こんにちは。
訪れてくださり
「いつもありがとうございます。」
ブログ記事の方も、
Xもインスタの方も
なかなか記事の更新も出来ず
滞り気味でスミマセン。
記事を読んでいただきまして、
どうもありがとうございます。
(2010年11月)から
コチラのブログ開始をスタートし
色々と様々模様の季節変化など
コチラのブログは長年になります。
□(2010年11月ブログ開始)
◆フォトまじえたりの綴り等
/記事/写真撮影したモノUP/
/音楽好きな曲時々語る/
◆好きなコト好きな分野
↓
(書いたり/描いたり/
/聴いたり/撮影してみたり/読んだり)
音楽好きな曲/景色/空/日々/創作/記録/日記
写真/他イロイロ
どうぞよろしくお願いします。
◆【今の中で,
書いている大まかな内容です】
日記にしてみたり
カタチにとらわれない
枠にはまらないような流れで
写真や描いた創作イラストや
自由な文章作成で
独特な書き方で綴り書いています。
写真撮影や写真の編集が好きで
我が道まっすぐ
好きなように撮影した写真の編集や
文字スタイルや
イロイロを試しています。
主にブログの
今現在,ブログ記事テーマのイロイロな調整をしながらの試し試しを含めて書いております。
ほとんどは、
私自身が今書いて残しておきたい思い出や
私の今の日々とヒトトキをおいて書いている
テーマや記事内容綴りです。
記事内容の"ほとんどの話しは、"
私自身の思い出の話し系が多く、
チョイスした"何かを"イロイロなカタチで系とか,
ヒトトキ話し系か(好きな音楽系/好きな内容と)
時々に創作物語を試し書いたモノを投稿系か、
あとは、
創作手描きイラストを描いて写して投稿系か、
◆"写真を使用しての投稿記事や、"
◆"創作手描きイラストを撮影した記事"や
◆"創作の物語や、"
◆"時々の簡単な日記綴り"
◆"いろんな話し系"
◆"私の思い出記録系を投稿した記事等、"
◆"好きな曲を聴く幸せなヒトトキ音楽日記なるものを時々書いています。
今は時々の更新速度となっています。"
↓
(ブログのテーマでも時々の感覚で音楽日記を書いたりすることもありますが
インスタの方でも
最近から"突如,始めてみました。"
"音楽日記。"と題して好きな曲を御紹介させていただきながら日記を綴らせていただいております。
好きな曲の紹介をしながら書き綴り
写真リールでの投稿や
創作イラスト撮影写真や空の写真など
書き綴りでの投稿もあると思います。
Xの方では、
使用つかいに関しての部分では
まだ迷い中でして、
Xの方ではブログ記事予告編になぞり
思い出の曲に,まつわる記事内容を次回予定してますといったポスト内容もあるかと思います。
それ以外では好きな曲を聴いての書き綴りもある事も場合も含めてあるかなぁーと、
Xの方は,まだ模索中な部分もあります。)
上記の流れと、
そんな風な内容多しといったところが
記事綴りの内容とベースとなっております。
今の中で
私自身が書いてみたい綴りや
イロイロな書き描き撮りを、
そういう書ける記せる描く創造の動き続ける時計の針を私らしさで続けられたらなぁと、
"イメージだけですが"
"想い満ちて抱いています。"
◆記事は書ける時に
◆ブログ更新は(他のSNSアカウント含め)
出来る時に無理しない速度で
程好いマイペースな速度で書き書きしております。
◆(ブログの更新速度は)
とてもスロー速度と不定期も多しな
更新速度となっております。
今は、
【色々な調整をしながら、】
記事を書いたり
【ブログのテーマも調整しながら】
(マイペースな速度で、
とてもゆるやかな速度で、
書いたり描いたりをしています。)
①定期的にですが、
全体的に見渡しながら
ブログ内容やテーマの欄も
その都度変更するコトも多くあります。
*【アメブロとXとインスタ以外のSNS更新や投稿などしておりませんので、
何卒よろしくお願いいたします。】
"私のマイペースなヒトトキの場所なので、"
・(コチラのブログとインスタとX)以外の
他のSNSアカウント開設はしておりません。
・【仕事関連のブログではなくて。】
・(Xもインスタの方も同じく)
【"私のマイペースな
ヒトトキの場所です。"】
どうぞよろしくお願いします。
────────────
◆・(詳細プロフ欄に記載,)してます。
◆他にはコチラにも書いています。
↓
・【ブログテーマ欄の方にあります。】
↓
◇【追記文も含め。】
→(以前のブログプロフ内容)と、
→(現在のプロフ内容を合わせての控え書き留め。)綴り
■以前のブログ内容についての
【ブログの説明】(保有資格/他記載等々,)】
────────────
スクロール少し途中からは
クエッション&アンサー式で書いてみました。↓
∞──────────∞
①【クエッション】
↓
【今は,どんな感じで,どんな風に書き綴りをしているのでしょうか。】
②【アンサー】
↓
■
今の私の書きたいモノを書き書きと
そんな風なイロイロな日々と今と一緒に書いています。
■ 音楽と好きな曲とのヒトトキが好きです。
そういう書き綴りも時々してます。
①【クエッション】
↓
【どういう思いで書いていますか。
どんな風に感じながら聴いていますか。】
②【アンサー】
↓
出逢えて嬉しかった好きな曲や音楽を応援出来る部分や事も,その内の1つの中にあるのではないのかなと,そう思う部分も含めながら感じ思っています。
スローにマイペースにですが、
音の持つ優しい力に出逢う時の中で
そういう思いで,思っています。
そう思いながらも聴いたり書いたりしています。
(音楽は,今までの私を(思い出含め),
今の私を,(日々と一緒に。)
イロイロな世界へと導いてくれました。
今も変わらず見えない部分で"伝う"というカタチへとなり変わり,
"今の私自身への"
それは時として"立ち直る力へと変えてくれた力へと変わり"
それは時として"1つ時の針を進めてくれた活力へと変わり"
それは時として"今まで見えずにいた知らずにいた想うや伝う
"優しく愛しい世界や,
縁は無くとも"感じるという心の在り方や、"
"後先続く,これからへのプラスのイメージの描き方創造を教えてくれました。"
伝うように響くを感じながら
今も変わらず導いてくれています。
学生時代からの、
その当時の記憶を、
今、
思い出を思い返してみますと、
不思議なもので、
歌と音楽とは無縁な縁ばかりの思い出しか残ってなくて、
そういう風な
ナンだ~カンだとあった過ぎ去りし日々を
イロイロな時を経てきた思い出を懐かしく
優しく振り返りながら聴いている想いの部分もあります。
コチラは下記は、
■【ブログ/X/インスタの使用小分けとして】
↓
今のところのメインは
【ブログ中心なのですが、】
"私自身の中で落ち着ける場所が今のところは
2010年ブログ開始をしたコチラのブログなので。"
■ ブログでは、
/記事/写真/創作イラスト/他や
■ 今後は
Xとインスタとは別な書き方で
ブログだけの記事を編集作成を
綴り書いていこうと思っています。
■ (2023年開始のインスタでは主に)
↓
【インスタの方では】
主にブログ記事投稿した写真を使用したり
写真を使用してのリールを作成してみたり
都度に試しながら活用と運用をしています。
写真日記やイロイロ試しつつ。
今までのインスタでの編集の書き方から
今後は書き方を変更して書いていこうと思っています。
主にリンクブログ記事に投稿した写真をUP/その他/
写真を使用してのリールを時々作成
◆好きなコト/好きな分野
(聴いたり/読んだり/描いたり/書いたり/撮影してみたり)
音楽好きな曲/景色/空/日々/創作/
どうぞよろしくお願いします。
■ (ブログ開始時とほぼ同時期くらいの開始の
2011年に開始のX(旧Twitter)では主に)
↓
【Xの方では】
今のところはブログ記事更新として使用していますが、
今後は少し方向性を変えながら
再度,模索して
Xでの活用や運用が出来ればなと思っています。
*好きな分野*
リンクブログの方では↓
(書いたり/描いたり/読んだり/写真撮影)
*好きなコト* Xの方では↓
(聴いたり/読んだり/書いたり/写真撮影) 音楽と好きな曲/景色/空/日々/創作
リンクブログ更新使用時々
好きな曲音楽の話し時々
その他を模索中
X(旧Twitter)2011年開始
よろしくお願いします
【追記】↓/2025年/9月
◆(Xの名前を)
【はる。(はるブログ「私の時間,書き綴り場所」)】から、
↓
【はる。】
に新しく変えました。
よろしくお願いします。
◆(2025年/9月)
ブログとインスタとXのアイコンを
新しく変えました。
よろしくお願いします。
──────
■【最近は,インスタやXの方で
少し書き書きした内容をUPしたり
インスタの方では写真だけのリール風を作成してました。】
↓
◆【2025年7月20日】
今回から"始まりました。"
突如からの"始まり"音楽日記と題して
インスタの方に創作イラスト撮影写真と一緒に好きな曲の紹介を書いて投稿しました。
インスタの方の
【写真だけのリール風な"風は"】の説明をさせていただきます。
最近撮影した空の写真と
ヒトトキタイムを過ごした時に描いた
創作手描きのイラストと折り紙を背景カラーにして撮影した写真を使用してのリール風を作成してみました。
◆【2025年8月2日】
説明をさせていただきます。
Xの方にはテキストと創作イラスト撮影写真を投稿しました。
◆【2025年8月27日】
ここ最近から始めてみました
"音楽日記"と題して3回目となります。
インスタの方で
【写真だけのリール風と一緒に
好きな曲の紹介をまじえながら書きました。】
リール写真に使用した写真は、
最近撮影した空の写真を一緒に投稿しました。
◆【2025年8月31日】
インスタの方で
ここ最近から始めてみました
"音楽日記"と題して4回目となります。
今回は写真リールでの投稿ではなく、
今回は創作イラスト撮影写真と
書き綴りでの投稿をしました。
Xの方もポスト投稿しました。
◆【2025年8月31日】
リール写真に使用した写真は、
最近撮影した空の写真と
以前撮影した空の写真を一緒に投稿しました。
Xの方もポスト投稿しました。
◆【2025年9月20日】
Xの方をポスト投稿しました。
ポスト投稿内容は、
今度,いつかブログ記事で
"これコレ~こういう内容の思い出話しを書いたモノを記事投稿まで出来ればなぁと、"そういう感じの内容です。
その他以外は
好きな曲を聴きながらと
メッセージを読んでもらえたことが嬉しかったので
"ありがとう"を書いてのポスト投稿もしました。
◆【2025年9月24日】
Xの方をポスト投稿しました。
"今日も1日お疲れ様の私へ"と題して
大好きなアイスティーの話題と
大好きな曲から元気をもらいながら
そういった内容と
明日も素敵な優しい良い1日を
"明日も頑張ろう"を書いた内容を書いたモノをポスト投稿しました。
◆【2025年9月24日】
・【インスタの音楽日記を書いて更新しました】
【写真だけのリール風な"風は"】
以前に撮影してリンクブログに投稿空の写真と
ヒトトキタイを過ごした時に描いた好きな曲からイメージして描きました。
創作手描きのイラストと折り紙を背景カラーにして撮影した写真を使用してのリール風を作成してみました。
◆【Xの方をポスト投稿しました。】
ブログ更新したお知らせと
インスタの音楽日記を書いて更新したお知らせのポスト内容。
大好きなアイスティー
大好きな一曲と
"明日も頑張ろう"を書いた内容を書いたモノをポスト投稿しました
◆【2025年10月11日】
・【インスタの音楽日記を書いて更新しました】
インスタの
【写真だけのリール風について。】
以前に撮影してリンクブログに投稿空の写真と
ヒトトキタイを過ごした時に描いた好きな曲からイメージして描きました。
創作手描きのイラストと折り紙を背景カラーにして撮影した写真を使用してのリール風を作成してみました。
◆【Xの方をポスト投稿しました。】
ブログ更新と
インスタに投稿した音楽日記更新を
ポスト投稿しました。
季節はじめの10月の御挨拶を書きました。
◆【2025年10月23日】
・【ブログの方で第8回目の音楽日記を書いて更新しました】
インスタの方にはリンクブログ更新と
記事の内容項目を書きました。
◆【写真の説明】
ブログの方もインスタの方もXの方も
10月の晴れた日に撮影した空の写真を投稿しました、
ヒトトキタイを過ごした時に描いた
創作手描きのイラストと折り紙を背景カラーにして撮影した写真を使用してのリール風を作成してみました。
◆【Xの方をポスト投稿しました。】
ブログ更新と書いて
ポスト投稿しました。
投稿したブログ記事の中から一曲聴きながらと、
夕食は親子丼と
昨日はシチューを食べました、
と書いたモノを書きました。
◆【2025年10月31日】
X"呟きを…"ポスト投稿しました。
◆【2025年11月6日】
・【インスタの音楽日記を書いて更新しました】
インスタの
【写真だけのリール風について。】
◆【写真の説明】
以前に撮影してリンクブログに投稿空の写真と
ヒトトキタイを過ごした時に描いた好きな曲からイメージして描きました。
創作手描きのイラストと折り紙を背景カラーにして撮影した写真を使用してのリール風を作成してみました。
文字スタイルとギターの創作イラストを描いて一緒に撮影しました。
撮影の工夫は当て方を変えながら写真の撮影をしました。
◆【2025年11月6日】
Xポスト投稿更新しました。
ポスト内容は、
【優しい素敵な好きな曲の御紹介と】と、
【今回のブログ記事更新内容】と、
【季節の挨拶】と
【引用リポスト】と
【インスタ音楽日記更新】を書きました。
【2025年11月20日】
Xのみポスト投稿させていただきました。
ポスト投稿内容は、
今度のブログ投稿にと予め書いてある下書き留まりの記事を今はそのまま置いているよ、という内容と
幼かった当時の思い出を書きました
◆【2025年11月29日】
・【インスタの音楽日記を書いて更新しました(第10回目の音楽日記となります。)】
今回の音楽日記の内容は
"よく思い出す懐かしき曲と、"
"私達キョウダイ三人が共通して大好きなアーティストさんの曲、
中学,高校時代と
そして今も聴いてる
あの日から変わらない私の大好きな曲、
それから、
最近から聴き始めてる曲や今も変わらずに聴きいっている,とても素敵な大好きな曲を聴きながら明日も頑張りますね♪
明日へのパワーと出逢えた音楽と一緒に書かせていただきました
音楽日記についてなのですが
(10月11日)(11月6日)のリンクブログ記事の方にも説明書きを少し書き綴った内容を置いています。
(今回の音楽日記の創作イラストのイメージについて。)
新しく描いた創作イラストと文字を撮影した写真と前回に投稿した創作イラストと空の写真を投稿させていただきました。
【Xポスト投稿更新しました。】
ポスト内容は、
久しぶりに書いたブログ記事投稿のお知らせと
インスタの方に久しぶりに書かせていただきました音楽日記の更新のお知らせ等などを書きました。
◆【2025年12月3日】
【インスタとXの方に
ブログ更新をしたお知らせと
ブログに書いた記事内容を書いて
書いた作品と描いた作品を撮影した写真と一緒にポスト投稿しました。】
【Xの方にだけ"イルカのオキちゃん今までありがとう"の想いを書いてポスト投稿しました。】
◆【2025年12月5日】
Xの方にポスト投稿しました。
◆【2025年12月17日】
Xの方にポスト投稿しました。
"好きな曲を聴きながらヒトトキ。"
それ以外には"久しぶりに書いてみたよ編"と続け綴りを書きました。
◆【2025年12月19日】
【ブログ記事更新のお知らせ】として
Xとインスタの方にポスト投稿しました。
◆【2025年12月28日】
【ブログ記事更新のお知らせ】として
Xとインスタの方にポスト投稿しました。
インスタとX両方に今日聴く好きな曲の御紹介を少し書いてお話しと好きな曲の曲名を書かせていただきました。
◆【2025年12月31日】
【ブログ記事更新のお知らせ】として
Xとインスタの方にポスト投稿しました。
【インスタの方にだけ本日聴けるだけ聴きたい♪たくさんの私の好きな曲を御紹介させていただきました。】
◆【2026年1月3日】
【ブログ記事更新のお知らせ】として
Xとインスタの方にポスト投稿しました。
Xの呟きわりと多めな今回の投稿と。
インスタも投稿したので、
よろしくお願いします!
□(上記の書き日付けですが、↑
新しくリール風を作成した時だけに、
現在の記載から→新しく変わり次第、
書き日付けをアップしていきますので、
何卒,宜しくお願いいたします。)
───────
■ (メッセージボードの
活用道が決まらないので、)
(過去の記事に投稿しました、)
↓
"コチラの写真の方で,"
どうぞ宜しくお願いします。"

ウーロンくんの若かりし時の
思い出の写真を1枚御紹介。
*【ブログ記事:2025年2月27日と。ウーロンの空と】記事記載
↓
我が家のセキセイインコくん♪
ウーロンくんとの思い出
ウーロンくんの存在は
"とても大きく"
今も変わらず大事な存在です。
気が向いた時に
ウーロンくんをモデルに創作イラストを描いていました。


↑
ブログテーマ欄
【時々UPチャコちゃんの
思い出のページ】
訪れてくださり
「いつもありがとうございます。」
ブログ記事の方も、
Xもインスタの方も
なかなか記事の更新も出来ず
滞り気味でスミマセン。
記事を読んでいただきまして、
どうもありがとうございます。
(2010年11月)から
コチラのブログ開始をスタートし
色々と様々模様の季節変化など
コチラのブログは長年になります。
□(2010年11月ブログ開始)
◆フォトまじえたりの綴り等
/記事/写真撮影したモノUP/
/音楽好きな曲時々語る/
◆好きなコト好きな分野
↓
(書いたり/描いたり/
/聴いたり/撮影してみたり/読んだり)
音楽好きな曲/景色/空/日々/創作/記録/日記
写真/他イロイロ
どうぞよろしくお願いします。
◆【今の中で,
書いている大まかな内容です】
日記にしてみたり
カタチにとらわれない
枠にはまらないような流れで
写真や描いた創作イラストや
自由な文章作成で
独特な書き方で綴り書いています。
写真撮影や写真の編集が好きで
我が道まっすぐ
好きなように撮影した写真の編集や
文字スタイルや
イロイロを試しています。
主にブログの
今現在,ブログ記事テーマのイロイロな調整をしながらの試し試しを含めて書いております。
ほとんどは、
私自身が今書いて残しておきたい思い出や
私の今の日々とヒトトキをおいて書いている
テーマや記事内容綴りです。
記事内容の"ほとんどの話しは、"
私自身の思い出の話し系が多く、
チョイスした"何かを"イロイロなカタチで系とか,
ヒトトキ話し系か(好きな音楽系/好きな内容と)
時々に創作物語を試し書いたモノを投稿系か、
あとは、
創作手描きイラストを描いて写して投稿系か、
◆"写真を使用しての投稿記事や、"
◆"創作手描きイラストを撮影した記事"や
◆"創作の物語や、"
◆"時々の簡単な日記綴り"
◆"いろんな話し系"
◆"私の思い出記録系を投稿した記事等、"
◆"好きな曲を聴く幸せなヒトトキ音楽日記なるものを時々書いています。
今は時々の更新速度となっています。"
↓
(ブログのテーマでも時々の感覚で音楽日記を書いたりすることもありますが
インスタの方でも
最近から"突如,始めてみました。"
"音楽日記。"と題して好きな曲を御紹介させていただきながら日記を綴らせていただいております。
好きな曲の紹介をしながら書き綴り
写真リールでの投稿や
創作イラスト撮影写真や空の写真など
書き綴りでの投稿もあると思います。
Xの方では、
使用つかいに関しての部分では
まだ迷い中でして、
Xの方ではブログ記事予告編になぞり
思い出の曲に,まつわる記事内容を次回予定してますといったポスト内容もあるかと思います。
それ以外では好きな曲を聴いての書き綴りもある事も場合も含めてあるかなぁーと、
Xの方は,まだ模索中な部分もあります。)
上記の流れと、
そんな風な内容多しといったところが
記事綴りの内容とベースとなっております。
今の中で
私自身が書いてみたい綴りや
イロイロな書き描き撮りを、
そういう書ける記せる描く創造の動き続ける時計の針を私らしさで続けられたらなぁと、
"イメージだけですが"
"想い満ちて抱いています。"
◆記事は書ける時に
◆ブログ更新は(他のSNSアカウント含め)
出来る時に無理しない速度で
程好いマイペースな速度で書き書きしております。
◆(ブログの更新速度は)
とてもスロー速度と不定期も多しな
更新速度となっております。
今は、
【色々な調整をしながら、】
記事を書いたり
【ブログのテーマも調整しながら】
(マイペースな速度で、
とてもゆるやかな速度で、
書いたり描いたりをしています。)
①定期的にですが、
全体的に見渡しながら
ブログ内容やテーマの欄も
その都度変更するコトも多くあります。
*【アメブロとXとインスタ以外のSNS更新や投稿などしておりませんので、
何卒よろしくお願いいたします。】
"私のマイペースなヒトトキの場所なので、"
・(コチラのブログとインスタとX)以外の
他のSNSアカウント開設はしておりません。
・【仕事関連のブログではなくて。】
・(Xもインスタの方も同じく)
【"私のマイペースな
ヒトトキの場所です。"】
どうぞよろしくお願いします。
────────────
◆・(詳細プロフ欄に記載,)してます。
◆他にはコチラにも書いています。
↓
・【ブログテーマ欄の方にあります。】
↓
◇【追記文も含め。】
→(以前のブログプロフ内容)と、
→(現在のプロフ内容を合わせての控え書き留め。)綴り
■以前のブログ内容についての
【ブログの説明】(保有資格/他記載等々,)】
────────────
スクロール少し途中からは
クエッション&アンサー式で書いてみました。↓
∞──────────∞
①【クエッション】
↓
【今は,どんな感じで,どんな風に書き綴りをしているのでしょうか。】
②【アンサー】
↓
■
今の私の書きたいモノを書き書きと
そんな風なイロイロな日々と今と一緒に書いています。
■ 音楽と好きな曲とのヒトトキが好きです。
そういう書き綴りも時々してます。
①【クエッション】
↓
【どういう思いで書いていますか。
どんな風に感じながら聴いていますか。】
②【アンサー】
↓
出逢えて嬉しかった好きな曲や音楽を応援出来る部分や事も,その内の1つの中にあるのではないのかなと,そう思う部分も含めながら感じ思っています。
スローにマイペースにですが、
音の持つ優しい力に出逢う時の中で
そういう思いで,思っています。
そう思いながらも聴いたり書いたりしています。
(音楽は,今までの私を(思い出含め),
今の私を,(日々と一緒に。)
イロイロな世界へと導いてくれました。
今も変わらず見えない部分で"伝う"というカタチへとなり変わり,
"今の私自身への"
それは時として"立ち直る力へと変えてくれた力へと変わり"
それは時として"1つ時の針を進めてくれた活力へと変わり"
それは時として"今まで見えずにいた知らずにいた想うや伝う
"優しく愛しい世界や,
縁は無くとも"感じるという心の在り方や、"
"後先続く,これからへのプラスのイメージの描き方創造を教えてくれました。"
伝うように響くを感じながら
今も変わらず導いてくれています。
学生時代からの、
その当時の記憶を、
今、
思い出を思い返してみますと、
不思議なもので、
歌と音楽とは無縁な縁ばかりの思い出しか残ってなくて、
そういう風な
ナンだ~カンだとあった過ぎ去りし日々を
イロイロな時を経てきた思い出を懐かしく
優しく振り返りながら聴いている想いの部分もあります。
コチラは下記は、
■【ブログ/X/インスタの使用小分けとして】
↓
今のところのメインは
【ブログ中心なのですが、】
"私自身の中で落ち着ける場所が今のところは
2010年ブログ開始をしたコチラのブログなので。"
■ ブログでは、
/記事/写真/創作イラスト/他や
■ 今後は
Xとインスタとは別な書き方で
ブログだけの記事を編集作成を
綴り書いていこうと思っています。
■ (2023年開始のインスタでは主に)
↓
【インスタの方では】
主にブログ記事投稿した写真を使用したり
写真を使用してのリールを作成してみたり
都度に試しながら活用と運用をしています。
写真日記やイロイロ試しつつ。
今までのインスタでの編集の書き方から
今後は書き方を変更して書いていこうと思っています。
主にリンクブログ記事に投稿した写真をUP/その他/
写真を使用してのリールを時々作成
◆好きなコト/好きな分野
(聴いたり/読んだり/描いたり/書いたり/撮影してみたり)
音楽好きな曲/景色/空/日々/創作/
どうぞよろしくお願いします。
■ (ブログ開始時とほぼ同時期くらいの開始の
2011年に開始のX(旧Twitter)では主に)
↓
【Xの方では】
今のところはブログ記事更新として使用していますが、
今後は少し方向性を変えながら
再度,模索して
Xでの活用や運用が出来ればなと思っています。
*好きな分野*
リンクブログの方では↓
(書いたり/描いたり/読んだり/写真撮影)
*好きなコト* Xの方では↓
(聴いたり/読んだり/書いたり/写真撮影) 音楽と好きな曲/景色/空/日々/創作
リンクブログ更新使用時々
好きな曲音楽の話し時々
その他を模索中
X(旧Twitter)2011年開始
よろしくお願いします
【追記】↓/2025年/9月
◆(Xの名前を)
【はる。(はるブログ「私の時間,書き綴り場所」)】から、
↓
【はる。】
に新しく変えました。
よろしくお願いします。
◆(2025年/9月)
ブログとインスタとXのアイコンを
新しく変えました。
よろしくお願いします。
──────
■【最近は,インスタやXの方で
少し書き書きした内容をUPしたり
インスタの方では写真だけのリール風を作成してました。】
↓
◆【2025年7月20日】
今回から"始まりました。"
突如からの"始まり"音楽日記と題して
インスタの方に創作イラスト撮影写真と一緒に好きな曲の紹介を書いて投稿しました。
インスタの方の
【写真だけのリール風な"風は"】の説明をさせていただきます。
最近撮影した空の写真と
ヒトトキタイムを過ごした時に描いた
創作手描きのイラストと折り紙を背景カラーにして撮影した写真を使用してのリール風を作成してみました。
◆【2025年8月2日】
説明をさせていただきます。
Xの方にはテキストと創作イラスト撮影写真を投稿しました。
◆【2025年8月27日】
ここ最近から始めてみました
"音楽日記"と題して3回目となります。
インスタの方で
【写真だけのリール風と一緒に
好きな曲の紹介をまじえながら書きました。】
リール写真に使用した写真は、
最近撮影した空の写真を一緒に投稿しました。
◆【2025年8月31日】
インスタの方で
ここ最近から始めてみました
"音楽日記"と題して4回目となります。
今回は写真リールでの投稿ではなく、
今回は創作イラスト撮影写真と
書き綴りでの投稿をしました。
Xの方もポスト投稿しました。
◆【2025年8月31日】
リール写真に使用した写真は、
最近撮影した空の写真と
以前撮影した空の写真を一緒に投稿しました。
Xの方もポスト投稿しました。
◆【2025年9月20日】
Xの方をポスト投稿しました。
ポスト投稿内容は、
今度,いつかブログ記事で
"これコレ~こういう内容の思い出話しを書いたモノを記事投稿まで出来ればなぁと、"そういう感じの内容です。
その他以外は
好きな曲を聴きながらと
メッセージを読んでもらえたことが嬉しかったので
"ありがとう"を書いてのポスト投稿もしました。
◆【2025年9月24日】
Xの方をポスト投稿しました。
"今日も1日お疲れ様の私へ"と題して
大好きなアイスティーの話題と
大好きな曲から元気をもらいながら
そういった内容と
明日も素敵な優しい良い1日を
"明日も頑張ろう"を書いた内容を書いたモノをポスト投稿しました。
◆【2025年9月24日】
・【インスタの音楽日記を書いて更新しました】
【写真だけのリール風な"風は"】
以前に撮影してリンクブログに投稿空の写真と
ヒトトキタイを過ごした時に描いた好きな曲からイメージして描きました。
創作手描きのイラストと折り紙を背景カラーにして撮影した写真を使用してのリール風を作成してみました。
◆【Xの方をポスト投稿しました。】
ブログ更新したお知らせと
インスタの音楽日記を書いて更新したお知らせのポスト内容。
大好きなアイスティー
大好きな一曲と
"明日も頑張ろう"を書いた内容を書いたモノをポスト投稿しました
◆【2025年10月11日】
・【インスタの音楽日記を書いて更新しました】
インスタの
【写真だけのリール風について。】
以前に撮影してリンクブログに投稿空の写真と
ヒトトキタイを過ごした時に描いた好きな曲からイメージして描きました。
創作手描きのイラストと折り紙を背景カラーにして撮影した写真を使用してのリール風を作成してみました。
◆【Xの方をポスト投稿しました。】
ブログ更新と
インスタに投稿した音楽日記更新を
ポスト投稿しました。
季節はじめの10月の御挨拶を書きました。
◆【2025年10月23日】
・【ブログの方で第8回目の音楽日記を書いて更新しました】
インスタの方にはリンクブログ更新と
記事の内容項目を書きました。
◆【写真の説明】
ブログの方もインスタの方もXの方も
10月の晴れた日に撮影した空の写真を投稿しました、
ヒトトキタイを過ごした時に描いた
創作手描きのイラストと折り紙を背景カラーにして撮影した写真を使用してのリール風を作成してみました。
◆【Xの方をポスト投稿しました。】
ブログ更新と書いて
ポスト投稿しました。
投稿したブログ記事の中から一曲聴きながらと、
夕食は親子丼と
昨日はシチューを食べました、
と書いたモノを書きました。
◆【2025年10月31日】
X"呟きを…"ポスト投稿しました。
◆【2025年11月6日】
・【インスタの音楽日記を書いて更新しました】
インスタの
【写真だけのリール風について。】
◆【写真の説明】
以前に撮影してリンクブログに投稿空の写真と
ヒトトキタイを過ごした時に描いた好きな曲からイメージして描きました。
創作手描きのイラストと折り紙を背景カラーにして撮影した写真を使用してのリール風を作成してみました。
文字スタイルとギターの創作イラストを描いて一緒に撮影しました。
撮影の工夫は当て方を変えながら写真の撮影をしました。
◆【2025年11月6日】
Xポスト投稿更新しました。
ポスト内容は、
【優しい素敵な好きな曲の御紹介と】と、
【今回のブログ記事更新内容】と、
【季節の挨拶】と
【引用リポスト】と
【インスタ音楽日記更新】を書きました。
【2025年11月20日】
Xのみポスト投稿させていただきました。
ポスト投稿内容は、
今度のブログ投稿にと予め書いてある下書き留まりの記事を今はそのまま置いているよ、という内容と
幼かった当時の思い出を書きました
◆【2025年11月29日】
・【インスタの音楽日記を書いて更新しました(第10回目の音楽日記となります。)】
今回の音楽日記の内容は
"よく思い出す懐かしき曲と、"
"私達キョウダイ三人が共通して大好きなアーティストさんの曲、
中学,高校時代と
そして今も聴いてる
あの日から変わらない私の大好きな曲、
それから、
最近から聴き始めてる曲や今も変わらずに聴きいっている,とても素敵な大好きな曲を聴きながら明日も頑張りますね♪
明日へのパワーと出逢えた音楽と一緒に書かせていただきました
音楽日記についてなのですが
(10月11日)(11月6日)のリンクブログ記事の方にも説明書きを少し書き綴った内容を置いています。
(今回の音楽日記の創作イラストのイメージについて。)
新しく描いた創作イラストと文字を撮影した写真と前回に投稿した創作イラストと空の写真を投稿させていただきました。
【Xポスト投稿更新しました。】
ポスト内容は、
久しぶりに書いたブログ記事投稿のお知らせと
インスタの方に久しぶりに書かせていただきました音楽日記の更新のお知らせ等などを書きました。
◆【2025年12月3日】
【インスタとXの方に
ブログ更新をしたお知らせと
ブログに書いた記事内容を書いて
書いた作品と描いた作品を撮影した写真と一緒にポスト投稿しました。】
【Xの方にだけ"イルカのオキちゃん今までありがとう"の想いを書いてポスト投稿しました。】
◆【2025年12月5日】
Xの方にポスト投稿しました。
◆【2025年12月17日】
Xの方にポスト投稿しました。
"好きな曲を聴きながらヒトトキ。"
それ以外には"久しぶりに書いてみたよ編"と続け綴りを書きました。
◆【2025年12月19日】
【ブログ記事更新のお知らせ】として
Xとインスタの方にポスト投稿しました。
◆【2025年12月28日】
【ブログ記事更新のお知らせ】として
Xとインスタの方にポスト投稿しました。
インスタとX両方に今日聴く好きな曲の御紹介を少し書いてお話しと好きな曲の曲名を書かせていただきました。
◆【2025年12月31日】
【ブログ記事更新のお知らせ】として
Xとインスタの方にポスト投稿しました。
【インスタの方にだけ本日聴けるだけ聴きたい♪たくさんの私の好きな曲を御紹介させていただきました。】
◆【2026年1月3日】
【ブログ記事更新のお知らせ】として
Xとインスタの方にポスト投稿しました。
Xの呟きわりと多めな今回の投稿と。
インスタも投稿したので、
よろしくお願いします!
□(上記の書き日付けですが、↑
新しくリール風を作成した時だけに、
現在の記載から→新しく変わり次第、
書き日付けをアップしていきますので、
何卒,宜しくお願いいたします。)
───────
■ (メッセージボードの
活用道が決まらないので、)
(過去の記事に投稿しました、)
↓
"コチラの写真の方で,"
どうぞ宜しくお願いします。"

ウーロンくんの若かりし時の
思い出の写真を1枚御紹介。
*【ブログ記事:2025年2月27日と。ウーロンの空と】記事記載
↓
我が家のセキセイインコくん♪
ウーロンくんとの思い出
ウーロンくんの存在は
"とても大きく"
今も変わらず大事な存在です。
気が向いた時に
ウーロンくんをモデルに創作イラストを描いていました。


↑
ブログテーマ欄
【時々UPチャコちゃんの
思い出のページ】
謹賀新年(2026年)

【謹賀新年(2026年)】
素敵な良い年になりますように
ブログ記事やインスタやX最近は時々マイペース更新なのですが、
今年も無理せず,のんびりと)ゆっくりと
【"マイペースに更新出来ればなぁと"】
思っています。
新しい年もどうぞよろしくお願いします。
明日も素敵な優しい良い1日を♪
美味しい御飯のヒトトキを!
【写真の内容は】
小物や付箋紙や,折り紙の花,その他を工夫して並べて撮影しました。
今回は,いつも手紙風に書いた"お手紙風"作成まで
辿り着けなかったので、
写真撮影の編集と同時に文字も写真の通りの内容になりました。
【それからですね、】
【2026年1月3日】
【ブログ記事更新のお知らせ】として
Xとインスタの方にポスト投稿しました。
Xの呟きわりと多めな今回の投稿と。
インスタも投稿したので、
よろしくお願いします!
青春ソラド♪(私の思い出のお話しチョイス編)【前半編】
いかがお過ごしでしょうか。
様々な日々や当時の思い出を振り返ってみながら
2026年へ向けて"新たな年の始まりを前に。"
この前書いて触れて書いた
コチラと↓
この間の満月の写真投稿と他愛ないお話し年末2025年物語
今回の記事内容は,6月10日に書いた記事内容やXで少し触れた(9月20日)ポスト投稿の方で触れた"
"私自身の思い出のヒトコマを、"
当時の高校入試の頃の思い出から,
その後までをチョイスしながら書きました。
青春ソラド♪(私の思い出のお話しチョイス編)という記事タイトル名で今回は
【前半編】を書きました。
*(違う記事内容綴りになる【後半編】の思い出のお話しは,また次回に。)
【記事内容の前にコチラからを書きました。】
2025年12月31日
毎年の大晦日変わらず聴いています。
本日に聴く曲好きな曲
たくさんあって…♪
【本日,聴けるだけ"たくさん聴きながら♪"】
と思ってインスタの方に(12月31日)書きました。
前回御紹介させていただいた曲と、↓
(インスタの方で(12月28日記載)私の聴いてる好きな曲を、一曲一曲の曲名を御紹介させていただきながら書かせていただきました。)
【12月31日】
本日一緒に聴く好きな曲は
"思い出を温かく包み亡き両親と過ごせた季節や月日を様々に思い出しながら、"
"ありがとう。"の想いで
音が刻まれていく12月31日とともに
優しいが溢れている"今"と
新たな"明日へ"
新たな年を前に聴いています。
本年もお世話になりました。
ブログ記事やインスタやX最近は時々マイペース更新なのですが、
来年も"マイペースに更新出来ればなぁと"
思っています。
来年もどうぞよろしくお願いします。

当時の空
見上げた青空が眩しくて
気持ちは何だか嬉しくて♪
そういうイロイロな柔らかい日々だった

・始まる話しの流れ内容を(今回の記事の御紹介とともに)
大まかに抜粋して少し前触れとして書きました。
当時、
(高校入試を控えてた直前の頃の私がいて、
平成に誕生した11歳年齢の離れた妹はその当時,幼稚園に通園していて年長さんの年齢を迎えて小学校入学を間近に控えてた時でした。
2つ年齢の離れた弟は中学に入学して中1の三学期を迎えてた頃でした。)
↓
昔のアルバムから,稲刈り時期風景(アルバムと日記綴り)(日記・記録・綴り)
(今回の記事内容です。)
◆─妹で始まり─
(妹と共に終わった…。)
当時の私の中学校時代の卒業式と
高校時代の入学式と卒業式
◆高校入試を控えての当時の私の思い出のお話し
・(朝から少し緊張気味でスタートした
入試初日、
高校入試の会場までの道のりが、
"大雨に強風に嵐続きの"その中での、
"傘折れても心は折れなかったよ、"
という,それだけの思い出のお話しからの
話しの始まりになります。)
◆当時の中学校3年生の頃の担任の先生との
"三者面談"ならぬ"二者面談"の思い出話し、
中学校時代の担任の恩師からの大事な
"その言葉…。"
その中学校当時の担任の先生からいただいた受験当日のお弁当内容のアドバイスを受けた懐かしい思い出と。
◆今は亡き高校時代の恩師との
入試最終日での
"あたたかな思い出のイチページと。"
その時と,その後の
当時を振り返りながらの書き綴り。
◆高校入試の面接の時に
第一希望の選択クラス音楽クラスでもなくて
第二希望の美術クラスでもない
違う方の第三希望を選択して決めたことや
第三希望欄に書いていた
"書道クラス"を選択してからの
高校入学後の(その後の思い出のお話し。)
選択クラスで選んだ
書道クラスでの授業の中の1つに、
印鑑を作ったり
表札を彫刻刀で彫り作ったり
書道以外にもイロイロな作品を、
(書いたり)
(彫ったり)
(削ったり)
希望してた(音楽/美術の)選択クラスではなかったのだけれど、
新しい仲間や場面との出逢いがあってね
"当時,受験の面接で選択したことに後悔はなくて、"
当時は,むしろ,前向きに捉えてた自分自身がいて
そんな風な思い出話を、
"(そんなこともあったなぁーと、)"
しみじみ語っている私の思い出のお話し。
◆入学後の思い出の話しヒトコマに
こんなお話しも書きました。
◇アルバム委員でのクラス代表代理で
時々"コッソリと、"黒子役(影役)として
委員へ参加,
"とても楽しかった思い出の事"
◇各学年に先輩も後輩も関係なく、
1人が困ったら
みんなで一学年から三学年全員集合で集会を開き
"1人はみんなのために"
"みんなは1人のために"
"(そんな風な校風景色が,とても優しく感じ
新しい校風は自分達で築き作り上げていけるという,1つとヒトコマの場面が
とても優しく輝いていて得るモノもあった。)"
そんな風な入学後の
いろんなお話しを書きました。
◆音楽系の部活での全国大会の舞台を今でも忘れずに思い出として大切な宝として私の家宝と留めて大事に心の中に閉まっている事、
◇"はじめて触れる和楽器を目の前にして怖じ気付いてた私、
初心者マークの私でも弾けるのだろうか
弾けるかな,"
生まれて一度も触れたこともなかった
楽器を目の前にして、
ホンの少し構えて緊張してた当時の私
入部するのを少し立ち竦みが過ぎてしまい
迷っていた私、
幼稚園から一緒だった友人の一人が
声をかけてくれて不安と心細さの渦中にいた私に声をかけてくれました。
今も忘れずにある,とても素敵な優しい勇気をくれた友人とのヒトコマ場面の思い出のお話しと,はじめて触れた和楽器を目の間に色々な気持ちが交差してた私に優しい声を掛けてくれた友人との大切な思い出や当時の全国大会を通して学んだ私の宝物の思い出のお話し。
当時の私の思い出に残っている,高校入試と様々な変化流れ最中,書き出しから始まり高校入学後の思い出の話し他のいろいろな楽しかったこと獲た学び思い出への感謝を書きました。
以上を書いた今回のブログ記事内容と流れ結びまでとなっております。
◆【記事内容の要約】はコチラとなっております。
◇当時の私の中学時代後半の思い出含め
(高校入試と,その後の高校生活の当時の
お話し、)
私と、他愛ない思い出話しの懐かしい場面と
("今と未来を愛しながら。")
前置き長々となりましたが、
どうぞよろしくお願いします。
それは大昔の私の思い出として
今でも心に大事に大切に、
そのヒトコマの思い出の場面は大事に残っています。
イロイロな優しき懐かしきが
"盛り沢山な"
先ずはじめのお話は,
─妹で始まり─
(妹と共に終わった…。)
私の中学校時代の卒業式も
高校時代の入学式と卒業式当時の
そんな風な
"懐かしき若き日々の思い出のお話しから。"
今は遥か大昔の思い出話しになります。
私の中学校時代の卒業式も
高校時代の入学式と卒業式も
高校の卒業式の頃のお話しになりますが
その式の会場に、
当時,小学生の低学年の時期だった,11歳年の離れた妹が,
小学校に向かわず登校道を変えて
私の通ってた高校へ向かい
「小学校に行くよりも
高校の卒業式で,お姉ちゃんと一緒に
高校の卒業式で
手を繋いで入場して退場して
一緒に花道を潜り通りたかったの♪」
("選抜"道を選んだの♪)
(小学校休んだの♪)
"とかなんとかで…"
式の挨拶後の着席をしようとしていた私の方に向かって駆け寄り走ってきたかと思いきや…,
(私の膝の上に座り…)
(私から離れず…。座り…。)
高校の入学式の入場の時も…,
「私も,お姉ちゃんと一緒に高校入学するから,幼稚園へは行かない♪
小学校の入学式は行かない♪」
(そう言って私から離れず…,)
(私の手を引っ張り…,)
高校の入学行進を並んで歩き…
(私から離れず…,)
そんな風だった当時の私の入学式と卒業式の思い出。
─妹で始まり─
─妹と共に終わった…。─
"私の入学式と卒業式"
(花道………。)
─我が家の妹…─
"私の妹。"
【ただ…花道を歩きたかっただけなのだろうと…。】
その当時も今も,そう思いながら
アルバムに一緒に写ってる妹をみながら
当時を思い出しながら振り返り、
(11歳年の離れたぶん…,)
妹とは、
二つ年齢の離れた弟とは違う景色の思い出が数々にあり褪せず残っています。
高校入試当日初日の朝を迎えた天気模様は、
"強風の中に荒れ狂うような大嵐でした。"
朝から少し緊張気味でスタートした
入試初日、
高校入試の会場までの道のりが、
"大雨に強風に嵐続きの"その中での、
"傘折れても心は折れなかったよ、"
という,それだけの思い出のお話しを少し話したいと思います。
実は、
入試前の数週間あまり、
酷い風邪の症状で学校を数日欠席してた私でしたが、
なんとか治しながら温かくして保ちながら参考書片手に最後の勉強の追い込みをしていました。
気管支系は中学校時代の風邪の症状の際にイチバン酷く症状が出た記憶が今でも思い出の1つとして残っています。
そういう中での体調管理と体調面のキープを整えながら
やっと落ち着いた治りかけからの
当時,高校入試の受験前に
当日の受験会場へと向かっていた当時の私がいました。
大嵐、
強風、
"とてつもない本気の向かい風、"
雨風嵐の中を傘をさして、
(傘をさしても横から雨で濡れてしまい、)
─そして、─
(あろうことか…"強風で傘は折れてしまい…")
"驚いたショックに少しヨレテ凹みそうになりながら、"
─"無事…難所をクリア!!!"─
(いったい!?それは!?
どんな難所だったんだっ?)
風で折れた傘を必死にしがみつくように
"折れた傘をさすしかなかった私…"
(傘は折れましたが,)
(心は折れず平常心に"マイペース")
嫌な予感なんて
"折れた傘で振り払ったのさっ…、
(強気を最大限に込めた素敵な願掛け☆)"
でも、ホンの少し余計な事を考え過ぎてしまったことも…、
気持ちの中では素直に何処かにありました。
(それは今では
当時のほろ苦い思い出の場面へと変わりましたが、)
当時の私は、
"まさか…そんなワケないよね。
きっと良いことの前の前触れさ!大丈夫。"
あてにならない…無茶な土壇場での
"願掛けを…。"繰り返しては
気持ちを落ち着かせていました。
当時の私はホンの少しだけ臆病風に吹かれていました。
進級ごとのクラス替えでの
予め決められた枠での進級ごとでの
クラスの枠という小さな人間関係に躓いてたそんな時期でもありましたし、
その他以外の克服したい事があり、
自分自身の内側の部分と闘いもがき
向き合い乗り越えようと頑張っていました。
当時,まだ健在だった両親には打ち明けることもなく
当時の中学校の担任の先生に正直に素直に話した時もそういう時もありました。
そうこうとして、
なんだ~かんだとしてる間に
受験シーズンへと季節は変わり
中学校時代の当時の私は、
そういう流れの中でのぼっては歩く
その繰り返しをしながら当日を迎えていました。
─中学校時代の色々な場面ごとの一瞬が
思い出されながらの、─
そんなウダウダな気持ちと
振り払った気持ちの両方の中、
【内に秘めてた】
("1つ目の理由")
当時目指してた目標の進路の為の受験だったことと、
当時の中学校時代の担任の先生からは
第一希望校ではなく、
ゼロ校時から授業が組まれている
進学クラスをと話してくれていたのですが
当時の中学校時代の担任の先生が
ススメテくれた高校は、
制服が当時の我が家の家計状況からすると高めだった理由と
お昼時間は校外禁止で、
お弁当は校内のみで
通学の経路をイメージした時
交通の利便性が少し不便で
時間的に遠くなると予め通学経路や時間帯のことが大きく響いてたので
第一希望校だった高校は、
制服も値段的におさえられて
通学の交通の利便性や費用を抑えられ
学費も素早く手続きを済ませられたら負担費用を少し抑えられたという費用面や
お昼時間も学食や校外出入り自由で
お弁当持参でもOKだったこと
通学経路も近く時間帯にユトリを持って登校出来ると思っていたことが決め手となり、
(入学後の当時の私は"しばらく校外出入り自由を満喫してたのですが、")
(その後は"時間を気にしながら時間までに校内に戻らなきゃと、そういう部分のプチストレスに気付いて"お弁当持参でのお昼時間に切り替えました。")
それから、
数年後に高校受験を控えた弟や
小学校入学を控えていた妹のコトもあり
なるべく寂しい思いや心細い思いをさせまいと、その気持ちもあって第一希望校を選択した部分もありました。
そういう理由も(コトも)含めながらですが,当時の私の進路へ向けての思いや考えがありました。
(当時の私は高校の教員を目指していました。現在は全く関連ない資格保有で,全く違う人生(ミチ)を歩んでる途中なのですが未来の姿は分からないから今を生きることは素敵な姿なのかもしれませんね。)
("2つ目の理由")
保育園時代から幼稚園時代
そして、小学校時代から中学校時代にかけて、
味わいたかった"楽しい"という場面の1つ1つを高校生活を通して楽しい中から
クラスみんなと共に学ぶ"何かを体験して"
得たかった思いと
"楽しい場面を通して私自身が成長をしたい思いもあり、"
1つではなかった"2つ目の理由"がありました。
("3つ目の理由")
父が途中まで通っていた高校へ
その思いも当時の私自身の中に何処かしらにありました。
友人を庇い自主退学を選択した亡き父の思い出の話しを聞いたことがあり、
父は,その後,経緯を経て県外へと就職したそうです。
その亡き父が途中まで通ってた高校が
当時,私が希望してた第一希望校でした。
そんな父の青春時代の思い出の話や
イロイロな当時の景色を
移り変わっていった景色を
父が話して聞かせてくれたことも少なからず当時の私の胸の内には何処かにありました。
─受験初日の朝,─
そして、
受験会場へと向かう私の足を
止むことない強風は向かい風を繰り返し
大嵐の横からの雨に叩き付けられても
ひたすら受験会場を目指し雨に濡れても
歩き続け、
その時の私は、
大嵐と強風の中
折れた傘を握りしめ
土壇場で…。
そう自分自身に言い聞かせていました。
沸いて起こる…。
繰り返す…
嫌な予感を振り払いながら、
(そんな不安と闘いながらの最中…)
─歴史上の人物が…私の脳裏に過り
思い出しながら心落ち着かせ会場までの残りの距離を歩きました、─
(降り止まぬ雨と嵐に,うたれながらの道続き。)
雷が光る中で思い出した
歴史上の人物織田信長風、
「人間五十年下天の内を比ぶれば夢幻のごとくなり」
武田信玄の風林火山
(入試とは関係ない感情が…)
─ここに登場した当時の私。─
"もし…信長さんや信玄さんが当時の時代の流れの中で長生きしていたならば、"
"今の現代の世の中は
どんな時代になっていたのだろうか。"
"もし…、"
という不思議に似た疑問似た感情が
"ふと、"沸いて,そんな風な事も過ったり、
─(あとはですね、)─
戦後,混乱が続いてた沖縄を
本土復帰へ導いた
本土並みの教育を子供達に、
安心して安全に学べる環境の整った学び舎を子供達に
"同じように教育を受けられる権利と場所を"と、
戦後の,その混乱の最中、
教育第一を掲げてた
沖縄の初代県知事、屋良朝苗。
そんな風なことを過り浮かべ思い出しからの
思いながら、
強風と大嵐という名の向かい風、
そして、
どしゃ降りに耐え
やっとの思いで受験の教室まで辿り着き
会場の教室へ入る前に一呼吸。
(始まる前に,うろたえる)
自分自身の気持ちをはね除けてながら入室,
参考書の最後の確認をして閉じて
試験の答案用紙に向かい…
どしゃ降りの雨の音も忘れ…試験に集中。
(途中…問題内容を見て読んで驚き慌てふためきましたが、)
ナンとか…持ちこたえクリア。
途中…選択問題への解答に迷い悩みましたが、
信じつつ選んだ"その答え、"
"後悔なんてしないと決めて選んだ"
"その答え。"
中学校時代の担任の恩師から口酸っぱく言われ続けていた"その言葉…。"
もっと慎重に注意深く判断せよ。
冒険心だけで決めず判断せずに。の言葉は
もはや遠くにあり
問題内容を繰り返し読み
その質問が
◆"何を聞いていて(問い掛けていて)"
◆"何を聞きたくて(問い掛けるのかを)"
◆"どんな結論と結果を求めているのかを、"
落ち着きながら深呼吸、
選択の問題をクリア。
それが試験初日の午前の出来事でした。
そんな御天気模様の中で受験初日を迎えていました。
ここからは、
"高校入試の時の面接で
少し迷い,でも迷わず決めた、"
"希望してた選択クラス"から
─"違う希望選択クラスを決めたお話しと,"─
"その後の高校生活で過ごしてたお話し。"
当時、
見上げた青空が眩しくて
気持ちは何だか嬉しくて♪
そういうイロイロな柔らかい日々だった
季節を同時に思い出してみながら
書いてみました。

私,高校生の頃ね
時々の代理でクラスメンバーが参加出来ない時だけの、
アルバム委員だったんです。
(クラス代表の代わり代理での
(黒子役)(影役としての)
控えとしてのそういう風な
役割と時々の参加でしたが…。)
↓
"ありがとう"と"始まりと。"(思い出から届いた "プレゼント")
アルバム委員の集まりの時には、
アルバム作成と編集を委員のメンバー皆で
写真を手分けしながらね、
このページには"この写真どうかな!?"
ラストのページは"どんな風に飾る!?"
始めのページから途中のページまで
"どんな流れのインパクトを残そうか!?"
そんな風な話をしてた懐かしい思い出も今でも変わらず心に残り
懐かしくあります。
高校受験の入試の最終日の面接でのコト、
その当時の思い出の話しになります。
当時の私は、
クラス選択で音楽クラスを希望して
入試の最終日面接に挑んだのですが、
その当時,
第一志望にしていた高校入学へ向けて、
受験勉強と面接までの模試を繰り返し
"高校入試受験の当時を迎えました。"
高校受験の入試の最終日の面接でのコト、
その当時の思い出の話しになります。
当時面接担当だった
その後3年間私の教科担当となった
恩師でもある
(いまは亡き先生に、)
その当時の面接担当だった先生との、
面接での時に
こんなやりとりの会話の思い出が
今も大事な大切な一ページの宝物として
心の記憶の中に残っています。
↓
コチラのブログ記事にも触れて書いてます。
↓
"ありがとう"と"始まりと。"(思い出から届いた "プレゼント")
"当時の私は、
【第一選択クラスの希望は】
音楽クラスを希望だったので,"
気持ちぶれずに迷うことなく、
クラス選択で音楽クラスを希望して
入試の最終日面接に挑んだのですが、
その当時の入試担当の先生に
(その後の私の高校時代の
三年間の教科担当になった、)
(亡き恩師の先生に)
"音楽クラスは定員オーバーで、
残りの第二希望の美術クラスも同じで、
クラスの定員が足りてないのは、
第三希望の枠に書かれてる
書道クラスしかなくて、"
"書道クラスは先程も話した通り人数が足りてないことも踏まえて
もう一度,確認しますが、"
その答えを教えてください。
今後,将来へ向けて
どんな風に取り組みたいと考えていますか、アナタの考えている将来へ向けての進めて取り組んでいきたい考を教えてください。
「あと,もう1つだけ、」
「中学校生活を通した三年間の中で
アナタだけが知る思い出はありますか"。」
そう質問されたあと、
一瞬の時間の中でグルグルと迷う中で
冷静になり考えていました。
そして、こう答えました。
第一希望に選択した(音楽クラス)
第二希望に選択した(美術クラス)
そして、
第三希望に選択した
(書道クラス)
"どちらかの選択クラスになったとしても、"
"音楽を好きな気持ちを持ち続けられている今後の私の姿と,
変わらず揺るぎない気持ちと想いが
これから先も,そうずっと持ち続けてあるなら、"
"高校に入学してからでも
イロイロな角度から大好きな音楽と一緒に
目の前を開拓して自分の力を信じて拓く
その中で、
音楽を通して学び得られる部分は
"部活動を通しての音楽の表現や世界を通して磨き得られるという部分もあると思います。
今,もう一度,冷静になって自分自身の気持ちを再確認して迷いなく、
自分自身が選択して選んだ
第三希望の書道クラスへの
選択クラス希望を決めました、
"高校での書道クラスで、
縁のある書道クラスの仲間と,
新しい仲間みんなと
新しい学びを共に過ごしながら
中学生の頃以上の思い出を作り
三年間という時間を共に一緒に頑張りたいです。
今後への進路も踏まえ見据え
1つ1つ積み重ねていきます。"
今,目の前にある選択クラスでの高校生活三年間を通して学び得ながら
クラス仲間、学年仲間と共に一緒に頑張りながら、
その中で,
私の掲げている将来の目標へむけて
日々の学生生活を基盤に大事に積み重ね
目指す方向へと一歩ずつ進学とその先へむけて目の前から1つ1つ取り組んでいきたいです。
(結果として出した結論は、
"書道クラスを選択しました。")
そんな風な感じで答えた
当時の、
そういう質問を受けて返答した懐かしい思い出を
今でもハッキリと鮮やかに残り思い出として記憶しています。
そういう風に瞬時な中で答えへの整理をまとめて、
自分自身が後悔のない"そういう始まりになるようにと込めて。
"納得出来る結論を出しました。
その時の当時の私は
想い
そのままを、
言葉変えながら工夫して
思った答えを
そのままに、
答えました。
その次に話し答えた内容は、
高校入試を控えての当時の私と、
当時の中学校3年生の頃の担任の先生との
"二者面談"の思い出話しと、
(当時、色々な家庭事情があったので
最終的に先生と話し合い二者面談の流れになりました。)
その中学校当時の担任の先生からいただいた受験当日のお弁当内容のアドバイスを受けた懐かしい思い出を話しました。
そういう私だけが知る中学時代の思い出としての話しと、
入試を控えてのお弁当の内容と
高校受験当日のお弁当内容は、
自分自身で前日から用意して下準備する事は、
当時の担任の先生には事前に話していたので、
その当時の中学校時代の
担任の先生からの
ゲンカツギ的なアドバイスがあって、
「"イチゴ"と"トンカツ"を入れて、
"1番に合格"をカタチにして自分の力で
掴み取りなさい。」
「ココからの将来の道を
(自分自身の人生を)
"冒険心だけで進んではいけないよ。"
"1つ1つをカタチにして進む力を育てなさい。"分かった?」
といった内容の二者面談での担任の先生との,やり取りがあった出来事を話しました。
そいう経緯の話しや、
それが1つ目の
"私がお世話になった中学校時代の恩師と
中学校での環境との、"
私だけが知るイロイロな場面での思い出、
そいう風だった経緯の話しや
もう1つは、
中学時代に入学して早々に、
(皆と楽しく賑わいながら,)
音楽を楽しく
"歌いたかった…"
合唱部をつくりたかったけれど
その希望は叶わなかった話しと、
イロイロあった中学生活の思い出と
そういう苦かったを味わって知った思い出や
"その思い出を通して気がつけた得られたこと"
私だけが知る思い出の部分,今だから気がつけたこと"を話しました。
1つ1つを学んで活へと変えていった中学生の頃の時代の思い出と得たモノを話しました。
そんな風な答えを最後に話した当時の私に
面接官担当だった当時の先生は、
こう話し返してくれました。
「中学校生活の中で,出来事1つ1つを通して
たくさん乗り越え頑張ってこられたんですね。たくさん頑張りましたね。
とても前向きな姿勢で挑みながら挑戦していく姿が印象的で,とても素直に
真面目に頑張って,大変だった中で,
たくさん乗り越えて頑張ってこられたんですね。
音楽への想いも
コチラの高校への想いも強く伝わって
とても嬉しかったですよ。
将来へ向けて取り組んでいきたい方向の進路の話しも触れて聞かせていただいて
"どうもありがとうございます。"
と同時に面接は終了しました。
そして、
当時,面接担当だった恩師の先生から
(今は亡き先生から、)
面背の最後に再び、
"こう言葉をかけられました。"
「"新しい仲間と一緒に,"
素敵なスタートをして
賑やかに面白いことも
思いっきり楽しんで学び得ながら3年間を頑張りましょうね。」
当時の私は、
生まれてはじめて
誰かから褒められた事に驚き
それと同時に"何処か心ホッとして"
その時の当時の私は、
不思議と、
思いが,こう浮かんだのです。
こんな私を褒めて認めてもらえる,そういう場面や場所があるのだと,心素直になっても良いのだと,
その瞬間と場面に触れて知ったことが喜びとなり
嬉しさへと("変化していきました。")
当時、
描いてたイメージの高校入試や面接とは
違ってはいましたが、
今でもそうですが、
"自分自身が選択した結論を後悔したことはありません。"
(それが,後々に続く人生へと繋がらなくても違ってても,自分自身で出した結論、
そして、"選択")
正しいか間違いか
そういうことよりも
自分自身で"選択した"その時の、
あの場面が、
今も私の自信へと繋がり力に変わり
思い出としてもですが、
大人になった今でも活きた私の1つの宝物であり、
思い出として飾ってとって置くというカタチよりも、
今も
("その当時の経験と得たモノからの自信が,")
原動力として変わらぬカタチで
一緒に歩き続けています。
ここからの話しは
私自身の当時の
その時の思い出話を振り返りながらの話しに触れての書き綴りになりますが、
中学時代の頃の大変御世話になった
中学3年の頃の担任先生との
会話を思い出しての話しや、
高校入試に合格発表の日
その科を選択した私と母との間には
色々な理由からの距離が出来てしまい
ろくに話しも聞いてもらえずしてもらえず
親子なのに距離が遠くに感じて
なんとなく寂しく感じていました。
その高校の科を合格したことを
母も、
母方の大正生まれの祖父母も呆れ顔で
笑って喜んではくれはしなかったのですが、
色々な流れや
時代からの捉え方の食い違いや
考え方の食い違いが生じて解消されないまま、
↓
この間の満月の写真投稿と他愛ないお話し年末2025年物語
当時の私は、
合格発表の日を朝を迎えていました。
(当時の父は出稼ぎで居なくて
母は弟と妹優先と、
先ほども触れた話しと、
そういう理由の為。)
当時の私は、
少し心細く感じてはいたのですが
同じ出身校の仲間に囲まれながら
そういう心細さも吹き飛んで
みんなと一緒に,その瞬間を待っていました。
合格発表の提示版を前に
ドキドキしながら受験番号を探し見付けた時の事や、
その合格発表の提示版を下げる担当だったのが、
今は亡き恩師の高校時代の
大変御世話になった高校3年間教科担当で
高校3年の頃の担任の先生でした。
当時の高校時代の恩師の先生は、
その合格発表の提示版を下げながら
こう言葉を発してくれました。
「ようこそ!我が高校へ!
一生懸命頑張ってきたキミ達を待っています!」
「もしも番号が見つからなかったとしても
肩を落とさないで二次試験に向けて最後まで全力で」
「コチラの高校を選択してくださった皆さん,高校入学前の言葉として、
雨にも風にも負けないキミ達だと先生は
信じています。
帰り道は気をつけて帰宅してね。
以上!」
そんな風な言葉をかけてくださりながら、
笑顔で笑って手を振ってくださってくれてた懐かしい姿が
つい,昨日のことのように懐かしく
あたたかく思い出されます。
高校生活三年間の素敵な日々の思い出も全て"あっという間に過ぎていきました。
それから、
当時、三年間だけ音楽系の和楽器系の部活に入部をした思い出があります。
(当時はその部活と本屋でのバイトの両方と
11歳年の離れた平成生まれの妹の子守りにもおわれてたのですが,
それも"また懐かしい思い出の1つです。")
入部を決めた決め手の理由は1つではなく当時の私の心模様の心境の変化の中では
たくさんの"気持ちの迷いが不安と当時に出てきてしまい、心細い気持ちが先に走りあったのですが、"
"はじめて触れる和楽器を
初心者マークの私でも弾けるのだろうか
弾けるかな,"
生まれて一度も触れたこともなかった
その和楽器系の楽器を目の前にして、
ホンの少し構えて緊張してた当時の私と
新しい仲間と一緒に音楽の部活を通しながら練習についていけるだろうか、
本番の課題曲を弾いて通してこなしきれるだろうか、
そんな不安とともに立ち竦んでた当時の私に、
(大人へとなった今も何処か,この当時の頃の私と変われてない部分があって、
今も自分自身の内側と奮闘中なのです。)
幼稚園から一緒だった友人の一人が
こう声をかけてくれて不安と心細さの渦中にいた私に
「"弾けない"から"弾けるように練習するんだよ、"」
「和楽器系の楽器方が三味線サンシンよりも弦が少し多いだけで,」
「弾けるよ!」
「一緒に頑張るから、
なーんも悩まんで
いざ全国大会の舞台へと行こう!」
そんな風な温かな言葉をかけてくれた優しい友人で
吹き飛ばすくらいの明るい笑顔で笑い飛ばしてくれました。
とても素敵な優しい勇気をくれた友人で、
そういう風な友人からの言葉も
1つの良い前向きになれたキッカケへと
変化をして、
その友人と一緒に
新しい仲間が待っててくれていた
音楽の部活へと入部を決めて入りました。
楽器演奏の練習を頑張って
全国大会へ飛行機に乗って故郷から出られるかもしれない、
(中学校時代から少し反抗期が尾をひいていたのかも知れないのですが、
当時の私を取り囲む家族家庭親子関係や周りの親戚:そういった小さな内輪のシガラミみたいなモノに少し嫌気がさしていた部分もあり、
生まれ育った故郷を
何処か遠巻きに傍観してた当時の私もいたかもしれません。
育んで育ててくれた故郷を
優しい気持ちでは見つめられずに、
曲がり偏った当時の私と
反抗期もあったかもしれないのですが
付け加えていうと
私自身の"やや深く物事を考え過ぎてみてしまう受け止めてしまう,真面目が過ぎてしまう,真剣さが過ぎてしまう部分"性格の部分や,当時の年齢からの未熟さもあり、
"自分自身の内側のコントロールやバランスの対処や取り方に人として未熟な部分があったと今,当時を振り返るとそう思ったりと
そう思うこともあります。")
先ほどの話しからの続きに戻りますが、
舞台での景色は
"どんな風な景色が広がっているのだろう。"
"小さな故郷とは違う場所の
全国の中の,その大きな場所は、
どんな所なんだろう、"
単純に.そう信じて練習頑張ってたことと、
あとは、
当時の私は
故郷や母やキョウダイや家族という鎖から離れたかったのかもしれません。
"きっとホッとしたかったのかもしれません。"
故郷や家族(母や弟や妹と)から
やっと肩の荷物おろして
"ホッと束の間でも"
"家族から(母や弟や妹から)"遠く遠くへと距離を置いて
"家族という親子キョウダイという鎖から
役目と強いられた鎖と押さえつけられてきた羽を
素直な自分自身の心のままに飛んだり
飛べる喜びを味わいたかった当時の私の姿と、
母の顔色伺わずに
自分自身の素直な気持ち押し込めずに呑み込まずに我慢もせずに,
そこから(故郷から)母から、
放たれて"離れられるから。
自分自身の空間で呼吸出来るから。
(どこかで,ホッと安心したかったから。)
という思いと、
そういうイロイロ感じていた当時の私の姿や、
故郷とは違う場所場所へと
音楽を通して違う世界を知る事が出来て
まだ見ぬ知らない場所へと行けるかもしれないから、
音楽系の部活動を通して
"音楽の世界を少しだけ触れられるかもしれない。"
そういう経験が,
もしかしたら!?叶えられるかもしれない。
そういう,とても単純な子供だった動機の考えや思いと、
突っ走るだけのブレーキの止めかたを知らずにいた、
若気の至りだらけだった、
その当時の、
私らしい,とても単純な後先を考えずの行動だったのですが、
案の定、
後先考えずの行動が
後の私の
はじめて弾く練習に
向かい風となり躓いてしまっていた当時の私がいました。
弾くのも弾きこなすのも、
誰よりもスピードが遅かったので、
自主練習を繰り返し
やっと追い付き、
全国大会で弾いた課題曲も、
舞台の温度も
舞台の息づかいも
舞台を通して,吸収出来た当時の経験は、
大人になった今でも
私にとって、
とても大切で大事な思い出という宝物として
褪せず輝いて残っています。
当時の大昔の全国大会での楽器演奏の思い出
舞台での演奏が,とても忘れられない大切な
私の思い出の1つとして残り
舞台へ続く道のりも
舞台へ向かう道のりも
舞台からおりていく瞬間の名残も
全てが一瞬の舞台でしたが、
私にとっては、
少しだけ触れられたような"感触"は、
一生モノとして褪せず輝いて
得たものから気づけた部分も
そういう時も"懐かしく"残っています。
それを通して
イロイロな世界を"知る""見る""聞く"に触れて
とても大切な
とても濃い
"宝物を1つ"
音楽を通して学べた機会にも繋がりました。
新しい自分自身を知るキッカケも出来て,
1つ1つが輝いてて
今でも懐かしい思い出として、
私の心に残っています。
ここからの話しは
私自身の当時の
その時の思い出話を振り返りながらの話しに触れての書き綴りになりますが、
当時,高校時代
書道クラス仲間みんな、
男子女子生徒みんなチームという感じで
当時は同じクラスに好きな人がいて
懐かしさと同時に優しい気持ちになり
"ふと"思い出す時もありますが
もう今は"ありがとう"という想いだけの
思い出のページへと変わりました。
誰かを想える恋もあったし人を好きになれる素敵なことに出逢えた,そんな風な青春の時期でした。
(こちらのリンク記事で書いた内容に少し
高校生活での思い出に触れて書いてます。)
↓
好きな音楽曲と過去の作品を懐かしむ話し,思い出の話し少し(という記事内容綴り)
ちなみにというほどのことでもありませんが
その好きだった人は
保育園時代から中学校時代まで
一緒に登下校していた幼馴染み君ではありません。
(小学校,中学校時代と,幼馴染み君の恋を,)
"(応援してた側でした。)"
─【青春でござりましたなぁ─。】─
今も変わらずただの幼馴染みで,ホッと出来る仲の良い親友に変わりはないのですが、
幼馴染み君とは中学校卒業後は別々の高校進学で,その後の大人になり互いに別々の道を,それぞれの人生を歩んでます。
↓
思い出の話し集(チョイス編ファソラ♪)
(お話し戻りますが、)
書道クラスでの授業の中の1つに、
印鑑を作ったり
表札を彫刻刀で彫り作ったり
書道以外にもイロイロな作品を作ったりと
そういう風な授業内容も含まれてありました。
(書いたり)
(彫ったり)
(削ったり)
希望してた(音楽/美術の)選択クラスではなかったのだけれど、
新しい仲間や場面との出逢いがあってね
"当時,受験の面接で選択したことに後悔はなくて、"
当時は,むしろ,前向きに捉えてた自分自身がいて
希望通りではなかったからこそ、
違う出逢いを見つけられたんだなぁーって
"輝く瞬間を見つけられた出逢うことが出来た。"
誰かを想える恋もあったし人を好きになれる素敵なことに出逢えた,そんな風な青春の時期でした。
今は今の日々を愛して恋しく"あたたかな気持ちでいられて、音楽から優しさを溢れんばかりにもらえているし,動く原動力をもらえているよ。"
"ありがとう!"の想いで溢れていて
─あとはですね、─
各学年に先輩も後輩も関係なく、
1人が困ったら
みんなで一学年から三学年全員集合で集会を開き
"みんなは1人のために"
"1人はみんなのために"
そういう部分が自然に広がりの輪になり浸透していて何処かしらに
みんな分かっていて胸に留めながら
そういう学び舎と当時の風景でした。
一学年から三学年全員集合で、
生徒同士の意見交換を交わし
遠慮は無しで、
1人1人の意見は
どんな些細な意見であっても
互いに隔てなく尊重し合いながら
分かち合えるように確認しながらを繰り返し話し合い通しあうという場面で得たモノもありました。
皆で話し合う確認の話しの中の1つには、
「誰かを責める前に
責めなくても良い方法を皆で考えて
作っていこう。」
「結局,繰り返しが続き
誰も笑顔に喜べないのなら、
元の原因を無くして試しに期間を設けながら過ごしてみるのは,どうだろう!?」
その意見交換での総合的なまとめた結論を、
先生方に話をした後許可を頂き
先ほど話した通り
そうやって1つ1つ学校の校風や
今までの古い規則やルールや歴史を,
今通学している自分達に合う規則とルールと歴史に変えて全員で話し合い意見交換を交わし
開拓して"新しい歴史を"自分達で築き上げて積み上げ作り上げていきました。
その際の時の集合での生徒みんなの意見交換の時には、
周りで見守ってくれてた先生方は
一切の口出しはせずに
ただ優しく見守ってくれていました。
授業中も笑いの絶えない明るいクラスで本当に賑やかで
その当時の頃の日々が大好きな私がいて
心から,めっちゃ笑顔で
心から,たくさん笑ってたなぁーとかね、
そんな風なコトも思い出していました。
とても賑やかで明るく素敵だった
高校三年間の思い出でした。
高校入試を控えての当時の私と、
当時の中学校3年生の頃の担任の先生との思い出話しと
"あたたかな思い出のイチページと。"
その時と,その後の
当時を振り返りながらの書き綴りのお話しは、以上となります。
そうそう最後になりますが、
この間部屋の模様替えの時に
出てきた
懐かしい学生時代の頃の思い出の写真が
数枚目に鮮やかに優しく留まってしまって、
当時、
記念の撮影の時、
アルバム撮影で訪れて来てくれていた
カメラマンさんの合図の言葉で、
"始まりの笑顔"と皆で肩を組んで
カメラと青空に向かい
私はハニカンデすまし照れて
仲間と一緒に笑い笑顔いっぱいでした。
その時の笑顔、
"青空の下で
"始まりの空を"見上げた私が"写っていました。
当時の空
見上げた青空が眩しくて
気持ちは何だか嬉しくて♪
そういうイロイロな柔らかい日々だった
季節を同時に思い出した瞬間でした。
私と、他愛ない思い出話しの懐かしい場面と
("今と未来を愛しながら。")
青春ソラド♪(私の思い出のお話しチョイス編)【前半編】
長々と話し書き綴ってしまいましたが、
記事を読んでいただきまして
どうもありがとうございました。
今回の記事は
この辺で。
美味しい御飯のヒトトキ
寛げるヒトトキ
素敵なヒトトキを。
体調に,お身体に気をつけてくださいね。
明日も素敵な優しい良い1日を♪
様々な日々や当時の思い出を振り返ってみながら
2026年へ向けて"新たな年の始まりを前に。"
この前書いて触れて書いた
コチラと↓
この間の満月の写真投稿と他愛ないお話し年末2025年物語
今回の記事内容は,6月10日に書いた記事内容やXで少し触れた(9月20日)ポスト投稿の方で触れた"
"私自身の思い出のヒトコマを、"
当時の高校入試の頃の思い出から,
その後までをチョイスしながら書きました。
青春ソラド♪(私の思い出のお話しチョイス編)という記事タイトル名で今回は
【前半編】を書きました。
*(違う記事内容綴りになる【後半編】の思い出のお話しは,また次回に。)
【記事内容の前にコチラからを書きました。】
2025年12月31日
毎年の大晦日変わらず聴いています。
本日に聴く曲好きな曲
たくさんあって…♪
【本日,聴けるだけ"たくさん聴きながら♪"】
と思ってインスタの方に(12月31日)書きました。
前回御紹介させていただいた曲と、↓
(インスタの方で(12月28日記載)私の聴いてる好きな曲を、一曲一曲の曲名を御紹介させていただきながら書かせていただきました。)
【12月31日】
本日一緒に聴く好きな曲は
"思い出を温かく包み亡き両親と過ごせた季節や月日を様々に思い出しながら、"
"ありがとう。"の想いで
音が刻まれていく12月31日とともに
優しいが溢れている"今"と
新たな"明日へ"
新たな年を前に聴いています。
本年もお世話になりました。
ブログ記事やインスタやX最近は時々マイペース更新なのですが、
来年も"マイペースに更新出来ればなぁと"
思っています。
来年もどうぞよろしくお願いします。

当時の空
見上げた青空が眩しくて
気持ちは何だか嬉しくて♪
そういうイロイロな柔らかい日々だった

・始まる話しの流れ内容を(今回の記事の御紹介とともに)
大まかに抜粋して少し前触れとして書きました。
当時、
(高校入試を控えてた直前の頃の私がいて、
平成に誕生した11歳年齢の離れた妹はその当時,幼稚園に通園していて年長さんの年齢を迎えて小学校入学を間近に控えてた時でした。
2つ年齢の離れた弟は中学に入学して中1の三学期を迎えてた頃でした。)
↓
昔のアルバムから,稲刈り時期風景(アルバムと日記綴り)(日記・記録・綴り)
(今回の記事内容です。)
◆─妹で始まり─
(妹と共に終わった…。)
当時の私の中学校時代の卒業式と
高校時代の入学式と卒業式
◆高校入試を控えての当時の私の思い出のお話し
・(朝から少し緊張気味でスタートした
入試初日、
高校入試の会場までの道のりが、
"大雨に強風に嵐続きの"その中での、
"傘折れても心は折れなかったよ、"
という,それだけの思い出のお話しからの
話しの始まりになります。)
◆当時の中学校3年生の頃の担任の先生との
"三者面談"ならぬ"二者面談"の思い出話し、
中学校時代の担任の恩師からの大事な
"その言葉…。"
その中学校当時の担任の先生からいただいた受験当日のお弁当内容のアドバイスを受けた懐かしい思い出と。
◆今は亡き高校時代の恩師との
入試最終日での
"あたたかな思い出のイチページと。"
その時と,その後の
当時を振り返りながらの書き綴り。
◆高校入試の面接の時に
第一希望の選択クラス音楽クラスでもなくて
第二希望の美術クラスでもない
違う方の第三希望を選択して決めたことや
第三希望欄に書いていた
"書道クラス"を選択してからの
高校入学後の(その後の思い出のお話し。)
選択クラスで選んだ
書道クラスでの授業の中の1つに、
印鑑を作ったり
表札を彫刻刀で彫り作ったり
書道以外にもイロイロな作品を、
(書いたり)
(彫ったり)
(削ったり)
希望してた(音楽/美術の)選択クラスではなかったのだけれど、
新しい仲間や場面との出逢いがあってね
"当時,受験の面接で選択したことに後悔はなくて、"
当時は,むしろ,前向きに捉えてた自分自身がいて
そんな風な思い出話を、
"(そんなこともあったなぁーと、)"
しみじみ語っている私の思い出のお話し。
◆入学後の思い出の話しヒトコマに
こんなお話しも書きました。
◇アルバム委員でのクラス代表代理で
時々"コッソリと、"黒子役(影役)として
委員へ参加,
"とても楽しかった思い出の事"
◇各学年に先輩も後輩も関係なく、
1人が困ったら
みんなで一学年から三学年全員集合で集会を開き
"1人はみんなのために"
"みんなは1人のために"
"(そんな風な校風景色が,とても優しく感じ
新しい校風は自分達で築き作り上げていけるという,1つとヒトコマの場面が
とても優しく輝いていて得るモノもあった。)"
そんな風な入学後の
いろんなお話しを書きました。
◆音楽系の部活での全国大会の舞台を今でも忘れずに思い出として大切な宝として私の家宝と留めて大事に心の中に閉まっている事、
◇"はじめて触れる和楽器を目の前にして怖じ気付いてた私、
初心者マークの私でも弾けるのだろうか
弾けるかな,"
生まれて一度も触れたこともなかった
楽器を目の前にして、
ホンの少し構えて緊張してた当時の私
入部するのを少し立ち竦みが過ぎてしまい
迷っていた私、
幼稚園から一緒だった友人の一人が
声をかけてくれて不安と心細さの渦中にいた私に声をかけてくれました。
今も忘れずにある,とても素敵な優しい勇気をくれた友人とのヒトコマ場面の思い出のお話しと,はじめて触れた和楽器を目の間に色々な気持ちが交差してた私に優しい声を掛けてくれた友人との大切な思い出や当時の全国大会を通して学んだ私の宝物の思い出のお話し。
当時の私の思い出に残っている,高校入試と様々な変化流れ最中,書き出しから始まり高校入学後の思い出の話し他のいろいろな楽しかったこと獲た学び思い出への感謝を書きました。
以上を書いた今回のブログ記事内容と流れ結びまでとなっております。
◆【記事内容の要約】はコチラとなっております。
◇当時の私の中学時代後半の思い出含め
(高校入試と,その後の高校生活の当時の
お話し、)
私と、他愛ない思い出話しの懐かしい場面と
("今と未来を愛しながら。")
前置き長々となりましたが、
どうぞよろしくお願いします。
それは大昔の私の思い出として
今でも心に大事に大切に、
そのヒトコマの思い出の場面は大事に残っています。
イロイロな優しき懐かしきが
"盛り沢山な"
先ずはじめのお話は,
─妹で始まり─
(妹と共に終わった…。)
私の中学校時代の卒業式も
高校時代の入学式と卒業式当時の
そんな風な
"懐かしき若き日々の思い出のお話しから。"
今は遥か大昔の思い出話しになります。
私の中学校時代の卒業式も
高校時代の入学式と卒業式も
高校の卒業式の頃のお話しになりますが
その式の会場に、
当時,小学生の低学年の時期だった,11歳年の離れた妹が,
小学校に向かわず登校道を変えて
私の通ってた高校へ向かい
「小学校に行くよりも
高校の卒業式で,お姉ちゃんと一緒に
高校の卒業式で
手を繋いで入場して退場して
一緒に花道を潜り通りたかったの♪」
("選抜"道を選んだの♪)
(小学校休んだの♪)
"とかなんとかで…"
式の挨拶後の着席をしようとしていた私の方に向かって駆け寄り走ってきたかと思いきや…,
(私の膝の上に座り…)
(私から離れず…。座り…。)
高校の入学式の入場の時も…,
「私も,お姉ちゃんと一緒に高校入学するから,幼稚園へは行かない♪
小学校の入学式は行かない♪」
(そう言って私から離れず…,)
(私の手を引っ張り…,)
高校の入学行進を並んで歩き…
(私から離れず…,)
そんな風だった当時の私の入学式と卒業式の思い出。
─妹で始まり─
─妹と共に終わった…。─
"私の入学式と卒業式"
(花道………。)
─我が家の妹…─
"私の妹。"
【ただ…花道を歩きたかっただけなのだろうと…。】
その当時も今も,そう思いながら
アルバムに一緒に写ってる妹をみながら
当時を思い出しながら振り返り、
(11歳年の離れたぶん…,)
妹とは、
二つ年齢の離れた弟とは違う景色の思い出が数々にあり褪せず残っています。
高校入試当日初日の朝を迎えた天気模様は、
"強風の中に荒れ狂うような大嵐でした。"
朝から少し緊張気味でスタートした
入試初日、
高校入試の会場までの道のりが、
"大雨に強風に嵐続きの"その中での、
"傘折れても心は折れなかったよ、"
という,それだけの思い出のお話しを少し話したいと思います。
実は、
入試前の数週間あまり、
酷い風邪の症状で学校を数日欠席してた私でしたが、
なんとか治しながら温かくして保ちながら参考書片手に最後の勉強の追い込みをしていました。
気管支系は中学校時代の風邪の症状の際にイチバン酷く症状が出た記憶が今でも思い出の1つとして残っています。
そういう中での体調管理と体調面のキープを整えながら
やっと落ち着いた治りかけからの
当時,高校入試の受験前に
当日の受験会場へと向かっていた当時の私がいました。
大嵐、
強風、
"とてつもない本気の向かい風、"
雨風嵐の中を傘をさして、
(傘をさしても横から雨で濡れてしまい、)
─そして、─
(あろうことか…"強風で傘は折れてしまい…")
"驚いたショックに少しヨレテ凹みそうになりながら、"
─"無事…難所をクリア!!!"─
(いったい!?それは!?
どんな難所だったんだっ?)
風で折れた傘を必死にしがみつくように
"折れた傘をさすしかなかった私…"
(傘は折れましたが,)
(心は折れず平常心に"マイペース")
嫌な予感なんて
"折れた傘で振り払ったのさっ…、
(強気を最大限に込めた素敵な願掛け☆)"
でも、ホンの少し余計な事を考え過ぎてしまったことも…、
気持ちの中では素直に何処かにありました。
(それは今では
当時のほろ苦い思い出の場面へと変わりましたが、)
当時の私は、
"まさか…そんなワケないよね。
きっと良いことの前の前触れさ!大丈夫。"
あてにならない…無茶な土壇場での
"願掛けを…。"繰り返しては
気持ちを落ち着かせていました。
当時の私はホンの少しだけ臆病風に吹かれていました。
進級ごとのクラス替えでの
予め決められた枠での進級ごとでの
クラスの枠という小さな人間関係に躓いてたそんな時期でもありましたし、
その他以外の克服したい事があり、
自分自身の内側の部分と闘いもがき
向き合い乗り越えようと頑張っていました。
当時,まだ健在だった両親には打ち明けることもなく
当時の中学校の担任の先生に正直に素直に話した時もそういう時もありました。
そうこうとして、
なんだ~かんだとしてる間に
受験シーズンへと季節は変わり
中学校時代の当時の私は、
そういう流れの中でのぼっては歩く
その繰り返しをしながら当日を迎えていました。
─中学校時代の色々な場面ごとの一瞬が
思い出されながらの、─
そんなウダウダな気持ちと
振り払った気持ちの両方の中、
【内に秘めてた】
("1つ目の理由")
当時目指してた目標の進路の為の受験だったことと、
当時の中学校時代の担任の先生からは
第一希望校ではなく、
ゼロ校時から授業が組まれている
進学クラスをと話してくれていたのですが
当時の中学校時代の担任の先生が
ススメテくれた高校は、
制服が当時の我が家の家計状況からすると高めだった理由と
お昼時間は校外禁止で、
お弁当は校内のみで
通学の経路をイメージした時
交通の利便性が少し不便で
時間的に遠くなると予め通学経路や時間帯のことが大きく響いてたので
第一希望校だった高校は、
制服も値段的におさえられて
通学の交通の利便性や費用を抑えられ
学費も素早く手続きを済ませられたら負担費用を少し抑えられたという費用面や
お昼時間も学食や校外出入り自由で
お弁当持参でもOKだったこと
通学経路も近く時間帯にユトリを持って登校出来ると思っていたことが決め手となり、
(入学後の当時の私は"しばらく校外出入り自由を満喫してたのですが、")
(その後は"時間を気にしながら時間までに校内に戻らなきゃと、そういう部分のプチストレスに気付いて"お弁当持参でのお昼時間に切り替えました。")
それから、
数年後に高校受験を控えた弟や
小学校入学を控えていた妹のコトもあり
なるべく寂しい思いや心細い思いをさせまいと、その気持ちもあって第一希望校を選択した部分もありました。
そういう理由も(コトも)含めながらですが,当時の私の進路へ向けての思いや考えがありました。
(当時の私は高校の教員を目指していました。現在は全く関連ない資格保有で,全く違う人生(ミチ)を歩んでる途中なのですが未来の姿は分からないから今を生きることは素敵な姿なのかもしれませんね。)
("2つ目の理由")
保育園時代から幼稚園時代
そして、小学校時代から中学校時代にかけて、
味わいたかった"楽しい"という場面の1つ1つを高校生活を通して楽しい中から
クラスみんなと共に学ぶ"何かを体験して"
得たかった思いと
"楽しい場面を通して私自身が成長をしたい思いもあり、"
1つではなかった"2つ目の理由"がありました。
("3つ目の理由")
父が途中まで通っていた高校へ
その思いも当時の私自身の中に何処かしらにありました。
友人を庇い自主退学を選択した亡き父の思い出の話しを聞いたことがあり、
父は,その後,経緯を経て県外へと就職したそうです。
その亡き父が途中まで通ってた高校が
当時,私が希望してた第一希望校でした。
そんな父の青春時代の思い出の話や
イロイロな当時の景色を
移り変わっていった景色を
父が話して聞かせてくれたことも少なからず当時の私の胸の内には何処かにありました。
─受験初日の朝,─
そして、
受験会場へと向かう私の足を
止むことない強風は向かい風を繰り返し
大嵐の横からの雨に叩き付けられても
ひたすら受験会場を目指し雨に濡れても
歩き続け、
その時の私は、
大嵐と強風の中
折れた傘を握りしめ
土壇場で…。
そう自分自身に言い聞かせていました。
沸いて起こる…。
繰り返す…
嫌な予感を振り払いながら、
(そんな不安と闘いながらの最中…)
─歴史上の人物が…私の脳裏に過り
思い出しながら心落ち着かせ会場までの残りの距離を歩きました、─
(降り止まぬ雨と嵐に,うたれながらの道続き。)
雷が光る中で思い出した
歴史上の人物織田信長風、
「人間五十年下天の内を比ぶれば夢幻のごとくなり」
武田信玄の風林火山
(入試とは関係ない感情が…)
─ここに登場した当時の私。─
"もし…信長さんや信玄さんが当時の時代の流れの中で長生きしていたならば、"
"今の現代の世の中は
どんな時代になっていたのだろうか。"
"もし…、"
という不思議に似た疑問似た感情が
"ふと、"沸いて,そんな風な事も過ったり、
─(あとはですね、)─
戦後,混乱が続いてた沖縄を
本土復帰へ導いた
本土並みの教育を子供達に、
安心して安全に学べる環境の整った学び舎を子供達に
"同じように教育を受けられる権利と場所を"と、
戦後の,その混乱の最中、
教育第一を掲げてた
沖縄の初代県知事、屋良朝苗。
そんな風なことを過り浮かべ思い出しからの
思いながら、
強風と大嵐という名の向かい風、
そして、
どしゃ降りに耐え
やっとの思いで受験の教室まで辿り着き
会場の教室へ入る前に一呼吸。
(始まる前に,うろたえる)
自分自身の気持ちをはね除けてながら入室,
参考書の最後の確認をして閉じて
試験の答案用紙に向かい…
どしゃ降りの雨の音も忘れ…試験に集中。
(途中…問題内容を見て読んで驚き慌てふためきましたが、)
ナンとか…持ちこたえクリア。
途中…選択問題への解答に迷い悩みましたが、
信じつつ選んだ"その答え、"
"後悔なんてしないと決めて選んだ"
"その答え。"
中学校時代の担任の恩師から口酸っぱく言われ続けていた"その言葉…。"
もっと慎重に注意深く判断せよ。
冒険心だけで決めず判断せずに。の言葉は
もはや遠くにあり
問題内容を繰り返し読み
その質問が
◆"何を聞いていて(問い掛けていて)"
◆"何を聞きたくて(問い掛けるのかを)"
◆"どんな結論と結果を求めているのかを、"
落ち着きながら深呼吸、
選択の問題をクリア。
それが試験初日の午前の出来事でした。
そんな御天気模様の中で受験初日を迎えていました。
ここからは、
"高校入試の時の面接で
少し迷い,でも迷わず決めた、"
"希望してた選択クラス"から
─"違う希望選択クラスを決めたお話しと,"─
"その後の高校生活で過ごしてたお話し。"
当時、
見上げた青空が眩しくて
気持ちは何だか嬉しくて♪
そういうイロイロな柔らかい日々だった
季節を同時に思い出してみながら
書いてみました。

私,高校生の頃ね
時々の代理でクラスメンバーが参加出来ない時だけの、
アルバム委員だったんです。
(クラス代表の代わり代理での
(黒子役)(影役としての)
控えとしてのそういう風な
役割と時々の参加でしたが…。)
↓
"ありがとう"と"始まりと。"(思い出から届いた "プレゼント")
アルバム委員の集まりの時には、
アルバム作成と編集を委員のメンバー皆で
写真を手分けしながらね、
このページには"この写真どうかな!?"
ラストのページは"どんな風に飾る!?"
始めのページから途中のページまで
"どんな流れのインパクトを残そうか!?"
そんな風な話をしてた懐かしい思い出も今でも変わらず心に残り
懐かしくあります。
高校受験の入試の最終日の面接でのコト、
その当時の思い出の話しになります。
当時の私は、
クラス選択で音楽クラスを希望して
入試の最終日面接に挑んだのですが、
その当時,
第一志望にしていた高校入学へ向けて、
受験勉強と面接までの模試を繰り返し
"高校入試受験の当時を迎えました。"
高校受験の入試の最終日の面接でのコト、
その当時の思い出の話しになります。
当時面接担当だった
その後3年間私の教科担当となった
恩師でもある
(いまは亡き先生に、)
その当時の面接担当だった先生との、
面接での時に
こんなやりとりの会話の思い出が
今も大事な大切な一ページの宝物として
心の記憶の中に残っています。
↓
コチラのブログ記事にも触れて書いてます。
↓
"ありがとう"と"始まりと。"(思い出から届いた "プレゼント")
"当時の私は、
【第一選択クラスの希望は】
音楽クラスを希望だったので,"
気持ちぶれずに迷うことなく、
クラス選択で音楽クラスを希望して
入試の最終日面接に挑んだのですが、
その当時の入試担当の先生に
(その後の私の高校時代の
三年間の教科担当になった、)
(亡き恩師の先生に)
"音楽クラスは定員オーバーで、
残りの第二希望の美術クラスも同じで、
クラスの定員が足りてないのは、
第三希望の枠に書かれてる
書道クラスしかなくて、"
"書道クラスは先程も話した通り人数が足りてないことも踏まえて
もう一度,確認しますが、"
その答えを教えてください。
今後,将来へ向けて
どんな風に取り組みたいと考えていますか、アナタの考えている将来へ向けての進めて取り組んでいきたい考を教えてください。
「あと,もう1つだけ、」
「中学校生活を通した三年間の中で
アナタだけが知る思い出はありますか"。」
そう質問されたあと、
一瞬の時間の中でグルグルと迷う中で
冷静になり考えていました。
そして、こう答えました。
第一希望に選択した(音楽クラス)
第二希望に選択した(美術クラス)
そして、
第三希望に選択した
(書道クラス)
"どちらかの選択クラスになったとしても、"
"音楽を好きな気持ちを持ち続けられている今後の私の姿と,
変わらず揺るぎない気持ちと想いが
これから先も,そうずっと持ち続けてあるなら、"
"高校に入学してからでも
イロイロな角度から大好きな音楽と一緒に
目の前を開拓して自分の力を信じて拓く
その中で、
音楽を通して学び得られる部分は
"部活動を通しての音楽の表現や世界を通して磨き得られるという部分もあると思います。
今,もう一度,冷静になって自分自身の気持ちを再確認して迷いなく、
自分自身が選択して選んだ
第三希望の書道クラスへの
選択クラス希望を決めました、
"高校での書道クラスで、
縁のある書道クラスの仲間と,
新しい仲間みんなと
新しい学びを共に過ごしながら
中学生の頃以上の思い出を作り
三年間という時間を共に一緒に頑張りたいです。
今後への進路も踏まえ見据え
1つ1つ積み重ねていきます。"
今,目の前にある選択クラスでの高校生活三年間を通して学び得ながら
クラス仲間、学年仲間と共に一緒に頑張りながら、
その中で,
私の掲げている将来の目標へむけて
日々の学生生活を基盤に大事に積み重ね
目指す方向へと一歩ずつ進学とその先へむけて目の前から1つ1つ取り組んでいきたいです。
(結果として出した結論は、
"書道クラスを選択しました。")
そんな風な感じで答えた
当時の、
そういう質問を受けて返答した懐かしい思い出を
今でもハッキリと鮮やかに残り思い出として記憶しています。
そういう風に瞬時な中で答えへの整理をまとめて、
自分自身が後悔のない"そういう始まりになるようにと込めて。
"納得出来る結論を出しました。
その時の当時の私は
想い
そのままを、
言葉変えながら工夫して
思った答えを
そのままに、
答えました。
その次に話し答えた内容は、
高校入試を控えての当時の私と、
当時の中学校3年生の頃の担任の先生との
"二者面談"の思い出話しと、
(当時、色々な家庭事情があったので
最終的に先生と話し合い二者面談の流れになりました。)
その中学校当時の担任の先生からいただいた受験当日のお弁当内容のアドバイスを受けた懐かしい思い出を話しました。
そういう私だけが知る中学時代の思い出としての話しと、
入試を控えてのお弁当の内容と
高校受験当日のお弁当内容は、
自分自身で前日から用意して下準備する事は、
当時の担任の先生には事前に話していたので、
その当時の中学校時代の
担任の先生からの
ゲンカツギ的なアドバイスがあって、
「"イチゴ"と"トンカツ"を入れて、
"1番に合格"をカタチにして自分の力で
掴み取りなさい。」
「ココからの将来の道を
(自分自身の人生を)
"冒険心だけで進んではいけないよ。"
"1つ1つをカタチにして進む力を育てなさい。"分かった?」
といった内容の二者面談での担任の先生との,やり取りがあった出来事を話しました。
そいう経緯の話しや、
それが1つ目の
"私がお世話になった中学校時代の恩師と
中学校での環境との、"
私だけが知るイロイロな場面での思い出、
そいう風だった経緯の話しや
もう1つは、
中学時代に入学して早々に、
(皆と楽しく賑わいながら,)
音楽を楽しく
"歌いたかった…"
合唱部をつくりたかったけれど
その希望は叶わなかった話しと、
イロイロあった中学生活の思い出と
そういう苦かったを味わって知った思い出や
"その思い出を通して気がつけた得られたこと"
私だけが知る思い出の部分,今だから気がつけたこと"を話しました。
1つ1つを学んで活へと変えていった中学生の頃の時代の思い出と得たモノを話しました。
そんな風な答えを最後に話した当時の私に
面接官担当だった当時の先生は、
こう話し返してくれました。
「中学校生活の中で,出来事1つ1つを通して
たくさん乗り越え頑張ってこられたんですね。たくさん頑張りましたね。
とても前向きな姿勢で挑みながら挑戦していく姿が印象的で,とても素直に
真面目に頑張って,大変だった中で,
たくさん乗り越えて頑張ってこられたんですね。
音楽への想いも
コチラの高校への想いも強く伝わって
とても嬉しかったですよ。
将来へ向けて取り組んでいきたい方向の進路の話しも触れて聞かせていただいて
"どうもありがとうございます。"
と同時に面接は終了しました。
そして、
当時,面接担当だった恩師の先生から
(今は亡き先生から、)
面背の最後に再び、
"こう言葉をかけられました。"
「"新しい仲間と一緒に,"
素敵なスタートをして
賑やかに面白いことも
思いっきり楽しんで学び得ながら3年間を頑張りましょうね。」
当時の私は、
生まれてはじめて
誰かから褒められた事に驚き
それと同時に"何処か心ホッとして"
その時の当時の私は、
不思議と、
思いが,こう浮かんだのです。
こんな私を褒めて認めてもらえる,そういう場面や場所があるのだと,心素直になっても良いのだと,
その瞬間と場面に触れて知ったことが喜びとなり
嬉しさへと("変化していきました。")
当時、
描いてたイメージの高校入試や面接とは
違ってはいましたが、
今でもそうですが、
"自分自身が選択した結論を後悔したことはありません。"
(それが,後々に続く人生へと繋がらなくても違ってても,自分自身で出した結論、
そして、"選択")
正しいか間違いか
そういうことよりも
自分自身で"選択した"その時の、
あの場面が、
今も私の自信へと繋がり力に変わり
思い出としてもですが、
大人になった今でも活きた私の1つの宝物であり、
思い出として飾ってとって置くというカタチよりも、
今も
("その当時の経験と得たモノからの自信が,")
原動力として変わらぬカタチで
一緒に歩き続けています。
ここからの話しは
私自身の当時の
その時の思い出話を振り返りながらの話しに触れての書き綴りになりますが、
中学時代の頃の大変御世話になった
中学3年の頃の担任先生との
会話を思い出しての話しや、
高校入試に合格発表の日
その科を選択した私と母との間には
色々な理由からの距離が出来てしまい
ろくに話しも聞いてもらえずしてもらえず
親子なのに距離が遠くに感じて
なんとなく寂しく感じていました。
その高校の科を合格したことを
母も、
母方の大正生まれの祖父母も呆れ顔で
笑って喜んではくれはしなかったのですが、
色々な流れや
時代からの捉え方の食い違いや
考え方の食い違いが生じて解消されないまま、
↓
この間の満月の写真投稿と他愛ないお話し年末2025年物語
当時の私は、
合格発表の日を朝を迎えていました。
(当時の父は出稼ぎで居なくて
母は弟と妹優先と、
先ほども触れた話しと、
そういう理由の為。)
当時の私は、
少し心細く感じてはいたのですが
同じ出身校の仲間に囲まれながら
そういう心細さも吹き飛んで
みんなと一緒に,その瞬間を待っていました。
合格発表の提示版を前に
ドキドキしながら受験番号を探し見付けた時の事や、
その合格発表の提示版を下げる担当だったのが、
今は亡き恩師の高校時代の
大変御世話になった高校3年間教科担当で
高校3年の頃の担任の先生でした。
当時の高校時代の恩師の先生は、
その合格発表の提示版を下げながら
こう言葉を発してくれました。
「ようこそ!我が高校へ!
一生懸命頑張ってきたキミ達を待っています!」
「もしも番号が見つからなかったとしても
肩を落とさないで二次試験に向けて最後まで全力で」
「コチラの高校を選択してくださった皆さん,高校入学前の言葉として、
雨にも風にも負けないキミ達だと先生は
信じています。
帰り道は気をつけて帰宅してね。
以上!」
そんな風な言葉をかけてくださりながら、
笑顔で笑って手を振ってくださってくれてた懐かしい姿が
つい,昨日のことのように懐かしく
あたたかく思い出されます。
高校生活三年間の素敵な日々の思い出も全て"あっという間に過ぎていきました。
それから、
当時、三年間だけ音楽系の和楽器系の部活に入部をした思い出があります。
(当時はその部活と本屋でのバイトの両方と
11歳年の離れた平成生まれの妹の子守りにもおわれてたのですが,
それも"また懐かしい思い出の1つです。")
入部を決めた決め手の理由は1つではなく当時の私の心模様の心境の変化の中では
たくさんの"気持ちの迷いが不安と当時に出てきてしまい、心細い気持ちが先に走りあったのですが、"
"はじめて触れる和楽器を
初心者マークの私でも弾けるのだろうか
弾けるかな,"
生まれて一度も触れたこともなかった
その和楽器系の楽器を目の前にして、
ホンの少し構えて緊張してた当時の私と
新しい仲間と一緒に音楽の部活を通しながら練習についていけるだろうか、
本番の課題曲を弾いて通してこなしきれるだろうか、
そんな不安とともに立ち竦んでた当時の私に、
(大人へとなった今も何処か,この当時の頃の私と変われてない部分があって、
今も自分自身の内側と奮闘中なのです。)
幼稚園から一緒だった友人の一人が
こう声をかけてくれて不安と心細さの渦中にいた私に
「"弾けない"から"弾けるように練習するんだよ、"」
「和楽器系の楽器方が三味線サンシンよりも弦が少し多いだけで,」
「弾けるよ!」
「一緒に頑張るから、
なーんも悩まんで
いざ全国大会の舞台へと行こう!」
そんな風な温かな言葉をかけてくれた優しい友人で
吹き飛ばすくらいの明るい笑顔で笑い飛ばしてくれました。
とても素敵な優しい勇気をくれた友人で、
そういう風な友人からの言葉も
1つの良い前向きになれたキッカケへと
変化をして、
その友人と一緒に
新しい仲間が待っててくれていた
音楽の部活へと入部を決めて入りました。
楽器演奏の練習を頑張って
全国大会へ飛行機に乗って故郷から出られるかもしれない、
(中学校時代から少し反抗期が尾をひいていたのかも知れないのですが、
当時の私を取り囲む家族家庭親子関係や周りの親戚:そういった小さな内輪のシガラミみたいなモノに少し嫌気がさしていた部分もあり、
生まれ育った故郷を
何処か遠巻きに傍観してた当時の私もいたかもしれません。
育んで育ててくれた故郷を
優しい気持ちでは見つめられずに、
曲がり偏った当時の私と
反抗期もあったかもしれないのですが
付け加えていうと
私自身の"やや深く物事を考え過ぎてみてしまう受け止めてしまう,真面目が過ぎてしまう,真剣さが過ぎてしまう部分"性格の部分や,当時の年齢からの未熟さもあり、
"自分自身の内側のコントロールやバランスの対処や取り方に人として未熟な部分があったと今,当時を振り返るとそう思ったりと
そう思うこともあります。")
先ほどの話しからの続きに戻りますが、
舞台での景色は
"どんな風な景色が広がっているのだろう。"
"小さな故郷とは違う場所の
全国の中の,その大きな場所は、
どんな所なんだろう、"
単純に.そう信じて練習頑張ってたことと、
あとは、
当時の私は
故郷や母やキョウダイや家族という鎖から離れたかったのかもしれません。
"きっとホッとしたかったのかもしれません。"
故郷や家族(母や弟や妹と)から
やっと肩の荷物おろして
"ホッと束の間でも"
"家族から(母や弟や妹から)"遠く遠くへと距離を置いて
"家族という親子キョウダイという鎖から
役目と強いられた鎖と押さえつけられてきた羽を
素直な自分自身の心のままに飛んだり
飛べる喜びを味わいたかった当時の私の姿と、
母の顔色伺わずに
自分自身の素直な気持ち押し込めずに呑み込まずに我慢もせずに,
そこから(故郷から)母から、
放たれて"離れられるから。
自分自身の空間で呼吸出来るから。
(どこかで,ホッと安心したかったから。)
という思いと、
そういうイロイロ感じていた当時の私の姿や、
故郷とは違う場所場所へと
音楽を通して違う世界を知る事が出来て
まだ見ぬ知らない場所へと行けるかもしれないから、
音楽系の部活動を通して
"音楽の世界を少しだけ触れられるかもしれない。"
そういう経験が,
もしかしたら!?叶えられるかもしれない。
そういう,とても単純な子供だった動機の考えや思いと、
突っ走るだけのブレーキの止めかたを知らずにいた、
若気の至りだらけだった、
その当時の、
私らしい,とても単純な後先を考えずの行動だったのですが、
案の定、
後先考えずの行動が
後の私の
はじめて弾く練習に
向かい風となり躓いてしまっていた当時の私がいました。
弾くのも弾きこなすのも、
誰よりもスピードが遅かったので、
自主練習を繰り返し
やっと追い付き、
全国大会で弾いた課題曲も、
舞台の温度も
舞台の息づかいも
舞台を通して,吸収出来た当時の経験は、
大人になった今でも
私にとって、
とても大切で大事な思い出という宝物として
褪せず輝いて残っています。
当時の大昔の全国大会での楽器演奏の思い出
舞台での演奏が,とても忘れられない大切な
私の思い出の1つとして残り
舞台へ続く道のりも
舞台へ向かう道のりも
舞台からおりていく瞬間の名残も
全てが一瞬の舞台でしたが、
私にとっては、
少しだけ触れられたような"感触"は、
一生モノとして褪せず輝いて
得たものから気づけた部分も
そういう時も"懐かしく"残っています。
それを通して
イロイロな世界を"知る""見る""聞く"に触れて
とても大切な
とても濃い
"宝物を1つ"
音楽を通して学べた機会にも繋がりました。
新しい自分自身を知るキッカケも出来て,
1つ1つが輝いてて
今でも懐かしい思い出として、
私の心に残っています。
ここからの話しは
私自身の当時の
その時の思い出話を振り返りながらの話しに触れての書き綴りになりますが、
当時,高校時代
書道クラス仲間みんな、
男子女子生徒みんなチームという感じで
当時は同じクラスに好きな人がいて
懐かしさと同時に優しい気持ちになり
"ふと"思い出す時もありますが
もう今は"ありがとう"という想いだけの
思い出のページへと変わりました。
誰かを想える恋もあったし人を好きになれる素敵なことに出逢えた,そんな風な青春の時期でした。
(こちらのリンク記事で書いた内容に少し
高校生活での思い出に触れて書いてます。)
↓
好きな音楽曲と過去の作品を懐かしむ話し,思い出の話し少し(という記事内容綴り)
ちなみにというほどのことでもありませんが
その好きだった人は
保育園時代から中学校時代まで
一緒に登下校していた幼馴染み君ではありません。
(小学校,中学校時代と,幼馴染み君の恋を,)
"(応援してた側でした。)"
─【青春でござりましたなぁ─。】─
今も変わらずただの幼馴染みで,ホッと出来る仲の良い親友に変わりはないのですが、
幼馴染み君とは中学校卒業後は別々の高校進学で,その後の大人になり互いに別々の道を,それぞれの人生を歩んでます。
↓
思い出の話し集(チョイス編ファソラ♪)
(お話し戻りますが、)
書道クラスでの授業の中の1つに、
印鑑を作ったり
表札を彫刻刀で彫り作ったり
書道以外にもイロイロな作品を作ったりと
そういう風な授業内容も含まれてありました。
(書いたり)
(彫ったり)
(削ったり)
希望してた(音楽/美術の)選択クラスではなかったのだけれど、
新しい仲間や場面との出逢いがあってね
"当時,受験の面接で選択したことに後悔はなくて、"
当時は,むしろ,前向きに捉えてた自分自身がいて
希望通りではなかったからこそ、
違う出逢いを見つけられたんだなぁーって
"輝く瞬間を見つけられた出逢うことが出来た。"
誰かを想える恋もあったし人を好きになれる素敵なことに出逢えた,そんな風な青春の時期でした。
今は今の日々を愛して恋しく"あたたかな気持ちでいられて、音楽から優しさを溢れんばかりにもらえているし,動く原動力をもらえているよ。"
"ありがとう!"の想いで溢れていて
─あとはですね、─
各学年に先輩も後輩も関係なく、
1人が困ったら
みんなで一学年から三学年全員集合で集会を開き
"みんなは1人のために"
"1人はみんなのために"
そういう部分が自然に広がりの輪になり浸透していて何処かしらに
みんな分かっていて胸に留めながら
そういう学び舎と当時の風景でした。
一学年から三学年全員集合で、
生徒同士の意見交換を交わし
遠慮は無しで、
1人1人の意見は
どんな些細な意見であっても
互いに隔てなく尊重し合いながら
分かち合えるように確認しながらを繰り返し話し合い通しあうという場面で得たモノもありました。
皆で話し合う確認の話しの中の1つには、
「誰かを責める前に
責めなくても良い方法を皆で考えて
作っていこう。」
「結局,繰り返しが続き
誰も笑顔に喜べないのなら、
元の原因を無くして試しに期間を設けながら過ごしてみるのは,どうだろう!?」
その意見交換での総合的なまとめた結論を、
先生方に話をした後許可を頂き
先ほど話した通り
そうやって1つ1つ学校の校風や
今までの古い規則やルールや歴史を,
今通学している自分達に合う規則とルールと歴史に変えて全員で話し合い意見交換を交わし
開拓して"新しい歴史を"自分達で築き上げて積み上げ作り上げていきました。
その際の時の集合での生徒みんなの意見交換の時には、
周りで見守ってくれてた先生方は
一切の口出しはせずに
ただ優しく見守ってくれていました。
授業中も笑いの絶えない明るいクラスで本当に賑やかで
その当時の頃の日々が大好きな私がいて
心から,めっちゃ笑顔で
心から,たくさん笑ってたなぁーとかね、
そんな風なコトも思い出していました。
とても賑やかで明るく素敵だった
高校三年間の思い出でした。
高校入試を控えての当時の私と、
当時の中学校3年生の頃の担任の先生との思い出話しと
"あたたかな思い出のイチページと。"
その時と,その後の
当時を振り返りながらの書き綴りのお話しは、以上となります。
そうそう最後になりますが、
この間部屋の模様替えの時に
出てきた
懐かしい学生時代の頃の思い出の写真が
数枚目に鮮やかに優しく留まってしまって、
当時、
記念の撮影の時、
アルバム撮影で訪れて来てくれていた
カメラマンさんの合図の言葉で、
"始まりの笑顔"と皆で肩を組んで
カメラと青空に向かい
私はハニカンデすまし照れて
仲間と一緒に笑い笑顔いっぱいでした。
その時の笑顔、
"青空の下で
"始まりの空を"見上げた私が"写っていました。
当時の空
見上げた青空が眩しくて
気持ちは何だか嬉しくて♪
そういうイロイロな柔らかい日々だった
季節を同時に思い出した瞬間でした。
私と、他愛ない思い出話しの懐かしい場面と
("今と未来を愛しながら。")
青春ソラド♪(私の思い出のお話しチョイス編)【前半編】
長々と話し書き綴ってしまいましたが、
記事を読んでいただきまして
どうもありがとうございました。
今回の記事は
この辺で。
美味しい御飯のヒトトキ
寛げるヒトトキ
素敵なヒトトキを。
体調に,お身体に気をつけてくださいね。
明日も素敵な優しい良い1日を♪
この間の満月の写真投稿と他愛ないお話し年末2025年物語





この間の満月の写真と写真の中に"ウサギさん"を描いてみた…つもりの写真と投稿内容です。
◆【今回のブログの記事内容は】
"他愛ないお話しから、"
"他愛ない三人きょうだいの味物語を少し"
"他愛ない年末のお話し私と2025年"
"好きな曲を聴きながら"と書きながら…"
でございます。
寒さと年末
風邪に気をつけながら素敵な優しい日々と
年末年始を。
と書きながら…
"思い出してしまったことが…。"
近々,年内くらいには
"投稿しますねー。"とぼやいて書いてた
"下書き記事を投稿できればなぁと、"
年内に納め忘れの内容に
(投稿すると書いたまま忘れないように、)
と…、
そうそう,忘れたいけど(!?)
【忘れてはいけないコトが、】
年内に,私達きょうだいで少しね、
(弟と妹と)
今後のことで話し合いがあるのですよ。
亡き両親の,色々な様々なことで
片付けていかなきゃならないことの
話し合いなんですけどね。
まぁ,きょうだいといえども(弟,妹)
色々な…
いろいろが…
イロイロに…
三人三様の人生の道のりと歩みと
とりあえず三人三様きょうだいが
"それぞれ公平に歩めるように。"
年内から来年にかけて
少しずつの準備時間に取り掛かる
そういう前の段階が"年内の今で、"
といっても、
年内も僅か数日で、
また新たな年が明けていくんですけどね。
あとは、
思いっきり普段とどかない部分の掃除を
はりきった後が恐ろしいので
年齢重ねるとね…後が痛いのよ。
このパターン…
(私だけなのかもしれないのですが…)
そういうわけでございまして、
【無難に少々できりの良いところで。】
(御用納めを=掃除の終了を。)
ほらっ(!?)
来年が目の前に控えているじゃない(!?)
年が明ける前に
身体がガタガタして引きずったままで
(2026年!HAPPY!明けまして…)って、
慌ただしい後に残る
疲労を残して引きずって迎えても…(ねぇ。)
なのでね、
ほどほどに,きりあげて
"ゆく年くる年を過ごす私の年末。"
(ゴォ~~~~~~ン。)
もはや…去る年を振り払う事さえ…
(忘れている…。)
振り払う事を思い出す事さえ
(忘れている…。)
【2025年12月と私。】
来年に向けての準備をしながらね、
今日のメニューはね、
あたたまるメニューにして,いただきました。
おでん?
鍋?
すき焼き?
シチュー?
きつねうどん候補(!?)
"えっ(!?)"
"きつねうどん…さん。
あたたまるメニューに立候補希望?"
"そっかー…"
あたたまるメニュー仲間に…選抜希望だったんだね。
大丈夫だよ!!!
"年越しそば"に
"きつねうどん"を候補にあげてるから♪
白ネギおあげ他の材料をのせての
きつねうどん。
からの,
(きつねうどん。と書いて思い出したことが…)
昔ね、
11歳年齢の離れている妹がね
(妹は我が家で唯一の平成生まれなの。)
妹が当時,保育園に通園してた年齢の頃ね、
"きつねうどん。"をメニューに食卓に出した時に、
「ゴォーン美味しいね♪」
って…話し出してね、
"えっ!(?)"
"ゴォ~ン?"
私は,とっさに…妹にね、
これは、
「(きつねうどん。)っていうんだよ。」
そう答えたらね、
妹が,すかさず…
「保育園の先生がね絵本の"手袋を買いに"のお話しを聞かせてくれながら教えてくれたの♪」
そう話してくれていた妹へ、
私は…
"手袋を買いに…"なのに…
どうして(!?)
"ゴォ~ン?"が…」!?)
もしかすると…、
"御飯ごはん"を、
メニューの"きつねうどん。"のことを、
妹は…
"ゴォ~ン(御飯ごはん)美味しいね♪"
【そう話しただけなのかもしれないのですが…。】
その妹も大人になり結婚して家族を持ち、
今では(きつねうどん。)よりも、
(ざるそば)が大好物でして、
二つ年齢の離れた弟も、
妹と同様に、
(ざるそば)が大好物でして、
【三人きょうだいの中で…。】
私だけが…
【きつねうどん派でございまして…。】
妹と弟と私は、
(食の共通点は無いのですが、)
唯一…,
(ざるそば)と(たぬきそば)
(お刺身とお寿司)が妹と弟の食の大好物が同じというだけで、
三人三様…食の共通点や好みは…
やはり…違う部分の方が多くありまして、
【同じ屋根の下で成長して育ってきたのに、不思議な話しなんですけどね。】
ちなみに、
(ざるそば)以外の大好きな麺類は、
(たぬきそば)でございまして、
たぬきそばを味わう時の妹は、
七味唐辛子で(涼しい顔で)
"たぬきそば"を味わっていました。
弟も"たぬきそば"と"ざるそば"が大好きで
負けず嫌いな弟は、
そんな妹に対してワケの分からん対抗心を抱いてか?(なのか?)
"激辛に味を変えて…。"
涼しい顔をしつつ(焦りを隠して…。)
(たぬきそば)を味わい食していました。
私は…というと、
(そんな"激辛な二人を見ながら…。")
少し…遠目に…。
(二人を眺め…。)
きつねうどんを美味しく味わい
(たぬき派の二人と(弟と妹を))
ホクホクと温まりながら、
(きつね派の私)
(両たぬき派)に挟まれた…
真ん中で小さく縮こまる(きつね派)
そんな思い出や、
定食屋さんで頼んだメニューも、
三人三様違い、
私は(さば定食メニュー。)
弟は(トンカツ定食。)
妹は(チキン南蛮定食。)
私は(沖縄そば)
弟は(ソーキそば)
妹は(三枚肉そば)
最後にいただいたデザートも違い、
私は(チーズケーキ)
弟は
(抹茶あずきのパフェ/(もしくは"ぜんざい"))
妹は(ショートケーキ苺盛り)
アイスティー,もしくはレモンティー,烏龍茶が大好きな私。
ホットコーヒー(もしくは抹茶/さんぴん茶)が大好きな弟。
アイスカフェ・ラテ,もしくはミルクティーが大好きな妹
寿司とお刺身が苦手な私
寿司とお刺身が大好物な弟と妹
カレーを食べに出掛けた時も、
辛口味が平気な妹に対してワケの分からん対抗心を抱いていた…弟。
同じ辛口味を(涙目ウルウル)隠して
"俺だって平気ダヨ…!"
(そんな弟の表情を見ながら…,)
"せめて…味わう時くらいは…。"
【"対抗心の塊のプライド…置こうよ…】"
"(カレー…冷めちまうぞっ…。)"
"そんな風に思いながら、"
【勝ち目のない…対抗心だらけの負けず嫌いな負け戦をしてた弟を…、】
(そんな弟も結婚して家族を持ち、
少しは心の成長…あったかなと…(!?))
"遠目に…冷めながら眺めていました。"
こんな感じな凸凹三人きょうだい達は、
…それぞれのメニューを味わっていたのでございました。(とさ。)
弟夫婦家族に妹夫婦家族、
(たぬき派の二人)
そして…
嫁入りという時期もとうに過ぎ去った
(きつね派の私)
(たぬき派)と(きつね派)
知らない三人きょうだい達の
"それぞれの味物語を読んでくださいまして
ありがとうございます。で,(ございます。)"
(今の話しの流れから急展開しますが、)
幼い頃の弟と妹は、
私が下準備して冷凍保存しておいた
御飯メニューが大好物で、
そういう月日も,あっという間だったなぁ。
季節の移り変わりはホント早いですね。
大人になって毎年感じることは
"一年の流れの早さが(あっという間に感じること。)"
子どもの頃に感じる"早さ"とはまた違う部分があって、
"その積み重ねも"
時とともに,また景色も流れる時間も変化していくのだろうと、
そう思う時も、
時々ね、
忘れた頃に思い出しては
見つめ考えてみたり、
書いてみる中で思わぬ発見も出来たりと、
書く時間と、
聴く時間と、
読む時間と、
今は色んなヒトトキに触れてみながら
様々なヒトコマに巡り合う中で
今は,そういう途中と歩んでいる道のりです。
いつも通りの日曜日の時間
明日も頑張ります。
少し好きな曲を聴きながら♪
最近聴いてる曲は、
とても懐かしい思い出を思い出しながら
"優しい思い出達の温もりを思い出しながら"
聴いています。
インスタとX両方に今日聴く好きな曲の御紹介を少し書いてお話しと好きな曲の曲名を書かせていただきました。
インスタの方に書く回数が多かった
突然からの始まり
"音楽日記"についての今後なのですが、
またマイペースに
時々ね書けたらなぁと。
今は,そんな風に思いっています。
"ささやかな目標"
目指せ第10回…も終えてしまった
突然始めてみてからの
10回で終了した
音楽日記。
今度の音楽日記の綴り内容の中で
また私の好きな曲を御紹介出来ることが持てたら,またその時までと、
こちらの続きの話も気長にマイペースに
続けられたらなぁと、
書く内容のほとんどは,だいたいが私の好きな曲の御紹介で結びとじ…で終わる投稿内容の音楽日記なんですけどね…。
やはり…イマイチ変化がみられないような…
なにか…何処かを
新たな内容とか展開から結びまでを変化づけた方が良いのだろうか…(!?)
まるで…片想い…(!?)
(えっ!?恋話を例えに"変化から展開…結びまでを想い描いてた話をしていたのが…
今の流れの話しだったの(!?)
(大丈夫!?")
(目を覚まして!)
(美味しい御飯で夢心地なの!?)
とりあえず今は
今のことを!
買い終えてある
亡き両親の大好きだった食べ物
沖縄そばとぜんざいの材料と
他のことを準備したり片付けたり
新しい日々と
新しい年に向けて。
今回の記事は
この辺で。
冬の時期の思い出話し(冬眠中だった夢心地さん─ある"存在に互いに気付かずに"─。)
久しぶりの記事投稿になります。
2025年巳年,師走。
いかがお過ごしでしょうか。
Xの方にはちょこちょことポストしてはいたのですが、(12月17日/12月5日ポスト投稿)
─そこから,しばらく間があき,─
そうこうして、
師走と日々に追われてるうちに
ブログもインスタもXも出来ずじまいが続いてしまいました。
さてさての急な流れの展開なのでございますが、
今回の記事内容は、
"思い出系のお話し"でございます。
(巳年/蛇年)を振り返りながら、
とある頃の私の幼少の時の出来事のお話しの思い出を書きました。
以前から書き溜めてた幾つかの記事の中で
今回お話しさせていただきます記事内容は
"私の古き幼き頃の思い出話し"と、
ホンの少し,また違う内容の"聞かされ記憶にほんのり残っている思い出話し"
私だけが知る"思い出だけを書いた記事内容綴りです。"
─とても他愛ない"思い出話し"─

撮影写真内容
【創作で描いた作品を並べて撮影しました。】
*~~~*~~~*~~~*
◇【今回の記事で話したい内容です。】
◆当時,私が、まだ幼稚園や小学校低学年から高学年くらいまでの"ある思い出話し"
(平成生まれの妹が誕生する前の元号が平成へと変わる前の手前くらいの当時の思い出のお話しで、)
大正生まれの母方の方の祖父母の農作業の手伝いで毎年,田植えから始まり刈り入れからの収穫の作業を行い,サトウキビの農作業の手伝いの時も刈り入れからの収穫と束ねて重ねての作業を行い
祖父に竹とんぼを作ってもらった思い出や
祖母と一緒にカーサームーチーを(月桃の葉に包んだお餅を)蒸して作って,一緒に作りながら年齢の数だけを紐で結び
夏/冬の季節の行事ごとの御馳走作りの下準備の手伝いをしたり,
小学生の頃の親子凧揚げ大会で父がウサギさんの可愛いイラストを描いてくれた凧揚さん
父の仕事の手伝いで小学生の頃は、
よく軽トラの助手席に乗り電気水道工事の真似た手伝いを父の側で見よう見まねで
(私本人は手伝っているつもりでしたが…、)
そんな時もありました。
母が手作りで作ってくれた上履き入れと
水筒入れの手芸のカバンに
当時の母は手芸店に通うのと手芸本や部屋の模様替えの本が大好きで、
,我が家の色々な物語がたくさんあり,そのベースの部分には,母の姿が常にありました。
─いろいろな景色が流れ去っていきました。─

撮影写真内容
【シンメーナービ(シンメイ鍋)/ムーチーガーサー(ムーチー鬼餅)の思い出を思い出出しながら創作風に描きました。】
────────
当時,小学校低学年の頃の私は,
井戸の跡地があった周辺に
小さな菜園を作り
小松菜と人参とキャベツの種を植えて育ててた時に遭遇した
─"まさか!?"─
"あれは!?"
と微笑ましく眺めてしまった思い出話し
──────

撮影写真内容
【思い出に残っている当時の稲刈り時と
田んぼの風景と水田の溜め池を思い出出しながら描きました。創作風に描きました。】
当時,サトウキビの刈り入れ収穫と束ねて重ねての作業中での時の思い出の話しの中に今も時折…"ふと"思い出す出来事のお話し
冬眠中だったハブの存在に気付かずにサトウキビの束を土の中でスヤスヤと冬眠中だったハブの上に重ね続けてたことを後から知り驚いた思い出と
冬眠中だったハブの存在に気が付き青ざめた我が家の面々…。─
(言葉よりも先に"驚き慌て青ざめる")
"とても怖がり屋さんな我が家の面々…。"
─(その一家。)─
その我が家の面々の中でいちばんに驚き慌て青ざめた一人が、
(大正生まれの祖父でした。)
冬眠中のハブの姿から慌て驚き怖がり
─その空気漂う中、─
そんな我が家の家族達の…それぞれの当時の姿。
─────
農作業の手伝いをボヤキ続けていた
当時,小学校低学年から高学年だった頃の私
"どこで曲がってしまっただろうか!?"
そして…その矛先は
─サトウキビを通り越して…,
それは…予期せぬ冬眠中の夢心地さんへと…
温暖な環境の中で真っ直ぐに優しく成長したサトウキビとは真逆の成長をしてしまっていた
幼き当時の私は…
サトウキビの束を積み上げる作業の度に
塩とスパイスのボヤキを呟き
幼い当時の私のサトウキビ畑での
ボヤキの模様を
(冬眠中だったハブは、)
布団代わりの土の中で夢心地に聞いてたかもしれません。
もしかすると!?
青ざめながら土の中で、
ハブは私達家族の存在に慌てふためいて青ざめながら、
"これは冬眠中の夢に違いない…。"
"あぁ~とんだ悪夢を見たもんだ…。"
"もう一度冬眠し直そーっと。"
そう思ったか?どうかは!?
冬眠中だった夢心地のハブさんにしかわからない"夢"だったのかと思いますが…。
互いの存在に気付かずにいた
─冬の時期の"その思い出話し
サトウキビの刈り入れ作業の私と冬眠中の夢心地だったハブがいて驚き慌てふためいた当時の我が家と冬眠中で夢心地だったハブさんとの互いの存在に気が付いた瞬間の両者,青ざめた思い出のお話しを今回の記事に書かせていただきました。
───────
◆その他に,当時の他愛ない思い出と
両親それぞれから聞いた思い出の残っている父方の曾祖母の思い出の中での部分を少しだけなのですが,その聞いたことのある思い出のお話も一緒に書かせていただきました。
その思い出話しの内容の中で
亡き両親との思い出のお話しの1つ
母の旧姓が父の苗字と同姓であったので
母は,父と結婚した後も苗字が変わらなかったことを,ことあるごとに私に話しをこぼしていたという他愛ない思い出のお話し含めて書きました。
─────────
◆父方,母方の大正生まれの祖母二人との
思い出話しと、
当時の,その場面や出来事を通しての祖父との会話の中で今でも忘れられず大事においている"祖父との思い出話しを書きました。"
─ある時、─
こんな場面に遭遇したことがあり、
その思い出を振り返り通しながら
気が付いた事に"気が付けたこと、"
今は,"違う想いで"振り返る時があって
そういう時の中で新たな自分自身の発見に出逢えたような気がした事や、
◯──────────◯
◆【記事内容の要約】
・サトウキビの刈り入れ収穫時だった当時の我が家と冬眠中で夢心地だったハブさんとの互いの存在に気が付いた瞬間の両者青ざめた思い出のお話しです。
・両親それぞれから聞いた思い出のある
思い出の中での曾祖母のお話しと他愛ないその他の思い出話しも含めて書かせていただきました。
・父方,母方の大正生まれの祖母二人との
思い出話しと
大正生まれの祖父と私の会話から思い出して書き綴った内容と、
いろいろな想いも気持ちも
1つ1つがあった当時を、
今は,"違う想いで"振り返る時があると書いての内容を少し書きました。
*~~~*~~~*~~~*

当時、私が幼かった頃の話しの内容になります。
私が、まだ幼稚園や小学校低学年から高学年くらいまでの"ある思い出話し"
(平成生まれの妹が誕生する前の元号が平成へと変わる前の手前くらいの当時の話しになります。)
当時の私は、
母に連れられて
父が仕事休みの日には
私と2つ下の弟と一緒に家族で
サトウキビと田んぼの農家を営んでた
大正生まれの母方の方の祖父母の
農作業の収穫の手伝いに行ってた思い出が
あります。
当時の私は、
その農作業の収穫のたびに
よく駆り出される時期,時期が
とても嫌で、虫が苦手だったことが第一にあったのですが、
当時の田んぼにはアメンボやタニシ
私の苦手なカエル……,等などおりました。
田植えの時期にむけて準備を手伝ったり、
苗植えで植える苗を作る工程順と準備の手伝いから,手植え作業で苗を植える作業も手伝い、
稲刈り収穫時期には
刈った稲の束を結び干して,そこからの工程流れまで祖父母から習いながら作業を続けて手伝っていました。
サトウキビ苗の手植植え作業の季節と時期が来たら,祖父が予め準備していたサトウキビの苗の手植え作業を手伝う中で植え方や
植え終わり後の畑管理の話しや
収穫時期の時にも手伝う中から実際に通しながら祖父から教わり手伝っていました。
当時,昔部落の集落で皆で使用してたという
*(令和の今は,その後の移り変わりが,どう変化しているのか等は知る術はないのですが、)
井戸の跡地には月の行事ごとに
部落の近所の方々がお供え物や感謝の手を合わせて
井戸の跡地の神様へ御礼まいりをしてた姿がありました。
聞かされた思い出話しなので
伝え伝えからの流れの
人から人へと伝えられてきた,ただの昔話しなのかもしれないのですが、
聞かされた話しによりますと、
戦前,さらに昔,
雨が降らない時期があったそうで、
日照りや干ばつから作物が育てきれず
飲み水,生活水,農作業に使用してた水等など
"水不足から、"いろいろな大変な困難な時代や時期があって、
その井戸の跡地の水に部落に住んでた当時の方々は雨がようやく降って水を汲むことが出来た事を感謝して大事に,その井戸を使用してたそうで,その井戸の跡地が当時あって、
小学校低学年の頃の私は,
その井戸の跡地が,とても不思議なカタチに思えて眺めていました。
井戸の跡地周辺に小さな菜園を作り
小松菜と人参とキャベツの種を植えて育ててたのですが、
─"まさか!?"─
"あれは!?"
と微笑ましく眺めてしまった場面に遭遇する出来事がありました。
収穫時期にスズメさんが飛来してきては
美味しそうに小松菜をいただいてた姿を見てしまい…
(スズメさんが,とても可愛くて…♪)
微笑ましく遠く離れた場所から眺めていました
植えた野菜のことは一旦おいといて、
(そーっと。)
そのまま"どうぞ"という想いで
静かにその場を去りました。
夏の季節には蛍が光を放ちながら
少し涼しくなってた夜の景色の中で
ふんわり柔らかく舞うようにとんでた光景や、
花火にビーチパーティーと夏休みの頃は
県外から帰省したいとこや
だいたい…同じ感じの親戚集まりの光景があって、
夏休みを利用して
蚊帳をテントを張るように張って
夜風に吹かれながら休み
祖父に竹とんぼを作ってもらった思い出や
祖母と一緒に(月桃の葉に包んだお餅を)蒸して作って,一緒に作りながら年齢の数だけを紐で結びそれを吊るして飾ってた思い出と(一年元気に過ごせますようにと飾った後に"ムーチーをいただきました。")
夏/冬の季節の行事ごとの御馳走作りの下準備の手伝いをしたり
小学生の頃の親子凧揚げ大会で父がウサギさんの可愛いイラストを描いてくれた凧揚さん
骨組みが多く空を飛ばずに地面へと…。
凧揚さんの骨組みから1本棒を抜いて再度挑戦したら空を飛び舞い上がっていきました。
当時,小学生だった私よりも
父がいちばん喜んでいました。
父の仕事の手伝いで小学生の頃は、
よく軽トラの助手席に乗り電気水道工事の真似た手伝いを父の側で見よう見まねで
(私本人は手伝っているつもりでしたが…、)
そんな時もありました。
母が手作りで作ってくれた上履き入れと
水筒入れの手芸のカバンに
当時の母は手芸店に通うのと手芸本や部屋の模様替えの本が大好きで、
手芸店で購入した子供用の洋服の型紙に購入した生地をのせて裁断して仮縫いの後
家のミシンでカタカタと私のワンピースを手作りしてくれたり,編み物でベストを編んでくれたり,
あとはソファーに合うパッチワークを作って飾り使用としても良いようにと設計して作ってくれていました。
絵を描くのが上手くて風景画を時々描いていたり
紙粘土の作品を御近所の仲間と楽しんで作っていた姿がありました。
料理は喫茶店で働いてた時に覚えてた料理が食卓に並んだ日もあれば
500円で収まるように家計の出費を工夫していた姿と,どうにか遣り繰りして,我が家の色々な物語がたくさんあり,そのベースの部分には,母の姿が常にありました。
─いろいろな景色が流れ去っていきました。─
当時、母に連れられて
父が仕事休みの日には
私と2つ下の弟と一緒に家族で
手伝いに行ってた母方の祖父母の農作業の手伝い(田んぼとサトウキビの時期の手伝い)
─毎年,変わらぬ光景に、─
当時,小学生の年齢だった私は
常々,疑問に感じ思っていたことがありました。
それは、
"こういう小さな素朴な疑問でした。"
母は七人兄妹の末っ子という立場で、
(父は男の子兄弟ばかりの三番目でした。)
当時の私は、
どうして?母は兄姉が七人もいる立場なのに、
そして、
どうして?私の周りには他にも親戚やイトコが周りにいる環境にあるはずなのに、
いつも農作業の収穫のたびに駆り出されるのは、
私達の家族だけなのだろうか?
幼き当時の私は疑問が晴れぬまま、
そんな風だった私の周りの親戚繋がり大人社会のしがらみを
"ボヤキつつく事でしか抗いきれず反発しては,"
よく大正生まれの祖父に厳しく叱られていました。
─("後々に続く下記の記事綴りにも書いていますが、"
大正生まれの祖父とは,よくぶつかり合っていました。)─
その度に父は走って駆けつけては、
私と大正生まれの祖父の争いの場をおさめてくれていました。
当時の私は父に悲しい想いや窮屈に感じさせてしまうようなことをしてはいけないと察して、
また、
しぶしぶと、
目の前の農作業の収穫の手伝いをこなしていました。
サトウキビの収穫の冬の季節、
サトウキビの束を集めて箇所,箇所に置き、
皆で、お昼御飯を食べ終わり片付けながら、
また直ぐに収穫の作業を開始する準備をしてたそんな最中のことでした。
サトウキビの刈り入れ収穫作業を開始してた当時の我が家は、
─ある"存在に気付かずに"─
束ねたサトウキビを重ねての作業を繰り返していました。"
きっと…夢心地だったはずの冬眠中さんの??も
─私達家族の存在など気付かずに,─
スヤスヤと心地よく土の中で冬眠中をしてたことでしょう…。
作業の開始から数時間が経過した頃、
"その時…。"
─ここでようやく冬眠中だったハブの存在に気が付き青ざめた我が家の面々…。─
(言葉よりも先に"驚き慌て青ざめる")
"とても怖がり屋さんな我が家の面々…。"
─(その一家。)─
その我が家の面々の中でいちばんに驚き慌て青ざめた一人が、
(大正生まれの祖父でした。)
サトウキビの束を持ち抱えてた
私に向かい、大正生まれの祖父が慌てた様子で、私をサトウキビの畑の外に出して
静かに,こう話しました。
「"サトウキビの箇所の場所の下に冬眠中のハブがいるから、近づかないで離れなさい。"」
そこからは、
もうテンヤワンヤで、
カエルも蛇も苦手な私は,驚きのあまり腰を抜かして地面へと立ち竦んでしまい、
その私の後ろに隠れるように私を盾にして
私の背中に顔を埋めて怖々と斜め横から顔を出してた…幼き当時の弟。
そんな弟の姿をみながら当時の私は…
私を盾に逃げるように隠れんぼするって…。
"マジか!?"
守られたいのか!?
"マジか!?"
冬眠中のハブの姿から慌て驚き怖がり
─その空気漂う中、─
そんな我が家の家族達の…それぞれの当時のの姿。
大正生まれの祖父は、
父に向かって慌てながらジェスチャーで
"家族みんなを車に乗せて逃げなさい。"
と、伝えて、
父は、
さらに冷静に、
慌てふためく大正生まれの祖父に、
こう話しかけていました。
「行政のハブ対策担当課に連絡してるから
もう到着するから、
みんな一緒に早く車に乗って。」
と、
とても冷静に大正生まれの祖父に対応して
冬眠中のハブの件で、
冷静に対処しながら
行政のハブ対策担当課の到着を待っていた姿の父がいました。
冬眠中だったハブは、
行政のハブ対策担当課の方が捕獲してくださったと、
あとから,父に話しを聞きました。
そうとも知らなかった
私は,黙々と、
サトウキビの束を抱き抱え
時にはサトウキビを引っ張って
畑の中の道を往復して、
その土の中でスヤスヤ夢心地中の
冬眠中だったハブの土の上に、
サトウキビの束を思いっきり置いて
束を積み重ね繰り返しながら、
(冬眠中だったハブが眠ってるとも知らずに)
思いっきり声に出しながらボヤイてしまったのです。
"どこで曲がってしまっただろうか!?"
そして…その矛先は
─サトウキビを通り越して…,
それは…予期せぬ冬眠中の夢心地さんへと…
─冬眠中だった夢心地のハブも私の存在すらも気付かずボヤキすらも聞こえていなかったことでしょう。─
温暖な環境の中で真っ直ぐに優しく成長したサトウキビとは真逆の成長をしてしまっていた
幼き当時の私は…
サトウキビの束を積み上げる作業の度に
塩とスパイスのボヤキを呟き
温暖な環境育ちな甘いサトウキビの束を積み重ねながら
塩対応スパイス接戦を繰り広げてた幼き当時の私の姿がありました。
幼き当時の私は、
常に周りの大人や
周りの人の顔色ばかりうかがい
(特に母や母方の祖父母への対応に、)
子供らしい対応も場面も数少なかったという記憶に残っていて、
サトウキビの温暖な環境とは真逆だった
環境で育ってきた幼き当時の私の,
その当時の姿が確かに記憶の歯車の中で
1つの景色として私の成長過程の中の道のりに過ぎて去った時間と時間の流れの間の中で流れ刻まれていました。
幼い当時の私のサトウキビ畑での
ボヤキの模様を
(冬眠中だったハブは、)
布団代わりの土の中で夢心地に聞いてたかもしれません。
もしかすると!?
青ざめながら土の中で、
ハブは私達家族の存在に慌てふためいて青ざめながら、
"これは冬眠中の夢に違いない…。"
"あぁ~とんだ悪夢を見たもんだ…。"
"もう一度冬眠し直そーっと。"
そう思ったか?どうかは!?
冬眠中だった夢心地のハブさんにしかわからない"夢"だったのかと思いますが…。
互いの存在に気付かずにいた
─冬の時期の"その思い出話しでございました。"─
ここまでの内容のお話しは、
サトウキビと私と冬眠中だったハブとの
そういう思い出話しの当時のヒトコマでした。
*~~~*~~*~~~*~~*

撮影写真内容
【折り紙作品を"褪せずここに。"という
愛を込めた想い重なる瞬間を撮影しました。】
ここからの
他の他愛ない思い出の話しは、
その祖母の母にあたる曾祖母のお話しです。
父方の祖母の母にあたる曾祖母のお話しですが、
眼鏡をかけて座布団の上で座りながら
ニコニコ笑顔で手招きをしては
楽しそうに話しを聞かせてくれた曾祖母だったと
父から聞いた思い出があります。
曾祖母の当時の年齢は大きな年齢で
眼鏡をかけていたので、
親戚や家族みんなからは、
ガンチョの(眼鏡をかけた)
マギーおばぁー。
(年齢が上の,年齢数の大きなオバアチャン)
と呼ばれてたそうです。
認知症の症状が進み
訪れる来客の方々の御名前を間違えて呼んでいたりしていたというお話しの思い出を父から聞いた部分だけの思い出話しではあるのですが、
当時聞いてから時が経ちホンの少しだけの思い出の部分と当時の時の場面だけが,今は,うっすらとしか残ってるのみで、
─いろいろな思い出話しを掘り起こし記憶を辿って思い出した話しの中に、─
父から聞いた思い出に残っている曾祖母の思い出話は幾つかあるのですが、
その1つは、
認知症の症状もあっての中で同じ会話を繰り返して同じ動作を行って
座布団の下にあったヘソクリを取り出して
「"これで学校の勉強頑張るんだよ。"」と、
そのヘソクリを手渡そうとしてたという話しや、
行事の時に御挨拶に来てくださってた来客の方も症状の理由を知っていたので、
曾祖母へ御礼の挨拶だけをして
来客の方は帰っていったそうです。
───────
父と母が結婚を機に神奈川から帰ってきた際の同時に、
結納を挙げて、
その当時,私が母のお腹の中にいて
身重だった母の心配をしたり、
父と一緒になってくれた事や
結婚をしてくれて嬉しいと、
当時,20歳だった母の両手を握って何度も繰り返しながら御礼の挨拶と門を潜る時に
母の手を繋いで家の中まで案内して迎え入れてくれたそうです。
真っ先に座布団を準備して
母を先に座らせて休ませてくれたと
当時,その思い出話しを聞かせてくれた母が,とても嬉しそうに懐かしみながら,その思い出のお話しを聞かせてくれました。
曾祖母が
当時の母へと話した会話の中には、
こんな風だったと
父からも母からも
それぞれの思い出の中からの
その当時の
曾祖母との思い出話しを聞いた覚えが残っています。
─その話しは
こんな風でした。─
"これで生まれてくる赤ちゃんの為に
アナタの為に御飯食べて栄誉つけて、
ゆっくり身体休めてね、"
"無理はしないでよ、
早くなれなくちゃとか、
頑張ろうって思って頑張り過ぎたらダメだよ、"
"自分自身の事と、
お腹の赤ちゃんの事だけ優先に考えて
ゆっくり休んでね、"
"お腹の赤ちゃんの為にも、
自分自身の為にも
今はね身体が大事な時なんだからね、"
「今日から我が家の
家族の一員なんだから
家族なんだから遠慮しないで沢山甘えて、」
「本当に,めでたいね嬉しい日だね
生きてる間に孫の結婚も見られて
素敵なお嫁さんに出逢えて幸せさぁー、」
曾祖母の優しい温かい気持ちや言葉に
安心して涙がでて
当時,緊張してた20歳だった年齢の若かりし頃の母は嬉しくてホッとして泣いてしまったしたそうです。
私は、その曾祖母の話しを
父から聞いた思い出の話し伝えや
母からの話しからしか聞いたことがなくて
私が誕生する数ヶ月前に、
天寿を全うしたそうなので、
もちろん直接には会った事は無いのですが
両親の結納の思い出写真に一緒に写っている曾祖母のニコニコ笑顔の表情を見る度に
"きっと…,"と、
その時ごとに"想う気持ちは様々あって、"
想いがいろいろに季節や月日の流れと共に
"今までの私から、"
"今の私の変化の部分とともに感じかたも変わり、"
─そう…いろいろな変化と共にあるのが、─
"今の私で、"
─もしもね、─
と思うことも時々"ふと"した時に
その
─"もしもね、"─
という"言葉や想いが浮かんできたり、"
─もしもね、─
"ガンチョのマギーおばぁー、"
(眼鏡をかけた年齢の大きなおばあちゃん。)
"もしも今の世で出逢えてたら,どんな話しを聞かせてくれてたかな?"
"どんな会話のヒトトキが、"
そう思うこともあります。
私も,もう両親や親戚を見送る年齢をむかえてね、
きっとガンチョのマギーおばぁーから
今の年齢の私を見たらヒヨッコみたいに見えて映るのかもしれないのだけれど、
今は,私自身も見送る年齢をむかえて
いろいろな月日と季節の歩みとの流れから
思い出す景色や懐かしく思う時もあって
"寂しくなんかないよ。"といえば本音は違うのだけれど、
でも、
それでも頑張らないといけないからさ、
きっと,皆だって,それぞれの時間や道の中で
そうやって乗り越えてきながら頑張ってきたと思っているし、
言えない辛さや寂しさや苦労もしてきながら歩みを続けて頑張ってきたと思っているから、
今,目の前に
"両親も、両親の両方の祖父母も
他界して,もう居ないのだけれど、"
様々な日々や月日を一緒に過ごせられてきた思い出が私の心の中にちゃんと残っているから、
そういう風に吹かれて歩いている
そういう今の私の姿を、
ガンチョのマギーおばぁーは、
"どんな風に見守ってくれて見ててくれてるのかな?"
"私は、私の今と明日と未来を幸せに生きれるように頑張るね。"
"ガンチョのマギーおばぁー、
思い出のお話しでしか聞いたことはないのだけれど、
それでも不思議となんだか逢えていたような懐かしい風の香りを時々ね感じる事があるよ。
そういう風な温かい想いを
どうもありがとう。"
*~~~*~~~~*~~~*

撮影写真内容
【折り紙作品素敵に変身を"合言葉に。"
カッコ良く並べて撮影しました。】
以前に書いた記事内容と似た部分の
思い出のお話しになりますが、
【少しだけ関連なリンク記事】です。
↓
好きな音楽曲と過去の作品を懐かしむ話し,思い出の話し少し(という記事内容綴り)
新しい年も宜しくお願いします。
父方の方の大正生まれの祖父は
公民館の区長さんをしてたと
父から聞いた思い出があります。
父方の大正生まれの祖母は
その祖父が他界した後は
祖母は仕事に家事に子育てに追われ
ひとりで育て上げたと聞いた話しも思い出に残っています。
父達6人兄弟が成人して,それぞれ巣立ち家を出ていた後
祖母は長年勤めてた仕事を定年退職し
今度はカラオケという新たな趣味と
グランドゴルフという新たな活動場所を見付けて,とても楽しんで過ごしていました。
そんな姿の当時の祖母との思い出の1つに
カラオケで対戦した思い出もあったり、
グランドゴルフの技術を披露して
小さな子供のようにハシャイデいた
そういう祖母の事が懐かしく思い出されます。
よく仲間と一緒に老人会の旅行へと参加して,ホント,小さな子供のように
楽しそうな様子でハシャイデいました。
"家や家族のことを第一に
自分の事は後に回する。"
という生き方や考え方だった
母方の大正生まれの祖母との違いも色々ありますが、
父方の大正生まれの祖母は、
(大正生まれでしたが何処か考え方や生き方が現代風な,そういう祖母でした。)
家庭の中で収まらず外で賑やかに過ごす事が大好きで家族に振り回されることに嫌気をさしてた姿や縛られることが苦手だった,そんな風な姿が残っている
父方の大正生まれの祖母の思い出のお話しでした。
母方の大正生まれの祖父母は、
田んぼとサトウキビ農家を営んでいました。
大正生まれ祖父は、
当時の時代の家庭環境からの色々な事が重なり、
"家や家族を守る為"という周りの勝手な都合から、
14歳という年齢になるまで奉公先に出されてた境遇だったそうです。
その奉公勤めも終え
学問も身につけられるような境遇ではなかたったことからの、
─大正生まれの祖父の生き抜く為の─
"その始まりの1つ目が、"
土を耕して作物を植え育て収穫して
それを仕事として生活費として生み出していく、
それと同時平行に兼業農家として、
農家以外の仕事も必死に頑張り続けながら、
生前の祖父は
自分自身に学問が無い事を負い目に感じてるような,そんな風な姿もありました。
─ある時、─
こんな場面に遭遇したことがあり、
その場面や出来事を通しての祖父との会話の思い出は、
今でも忘れられず大事においている"祖父との思い出があります。"
"先ほど書いた話しが
今から少しお話しさせていただく内容と少し絡みますが、"
14歳という年齢になるまで奉公先に出されてた大正生まれの祖父は、(母方の祖父は,)
計算は得意で数字には強かった方だったのですが、
小学校,中学校を通えるような環境を歩むことが出来ず,
14歳という年齢になるまで奉公先に出され
その奉公先での勤めから,ようやく解放された年齢が15歳の年齢だったそうです。
読み書きが出来ず、
祖父は,そのことを恥じて自分自身に対して負い目を持っていました。
時代の背景もあるのでしょうが、
いちばんの大きな部分は、
家庭環境と親子環境の根本的な部分が
祖父の根っこの部分に"負い目"というカタチとして蓄積し続け,それは晩年期まで残り続けていました。
祖父は,祖父なりに農業という仕事で家族を守っていく術が思い付かなかったのかも知れません、
農仕事の時期がある程度落ち着いた時の、
私が今でも忘れられず大事においている
その場面に遭遇したのは、
私が小学校の高学年の頃の事でした。
祖父は新聞の記事の写真をみるのが日課でした、
もう1つにはテレビのニュースにラジオのニュース、
故郷の民話の本の絵をみるのも日課で、
テレビから放送される相撲の場面や
テレビから放送される国会中継の模様を
大好きな黒糖とお茶と一緒に
祖母と二人で,それぞれお気に入りだった
椅子に腰掛けながら視てた姿もありましたし、
とても熱心だった姿の祖父の姿が日々の日課の流れを通して常に,そこにはありました。
読み書きが出来ず文字や言葉、
文章の内容の意味が分からないのを知られたくなかった祖父の姿を知ってはいたものの、
祖父自身から,その話しに触れるまでは
あえて私達家族からは触れことは一切せずに静かに時が来るのを待っていました。
当時,小学校高学年の頃だった私は、
その祖父の姿から、
なんとなく"いろいろな祖父の生い立ちや,その後の事情等などを薄々とですが、"
感じ気づきはじめてきた時期でもありました、
当時,小学生だった私が学校からの宿題の調べものをしながら
提出するレポートをまとめて書いてた時のことです。
クラスでの研究発表会で話す予定をしていた社会科の自由課題で選択してた
"ストリートチルドレン問題と子供を取り巻く環境"についての
宿題に取り掛かって夢中に調べ学習やレポートの書きまとめをしてた私の方に向かって、
祖父は,夕刊の新聞記事の方を指して、
"「ここの新聞記事の写真と一緒に書かれてある,この文章は何と書いてある?
どういう意味の文章で何を伝えているのか教えてくれないか?」"
祖父は,さらに知りたい文章の内容を疑問として私の方に向かい小声で問い続け話しながら今まであった根っこの部分の負い目が解きほぐれた表情と,今まで隠してたつもりの,祖父がずっと抱えてきた部分の,その恥を捨てた様子で静かに問いを投げて聞いてたずねてきました。
当時の私は、
新聞の記事内容を読みながら
分からない漢字や意味などは辞書で調べて
拙いながらではあったのですが
祖父に新聞記事の内容と,その写真の内容を話し伝えました。
─その日を境に、─
私が学校休日の日や
夕方,宿題に取り掛かって学習してた時間帯の頃に、
祖父は,新聞の朝刊と夕刊、
さらに民話の本等などの書物の文章の内容を,まとめて持ってきては問いたずねてきました。
当時,私が使用してた辞書の使い方や
五十音から始まり,言葉と文字と文章と
ひらがなやカタカナに漢字の練習を始めながら、
少し照れくさそうに
でも,とても嬉しそうな様子で
祖父の名前を書く練習を頑張って続けてました。
少しずつが分かり始めてきた祖父は、
今度は祖母へ"お手紙を書いて伝えたい。"と
私に相談をして,その気持ちを話してくれました。
"ひらがな"で、
祖父なりに書いた一生懸命な想いが
祖母への"お手紙の中に溢れていました。"
その"お手紙"をはじめて受けとり読んでいた祖母の表情も,とても幸せそうな優しい表情で溢れていました。
祖父とは気持ちの部分や考え方の違いで
ぶつかる事もありましたが、
(男の子/女の子と分ける古い考え方や学問を身につける優先順位が男の子が先であるべき。という時代から離れた考え方が強く残っていた祖父と,よくぶつかっていました。)
それでも、
ぶつかってばかりであっても
祖父の歩んで生きてきた道のりを想い
考え寄せてみると
それは、
それで、
家族として理解を寄せながら
祖父との思い出は
だいたいが,
スレ違いと,ぶつかってばかりでしたが,
─それでも私の家族で祖父で、─
間違いも正しいも正解も答えも
決して横から口を挟んで教えるような祖父ではなくて、
─口に出して話す前に、─
"静かに見守っててくれてた祖父でした、"
その"静けさの中からの教えの大きさに"
気が付いたのは,祖父が他界してから
1つ1つの思い出を振り返る中で
あらためて自分自身の中で
"気が付いた事"に気が付けた頃で、
─解けるまでの道のりと過程を通して
"余計な云々な気持ちに少し,とらわれ過ぎてた部分が柔らかく解け始めた頃で、"
長い時間がかかってしまってた
"解け始めの瞬間とともに、"
ようやく辿り着けたような気がした
そんなことを優しく想い感じる時もありました。─
祖父とは、
時代背景も
生き抜いてきた日々も
生まれ育った環境も
その後の人生の道のりも
祖父と私、
互いに違う人格で
互いに違うのは当然なことなのですが
祖父の孫として誕生して
成長していく過程の中で
"ぶつかっても"
"ぶつかり合えた部分が出来たのは、"
真っ正面から受けとめてくれた存在だった
祖父しか後にも先にも今は浮かばずで,
それは,祖父だったからこそという部分で
受けとめてもらえてた"部分だったと思っています。"
大正生まれの祖父と私の
いろいろな場面や出来事を通しての
遭遇した時の会話からの
─そんな懐かしい思い出話しでした。─
母方の大正生まれの祖父母は
戦前,戦中,戦後と
互いに力を合わせて二人足並みをそろえ
そうやって生き抜いてきた祖父母で、
母方の亡き祖父母が話してくれた
戦中の当時の時代のことを語ってくれた
その思い出のお話しは割愛させていただきますが、
(私の思い出話しの1つの中で留めておきます。)
平和あっての
"人の人生なんだなぁと、"
平和あっての
"一人一人の人生があって、"
平和あっての
"一人一人の日々があって、"
平和あっての
"人と人が居て、"
平和あっての
"季節や月日が時代とともに流れ
途切れることなく移ろい変わり、"
その,いつもの景色も日々も
─決してなくさないように。─
平和が途切れることのないように
"いつもの、"そういう日々を大切に積み重ねる,
"いつもの、"という日々からの贈りものを
大事に過ごしながら生きる、
そういう部分も1つの"平和を繋げられる導べになるのかなぁと、"
この時代と日々を生きてる私は,そう思い,そう感じています。
─話し途中で脱線してしまいましたが、─
(先ほどの途中からの続きを、)
母方の大正生まれの祖母は、
どちらかというと、
家庭や家族を常に優先するタイプで
台所と家と家族を守る事が役目だと
そう信じて疑わなかった母方の祖母の姿がありました。
そういう考え方と生き方を生涯全うしてた母方の大正生まれの祖母の姿が今も変わらず私の記憶の中に"思い出"が鮮明に残っています。
ここまでは、
─父方,母方の大正生まれの祖母二人との
思い出話しを書いてきました。─
書きながら"ふと思うことは、"
変わらずあります。
その1つに思うことは、
時折忘れた頃に客観的にみてみるヒトトキとして映る、
─私自身のことです。─
そう、
私は…、
未だ結婚もしていないので、
そういう風な場面や
結婚がどうのとか、
家族がどうのとか、
旦那さんがどうのとか、
ピンとイメージ出来ない今の私が居るには,いるのですが、
それが素直な今の私のイメージでして、
ただ、
両方の祖母の考え方や生き方は
家族として孫として同じ女性として
そういう考え方や生き方もあるんだと
そういう,それぞれの違いや違う生き方の中で、
色々や様々な場面を乗り越えながら生きてきて
祖母二人の,それぞれの幸せがあって
幸せに過ごして生きてこられたのなら
それだけで宝物じゃないのかな。
"二人とも,それぞれの生き方の中で幸せだったよね?"
そんな風な問い掛けとともに
私は私の幸せを過ごしながら
祖母二人との懐かしい思い出を
優しく温かく心に留めています。
亡き両親との思い出のお話しの1つには
母の旧姓が父の苗字と同姓であったので
母は,父と結婚した後も苗字が変わらなかったことを,
"まさか!?同姓だったなんて…、"と、
よく不満げに云々と話していました。
聞かされてた当時の私は
ウンザリとしながら聞き流していたのですが、
今更ながら"気が付くことは遅いのかも知れないことではあるのですが、"
亡き母に対して
こんな風に優しく話せてたらなぁと、
"時折,思い出す節に思うこと、"
「"結婚相手が,まさかの!?同姓だなんて!"
"すごい運命だよね!"」
「母さんが居てくれたから今の私がここに居るんだよ。"生んでくれてありがとう。"
その想いに出逢わせてくれて"ありがとう"」
「母さんが笑ってくれて幸せでいてくれてたら,それで良いよ。」
「だからね,母さん,そんな風に思わないでよ。母さんは幸せだと思ったことはないの!?幸せだなぁと感じたことはないの!?」
「私は父さんと母さんの子供として誕生して生まれてきて,とても幸せだよ。」
と、母に対して優しく話してあげられなかったんだろうと、
そんな風な"今更ながら思うことに、"
(少し切なく思ったりすることもありますが、)
亡き両親が離婚する際に
私達三人きょうだい(弟,妹)を
母の親権で引き取られることになり
また,母方の祖父母や母のきょうだい親戚と
口をそろえて、
当時,高校入学したばかりの私に向かって
"弟や妹を面倒みながら母の事も支えて
親孝行することが役目だと,"豪語して言われ、
─当時の私は,─
"父の方についていく,"という気持ちが,どちらかといえば,その気持ちが強くあったのですが、
母の申し出で親権が決まり
私達きょうだい三人、
母と共に
その当時,家族で住んでた家を出て
それまで住み慣れた場所から離れ
全く違う新たな場所で生活がスタートして
─その間に,─
(いろいろな場面や出来事が過ぎ去っていきました。)
住み慣れた場所や家を出ていく際の
父への母の捨て台詞も、
小さく感じた父の後ろ姿を最後に見たのも
支度をしながら、
当時の私の想いの中で、
周りの大人に対する様々な葛藤や矛盾に対する思いが若気のいたりでありました、
"(どうにもならない事もある。)"
そういう1つを知ったような気がした瞬間でもあったような、
─思い出にあるのは,その部分と、─
あと記憶にあるのは、
その当時は慌ただしく出ていった事しか記憶には残っておらず、
それから数年経過した頃、
父と再会する出来事があり、
ただ当時の父は療養中の身であったので
経過していく時間の流れの中で
私自身気持ちの整理や覚悟をしながらの
時を経ての父との最後の時間でした。
母は,母で心不全の治療と療養で長年、
その繰り返しの月日と時間を過ごしてきての日々で、
父との再会のことは母は知らない方が良いと判断して,母には言わぬまま、
また,父にも母の事は言わぬまま、
"私の思いの中に留めていました。"
それから後、
両親との"それぞれとの時間を過ごしていった中で、"
母との別れが訪れ、
その数年後に、
父との別れが訪れました。
両親が,それぞれの年に他界した後
その時だけは悲しみのあまり
自分自身を見失いかけた時期もありましたし、
気持ちの整理をつけてたつもりの私だったのですが、
─いざ,その日々と瞬間が訪れた時、─
気持ちの整理の部分、
それが出来ずにいた私と、
いろいろな想いも気持ちも
1つ1つがあった当時を、
そういう思い出に対して
今は,"違う想いで"振り返る時があります。
過ごしていく日々とともに徐々になのですが、
新たな自分自身の発見を感じる事がありました、
それは、
例えばなのですが、
こんな風な新たな自分自身との発見と出逢いでした、
"想いを思う"の部分に変わりはないのですが
"何処かしらの部分で、"
当時の私と違う1つがあるとすれば、
"感情を頭で切り替えるようになった、"
自分自身の気持ちの揺れであったり
自分自身の心の部分と感情であったり
"それらをバランスよく切り替える
丁寧に優しくコントロールしていく"
─(自分自身の保ち方や対処の引き出し)─
という部分が1つだけ増えたような気がします。
心や気持ちの部分を情に流され過ぎずに
頭で切り替える,その中にある心や気持ちを知る。
頭だけに頼り過ぎずに
その中にある自分自身の本音を素直な想いと気持ちの部分を怖がらずに素直に受け入れ受けとめる切り替える。
"(そんなこと)"かと受けとめられるかもしれませんが、
当時の頃と比べると少し変化が垣間みえたのを素直に感じましたし、
今の私から発見出来た新たな自分自身との出逢いから発見出来た新たな部分のお話しは以上となります。
母方の祖父母も
亡き母も
平成の後半の中で
今の新しい時代の
"令和の時代を知らないまま"
それぞれの年に旅立ったので、
新しい時代の
"令和の景色や流れに触れてたら"
世の早さの移り変わりを日々の中で目の当たりにしていたら、
きっと…とても驚いてたと思います。
妹が誕生した平成の時代の時でさえ
世の中の環境や背景の変化と移り変わりの早さに驚いていたことがあったので、
特に驚いてたのは大正時代に生まれた
母方の祖父母だったのですが、
いろいろな変化とともに
今の時代も見せられていたらなぁと、
ホンの少し切なに想う事も、
時折だけね、
ふと思うことがありますが、
今の泣き言のような内容の話しを亡き母方の祖父に話したら,
"きっと…,"
また互いに"ぶつかってしまうかと思いますが、"
とても頑固で古風に加えての古風だった
祖父でしたので、
きっと…今頃…
空の上か
はたまた意外にも側にいたりして…(冷汗)
とても怒ったような…言いたげな頑固な顔で
(怖がり屋な私は…知らなかった見なかった事にして"退散するのみ。")
(怒りの雷があらわれる前に…
それっ!逃げるが勝ち!
反省は…もはや遠くにあり。)
と,まぁ…,
その想像は今は留めておいて
─2025年12月師走、─
新たな年も目の前、
体調に気をつけながら、
明日もまた頑張ります!
大好きな音楽の曲と一緒に。
記事を読んでいただきまして
どうもありがとうございました。
今回は
この辺で。
◯─────◯──────◯
*関連なリンク記事ではないのですが
置いておきますね。↓
創作イラストの着まわしコーディネート。(春の大合唱編♪)
久しぶりに書きました。
思い出の話し集(チョイス編ファソラ♪)
2025年巳年,師走。
いかがお過ごしでしょうか。
Xの方にはちょこちょことポストしてはいたのですが、(12月17日/12月5日ポスト投稿)
─そこから,しばらく間があき,─
そうこうして、
師走と日々に追われてるうちに
ブログもインスタもXも出来ずじまいが続いてしまいました。
さてさての急な流れの展開なのでございますが、
今回の記事内容は、
"思い出系のお話し"でございます。
(巳年/蛇年)を振り返りながら、
とある頃の私の幼少の時の出来事のお話しの思い出を書きました。
以前から書き溜めてた幾つかの記事の中で
今回お話しさせていただきます記事内容は
"私の古き幼き頃の思い出話し"と、
ホンの少し,また違う内容の"聞かされ記憶にほんのり残っている思い出話し"
私だけが知る"思い出だけを書いた記事内容綴りです。"
─とても他愛ない"思い出話し"─

撮影写真内容
【創作で描いた作品を並べて撮影しました。】
*~~~*~~~*~~~*
◇【今回の記事で話したい内容です。】
◆当時,私が、まだ幼稚園や小学校低学年から高学年くらいまでの"ある思い出話し"
(平成生まれの妹が誕生する前の元号が平成へと変わる前の手前くらいの当時の思い出のお話しで、)
大正生まれの母方の方の祖父母の農作業の手伝いで毎年,田植えから始まり刈り入れからの収穫の作業を行い,サトウキビの農作業の手伝いの時も刈り入れからの収穫と束ねて重ねての作業を行い
祖父に竹とんぼを作ってもらった思い出や
祖母と一緒にカーサームーチーを(月桃の葉に包んだお餅を)蒸して作って,一緒に作りながら年齢の数だけを紐で結び
夏/冬の季節の行事ごとの御馳走作りの下準備の手伝いをしたり,
小学生の頃の親子凧揚げ大会で父がウサギさんの可愛いイラストを描いてくれた凧揚さん
父の仕事の手伝いで小学生の頃は、
よく軽トラの助手席に乗り電気水道工事の真似た手伝いを父の側で見よう見まねで
(私本人は手伝っているつもりでしたが…、)
そんな時もありました。
母が手作りで作ってくれた上履き入れと
水筒入れの手芸のカバンに
当時の母は手芸店に通うのと手芸本や部屋の模様替えの本が大好きで、
,我が家の色々な物語がたくさんあり,そのベースの部分には,母の姿が常にありました。
─いろいろな景色が流れ去っていきました。─

撮影写真内容
【シンメーナービ(シンメイ鍋)/ムーチーガーサー(ムーチー鬼餅)の思い出を思い出出しながら創作風に描きました。】
────────
当時,小学校低学年の頃の私は,
井戸の跡地があった周辺に
小さな菜園を作り
小松菜と人参とキャベツの種を植えて育ててた時に遭遇した
─"まさか!?"─
"あれは!?"
と微笑ましく眺めてしまった思い出話し
──────

撮影写真内容
【思い出に残っている当時の稲刈り時と
田んぼの風景と水田の溜め池を思い出出しながら描きました。創作風に描きました。】
当時,サトウキビの刈り入れ収穫と束ねて重ねての作業中での時の思い出の話しの中に今も時折…"ふと"思い出す出来事のお話し
冬眠中だったハブの存在に気付かずにサトウキビの束を土の中でスヤスヤと冬眠中だったハブの上に重ね続けてたことを後から知り驚いた思い出と
冬眠中だったハブの存在に気が付き青ざめた我が家の面々…。─
(言葉よりも先に"驚き慌て青ざめる")
"とても怖がり屋さんな我が家の面々…。"
─(その一家。)─
その我が家の面々の中でいちばんに驚き慌て青ざめた一人が、
(大正生まれの祖父でした。)
冬眠中のハブの姿から慌て驚き怖がり
─その空気漂う中、─
そんな我が家の家族達の…それぞれの当時の姿。
─────
農作業の手伝いをボヤキ続けていた
当時,小学校低学年から高学年だった頃の私
"どこで曲がってしまっただろうか!?"
そして…その矛先は
─サトウキビを通り越して…,
それは…予期せぬ冬眠中の夢心地さんへと…
温暖な環境の中で真っ直ぐに優しく成長したサトウキビとは真逆の成長をしてしまっていた
幼き当時の私は…
サトウキビの束を積み上げる作業の度に
塩とスパイスのボヤキを呟き
幼い当時の私のサトウキビ畑での
ボヤキの模様を
(冬眠中だったハブは、)
布団代わりの土の中で夢心地に聞いてたかもしれません。
もしかすると!?
青ざめながら土の中で、
ハブは私達家族の存在に慌てふためいて青ざめながら、
"これは冬眠中の夢に違いない…。"
"あぁ~とんだ悪夢を見たもんだ…。"
"もう一度冬眠し直そーっと。"
そう思ったか?どうかは!?
冬眠中だった夢心地のハブさんにしかわからない"夢"だったのかと思いますが…。
互いの存在に気付かずにいた
─冬の時期の"その思い出話し
サトウキビの刈り入れ作業の私と冬眠中の夢心地だったハブがいて驚き慌てふためいた当時の我が家と冬眠中で夢心地だったハブさんとの互いの存在に気が付いた瞬間の両者,青ざめた思い出のお話しを今回の記事に書かせていただきました。
───────
◆その他に,当時の他愛ない思い出と
両親それぞれから聞いた思い出の残っている父方の曾祖母の思い出の中での部分を少しだけなのですが,その聞いたことのある思い出のお話も一緒に書かせていただきました。
その思い出話しの内容の中で
亡き両親との思い出のお話しの1つ
母の旧姓が父の苗字と同姓であったので
母は,父と結婚した後も苗字が変わらなかったことを,ことあるごとに私に話しをこぼしていたという他愛ない思い出のお話し含めて書きました。
─────────
◆父方,母方の大正生まれの祖母二人との
思い出話しと、
当時の,その場面や出来事を通しての祖父との会話の中で今でも忘れられず大事においている"祖父との思い出話しを書きました。"
─ある時、─
こんな場面に遭遇したことがあり、
その思い出を振り返り通しながら
気が付いた事に"気が付けたこと、"
今は,"違う想いで"振り返る時があって
そういう時の中で新たな自分自身の発見に出逢えたような気がした事や、
◯──────────◯
◆【記事内容の要約】
・サトウキビの刈り入れ収穫時だった当時の我が家と冬眠中で夢心地だったハブさんとの互いの存在に気が付いた瞬間の両者青ざめた思い出のお話しです。
・両親それぞれから聞いた思い出のある
思い出の中での曾祖母のお話しと他愛ないその他の思い出話しも含めて書かせていただきました。
・父方,母方の大正生まれの祖母二人との
思い出話しと
大正生まれの祖父と私の会話から思い出して書き綴った内容と、
いろいろな想いも気持ちも
1つ1つがあった当時を、
今は,"違う想いで"振り返る時があると書いての内容を少し書きました。
*~~~*~~~*~~~*

当時、私が幼かった頃の話しの内容になります。
私が、まだ幼稚園や小学校低学年から高学年くらいまでの"ある思い出話し"
(平成生まれの妹が誕生する前の元号が平成へと変わる前の手前くらいの当時の話しになります。)
当時の私は、
母に連れられて
父が仕事休みの日には
私と2つ下の弟と一緒に家族で
サトウキビと田んぼの農家を営んでた
大正生まれの母方の方の祖父母の
農作業の収穫の手伝いに行ってた思い出が
あります。
当時の私は、
その農作業の収穫のたびに
よく駆り出される時期,時期が
とても嫌で、虫が苦手だったことが第一にあったのですが、
当時の田んぼにはアメンボやタニシ
私の苦手なカエル……,等などおりました。
田植えの時期にむけて準備を手伝ったり、
苗植えで植える苗を作る工程順と準備の手伝いから,手植え作業で苗を植える作業も手伝い、
稲刈り収穫時期には
刈った稲の束を結び干して,そこからの工程流れまで祖父母から習いながら作業を続けて手伝っていました。
サトウキビ苗の手植植え作業の季節と時期が来たら,祖父が予め準備していたサトウキビの苗の手植え作業を手伝う中で植え方や
植え終わり後の畑管理の話しや
収穫時期の時にも手伝う中から実際に通しながら祖父から教わり手伝っていました。
当時,昔部落の集落で皆で使用してたという
*(令和の今は,その後の移り変わりが,どう変化しているのか等は知る術はないのですが、)
井戸の跡地には月の行事ごとに
部落の近所の方々がお供え物や感謝の手を合わせて
井戸の跡地の神様へ御礼まいりをしてた姿がありました。
聞かされた思い出話しなので
伝え伝えからの流れの
人から人へと伝えられてきた,ただの昔話しなのかもしれないのですが、
聞かされた話しによりますと、
戦前,さらに昔,
雨が降らない時期があったそうで、
日照りや干ばつから作物が育てきれず
飲み水,生活水,農作業に使用してた水等など
"水不足から、"いろいろな大変な困難な時代や時期があって、
その井戸の跡地の水に部落に住んでた当時の方々は雨がようやく降って水を汲むことが出来た事を感謝して大事に,その井戸を使用してたそうで,その井戸の跡地が当時あって、
小学校低学年の頃の私は,
その井戸の跡地が,とても不思議なカタチに思えて眺めていました。
井戸の跡地周辺に小さな菜園を作り
小松菜と人参とキャベツの種を植えて育ててたのですが、
─"まさか!?"─
"あれは!?"
と微笑ましく眺めてしまった場面に遭遇する出来事がありました。
収穫時期にスズメさんが飛来してきては
美味しそうに小松菜をいただいてた姿を見てしまい…
(スズメさんが,とても可愛くて…♪)
微笑ましく遠く離れた場所から眺めていました
植えた野菜のことは一旦おいといて、
(そーっと。)
そのまま"どうぞ"という想いで
静かにその場を去りました。
夏の季節には蛍が光を放ちながら
少し涼しくなってた夜の景色の中で
ふんわり柔らかく舞うようにとんでた光景や、
花火にビーチパーティーと夏休みの頃は
県外から帰省したいとこや
だいたい…同じ感じの親戚集まりの光景があって、
夏休みを利用して
蚊帳をテントを張るように張って
夜風に吹かれながら休み
祖父に竹とんぼを作ってもらった思い出や
祖母と一緒に(月桃の葉に包んだお餅を)蒸して作って,一緒に作りながら年齢の数だけを紐で結びそれを吊るして飾ってた思い出と(一年元気に過ごせますようにと飾った後に"ムーチーをいただきました。")
夏/冬の季節の行事ごとの御馳走作りの下準備の手伝いをしたり
小学生の頃の親子凧揚げ大会で父がウサギさんの可愛いイラストを描いてくれた凧揚さん
骨組みが多く空を飛ばずに地面へと…。
凧揚さんの骨組みから1本棒を抜いて再度挑戦したら空を飛び舞い上がっていきました。
当時,小学生だった私よりも
父がいちばん喜んでいました。
父の仕事の手伝いで小学生の頃は、
よく軽トラの助手席に乗り電気水道工事の真似た手伝いを父の側で見よう見まねで
(私本人は手伝っているつもりでしたが…、)
そんな時もありました。
母が手作りで作ってくれた上履き入れと
水筒入れの手芸のカバンに
当時の母は手芸店に通うのと手芸本や部屋の模様替えの本が大好きで、
手芸店で購入した子供用の洋服の型紙に購入した生地をのせて裁断して仮縫いの後
家のミシンでカタカタと私のワンピースを手作りしてくれたり,編み物でベストを編んでくれたり,
あとはソファーに合うパッチワークを作って飾り使用としても良いようにと設計して作ってくれていました。
絵を描くのが上手くて風景画を時々描いていたり
紙粘土の作品を御近所の仲間と楽しんで作っていた姿がありました。
料理は喫茶店で働いてた時に覚えてた料理が食卓に並んだ日もあれば
500円で収まるように家計の出費を工夫していた姿と,どうにか遣り繰りして,我が家の色々な物語がたくさんあり,そのベースの部分には,母の姿が常にありました。
─いろいろな景色が流れ去っていきました。─
当時、母に連れられて
父が仕事休みの日には
私と2つ下の弟と一緒に家族で
手伝いに行ってた母方の祖父母の農作業の手伝い(田んぼとサトウキビの時期の手伝い)
─毎年,変わらぬ光景に、─
当時,小学生の年齢だった私は
常々,疑問に感じ思っていたことがありました。
それは、
"こういう小さな素朴な疑問でした。"
母は七人兄妹の末っ子という立場で、
(父は男の子兄弟ばかりの三番目でした。)
当時の私は、
どうして?母は兄姉が七人もいる立場なのに、
そして、
どうして?私の周りには他にも親戚やイトコが周りにいる環境にあるはずなのに、
いつも農作業の収穫のたびに駆り出されるのは、
私達の家族だけなのだろうか?
幼き当時の私は疑問が晴れぬまま、
そんな風だった私の周りの親戚繋がり大人社会のしがらみを
"ボヤキつつく事でしか抗いきれず反発しては,"
よく大正生まれの祖父に厳しく叱られていました。
─("後々に続く下記の記事綴りにも書いていますが、"
大正生まれの祖父とは,よくぶつかり合っていました。)─
その度に父は走って駆けつけては、
私と大正生まれの祖父の争いの場をおさめてくれていました。
当時の私は父に悲しい想いや窮屈に感じさせてしまうようなことをしてはいけないと察して、
また、
しぶしぶと、
目の前の農作業の収穫の手伝いをこなしていました。
サトウキビの収穫の冬の季節、
サトウキビの束を集めて箇所,箇所に置き、
皆で、お昼御飯を食べ終わり片付けながら、
また直ぐに収穫の作業を開始する準備をしてたそんな最中のことでした。
サトウキビの刈り入れ収穫作業を開始してた当時の我が家は、
─ある"存在に気付かずに"─
束ねたサトウキビを重ねての作業を繰り返していました。"
きっと…夢心地だったはずの冬眠中さんの??も
─私達家族の存在など気付かずに,─
スヤスヤと心地よく土の中で冬眠中をしてたことでしょう…。
作業の開始から数時間が経過した頃、
"その時…。"
─ここでようやく冬眠中だったハブの存在に気が付き青ざめた我が家の面々…。─
(言葉よりも先に"驚き慌て青ざめる")
"とても怖がり屋さんな我が家の面々…。"
─(その一家。)─
その我が家の面々の中でいちばんに驚き慌て青ざめた一人が、
(大正生まれの祖父でした。)
サトウキビの束を持ち抱えてた
私に向かい、大正生まれの祖父が慌てた様子で、私をサトウキビの畑の外に出して
静かに,こう話しました。
「"サトウキビの箇所の場所の下に冬眠中のハブがいるから、近づかないで離れなさい。"」
そこからは、
もうテンヤワンヤで、
カエルも蛇も苦手な私は,驚きのあまり腰を抜かして地面へと立ち竦んでしまい、
その私の後ろに隠れるように私を盾にして
私の背中に顔を埋めて怖々と斜め横から顔を出してた…幼き当時の弟。
そんな弟の姿をみながら当時の私は…
私を盾に逃げるように隠れんぼするって…。
"マジか!?"
守られたいのか!?
"マジか!?"
冬眠中のハブの姿から慌て驚き怖がり
─その空気漂う中、─
そんな我が家の家族達の…それぞれの当時のの姿。
大正生まれの祖父は、
父に向かって慌てながらジェスチャーで
"家族みんなを車に乗せて逃げなさい。"
と、伝えて、
父は、
さらに冷静に、
慌てふためく大正生まれの祖父に、
こう話しかけていました。
「行政のハブ対策担当課に連絡してるから
もう到着するから、
みんな一緒に早く車に乗って。」
と、
とても冷静に大正生まれの祖父に対応して
冬眠中のハブの件で、
冷静に対処しながら
行政のハブ対策担当課の到着を待っていた姿の父がいました。
冬眠中だったハブは、
行政のハブ対策担当課の方が捕獲してくださったと、
あとから,父に話しを聞きました。
そうとも知らなかった
私は,黙々と、
サトウキビの束を抱き抱え
時にはサトウキビを引っ張って
畑の中の道を往復して、
その土の中でスヤスヤ夢心地中の
冬眠中だったハブの土の上に、
サトウキビの束を思いっきり置いて
束を積み重ね繰り返しながら、
(冬眠中だったハブが眠ってるとも知らずに)
思いっきり声に出しながらボヤイてしまったのです。
"どこで曲がってしまっただろうか!?"
そして…その矛先は
─サトウキビを通り越して…,
それは…予期せぬ冬眠中の夢心地さんへと…
─冬眠中だった夢心地のハブも私の存在すらも気付かずボヤキすらも聞こえていなかったことでしょう。─
温暖な環境の中で真っ直ぐに優しく成長したサトウキビとは真逆の成長をしてしまっていた
幼き当時の私は…
サトウキビの束を積み上げる作業の度に
塩とスパイスのボヤキを呟き
温暖な環境育ちな甘いサトウキビの束を積み重ねながら
塩対応スパイス接戦を繰り広げてた幼き当時の私の姿がありました。
幼き当時の私は、
常に周りの大人や
周りの人の顔色ばかりうかがい
(特に母や母方の祖父母への対応に、)
子供らしい対応も場面も数少なかったという記憶に残っていて、
サトウキビの温暖な環境とは真逆だった
環境で育ってきた幼き当時の私の,
その当時の姿が確かに記憶の歯車の中で
1つの景色として私の成長過程の中の道のりに過ぎて去った時間と時間の流れの間の中で流れ刻まれていました。
幼い当時の私のサトウキビ畑での
ボヤキの模様を
(冬眠中だったハブは、)
布団代わりの土の中で夢心地に聞いてたかもしれません。
もしかすると!?
青ざめながら土の中で、
ハブは私達家族の存在に慌てふためいて青ざめながら、
"これは冬眠中の夢に違いない…。"
"あぁ~とんだ悪夢を見たもんだ…。"
"もう一度冬眠し直そーっと。"
そう思ったか?どうかは!?
冬眠中だった夢心地のハブさんにしかわからない"夢"だったのかと思いますが…。
互いの存在に気付かずにいた
─冬の時期の"その思い出話しでございました。"─
ここまでの内容のお話しは、
サトウキビと私と冬眠中だったハブとの
そういう思い出話しの当時のヒトコマでした。
*~~~*~~*~~~*~~*

撮影写真内容
【折り紙作品を"褪せずここに。"という
愛を込めた想い重なる瞬間を撮影しました。】
ここからの
他の他愛ない思い出の話しは、
その祖母の母にあたる曾祖母のお話しです。
父方の祖母の母にあたる曾祖母のお話しですが、
眼鏡をかけて座布団の上で座りながら
ニコニコ笑顔で手招きをしては
楽しそうに話しを聞かせてくれた曾祖母だったと
父から聞いた思い出があります。
曾祖母の当時の年齢は大きな年齢で
眼鏡をかけていたので、
親戚や家族みんなからは、
ガンチョの(眼鏡をかけた)
マギーおばぁー。
(年齢が上の,年齢数の大きなオバアチャン)
と呼ばれてたそうです。
認知症の症状が進み
訪れる来客の方々の御名前を間違えて呼んでいたりしていたというお話しの思い出を父から聞いた部分だけの思い出話しではあるのですが、
当時聞いてから時が経ちホンの少しだけの思い出の部分と当時の時の場面だけが,今は,うっすらとしか残ってるのみで、
─いろいろな思い出話しを掘り起こし記憶を辿って思い出した話しの中に、─
父から聞いた思い出に残っている曾祖母の思い出話は幾つかあるのですが、
その1つは、
認知症の症状もあっての中で同じ会話を繰り返して同じ動作を行って
座布団の下にあったヘソクリを取り出して
「"これで学校の勉強頑張るんだよ。"」と、
そのヘソクリを手渡そうとしてたという話しや、
行事の時に御挨拶に来てくださってた来客の方も症状の理由を知っていたので、
曾祖母へ御礼の挨拶だけをして
来客の方は帰っていったそうです。
───────
父と母が結婚を機に神奈川から帰ってきた際の同時に、
結納を挙げて、
その当時,私が母のお腹の中にいて
身重だった母の心配をしたり、
父と一緒になってくれた事や
結婚をしてくれて嬉しいと、
当時,20歳だった母の両手を握って何度も繰り返しながら御礼の挨拶と門を潜る時に
母の手を繋いで家の中まで案内して迎え入れてくれたそうです。
真っ先に座布団を準備して
母を先に座らせて休ませてくれたと
当時,その思い出話しを聞かせてくれた母が,とても嬉しそうに懐かしみながら,その思い出のお話しを聞かせてくれました。
曾祖母が
当時の母へと話した会話の中には、
こんな風だったと
父からも母からも
それぞれの思い出の中からの
その当時の
曾祖母との思い出話しを聞いた覚えが残っています。
─その話しは
こんな風でした。─
"これで生まれてくる赤ちゃんの為に
アナタの為に御飯食べて栄誉つけて、
ゆっくり身体休めてね、"
"無理はしないでよ、
早くなれなくちゃとか、
頑張ろうって思って頑張り過ぎたらダメだよ、"
"自分自身の事と、
お腹の赤ちゃんの事だけ優先に考えて
ゆっくり休んでね、"
"お腹の赤ちゃんの為にも、
自分自身の為にも
今はね身体が大事な時なんだからね、"
「今日から我が家の
家族の一員なんだから
家族なんだから遠慮しないで沢山甘えて、」
「本当に,めでたいね嬉しい日だね
生きてる間に孫の結婚も見られて
素敵なお嫁さんに出逢えて幸せさぁー、」
曾祖母の優しい温かい気持ちや言葉に
安心して涙がでて
当時,緊張してた20歳だった年齢の若かりし頃の母は嬉しくてホッとして泣いてしまったしたそうです。
私は、その曾祖母の話しを
父から聞いた思い出の話し伝えや
母からの話しからしか聞いたことがなくて
私が誕生する数ヶ月前に、
天寿を全うしたそうなので、
もちろん直接には会った事は無いのですが
両親の結納の思い出写真に一緒に写っている曾祖母のニコニコ笑顔の表情を見る度に
"きっと…,"と、
その時ごとに"想う気持ちは様々あって、"
想いがいろいろに季節や月日の流れと共に
"今までの私から、"
"今の私の変化の部分とともに感じかたも変わり、"
─そう…いろいろな変化と共にあるのが、─
"今の私で、"
─もしもね、─
と思うことも時々"ふと"した時に
その
─"もしもね、"─
という"言葉や想いが浮かんできたり、"
─もしもね、─
"ガンチョのマギーおばぁー、"
(眼鏡をかけた年齢の大きなおばあちゃん。)
"もしも今の世で出逢えてたら,どんな話しを聞かせてくれてたかな?"
"どんな会話のヒトトキが、"
そう思うこともあります。
私も,もう両親や親戚を見送る年齢をむかえてね、
きっとガンチョのマギーおばぁーから
今の年齢の私を見たらヒヨッコみたいに見えて映るのかもしれないのだけれど、
今は,私自身も見送る年齢をむかえて
いろいろな月日と季節の歩みとの流れから
思い出す景色や懐かしく思う時もあって
"寂しくなんかないよ。"といえば本音は違うのだけれど、
でも、
それでも頑張らないといけないからさ、
きっと,皆だって,それぞれの時間や道の中で
そうやって乗り越えてきながら頑張ってきたと思っているし、
言えない辛さや寂しさや苦労もしてきながら歩みを続けて頑張ってきたと思っているから、
今,目の前に
"両親も、両親の両方の祖父母も
他界して,もう居ないのだけれど、"
様々な日々や月日を一緒に過ごせられてきた思い出が私の心の中にちゃんと残っているから、
そういう風に吹かれて歩いている
そういう今の私の姿を、
ガンチョのマギーおばぁーは、
"どんな風に見守ってくれて見ててくれてるのかな?"
"私は、私の今と明日と未来を幸せに生きれるように頑張るね。"
"ガンチョのマギーおばぁー、
思い出のお話しでしか聞いたことはないのだけれど、
それでも不思議となんだか逢えていたような懐かしい風の香りを時々ね感じる事があるよ。
そういう風な温かい想いを
どうもありがとう。"
*~~~*~~~~*~~~*

撮影写真内容
【折り紙作品素敵に変身を"合言葉に。"
カッコ良く並べて撮影しました。】
以前に書いた記事内容と似た部分の
思い出のお話しになりますが、
【少しだけ関連なリンク記事】です。
↓
好きな音楽曲と過去の作品を懐かしむ話し,思い出の話し少し(という記事内容綴り)
新しい年も宜しくお願いします。
父方の方の大正生まれの祖父は
公民館の区長さんをしてたと
父から聞いた思い出があります。
父方の大正生まれの祖母は
その祖父が他界した後は
祖母は仕事に家事に子育てに追われ
ひとりで育て上げたと聞いた話しも思い出に残っています。
父達6人兄弟が成人して,それぞれ巣立ち家を出ていた後
祖母は長年勤めてた仕事を定年退職し
今度はカラオケという新たな趣味と
グランドゴルフという新たな活動場所を見付けて,とても楽しんで過ごしていました。
そんな姿の当時の祖母との思い出の1つに
カラオケで対戦した思い出もあったり、
グランドゴルフの技術を披露して
小さな子供のようにハシャイデいた
そういう祖母の事が懐かしく思い出されます。
よく仲間と一緒に老人会の旅行へと参加して,ホント,小さな子供のように
楽しそうな様子でハシャイデいました。
"家や家族のことを第一に
自分の事は後に回する。"
という生き方や考え方だった
母方の大正生まれの祖母との違いも色々ありますが、
父方の大正生まれの祖母は、
(大正生まれでしたが何処か考え方や生き方が現代風な,そういう祖母でした。)
家庭の中で収まらず外で賑やかに過ごす事が大好きで家族に振り回されることに嫌気をさしてた姿や縛られることが苦手だった,そんな風な姿が残っている
父方の大正生まれの祖母の思い出のお話しでした。
母方の大正生まれの祖父母は、
田んぼとサトウキビ農家を営んでいました。
大正生まれ祖父は、
当時の時代の家庭環境からの色々な事が重なり、
"家や家族を守る為"という周りの勝手な都合から、
14歳という年齢になるまで奉公先に出されてた境遇だったそうです。
その奉公勤めも終え
学問も身につけられるような境遇ではなかたったことからの、
─大正生まれの祖父の生き抜く為の─
"その始まりの1つ目が、"
土を耕して作物を植え育て収穫して
それを仕事として生活費として生み出していく、
それと同時平行に兼業農家として、
農家以外の仕事も必死に頑張り続けながら、
生前の祖父は
自分自身に学問が無い事を負い目に感じてるような,そんな風な姿もありました。
─ある時、─
こんな場面に遭遇したことがあり、
その場面や出来事を通しての祖父との会話の思い出は、
今でも忘れられず大事においている"祖父との思い出があります。"
"先ほど書いた話しが
今から少しお話しさせていただく内容と少し絡みますが、"
14歳という年齢になるまで奉公先に出されてた大正生まれの祖父は、(母方の祖父は,)
計算は得意で数字には強かった方だったのですが、
小学校,中学校を通えるような環境を歩むことが出来ず,
14歳という年齢になるまで奉公先に出され
その奉公先での勤めから,ようやく解放された年齢が15歳の年齢だったそうです。
読み書きが出来ず、
祖父は,そのことを恥じて自分自身に対して負い目を持っていました。
時代の背景もあるのでしょうが、
いちばんの大きな部分は、
家庭環境と親子環境の根本的な部分が
祖父の根っこの部分に"負い目"というカタチとして蓄積し続け,それは晩年期まで残り続けていました。
祖父は,祖父なりに農業という仕事で家族を守っていく術が思い付かなかったのかも知れません、
農仕事の時期がある程度落ち着いた時の、
私が今でも忘れられず大事においている
その場面に遭遇したのは、
私が小学校の高学年の頃の事でした。
祖父は新聞の記事の写真をみるのが日課でした、
もう1つにはテレビのニュースにラジオのニュース、
故郷の民話の本の絵をみるのも日課で、
テレビから放送される相撲の場面や
テレビから放送される国会中継の模様を
大好きな黒糖とお茶と一緒に
祖母と二人で,それぞれお気に入りだった
椅子に腰掛けながら視てた姿もありましたし、
とても熱心だった姿の祖父の姿が日々の日課の流れを通して常に,そこにはありました。
読み書きが出来ず文字や言葉、
文章の内容の意味が分からないのを知られたくなかった祖父の姿を知ってはいたものの、
祖父自身から,その話しに触れるまでは
あえて私達家族からは触れことは一切せずに静かに時が来るのを待っていました。
当時,小学校高学年の頃だった私は、
その祖父の姿から、
なんとなく"いろいろな祖父の生い立ちや,その後の事情等などを薄々とですが、"
感じ気づきはじめてきた時期でもありました、
当時,小学生だった私が学校からの宿題の調べものをしながら
提出するレポートをまとめて書いてた時のことです。
クラスでの研究発表会で話す予定をしていた社会科の自由課題で選択してた
"ストリートチルドレン問題と子供を取り巻く環境"についての
宿題に取り掛かって夢中に調べ学習やレポートの書きまとめをしてた私の方に向かって、
祖父は,夕刊の新聞記事の方を指して、
"「ここの新聞記事の写真と一緒に書かれてある,この文章は何と書いてある?
どういう意味の文章で何を伝えているのか教えてくれないか?」"
祖父は,さらに知りたい文章の内容を疑問として私の方に向かい小声で問い続け話しながら今まであった根っこの部分の負い目が解きほぐれた表情と,今まで隠してたつもりの,祖父がずっと抱えてきた部分の,その恥を捨てた様子で静かに問いを投げて聞いてたずねてきました。
当時の私は、
新聞の記事内容を読みながら
分からない漢字や意味などは辞書で調べて
拙いながらではあったのですが
祖父に新聞記事の内容と,その写真の内容を話し伝えました。
─その日を境に、─
私が学校休日の日や
夕方,宿題に取り掛かって学習してた時間帯の頃に、
祖父は,新聞の朝刊と夕刊、
さらに民話の本等などの書物の文章の内容を,まとめて持ってきては問いたずねてきました。
当時,私が使用してた辞書の使い方や
五十音から始まり,言葉と文字と文章と
ひらがなやカタカナに漢字の練習を始めながら、
少し照れくさそうに
でも,とても嬉しそうな様子で
祖父の名前を書く練習を頑張って続けてました。
少しずつが分かり始めてきた祖父は、
今度は祖母へ"お手紙を書いて伝えたい。"と
私に相談をして,その気持ちを話してくれました。
"ひらがな"で、
祖父なりに書いた一生懸命な想いが
祖母への"お手紙の中に溢れていました。"
その"お手紙"をはじめて受けとり読んでいた祖母の表情も,とても幸せそうな優しい表情で溢れていました。
祖父とは気持ちの部分や考え方の違いで
ぶつかる事もありましたが、
(男の子/女の子と分ける古い考え方や学問を身につける優先順位が男の子が先であるべき。という時代から離れた考え方が強く残っていた祖父と,よくぶつかっていました。)
それでも、
ぶつかってばかりであっても
祖父の歩んで生きてきた道のりを想い
考え寄せてみると
それは、
それで、
家族として理解を寄せながら
祖父との思い出は
だいたいが,
スレ違いと,ぶつかってばかりでしたが,
─それでも私の家族で祖父で、─
間違いも正しいも正解も答えも
決して横から口を挟んで教えるような祖父ではなくて、
─口に出して話す前に、─
"静かに見守っててくれてた祖父でした、"
その"静けさの中からの教えの大きさに"
気が付いたのは,祖父が他界してから
1つ1つの思い出を振り返る中で
あらためて自分自身の中で
"気が付いた事"に気が付けた頃で、
─解けるまでの道のりと過程を通して
"余計な云々な気持ちに少し,とらわれ過ぎてた部分が柔らかく解け始めた頃で、"
長い時間がかかってしまってた
"解け始めの瞬間とともに、"
ようやく辿り着けたような気がした
そんなことを優しく想い感じる時もありました。─
祖父とは、
時代背景も
生き抜いてきた日々も
生まれ育った環境も
その後の人生の道のりも
祖父と私、
互いに違う人格で
互いに違うのは当然なことなのですが
祖父の孫として誕生して
成長していく過程の中で
"ぶつかっても"
"ぶつかり合えた部分が出来たのは、"
真っ正面から受けとめてくれた存在だった
祖父しか後にも先にも今は浮かばずで,
それは,祖父だったからこそという部分で
受けとめてもらえてた"部分だったと思っています。"
大正生まれの祖父と私の
いろいろな場面や出来事を通しての
遭遇した時の会話からの
─そんな懐かしい思い出話しでした。─
母方の大正生まれの祖父母は
戦前,戦中,戦後と
互いに力を合わせて二人足並みをそろえ
そうやって生き抜いてきた祖父母で、
母方の亡き祖父母が話してくれた
戦中の当時の時代のことを語ってくれた
その思い出のお話しは割愛させていただきますが、
(私の思い出話しの1つの中で留めておきます。)
平和あっての
"人の人生なんだなぁと、"
平和あっての
"一人一人の人生があって、"
平和あっての
"一人一人の日々があって、"
平和あっての
"人と人が居て、"
平和あっての
"季節や月日が時代とともに流れ
途切れることなく移ろい変わり、"
その,いつもの景色も日々も
─決してなくさないように。─
平和が途切れることのないように
"いつもの、"そういう日々を大切に積み重ねる,
"いつもの、"という日々からの贈りものを
大事に過ごしながら生きる、
そういう部分も1つの"平和を繋げられる導べになるのかなぁと、"
この時代と日々を生きてる私は,そう思い,そう感じています。
─話し途中で脱線してしまいましたが、─
(先ほどの途中からの続きを、)
母方の大正生まれの祖母は、
どちらかというと、
家庭や家族を常に優先するタイプで
台所と家と家族を守る事が役目だと
そう信じて疑わなかった母方の祖母の姿がありました。
そういう考え方と生き方を生涯全うしてた母方の大正生まれの祖母の姿が今も変わらず私の記憶の中に"思い出"が鮮明に残っています。
ここまでは、
─父方,母方の大正生まれの祖母二人との
思い出話しを書いてきました。─
書きながら"ふと思うことは、"
変わらずあります。
その1つに思うことは、
時折忘れた頃に客観的にみてみるヒトトキとして映る、
─私自身のことです。─
そう、
私は…、
未だ結婚もしていないので、
そういう風な場面や
結婚がどうのとか、
家族がどうのとか、
旦那さんがどうのとか、
ピンとイメージ出来ない今の私が居るには,いるのですが、
それが素直な今の私のイメージでして、
ただ、
両方の祖母の考え方や生き方は
家族として孫として同じ女性として
そういう考え方や生き方もあるんだと
そういう,それぞれの違いや違う生き方の中で、
色々や様々な場面を乗り越えながら生きてきて
祖母二人の,それぞれの幸せがあって
幸せに過ごして生きてこられたのなら
それだけで宝物じゃないのかな。
"二人とも,それぞれの生き方の中で幸せだったよね?"
そんな風な問い掛けとともに
私は私の幸せを過ごしながら
祖母二人との懐かしい思い出を
優しく温かく心に留めています。
亡き両親との思い出のお話しの1つには
母の旧姓が父の苗字と同姓であったので
母は,父と結婚した後も苗字が変わらなかったことを,
"まさか!?同姓だったなんて…、"と、
よく不満げに云々と話していました。
聞かされてた当時の私は
ウンザリとしながら聞き流していたのですが、
今更ながら"気が付くことは遅いのかも知れないことではあるのですが、"
亡き母に対して
こんな風に優しく話せてたらなぁと、
"時折,思い出す節に思うこと、"
「"結婚相手が,まさかの!?同姓だなんて!"
"すごい運命だよね!"」
「母さんが居てくれたから今の私がここに居るんだよ。"生んでくれてありがとう。"
その想いに出逢わせてくれて"ありがとう"」
「母さんが笑ってくれて幸せでいてくれてたら,それで良いよ。」
「だからね,母さん,そんな風に思わないでよ。母さんは幸せだと思ったことはないの!?幸せだなぁと感じたことはないの!?」
「私は父さんと母さんの子供として誕生して生まれてきて,とても幸せだよ。」
と、母に対して優しく話してあげられなかったんだろうと、
そんな風な"今更ながら思うことに、"
(少し切なく思ったりすることもありますが、)
亡き両親が離婚する際に
私達三人きょうだい(弟,妹)を
母の親権で引き取られることになり
また,母方の祖父母や母のきょうだい親戚と
口をそろえて、
当時,高校入学したばかりの私に向かって
"弟や妹を面倒みながら母の事も支えて
親孝行することが役目だと,"豪語して言われ、
─当時の私は,─
"父の方についていく,"という気持ちが,どちらかといえば,その気持ちが強くあったのですが、
母の申し出で親権が決まり
私達きょうだい三人、
母と共に
その当時,家族で住んでた家を出て
それまで住み慣れた場所から離れ
全く違う新たな場所で生活がスタートして
─その間に,─
(いろいろな場面や出来事が過ぎ去っていきました。)
住み慣れた場所や家を出ていく際の
父への母の捨て台詞も、
小さく感じた父の後ろ姿を最後に見たのも
支度をしながら、
当時の私の想いの中で、
周りの大人に対する様々な葛藤や矛盾に対する思いが若気のいたりでありました、
"(どうにもならない事もある。)"
そういう1つを知ったような気がした瞬間でもあったような、
─思い出にあるのは,その部分と、─
あと記憶にあるのは、
その当時は慌ただしく出ていった事しか記憶には残っておらず、
それから数年経過した頃、
父と再会する出来事があり、
ただ当時の父は療養中の身であったので
経過していく時間の流れの中で
私自身気持ちの整理や覚悟をしながらの
時を経ての父との最後の時間でした。
母は,母で心不全の治療と療養で長年、
その繰り返しの月日と時間を過ごしてきての日々で、
父との再会のことは母は知らない方が良いと判断して,母には言わぬまま、
また,父にも母の事は言わぬまま、
"私の思いの中に留めていました。"
それから後、
両親との"それぞれとの時間を過ごしていった中で、"
母との別れが訪れ、
その数年後に、
父との別れが訪れました。
両親が,それぞれの年に他界した後
その時だけは悲しみのあまり
自分自身を見失いかけた時期もありましたし、
気持ちの整理をつけてたつもりの私だったのですが、
─いざ,その日々と瞬間が訪れた時、─
気持ちの整理の部分、
それが出来ずにいた私と、
いろいろな想いも気持ちも
1つ1つがあった当時を、
そういう思い出に対して
今は,"違う想いで"振り返る時があります。
過ごしていく日々とともに徐々になのですが、
新たな自分自身の発見を感じる事がありました、
それは、
例えばなのですが、
こんな風な新たな自分自身との発見と出逢いでした、
"想いを思う"の部分に変わりはないのですが
"何処かしらの部分で、"
当時の私と違う1つがあるとすれば、
"感情を頭で切り替えるようになった、"
自分自身の気持ちの揺れであったり
自分自身の心の部分と感情であったり
"それらをバランスよく切り替える
丁寧に優しくコントロールしていく"
─(自分自身の保ち方や対処の引き出し)─
という部分が1つだけ増えたような気がします。
心や気持ちの部分を情に流され過ぎずに
頭で切り替える,その中にある心や気持ちを知る。
頭だけに頼り過ぎずに
その中にある自分自身の本音を素直な想いと気持ちの部分を怖がらずに素直に受け入れ受けとめる切り替える。
"(そんなこと)"かと受けとめられるかもしれませんが、
当時の頃と比べると少し変化が垣間みえたのを素直に感じましたし、
今の私から発見出来た新たな自分自身との出逢いから発見出来た新たな部分のお話しは以上となります。
母方の祖父母も
亡き母も
平成の後半の中で
今の新しい時代の
"令和の時代を知らないまま"
それぞれの年に旅立ったので、
新しい時代の
"令和の景色や流れに触れてたら"
世の早さの移り変わりを日々の中で目の当たりにしていたら、
きっと…とても驚いてたと思います。
妹が誕生した平成の時代の時でさえ
世の中の環境や背景の変化と移り変わりの早さに驚いていたことがあったので、
特に驚いてたのは大正時代に生まれた
母方の祖父母だったのですが、
いろいろな変化とともに
今の時代も見せられていたらなぁと、
ホンの少し切なに想う事も、
時折だけね、
ふと思うことがありますが、
今の泣き言のような内容の話しを亡き母方の祖父に話したら,
"きっと…,"
また互いに"ぶつかってしまうかと思いますが、"
とても頑固で古風に加えての古風だった
祖父でしたので、
きっと…今頃…
空の上か
はたまた意外にも側にいたりして…(冷汗)
とても怒ったような…言いたげな頑固な顔で
(怖がり屋な私は…知らなかった見なかった事にして"退散するのみ。")
(怒りの雷があらわれる前に…
それっ!逃げるが勝ち!
反省は…もはや遠くにあり。)
と,まぁ…,
その想像は今は留めておいて
─2025年12月師走、─
新たな年も目の前、
体調に気をつけながら、
明日もまた頑張ります!
大好きな音楽の曲と一緒に。
記事を読んでいただきまして
どうもありがとうございました。
今回は
この辺で。
◯─────◯──────◯
*関連なリンク記事ではないのですが
置いておきますね。↓
創作イラストの着まわしコーディネート。(春の大合唱編♪)
久しぶりに書きました。
思い出の話し集(チョイス編ファソラ♪)
12月もどうぞよろしくお願いします。(時々忘れた頃のお手紙風。)


初冬の候
いかお過ごしでしょうか。
お元気にお過ごしでしょうか。
朝晩の冷え込みが増し
冬の訪れを感じる季節となりました。
寒さもひとしお厳しくなってまいります。
年末へむけお忙しい日々かと存じますが
どうぞお身体を大切にご自愛ください。
どうぞ心温まる良い年末年始をお過ごしください。
2025年12月が素敵な季節となりますように
*──*───*───*───*
朝晩は冷え込み日々違う気温差も感じながらの12月の季節の始まりを過ごしています。
体調に気をつけながら、
風邪に気をつけて良い日々と季節をお過ごしください
明日も素敵な優しい良い1日を。
12月の季節も
どうぞ宜しくお願いします。

*~~*~~~*~~~*~~*
今回のブログ内容は
【月一だけの
"時々忘れた頃のお手紙風。"】です。
"12月さんへ"と題しての
お手紙風な"お手紙内容を書きました。"
◆─今回の【月一だけの
"時々忘れた頃のお手紙風。"】に込めた想いを少し書いてお話しさせていただきました。
◆その他の内容もあわせて書きました。
◆後半からの内容は、
第10回目音楽日記"さりげない目標を達成出来ていた"というお話しと、
"第11回目…どーすんの!?"云々を書いての
以上の記事内容で結びました。
どうぞよろしくお願いします。
*~~*~~*~~~*~~*
前回の【月一だけの
"時々忘れた頃のお手紙風。"】の記事には
"久しぶりの登場として、"
我が家のセキセイインコ君を創作イラストのモデルとして描いて撮影仕上げの投稿をさせていただいたのですが、
("前回の記事内容で書いてお話しさせていただいた通り,前回だけの再登場として、")
("我が家のセキセイインコ"ウーロン君を創作イラストモデルに描いて再登場させていただきました。")
"我が家のセキセイインコの名前はウーロン君という名で呼んでいました。"
─そして今回の、─
【月一だけの
"時々忘れた頃のお手紙風。"】は、
前回の記事内での創作のお話し内容に書かせていただきました、
創作イラストモデルの我が家のセキセイインコ君
"ウーロン君との「"今回だけの再登場ですよ。"」の約束を守り、"
↓
11月ですね。どうぞよろしくお願いします。(時々忘れた頃のお手紙風。)
今回は違う想いをのせながら
【月一だけの
"時々忘れた頃のお手紙風。"】を書かせていただきました。
─2025年12月さんへの想いの中に、─
2025年という季節や日々を振り返りつつ、
─読んでいただいた方へ,─
"どうもありがとうございます。"の想いをのせて、
今回の
【月一だけの
"時々忘れた頃のお手紙風。"】を書かせていただきました。
【前回再登場した、
我が家のセキセイインコ君ウーロン君の
再登場なのですが、】
またどこかの記事で創作イラストモデルとして描ければなぁと、
今は,それだけを思っています。
さらになのですが、
【月一だけの
"時々忘れた頃のお手紙風。"】に、
(何回か登場してもらった創作イラストの
アニマルさん達の再登場も、)
今は,ウーロン君の再登場と同様に、
またどこかの記事で"それぞれの輝きを活かせた書き方と描き方の工夫を少し加えて創作出来ればなぁと思っています。"
【月一だけの
"時々忘れた頃のお手紙風。"】や、
他の内容の記事内で再登場させられたらなぁと、
コチラの方も今はそれだけを思っています。
(以上でここまでの内容は、)
─"ありがとう"の想いをのせて。─
2025年12月さんへの
【月一だけの
"時々忘れた頃のお手紙風。"】のお話しでした。
それから、
少しお話しの内容が変わりますが、
前回の記事でお話をさせていただいた時からの
その後の気管支喘息の治療の経過なのですが、
【関連リンク記事】です。
↓
8月31日の先日の記事の続きを書いた内容です。
最近の記事内容にそりながらの綴りです。
久しぶりの記事の綴りになります。
─先月,無事に定期通院治療から切りかわり
一旦は定期通院終了をし,今後は定期通院必要無しでの経過観察の流れへとなりました。─
そういう旨の説明とお医者さんからの今後に関しては定期通院は必要ないとの御判断をいただけました。
御心配をおかけしましたことと、
無事に定期通院を終え治療の方も経過観察に変わり回復まで出来たことを今回の記事で改めてご報告をさせていただいた次第でございます。
今後も気をつけながら、
無理だけはしないようにと自身の体調の変化の声に素直に耳を傾けながら回復維持の状態を続けて頑張ってまいりたいと思っております。
先ずは回復出来たことと,1つホッと出来たことに心から感謝しております。
その流れが良い方へと変わり
今はホッと安心出来ていて,そういったところです。
受診の最後に
車の運転免許の更新手続きの際の手続き内容に関して気になってた点を1つ確認出来ていて解決出来たので、
そのことも解決出来た点も含めて
"ホッとして安心しました。"
確認しておきたかった事を最後に確認して聞けて良かったです。
違う日々といろいろな流れとともに
1つずつ,今はそういったところです。
─少し長々に書き綴ってしまいましたね、─
さて、
*【ここから下記は、
第10回目音楽日記"さりげない目標を達成出来ていた"というお話しを書いた内容から結びまでの流れになります。】
◆【前置き】
ブログの方でも書ける時に書いたりしてますが
最近はインスタの方での【音楽日記】投稿が少し多くなってきました。
◆【インスタの方でも少し試しながら書いてみている
音楽日記について。(今のところの説明と内容の御紹介。)】を書いて少しお話しをさせていただきますね。
・【コチラの記事リンク下記あたりに書いています。】
↓
*(記事ごとに違いはありますが、内容じたいは,同じ想いで書いています。)
【関連リンク記事です。】
↓
10月の季節ですね。どうぞよろしくお願いします。
11月ですね。どうぞよろしくお願いします。(時々忘れた頃のお手紙風。)
久しぶりの記事の綴りになります。
9月の季節ですね。どうぞよろしくお願いします。
ここ最近はブログの方よりも書いている投稿数が少し多くなりつつの試しながら書いている音楽日記、
好きな曲を聴きながら
2025年7月くらいから突如始めてみました、
【音楽日記♪】なのですが
書ける時にの気持ちで
単純な始まりの動機からと、
のんびりとスタートしてみました。
のんびりと。
ゆっくりと。
マイペースに。
ゆるーく。
("目指せ10回!"を合言葉に、
"10回目を達成出来たら!"
さりげなく目標にしてみながら☆)
"さりげない目指せ10回"を合言葉にしていた目標も,気がつけば,あっという間の10回目となっていました。
("さりげない目標の達成☆")
"そう…私は自ら掲げてみた小さな目標達成を"それは!それは大きく"喜び♪"
─それも束の間でした、─
その"あっという間の喜びの後に、"
─気がついたのです。─
"第11回目…どーすんの!?"
(云々巡り登場編)
"…11回目をどうしようかなと!?"
"10回目達成が残してくれた次なる11回目へと、"
─2025年12月の"ささやかなる私の新たなる小さな目標を…再び探してみたいと考えながら、"─
"前回インスタの方での投稿で
第10回目となりました。
【音楽日記】、
(関連リンク記事です。)
↓
久しぶりに書きました。
少ない回数の音楽日記でしたが、
楽しみに読んでいただけていましたら
とても嬉しいです。
心から感謝申し上げます。
"「どうもありがとうございます。」"
11回目の音楽日記は
"ゆっくりと考えながら試していけたらなぁと思っています。"
(内容は今後も変わらず
私の好きな曲の御紹介のお話し中心な流れになるかと思うのですが、)
・(音楽日記に関しての話しになるのですが,)
ブログの方でも
インスタの方でも
Xの方でも
いろいろ考え巡りながら模索して試せていけたらなぁと思っています。
その他のブログテーマ欄の
ブログテーマも含めながら
ブログの方の記事も"いろいろ試していけたらなぁと思っています。"
"模索中続きではあるのですが
いろいろ楽しみながらですね試していけたらなぁと思っています。"
(です。)
─書いたり描いたり撮影したり─
─内容まとめたり─
そういう巡りツアーを楽しみながら。
(ツアーとは違う(!?)
ただ私が勝手にそう名づけ書いただけでございます。)
・(今回のブログ内容、)
【月一だけの
"時々忘れた頃のお手紙風。"】と
第10回目音楽日記"さりげない目標を達成出来ていた"というお話しと、
"第11回目…どーすんの!?"云々を書いての
以上の記事内容でございました。
今回の記事は
この辺で。
読んでいただきまして
どうもありがとうございました。