を注いでくれる

愛が得られる。

 

 

そして、それだけではない

幸せでないときはいつも

誰もが気づかってくれる

 

 

彼は注目を集める。

 

 

注目されることは

エゴにとって食べ物のような働きをする。

 

アルコールにそっくりの刺激だ。

 

それがあなたにエネルギーを与える。

 

自分は大したものだ、とあなたは感じる。

 

 

注目を集める必要性がこれほど大きいのは

欲望がこれほど強いのは、そのためだ。

 

 

 

ー Osho

 

 

 

私はアルコールなんて摂らないし

 

いつも幸せを選んでいる

 

不幸であることを

この私が選ぶはずがない!と。

 

 

しかし...

 

 

あの手この手で

人の注目を集めたがるのは

 

なぜなのだろうか?

 

 

 

 

■ Eernal -Soul's New Work !!

新エネルギーワーク(シリーズ)が誕生しました。

 

エネルギーワーカーとしての基礎を整え

ハートの神秘なる神殿へと至る旅

 

ー この地球世界を肉体を持ちながら軽やかに生きる

サトルアナトミーワーク

 

下記No.2をご覧ください。

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なんの理由もなく、

突然自分が喜びでいっぱいになることを感じることは、

 

 

確固たる体験の大いなる徴(しるし)だ。

 

 

通常の生活では、

あなたが喜ぶのはなにか理由があるからだ。

 

 

美しい女性に会ってあなたは喜ぶ。

 

かねてから欲しがっていた金が手に入って

あなたは喜ぶ。

 

 

美しい庭つきの家を購入してあなたは喜ぶ。

 

 

.....しかし

 

このような喜びは長くつづきえない。

 

 

このような喜びははかなく、

一瞬しか持続しない。

 

それがずっとつづくことはありえない。

 

もし喜びがなんらかの原因で引き起こされたものなら、

それは消えざるをえない。

 

 

それははかなないものでしかありえない。

 

 

じきにそれは、

あなたを深い悲しみの内に残すだろう。

 

 

あらゆる喜びは、

あなたを深い悲しみの内に残す。

 

 

しかしながら、

確固たる体験の徴(しるし)となる

別の種類の喜びがある。

 

 

あなたは突然なんの理由もなく

喜びでいっぱいになる。

 

 

自分がなぜそうなったのかを

あなたは説明することができない。

 

 

もし誰かに

「どうしてあなたは喜んでいるのですか?」

と聞かれたら、

あなたは答えられない。

 

 

私はどうして自分が喜んでいるのかを答えられない。

 

 

理由はない。

 

 

それはたんにそうあるだけ。

 

 

このような喜びは妨げられない。

いまやなにが起ころうとも、それは持続する。

 

毎日、毎日、それはある。

 

 

あなたが若かろうが

年老いていようが、

 

 

元気だろうが

死にかけていようが

 

それはつねにある。

 

 

存続し続ける喜びを見出したとき、

状況がどう変わろうとも

永続する喜びを見出したとき、

 

 

あなたは確実に近づいている。

 

 

ー Osho

 

 

何に近づいているのか

 

その問いかけはあなたの内側へ...

 

 

 

どうして理由もなく自分が喜んでいるのか

 

どうにか言葉にするならば...

 

その「存在」を内側で感じるからなのか?

 

それさえも定かではない。

 

 

共に踊り

共に瞑想し、時を過ごしたなら

 

そのエッセンスの少しの芳香を感じることが

できるかもしれない。

 

 

 

■ Eernal -Soul's

New !! エネルギーワーク(シリーズ)

のご案内もあります。


肉体レベルの土台から整え、

しっかりグラウンディング(大地に根付き)しながら
より微細なエネルギーに気づき、

ハートの神秘なる神殿へと至る旅

 

ー この地球世界を肉体を持ちながら軽やかに生きる

サトルアナトミーワーク

 

2023年1月8日 (日) 19:45〜

 

下記No.2をご覧ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私は狂人だ。

だが、あなたはもっと狂っている!

 

 

そしてそれが、

私たちの唯一の絆だ。

 

私は狂人だし、

あなたはもっと狂っている

 

 

私は、人間の意識の進路そのものを変える

準備がある者にだけ、関心がある

 

 

私は、他の人の感情を害するだろう

 

 

私は、他の人を困らせるだろう

 

 

私は、他の人をいらだたせるだろう

 

 

私は、他の人の嫉妬を引き起こすだろう

 

 

それらは、私の方策の一部だ。

 

私は本当に、彼らの正体をあばいている。

 

 

彼らに少しでも知性があれば、

それを理解するだろう。

 

 

ー Osho

 

 

盲目で無意識なものを変容するには

知力が必要になると書きました。

 

>> こちら

 

ここでいう狂人とは...

あなたがたが「私は普通ではない。」

というところを指している。

 

たしかに...間違っていない

あなたがたが言う通り

 

普通ではない

狂人だ。

 

それらに自身の欲望を反映し

油を注いだ者もしかり。

 

好都合の餌場(情報元)が

明るみにされると、

(低次の自我の暗闇に光が当たると)

とたんに牙を剥きはじめるのだが...

 

 

狂人の場合、

本能は丸出しになっているのだから

わざわざ呼び覚まさなくてもよい。

 

 

戦うことが楽しければ、

作り笑いを浮かべながら

それらを究極まで楽しめばいい。

 

 

これまで必死にしがみ付いてきたことを

やめることは恐ろしく、

勇気がいるが、

 

 

自我の赴くままゆきたい者は

取りつくろうことなどせず、

 

それらに取り憑かれたまま

行き着くところまで行けばいい。

 

 

それはあなたがたの人生だし、

常にあなたの選択によるものだ。

 

 

■ Eternal-Soulが提供する

エネルギーワークは下記をご覧ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もうひとつ、あなたは聞いている。

 

 

「不適切な人が、恩寵を受け取ることはあり得るでしょうか?」と。

 

 

いや、恩寵が不適切な人に降りることは、

決してない。

 

 

恩寵への準備ができている人のもとに、

 

必ず降りる。

 

 

しかし、時にふさわしくない人が

突然必要条件を身につけ、

しかも本人がこれに気づかないことがある。

 

 

出来事とは常に、

 

正い条件のもとに起こる。

 

 

ちょうど、

光が目のある人だけに見えて、

盲目の人には見えないように。

 

 

仮に目が見えるようになる医学的治療後に

盲人が病院から出て来て、

 

太陽を直接見ようものなら、

目がひどく傷つけられてしまうだろう。

 

そういう人は一、二ヶ月間は、

色の濃い眼鏡をかけて待たねばならない。

 

 

受容性のない人が突然受容的になると、

事故が起こる。

 

 

その盲人の場合にしても、

太陽を責めることはできない。

 

その人は、太陽の光に耐えられるくらいに

目を強めなければならない。

 

でなければ完全に失明する危険がある。

 

元より患っていた盲目は治せても、

二度目の盲目の治療は難しいだろう。

 

これをよく理解しておきなさい。

 

 

経験とは、ふさわしい人にだけ訪れる。

 

 

だが、時にふさわしからぬ人が、

当人自身気づいていない事情から、

突然必要な条件を身に付けてしまうこともある。

 

そういう時には、決まって災いの恐れがある。

 

 

突然降りてくるエネルギーに対して、

耐えられる状態ではないからだ。

 

 

 

ーOsho

 

 

■ 恩寵への準備 #1は >>こちら

 

 

流れるネルギーに逆らい、

恩寵ならざるものを受け取る

 

よくも悪くも、それも

ふさわしい人のもとに降りるよう...

 

■ 永遠の法則  * 神はエネルギー は >> こちら

 

 

本能とは、

人間にもともと自然に備わり、

動物とも共有する

分別を持たない行動へと駆り立てる性質

 

 

盲目で無意識なものに気づきを持ち

それらを変容するには

 

知力が必要になる。

 

 

動物でも身の危険をもって

他の動物の領域を感知するが、

 

 

自分の利益のために

人の聖域へ

お構いなしに土足で立ち入る人間は、

 動物より劣るということになるのか...

 

 

宇宙やスピリチュアルという以前に

他に大切なことがあるのではないだろうか?

 

 

 

 

□ Eternal-Soulが提供する

各種パーソナルセッションは下記をご覧ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

身体が七つあるように、

チャクラ(エネルギー中枢)も七つある。

 

 

各チャクラにはそれぞれ対応する身体があり、

ある特殊なかたちで繋がっている。

 

 

肉体のチャクラはムラダーラだ。

 

 

これが第一のチャクラで、

肉体と不可分の繋がりがある。

 

 

このムラダーラ・チャクラには、

ふたつの機能がある。

 

 

ひとつは生まれつき備わっている

先天的なもので、

 

もうひとつは、

瞑想によって獲得できるものだ。

 

 

このチャクラに、

先天的に備わっている基本的な機能は、

 

肉体の性衝動だ。

 

 

 

探求者の心(マインド)に

真っ先に浮かんでくる問題は、

この中心となる機能へどう対処するかだ。

 

 

さて、このチャクラには

もうひとつ別の機能が眠っている。

 

 

それは瞑想によって達成される

ブラフマチャリア(性超越)だ。

 

 

セックスは先天的な機能だが、

それが変容されるとブラフマチャリアとなる。

 

 

マインドが性的欲望にのめりこみ、

それに引きつけられれば

引きつけられるほど、

 

 

ブラフマチャリアという

第一チャクラの究極の可能性が実現困難になる。

 

 

つまり、自然が与えてくれた条件を

二通りに使い得るということだ。

 

 

自然のままに生きていくか…..

 

だが、それでは霊的成長は始まらない…..

 

 

あるいは、その状態を変容するかだ。

 

 

変容の道を歩む時に、

ひとつだけ気をつける必要がある。

 

 

 

ーOsho

 

 

まず最初に...

 

好奇心と探求心には根本的な違いがあり、

 

好奇心いっぱいのマインドでは

探求心は芽生えない

 

>> こちらをどうぞ

 

 

つぎに...

 

肉体の性衝動をどのように扱い、

どのように究極の可能性へ開いていくかは

 

瞑想によるもの。

 

 

動物と同様に本能のまま生き、

ぐるぐると同じ段階をやり続けるのも

ひとつの選択。

 

そのほうが大衆受けはするが、

「覚醒」といわれるものからは

どうも、遠そうだ。

 

>> こちらの記事もどうぞ

 

 

 

□ Eternal-Soulが提供する

各種パーソナルセッションは下記をご覧ください。

 

 

 

 

 

□ エネルギーワーク「無条件の愛」

こちら↓

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

盗まれたマッチでも燃えるのですか?

 

 

ことはこういうことだ。

 

光を見たことのない者は、

光を見せるために燃やされた物について、

説いて聞かせることはできない。

 

 

実物の光を見て初めて、

何が何であったかを知るだろう。

 

 

火が灯っていたものについて、

知るだけでなく何かが本当に光っていたのか、

 

それとも光っていると想像させられて

いただけなのかをも、知ることだろう。

 

 

光が見えた瞬間に、

グルたちの九十九パーセントまでが闇の友であり、

※グルは、サンスクリット・パーリ語で

「師」「指導者」「教師」「尊敬すべき人物」などの意

 

 

光の敵であることが証明されるだろう。

 

 

そうなるまでは、

彼らがどれほど危険な敵であり、

 

 

闇の手先であるのか人々にはわからない。

 

 

ーOsho

 

 

自分のマッチではなく

人のマッチを方々から盗む人たちがいる。

 

 

盗むことに慣れてしまっているのだが、

その使い道を間違う。

 

マッチに灯された火は

人が闇から抜け出すのを

助けるためのものだが、

 

人を助けるよりも

自分達が助かりたいがために

いつまでも同じ段階に引き止め、

 成長を停滞させるために使われる。

 

しかし…

それも、そろそろ終盤に近づいている。

 

 

本当のスピリチュアルを

感覚的に知っている人たちは

早くからその闇に気がついている。

 

 

 

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各種パーソナルセッションは下記をご覧ください!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人の生の旅は何生にも及んでおり、

人はそれぞれの生で数多くのことをしてきた。

 

 

恩寵を受け取れそうな、

まさにその直前で死ぬ

ということも何度となくある。

 

 

この死とともに、

この生の全ての記憶もなくなる。

 

 

何生にも渡って自分自身に働きかけてきたため、

あなたたは成長の「九十九度」にまで

達しているかもしれない。

 

 

しかし死んでしまえば、

達成したものは全て忘れ去られてしまう

 

 

ーーだが、あなたの内なる成長の実存的な要素は、

次の生へと持ち越される。

 

 

隣に座っている人が、

過去生でたった「一度」しか

成長を遂げていなかったとしよう。

 

 

その人も、

そんなことなど全て忘れてしまっている。

 

 

あなたがたは共に瞑想しているが、

成長の段階は全く異なっている。

 

 

いま「一度」成長したとしても

もうひとりは成長の「二度」の段階に至るだけで、

恩寵が訪れることはない。

 

 

だが、「一度」の成長が加えられることで、

あなたは「百度」の地点へと至り、

突然恩寵が訪れるだろう。

 

 

これはあなたにとって突然の出来事となるだろう。

 

自分が「九十九度」にあるとは、

思いもよらないからだ。

 

こうして天国がまったく突然に、

あなたの中に舞い降りてくる。

 

 

だからしかるべき準備をしておくべきだ。

 

 

 

ー Osho

 

 

 

「一度」と「九十九度」は

極端な数値だが、とても分かりやすい。

 

「一度」が「七十七度」でもよいのだけれど...

 

 

今世で「二度」へ至ろうとする人と、

最後の「一度」で「百度」へ至ろうとする人は

 

全ての記憶がなくなり、

達成したものが全て忘れ去られたとしても

 

内なる成長の実存的な要素から

そのあり方、出会う人、

選択することが自ずと違ってくる。

 

その準備ができた日、

マスターが弟子を見出し、導く。

 

 

「一度」の人は「九十九度」の人と

違うと思いたくないが、「違う。」

 

 

だから「一度」の人は

「九十九度」の人に反感を持ってみたところで、

行き詰まると、言動を真似してみるしかない。

 

後付けで同じようなことを言い、

同じようなことをして

同じ地点にいる気分になりたいが...

 

 

「百度」へ至ろうとする人が、

「二度」へ至る人の真似をすることはない。

 

 

 

 

■ Eternal-Soulが提供する

パーソナルエネルギーワーク

 

 

 

 

■ インド・瞑想の旅のご紹介

 OSHO生誕地でのセレブレーション

2022年12月6日(火)~12月18日(日)

※お問合せは下記瞑想センターへ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私たちのマインドは好奇心でいっぱいだ

 

ーー しかしそれを覗き込むことはめったにない。

 

好奇心を超えて成長した人には、

探求心が芽生える。

 

覚えておきなさい。

 

好奇心と探求心には根本的な違いがある。

 

好奇心でいっぱいの人は、

決して探求はしない。

 

ーー 彼はただあらゆることに対する

好奇心でいっぱいで、

ひとつの物事の全容を見ない。

 

彼は他の十の事柄に注意をひかれ、

ひとつの物事を見られない。

 

となると、

彼は決して真実を見い出せない。

 

誤った手法についての私の話は完結していない。

 

これらの手法の重要な部分は、

意図的に伏せてきた。

 

そうする必要があったのだ。

 

なぜならマインドは、

それを試そうとする好奇心をそそらせるからだ。

 

こうした実験を行うのは簡単だ。

 

偽の探求者たちがパワーの探求、

神の探求へと向かうと、

彼らは偽のパワーを与えるものにも出会う。

 

 

それは盲人が盲人をリードするようなものだ。

 

 

盲人のリーダーというものは崩壊していく運命にあり、

その背後の長い盲人の列もまた同じ道を辿る。

 

そして害は一生涯だけでなく、何生にも及ぶ。

 

物事を壊すのは簡単だが、

元通りの戻すのはとても難しい。

 

だから、好奇心からこの件について

明らかにしようと試みてはいけない。

 

 

正い方向へと、自らを方向づけなさい。

 

そうすれば、

あなたに必要なことはあなたの途上に訪れる。

 

 

ーー きっと必ず

 

 

 

ー Osho

 

 

 

盲人とは...

 

古い価値観にいつまでもしがみつき

 

低次の自己が欲することから

離れられず、欲望に翻弄される人のこと。

 

 

恐れをベースに

「する」ことの病いにかかっている人のこと。

 

 

人生のターニングポイントを

活かせるかどうかは自分次第。

 

古い時代と同じ行動、

同じやり方、同じ思考回路

 

そのようにあれば、

眠り(目かくし状態)は避けられない。

 

 

 

 

■ Eternal-Soulが提供する

パーソナルエネルギーワーク

 

 

 

 

インド・瞑想の旅のご紹介

 OSHO生誕地でのセレブレーション

2022年12月6日(火)~12月18日(日)

※お問合せは下記瞑想センターへ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

永遠の法則 No.1は→ こちら

.............

 

たとえば引力だ。

 

この力があるおかげであなたは地上を歩ける。

 

 

が、この力は特に歩かせるためにあるのではない。

 

 

歩かなければ、引力は存在しなかっただろう、

などと間違って考えないように。

 

あなたがたが地上に存在する以前から

それはあったし、

いなくなった後もあるだろう。

 

そして変な歩き方をすれば

転んで足を折ることもある。

 

これも引力のためだが、

非難の的となる人格がないから、

誰も訴えられない。

 

引力とは流れているエネルギーだ。

 

もしそれと付き合っていきたければ

 

重力の作用の法則について

注意深くある必要がある。

 

でも重力の方が

どうやってあなたと付き合ったらよいか

 

などと考えることはまったくない。

 

 

神のエネルギーは、

誰かを配慮するために働くことはない。

 

 

実際、「神のエネルギー」

と呼ぶこと自体が適切ではない。

 

 

むしろ「神はエネルギーだ」

というべきだ。

 

 

神はあなたに、

どんなふうにふるまおうかなどとは考えない。

 

 

それにはそれ自身の永遠の法則があり、

 

この永遠の法則こそが、

宗教というものだ。

 

 

宗教とは、

神であるエネルギーの作用の法則だ。

 

 

もしあなたが、鋭い識別力、理解、協調から

このエネルギーに対すれば、

 

あなたにとっての恩寵となるだろう。

 

ーー エネルギー自体がそうなるのではなく

あなたゆえにだ。

 

もし反対のことをし、

 

ーーエネルギーの法則に逆らえば、

恩寵ならざるものを与えられるだろう。

 

 

こういう場合の神は,、

恵み深きものではなくなる。

 

 

それはあなた次第だ。

 

だから神を人のように見なすのは

 

間違いだということだ。

 

神は人ではなく、エネルギーだ。

 

そのため、祈りや礼拝はなんの意味もない。

 

神から何かを期待するのは無意味だ。

 

 

この聖なるエネルギーが

 

祝福と恩寵となるようにと望むのなら、

自分自身に対して何かをしなければならない。

 

だからこそ、

霊的(スピリチュアル)な修行には意味がある。

 

祈りにではない。

 

瞑想には意味がある。

 

礼拝にではない。

 

この違いを、はっきり理解しておきなさい。

 

 

ー Osho

 

 

流れるネルギーから養分を受け取り

大きく強く成長するのか、

 

それともエネルギーに逆らい

恩寵ならざるものを受け取るのか。

 

それは自分次第。


 

最速、最短、簡単、一瞬で...

 

昨今のライフスタイルと同じく、

コンビニエンス的に「霊的成長」を

手間いらずのように宣伝したがるのは

 

 

なぜなのか。

 

 

本当にそのように

簡単なものなのだろうか?

 

****************

 

Eternal-Soulが提供するセッションは

下記をご覧ください。

 

 

 

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