一つ目は依存だ。

 

 

それが大多数の人々に起こっていることだ。

 

 

夫は妻に依存している。

 

 

妻は夫に依存している。

 

 

彼らはお互いを利用している。

 

 

彼らはお互いを支配している。

 

 

彼らはお互いを所有している。

 

 

彼らはお互いを日用品に落としめている。

 

 

世界中で起こっていることの、

 

 

99パーセントがそれだ。

 

 

だから、愛は天国の門を開けられるのに、

 

 

ただ、地獄の門だけを開けるのだ。

 

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二つ目の可能性は、

 

 

二人の自立した人たちの間での愛だ。

 

 

それも時々起こる。

 

 

しかし、それも不幸をもたらす。

 

 

そこには絶えず争いがあるからだ。

 

 

どんな調整も不可能だ。

 

 

両者は全く独立している。

 

 

どちらも相手に妥協したり、

 

 

合わせようとする用意はない。

 

 

詩人や芸術家、思想家や科学者たち、

 

 

ある種の独立して生きている人たちには、

 

 

少なくとも彼らのマインドにおいては、

 

 

一緒に生きることが不可能な人々だ。

 

 

彼らは一緒に生きるには風変わりな人々だ。

 

 

彼らは相手に自由を与える、

 

 

しかし彼らの自由は、

 

 

自由というより、無関心のように見える、

 

 

それはまるで彼らが気にかけていないかのように、

 

 

まるで彼らが重要でないかのように見える。

 

 

彼らはお互いを、

 

 

それぞれ彼ら自身の空間へ置き去りにする。

 

 

関係性はただ表面的だけに見える。

 

 

彼らはお互いの中へ、

 

 

より深く入ることを恐れている。

 

 

なぜなら、彼らは、相手を愛することよりも、

 

 

自らの自由に、より愛着があるからだ。

 

 

そして彼らは妥協したくない。

 

 

 

 

そして三つ目の可能性は

 

 

相互依存だ。

 

 

それは、非常にまれにしか起こらない。

 

 

しかし、それが起こるときはいつでも

 

 

楽園の一部が地上に落ちてくる。

 

 

二人の人物は、独立でも依存でもなく、

 

 

途方もない共時性(シンクロニシティ)の中にある。

 

 

まるでお互いのために呼吸しているかのように。

 

 

ひとつの魂が二つの身体にある。

 

 

それが起こる時はいつでも、

 

 

愛が起こる。

 

 

唯一、これだけが愛と呼ばれるものだ

 

 

他の二つは本当の愛ではない。

 

 

それらはただの協定

 

 

 社交的、心理学的、生物学的な取り決めにすぎない。

 

 

しかしそれは協定だ。

 

 

 

3番目はスピリチュアル(霊的)なものだ

 

 

ー Osho ー

 

 

束の間味わう楽園は

 

心理的(メンタル)な次元か

 

生物学的なホルモンの作用による

 

高揚感的なもの

 

 

ひとつの魂が二つの身体にあり、

 

共時性の中にあれば、

 

一方の身の上に起こっていることは

 

分かるもの。

 

 

 

相手が死んだ時は分かるのか・・?

 

なんて、議論する必要すらない。

 

たとえ

 

どれだけ遠くに肉体が離れていようとも

 

二人とも、お互いが分かるもの。

 

魂の伴侶と思える人に出会っている人は、誰に聞くこともなく、

知っていることです。

 

 

 

■ オンラインシェア会

2. SECRET MEETING * women's secret

 

開催日時:2022年9月11日(日) 20:00〜

詳細は下記サイトにて

 

 

 

エネルギーワーク

無条件の愛

「祝福が降り注ぐ、純粋な愛のパワー」

 

頭で考える「無条件の愛」・「無償の愛」

とは違うことが分かります。