"ありがとう"と"始まりと。"(思い出から届いた "プレゼント")
今回の記事内容↓
→(まとめると,こんな感じの内容です)
①亡き両親と、
キョウダイ
(2つ下の弟と,11歳年の離れた妹へ)と
書いてみたお手紙な記事綴り。
②4月の今日
私の誕生日と今までの思い出の話し。
思い出から届いた
"私へのプレゼント"
③これから出逢う日々への
"どうぞよろしく"と、
"今を,ありがとう。"の感謝の想い。
メッセージボード欄用の記事も、
更新しました。
よろしければ,
どうぞ宜しくお願いします。
↓
追記:(新しい日付けを更新いたしましたので、
ボーダーをひかせていただきました。
4月17日に書き綴り投稿したメッセージボード欄用の記事と写真は、
(アーカイブ保管しました。↓)
説明部分は同メッセージボード欄に記載しています。
どうぞよろしくお願いいたします。)
誕生日の今日を
優しい幸せな想いで
迎えることが出来たのは、
亡き両親と、
キョウダイ
(2つ下の弟と,11歳年の離れた妹へ)との
"思い出という名の支えと、
今まで出逢えた方々との縁や支えと
優しい励ましのおかげがあってこそ、"
4月の今日、
私を生んでくれて
"どうもありがとう。"
春の季節と私の今と
これからと。
また新しい今日からの始まりを
頑張ります。
─────────
誕生日の今日、
両親との思い出と感謝の想いと一緒に
新しい今日を迎えられた感謝の想いと一緒に、
大切に聴いています。
ブログ記事に投稿した写真を使用しました。
その投稿した写真を使用しての
リール風を作成してみました。
─────────


誕生日の今日を
優しい幸せな想いで迎えることが出来たのは、
亡き両親と、
キョウダイ
(2つ下の弟と,11歳年の離れた妹へ)との
"思い出という名の支えと、
今まで出逢えた方々との縁や支えと
優しい励ましのおかげがあってこそ、"
イロイロな想いを振り返りながら、
そんな風な想いを感じながら、
書いてみたお手紙な記事綴りです。
去年の
4月の誕生日とは,また違う部分の
想いや
気持ちや
心の中でのカワルガワルの流れの変化も
"日々刻む時とともに"変わってきている実感があるのも、
大なり小なりとありますが、
その刻む中での経過してく
時の流れの変化の中で
"なんなとなーく、"
"触れながら感じ想い変化してきた部分、"
そういう部分への感謝の想いとともに
今感じている部分の気持ちや心を大事に
していきながら、
最近は、
何故だか"不思議と、"
懐かしい思い出のモノを
"ふと、"
触れなぞったり
読みなぞったり
そういうヒトトキも増えてきました。
思い出のモノを触れたりの1つには、
当時の頃のアルバム写真や、
イロイロな季節の流れが残してくれた
1つの想い
1つの景色
1つの気持ち
1つの風景
1つの心
1つの流れとともに歩んできた道
言葉や文章には映らない部分が
"カタチとして目の前に残り、"
でも,それは、
"カタチとしては、"残らずに、
"目の前に残りながら"
今を一緒に生きてくれている宝物へと
変わり、
そういう部分も
ヒトトキを過ごしていての中を通して
以前より少しずつ増えてきたようにも
感じる,この頃でもあります。
その1つには、
当時,成人式を迎えた頃の私の思い出の姿もあります。
もう1つの思い出からの話しを先に、
その思い出を通してのコトも、
その次に話します思い出のヒトコマも、
それらのコトやヒトコマが繋がり出来た
1つずつが私の"宝物プレゼント"へと
変わってきての"今の変化模様の中にいる
私があります。"
私が小学校を卒業する当時の頃、
担任の先生から、
この詩を贈る言葉として贈られました。
それは、
河井酔茗さんの詩で、
「ゆずり葉」という詩の言葉でした。
当時,中学校を卒業する私へと、
担任の先生から、
こんな言葉を贈られました。
"冒険心だけで前へ進んではいけない。
1日24時間があるのは当たり前でもない、
少しばかり苦しくても辛くても
根性と忍耐で進み抜け。
始めから全てが用意されてる未来と明日からは、
"そこからは何一つ生まれてきはしない、"
地道にコツコツと、
ひとりでも逞しく生き抜きなさい。
周りではなく、
自分自身のことを大事に育み
自分自身の未来のために
明日へと繋がる
"今の自分自身を育てなさい。"
周りに惑わされず
流されぬ強さを育てなさい。"
高校を卒業する私へと
当時の頃の担任の先生から、
(亡き恩師の先生から、)
こんな言葉を贈られました。
"壁にぶつかった時は、
足元を深く掘れ
そこから掘り起こしたモノを
分かち合い
今とともに学び
今とともに生きよ。
これからの日々の中で
目の前には様々な壁との出逢いが
アナタの足元にと待ってることでしょう。
頑張りなさいとはいいません。
頑張らなくても構わないのです。
誰かのために
自分自身のために
頑張ることを忘れないで恐れないで
太陽は光りを明るく優しく等しく
月はあたたかく灯りを等しく
照らし導いてくれる。
素直にね。
アナタの素直がアナタ自身の
これからの道を広げて照らし導いてくれる。
素直になれることを恐れず怖がらないで
きっと大丈夫。
アナタの,その不器用さを愛しく想ってくれる"何かとの出逢いも"その存在との出逢いも"
全ては,この為だったのかと、
いつか必ず分かる時が訪れる
不器用なアナタだからこそ、
出来る何かがきっとあるはず、
自分自身のことを大切にね。
これからの日々と人生の道のりを
アナタらしい歩み方で。
きっと生徒達のきっかけをつくりだせる、
生徒の目線になり
生徒のために聞ける耳を持ち
生徒の目線で話せる
そんな素敵な教育という未知なる世界の道を開拓出来る存在になれることと先生は信じています。
もし、
違う人生を歩むことになっても、
それでも、
自分自身を大切にね。
違うことは
間違えではないよ。
堂々と生き抜きなさい。
堂々と進みなさい
思いっきり
振り返りながら、
堂々とアナタの道を開拓して、
恐れず怖がらないで
この先
何が待ち受けていても
アナタの優しさで
変わらぬ心で
─幸せな人生を。─
卒業の思い出を振り返りながら、
当時の担当の先生方からの
"贈られた言葉1つ1つがよみがえり、"
今年の誕生日は、
そんな風なヒトコマとの始まりからの
私の一年の始まりの日となりました。
これから話す内容は、
私が幼かった当時の頃の話しから、
幼稚園の卒園式で。
当時,卒園のお祝いとして、
クラス皆へと
担任の先生から、
クラス皆へ1人ずつ
それぞれに"違う絵本"が手渡されました。
当時の私は、
その手渡された絵本に
当時の担任の先生から込められてる
─メッセージにも気が付かずに、─
ワケも考えずに
卒園式出来た嬉しい部分と、
小学校へ入学する少しの緊張感の中にありました。
その当時の担任の先生からの
メッセージと、
触れながら再読重ねてきた感じる部分の
変化は、
毎回違うものの、
当時の担任の先生から
─読みなぞり通して─想う部分と、
その絵本からのメッセージを通して
─伝う部分は、─
私自身が道を
歩んできた歩んでいる中へ
─当時の担任先生が残してくれた
本当のメッセージが託されていて
残されていた
"私への想いがあったことに"─
ここ最近、
その当時手渡された絵本を再読しながら
ようやくといいますか、
"ようやく気が付き始めた私自身がありました。"
その絵本を再読しながら感じた想い
当時の担任先生からの
残されていたメッセージ
私なりに,こう解釈をしてみました。
道を歩みながら叶えることは
とても素敵なコトで、
でも、それは、
関わってくれてきた周りと今までを
通してが繋がってきてがあったから、
─ようやく,それを叶えられるワケで、─
─夢を叶えて手に入れても、─
叶えた主人公の周りには誰もいない、
喜びや嬉しい気持ちをハシャギながら
分かち合える周りは
─いつの間にかいなくなり、─
"叶えた"のに、
ちっとも幸せそうには感じられない
主人公の姿がありました。
主人公は、
夢を叶えたにもかかわらず
楽しそうにも
嬉しそうにも
喜んでいる様子にも感じず映りませんでした。
─気が付き始めた主人公は、─
"ようやく、
その想いに気が付き始めます。"
その主人公が描かれてる絵本を通して
当時の
担任の先生が伝えたかったメッセージを、
読み解きながら
"ふと、"こんな風な気持ちや想いが浮かんできました。
─"素直"という,─
1つの宝物があるのだということ、
"夢という宝物も大事なコトなのだけれど、"
"叶える"ということも"
素敵なコトなのだけれど、
それよりもイチバン大事にしなければならない、
"大切な部分があるコト。"
"分かち合える夢があるのだということ、"
"分かち合える部分で叶えられるコトがあるのだということ、"
そんな風な想いのメッセージと
そんな風な気持ちが込められた
メッセージなのかなと、
今度,誕生日を迎える私は、
そう思い解いてみました。
当時の担任の先生から託された
想いと残されていたメッセージは、
それは、
私の誕生日のプレゼントへと変わり
私への素敵なプレゼントとなりました。
遅く気が付き始めた私なのですが、
"先生へ、"
素敵なメッセージプレゼントを
どうもありがとうございました。
─次に,もう1つの思い出のヒトコマの
お話をしたいと思います。─
思い出のモノを触れたりの1つには、
こういう思い出の話しの
ヒトコマも残されていました。
当時の頃のアルバム写真や、
イロイロな季節の流れが残してくれた
1つの想い
1つの景色
1つの気持ち
1つの風景
1つの心
1つの流れとともに歩んできた道
言葉や文章には映らない部分が
"カタチとして目の前に残り、"
でも,それは、
"カタチとしては、"残らずに、
"目の前に残りながら"
今を一緒に生きてくれている宝物へと
変わり、
そういう部分も
ヒトトキを過ごしていての中を通して
以前よりよ少しずつ増えてきたようにも
感じる,この頃でもあります。
その1つには、
当時,成人式を迎えた頃の私の思い出の姿もあります。
高校の時の卒アル撮影担当の
カメラマンの,お姉さんとの、
─成人式記念撮影の時での
再会があったコト。─
当時を私の思い出の1つ、
高校生の頃の話しになります。
当時の私はクラスメンバーが参加出来なかった時の時々の代理として
高校卒アルの委員へと参加して
写真を選び分けたり
ページごとの載せかた等々を
当時のアルバム委員メンバーとともに、
1年かけながら、
一冊を卒アルを作り上げる為の作業に
取りかかっていました。
当時の卒アルカメラマン担当の
お姉さんがスゴく素敵でカッコ良くて
こんな風なカッコいい大人の女性になりたいと、
とてもサバサバしてたカメラマンのお姉さんで、
キョウダイ中でイチバン上に誕生して、
上に,お兄さんも,お姉さんも居ない私は
下に2つ下の弟と,11歳年の離れた妹がいる私は、スゴく憧れの眼差しで憧れてた記憶がありまして、
我が道を歩く堂々とした姿に憧れて
こんな風な年齢の重ねかたをしたい、
こんな風な大人の女性になりたいと憧れてました。
卒アル担当のカメラマンの,お姉さんが
とてもカッコよくて、
卒アル撮影の日に大型バイクに乗って
登場した時は、
女子生徒みんなで
"キャーキャーと賑わいながら、"
カメラマンの,お姉さんを迎えに走り
高校の時の卒アル撮影担当の
カメラマンの,お姉さんとは、
─高校卒業から,その後、─
再びのご縁で再会する出来事がありまして
それは、
私が20歳の成人式の撮影の時の事で、
私も、
そのカメラマンの,お姉さんも
スタジオに入るまでは
互いに気が付かなかったのですが、
カメラマンの,お姉さんは
スタジオで待機していてくれていて
私が振袖姿で登場した時に
真っ先に
私の名前を呼んで、
"卒業してからぶりだね、"
"元気してた!?"
と声をかけてきてくれて、
私も、
とても懐かしくなり、
カメラマンの,お姉さんの名前のニックネームを呼びながら
撮影に入るまで少し話せる時間があったので、
他愛もない話でお互い笑い合えて
撮影の時に一緒に持って写る花は
"どの花が良い?"と訪ねられたので、
その当時好きだった人の誕生花の
"ヒマワリの花を迷わず選んだ私に"
撮影に一緒に同行してた
当時の母に。(いまは亡き母に)
"その人のことは母さんは反対よ。"
"∞のことを笑わせるどころか不安がらせて
泣かせてばかりでしょ。"
"相手を思うより相手に思われた方が幸せだと話したこと忘れたの?"
"ヒマワリの花は置いて"
"マーガレットの花にしなさい。"
と、
横から母にダメ出しを始められてしまい、
当時、
私も母も
互いに頑固者な部分がぶつかり、
互いに両者一歩も譲らず,
あーだの、
コーダのと、
譲らないままの互いの意固地な気持ちのままを,ぶつけ合い
また、
当時11歳離れた妹も一緒に来ていて、
スタジオに飽きてた妹から
"帰りに美味しい御飯食べて帰ろう"
コールが始まり…,
結局は、
カメラマンの,お姉さんが提案してくれた
ヒマワリとマーガレットの花を両方持って
撮影するのは,どうカナ!?"
そんな素敵な良い提案をいただいて
ヒマワリの花とマーガレットの花を
両方持って撮影した20歳の私の
ヒトコマと思い出の1つの話しでした。
撮影後は、
2つ下の弟と
11歳年の離れた妹と
亡き母と一緒に、
みんなの好きな食事をして、
その後は
振袖姿を見に来てくれた
亡き父に会いに行き、
父は今にも私が嫁いでいくような
親としての涙目で言葉も少なく
ただ,涙目で狼狽えながら、
"会いに来てくれて、
ありがとう、
父さんは嬉しいよ。
これからも親子に変わりないから、
ひとりじゃないから
たくさん父さんに遠慮なく
イロイロな日々の話し聞かせにきてね、
今までゴメンね。"
と、
そんな風な会話を少し話したり
母方の亡き大正生まれの祖父母や
母方の親戚や
父方の祖母や
父方の親戚にも
今までの御礼と、
これからへの挨拶をしながら、
そんなヒトコマも、
つい,この間のようにも思います。
たくさんのイロイロが重なり繋がって
その間にある"1つ1つの縁。"
そういうヒトコマの思い出を、
そんな風にも時折ね、
思い出を振り返る時にだけ、
その時だけね、
柔らかく包まれてるような気がしてね
"あの日の場面の時間を感じ"
時折、
触れながら。
なんや~カンヤで
みんなで笑ってた
そんな笑えたシーンの思い出も、
今日の私の誕生日、
毎年変わらず思うこと、
亡き両親への感謝の想い。
今までの道のりを歩み通して出逢えた
1つ1つの縁への感謝の想い。
─これから出逢う縁への
感謝の想いとともに、─
新しい私の今と
新しい"これから"とともに、
イロイロな日々や
過ぎゆく季節と、
刻む時とともに
そのままの私で
私らしく
ゆっくりと歩み続けていきたいと
思います。
4月の今日、
私を生んでくれて
"どうもありがとう。"
春の季節と私の今と
これからと。
今回の記事は
この辺で。
読んでいただきまして
どうもありがとうございました。
天気の変化もあり、
体調を崩しやすい時でもありますが
風邪ひかないように
お身体大切にしてくださいね。
訪れてくださる方も、
どうぞ
美味しい温かい御飯のヒトトキを!
訪れてくださる方の毎日が、
素敵な優しい穏やかな始まりになりますように。
幸せなヒトトキを過ごせますように。
健康に元気に、
嬉しく優しいあたたかな日々を過ごせますように。
"素敵な1日と日々でありますように。"
想い祈ってます。
"ホッと"
ゆっくり休んで
素敵な優しい
ヒトトキを♪
→(まとめると,こんな感じの内容です)
①亡き両親と、
キョウダイ
(2つ下の弟と,11歳年の離れた妹へ)と
書いてみたお手紙な記事綴り。
②4月の今日
私の誕生日と今までの思い出の話し。
思い出から届いた
"私へのプレゼント"
③これから出逢う日々への
"どうぞよろしく"と、
"今を,ありがとう。"の感謝の想い。
更新しました。
よろしければ,
どうぞ宜しくお願いします。
↓
追記:(新しい日付けを更新いたしましたので、
ボーダーをひかせていただきました。
4月17日に書き綴り投稿したメッセージボード欄用の記事と写真は、
(アーカイブ保管しました。↓)
説明部分は同メッセージボード欄に記載しています。
どうぞよろしくお願いいたします。)
誕生日の今日を
優しい幸せな想いで
迎えることが出来たのは、
亡き両親と、
キョウダイ
(2つ下の弟と,11歳年の離れた妹へ)との
"思い出という名の支えと、
今まで出逢えた方々との縁や支えと
優しい励ましのおかげがあってこそ、"
4月の今日、
私を生んでくれて
"どうもありがとう。"
春の季節と私の今と
これからと。
また新しい今日からの始まりを
頑張ります。
─────────
誕生日の今日、
両親との思い出と感謝の想いと一緒に
新しい今日を迎えられた感謝の想いと一緒に、
大切に聴いています。
ブログ記事に投稿した写真を使用しました。
その投稿した写真を使用しての
リール風を作成してみました。
─────────


誕生日の今日を
優しい幸せな想いで迎えることが出来たのは、
亡き両親と、
キョウダイ
(2つ下の弟と,11歳年の離れた妹へ)との
"思い出という名の支えと、
今まで出逢えた方々との縁や支えと
優しい励ましのおかげがあってこそ、"
イロイロな想いを振り返りながら、
そんな風な想いを感じながら、
書いてみたお手紙な記事綴りです。
去年の
4月の誕生日とは,また違う部分の
想いや
気持ちや
心の中でのカワルガワルの流れの変化も
"日々刻む時とともに"変わってきている実感があるのも、
大なり小なりとありますが、
その刻む中での経過してく
時の流れの変化の中で
"なんなとなーく、"
"触れながら感じ想い変化してきた部分、"
そういう部分への感謝の想いとともに
今感じている部分の気持ちや心を大事に
していきながら、
最近は、
何故だか"不思議と、"
懐かしい思い出のモノを
"ふと、"
触れなぞったり
読みなぞったり
そういうヒトトキも増えてきました。
思い出のモノを触れたりの1つには、
当時の頃のアルバム写真や、
イロイロな季節の流れが残してくれた
1つの想い
1つの景色
1つの気持ち
1つの風景
1つの心
1つの流れとともに歩んできた道
言葉や文章には映らない部分が
"カタチとして目の前に残り、"
でも,それは、
"カタチとしては、"残らずに、
"目の前に残りながら"
今を一緒に生きてくれている宝物へと
変わり、
そういう部分も
ヒトトキを過ごしていての中を通して
以前より少しずつ増えてきたようにも
感じる,この頃でもあります。
その1つには、
当時,成人式を迎えた頃の私の思い出の姿もあります。
もう1つの思い出からの話しを先に、
その思い出を通してのコトも、
その次に話します思い出のヒトコマも、
それらのコトやヒトコマが繋がり出来た
1つずつが私の"宝物プレゼント"へと
変わってきての"今の変化模様の中にいる
私があります。"
私が小学校を卒業する当時の頃、
担任の先生から、
この詩を贈る言葉として贈られました。
それは、
河井酔茗さんの詩で、
「ゆずり葉」という詩の言葉でした。
当時,中学校を卒業する私へと、
担任の先生から、
こんな言葉を贈られました。
"冒険心だけで前へ進んではいけない。
1日24時間があるのは当たり前でもない、
少しばかり苦しくても辛くても
根性と忍耐で進み抜け。
始めから全てが用意されてる未来と明日からは、
"そこからは何一つ生まれてきはしない、"
地道にコツコツと、
ひとりでも逞しく生き抜きなさい。
周りではなく、
自分自身のことを大事に育み
自分自身の未来のために
明日へと繋がる
"今の自分自身を育てなさい。"
周りに惑わされず
流されぬ強さを育てなさい。"
高校を卒業する私へと
当時の頃の担任の先生から、
(亡き恩師の先生から、)
こんな言葉を贈られました。
"壁にぶつかった時は、
足元を深く掘れ
そこから掘り起こしたモノを
分かち合い
今とともに学び
今とともに生きよ。
これからの日々の中で
目の前には様々な壁との出逢いが
アナタの足元にと待ってることでしょう。
頑張りなさいとはいいません。
頑張らなくても構わないのです。
誰かのために
自分自身のために
頑張ることを忘れないで恐れないで
太陽は光りを明るく優しく等しく
月はあたたかく灯りを等しく
照らし導いてくれる。
素直にね。
アナタの素直がアナタ自身の
これからの道を広げて照らし導いてくれる。
素直になれることを恐れず怖がらないで
きっと大丈夫。
アナタの,その不器用さを愛しく想ってくれる"何かとの出逢いも"その存在との出逢いも"
全ては,この為だったのかと、
いつか必ず分かる時が訪れる
不器用なアナタだからこそ、
出来る何かがきっとあるはず、
自分自身のことを大切にね。
これからの日々と人生の道のりを
アナタらしい歩み方で。
きっと生徒達のきっかけをつくりだせる、
生徒の目線になり
生徒のために聞ける耳を持ち
生徒の目線で話せる
そんな素敵な教育という未知なる世界の道を開拓出来る存在になれることと先生は信じています。
もし、
違う人生を歩むことになっても、
それでも、
自分自身を大切にね。
違うことは
間違えではないよ。
堂々と生き抜きなさい。
堂々と進みなさい
思いっきり
振り返りながら、
堂々とアナタの道を開拓して、
恐れず怖がらないで
この先
何が待ち受けていても
アナタの優しさで
変わらぬ心で
─幸せな人生を。─
卒業の思い出を振り返りながら、
当時の担当の先生方からの
"贈られた言葉1つ1つがよみがえり、"
今年の誕生日は、
そんな風なヒトコマとの始まりからの
私の一年の始まりの日となりました。
これから話す内容は、
私が幼かった当時の頃の話しから、
幼稚園の卒園式で。
当時,卒園のお祝いとして、
クラス皆へと
担任の先生から、
クラス皆へ1人ずつ
それぞれに"違う絵本"が手渡されました。
当時の私は、
その手渡された絵本に
当時の担任の先生から込められてる
─メッセージにも気が付かずに、─
ワケも考えずに
卒園式出来た嬉しい部分と、
小学校へ入学する少しの緊張感の中にありました。
その当時の担任の先生からの
メッセージと、
触れながら再読重ねてきた感じる部分の
変化は、
毎回違うものの、
当時の担任の先生から
─読みなぞり通して─想う部分と、
その絵本からのメッセージを通して
─伝う部分は、─
私自身が道を
歩んできた歩んでいる中へ
─当時の担任先生が残してくれた
本当のメッセージが託されていて
残されていた
"私への想いがあったことに"─
ここ最近、
その当時手渡された絵本を再読しながら
ようやくといいますか、
"ようやく気が付き始めた私自身がありました。"
その絵本を再読しながら感じた想い
当時の担任先生からの
残されていたメッセージ
私なりに,こう解釈をしてみました。
道を歩みながら叶えることは
とても素敵なコトで、
でも、それは、
関わってくれてきた周りと今までを
通してが繋がってきてがあったから、
─ようやく,それを叶えられるワケで、─
─夢を叶えて手に入れても、─
叶えた主人公の周りには誰もいない、
喜びや嬉しい気持ちをハシャギながら
分かち合える周りは
─いつの間にかいなくなり、─
"叶えた"のに、
ちっとも幸せそうには感じられない
主人公の姿がありました。
主人公は、
夢を叶えたにもかかわらず
楽しそうにも
嬉しそうにも
喜んでいる様子にも感じず映りませんでした。
─気が付き始めた主人公は、─
"ようやく、
その想いに気が付き始めます。"
その主人公が描かれてる絵本を通して
当時の
担任の先生が伝えたかったメッセージを、
読み解きながら
"ふと、"こんな風な気持ちや想いが浮かんできました。
─"素直"という,─
1つの宝物があるのだということ、
"夢という宝物も大事なコトなのだけれど、"
"叶える"ということも"
素敵なコトなのだけれど、
それよりもイチバン大事にしなければならない、
"大切な部分があるコト。"
"分かち合える夢があるのだということ、"
"分かち合える部分で叶えられるコトがあるのだということ、"
そんな風な想いのメッセージと
そんな風な気持ちが込められた
メッセージなのかなと、
今度,誕生日を迎える私は、
そう思い解いてみました。
当時の担任の先生から託された
想いと残されていたメッセージは、
それは、
私の誕生日のプレゼントへと変わり
私への素敵なプレゼントとなりました。
遅く気が付き始めた私なのですが、
"先生へ、"
素敵なメッセージプレゼントを
どうもありがとうございました。
─次に,もう1つの思い出のヒトコマの
お話をしたいと思います。─
思い出のモノを触れたりの1つには、
こういう思い出の話しの
ヒトコマも残されていました。
当時の頃のアルバム写真や、
イロイロな季節の流れが残してくれた
1つの想い
1つの景色
1つの気持ち
1つの風景
1つの心
1つの流れとともに歩んできた道
言葉や文章には映らない部分が
"カタチとして目の前に残り、"
でも,それは、
"カタチとしては、"残らずに、
"目の前に残りながら"
今を一緒に生きてくれている宝物へと
変わり、
そういう部分も
ヒトトキを過ごしていての中を通して
以前よりよ少しずつ増えてきたようにも
感じる,この頃でもあります。
その1つには、
当時,成人式を迎えた頃の私の思い出の姿もあります。
高校の時の卒アル撮影担当の
カメラマンの,お姉さんとの、
─成人式記念撮影の時での
再会があったコト。─
当時を私の思い出の1つ、
高校生の頃の話しになります。
当時の私はクラスメンバーが参加出来なかった時の時々の代理として
高校卒アルの委員へと参加して
写真を選び分けたり
ページごとの載せかた等々を
当時のアルバム委員メンバーとともに、
1年かけながら、
一冊を卒アルを作り上げる為の作業に
取りかかっていました。
当時の卒アルカメラマン担当の
お姉さんがスゴく素敵でカッコ良くて
こんな風なカッコいい大人の女性になりたいと、
とてもサバサバしてたカメラマンのお姉さんで、
キョウダイ中でイチバン上に誕生して、
上に,お兄さんも,お姉さんも居ない私は
下に2つ下の弟と,11歳年の離れた妹がいる私は、スゴく憧れの眼差しで憧れてた記憶がありまして、
我が道を歩く堂々とした姿に憧れて
こんな風な年齢の重ねかたをしたい、
こんな風な大人の女性になりたいと憧れてました。
卒アル担当のカメラマンの,お姉さんが
とてもカッコよくて、
卒アル撮影の日に大型バイクに乗って
登場した時は、
女子生徒みんなで
"キャーキャーと賑わいながら、"
カメラマンの,お姉さんを迎えに走り
高校の時の卒アル撮影担当の
カメラマンの,お姉さんとは、
─高校卒業から,その後、─
再びのご縁で再会する出来事がありまして
それは、
私が20歳の成人式の撮影の時の事で、
私も、
そのカメラマンの,お姉さんも
スタジオに入るまでは
互いに気が付かなかったのですが、
カメラマンの,お姉さんは
スタジオで待機していてくれていて
私が振袖姿で登場した時に
真っ先に
私の名前を呼んで、
"卒業してからぶりだね、"
"元気してた!?"
と声をかけてきてくれて、
私も、
とても懐かしくなり、
カメラマンの,お姉さんの名前のニックネームを呼びながら
撮影に入るまで少し話せる時間があったので、
他愛もない話でお互い笑い合えて
撮影の時に一緒に持って写る花は
"どの花が良い?"と訪ねられたので、
その当時好きだった人の誕生花の
"ヒマワリの花を迷わず選んだ私に"
撮影に一緒に同行してた
当時の母に。(いまは亡き母に)
"その人のことは母さんは反対よ。"
"∞のことを笑わせるどころか不安がらせて
泣かせてばかりでしょ。"
"相手を思うより相手に思われた方が幸せだと話したこと忘れたの?"
"ヒマワリの花は置いて"
"マーガレットの花にしなさい。"
と、
横から母にダメ出しを始められてしまい、
当時、
私も母も
互いに頑固者な部分がぶつかり、
互いに両者一歩も譲らず,
あーだの、
コーダのと、
譲らないままの互いの意固地な気持ちのままを,ぶつけ合い
また、
当時11歳離れた妹も一緒に来ていて、
スタジオに飽きてた妹から
"帰りに美味しい御飯食べて帰ろう"
コールが始まり…,
結局は、
カメラマンの,お姉さんが提案してくれた
ヒマワリとマーガレットの花を両方持って
撮影するのは,どうカナ!?"
そんな素敵な良い提案をいただいて
ヒマワリの花とマーガレットの花を
両方持って撮影した20歳の私の
ヒトコマと思い出の1つの話しでした。
撮影後は、
2つ下の弟と
11歳年の離れた妹と
亡き母と一緒に、
みんなの好きな食事をして、
その後は
振袖姿を見に来てくれた
亡き父に会いに行き、
父は今にも私が嫁いでいくような
親としての涙目で言葉も少なく
ただ,涙目で狼狽えながら、
"会いに来てくれて、
ありがとう、
父さんは嬉しいよ。
これからも親子に変わりないから、
ひとりじゃないから
たくさん父さんに遠慮なく
イロイロな日々の話し聞かせにきてね、
今までゴメンね。"
と、
そんな風な会話を少し話したり
母方の亡き大正生まれの祖父母や
母方の親戚や
父方の祖母や
父方の親戚にも
今までの御礼と、
これからへの挨拶をしながら、
そんなヒトコマも、
つい,この間のようにも思います。
たくさんのイロイロが重なり繋がって
その間にある"1つ1つの縁。"
そういうヒトコマの思い出を、
そんな風にも時折ね、
思い出を振り返る時にだけ、
その時だけね、
柔らかく包まれてるような気がしてね
"あの日の場面の時間を感じ"
時折、
触れながら。
なんや~カンヤで
みんなで笑ってた
そんな笑えたシーンの思い出も、
今日の私の誕生日、
毎年変わらず思うこと、
亡き両親への感謝の想い。
今までの道のりを歩み通して出逢えた
1つ1つの縁への感謝の想い。
─これから出逢う縁への
感謝の想いとともに、─
新しい私の今と
新しい"これから"とともに、
イロイロな日々や
過ぎゆく季節と、
刻む時とともに
そのままの私で
私らしく
ゆっくりと歩み続けていきたいと
思います。
4月の今日、
私を生んでくれて
"どうもありがとう。"
春の季節と私の今と
これからと。
今回の記事は
この辺で。
読んでいただきまして
どうもありがとうございました。
天気の変化もあり、
体調を崩しやすい時でもありますが
風邪ひかないように
お身体大切にしてくださいね。
訪れてくださる方も、
どうぞ
美味しい温かい御飯のヒトトキを!
訪れてくださる方の毎日が、
素敵な優しい穏やかな始まりになりますように。
幸せなヒトトキを過ごせますように。
健康に元気に、
嬉しく優しいあたたかな日々を過ごせますように。
"素敵な1日と日々でありますように。"
想い祈ってます。
"ホッと"
ゆっくり休んで
素敵な優しい
ヒトトキを♪
ぜんざいの写真投稿と試しに自己流で設けてみたという話し。
■ 今回の記事内容↓
→(まとめると,こんな感じです。)
①いつ頃かに作ったゼンザイの写真
②最近はブログメッセージボード欄に
試しに自己流で設けてみながら書いてみてる話し。
いつ頃かに作ったゼンザイ。
久しぶりに作り味わったので、
その時に撮影した写真です、



最近はブログメッセージボード欄に
試しに自己流で設けてみた、
"メッセージボード欄用記事"を
書ける時に時々ですが書いてみたり
↓
(2010年11月からの,同ブログ開始当初から、
メッセージボード欄の
"空いたスペース"を、
"何か良いヒントがないかな。"と、
使用方法や活用を模索していたので、
現在も使用方法や活用模索中に変わりませんが、)
↓
■ 前回の記事内容でも少し触れて書いたのですが、
◆リンクブログ記事
置いときます。↓
2025/3/23/写真投稿と少し綴り。
今も少しずつではあるのですが、
ブログ内で、イロイロ試せそうなコトを
楽観的スローマイペース速度で
模索中ではあるに変わりはないのですが、
今は、
とりあえずですね、
試しながらという
"とてもスローなお試し期間"的な感じで、
設けてみました。
楽観的スローにお試し期間先ずは試しにという
"とてもマイペースなお話しです。"
"面白いかな。"
"面白そうかも。"
そういう1つと少しを試しながらの
そんな感じのヒトトキを過ごしています。
(書けなかった時は、
"メッセージボード欄用記事"の
"お休みもあるかもしれませんが、"
その時は"今日はお休み"と
メッセージボード欄上記か下記部分に
記載しますね。
ただシンプルな理由で、
◆(多忙にての理由。)と、
◆好きなヒトトキを過ごしていての
その中での、
メッセージボード欄用記事を書けていないだけの話しなので、
そこら辺に関しましては,
どうぞご安心いただけますと幸いです。)
ブログ記事の方も更新滞るコトが多くなってはいるのですが、
ゆっくりと、
ブログの方の記事更新も少しずつですが
マイペースに頑張りますね。
さてさてなのでございますが、
私の週明けのスタートは、
好きな曲とともに始まります。
毎週違う"好きな曲を聴きながら
週と日々を乗りきりながら"
明日からの週明けの日々頑張ります。
体調に気をつけながら
"ホッと"
ゆっくり休んで
素敵な優しい
あたたかな美味しいご飯のヒトトキを♪
素敵な1日と日々でありますように。
読んでいただきまして、
どうもありがとうございました。
◆【置いときますね。】
↓
今回の記事の方にも置いときますね。
同じ内容綴りにはなるのですが、
今回の内容説明部分を
同ブログメッセージボード欄から
抜粋して
■【設けてみたコトの少し説明を】↓
───────────
*【メッセージボード欄用に
設けてみました、
→日記記事/他】
↓
[こんな感じの思いで設けてみました。]
↓
ブログ記事に投稿まではイイカナ?
と思う軽めの綴りや
簡単に書き綴った文章等々は、
日付とタイトルと内容を書き記して
ブログの方のメッセージボード欄に書いて、
書き終わりのモノは
そのまま(アーカイブ風)
↓
ブログ控えに保管という流れで自分なりに考えながら試しながらと思いまして、
とりあえず自己流設定して設けてみました。
(ストーリーズ風。)
☆"お試し的な部分も一緒に。"
☆"とても=ゆるやかな感じで心地よく、"
☆[私の空間場所の1つに。]という
☆素朴でシンプルな理由、
ただ、それだけなのでございます。
今の出始めは,そのような想いです。
■ 時々"書き書きを,お休み中の時は、"
・【書き書きは,お休み中です。】と、
書いておいたりの場合もございます。
↓
"ただ、メッセージボード欄用にと設けた"
メッセージボード欄用の記事を書けてないだけなので、"
↓
(つまりは,私のマイペース中という
"好きなヒトトキを満喫中"か、
多忙にて。
それだけの理由でございますので、)
↓
どうぞ御安心くださいませ。
(宜しくお願いします。)
■ 記事は書ける時にマイペースに書いてます。
↓
(2010年11月ブログ開始)
◆フォトまじえたりの綴り等/
◆/記事/写真撮影したモノUP/音楽好きな曲時々語る
◆好きなコト好きな分野
(/書いたり/描いたり/
/聴いたり/撮影してみたり/読んだり)
どうぞよろしくお願いします。
メッセージボード欄にも記載したのですが、
インスタの方に
写真は以前ブログに投稿した写真を
使用しました。
その投稿した写真を使用しての
リール風を作成してみました。
どうぞよろしくお願いします‼️
→(まとめると,こんな感じです。)
①いつ頃かに作ったゼンザイの写真
②最近はブログメッセージボード欄に
試しに自己流で設けてみながら書いてみてる話し。
いつ頃かに作ったゼンザイ。
久しぶりに作り味わったので、
その時に撮影した写真です、



最近はブログメッセージボード欄に
試しに自己流で設けてみた、
"メッセージボード欄用記事"を
書ける時に時々ですが書いてみたり
↓
(2010年11月からの,同ブログ開始当初から、
メッセージボード欄の
"空いたスペース"を、
"何か良いヒントがないかな。"と、
使用方法や活用を模索していたので、
現在も使用方法や活用模索中に変わりませんが、)
↓
■ 前回の記事内容でも少し触れて書いたのですが、
◆リンクブログ記事
置いときます。↓
2025/3/23/写真投稿と少し綴り。
今も少しずつではあるのですが、
ブログ内で、イロイロ試せそうなコトを
楽観的スローマイペース速度で
模索中ではあるに変わりはないのですが、
今は、
とりあえずですね、
試しながらという
"とてもスローなお試し期間"的な感じで、
設けてみました。
楽観的スローにお試し期間先ずは試しにという
"とてもマイペースなお話しです。"
"面白いかな。"
"面白そうかも。"
そういう1つと少しを試しながらの
そんな感じのヒトトキを過ごしています。
(書けなかった時は、
"メッセージボード欄用記事"の
"お休みもあるかもしれませんが、"
その時は"今日はお休み"と
メッセージボード欄上記か下記部分に
記載しますね。
ただシンプルな理由で、
◆(多忙にての理由。)と、
◆好きなヒトトキを過ごしていての
その中での、
メッセージボード欄用記事を書けていないだけの話しなので、
そこら辺に関しましては,
どうぞご安心いただけますと幸いです。)
ブログ記事の方も更新滞るコトが多くなってはいるのですが、
ゆっくりと、
ブログの方の記事更新も少しずつですが
マイペースに頑張りますね。
さてさてなのでございますが、
私の週明けのスタートは、
好きな曲とともに始まります。
毎週違う"好きな曲を聴きながら
週と日々を乗りきりながら"
明日からの週明けの日々頑張ります。
体調に気をつけながら
"ホッと"
ゆっくり休んで
素敵な優しい
あたたかな美味しいご飯のヒトトキを♪
素敵な1日と日々でありますように。
読んでいただきまして、
どうもありがとうございました。
◆【置いときますね。】
↓
今回の記事の方にも置いときますね。
同じ内容綴りにはなるのですが、
今回の内容説明部分を
同ブログメッセージボード欄から
抜粋して
■【設けてみたコトの少し説明を】↓
───────────
*【メッセージボード欄用に
設けてみました、
→日記記事/他】
↓
[こんな感じの思いで設けてみました。]
↓
ブログ記事に投稿まではイイカナ?
と思う軽めの綴りや
簡単に書き綴った文章等々は、
日付とタイトルと内容を書き記して
ブログの方のメッセージボード欄に書いて、
書き終わりのモノは
そのまま(アーカイブ風)
↓
ブログ控えに保管という流れで自分なりに考えながら試しながらと思いまして、
とりあえず自己流設定して設けてみました。
(ストーリーズ風。)
☆"お試し的な部分も一緒に。"
☆"とても=ゆるやかな感じで心地よく、"
☆[私の空間場所の1つに。]という
☆素朴でシンプルな理由、
ただ、それだけなのでございます。
今の出始めは,そのような想いです。
■ 時々"書き書きを,お休み中の時は、"
・【書き書きは,お休み中です。】と、
書いておいたりの場合もございます。
↓
"ただ、メッセージボード欄用にと設けた"
メッセージボード欄用の記事を書けてないだけなので、"
↓
(つまりは,私のマイペース中という
"好きなヒトトキを満喫中"か、
多忙にて。
それだけの理由でございますので、)
↓
どうぞ御安心くださいませ。
(宜しくお願いします。)
■ 記事は書ける時にマイペースに書いてます。
↓
(2010年11月ブログ開始)
◆フォトまじえたりの綴り等/
◆/記事/写真撮影したモノUP/音楽好きな曲時々語る
◆好きなコト好きな分野
(/書いたり/描いたり/
/聴いたり/撮影してみたり/読んだり)
どうぞよろしくお願いします。
メッセージボード欄にも記載したのですが、
インスタの方に
写真は以前ブログに投稿した写真を
使用しました。
その投稿した写真を使用しての
リール風を作成してみました。
どうぞよろしくお願いします‼️
創作イラストの着まわしコーディネート。(春の大合唱編♪)
・【今回の記事内容】
(この記事を"まとめると、")
→こんな感じの話しです。
①(創作イラストと
お花見大会ストーリー。)
②(2024年期間限定お誕生日編で
登場した"動物さん,みんなで!!!
季節を味わう)
③4月生まれの私,
思い出讃歌の日記歌
④(見どころ↓)
みーんな笑顔♪
↓
素敵だね☆
"春の歌を大合唱!!!"
惜しいところ↓
(誰もマイクをはなさない…)
(我こそが主人公!)
:
"桜のお花さんもヒヤヒヤ"
ドキドキ☆
いつ…お開きになることヤラ、
主人公になりたい
"2024年期間限定お誕生日編で
登場した"動物さん,みんなさーん。"
やれやれでございます…。
【写真内容】↓
(創作イラストの着まわしコーディネート)
【タイトルの"おしながき。"↓】
①「春夜の月み♪」
②「季節を祝う。」
③「春の賑わい。」
④「キツネさんのお花見大会🌸」
①「春夜の月み♪」

②「季節を祝う。」


③「春の賑わい。」

④「キツネさんのお花見大会🌸」
。
ありがとう。"
"嬉しいなぁー。"
良かったね♪
今日も1日お疲れ様!!!
"一生懸命に頑張ったんだね。"
"スゴいなぁ~♪"
一生懸命に頑張ったコトに
(拍手喝采☆~~!!!)
でも、
無理だけはしないでね。
クタクタだなぁー。と思ったら
ゆっくり休んで整えながらさ、
まぁー"ゆっくりさぁー、"
そんな時もね
必要な時もね
アルよね。
"イロイロな優しい"があるけれど、
"優しい想いはイロイロあっても良いと思うよ。"
"イロイロな(優しい花)があるね。"
"イロイロあるから1つ1つが違う優しさだから、"
"気持ちがホッと出来たり、"
"心が嬉しく柔らかくあたたかく感じたり、"
"優しい柔らかな心の花と"
"そのままに"
"素直な想いを1つ1つ包みながら"
今をお互い一緒に笑い合えたら嬉しいね。
"素敵な日々を。"
"それっ!!!"
一緒に好きな飲み物で
\乾杯~~~~♪/
"お花見大会最高~~♪"
2024年期間限定お誕生日編で
登場した"動物さん,みんなに、"
今回の記事のモデルにと
登場してもらいました。
また時々、
出来ればですが、
無理はしないくらいの調整で、
ウーロンくんをコッソリと~☆
(~ ´∀`)~
何処かの記事で"モデル再登場☆"を、
虹の橋のウーロンくんの許可が出ましたら
Go~~サインで、
のんびり
ゆっくり
マイペース速度を保ちつつ、
創作イラストで描ければなぁーと、
スゴく、
スローに
のほほ~んと、
考えております。
今日から4月ですね、
早いなぁー。
イロイロと
また頑張らなくちゃ。
それにしても…(* ̄ー ̄)!?
"どこで買えるのだろう?"
4月は誕生日の月だから、
自分自身用に(御一人様用に)
自分で自分への
"バースデープレゼント"
…なーんてね。
4月生まれも楽じゃないのよ。
だって新年度スタートからのー、
イロイロ慌ただしいじゃない!?
で、
そうこうしてる間に
5月に早変わり。
幼稚園に始まり
小中高と、
だいたい仲良くなる頃にね、
"あっ!?そういえば
お誕生日何月生まれ?"
って…
聞かれてばかりだったんだよね。
"もう4月の誕生日終わったんだ…、"
と、
申し訳なく思いながら、
答えていた思い出讃歌の日記歌
この辺でね、
お開きに、
はーい
"解散ーー。"
今日も1日お疲れ様♪
頑張ったからね、
アイスティで。
レモンも添えて
それ…"レモンティー…"
好きな曲ね、
今ね、
スゴくマイブーム的に
リピ聴きしてるの♪
もぉーね、
感動の涙☆
深くて
互いに同じ道を歩めずとも
会えずとも
距離遠く離れ離れでも、
心と心が繋がっていて
そういう繋がりの想いも愛のカタチもあるんだなぁー…って。
そういう出逢いも
そういう距離も
そういう生き方も
ただ心が繋がっているってだけで
互い遠く離れ離れであっても
想いは近く傍で見守りあえる
そういう心と心の繋がりだけの幸せっていうのかな、
互いに心通う幸せとでもいうのかな、
出逢えて幸せで
離れ離れでも心が繋がっていれば
それも1つの幸せな想いのカタチなのかな、
幸せに想える想いの思い出もあるのかな
距離遠くても
心は,いつも並んで一緒に歩いている。
心と心で互いに想い合える
"そういう触れずとも繋がってる存在。"
大好きだったイロイロ素敵な思い出を
優しく包みながら。
ありゃりゃ~~、
まーた、
長々と浸って書き書きしてしまいました…
一回目の反省をしてきます。
その次は…次に考えます。
マイペースにね。
イロイロな新年度。
でも、
まぁ、
気負わずに
マイペースで、
イロイロな季節の空に、
様々な日々の出来事も
それなりにね、
あっても、
あったとしても、
"ゆっくり"
"ゆっくり"
"マイペースに、"
"きっと大丈夫。"
体調を崩しやすい時でもありますが、
風邪ひかないように、
お身体大切にしてくださいね。
美味しい温かい御飯で!
元気いっぱいな優しい日々を♪
嬉しく優しくあたたかな
穏やかな1日の始まりを!
ゆるりとね♪(*^^*)
気楽にマイペース!
ときめいてマイペース♪
マイペースに
ゆるりと。
今日も"なんだか心トキメク
ワクワクな瞬間に出逢えますように!"
"そんな素敵な1日と日々でありますように。"
そーれっ♪
"1日の始まりの掛け声と"
はじめの一歩目。
朝の輝く光りとスタート
"1日を行ってらっしゃい!"
あたたかな夕空星空と
"今日も1日お疲れ様でした!"
ゆっくり寛いでね。
ゆっくり休んで
素敵な優しい
ヒトトキを♪
それでは、
今回の記事は
この辺で。
記事を読んでいただきまして
"どうもありがとうございます!"
∞─────────────∞
【インスタリール】
タイトル
「─春の空花─。」
柔らかな優しい春の光りをイメージして
タイトル名をつけてみました。
ブログに投稿した写真を使用して
作成しました。
(この記事を"まとめると、")
→こんな感じの話しです。
①(創作イラストと
お花見大会ストーリー。)
②(2024年期間限定お誕生日編で
登場した"動物さん,みんなで!!!
季節を味わう)
③4月生まれの私,
思い出讃歌の日記歌
④(見どころ↓)
みーんな笑顔♪
↓
素敵だね☆
"春の歌を大合唱!!!"
惜しいところ↓
(誰もマイクをはなさない…)
(我こそが主人公!)
:
"桜のお花さんもヒヤヒヤ"
ドキドキ☆
いつ…お開きになることヤラ、
主人公になりたい
"2024年期間限定お誕生日編で
登場した"動物さん,みんなさーん。"
やれやれでございます…。
【写真内容】↓
(創作イラストの着まわしコーディネート)
【タイトルの"おしながき。"↓】
①「春夜の月み♪」
②「季節を祝う。」
③「春の賑わい。」
④「キツネさんのお花見大会🌸」
①「春夜の月み♪」

②「季節を祝う。」


③「春の賑わい。」

④「キツネさんのお花見大会🌸」

ありがとう。"
"嬉しいなぁー。"
良かったね♪
今日も1日お疲れ様!!!
"一生懸命に頑張ったんだね。"
"スゴいなぁ~♪"
一生懸命に頑張ったコトに
(拍手喝采☆~~!!!)
でも、
無理だけはしないでね。
クタクタだなぁー。と思ったら
ゆっくり休んで整えながらさ、
まぁー"ゆっくりさぁー、"
そんな時もね
必要な時もね
アルよね。
"イロイロな優しい"があるけれど、
"優しい想いはイロイロあっても良いと思うよ。"
"イロイロな(優しい花)があるね。"
"イロイロあるから1つ1つが違う優しさだから、"
"気持ちがホッと出来たり、"
"心が嬉しく柔らかくあたたかく感じたり、"
"優しい柔らかな心の花と"
"そのままに"
"素直な想いを1つ1つ包みながら"
今をお互い一緒に笑い合えたら嬉しいね。
"素敵な日々を。"
"それっ!!!"
一緒に好きな飲み物で
\乾杯~~~~♪/
"お花見大会最高~~♪"
2024年期間限定お誕生日編で
登場した"動物さん,みんなに、"
今回の記事のモデルにと
登場してもらいました。
また時々、
出来ればですが、
無理はしないくらいの調整で、
ウーロンくんをコッソリと~☆
(~ ´∀`)~
何処かの記事で"モデル再登場☆"を、
虹の橋のウーロンくんの許可が出ましたら
Go~~サインで、
のんびり
ゆっくり
マイペース速度を保ちつつ、
創作イラストで描ければなぁーと、
スゴく、
スローに
のほほ~んと、
考えております。
今日から4月ですね、
早いなぁー。
イロイロと
また頑張らなくちゃ。
それにしても…(* ̄ー ̄)!?
"どこで買えるのだろう?"
4月は誕生日の月だから、
自分自身用に(御一人様用に)
自分で自分への
"バースデープレゼント"
…なーんてね。
4月生まれも楽じゃないのよ。
だって新年度スタートからのー、
イロイロ慌ただしいじゃない!?
で、
そうこうしてる間に
5月に早変わり。
幼稚園に始まり
小中高と、
だいたい仲良くなる頃にね、
"あっ!?そういえば
お誕生日何月生まれ?"
って…
聞かれてばかりだったんだよね。
"もう4月の誕生日終わったんだ…、"
と、
申し訳なく思いながら、
答えていた思い出讃歌の日記歌
この辺でね、
お開きに、
はーい
"解散ーー。"
今日も1日お疲れ様♪
頑張ったからね、
アイスティで。
レモンも添えて
それ…"レモンティー…"
好きな曲ね、
今ね、
スゴくマイブーム的に
リピ聴きしてるの♪
もぉーね、
感動の涙☆
深くて
互いに同じ道を歩めずとも
会えずとも
距離遠く離れ離れでも、
心と心が繋がっていて
そういう繋がりの想いも愛のカタチもあるんだなぁー…って。
そういう出逢いも
そういう距離も
そういう生き方も
ただ心が繋がっているってだけで
互い遠く離れ離れであっても
想いは近く傍で見守りあえる
そういう心と心の繋がりだけの幸せっていうのかな、
互いに心通う幸せとでもいうのかな、
出逢えて幸せで
離れ離れでも心が繋がっていれば
それも1つの幸せな想いのカタチなのかな、
幸せに想える想いの思い出もあるのかな
距離遠くても
心は,いつも並んで一緒に歩いている。
心と心で互いに想い合える
"そういう触れずとも繋がってる存在。"
大好きだったイロイロ素敵な思い出を
優しく包みながら。
ありゃりゃ~~、
まーた、
長々と浸って書き書きしてしまいました…
一回目の反省をしてきます。
その次は…次に考えます。
マイペースにね。
イロイロな新年度。
でも、
まぁ、
気負わずに
マイペースで、
イロイロな季節の空に、
様々な日々の出来事も
それなりにね、
あっても、
あったとしても、
"ゆっくり"
"ゆっくり"
"マイペースに、"
"きっと大丈夫。"
体調を崩しやすい時でもありますが、
風邪ひかないように、
お身体大切にしてくださいね。
美味しい温かい御飯で!
元気いっぱいな優しい日々を♪
嬉しく優しくあたたかな
穏やかな1日の始まりを!
ゆるりとね♪(*^^*)
気楽にマイペース!
ときめいてマイペース♪
マイペースに
ゆるりと。
今日も"なんだか心トキメク
ワクワクな瞬間に出逢えますように!"
"そんな素敵な1日と日々でありますように。"
そーれっ♪
"1日の始まりの掛け声と"
はじめの一歩目。
朝の輝く光りとスタート
"1日を行ってらっしゃい!"
あたたかな夕空星空と
"今日も1日お疲れ様でした!"
ゆっくり寛いでね。
ゆっくり休んで
素敵な優しい
ヒトトキを♪
それでは、
今回の記事は
この辺で。
記事を読んでいただきまして
"どうもありがとうございます!"
∞─────────────∞
【インスタリール】
タイトル
「─春の空花─。」
柔らかな優しい春の光りをイメージして
タイトル名をつけてみました。
ブログに投稿した写真を使用して
作成しました。
メロンが結んだ両親の思い出の話し。(記録を少し綴り)

・【今回の記事内容】
↓
(この記事を"まとめると、")
→こんな感じの話しです。
当時、
いまは亡き母と
交わした会話の中の記憶と
思い出のヒトコマから記事の話しが始まります。
①以前の記事の"続きからの始まり"
②"メロンが結んだ,"
亡き両親の馴れ初めの話し思い出の話し
③母の好きな花と
母の好物のメロン2つを持って,
父から母への
勇気最大の一生懸命な
"プロポーズ。"の思い出を聞かされた当時の話し。
喫茶店のマスターさんが
キューピッド役で一躍担い役!?
④亡き母の入退院の際に利用した制度の話し少しと、
療養食やリハビリ指導を取り入れながら
工夫を重ねてた話し少し綴り
【記事途中で余談として書いた】↓
学生時代の頃の私の話しも少しだけ書きました。
音楽系の全国大会へと大会場所へと渡り
若かかりし頃の両親が降り立った
空港に足を踏みおろした時の
当時
その頃の私の
"言葉にならないくらい感動した話しも少しだけ織り交ぜながら"
その時の空気や余韻が
今でも忘れられない
その時の当時の
今でも宝物の思い出の話しも途中くらいに書いています。
今回の記事内容は
読み物的なようなモノです。
(少し記録綴りも含めてみながら
書きました。)
☆(記事の始めから結びまで、☆
↓
長───い書き綴りになっております。)
読むのが大変かと思いますので、
先ほどの上記の↑
・【今回の記事内容】
(この記事を"まとめると、")
→こんな感じの話しです。
の部分だけでもスルーされても大丈夫です。
"それだけでも感謝です、"
「どうもありがとうございますデス。」
────────
インスタの方には
今回記事に投稿した写真と
大まかに小分けして書いたのを投稿しました。
────────
■コチラのリンク記事投稿後
↓
何気ない日常ヒトコマ編(再投稿記事として)
記事の投稿を迷い
一度は下書き保管のまま
記事を寝かして置いといたのですが
ここ最近、
しばらくぶりに
読み直してみながら、
当時、
いまは亡き母と
交わした会話の中の記憶と
思い出のヒトコマを
("大正生まれの母方の亡き祖父母
田んぼとサトウキビ農家だった
祖父母は
"お見合いでの縁で結婚をしたこと。")
("亡き両親、
私の父の一目惚れから始まった
今は亡き両親の馴れ初めの話しを、"
当時、闘病中末期のステージの
そういう中にいた
"今は亡き母との
最後の交わした会話の中で、
あの時の
あの当時の母の言葉と想いと
当時の私自身の姿の思い出と。"
当時のコトを振り替えってみると、
今と
その頃のその時と当時と、
気持ちや想いの部分で、
─何が,どう変化してきたのか。─
私自身の中で、
─その変化の部分で─
"どう気持ちが変わりはじめてきたのか、"
今の私自身の中で
そういう書き綴りを
試しもかねて通してみながら、
当時のコトを
私自身の
思い出の中にある記憶として
今は、
記録の1つにと思い"
そういう思いで記事を置いています。
今の私なりに思い出したこと
"以前とは違う持ちようで,"
"時と時間と月日を越えてからの今だから,"
"当時の頃の私とは違う
想い模様に触れて今さらながら、
今の私自身気が付けた事があったこと、"
"少し思い出した一部分を解いてみながら"
─その時の想いの部分や、─
"今さらの私の気持ちや想いも
少し振り返りながら書きました。"
特に懐かしい記憶の優しい思い出でもなく、
触れるまでもない、
─そんな"思い出を。"─
ここ最近思い出した"記憶"がある。
特に思い出さなくても良い
記憶なのですが、
─遡ること。─
1日が一瞬で過ぎたのかと思うくらいの
スピード感を感じながら
自分自身のコトを考える間もない日々を
そういう日々が
目まぐるしく
あっという間に過ぎていく
そんな中で、
自分自身で疲弊しきってた,当時は,そんな自覚はありつつも、
そんな悠長なコトを感じてるヒマも時間も
─自分自身の気持ちや心に余裕を感じなくなっていたコトにさえも感じず、
何も気がつくヒマも"ゆとり"さえも忘れ
持たぬままで翻弄した日々を走っていました。─
亡き母の入退院の際に利用した制度手続きで
当時の病院での医療事務会計の案内の方に
・特定疾病受給者証や
・限度額適用・標準負担額減額認定証
・医療費控除の手続きを行政窓口担当課の方で還付申告をするか,確定申告で申告手続きをしても構わないので。
という説明を受けて、
仕事の合間時間でお昼休憩に急ぎ
母の代理で行政窓口担当課の方で
手続きを済ませたり税務署での手続きも済ませたり
退院の際の会計で支払いを済ませたり
前夜か翌日に早起きして
家を出る前に母の療養食を作りおきして
退院後の
療養食やリハビリ指導を取り入れながら
減塩と水分量の日々のバランス調整や
1日3食のうち、
朝は母の体調や様子や食の好みに合わせて
お味噌はお昼用に、
具沢山で減塩
野菜多めに海藻類やエノキやコンニャク等々や
白米の代わり置き換えに夕食の時だけ
木綿豆腐を薄く味つけて
他のおかず類を小鉢の数とで足したり引いたりしながら
魚類肉類も野菜をプラスしながら
リハビリ指導で受けた説明を参考にしながら
母の身体の負担を考慮しながら
散歩のコースも野外散歩ではなく、
母のメンタル面や身体の息抜きに
ショッピングフロアのコースを
10分だけの散歩に切り替えて
買い物がてらにフロアを歩くだけでも運動になるから。
と受けた参考を,
その時々の母の体調に合わせながら
工夫を重ねて
仕事の休日の日にだけしか出来なかった
母の散歩コースだったのですが
そういう日々の時間が刻々と告げてはと、
─繰り返しの時間が去っていきました。─
目の前の現実と、
美化物語ではない、
キレイな美しき記憶の思い出としてではなく、
その当時の背景が、
"そのままに"切り取られた断片のように、
私の記憶の一部の思い出として、
残されていました。
季節も感じるような
ゆとりも持ててなかったままの、
─その午後の出来事、─
母の余命宣告を独りで
お医者さんから告知の話を聞いたこと
たくさんのイロイロが重なり
とても疲れてる日々を過ごしながら、
疲弊しきっていた
自分自身にさえ気が付かないまま、
私は、
今は亡き母から、
母の闘病中の時間の中、
母との別れが訪れる
─ホンの数ヶ月前の出来事の中で、─
そんな日々が続いてた
─ある日の時間の中で、─
母から"母の思い出話し"と、
母の最後になった
当時の私への母なりの"想い"を伝えられました。
今回は、
その日のヒトコマの思い出の話しを1つ。
母と父が知り合った当時の、
両親が若かかりし頃の時の、
馴れ初めのエピソードの話し、
当時、
私の記憶にある
思い出のページとヒトコマの
母と交わした会話の中で、
その時の、
母のエピソード話しは始まりました。
若かかりし頃の、
20歳だった当時の母は、
出稼ぎで故郷の沖縄から
神奈川の工場の方で最初は
働いてたそうです。
その後、
喫茶店のウェイトレスさんとして勤め
そこへお客さんとして、
連日,通い常連客になった父は、
母に一目惚れをして、
当時の母の話しの内容だけではあるのですが、
その話しの内容によりますと、
当時の父は、
当時の母への想いで、
どうにかキッカケが出来ないものかと、
恋わずらいをして
伝えたい想いを伝えたくて
恋わずらいの中
迷い考えていたそうです。
父は無口で
口数も少ないタイプの父でしたので、
その当時父の心境を、
なんとなくイメージしてみながら、
話しを続ける母の
"思い出の話しを聞いていました。"
当時の父は、
連日喫茶店へと足を運び、
声をかけるようなタイプでもない
無口で口数も少ないタイプだった父は
きっと…、
そこからの勇気は持てなくて、
どこかにキッカケは落ちてないかと
探してたのかもしれません。
私は。
父のその当時の時の必死だった姿が
目に浮かび、
母から話しの続きと
その後の展開を聞かされてる途中
父には悪いと思いつつ、
と、
そんな風にも思ってみたりと、
父も、
また,故郷の沖縄から出稼ぎ上京して、
父がはじめて勤めた工場は、
愛知県で,ながく勤めて
地下鉄を迷わずに乗れた伝説の話しも,
よく自慢げに、
当時,幼かった頃の私に話して聞かせてくれました。
その後、
風向き変わり、
神奈川県の方へと、
電気水道工事の会社へと入社し、
独り者だった当時の若かかりし頃の父は、
その会社での帰宅途中にあった
喫茶店で,アイスコーヒーと、
カツカレーを夕食にして食べて
風呂無しアパートへと帰宅してたそうです。
お風呂は近所の銭湯で、
洗濯物は共同の場所で、
そういう日々と季節を過ごしてた
父の目の前に、
当時、
20歳だった若かかりし頃の母が
ウェイトレスさんとして、
お客さんだった父に、
注文のメニューを訪ねて来たそうです。
きっと…
当時の若かかりし頃の父には、
当時の若かかりし頃の20歳の母が
キラキラと輝いて映って見えたのかもしれません。
(私がいうのもなんですが、
決して身内ぴいきではないのですが、
確かに,20歳の頃の写っている
母の写真は、可愛いと綺麗と両方あって、
父が一目惚れしたのも納得して頷けました。)
母が注文のメニューを訪ねて
父は、
無口と口数の少なさを必死におさえて、
あわわと、
緊張しながら、
ウェイトレスさんとして勤めた当時の母に
そのメニューを、
声をふるわせながら伝えたそうです。
常連客として通い
日々と季節の中、
─ある日、─
その喫茶店に、
ウェイトレス姿の母の姿が無かったコトに
いち早く察知して気が付いた父は、
喫茶店のマスターさんに、
いつも注文メニューを訪ねてきてくれた
ウェイトレスさんはと、
聞くのを躊躇し迷いながらも、
最初で最後だと勇気を出して
マスターさんに訪ねてみたそうです。
当時、
(平成の時代もだいぶ前の時代のコト。)
(黒電話も高級で,
両親は手紙か、
商店の電話を10円を支払いながら
その商店の電話を借りて故郷の沖縄の家族へ
用がある時だけかけてたそうです。)
─そういう時代、─
喫茶店のマスターさんは
(母は)風邪で休みなんですよ、
と、
父に答えたそうです。
母が風邪で…
心配のあまり狼狽え
…たか~どうかは
(あくまで私のイメージです。)
喫茶店のマスターさんに、
母の好物の食べ物と
果物を訪ねて聞いた父は、
喫茶店隣の八百屋さんで、
先に支払いを済ませて
メロン2つを、
母が風邪から治り
喫茶店へと出勤したら届けてほしいと
頼み、
母の好物のあんパンを
パン屋さんで
先に支払いを済ませて
母が風邪から治り
喫茶店へと出勤したら届けてほしいと
頼み、
喫茶店のマスターさんに、
お見舞いとして渡してもらえないかと
とても大きな勇気を出して
頼んだそうです。
風邪が治り、
喫茶店へと出勤した母は、
目の前に届いた
メロン2つと
あんパンがたくさん入った
可愛い編みかごをみて、
驚いて
喫茶店のマスターさんに
その話しの経緯を聞いた母は、
"……………。"
お客さん…!?
いつも注文のメニューの際に
目線を合わせない…
あの…無口そうな…!?
お客さんから…!?
"えっ!?"
"どうゆうこと!?"
この状況が把握出来ないのは
"ナゼ!?"
母は、
喫茶店のマスターさんから、
父は、
母がウェイトレスとして勤める前からの
顔馴染みの常連のお客さんで、
とても真面目で仕事もよく頑張ってる
優しい良い人だよ。
と、
何故か、
そういう言葉を言われたそうです。
どうやら、
喫茶店のマスターさんが
キューピッド役で一躍担い、
そう話したらしいのですが、
当時の
母は、
父に想いも気持ちも無く
ただ、
お見舞いでいただいた御礼だけは
きちんと伝えなくてはと、
父に、
お見舞いの御礼だけを伝えて
去っていったそうです。
去っていく母に、
母に渡そうと思い準備してた
メロン2つと、
母の好きな花を、
母のあとを必死になって走り追いながら、
「想いも気持ちも無くても構わないから、」
「最後に
もう会うことはないので、」
「最後に思い出として残しておきたいので
指輪は今直ぐには用意してあげられないけれど、
このメロン2つと
好きな花を結婚前提に
受け取ってはもらえませんか?
一生幸せに大事にします。」
と、
最後に、
母に渡したそうです。
それが、
父から母への
勇気最大の一生懸命な
"プロポーズだったそうです。"
その後、
過ぎ去る季節と日々の中で
展開があり、
イロイロと、
その1つ1つのコトが
"キッカケと縁となり、"
父と母は
神奈川県で入籍した後、
私の母子手帳には、
神奈川と記載された記録と、
当時の若かかりし頃の両親の名と
当時の記録か記載されています。
私は母が20歳の年齢の時に誕生し、
その時の父の年齢は27歳と
私の母子手帳の始めのページには、
神奈川と記載された記録とともに、
当時の若かかりし頃の両親の名と
当時の記録か記載されています。
(私が誕生した場所は亡き両親の故郷です。)
【コチラの写真内容は始めの表紙ページではなく、
途中のページになります。】↓


当時の母は、
銭湯の帰りに父と一緒に
屋台のラーメンを食べて帰宅してたそうです。
父の当時住んでた場所の直ぐ近くは
父の顔馴染みの商店街の
喫茶店のマスターさんや
他のお店屋さん,店舗等など…,
隣接してあり、
当時,私が母のお腹の中にいて
その当時の身重だった母が
体調のすぐれなかった時は、
その隣接の商店街の皆様が
食べ物や、
母の様子をみに訪れては
笑い話しを聞かせて母のコトを笑わせてくれてたと、
母は懐かしそうな様子で
私に,その当時の話しを聞かせてくれました。
皆様が口々に帰り際に
母に言い残していった言葉は、
"母の体調や様子が心配だから、
でも自分は1日外で仕事で家を空けて
留守だから、"
"時間や都合の合う時で構わないから、"
"自分の代わりに
母の様子をみにいってあげてほしい、"
"母の好物のメロンとハッサクと、"
"何か軽食を届けてあげてほしい。"
と父に頼まれて、
代金は先に頂いてるから
安心してね。
と、
父の顔馴染みの幅の広さと
父の人柄を皆様が褒めてたと、
そういう話しも母は聞かせてくれました。
生まれてくる赤ちゃんが、
元気に生まれて
幸せに笑って優しい子になりますようにと。
体調の安定した日に
掃除でハリキリ
夕食の支度を早々と済ませ
八百屋さんからいただいたハッサクを食べて
手芸品店でベビー服の編み物と型を習い
その手芸品店さんで猫の刺繍の作り方も習い
生まれる前の私へと、
おくるみを編み
帽子を編み
靴下を編み
哺乳瓶カバーを編み
子鹿のバンビのベビー布団を用意しながら
父と2人で楽しみに待っててくれてたそうです。
父は私が誕生する前に
安産祈願で近隣の大仏様の場所まで
足を運んで御参りをして
安産のお守りを母に渡してくれたとも、
母から,その話しも聞かせてもらいました。
余談ですが、
学生時代の頃の私は、
音楽系の全国大会へと大会場所へと渡り
若かかりし頃の両親が降り立った
空港に足を踏みおろした時は
当時
その頃の私は
"言葉にならないくらい感動して、"
その時の空気や余韻が
今でも忘れられない
大事な思い出の1つとして
今でも宝物の思い出として残っています。
奈良での全国大会後に、
奈良の大仏を大会帰りに観光で観に行ったこと、
奈良の大仏様を目の前に
とても感動した覚えを今でも
その感動の思い出が残っているコト。
奈良の鹿さんと記念撮影にと、
一緒に撮影したコトや、
その前の年に全国大会で訪れた、
北海道へはじめて訪れた時、
当時の思い出の1つに
北海道の新千歳空港に降りたった時の
感動や、
その空港の公衆電話から、
沖縄で私の帰りを待ってた
当時の母や弟や妹へと、
公衆電話から電話をかけて
カードも10円も100円も直ぐに落ちて無くなり、
(私が学生時代の当時の頃は
"まだポケベルと公衆電話の時代でした。")
北海道から沖縄までの距離を
公衆電話での通話という面を通して
衝撃を受けて知ったコトも、
そういう思い出も、
北海道の知らない街まで
電車をはじめて乗り
降り立った街の
そのアイクリーム屋さんで
牛乳のアイクリームを食べて♪
モグモグと頬張りながら、
次は札幌の時計台を
全国大会の帰りに観光で訪れたのですが、
私が訪れた当時は時計台修復中で、
観光までは辿れず
そのまま
近くにあった当時のラーメン屋さんで、
味噌ラーメンを味わい、
(これ以上書くと長くなりそうなので、
"余談の話しは、"また今度何処かの記事で。)
─(先程の続きの話しへと戻ります。)─
私が誕生する数ヶ月前
私が誕生する前に両親は、
両親2人の故郷である沖縄へと
帰郷、
その後私が
低出生体重児として産声をあげ誕生。
(ブログのプロフィール欄にも記載してます。)
それから後、
2つ下の弟、
11歳年の離れた妹も誕生。
その幾数十年後、
月日が,
たくさん目の前から流れていった頃
両親は離婚しました。
─家族それぞれの選択として、─
ただ両親と私達家族は(弟や妹も含め)
ただ
そういう選択肢をしたという、
それだけのコトなのです。
普通のイロイロな中での
家族としての親子としての
そういうイロイロな普通な事情です。
でも、
それは傍目からみると
受け取りようと
人それぞれの価値観の捉え方ようですが
それは優しくはない
寂しい家族の風景だったのかもしれません。
そして、
その選択を
あの頃の私は
"親子として、"
"家族として、"
キョウダイの中で1番上に生まれた姉として、
勝手な責任感を
勝手に抱いてただけなのかも知れません。
両親が決めた選択を
"自分自身の意思で自由にではなく、"
両親が決めた選択を
"受け止め受け入れ呑み込みながら、"
そんな気持ちの中で
進むしか出来なかった背景と環境があり
そういうな流れと共に
母と
キョウダイ(当時中学生だった弟と
当時幼かった妹を)守り抜いて
当時の私は必死だった思い出しかありません。
色々な面での,
その何処にでもあるコトが、
今の時代や日々とは
ホンの少しだけ
"なにかの部分が優しくはなかったような
そんな風な"その時の色々な面での環境背景を見てたような
そんな風な記憶も移ろう中で薄い遠退く思い出の中で"、
私の記憶や,その思い出の中に残っています。"
きっと、
そういう風に映ってみえてたのかも知れませんが、
その何処にでもあるコト
そういう対に対して
風当たりも強く感じられたような
そんな気がしますし、
私には,そんな風にも映りみえていました。
(映り方も受け止め方も
捉え方も感じ方も
人それぞれ違いますが、)
複雑化な面や部分も変わらず残っているといえばいるような,
そんな、
今の新しい時代と日々の中、
─それでも新しい世の中。─
"当たり前ではない新しい日々。"
それぞれに等しく選択肢出来る自由もある。
それぞれの価値観の自由も
それぞれの意思を持てる自由がある。
その中から選ぶ選択出来る自由がある。
1人1人の選択が尊ばれ意思の中から
自由に考え選択するコトが出来る。
なんだかね、
私個人の中では,そう思うのです。
そういう流れの
"新しい風向きと価値観が生まれ始めているようにも…"
私自身は,何処かでか感じる部分も増して
"理由なき"
─"その何たるやの新しい景色や
新しい風向きの流れを
素直に感じられるのです。─
生前の母は、
その当時の疲弊しきっていた、
私に,よく,繰り返しこう話していました。
母は、
末期の治療と,その症状から、
メンタル的な部分が大きく変わり
以前の元気な頃の母とは違い
疲弊した疲れをひきづりながら、
仕事帰りに看病へときた私に
母は、
しきりに同じ話しばかりを繰り返してました。
「"自分自身の幸せを考えて
お願いだから、"」と、
当時の頃の私は、
今思い返してみますと、
"自分自身で"素直になれば良い部分を、"
ただ意固地に頑なに"窮屈に縛り"
─何処か,柔らかさのユトリも
持ててなかった─
そういう私自身がいたのかもしれません。
その当時の
その時の─私自身の心にも耳にも─
母の声は入ってはきませんでした。
疲弊が先にきて
母の小言は私の中で上の空でしか聞こえていなくて、
そんな小言を話し続けてばかりだった
当時の母に対して私は
─こう話しを始めて、─
"独りでも充分に幸せな生き方だし、
そういう幸せな選択肢だってある。
それの繰り返しの
亡き母との最後の月日と時間が流れ去っていきました。
「"独りでも充分に幸せな生き方だし、
そういう幸せな選択肢だってあるとか、
そんな寂しいコトを母さんに聞かせないで,"」
と、
母なりの想いを、
親だからこその想いを、
当時の私にぶつけてきました。
当時の私は、
母は,きっと末期の症状と
治療の薬の影響で、
意識やメンタルな部分が
ハッキリとした境い目が薄れて
母自身も自分が何を話してるのかを
分からなくなってるのだと、
それが最後の交わした会話になることも
その時の私には分かるハズもなく、
末期の症状と
治療の薬の影響なんだと
勝手にそう思い込み
思い込もうと
気持の中で悪あがきをして
母との最後の交わした会話の時に、
"これが最後になるわけない。"
"きっと明日だって、"
"会えるよね、母さん。"
それを、
(その頃の当時の様々な流れの中の時の刻みを)
信じたくない
受け止め受け入れ呑み込みたくない、
そう怖がり
気持ちに蓋をして
違うと思い込もうと
違うと信じ込もうと
"時"
"時間"
"その目の前の流れに"
抗おうとしてた不甲斐ない
情けない潔くない
とても弱い私の姿がそこにありました。
そして無理に,こう思い目を伏せてしまっていました。
明日だって
明日も,きっと、
母さんの説教じみた
会話の始まりが繰り返されて、
今の,この病室の場所で
母さんの時間は続くよね!?
きっと
そうだよね!?
当時の私は、
もっと素直になれていたら
私のコトを想い言って話してくれた
その母の想いに対して
当時の私自身は、
素直に答えず
"母の想いとは反する答えを"
ぶつけてしまったのです。
"そうだね、
ありがとう母さん。
わかったよ。
そういう選択肢だって
幸せに生きる道の1つと
始まりに繋がるかもしれないね。
母さん教えて聞かせてくれて
ありがとうね。
今の話し大事に留めておくね。"
たった,それだけの言葉を
素直に
当時の母に
当時の私自身は、
そう答えてあげられてたら
それだけで
良かったのかもしれない
母を安心させてあげれてたのかもしれない。
母の介護には協力無しだった
弟や妹は、
母が何も語れない状態になり始めた時に
初めて現れて
ドタバタと走りながら,やって来ました。
もう遠い過去のキョウダイと家族の話しです。
色々あった過去の出来事は
嬉しかった思い出以外は
それ以外は
私の中では思い出の中の1つになりつつあります。
別に良い人になりたいわけではなくて、
なりたかったワケでもなくて、
不甲斐ない自分自身に対して
今さらながらと思う部分も
今さらだから見えてきた部分も
今さらだから気が付いたコトも、
全部をひっくるめて
そう思うことばかりが溢れて増し
素直さに欠けてた
私自身の"思う選択肢など、"
その時は切り離して
置いといて、
最後の力を振り絞りながら
聞かせてくれた
誰よりも深い
母の気持ちや
私への想いに
心からの感謝を持ててたら
自分自身の意思だの
"選択肢の自由だの、"
今さら遅い余韻だけが尾となり
振り返る時に様々に交互に思いがよみがえり思うのです。
"そんな云々な固い,
がんじからめなモノを、"
その時だけは
いったん置いといて、
あの時の母に対して、
"もっと優しく素直に答えてあげられていたら、"
時折、
今も思い出す度に、
そういう、
あの時の
あの当時の母の言葉と想いと
当時の私自身の姿を思い出す時があります。
今振り替えってみると、
それが、
母と交わした会話の
最後となってしまったのですが。
今現在の私は、
年齢を重ねてく中で
幾つもの月日と季節を繰り返し
それは時にほろ苦くも感じたり
それが時に柔らかくもなり
そういうイロイロな日々の中で、
様々に思いが交差してあります。
あの当時とは違う
"私なりの新しい選択肢と、"
─"風向き変わりゆく中での、"─
"今の素直な選択肢の視野の幅も
多岐の価値観にも触れるコトもあり
"ホッと包まれてるような
優しい時間にも触れ感じる
気持ちの中の部分にある心地よさという
素直な私の今にも巡り会えたコトや、"
柔らかな今の時間の流れに任せながら
自然な想いで
気持ちを無理に飾る必要もなく
自分自身の心と気持ちに素直に優しく
ホンの少しだけ
そうなれたような気がしています。
それらが今の私自身の現在を、
彩り濃く深く豊かにして
"その日々1つ1つが
色々な面と向き方向の流れを
導いてくれているようにも感じます。"
今回の記事は
この辺で。