永遠の法則 No.1は→ こちら

.............

 

たとえば引力だ。

 

この力があるおかげであなたは地上を歩ける。

 

 

が、この力は特に歩かせるためにあるのではない。

 

 

歩かなければ、引力は存在しなかっただろう、

などと間違って考えないように。

 

あなたがたが地上に存在する以前から

それはあったし、

いなくなった後もあるだろう。

 

そして変な歩き方をすれば

転んで足を折ることもある。

 

これも引力のためだが、

非難の的となる人格がないから、

誰も訴えられない。

 

引力とは流れているエネルギーだ。

 

もしそれと付き合っていきたければ

 

重力の作用の法則について

注意深くある必要がある。

 

でも重力の方が

どうやってあなたと付き合ったらよいか

 

などと考えることはまったくない。

 

 

神のエネルギーは、

誰かを配慮するために働くことはない。

 

 

実際、「神のエネルギー」

と呼ぶこと自体が適切ではない。

 

 

むしろ「神はエネルギーだ」

というべきだ。

 

 

神はあなたに、

どんなふうにふるまおうかなどとは考えない。

 

 

それにはそれ自身の永遠の法則があり、

 

この永遠の法則こそが、

宗教というものだ。

 

 

宗教とは、

神であるエネルギーの作用の法則だ。

 

 

もしあなたが、鋭い識別力、理解、協調から

このエネルギーに対すれば、

 

あなたにとっての恩寵となるだろう。

 

ーー エネルギー自体がそうなるのではなく

あなたゆえにだ。

 

もし反対のことをし、

 

ーーエネルギーの法則に逆らえば、

恩寵ならざるものを与えられるだろう。

 

 

こういう場合の神は,、

恵み深きものではなくなる。

 

 

それはあなた次第だ。

 

だから神を人のように見なすのは

 

間違いだということだ。

 

神は人ではなく、エネルギーだ。

 

そのため、祈りや礼拝はなんの意味もない。

 

神から何かを期待するのは無意味だ。

 

 

この聖なるエネルギーが

 

祝福と恩寵となるようにと望むのなら、

自分自身に対して何かをしなければならない。

 

だからこそ、

霊的(スピリチュアル)な修行には意味がある。

 

祈りにではない。

 

瞑想には意味がある。

 

礼拝にではない。

 

この違いを、はっきり理解しておきなさい。

 

 

ー Osho

 

 

流れるネルギーから養分を受け取り

大きく強く成長するのか、

 

それともエネルギーに逆らい

恩寵ならざるものを受け取るのか。

 

それは自分次第。


 

最速、最短、簡単、一瞬で...

 

昨今のライフスタイルと同じく、

コンビニエンス的に「霊的成長」を

手間いらずのように宣伝したがるのは

 

 

なぜなのか。

 

 

本当にそのように

簡単なものなのだろうか?

 

****************

 

Eternal-Soulが提供するセッションは

下記をご覧ください。

 

 

 

インド・瞑想の旅のご紹介

 OSHO生誕地でのセレブレーション

2022年12月6日(火)~12月18日(日)

※お問合せは下記瞑想センターへ