人の生の旅は何生にも及んでおり、
人はそれぞれの生で数多くのことをしてきた。
恩寵を受け取れそうな、
まさにその直前で死ぬ
ということも何度となくある。
この死とともに、
この生の全ての記憶もなくなる。
何生にも渡って自分自身に働きかけてきたため、
あなたたは成長の「九十九度」にまで
達しているかもしれない。
しかし死んでしまえば、
達成したものは全て忘れ去られてしまう
ーーだが、あなたの内なる成長の実存的な要素は、
次の生へと持ち越される。
隣に座っている人が、
過去生でたった「一度」しか
成長を遂げていなかったとしよう。
その人も、
そんなことなど全て忘れてしまっている。
あなたがたは共に瞑想しているが、
成長の段階は全く異なっている。
いま「一度」成長したとしても
もうひとりは成長の「二度」の段階に至るだけで、
恩寵が訪れることはない。
だが、「一度」の成長が加えられることで、
あなたは「百度」の地点へと至り、
突然恩寵が訪れるだろう。
これはあなたにとって突然の出来事となるだろう。
自分が「九十九度」にあるとは、
思いもよらないからだ。
こうして天国がまったく突然に、
あなたの中に舞い降りてくる。
だからしかるべき準備をしておくべきだ。
ー Osho
「一度」と「九十九度」は
極端な数値だが、とても分かりやすい。
「一度」が「七十七度」でもよいのだけれど...
今世で「二度」へ至ろうとする人と、
最後の「一度」で「百度」へ至ろうとする人は
全ての記憶がなくなり、
達成したものが全て忘れ去られたとしても
内なる成長の実存的な要素から
そのあり方、出会う人、
選択することが自ずと違ってくる。
その準備ができた日、
マスターが弟子を見出し、導く。
「一度」の人は「九十九度」の人と
違うと思いたくないが、「違う。」
だから「一度」の人は
「九十九度」の人に反感を持ってみたところで、
行き詰まると、言動を真似してみるしかない。
後付けで同じようなことを言い、
同じようなことをして
同じ地点にいる気分になりたいが...
「百度」へ至ろうとする人が、
「二度」へ至る人の真似をすることはない。
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