神は人ではなくエネルギーだ。
これはエネルギーが、
個々人へはどんな配慮もしないことを意味する。
個々人に起こることは何であれ、
何の区別もなく起こる。
たとえば、川の土手に生えている木は、
流れゆく水の流れから養分を受け取る。
花を咲かせ、実を結び、
大きく強く成長するだろう。
だが、同じ流れでも、
そこに木が落ちてしまえば、
その速い流れに連れ去られてしまう。
しかし、川がその両方の木に何かをしたわけではない。
川は川辺の木の育成にも、
水の中の木を滅ぼすことにも、関心がない。
川はただ流れている
川は流れるエネルギーだ
それは人ではない
人々は相も変わらず、
神を一つの人格として見るという間違いをおかしている
神についてのあらゆる概念が、
あたかも人であるのは、そういうわけだ。
神はとても優しく
とても恵み深く
常に私たちを祝福してくれると人々はいう。
それは神に負わせた期待と欲望だ。
しかし、人になら、期待を押し付けても、
もしそれが果たせなければ、
責任を負わせられるだろう。
だが、エネルギーにそんなことはできない。
だから、
エネルギーを人格であるかのように扱おうものなら、
道からそれてしまうだろう。
そうすると、夢に迷い込んでしまうからだ。
もしエネルギーとして扱えば、
結果は全く異なるだろう。
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聖なるエネルギーが
祝福と恩寵になるようにと望むのなら、
自分自身に対して何かをしなければならない。
ー Osho
The Mstic-path
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