はるブログ「私の時間.書き綴り場所」
こんにちは。
訪れてくださり
「いつもありがとうございます。」



ブログ記事の方も、
Xもインスタの方も

なかなか記事の更新も出来ず
滞り気味でスミマセン。


記事を読んでいただきまして、
どうもありがとうございます。




(2010年11月)から
コチラのブログ開始をスタートし

色々と様々模様の季節変化など
コチラのブログは長年になります。





□(2010年11月ブログ開始)
◆フォトまじえたりの綴り等
/記事/写真撮影したモノUP/
/音楽好きな曲時々語る/

◆好きなコト好きな分野

(書いたり/描いたり/
/聴いたり/撮影してみたり/読んだり)
音楽好きな曲/景色/空/日々/創作/記録/日記
写真/他イロイロ
どうぞよろしくお願いします。







◆【今の中で,
書いている大まかな内容です】



日記にしてみたり
カタチにとらわれない
枠にはまらないような流れで
写真や描いた創作イラストや
自由な文章作成で
独特な書き方で綴り書いています。


写真撮影や写真の編集が好きで
我が道まっすぐ
好きなように撮影した写真の編集や
文字スタイルや
イロイロを試しています。


主にブログの



今現在,ブログ記事テーマのイロイロな調整をしながらの試し試しを含めて書いております。



ほとんどは、
私自身が今書いて残しておきたい思い出や
私の今の日々とヒトトキをおいて書いている
テーマや記事内容綴りです。





記事内容の"ほとんどの話しは、"
私自身の思い出の話し系が多く、


チョイスした"何かを"イロイロなカタチで系とか,
ヒトトキ話し系か(好きな音楽系/好きな内容と)
時々に創作物語を試し書いたモノを投稿系か、

あとは、
創作手描きイラストを描いて写して投稿系か、




◆"写真を使用しての投稿記事や、"

◆"創作手描きイラストを撮影した記事"や

◆"創作の物語や、"

◆"時々の簡単な日記綴り"

◆"いろんな話し系"

◆"私の思い出記録系を投稿した記事等、"

◆"好きな曲を聴く幸せなヒトトキ音楽日記なるものを時々書いています。
今は時々の更新速度となっています。"

(ブログのテーマでも時々の感覚で音楽日記を書いたりすることもありますが
インスタの方でも
最近から"突如,始めてみました。"
"音楽日記。"と題して好きな曲を御紹介させていただきながら日記を綴らせていただいております。


好きな曲の紹介をしながら書き綴り
写真リールでの投稿や
創作イラスト撮影写真や空の写真など
書き綴りでの投稿もあると思います。



Xの方では、
使用つかいに関しての部分では
まだ迷い中でして、


Xの方ではブログ記事予告編になぞり
思い出の曲に,まつわる記事内容を次回予定してますといったポスト内容もあるかと思います。
それ以外では好きな曲を聴いての書き綴りもある事も場合も含めてあるかなぁーと、
Xの方は,まだ模索中な部分もあります。)





上記の流れと、
そんな風な内容多しといったところが
記事綴りの内容とベースとなっております。


今の中で
私自身が書いてみたい綴りや
イロイロな書き描き撮りを、


そういう書ける記せる描く創造の動き続ける時計の針を私らしさで続けられたらなぁと、

"イメージだけですが"
"想い満ちて抱いています。"



◆記事は書ける時に
◆ブログ更新は(他のSNSアカウント含め)
出来る時に無理しない速度で
程好いマイペースな速度で書き書きしております。


◆(ブログの更新速度は)
とてもスロー速度と不定期も多しな
更新速度となっております。
今は、
【色々な調整をしながら、】
記事を書いたり
【ブログのテーマも調整しながら】
(マイペースな速度で、
とてもゆるやかな速度で、
書いたり描いたりをしています。)



①定期的にですが、
全体的に見渡しながら
ブログ内容やテーマの欄も
その都度変更するコトも多くあります。




*【アメブロとXとインスタ以外のSNS更新や投稿などしておりませんので、
何卒よろしくお願いいたします。】



"私のマイペースなヒトトキの場所なので、"
・(コチラのブログとインスタとX)以外の
他のSNSアカウント開設はしておりません。



・【仕事関連のブログではなくて。】
・(Xもインスタの方も同じく)


【"私のマイペースな
ヒトトキの場所です。"】


どうぞよろしくお願いします。


────────────


◆・(詳細プロフ欄に記載,)してます。


◆他にはコチラにも書いています。

・【ブログテーマ欄の方にあります。】


◇【追記文も含め。】
→(以前のブログプロフ内容)と、
→(現在のプロフ内容を合わせての控え書き留め。)綴り


■以前のブログ内容についての
【ブログの説明】(保有資格/他記載等々,)】





────────────

スクロール少し途中からは
クエッション&アンサー式で書いてみました。↓


∞──────────∞




①【クエッション】

【今は,どんな感じで,どんな風に書き綴りをしているのでしょうか。】




②【アンサー】



今の私の書きたいモノを書き書きと
そんな風なイロイロな日々と今と一緒に書いています。





■ 音楽と好きな曲とのヒトトキが好きです。
そういう書き綴りも時々してます。



①【クエッション】

【どういう思いで書いていますか。
どんな風に感じながら聴いていますか。】



②【アンサー】




出逢えて嬉しかった好きな曲や音楽を応援出来る部分や事も,その内の1つの中にあるのではないのかなと,そう思う部分も含めながら感じ思っています。

スローにマイペースにですが、
音の持つ優しい力に出逢う時の中で
そういう思いで,思っています。
そう思いながらも聴いたり書いたりしています。




(音楽は,今までの私を(思い出含め),
今の私を,(日々と一緒に。)
イロイロな世界へと導いてくれました。

今も変わらず見えない部分で"伝う"というカタチへとなり変わり,

"今の私自身への"
それは時として"立ち直る力へと変えてくれた力へと変わり"

それは時として"1つ時の針を進めてくれた活力へと変わり"

それは時として"今まで見えずにいた知らずにいた想うや伝う
"優しく愛しい世界や,
縁は無くとも"感じるという心の在り方や、"
"後先続く,これからへのプラスのイメージの描き方創造を教えてくれました。"

伝うように響くを感じながら
今も変わらず導いてくれています。


学生時代からの、
その当時の記憶を、

今、
思い出を思い返してみますと、


不思議なもので、
歌と音楽とは無縁な縁ばかりの思い出しか残ってなくて、


そういう風な
ナンだ~カンだとあった過ぎ去りし日々を
イロイロな時を経てきた思い出を懐かしく
優しく振り返りながら聴いている想いの部分もあります。




コチラは下記は、
■【ブログ/X/インスタの使用小分けとして】



今のところのメインは
【ブログ中心なのですが、】
"私自身の中で落ち着ける場所が今のところは
2010年ブログ開始をしたコチラのブログなので。"

■ ブログでは、
/記事/写真/創作イラスト/他や



■ 今後は
Xとインスタとは別な書き方で
ブログだけの記事を編集作成を
綴り書いていこうと思っています。



■ (2023年開始のインスタでは主に)


【インスタの方では】
主にブログ記事投稿した写真を使用したり
写真を使用してのリールを作成してみたり
都度に試しながら活用と運用をしています。
写真日記やイロイロ試しつつ。
今までのインスタでの編集の書き方から
今後は書き方を変更して書いていこうと思っています。


主にリンクブログ記事に投稿した写真をUP/その他/
写真を使用してのリールを時々作成
◆好きなコト/好きな分野
(聴いたり/読んだり/描いたり/書いたり/撮影してみたり)
音楽好きな曲/景色/空/日々/創作/
どうぞよろしくお願いします。



■ (ブログ開始時とほぼ同時期くらいの開始の
2011年に開始のX(旧Twitter)では主に)


【Xの方では】
今のところはブログ記事更新として使用していますが、
今後は少し方向性を変えながら
再度,模索して
Xでの活用や運用が出来ればなと思っています。



*好きな分野*
リンクブログの方では↓
(書いたり/描いたり/読んだり/写真撮影)

*好きなコト* Xの方では↓
(聴いたり/読んだり/書いたり/写真撮影) 音楽と好きな曲/景色/空/日々/創作

リンクブログ更新使用時々
好きな曲音楽の話し時々
その他を模索中
X(旧Twitter)2011年開始
よろしくお願いします






【追記】↓/2025年/9月
◆(Xの名前を)
【はる。(はるブログ「私の時間,書き綴り場所」)】から、

【はる。】
に新しく変えました。
よろしくお願いします。



◆(2025年/9月)
ブログとインスタとXのアイコンを
新しく変えました。
よろしくお願いします。




──────

■【最近は,インスタやXの方で
少し書き書きした内容をUPしたり
インスタの方では写真だけのリール風を作成してました。】


◆【2025年7月20日】


今回から"始まりました。"
突如からの"始まり"音楽日記と題して
インスタの方に創作イラスト撮影写真と一緒に好きな曲の紹介を書いて投稿しました。


インスタの方の
【写真だけのリール風な"風は"】の説明をさせていただきます。


最近撮影した空の写真と
ヒトトキタイムを過ごした時に描いた
創作手描きのイラストと折り紙を背景カラーにして撮影した写真を使用してのリール風を作成してみました。




◆【2025年8月2日】

説明をさせていただきます。
Xの方にはテキストと創作イラスト撮影写真を投稿しました。



◆【2025年8月27日】



ここ最近から始めてみました
"音楽日記"と題して3回目となります。
インスタの方で
【写真だけのリール風と一緒に
好きな曲の紹介をまじえながら書きました。】



リール写真に使用した写真は、
最近撮影した空の写真を一緒に投稿しました。




◆【2025年8月31日】


インスタの方で
ここ最近から始めてみました
"音楽日記"と題して4回目となります。


今回は写真リールでの投稿ではなく、
今回は創作イラスト撮影写真と
書き綴りでの投稿をしました。



Xの方もポスト投稿しました。




◆【2025年8月31日】

リール写真に使用した写真は、
最近撮影した空の写真と
以前撮影した空の写真を一緒に投稿しました。


Xの方もポスト投稿しました。




◆【2025年9月20日】

Xの方をポスト投稿しました。
ポスト投稿内容は、
今度,いつかブログ記事で
"これコレ~こういう内容の思い出話しを書いたモノを記事投稿まで出来ればなぁと、"そういう感じの内容です。


その他以外は
好きな曲を聴きながらと
メッセージを読んでもらえたことが嬉しかったので
"ありがとう"を書いてのポスト投稿もしました。




◆【2025年9月24日】


Xの方をポスト投稿しました。

"今日も1日お疲れ様の私へ"と題して
大好きなアイスティーの話題と
大好きな曲から元気をもらいながら
そういった内容と
明日も素敵な優しい良い1日を
"明日も頑張ろう"を書いた内容を書いたモノをポスト投稿しました。



◆【2025年9月24日】



・【インスタの音楽日記を書いて更新しました】



【写真だけのリール風な"風は"】

以前に撮影してリンクブログに投稿空の写真と
ヒトトキタイを過ごした時に描いた好きな曲からイメージして描きました。
創作手描きのイラストと折り紙を背景カラーにして撮影した写真を使用してのリール風を作成してみました。




◆【Xの方をポスト投稿しました。】

ブログ更新したお知らせと
インスタの音楽日記を書いて更新したお知らせのポスト内容。


大好きなアイスティー
大好きな一曲と
"明日も頑張ろう"を書いた内容を書いたモノをポスト投稿しました




◆【2025年10月11日】

・【インスタの音楽日記を書いて更新しました】

インスタの
【写真だけのリール風について。】

以前に撮影してリンクブログに投稿空の写真と
ヒトトキタイを過ごした時に描いた好きな曲からイメージして描きました。
創作手描きのイラストと折り紙を背景カラーにして撮影した写真を使用してのリール風を作成してみました。



◆【Xの方をポスト投稿しました。】

ブログ更新と
インスタに投稿した音楽日記更新を
ポスト投稿しました。


季節はじめの10月の御挨拶を書きました。




◆【2025年10月23日】

・【ブログの方で第8回目の音楽日記を書いて更新しました】

インスタの方にはリンクブログ更新と
記事の内容項目を書きました。

◆【写真の説明】

ブログの方もインスタの方もXの方も
10月の晴れた日に撮影した空の写真を投稿しました、
ヒトトキタイを過ごした時に描いた
創作手描きのイラストと折り紙を背景カラーにして撮影した写真を使用してのリール風を作成してみました。



◆【Xの方をポスト投稿しました。】

ブログ更新と書いて
ポスト投稿しました。


投稿したブログ記事の中から一曲聴きながらと、
夕食は親子丼と
昨日はシチューを食べました、
と書いたモノを書きました。



◆【2025年10月31日】

X"呟きを…"ポスト投稿しました。



◆【2025年11月6日】

・【インスタの音楽日記を書いて更新しました】

インスタの
【写真だけのリール風について。】

◆【写真の説明】

以前に撮影してリンクブログに投稿空の写真と
ヒトトキタイを過ごした時に描いた好きな曲からイメージして描きました。
創作手描きのイラストと折り紙を背景カラーにして撮影した写真を使用してのリール風を作成してみました。


文字スタイルとギターの創作イラストを描いて一緒に撮影しました。
撮影の工夫は当て方を変えながら写真の撮影をしました。



◆【2025年11月6日】

Xポスト投稿更新しました。
ポスト内容は、
【優しい素敵な好きな曲の御紹介と】と、
【今回のブログ記事更新内容】と、
【季節の挨拶】と
【引用リポスト】と
【インスタ音楽日記更新】を書きました。



【2025年11月20日】

Xのみポスト投稿させていただきました。
ポスト投稿内容は、
今度のブログ投稿にと予め書いてある下書き留まりの記事を今はそのまま置いているよ、という内容と

幼かった当時の思い出を書きました



◆【2025年11月29日】

・【インスタの音楽日記を書いて更新しました(第10回目の音楽日記となります。)】

今回の音楽日記の内容は
"よく思い出す懐かしき曲と、"
"私達キョウダイ三人が共通して大好きなアーティストさんの曲、

中学,高校時代と
そして今も聴いてる
あの日から変わらない私の大好きな曲、

それから、
最近から聴き始めてる曲や今も変わらずに聴きいっている,とても素敵な大好きな曲を聴きながら明日も頑張りますね♪
明日へのパワーと出逢えた音楽と一緒に書かせていただきました


音楽日記についてなのですが
(10月11日)(11月6日)のリンクブログ記事の方にも説明書きを少し書き綴った内容を置いています。

(今回の音楽日記の創作イラストのイメージについて。)

新しく描いた創作イラストと文字を撮影した写真と前回に投稿した創作イラストと空の写真を投稿させていただきました。




【Xポスト投稿更新しました。】
ポスト内容は、

久しぶりに書いたブログ記事投稿のお知らせと
インスタの方に久しぶりに書かせていただきました音楽日記の更新のお知らせ等などを書きました。




◆【2025年12月3日】


【インスタとXの方に
ブログ更新をしたお知らせと
ブログに書いた記事内容を書いて
書いた作品と描いた作品を撮影した写真と一緒にポスト投稿しました。】


【Xの方にだけ"イルカのオキちゃん今までありがとう"の想いを書いてポスト投稿しました。】






□(上記の書き日付けですが、↑
新しくリール風を作成した時だけに、
現在の記載から→新しく変わり次第、
書き日付けをアップしていきますので、
何卒,宜しくお願いいたします。)




───────


■ (メッセージボードの
活用道が決まらないので、)

(過去の記事に投稿しました、)

"コチラの写真の方で,"
どうぞ宜しくお願いします。"





ウーロンくんの若かりし時の
思い出の写真を1枚御紹介。


*【ブログ記事:2025年2月27日と。ウーロンの空と】記事記載

我が家のセキセイインコくん♪
ウーロンくんとの思い出

ウーロンくんの存在は
"とても大きく"
今も変わらず大事な存在です。

気が向いた時に
ウーロンくんをモデルに創作イラストを描いていました。





ブログテーマ欄
【時々UPチャコちゃんの
思い出のページ】





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12月もどうぞよろしくお願いします。(時々忘れた頃のお手紙風。)











初冬の候
いかお過ごしでしょうか。
お元気にお過ごしでしょうか。

朝晩の冷え込みが増し
冬の訪れを感じる季節となりました。
寒さもひとしお厳しくなってまいります。

年末へむけお忙しい日々かと存じますが
どうぞお身体を大切にご自愛ください。
どうぞ心温まる良い年末年始をお過ごしください。
2025年12月が素敵な季節となりますように



*──*───*───*───*



朝晩は冷え込み日々違う気温差も感じながらの12月の季節の始まりを過ごしています。


体調に気をつけながら、
風邪に気をつけて良い日々と季節をお過ごしください
明日も素敵な優しい良い1日を。


12月の季節も
どうぞ宜しくお願いします。










*~~*~~~*~~~*~~*






今回のブログ内容は

【月一だけの
"時々忘れた頃のお手紙風。"】です。

"12月さんへ"と題しての
お手紙風な"お手紙内容を書きました。"






◆─今回の【月一だけの
"時々忘れた頃のお手紙風。"】に込めた想いを少し書いてお話しさせていただきました。




◆その他の内容もあわせて書きました。






◆後半からの内容は、
第10回目音楽日記"さりげない目標を達成出来ていた"というお話しと、

"第11回目…どーすんの!?"云々を書いての
以上の記事内容で結びました。



どうぞよろしくお願いします。





*~~*~~*~~~*~~*




前回の【月一だけの
"時々忘れた頃のお手紙風。"】の記事には

"久しぶりの登場として、"

我が家のセキセイインコ君を創作イラストのモデルとして描いて撮影仕上げの投稿をさせていただいたのですが、

("前回の記事内容で書いてお話しさせていただいた通り,前回だけの再登場として、")

("我が家のセキセイインコ"ウーロン君を創作イラストモデルに描いて再登場させていただきました。")



"我が家のセキセイインコの名前はウーロン君という名で呼んでいました。"



─そして今回の、─


【月一だけの
"時々忘れた頃のお手紙風。"】は、


前回の記事内での創作のお話し内容に書かせていただきました、
創作イラストモデルの我が家のセキセイインコ君
"ウーロン君との「"今回だけの再登場ですよ。"」の約束を守り、"

11月ですね。どうぞよろしくお願いします。(時々忘れた頃のお手紙風。)



今回は違う想いをのせながら
【月一だけの
"時々忘れた頃のお手紙風。"】を書かせていただきました。



─2025年12月さんへの想いの中に、─

2025年という季節や日々を振り返りつつ、






─読んでいただいた方へ,─
"どうもありがとうございます。"の想いをのせて、


今回の
【月一だけの
"時々忘れた頃のお手紙風。"】を書かせていただきました。







【前回再登場した、
我が家のセキセイインコ君ウーロン君の
再登場なのですが、】

またどこかの記事で創作イラストモデルとして描ければなぁと、
今は,それだけを思っています。


さらになのですが、
【月一だけの
"時々忘れた頃のお手紙風。"】に、

(何回か登場してもらった創作イラストの
アニマルさん達の再登場も、)

今は,ウーロン君の再登場と同様に、
またどこかの記事で"それぞれの輝きを活かせた書き方と描き方の工夫を少し加えて創作出来ればなぁと思っています。"


【月一だけの
"時々忘れた頃のお手紙風。"】や、
他の内容の記事内で再登場させられたらなぁと、
コチラの方も今はそれだけを思っています。





(以上でここまでの内容は、)




─"ありがとう"の想いをのせて。─
2025年12月さんへの
【月一だけの
"時々忘れた頃のお手紙風。"】のお話しでした。







それから、
少しお話しの内容が変わりますが、

前回の記事でお話をさせていただいた時からの
その後の気管支喘息の治療の経過なのですが、


【関連リンク記事】です。



8月31日の先日の記事の続きを書いた内容です。


最近の記事内容にそりながらの綴りです。


久しぶりの記事の綴りになります。




─先月,無事に定期通院治療から切りかわり
一旦は定期通院終了をし,今後は定期通院必要無しでの経過観察の流れへとなりました。─




そういう旨の説明とお医者さんからの今後に関しては定期通院は必要ないとの御判断をいただけました。



御心配をおかけしましたことと、
無事に定期通院を終え治療の方も経過観察に変わり回復まで出来たことを今回の記事で改めてご報告をさせていただいた次第でございます。




今後も気をつけながら、
無理だけはしないようにと自身の体調の変化の声に素直に耳を傾けながら回復維持の状態を続けて頑張ってまいりたいと思っております。



先ずは回復出来たことと,1つホッと出来たことに心から感謝しております。


その流れが良い方へと変わり
今はホッと安心出来ていて,そういったところです。




受診の最後に
車の運転免許の更新手続きの際の手続き内容に関して気になってた点を1つ確認出来ていて解決出来たので、

そのことも解決出来た点も含めて
"ホッとして安心しました。"
確認しておきたかった事を最後に確認して聞けて良かったです。





違う日々といろいろな流れとともに
1つずつ,今はそういったところです。



─少し長々に書き綴ってしまいましたね、─





さて、

*【ここから下記は、
第10回目音楽日記"さりげない目標を達成出来ていた"というお話しを書いた内容から結びまでの流れになります。】







◆【前置き】
ブログの方でも書ける時に書いたりしてますが
最近はインスタの方での【音楽日記】投稿が少し多くなってきました。



◆【インスタの方でも少し試しながら書いてみている

音楽日記について。(今のところの説明と内容の御紹介。)】を書いて少しお話しをさせていただきますね。




・【コチラの記事リンク下記あたりに書いています。】


*(記事ごとに違いはありますが、内容じたいは,同じ想いで書いています。)

【関連リンク記事です。】

10月の季節ですね。どうぞよろしくお願いします。

11月ですね。どうぞよろしくお願いします。(時々忘れた頃のお手紙風。)



久しぶりの記事の綴りになります。



9月の季節ですね。どうぞよろしくお願いします。




ここ最近はブログの方よりも書いている投稿数が少し多くなりつつの試しながら書いている音楽日記、



好きな曲を聴きながら
2025年7月くらいから突如始めてみました、



【音楽日記♪】なのですが
書ける時にの気持ちで

単純な始まりの動機からと、
のんびりとスタートしてみました。


のんびりと。
ゆっくりと。
マイペースに。



ゆるーく。




("目指せ10回!"を合言葉に、
"10回目を達成出来たら!"
さりげなく目標にしてみながら☆)





"さりげない目指せ10回"を合言葉にしていた目標も,気がつけば,あっという間の10回目となっていました。


("さりげない目標の達成☆")


"そう…私は自ら掲げてみた小さな目標達成を"それは!それは大きく"喜び♪"



─それも束の間でした、─


その"あっという間の喜びの後に、"





─気がついたのです。─




"第11回目…どーすんの!?"
(云々巡り登場編)

"…11回目をどうしようかなと!?"




"10回目達成が残してくれた次なる11回目へと、"



─2025年12月の"ささやかなる私の新たなる小さな目標を…再び探してみたいと考えながら、"─




"前回インスタの方での投稿で
第10回目となりました。

【音楽日記】、

(関連リンク記事です。)

久しぶりに書きました。


少ない回数の音楽日記でしたが、
楽しみに読んでいただけていましたら
とても嬉しいです。
心から感謝申し上げます。


"「どうもありがとうございます。」"



11回目の音楽日記は
"ゆっくりと考えながら試していけたらなぁと思っています。"



(内容は今後も変わらず
私の好きな曲の御紹介のお話し中心な流れになるかと思うのですが、)





・(音楽日記に関しての話しになるのですが,)
ブログの方でも
インスタの方でも
Xの方でも

いろいろ考え巡りながら模索して試せていけたらなぁと思っています。



その他のブログテーマ欄の
ブログテーマも含めながら
ブログの方の記事も"いろいろ試していけたらなぁと思っています。"




"模索中続きではあるのですが
いろいろ楽しみながらですね試していけたらなぁと思っています。"
(です。)




─書いたり描いたり撮影したり─

─内容まとめたり─


そういう巡りツアーを楽しみながら。
(ツアーとは違う(!?)
ただ私が勝手にそう名づけ書いただけでございます。)







・(今回のブログ内容、)

【月一だけの
"時々忘れた頃のお手紙風。"】と



第10回目音楽日記"さりげない目標を達成出来ていた"というお話しと、

"第11回目…どーすんの!?"云々を書いての
以上の記事内容でございました。




今回の記事は
この辺で。


読んでいただきまして
どうもありがとうございました。







久しぶりに書きました。








いかがお過ごしでしょうか。
お元気にお過ごしでしょうか。

秋の風から冬を感じる風へと変わり
11月の季節から12月への季節へと衣替えの
秋冬の色合いを感じ、
11月から。そろそろ…"クリスマスシーズン"が気になりだしてソワソワと嬉しくなる,そんな季節も近づいてきましたね。



さてさてなのでございますが、
とても久しぶりな書き綴りになるのですが


インスタの方にですね、

"記念すべき第10回目の"

(音楽日記♪)を書きました。


"よく思い出す懐かしき曲と、"
"私達キョウダイ三人が共通して大好きな
素敵なアーティストさんの曲の御紹介や
その他を少し書きました。"



(あとはですね…,)


私達キョウダイ三人の共通で好きな食べ物を思い出してみながら振り返ってみたのですが、


"三人キョウダイ好きな食べ物の共通点は無しでして。"


(そんな思い出もあったなぁーとかですね、)




思い出してみながらのヒトトキの中で
音楽日記も一緒に書き綴り



子供時代から大人へと成長するにつれて変わってきた部分はありますが、
今の私自身と照らし合わせながら

自分自身の歩む足跡を振り返りながら心素直になれるヒトトキと優しい幸せな気持ちへと変化をしてる豊かな想いを感じながら過ごせていることに日々を元気に過ごせていることに感謝している想いや

思い出してみながらのヒトトキ
サンタさんと私の物語。
クリスマスとサンタさんへのお手紙編を懐かしく思い出してのヒトトキのことを書きました。

美味しい御飯を囲み味わいながら
鮮やか賑わう優しい想い溢れる素敵な季節

"素敵な季節に恋をしたい。。。"(!?)
いつか私にも,そんな素敵な恋の季節が…クリスマスのプレゼントに変わり届く時があるのでしょうか(?!)


("という自分自身への謎かけ問い掛け
チャラリラ~リン♪")


今年のクリスマスと私。
懐かしい子供時代の当時の私。
大人へと成長した今の私と…。

"誰かを想う"
!誰かを好きになれる"
"誰かを愛する"

そういう"想い"って子供も大人も大切にしたい愛しい柔らかな素敵な"想いの贈り物ですね。"


今回の音楽日記は途中,少しファンタじっく風に書いてみました創作風な文綴りのお話し内容を書きました。





あとはですね、
今日の夕食メニューは
豚こまの味噌つけ焼きの甘辛風に仕上げて
野菜サラダサイドに"ポンっと"おきまして

ミニトマトの予定から
キュウリのスライスへ"ストンっ。"

(何故だか!?)

デザートを…カットしたオレンジを
"ヨイショッ!"(掛け声は小声で。)

そして,大根とジャガイモのお味噌汁。

ここで気がついたこと、

"豚汁で仕上げてみても…良かったんじゃ?"
(ないのかな…。)


"素敵な結末と月末という名の
美味しい御飯のヒトトキ共に、"


「ごちそうさまでした。」


♪~~♪~~♪~~♪~~~♪




"お話しの内容が変わりますが、"




ここしばらく、
いろいろな出来事とドタバタと続いていたものでございまして、

ブログやインスタの方は久しぶりの投稿となりました。

Xの方は,いつぞやかに少し書いた綴りをポスト投稿させていただいたのですが、



─そこから間があいての、─



ブログもインスタもXの方も
久しぶりな投稿となってしまいましたが、


また落ち着いた頃に
書き留めてる下書き記事の投稿が出来ればなぁと思っているところです。

"思い出系の方の記事書き留めの内容の話しになるかなぁと…思います。"


(いつになるかは分からないのですが、)


それからデスネ
月一にですね、
試し試しに書いて描いてみている
ブログテーマ欄の
【時々忘れた頃のお手紙風。】


何一つ…辿り着けていない状況と日々で

"今からね…すこぉーーーーーし考えながら"


明日の準備に就寝に
少しでも好きなヒトトキに。


そんな感じでございますが、
今回の記事は
この辺で。



明日も素敵な優しい良い一日を♪
美味しい御飯のヒトトキを!




11月ですね。どうぞよろしくお願いします。(時々忘れた頃のお手紙風。)

11月さんへ

いかがお過ごしでしょうか。
お元気にお過ごしでしょうか。
寒向の折
お身体を大切に
どうぞくれぐれもご自愛ください。
素敵な11月の季節となりますように。












*~~~*~~~~~~~*~~~~~*






今回のブログ内容は

【月一だけの
"時々忘れた頃のお手紙風。"】です。

久しぶりに創作イラストモデルの
ウーロンくんを描いての投稿記事内容になります。

ウーロンくん喜んでくれてると嬉しいのですが♪



(ウーロンくんというのは我が家のセキセイインコ君のお名前です。

詳細はブログテーマ欄の
"ウーロンくんとの思い出記事"という欄に
投稿した過去記事をまとめて置いてます。
)










【今回の記事で話したい内容と】
【記事内容の要約は、】


(コチラとなっております。)











◆季節の始まりと、
"時々忘れた頃のお手紙風。"と題した

お手紙風綴りを書いて投稿した記事内容と





◆【今回の
"時々忘れた頃のお手紙風。"記事に、

"懐かしき方に久しぶりの登場を
お願いいたしましたところ、"】





◆(気が付いたこと。)

☆【書いてから気が付いた"舞台裏編"】を

少し書きました。








ブログの
後半スクロールしたあたりに

◆【インスタの方でも少し試しながら書いてみている

音楽日記について。(今のところの説明と内容の御紹介。)】
を書いて置いてます。
(前回の記事での書き綴りと同様な内容ではあるのですが。どうぞよろしくお願いします。)








♪~~~~♪~~~♪~~~♪~~♪



☆【今回の記事内容にいたった事の
説明書きを少し書きました。】









写真の内容は、
◆以前まで,記事の創作イラストモデルとして活躍してくれていた
我が家のセキセイインコ君

(2025年2月27日に虹の橋を渡った
ウーロンくんを久しぶりに描いてみたものです。創作イラストなので実際のウーロンくんには似てはいないのですが、
今回だけ再登場させての投稿をしました。)









アップした創作手描きイラストは
最近(先月に予め描いて用意してたモノを)

撮影して今回の記事へ
時々忘れた頃のお手紙風のお手紙と一緒に
写真投稿をしました。









◆【今回の
"時々忘れた頃のお手紙風。"記事に、


"懐かしき方に久しぶりの登場を
お願いいたしましたところ、"】
という流れからの、




◇(懐かしき方の久しぶりの登場という内容へとなった理由は、)




コチラに投稿した記事の
"しばらく経ってからのこと、"↓

最近の記事内容にそりながらの綴りです。



"ここ最近までの心境にプラス方向へと変化が少し変わり始めてきた部分との色々があり、"


そこから、
"他の色々な方向から再度変え直してみながら、"



"時々は思い出や"
懐かしきを優しく,"
解きほぐしてみるのも良いのかな?と,"



懐かしき方と名付けた記事内容流れも含めて試しながらの今回の記事を書いての投稿をさせていただきました。



少し長々の話しになりましたが、
"そういう気持ちのプラスの変化や経緯のワケでございまして、




(今はですねぇー、)

来月の(時々忘れた頃のお手紙風)記事は
記事内容流れを

どうしようかな?"と、




Xの方では…先日にね、(10月31日に)
まだ書けてなかった(描けてなかった)
ボヤキを呟きました。




考えながらの模索中なヒトトキ時間を過ごしたり

そういう風な感じです。




創作のイラストの撮影は
写し方と当て方に少し変化をつけて、
ホンの少し工夫して撮影しました。







🍁~~🍲🍀~~🍁~~🍀🍓~~🍁





11月
朝晩の冷え込みや日の暮れも早まり
そういう日々の時間も感じつつ
まだホンの少し気温差も感じながらの
11月の季節の始まりを過ごしています。



体調に気をつけながら、
明日も素敵な優しい良い1日を。


11月の季節も
どうぞ宜しくお願いします。









読んでいただきまして
どうもありがとうございました。






*~~~~~*~~~~*~~~*





今回の
"時々忘れた頃のお手紙風。"記事に、

"懐かしき方に久しぶりの登場を
お願いいたしましたところ、"







("優しく答えてくれました。
"このような回答をいただきました。)






ウーロンの夕食ゆうげ。(ウーロンくんの日記。ただの創作として。)




可愛いウーロンくんの若かりし頃の1枚写真































ウーロンの夕食ゆうげ(創作イラスト写真。)




ハロウィン弁当のつもりが。ウーロンくん弁当に☆























"えっ!?"

"今回の記事で
「ボクが久しぶりに登場しても良いの?」"












"えっ!?"

"だって…ボクは…、"
"みんな…ボクが創作イラストモデルとして
このブログ記事に登場してたこと…"


"忘れてると思うし、"
"知らないと思うけどなぁー。"








"えっ!?"


"他のアニマル創作のイラストの再登場は、
先月の記事に使用したから、
創作のイラストを描けてなかったのが理由で、"




















"でも…!?"


("今回の記事は"ちょっとお手伝いをお願いしたいのです?")









(なぁーに!?記事登場への頼み事)








("お・て・つ・だ・い?????")

(ハイ…!?)








(ボクへの"お・て・が・み♪"じゃなくて…。)











(突然ツカツカとボクの写真の前に現れたかと思ったら…!?)





【"なんたる理由を…。"】







「今回の記事だけですよ。」






「創作のイラストモデルとして
ボクが登場するのは、」




「ほんと…今回だけですよ。」
(頼みたいのはボクの方…。)















「ボクはね、
お空の虹の橋の仲間みんなと
秋のグルメツアーへ
虹の橋仲間のみんなと一緒に
羽ばたいて参加する予定があるのね、」














と…。


「それを…突然に。」
(相変わらずなお人だ…。苦笑💦汗)








「そういうことなら良いのでしょう。」

「お力になりますよ!」











ボクはココから"応援していますよ♪"


「楽しみながら頑張って続けてくださいね。」






「ボクの姿が側になくても
ボクの写真と一緒に
楽しみながら
描いて書いて
撮って聴いて読んで
頑張るのですよ!











☆【書いてから気が付いた"舞台裏編"】



"描いて"の部分を、

"猫いて"と…書いてた事に
あとから気が付いた…ということ。


💤💤💤~~~💤💤💤~~~💤💤


(寝ぼけてたのかな!?)



今のお話しは以上でございます。




🍁~~🍲🍀~~🍁~~🍀🍓~~🍁





◆【前置き】
ブログの方でも書ける時に書いたりしてますが

最近はインスタの方での【音楽日記】投稿が少し多くなってきました。



◆【インスタの方でも少し試しながら書いてみている

音楽日記について。(今のところの説明と内容の御紹介。)】






好きな曲を聴きながら
2025年7月くらいから突如始めてみました、




【音楽日記♪】なのですが
書ける時にの気持ちで
単純な始まりの動機からと、
のんびりとスタートしてみました。




"音楽日記。"と題して好きな曲を御紹介させていただきながら日記を綴らせていただいております。
(7月と8月9月10月
11月6日で,9回目になりました。)






のんびりと。
ゆっくりと。
マイペースに。



ゆるーく。




("目指せ10回!"を合言葉に、
"10回目を達成出来たら!"
さりげなく目標にしてみながら☆)








メッセージボード欄の方に
インスタとXを投稿の日付けと内容を
メッセージボード欄の方に記載しています。



好きな曲の紹介をしながら書き綴り
写真リールでの投稿や
テキスト風に創作イラスト撮影写真や空の写真などと一緒に
書き綴りでの投稿もある時も試し試しではあるのですが、そういう場合も時としてあるかと思います。




私の思い出の曲を
"思い出のお話しを少し書いてみながらと、"

そういう風な書き綴り内容もあるかなぁと
思います。
(時々になると思いますが。)




Xの方では、
使用つかいに関しての部分では
まだ迷い中でして、



2011年にX開始して…
歳月はアレヨアレヨと月日と季節と共に流れ去っていったのですが、


(Xの方は未だに使用つかい試し試しの繰り返しと模索中を繰り返しで。苦笑。)



ブログ記事予告編になぞり
思い出の曲に,まつわる記事内容を次回予定してますといったポスト内容も時々はあるかと思います。

それ以外では好きな曲を聴いての書き綴りもある事も場合も含めてあるかなぁーと、

Xの方は,まだ模索中な部分もあります。)



音楽日記"始まり"についての御紹介と、

始まりのキッカケは"突如"
"始めてから9回目となりました


流れが"マイペースに続き"
そのままを試し
そういう風な始まりと途中とともに
続けてみながらを試し試しに書いています



好きな曲を聴きながら書いてみた音楽日記
の今のところの御説明は、




この辺で。





♪~~~♪~~~♪~~~~♪~~~♪







インスタの
【写真だけのリール風について。】


以前に撮影してリンクブログに投稿空の写真と

ヒトトキタイを過ごした時に描いた好きな曲からイメージして創作手描きのイラストと折り紙を背景カラーにして撮影した写真を使用してのリール風を作成してみました。





◆【2025年11月6日】

・【インスタの音楽日記を書いて更新しました】

インスタの
【写真だけのリール風について。】

◆【写真の説明】

以前に撮影してリンクブログに投稿空の写真と
ヒトトキタイを過ごした時に描いた好きな曲からイメージして描きました。
創作手描きのイラストと折り紙を背景カラーにして撮影した写真を使用してのリール風を作成してみました。


文字スタイルとギターの創作イラストを描いて一緒に撮影しました。
撮影の工夫は当て方を変えながら写真の撮影をしました。



◆【2025年11月6日】

Xポスト投稿更新しました。
ポスト内容は、
【優しい素敵な好きな曲の御紹介と】と、
【今回のブログ記事更新内容】と、
【季節の挨拶】と
【引用リポスト】と
【インスタ音楽日記更新】を書きました。

思い出の話し集(チョイス編ファソラ♪)

運動会シーズンも過ぎ
ハロウィンも目の前になりましたね、

秋のシーズン
いかがお過ごしでしょうか。





さてさてなのでございますが、



【今回の記事で話したい内容です。】












だいぶ前にXの方で、
(9月10日/9月20日ポスト)

今度こんな風な思い出話しの記事を書いて
投稿まで仕上げられたらなぁと、
そう呟いたまま止まってしまってたのを、






色々な思い出の話しをチョイスして
1つ1つをメインに書いてみました。

以上を書いた記事の内容になります。
(長い記事綴りです。)












◆当時,私が小学生だった頃の思い出の話し
(放課後クラブ活動で自由選択で漫画クラブを
小学三年に選択して,その後の思い出の話し、)




◆私が当時小学校時代の運動会行事で
あるロック曲に合わせて踊った思い出話し

音楽朝会なるものがあった話しを
今回は少しだけの綴り。






◆曲に合わせて踊った小学校時代の思い出話しから始まり、



◆続くイロイロな"思い出を思い出しながら
ザックバランに綴り大まかに書きました。"
私の思い出をベースに
そういう思う部分を少し書いてみた綴り






◆当時の運動会練習でエイサーとカチャーシーに苦戦。

父方の大正時代生まれの祖母に"カチャーシー"を習った話し
母方の大正時代生まれの祖母に,"浴衣の着付けを"習った話し







◆当時,大きな台風があって
"もしかしたら!?"
と諦めかけてた私の目の前に

嵐後の晴れ空に向かい一生懸命に咲いて
空を見上げながら咲いていた
ひまわりの花に遅咲きに花ひらいた
小学校当時のお話しや、







◆幼稚園の運動会での話し


◆小学校での授業内容で思い出に残っているお話し

◆中学校の頃の色々な思い出のお話し。








という内容綴りになっています。















当時の小学校時代の先生方は
音楽好きな先生が多くて
流行りの曲をギターで演奏する先生に合わせて歌うという






音楽朝会なる名の朝会があったり




ギターを片手に演奏する先生の曲に合わせて、



その当時,流行り曲だった曲を
学年の皆で歌うだけの…"朝会。"
そういう朝会もあったりしたっけなぁ。


舞台でギターを弾きながらノリノリの先生方に向かいながら、

まるでライブの観客のようなノリノリ感で
学年皆で歌っていました。








小学校時代の当時、
半年ごと教頭先生が変わり、


中学校の時代の当時は
校長先生が半年ごと変わりました。


その頃、
その当時は私の通ってた
ホンの少し荒れてた小学校と中学校で
学ぶ環境的にはホンの少し荒れてた環境でした。




小学校時代の環境も
中学校時代の環境も学校が荒れていた割に



全国学年テストや
その他の授業内容,教育への環境には
何故か力を注いでいたような記憶が微かに…
いやはや…おぼろ気に程度でしか記憶しておらず、



確たる記憶でもないもので、
薄らいでる思い出しを書いての綴りで
この辺で,今の話しは留めておこうと思います。





当時の私の小中校時代は
小学校の頃は教頭先生が半年ごと変わり、

中学校の頃は校長先生が半年ごと変わり、

担任の先生も半年ごと変わり、





学校の環境的には
あまり良い環境や学校背景とは言い難く
当時の過去の思い出を解いていくと、
本当にイロイロなことがありました。
私の記憶にある1つには
そういう思い出や時と時代がありました。
(ホンの少し学校じたいが荒れてた
小学校と中学校だったので,)







当時、
(小学校時代の頃は平成生まれの妹が誕生する数年前くらいで、
中学校の頃は平成時代の誕生から
少し経った頃の時でした。)












小学校時代の運動会でのダンスでね、
爆笑スランプさんの「Runner」の曲と歌に合わせて
学年皆でテープポンポンを持って
"全力で最後まで走り抜くダンスの演目があって、


Runnerをイメージ" しながらの
運動場に円を組んで
途中からは波ウエーブを披露したり



入場行進曲がブルーハーツさんの曲で
「TRAIN-TRAIN」の曲に合わせて
元気良く歌を口ずさみ入場行進をしながら


同じグループだった幼馴染み君等と
小競り合い悪のりで互いにフザケ合い
そんな中で互いに器用に入場行進をしていました。

ダンスを踊り披露した思い出も
懐かしく思い出し笑いする場面ばかりが褪せず残っています。




大人になり思い出す時
時折…あの掛け声がド恥ずかしくも感じ
懐かしく思い出しつつ




あの当時の小学校の同級生皆で踊った
爆風スランプさんの曲で、
"Runner"が今でも私の思い出の中で
走り続けています。






(時代は、平成生まれの11歳年の離れた妹が誕生する前の,平成の時代へと元号が変わる,ホンの少し前の,出来事の思い出の話です。)






2つ下の弟は
オサルさんのお面を被りハチマキを巻き
オサルのカゴ屋のオサル役で
カゴに乗り
友人2人に担がれながら
コースを走って行きました。



それから、
弟は毎年クラスリレーのアンカーに選ばれ



走るのが遅かった私の目の前を
風のごとく去りゆき
ゴールを果たしていました。










当時の私は(保育園時代の時もエイサー。)
5年6年の頃に演目でエイサーを披露し
本気で"唐船ドーイ,の踊りの順を間違えて
慌てて合わせ直しながら踊っていました。

(浴衣と島ぞうりを履いての予行練習がありました。)





パーランクーを持って踊ってた同級生の隣で踊り

カチャーシーが苦手だった私は
帰宅後,猛特訓を開始。



保育園時代の頃の当時の先生に、
運動会の練習のたびに、


厳しく注意と指導をされた思い出があり、



小学校の運動会練習での
エイサーの練習も同じような
厳しい注意と指導があったと、




今は笑い話しで
そんな風に覚えてる思い出を
懐かしいなぁと時々は思い出す時もあります。



波の動きのカチャーシーを
鏡を見ながら何度も繰り返し練習したのですが、

どーしても柔らかさの表現が出来ず
ひとり練習重ねる度に納得のいかない結果に私は,こう思いました。




もしかしたら、
前世は…
(考え中…)
"何だったんでしょうね?"
(これといったイメージと答え浮かばず)





そんなこんな苦戦を繰り返しながら


自分なりに踊りやすい"動きを取り入れてみる作戦を開始しました。"




阿波おどり風をカチャーシーに取り入れながら試しに躍り,一生懸命だった当時の私がいました。




その様子をみかねた父方の方の大正生まれの祖母が(亡き祖母が)



私を"ふすまの前に立たせて、"

こう言いました。




「ふすまを"開ける"と"閉める"の手の動きが
"カチャーシー"。」




「あとは、サトウキビの葉の動き
風にそよいで揺れ動く流れの
"サトウキビの葉の動き"を取り入れて
イメージしてごらん。」



「考え過ぎないこと"いたってシンプルに踊る"。」


「それが、カチャーシー。」


そのアドバイスを取り入れた瞬間
"私は,カチャーシーをクリア出来ました。"






浴衣の着付けの順は、
母方の方の大正生まれの祖母に(亡き祖母に)
着付けを習い、
当時は、自分自身で浴衣を着付けました。
















唐船ドーイとエイサーとカチャシーには



"生き抜く逞しさを学ぶ材料として、"



【ずいぶんと鍛えてもらえた…ような気もします。】




"優しさに出逢うまでの厳しい道のりの厳しさや、"

"厳しさの中の本当の意味での愛や想う"
という気持ちの部分や表現をする難しさであったり、


"答えには辿りつけない程の"
"伝統とか文化とか歴史そのものの奥の深さや
色彩のような濃さ,シンプルな部分そのものの美しさ、
"



あの当時には出逢えなかった場面に出逢い
その場面ごとに触れる中で
今は今の"違った感想や感じ方との場面に触れ出逢うことが,とても深く,そしてシンプルに美しいと,そんな風な"離れて知る故郷の色の花"を感じながら,見つめ見守っている私がいて、

"芸や伝統や文化や歴史の中に生きてきた繋げられてきた声に耳を傾けて聞いてみながら、"


そういう風にも思ってみたり、
"想う"事にはイロイロな"思い方"があるのかも知れませんね。


と、
そんな風に
大人へとなった私から
当時の私へと振り返りながら
思い出しつつ,そう思うこともあります。









私が幼稚園の頃の運動会の演目で

"宝探し"という内容の演目があり、

ヒヨコのお面を被り顔を隠した
"宝である我が子を探す"という
演目が組まれていて



保護者の方が
"我が子カナ?"と勘で抱き上げ
そのまま走り抜きゴールする、

そういう"宝探し"で、










私の場合は父が"合い言葉をかけながら、"
必死に私の名前を呼び探していました。


その様子をチラッと、
顔を隠しながら横目で眺め見ながら


また慌ててヒヨコのお面を被り
顔を隠して


そ知らぬ振りを続けながら、


"早く見つけてくれたら嬉しいなぁ。"
そう思いながら幼稚園の演目を続けていました。



最後の最後に、
ようやく見つけてもらい
肩車をされながらゴール出来ました。


親子で最後まで賞として、
洗濯石鹸とお米をいただきました。



今では遥か遠くの出来事の話しと
思い出に感じます。




とても教育熱心だった当時の幼稚園の先生は、




よく、パペット教材を取り入れてた導入からの授業を行っていました。


帰りの会
お誕生日会

一人一人が輪の中に入りやすい入り口を
"話しの教材の中で取り入れていました。"



牛乳パックを再利用しての教材作りを
授業の中で行ったり、


小学校へ上がる前に
幼稚園のクラス皆で手を繋いで

通学する小学校へと体験授業に行ったり

入学前の小学校での実際の授業風景を目の当たりに体験を通して



"小さな不安と心細さを払拭する"
そういう"課題とねらい"があったのかな?




と、
大人へとなり今は,"そういう風な、"だった
当時の幼稚園の先生の教えや授業を通しての

"子供ながらの目線での
色々な気付きや発見が"

今も何処かでか繋がり
場面ごとに出会す,その時々の中で活きています。





幼稚園の卒園式の時に
卒園証書を受け取りハニカンで走り去る姿と、
卒園式で歌ってた際の横顔が
その当時の,夕方のニュース番組のラストで放送され、

教育に注ぐ幼稚園として取り上げられて

たまたま、
偶然に、

私の姿が映り、

当時、
夕食を食べてた際の
その時の両親の嬉しそうな喜んでた姿も、
今は懐かしく残っています。









毎年の運動会は父が仕事の都合を調理してホンの僅かな時間だけの中だったのですが参加してくれました。そういう保護者参加でした。小学校での行事も音楽コンクールでの地区大会も同じく。



我が家はですね、
といっても(亡き両親と
2つ下の弟と11歳年齢の離れた妹と)
(亡き両親の大正生まれの祖父母)だけと、

あと会ったことすら無いのですが
生前に両親側の方から話しを時々聞いたことのある、
(母方の明治生まれの曾祖父と)
(父方の曾祖母と)だけで、




私は…、
未だ結婚もしていないので、
そういう風な場面や
結婚がどうのとか、
家族がどうのとか、
旦那さんがどうのとか、
子供を生み育てる大変さという日々の色々な様々な,そういう大変な部分に
"こんな感じの大変さなのかな?"
と色々な想いとともに感じたりイメージをしたり



それが素直な今の私のイメージでして、
そんな風な今の私が居るには,いるのですが、






先ほどの話しに戻りますが、

"我が家はですね、"



家族・親子として
特に仲が悪くもなく,かといって良いのか?と問われると!?


両親が顔を合わせて話す場面も
そんなに見た記憶も思い出もなくて、

お互い避けてた両親だったので、


(当時,子供側だった私からすると,
当時の幼き頃の弟や妹の心理までは分かりませんが、)

両親が,それで構わないなら
それで良し。


空気みたいな距離感だったけれど
悲観的に捉えた記憶もないし、
親ガチャだとか考えてみたことも無いし

ただ、いつも母のヒステリック気味で感情的な部分が強くあった過干渉な部分には少し悩まされてはいたけれど、
母は寂しがり屋な人だったので、

その母の事も.母のそういう部分も理解はしていたんです。

そういう母なのだから仕方がないと諦めてました。

その母のことを理解しながら,理解するしかなかったから
一難去り,また一難と,その場を潜り抜けてはの,
その繰り返しの場面ばかりだった
小学生時代の当時の私がいました。




特別に違和感を持ったり反抗期の時期も
不思議と両親やキョウダイに対して
特に感情的な不平不満もなくて、
イチイチ一喜一憂して真に受けていたら
キリがないと分かっていたので
普通に聞き流してた事でした。



我が家での光景は,両親が離婚するまでの間,ずーーーっと、


("そんな感じの
当時。1つではない色々な理由や
様々な月日の場面の中におかれながら
そういう家庭環境と家族の関係性の中での当時の私達,家族・親子のカタチでした。")



当時の同級生も私も含めてですが、
そんなに豊かな暮らしでもなく、
両親共働きが普通で、
みんな日々と,その時代背景の中で必死に生きて、生き抜いて、


そういう風な環境の中で
当時の小学校時代の私は
私なりの小学校生活を過ごしていました。


そういう背景の時を過ごしてきました。




ただ当時の私の周りには、
(当時の近所や周辺を見渡すと恵まれた環境に包まれていました。)




その当時を振り返って思い出してみますと、




"家族"以外の

"地域の方々の支えに助けられ包まれながら,"



私を育んでくれた地域という"社会の中の家族があり私自身にとっての(生育/成育)環境が,手を伸ばせば直ぐそこに安心出来る場所が幾つもあり身近にありました。



その役割の僅かばかりの微々たる担い手と
底上げとして支えてくれて
帰れる場所の1つとして
安心安全な場所へと導いてくれてたのが、


当時の御近所のお爺ちゃんお婆ちゃんや
近所から地域までを含めて1つになり

たとえ両親が共働きであろうと
心細くは感じず

日頃から常に何処かの知り合いの場所で
顔見知りの気心知れた場所で

"育んでもらえていました。"



それは,その当時の時代だから出来た話で
昨今の取り巻く環境は
子供も大人も含めて難しい問題と課題だと理解しております。


大なり小なり
加速と変化の中で
現代は,そういった部分も含めて
やはり取り巻く環境課題1つ1つに
難しさが年々と増してきているなぁーと、
私なりに感じた触れただけの知見ですが、
そのように感じ思っています。










さて、
話しの続きはガラリと変わりまして、








先程の幼稚園の運動会での演目
"宝探し"の内容の話しの後からの
流れの話しへと移りたいと思います。






毎年,暑い中での運動会にクタクタだった私だったのですが、




"なんとか最後まで頑張らねば…,"




そんなことを思いながら
暑さで消耗してた自分自身に言い聞かせてました。












毎年,変わらず
"暑い中での運動会練習と行事"




当時の運動会の思い出といえぱ、
"暑さで消耗イコール私。"という記憶だけがあります。




そんな中、
同級生,
そして、
先生方に気をつかうあまり、



疲れきってしまい、
内輪で風をあおぎながら、
場をしのいでいました。



内輪からの風は涼風と真逆な
熱風ではありましたが、
それでも無風よりはマシだと、
風にかわりないと言い聞かせ乗り越えての毎年の運動会練習と行事の思い出しか残っておらず、





その暑さピークの中で、
お昼のお弁当を賑やかに囲み
家族みんなでワイワイと味わう暇もなく,



直ぐに案内放送が流れ、
「応援合戦に参加するように、
早めにお弁当時間を済ませ指定の場所まで集合。」




"えっ!?"
"お弁当…食べるから"
"いや…お弁当時間くらい休憩長めに…"


(そんなボヤキを案内放送に向けて呟きながら、)




しぶしぶと指定の場所まで行き、


上級生から下級生
そして同級生みんなに挟まれ囲まれる流れで、


運動場のど真ん中まで進み、



"始まってしまった…
毎年恒例の紅白応援合戦開始の巻き。"
(そう名付けながら、)



しぶしぶ応援合戦に参加した私でした。

(暑かった事しか…思い出せない。)




(今の時代なら考えられない事ですが、)


そういう思い出と、


自分達が暑さに消耗しないように心掛けて
乗り越えるしかなかったので、
乗り越えて頑張って必死だった思い出だけが濃く残っています。


(そのくらい暑さだけで消耗して大変だったことしか覚えてなくて。
とても暑くて,暑い中で,ホント暑かったんです。)







当時,平成に誕生した妹が生まれる前の
ホンの数年前の時代が新しい年号へ変わる
前の出来事の時代の話しなので、
(きっと現代なら…、)
そういう古い色々な環境が普通にあって





その当時の私は普通に何とも思わずに
当時の小学校時代の私は



時代には適してなかった小学校の古びれた
そういう部分の環境の中で過ごして
疑いもせず普通なのだと信じて小学校時代の頃、
学年変われど,変わることなかった学校行事に参加してこなしていました。






あと、
その当時出来立ての小学校だったので、
プールが無くて、

隣の小学校まで片道3時間かけて徒歩で移動して

その隣の小学校に辿り着いた頃に
オレンジジュースを給食センターの方々から配られて

そのオレンジジュースを飲み終わった後の
プールの授業だった思い出もあり



その他の思い出も話しはデスネ

春の遠足も片道3時間かけて徒歩で移動して
隣街の遠足場所まで歩いた思い出も
長く暑かっただけの思い出しか残っていません。















再び話しの内容変わりますが、



当時あった
放課後クラブ活動と私、
そのお話しを話したいと思います。





小学校3年4年5年6年くらいに進級すると
"放課後クラブ活動"という名の
自由に好きなクラブへ入り参加する、
というクラブ活動を選択する午後の活動があって、





学年ごと、
クラスごと、

自分で選択してクラブ活動を決めて参加して、





(みんな、
それぞれ楽しんだりしてたような…
していたんじゃないのかな?)


"という薄い記憶がポツポツとあって、"




私の場合は
3年の頃は"漫画クラブ"というところに
行ってみたのですが、




ただ単純に捉えて考えてた
その当時(クラブの選択に対して、)
私は,単純満載に,最大に,
"こう勘違いをして,"
決断をして決めてしまったのです。




"(きっと…みんなで好きな漫画を
それぞれ持参してワイワイ賑やかに、)"

"漫画読むだけなんだろうなぁーと、"


ホントに単純に決めてしまい、


かるーく思ってたコトが
"間違っていたコトに
後から"気が付いたのですが、"




"時。。すでに遅しナンとやらで、"



漫画を読んで楽しむどころか、





ひたすら描く、
:
描く
:
:
内容/ストーリー/構成/編集/
:
"えっ!?
小学校の,ただのクラブ活動なのに…。"




"そんな疑問も"…とんでしまうくらい、


ノートに
"ひたすら四コマ漫画を自由に描く"
という内容の"漫画クラブ活動"だったことに



あとから気が付き、


ただ、
1年間は他への
クラブ活動移動は出来ない決まりだったので、



"ひたすら四コマ漫画を描いてました。"


その当時に描いてた四コマのタイトル


「猫さんの
"ニャにを描くの"」
という…ニャンとも(ナンとも)いえない…)


四コマの漫画?風に一生懸命に描いてたことしか…覚えてなくて


(…。)


その四コマ""という
適当なタイトルからスタートして描いて




描きながら
描く作業途中にうたた寝を。




その次ぎは
単行本漫画を読みながらストーリーの流れや登場人物の感情の部分だったりを



"ひたすらに観察して
思い描きたいイメージをインプット。"




そういう…
オリジナルの漫画を創作する描く繰り返しの、


よーく分からない作業ばかりだった
3年の頃の"漫画クラブ"での1年でした。






4年の頃は
"リコーダークラブ活動"へと入り

オードリーヘップバーンの映画で流れてた
"ムーリバー"という曲を演奏して



私が受け持ったリコーダーは
アルトリコーダーで、
先輩方はピッコロという楽器と
フルートという楽器と
他にも多様な種類のリコーダー楽器があったのですが、




演奏後の手入れと保管の難しさを
当時の音楽の先生から説明を受けて

先ずは初歩からスタート、
という内容だったので、

4年の1年間は
アルトリコーダーを練習し続けての
1年間の
"リコーダークラブ"での過ごしでした。




5年6年は
"英会話クラブ"へ入り
UNOをしたり、
米軍基地からのボランティア英会話の講師の先生が来てくださり、

英会話で"イス取りケーム"

英会話で歌う内容や

英会話で"私の家族"という内容で
短めに英会話で紹介するという内容もあったり



ハニカンデ照れてた私に
英会話の講師の先生が

"お名前は"と英語で質問をして

ドキドキして答えてる表情の私と

その英会話講師の先生の姿が

その遣り取りの場面が

1枚の写真に残っていて、





中学校へと進学した入学当初の
中間テストの英語の点は
100点で、

中間テストの内容が全て
小学校5年6年の"英会話クラブ"で
習った基礎だったコトと、

単語も英会話クラブで
皆とゲームしながら会話した
英語の単語内容だったので、

拒むことなく

鉛筆がスラスラと進み


始めの英語の授業までは
なんとか…持ちこたえてたのですが、






アレヨ~あれよと、

あっという間に
"気が付くと、"






英語のテストの点は

そこからは…下降へと…
"変身。"





"なんだかなぁーと、"


もっと,ちゃんと英会話で答えられてたら良かったなぁーと、



数学と理科と国語は
"可もなく不可もなく並の並。"



社会科と家庭科は"奇跡の高得点。"


体育科は"まさかの足踏み延長線上ロード"



(話すと長くなるので割愛させていただきますが,)



当時の中学時代の私自身の色々な理由から、




体育の時間は記録係りとして
皆の試合の動きを観察して記録を書いて

キチンと記録をとり
観察して分析した内容を提出と言われ、






観察と分析と
行動まで進めるポイント
クラスメイト同級生のみんなの
選手1人1人としての動きをどんな活かし方なら、


選手1人1人が,より動きやすく
それぞれのポジションと
互いの動きの連携に合わせて
それに対して互いに違和感を感じず
試合に集中して挑めるのか?


その部分も大まかに書いて記録して提出をしていました。







小学校低学年の頃の当時の話しを少しだけ、




担任の先生がお休みの時には、
一人目の教頭先生が授業をしてくださいましたし、

とても優しかった教頭先生でした。
算数の授業の分数問題を分かりやすく教えてくださいました。



給食の時間も食べる速度がマイペースな私に、

"ゆっくり楽しい給食時間で良いんだよ。遅くても気にしないで大丈夫だからね、"


そんな風な言葉をかけてくださいました。




二人目の教頭先生は、
全国学力テストに力を注いでた熱心な教頭先生でした。


担任の先生がお休みの時には、
テスト問題を手に教室へと入り、

早々に、
テストを開始。

私は、
学力テストの問題用紙を見て、
解いた答えを答案用紙に書いて提出して
それを教頭先生に確認して採点してもらった後に、


ようやく教室から脱出出来て帰宅路へと、

たいして興味もなかった参考書を手にしながら帰宅した当時の頃の、

小学校3年の頃の私がいました。





ただ、
"学ぶ"ということじたいは苦ではなかった当時の私がいたのも記憶にあって、

そういう今までに触れたことのなかった
"知らなかった分野に触れ学ぶコトは好きな方でした。"



でも、もしかしたら?
大海を知らないで過ごしていた
(井の中の蛙の私がいたかも?しれません。)





あとは、
教室ので思い出として残っているのは、

私の2つ下の弟世代からは、
各クラスオープンでドアも壁もない造りになり
隣のクラスの様子も風景も通しで互いに見れてて、

(壁に挟まれてた私世代の教室の昔ながらな教室風景とは違い.羨ましいなぁと感じながら、
そんなコトもありました。)




当時の話しで
レイワの時代の今は無いと思いますが、


当時の記憶に残ってる中で

これも,また2つ下の弟世代からの
様変わりの途中にあった学校校舎の風景になりますが、


職員室もオープンに変わり
職員室じたい生徒は自由に出入り出来て
休み時間は職員室で先生方と話したり,
夏の暑い季節は,時々コッソリと冷えた麦茶を御馳走になったり


楽器のギターの弦に触れさせてもらったり、
楽しかった思い出が残っています。





当時の授業での思い出に残っている部分は、



クラス授業では低学年の時に
郵便局の運営の流れを実践的に近いカタチで取り組んで、

切手や封筒や手紙を手作りしたり



実際に手紙を書いて
クラス皆で郵便局まで出掛けて
クラス担任だった先生の指示や説明のもとで、


実際に郵便局の職員さんに
切手を頼んで購入して
その切手を貼りポストまで投函する



そういった内容の授業の流れでした。



手紙の宛先は
大事な家族/キョウダイ/お友達/
学校の先生/学校の校長先生/教頭先生/
幼稚園の時御世話になった先生/
学校からの帰りに立ち寄り御世話になっている近所の親しい方々、



その候補の中から自分自身で自由に選択する、

といった内容も含まれていました。







パン作りを学年皆で体育館で時間内に作り仕上げまで行ったり、





畑で作物を植え育て収穫して
その収穫物で調理をして
1年生から6年生まで各学年,各クラスごと
担任の先生とクラス皆で一緒に力を合わせて

育て,収穫,調理,力を合わせた場面や日々に
"互いの労を労り合い感謝し合う。"

"ありがとう"という想いを分け合う
"ありがとう"という気持ちと場面に触れる


そういう行事があった思い出や、




畑の土の耕しかたと
土の表と裏交互に同じように
太陽の温かさ温度と光りがあたるように

という担任の先生の直伝のもと、
幼馴染み君と一緒に畑を耕したり

飼育小屋のニワトリさん,ヤギさん,鳩さん
ウサギさん,

生き物,動物から命は繋ぐ親から子への
誕生から生きる過程と全うする生き抜く姿
神秘と生き抜く姿から学ぶ事を
それらを通して各々に学んだりもしながら



"育てる"を通して、
その中から自分自身なりの学びを体験していました。









小学校低学年の頃の当時の
"遅咲きに咲いていたヒマワリの花の"話しになります。







その当時、
クラス皆で,それぞれヒマワリを種を植えて
観察をする授業があったのですが、

クラス皆のヒマワリの種は芽を出し
双葉から本葉へと成長をとげてゆき、


私の植えたヒマワリの種は芽を出さず
水やりや日が差す加減の調整や、
イロイロ出来る事を試したのですが



いっこうに芽を出す気配も感じられず、


"もしかしたら…ヒマワリの種の植え方を間違えてしまったのかな?"



クラス皆がキャッキャッと賑わいながら

それぞれが植えたヒマワリの成長を観察していました。

クラス皆の,それぞれの成長をとげたヒマワリ開花まで、

あと少しでヒマワリの花がひらく


私の植えたヒマワリの種は
ようやくヒマワリらしいカタチまで成長してくれて、

"私の植えたヒマワリの種も
もう少しで開花出来るかも?"


そんな淡い期待が強まりつつ
希望を感じ始めてた矢先、



その年,その時期に、
とても大きな台風があり、



クラス皆のヒマワリは開花することなく
台風の影響で折れてたり散ってしまっていたりと、
予想以上のダメージを受けていました。



クラスのみんなで、
担任の先生の指示に従いながら、

暴風で転がり散らばってた鉢を片付ける掃除と作業に取り掛かっていました。




段々と私の植えたヒマワリの鉢の場所が見え始めてきた頃、


真っ直ぐに,直では見られず怖々としながら
恐る恐る,ゆっくりと目を開けながら
見渡してみました。


その時の当時の私の気持ちは、

"私の植えたヒマワリの種の花も…
もしかしたら…もう折れてたりしているのかも?"


そんな想いがグルグルと不安とともに巡り繰り返していました。




そんな気持ちのまま、
恐る恐ると、
自分が植え試行錯誤しながら
ようやく芽吹き成長始めてたヒマワリの様子を観察へと見に行きました。




クラスの花壇の
ちょうど畑の真ん中に…


少しばかり残ってた強風の風に揺れながら
でも,しっかりとヒマワリの花が咲いていました。



斜めに曲がりはしていたものの、
確かに青空と太陽を見上げて開花していた
私の植えたヒマワリの花の姿がありました。



いつもの"もしかしたら"のクセから抜け出せずにいた"怖がり屋さんの私へ。""



"もしかしたら…"と、
俯き諦めかけてた私へと、




少しばかり残ってた強風の中で逞しく
風に吹かれ揺れていたヒマワリの花から


こんな風な事を感じて
こんな風なメッセージをイメージして
こんな風に受け止めていた私の当時の姿がありました。





"諦めるなよ!"

"ちゃんと成長出来たよ!"

"太陽みたいに大きなヒマワリでしょ?"

"台風,大きくて耐えるの大変だったけれど、最後まで強い風に負けずに踏ん張って頑張ったよ!"

"成長するのに時間かかっちゃたけれど、
諦めないでいてくれて,
毎日,観察して試行錯誤して
試しながら頑張ってくれて
どうもありがとう。"


"空を見上げて元気に生きて成長出来たよ。"


"今度はキミの番だよ,"

"キミ自身の力で輝いて元気に成長してね。"




(俯き諦めかけてた私へ,
諦めるクセと誰かに譲り自分自身の事を後回しにしてばかりのクセや,

当時の幼き私は,周りの顔色ばかりうかがいながら肝心な自分自身の気持ちには気付いてあげられず

自己主張が苦手で自分自身の気持ちは通すという事はせずに常に周りの意見に合わせ。)



そういう風な場面ごとでの対処方が出来ず繰り返してばかりだった当時の私と、


"勇気を出す"事を恐れて
"勇気を出す"事から隠れて逃げてばかりの
そういう風な、
そんな姿の当時の幼少私がいました。



遅咲きでも逞しく成長してくれた
台風の難を潜り抜け大きく咲いてくれた
ヒマワリの花が、


その当時,
その時の私へと
"そう語りかけているような気がしました。"



その後の思い出の中で
今でも心温まり忘れられない
宝物の場面があって、

その当時のクラスの担任の先生に
温かく優しく微笑んでもらいながら
褒めてもらえた,その出来事や場面は
私自身の成長の証しとして
大人になった今でも心に留めています。

私のヒマワリの花から種を1つ1つ
クラス皆に分けるようにと、
当時の担任の先生から褒められながら、
そう言われた,その時の時間も
つい,この間のように思い出されて
とても温かく懐かしい気持ちになります。





あとはですね、

銀行での取り引きや業務のやり取り流れをクラス皆で実践マネテみながら
数字との関わり方
数字の活かし方




その後に、
金銭の動かし方活かし方管理までを
手作りのお金の紙幣と小銭を通して





一度目は学び触れながら



その後に二度目は
実際に地域の銀行へ体験見学通しての地域と社会の仕組みからなる校外学習を終えた後に



一度目に学んだ部分を担任の先生に確認して見ていただきながら
先ずは実際に教わり習うまで、
真似るところから触れ学習まで、



そういう授業内容もありました。




だいたいは社会科の授業をベースに置きつつからの、



たぶんですが,今となり振り返って思い返して,その当時の担任の先生や学年の先生方
校長先生や教頭先生の学校方針の考え方と
学びの"ねらい"の目標の中には、

こんな考え方があっての授業の中身だったのではないのだろうかと、

(地域と学校と家庭と社会の4つの関わりと
その間,間との距離の取り方と関係をベースに、)



そんな風な記憶の中の思い出の当時を
大人になり今の私なりにですが,
そういういう風にも考えてみたり
振り返る中で思い返してみたりしています。




理科(環境/身近な動植物との関わりとふれ合いを通しながらの食べ物を育てる勉強,生き物と生きていく為の勉強や、)



算数は先程の社会科での授業を盛り組みながら学んでみる内容の授業であったり、


国語の授業内容は、
道徳の授業内容と繋がっている内容もあったり、


例えば、国語での授業で話しの内容は

話しの中の登場人物は

"何を問い掛けて、"
"何を伝えたかったのか、"
"その登場人物の立場になり考え想うコトから始める。"


"その考えた先の行動は,前後イメージしてみて,どう感じ,どう思うのか、"
"本当に大切な人の為の行動に繋がっているのでしょうか、



"相手はアナタに助けを求めた行動や
部分がありましたか、"

"お互いに気持ちの,やり取りの会話や確認は出来ましたか、"


等など、そのような内容もあったり
道徳での授業内容も,だいたいは、
それに近い内容もあったり
それ以外でも様々なカタチで学びを勉強して触れる中から1つ1つを育み伸ばしながらの授業内容もありました。



それが小学校時代の頃の低学年での
授業で学んだ内容で,
そういった勉強時間も学ぶ大切を知った1つにありました。








そんなにはなかった
"平和学習"や
特別に授業の中で学習するということも
あまりなかった当時、


その思い出の
お話しを少し話したいと思います。





6月23日慰霊の日に向けての
平和学習は、
特に無くて






先生が読んでくださった絵本の朗読と、



その絵本を聞いたあと、
クラスみんなで、
思い思いのゾウさんの絵を描いて


描きながら、
それぞれの思いをイメージして描いていました。


先生は、

人だけではなく、
生き物(動植物)の命にスポットをあてて



動物の命が
人と人の争う戦争に巻き込まれていく
悲しい場面や歴史背景もあったコトを
当時の私達へと教えてくれました。






あとは、
"戦争は何故起きてしまうと思う?"
そういう問い掛けと質問が、
小学校の頃の担任の先生から聞かれ、






当時,クラス皆、
思い思いの答えを先生に返していました。





小学校生だった当時の私は、



「嫌がるカラカイ方を人にしないこと
集団でイジメないこと
意見が違っても間違いだと否定せずに
どんな意見なのだろう、
どうしてそう感じたのだろう、
間違いではないのかも知れないけれど、
その意見に違う見方をして感じてしまう
そう思ってしまう素直だけれど
優しい素直な気持ちとは少し離れてしまっているような、
自分自身の気持ちや考え方から見つめ直さない限りは、

相手だけを攻め続ける戦争はなくならないと思います。

戦争が起きてしまうのは、
そういう出来る部分を見失って
集団で輪になり"間違いなのか正しいのか"を真剣に考えて議論して話し合う互いの気持ちが持てない限り,"

"間違いとか正しいとか"そういうことの前に
きっと"確かな本当の声を心の耳で聞けてない聞こうという優しい気持ちが準備出来てないから,留まるとか,1つ置いて考え直してみるとか,

お互いに
"どうしてそういう意見に辿りついてしまうのかを、"
話し合う努力を積んでいかない限り

悲しく人が人ではなくなる戦争という間違いは決してなくならないと思います。

正しさだけが間違って突き進んで
ブレーキをかけて止まれないから
お互いの中で,少し立ち止まって冷静になり止まる方法を知らないから

"知らない""知ろうとしない""理解する気持ちを忘れてしまっているから、"

知らない間に戦争は起きてしまうのだと思います。」





当時の私は薄らとな覚え記憶の中に
そんな風なコトを話したような
そういう思い出があります。

そんな風な思い出も微かですが、
思い出として残っています。








次は"なんだかんだ反抗期の時代にいた、"
中学校時代の頃の話しを少し、







中学校の頃は校長先生自ら裏門で待機していて、
そうとも知らなかった当時の中学生だった頃の私は、




ヤバい…そう心の中で呟きながら、
正門からではなくて
あろうことか…校長先生が待機していた裏門から登校しようと…
(当時の生徒の間で呼ばれてた名。)
(通称/裏鬼門)=校長先生か指導担当の先生が
門構えで…鬼より怖い圧の空気を漂わせて待ち構えていたという…(昔々のお話し。)





そうとも知らなかった当時,中学校一年生だった私は、





登校の時間帯に駆け込み
(セーフ…,)と
ガッツポーズで決めたのも束の間…。





裏門で待機していた校長先生に見つかり…。
(即…アウト。)






"アウトの理由は、"


"私の天然パーマを、
パーマをかけたと誤解をされたという理由"


もう1つの理由は、


"私の両方の耳たぶのアザを、
ピアスをあけたと誤解をされての理由"



即、指導へとなり、





誤解も解けないまま、そのまま疑われ続け更に反省文と
職員室の清掃と廊下で正座と…。




説教を受けながら
反省文を書くようにという指導が始まり

その後は職員室の掃除
掃除のあとは廊下で正座。


それから担任の先生に反省文にサインをもらって

そこで,やっと帰宅路へとなり、




当時の私は

天然パーマなコトを
"パーマをかけた"と誤解を受けて
両耳たぶのアザをピアスだと誤解されて
向かい風で曲がったネクタイとスカートの丈の長さで校則違反と決められて、



(もう一人…,)
当時の私と同じように
"即、アウトとなり"
一緒に指導を受けたのが

保育園からの中学校卒業まで一緒だった
皮肉屋な幼馴染み君でした。



幼馴染み君は
当時,校則違反だった自転車通学を
ヒッソリとコッソリと続けていて



裏門で
(その自転車通学がバレていまい…,)



幼馴染み君も同じく
反省文を書かされ
職員室の掃除
廊下で正座の…ハズでしたが、



"反省"をする振りをしてた当時の幼馴染み君は


職員室の清掃の際に、
"秒で去って行く途中で振り返りながら、"


何故なのか!?
(ひとりでは勇気がなかったからなのか?
幼馴染み君よ。
私は…つられるように流され悪い同行へと参加という流れへ?)


(いや…待てよ?
真面目に職員室の掃除をしていた私…!?)
(していたと…思いたい記憶を呼びおこす。"そんな今。")




驚く"私の手をひいて、
幼馴染み君は"何故?ナゼ?なぜなまま?"
私を一緒に職員室から連れ出してくれました。"






"そんな悪い成功も瞬で幕がおりたのが、"


帰宅後…
留守電に当時の中学校の担任の先生から
"届いていメッセージで
そこでピリオドが打たれました。"






翌日、幼馴染み君と一緒に
秒での意気で慌てて職員室まで向かい行ったら、






「内申点の心配はしなくても大丈夫だから、」

「その代わり,責任を果たす反省文と職員室の清掃は,校長先生と約束した通り,きちんと責任を果たすこと。」


「社会に出たら,誤解を誤って受けてされたり頭を下げて表さないといけない場面や


本音と建前を分けて場を乗り越えないといけない部分もあるし、



そういう場面に沢山ぶつかるコトは
今だけじゃなく,今後も沢山目の前の壁として,
日々の出来事の中で起こることは多々ある、

生き抜いていくことは
"日々が動く中で
懸命に歩き続けるを繰り返す事、"

正解なんてないよ、
間違いではなかったとしても、
自分自身の中だけの"正しい主張は通らない"



通らないのが世の中で社会だから、
そういう中でもコツコツ築き上げる事を
これからも繰り返しながら生き抜いていかなくちゃならない

頭を下げないといけない場面は、
沢山あるから、



自分自身の力で乗り越えなさい、
周りの声に惑わされずに、
必要だなと思う部分は心素直に受け止めて受け入れて

そういう"優しい"や"心素直に"という部分も
学び続けていくこと。

学校を卒業したら勉強や学ぶ事全てから
解放されたと勘違いすることは捨てなさい


正解もない,
自分自身の中だけの正しさも存在しない

これから目の当たりにする世の中の場面の中で


"何が確かなのかを,本当なのかを,本音なのかを,本質なのかを見極める力を育てて、"


"これからも繰り返し自分自身に必要な部分の学びを忘れてはいけないよ。"」



学校での1つ1つが
巣立つ前の予行練習だと思って
自己鍛練を磨いて積み重ねて
対応力を身に付けていくこと、

その1つが先ず、
校長先生と指導担当の先生へ
きちんと謝ること。以上。」




そういう話しがあり、



幼馴染み君と再び一緒に反省文を書いて提出して
職員室の清掃を終えて廊下で正座をして終えた後、

校長先生と指導担当の先生へ謝り頭を下げました。



当時の私の通学路の距離時間が、
片道徒歩で一時間半の道のりを歩いて帰宅した
という…





長~~~~い道のり伝説秘話ヒストリーが
思い出に残っておりまして、



バス停すらなく、

片道を,一時間半"ひたすら歩き
(当時の私は,江戸時代のイメージを浮かべながら歩き続けて、")


「片道徒歩一時間半…真夏も真冬も
汗と涙なしでは語れぬ距離…
周りの景色はお墓ばかり…」ねと、


ホント…片道が長く険しかった記憶と、
バス停は無い
周りはお墓に囲まれながらの登下校…、




今では笑ってしまうくらいの
なんちゅう景色やぁーと、
突っ込みと手を合わせたくなる
景色…。

見ず知らずの方々のお墓に囲まれて
そんな景色が続いてばかりの当時の登下校でした。




幼馴染み君はガード係り守ってくれながら
お墓に囲まれていた景色の通学路を一緒に
歩いてくれました。


校則違反の自転車を歩いて押しながら、
(乗り忘れるくらい当時の通学路が怖かったらしいです。後に,幼馴染み君は成人式で私に、
その当時の通学路模様の怖さを語っていました。)




まぁ、
大人になった今は
それも懐かしく笑っちゃう話しなのですが、





くせ毛と天然パーマは…
当時の私にとっては大きな悩みの1つでもありました。






中学校入学後、

毎朝、起床朝,五時、
それが私の朝の時間帯の始まりでした。



それにはワケが1つあったのです。




小学校時代からの悩みの種だった
(くせ毛と天然パーマ)

当時の私はストレートのサラサラに憧れていました。




コチラのリンク記事の創作内容のもとは、
"今回の記事内容に書いている
私の天然パーマとくせ毛の酷かった
小学校と中学時代の話しをベースに書きました。"







ヒツジさんの憧れ(創作のお話しと)「始まりの花。」




思いきって小学校低学年の当時に、
新しくオープンした美容室で
ストレートパーマをかけたのですが…


嬉しかった当日の私は
いつもの洋服ではなく
ワンピースを着けて
気分上々にルンルンと鼻歌で
登校。




真っ先に気付いたのが幼馴染み君でした。


いつも通りの皮肉まじりな言葉がとんでくると構えていた私は

いつも皮肉屋な、
その幼馴染み君からの
お誉め言葉をいただき
(私は…しばらく沈黙"考える"
そして混乱…。)


その当日、
学校から帰宅し翌日…,


憧れのストレートパーマから再び…


くせ毛と天然パーマへと逆戻り…。
(そう…再びの私へと変身。)


そして、また…,
謎の戦いが朝から繰り広げられるのでした。



それが、
朝から直す
"くせ毛と天然パーマとの"戦い"

それは中学校へ入学しても同じで
その格闘を"なんとか…なんとかした後、"



片道徒歩で、
一時間半の道のりを歩いて登校、


結果的に大きく響いて
先程,お話ししました,
校長先生との会話の流れ
やり取りの順からへとなり、


イロイロあった中学校時代の私の思い出話しでした。










そんな当時のコトを"ふと、"
思い出していた10月の季節



秋も彩どり深まり過ごす中
"懐かしきを味わうヒトトキと、"
アイスティーを側にしながら

色々な思い出を
綴り書いていた私なのでした。







また次回の記事で。
今回は,この辺で。




記事を読んでいただきまして、
どうもありがとうございます。





美味しい御飯のヒトトキ
寛げるヒトトキ
素敵なヒトトキを。

御天気模様もイロイロですが、
暑さ対策に、
体調にと気をつけてくださいね。
明日も素敵な優しい良い1日を。






好きな音楽曲と過去の作品を懐かしむ話し,思い出の話し少し(という記事内容綴り)

【今回の記事で話したい内容。】







◆インスタの投稿が多めな"音楽日記"
記念すべき!?(第8回目)は、
久しぶりにブログ記事の方での投稿を
試しもかねて書きました。









(最近聴いている
(正確には数ヶ月前くらいに思い出して懐かしくなり聴いている…という経緯です。)

1990年代からの~(好きな曲や懐かしき曲)
をまじえたお話し
ロックバラードやロックやJ-ROCK、
バラード系や洋楽とかをチョコちょこと,)



◆高校時代に聴いてた懐かしの曲と
その思い出のヒトコマ




◆(過去に読んだり
(視てたドラマや作品を懐かしむ場面。)
好きな音楽曲と過去の作品を懐かしみながらの場面、という記事内容綴りです。




◆大正時代生まれの祖母二人との思い出話から,"今,何気に思うこと。"
その話しも少し書きました。









今回はですね、
いつも!?(回数的にはインスタでの音楽日記)
の投稿が,やや多い?のですが、
(数回だけなのですがね…。)




記念すべき第8回目でございますよ!
「なななんと第8回目の音楽日記、」
でございます。







10月も季節のイベントもあったり
"暑さも,ようやく和らいで、"

"秋も深まる季節となりました。"


いかがお過ごしでしょうか。

















最近はデスネ

1990年代からの~(好きな曲や懐かしき曲)
をチョコちょこと聴いています。


ロックバラードやロックやJ-ROCK、
バラード系や洋楽や


あと…先に御紹介させていただきました年代から、

聴いてる曲も年代的な異なり少しバラツキがあるのですが




昨日は

Backstreet Boys (バックストリート・ボーイズ)さんの

Want It That Wayという曲や、




ブライアン・アダムスさんの
(Everything I Do) I Do It For Youという曲



クリスティーナ・ペリー さんの
A Thousand Years という曲



◆セリーヌディンさんの


◆セリーヌ・ディオン with クライズラー&カンパニーの
(TO LOVE YOU MORE)と、
あとはデスネ、
(My Heart Will Go On)





◆カーペンターズさんの曲で
(青春の輝き)を少し聴きながら






◆どちらの曲も
当時のドラマや映画の影響で知り
(当時は学生だったので今は懐かしい思い出曲です。)


そこから聴きはじめました。




少し私の高校時代の頃の思い出話しになりますが、



青春時代のイチページが今でも
時々ですが懐かしく思い出される事があります。



その当時も今も
懐かしい思い出と聴いている曲と一緒に、


◆My Little Loverさんの曲や
「Hello, Again 〜昔からある場所〜」

◆スピッツさんの曲や
(「ロビンソン」)

◆ドリカムさんの曲や
(「Love Love Love」)
(「サンキュ」)

◆ミスチルさんの曲や
(「星になれたら」)

◆FIELD OF VIEWさんの曲や
(「突然」)

◆ZARDさんの曲や
◆サザンオールスターズさんの曲




高校時代の思い出と一緒に
思い出を"ふと"思い出す時、
そういう時に聴いています。






私の高校時代の思い出の話を少し書きますが、



その頃,当時新歓の大会でクラスみんなと一緒に聴きながら放課後にクラスTシャツを作って仕上げて大会に参加してた思い出や


高校時代の当時好きな人がいて
その好きだった人との懐かしい思い出があったり


中間テスト期末テストの時期だけ
(4時間目で終了で)
授業が5時間目,6時間目と無くて
午後は各々でテスト勉強に取り組んだり、
廊下に机を出して自由に自学自習したり


中間テスト期末テスト終了後に
クラスのみんなで校外散歩と遠足と名付けて、賑やか大笑いと大はしゃぎの両方で
隣街まで歩いた思い出と帰りにクラス担任の先生から御馳走になった思い出や、



夏休みを利用してクラスみんなで出掛けたり、小旅行でビーチバレーしたり、
バーベキューの味を一緒に味わって
下準備や下ごしらえや買い出しも


とても賑やかで楽しかった場面しかなくて
授業も楽しくて賑やかで大爆笑が絶えない事で先生方や違う選択クラスの間で(音楽クラス/美術クラスの間で)有名なクラスだったんです。

高校当時は入試面接時までは第一希望が音楽クラスで、第二希望が美術クラスで、第三希望が書道クラスだったんですが、

あとは、母と母方の祖父母の希望が
強かった家庭科クラスも候補にあったのですが、


時代の進歩とは合っていない
女性の生き方は"こうあるべき"という
("昔ながらの母や母方の祖父母が生きて受けてきた根強い考えが残っててありました。")
当時の
母と母方の祖父母の意見がありました。


そういう時代背景に生まれ生きてきた
母や母方の祖父母のことを責める気持ちは
無くて,
逆に、"今はね,1人1人に合った生き方も出来る時代"に移行しつつある入り口の時代に立っていると思うよ。と、

母や母方の祖父母に,戦前と戦後で受けてきた教育や暮らしで受けてきた影響に縛られずに

"しがらみから解れて"

ホンの少し肩の力を抜いて生きていってもらえたらと

"家族や家を守る責任を背をう役目は果たしてきたんじゃないかと、"
そういう思いも当時は何処かにありました。


(主に、お裁縫/御料理/家族の役割分担/大人になる頃に向けてのライフスタイル設計計画のたて方/*当時は"進め方までは授業内容にはなくて、計画、という部分までの時代でした。")



母と母方の祖父母とは
当時の私は意見と考え方が向かず合わず


私は大人になってキッカケがない限りは出来ない分野を学びたい,そんなに縁もないだろうなと予め想定してみながら家庭科以外の分野をと、


(第一希望:音楽)(第二希望:美術)(第三希望:書道)を希望の選択クラスに決めていたので


家庭科は暮らしの中で身に付けられる部分も受けれる影響も日々の中であるからと、
その当時の私は,母に幾度も説明をしては
繰り返しの進路の話をしていました。




それと、中学3年当時の私は
高校の先生として,そういう将来の目標を
母と母方の祖父母には内緒で密かに掲げてました。

(現在の保有資格は高校の教員免許とは違うのですが、)




そんな~こんなを経ての、
その当時の高校入試の面接の時に

今は亡き恩師との面接での
やり取りの思い出のヒトコマがありまして

大人へとなった今も
その場面、その時の思い出の1つ1つが
宝物でもあり、今を歩み続けている中での
ベースの部分でもありエネルギーの源でもあります。





*(その希望クラスを選択する結果へとなった話や経緯?とまでは大げさな書き方かもしれませんが、経緯=その話しの流れの続きは、また違う記事内容の中で"思い出話し"として、お話し出来ればなぁと、そんな風に思っています。)





各教科の担当の先生がドアを開けて教室へと入ってきた時は、
クラスみんなで歓迎の大拍手に、
クラスみんなで歓迎の授業の挨拶
クラスみんなで感謝の授業後の挨拶



教室の真ん中に
みんな各々の机を寄せて椅子に座り
授業の話しを聞きながら集中。

授業に集中後、

解き放たれ自由の身になった瞬間、

そう休み時間に誰かが持ってきていた
CDの曲をクラス中に響かせながら
ワイワイ賑やかにしていた場面もあったり

教室よりも廊下の方が授業に集中出来るからと、

クラスみんなで各々の机と椅子を廊下に出して一列に並び授業を開始してもらったり

当時の教科の担当の先生の粋な提案から
校外ツアーと名付けた自分達の住んでる地域の歴史を学ぶ学習へとクラス皆で出掛けたり、

高校の三年間は,宝物のような幸せな思い出ばかりで、



その当時も今も
懐かしい思い出と聴いている曲と一緒に、


大人へとなり当時の事を振り返る時、
そういう時間に触れる中で
思い出から元気をもらい、
また頑張って,頑張れる私がいます。







あとはデスネ,
最近は過去に読んだり
視てたドラマや作品を懐かしむ場面
(社会派/理系/青春ミステリー)等々の小説、
作品、社会問題をテーマにした作品)等などを、



"ふと、"
時折ね、
作品を読んで触れたり自分なりの感想を
ガーッと用紙かノートに書いて



"あーっ、"
(今の自分自身は)
"こんな風な変化と視点で捉えているのか、ですとかデスネ、"


(こんな風な成長の中であらためて違う感想を抱き,新しく,そういう感触の引き出しが出来て増えながら、)
当時の頃と"違う自分自身の成長の変化に、"
なんとなく気が付けたり、
気付かされたり、


書いて書くという行動で得られる部分は、"
とても新鮮な発見があり、
驚きの変化と自分自身の成長との新たな出逢いもあり、

書きながら解すという
そういう流れやヒトトキと時間がもたらしてくれるモノは、
他ならぬ自分自身が感じ得られる部分であり、

宝物に似た価値あるモノの1つだと信じている私がいます。


そのくらい大きな刺激と気付きを得て学びに活かしながら、
そこから次への新たな一歩目の行動へと繋いでいける、

そんな風にも思いながら
書くという行動を信じながら出来るタイミングで
それを続けて繋げていけたらなぁーと、

まぁ、あまり根詰めない程度の感覚で、
大ざっぱくらいのタイミングとマイペースな速度で、


そんな風にも自分自身へと言い聞かせています。


聴いたあと書いたあとは、
伝記本イチページそういう感じでした。



読書や音楽タイムは、
そういう感じでした。





*コチラのお話しも
(伝記本内容ではなくて歴史上の人物等々になると思うのですが、)
いつか機会がつくれて,下書き留まりの記事内容も再度読み直してみながら、
ゆっくりマイペースにお話しの内容を書けるタイミングが出来ればなぁと、
そう思っています。










(あと何か!?
他に…あったっけな!?)




チクタク(考え中と)
:
:
チクタク(時を思い出し中)






そうそう、
"時々ね思うんです。"


(えっ!?)
("何を!?")


("何を…")


("思うの")





私自身のライフイベントで
もしも家族を持てていたならば
また違う思い出が出来ていて

知らなかった景色の場面に巡り会えていたのかなぁと?





(ほうほう!?)
(なるほど!)
:
:



話し,まとめて何が言いたいのかというと、

"何気に,"ふと"そう思う時もあったりと、"



時々、
("思う時があった事を忘れてた頃に、")

("時折…何気に思い出すんですよね。")

:
:
("まとめ"は何処へ?)

:
:
(なーに!?)
(このまま"続くのかい?")
:
:
(それなら分かった!)
(その話し聞いてみよう!)
:
:
("おっと!?"ここから始まるのじゃな?)
:
:


私自身、
結婚もしてなければ子育ても出産のイベントもなく道のりを進み歩いてきました。
その中の道のり途中には両親の介護や
両親との別れもあり、大正時代生まれの
母方の方の祖父母や,父方の方の祖父母との
別れもありました。

:
:
("ほうほう!?"そんな出来事が…。)

:
:


同じ大正時代生まれの両祖母なのですが

二人とも考え方も生き方も捉え方も
真逆の正反対なタイプの祖母二人でした。




ザックリと話すと
こんな感じの大正時代生まれの母方二人でした。


母方の祖母は"旦那さんに(男性に)従い信じて三歩下がって歩く"

昔々の,しがらみに疑いもせず従い
家族と家を必死に守り生き抜いて生きてきた,(役割という名の責任を背負う)そういう大正時代生まれの母方の祖母と、


大正時代生まれの母方の祖父母は
お見合いで結婚して
戦前と戦後も互いに一緒に乗り越えて
様々な職と並行して農家として営みながら
サトウキビと田んぼの両方をこなしていました。


そういう時代と日々と背景の中で
母達7人キョウダイを育て上げてきました。
母は7人キョウダイの末っ子でした。


戦後,栄養失調で他界した母の兄にあたる
私からすると伯父にあたる、

その伯父は戦後の最中3歳で栄養失調で
病院で他界したという話しを、
母からも祖父母からも聞いた話しの思い出が,ホンの少し記憶に残っています。


祖母は、
その時の話をする時は、
いつも同じ言葉を繰り返していました。

"戦後"戦争が終わったからといって、
今日,明日が直ぐに平和かといえば
それとは程遠くて、

先ず、食べる御飯がね、
目の前に無かったから、



歩いた距離なんて数えるようなことよりも
どこまで歩けば食べる御飯に辿りつけるかなぁとかね、

"親はね,自分自身よりも先に我が子に、
お腹いっぱい御飯を食べさせたい。"




それだけの想いでね、
自分自身は,どうなっても構わない
"我が子に食べる御飯に困らないように
安心して生きていける幸せと
自分自身の幸せを生きてほしい。"
それだけの想いで、

そう信じて看病続けてたんだけどね、


涙と,その時の祖母の言葉と
祖母を黙って見守ってた祖父の姿が
思い出に残っています。





父方の方の大正時代生まれの祖母は、
大往生で100歳少しまで元気に長生き出来た
元気いっぱいな祖母の姿しか覚えてなくて

ホントに元気いっぱいに動き回ってた
とても賑やかで弱い部分は隠して
人前や周りに気を遣わせまいと、

とにかく元気、

そういう祖母でした。



母方の祖母と違うのは
孫を分けない、という部分が違っていました。



母方の祖母は、
特に私の2つ下の弟を男の子だからという理由で可愛がっていましたし、

家の手伝いも台所の手伝いや洗濯物の手伝いをしようものなら、
べた褒めで、

"男の子なのに偉いねぇ。"
"男の子なのにお家の台所のお手伝い出来て,よく頑張りました"

"それに比べて、お姉ちゃんの方は、
勉強ばかり一生懸命で,それが将来の何の役に立つのかい?少しは弟を見習わないと、"

それが母方の祖母の口癖でした。




逆に、父方の祖母は、

"男の子だろうが,女の子だろうが、"
"家族の一員なのだから、"
"一緒に乗り越える、"

"出来る事や一生懸命になれる事があるのだから,とても素敵なことだよ。"


"それが将来の何の役にも立たなくても、
自分自身で見つけて取り組む
最後までやりとげる、
大人びた余計な計算は子供時代の今は必要ない、家の手伝いだって同じこと、
誰かが見てる前だけ手伝いを装うのではなくて、
誰も見ていなくても変わらずに手伝える部分は手伝う、それで十分だよ、"


"1人で責任を背負うことはない、"

"助けが必要なら,キチンとワケを理由を伝える、"

"男の子だ、女の子だと、"
"見て分けるのは、
同じように対等に見てあげれてないから
家族だからこそ
(ありがとう)という感謝が大事、"

"1つ出来る事が増えたら倍褒める。"

"2つ出来る事が増えたら成長を喜ぶ"

"自分自身の意思や考え持って
行動して責任を知り学び
得ていく段階で逞しく育ってくれたら、
それだけを思う。"


そんな風な感じの父方の方の大正時代生まれの祖母でした。




父方の方の祖母は、

"旦那さんの(男性の)隣,横を一緒に並んで
意見が通るとか,通らないとかは別として、

従うことなく,

先ずは目の前の場面を本当なのか?
どうなのか?違うのか?
違わないのか?
その過程や流れの中で見極めながら

疑うこと=自分の考えを持つこと、"


家族のことも,代々の家の,しがらみにも左右されずに、"

"今の家族で互いに乗り越えていければ良い"
(責任と役割と役目は"分け合えば良い")
そういう考え方の祖母でした。


昔々の代々の家の
しがらみなんて知らない。
"私は私よ。"

疑いもせず,ただ従い信じるというタイプではなかった父方の方の祖母でした。


父方の祖父が他界したあとは
病院の掃除の仕事や事務職,食堂
小学校の臨時の用務員等をしながら
父達、男性兄弟ばかり6人を
祖母は、1人で育て上げてきました。
(父は6人キョウダイの3番目でした。)



父達が成人したあとの祖母は、
老人会の旅行やカラオケやグランドゴルフを楽しんで年中賑やかに過ごしていました、


口では"平気よ"と
豪語して言葉強く並べて強がってみせていた祖母でしたが、


公民館の区長さんをしてた祖父が他界後も
祖父への想いや愛は深く、



姿隠しながら,時折,涙して
祖父の遺影の前で,何か呟きながら
ひとり過ごしてた,そういう場面に





偶然に出くわした私は,
そっと静かに声をかけずに,その場をあとにしたこともありました。





そういう思い出の場面ごとを思い出してく中で、





"もしも私自身の家族や子供がいたら、
"思い出"の中の引き出しは、
また違った"景色の"
"知らなかった景色の"

新たな思い出の引き出しが誕生していたのかもしれません。






そう素直に想うことも"ふと"あることも、
そういう時も,今の風の中で描いてた景色が,
何かの拍子と同時に,




"あっ!?そういえば…。"
"そんな風なライフイベントを夢みてた時期も,あったなぁーと、"



ふとね,浮かぶ場面もあったりしてね、



でも、まぁ…、
私自身,そういうライフイベントに縁が無かったワケなものでして、



大人へとなった今の思い出は、
"歩きながら"
"ひたすら走る景色"そういう日々が、
今の私にとっての大事な部分の要の
1つ1つでして、

"感じる部分も"
"考え方も"
"捉え方も"
"自分自身"の今を知る触れることが出来る日々や場面ごとに味わうイロイロなコトやモノや,
目の前に感動を学びながら得られる喜びや,その得られるまでの道のりの過程から
"頑張れる"という自分自身だけが知る、
その物語を進みながら










あとはデスネ、(考え中…。)




:
:

"結び"に辿りつけず、
"結ばれないままの今回の記事内容、"


また次回の記事で。
それでは、この辺で。






記事を読んでいただきまして、
どうもありがとうございます。



美味しい御飯のヒトトキ
寛げるヒトトキ
素敵なヒトトキを。

御天気模様もイロイロですが、
体調にと気をつけてくださいね。
明日も素敵な優しい良い1日を。









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