好きな音楽曲と過去の作品を懐かしむ話し,思い出の話し少し(という記事内容綴り) | はるブログ「私の時間.書き綴り場所」

好きな音楽曲と過去の作品を懐かしむ話し,思い出の話し少し(という記事内容綴り)

【今回の記事で話したい内容。】







◆インスタの投稿が多めな"音楽日記"
記念すべき!?(第8回目)は、
久しぶりにブログ記事の方での投稿を
試しもかねて書きました。









(最近聴いている
(正確には数ヶ月前くらいに思い出して懐かしくなり聴いている…という経緯です。)

1990年代からの~(好きな曲や懐かしき曲)
をまじえたお話し
ロックバラードやロックやJ-ROCK、
バラード系や洋楽とかをチョコちょこと,)



◆高校時代に聴いてた懐かしの曲と
その思い出のヒトコマ




◆(過去に読んだり
(視てたドラマや作品を懐かしむ場面。)
好きな音楽曲と過去の作品を懐かしみながらの場面、という記事内容綴りです。




◆大正時代生まれの祖母二人との思い出話から,"今,何気に思うこと。"
その話しも少し書きました。









今回はですね、
いつも!?(回数的にはインスタでの音楽日記)
の投稿が,やや多い?のですが、
(数回だけなのですがね…。)




記念すべき第8回目でございますよ!
「なななんと第8回目の音楽日記、」
でございます。







10月も季節のイベントもあったり
"暑さも,ようやく和らいで、"

"秋も深まる季節となりました。"


いかがお過ごしでしょうか。

















最近はデスネ

1990年代からの~(好きな曲や懐かしき曲)
をチョコちょこと聴いています。


ロックバラードやロックやJ-ROCK、
バラード系や洋楽や


あと…先に御紹介させていただきました年代から、

聴いてる曲も年代的な異なり少しバラツキがあるのですが




昨日は

Backstreet Boys (バックストリート・ボーイズ)さんの

Want It That Wayという曲や、




ブライアン・アダムスさんの
(Everything I Do) I Do It For Youという曲



クリスティーナ・ペリー さんの
A Thousand Years という曲



◆セリーヌディンさんの


◆セリーヌ・ディオン with クライズラー&カンパニーの
(TO LOVE YOU MORE)と、
あとはデスネ、
(My Heart Will Go On)





◆カーペンターズさんの曲で
(青春の輝き)を少し聴きながら






◆どちらの曲も
当時のドラマや映画の影響で知り
(当時は学生だったので今は懐かしい思い出曲です。)


そこから聴きはじめました。




少し私の高校時代の頃の思い出話しになりますが、



青春時代のイチページが今でも
時々ですが懐かしく思い出される事があります。



その当時も今も
懐かしい思い出と聴いている曲と一緒に、


◆My Little Loverさんの曲や
「Hello, Again 〜昔からある場所〜」

◆スピッツさんの曲や
(「ロビンソン」)

◆ドリカムさんの曲や
(「Love Love Love」)
(「サンキュ」)

◆ミスチルさんの曲や
(「星になれたら」)

◆FIELD OF VIEWさんの曲や
(「突然」)

◆ZARDさんの曲や
◆サザンオールスターズさんの曲




高校時代の思い出と一緒に
思い出を"ふと"思い出す時、
そういう時に聴いています。






私の高校時代の思い出の話を少し書きますが、



その頃,当時新歓の大会でクラスみんなと一緒に聴きながら放課後にクラスTシャツを作って仕上げて大会に参加してた思い出や


高校時代の当時好きな人がいて
その好きだった人との懐かしい思い出があったり


中間テスト期末テストの時期だけ
(4時間目で終了で)
授業が5時間目,6時間目と無くて
午後は各々でテスト勉強に取り組んだり、
廊下に机を出して自由に自学自習したり


中間テスト期末テスト終了後に
クラスのみんなで校外散歩と遠足と名付けて、賑やか大笑いと大はしゃぎの両方で
隣街まで歩いた思い出と帰りにクラス担任の先生から御馳走になった思い出や、



夏休みを利用してクラスみんなで出掛けたり、小旅行でビーチバレーしたり、
バーベキューの味を一緒に味わって
下準備や下ごしらえや買い出しも


とても賑やかで楽しかった場面しかなくて
授業も楽しくて賑やかで大爆笑が絶えない事で先生方や違う選択クラスの間で(音楽クラス/美術クラスの間で)有名なクラスだったんです。

高校当時は入試面接時までは第一希望が音楽クラスで、第二希望が美術クラスで、第三希望が書道クラスだったんですが、

あとは、母と母方の祖父母の希望が
強かった家庭科クラスも候補にあったのですが、


時代の進歩とは合っていない
女性の生き方は"こうあるべき"という
("昔ながらの母や母方の祖父母が生きて受けてきた根強い考えが残っててありました。")
当時の
母と母方の祖父母の意見がありました。


そういう時代背景に生まれ生きてきた
母や母方の祖父母のことを責める気持ちは
無くて,
逆に、"今はね,1人1人に合った生き方も出来る時代"に移行しつつある入り口の時代に立っていると思うよ。と、

母や母方の祖父母に,戦前と戦後で受けてきた教育や暮らしで受けてきた影響に縛られずに

"しがらみから解れて"

ホンの少し肩の力を抜いて生きていってもらえたらと

"家族や家を守る責任を背をう役目は果たしてきたんじゃないかと、"
そういう思いも当時は何処かにありました。


(主に、お裁縫/御料理/家族の役割分担/大人になる頃に向けてのライフスタイル設計計画のたて方/*当時は"進め方までは授業内容にはなくて、計画、という部分までの時代でした。")



母と母方の祖父母とは
当時の私は意見と考え方が向かず合わず


私は大人になってキッカケがない限りは出来ない分野を学びたい,そんなに縁もないだろうなと予め想定してみながら家庭科以外の分野をと、


(第一希望:音楽)(第二希望:美術)(第三希望:書道)を希望の選択クラスに決めていたので


家庭科は暮らしの中で身に付けられる部分も受けれる影響も日々の中であるからと、
その当時の私は,母に幾度も説明をしては
繰り返しの進路の話をしていました。




それと、中学3年当時の私は
高校の先生として,そういう将来の目標を
母と母方の祖父母には内緒で密かに掲げてました。

(現在の保有資格は高校の教員免許とは違うのですが、)




そんな~こんなを経ての、
その当時の高校入試の面接の時に

今は亡き恩師との面接での
やり取りの思い出のヒトコマがありまして

大人へとなった今も
その場面、その時の思い出の1つ1つが
宝物でもあり、今を歩み続けている中での
ベースの部分でもありエネルギーの源でもあります。





*(その希望クラスを選択する結果へとなった話や経緯?とまでは大げさな書き方かもしれませんが、経緯=その話しの流れの続きは、また違う記事内容の中で"思い出話し"として、お話し出来ればなぁと、そんな風に思っています。)





各教科の担当の先生がドアを開けて教室へと入ってきた時は、
クラスみんなで歓迎の大拍手に、
クラスみんなで歓迎の授業の挨拶
クラスみんなで感謝の授業後の挨拶



教室の真ん中に
みんな各々の机を寄せて椅子に座り
授業の話しを聞きながら集中。

授業に集中後、

解き放たれ自由の身になった瞬間、

そう休み時間に誰かが持ってきていた
CDの曲をクラス中に響かせながら
ワイワイ賑やかにしていた場面もあったり

教室よりも廊下の方が授業に集中出来るからと、

クラスみんなで各々の机と椅子を廊下に出して一列に並び授業を開始してもらったり

当時の教科の担当の先生の粋な提案から
校外ツアーと名付けた自分達の住んでる地域の歴史を学ぶ学習へとクラス皆で出掛けたり、

高校の三年間は,宝物のような幸せな思い出ばかりで、



その当時も今も
懐かしい思い出と聴いている曲と一緒に、


大人へとなり当時の事を振り返る時、
そういう時間に触れる中で
思い出から元気をもらい、
また頑張って,頑張れる私がいます。







あとはデスネ,
最近は過去に読んだり
視てたドラマや作品を懐かしむ場面
(社会派/理系/青春ミステリー)等々の小説、
作品、社会問題をテーマにした作品)等などを、



"ふと、"
時折ね、
作品を読んで触れたり自分なりの感想を
ガーッと用紙かノートに書いて



"あーっ、"
(今の自分自身は)
"こんな風な変化と視点で捉えているのか、ですとかデスネ、"


(こんな風な成長の中であらためて違う感想を抱き,新しく,そういう感触の引き出しが出来て増えながら、)
当時の頃と"違う自分自身の成長の変化に、"
なんとなく気が付けたり、
気付かされたり、


書いて書くという行動で得られる部分は、"
とても新鮮な発見があり、
驚きの変化と自分自身の成長との新たな出逢いもあり、

書きながら解すという
そういう流れやヒトトキと時間がもたらしてくれるモノは、
他ならぬ自分自身が感じ得られる部分であり、

宝物に似た価値あるモノの1つだと信じている私がいます。


そのくらい大きな刺激と気付きを得て学びに活かしながら、
そこから次への新たな一歩目の行動へと繋いでいける、

そんな風にも思いながら
書くという行動を信じながら出来るタイミングで
それを続けて繋げていけたらなぁーと、

まぁ、あまり根詰めない程度の感覚で、
大ざっぱくらいのタイミングとマイペースな速度で、


そんな風にも自分自身へと言い聞かせています。


聴いたあと書いたあとは、
伝記本イチページそういう感じでした。



読書や音楽タイムは、
そういう感じでした。





*コチラのお話しも
(伝記本内容ではなくて歴史上の人物等々になると思うのですが、)
いつか機会がつくれて,下書き留まりの記事内容も再度読み直してみながら、
ゆっくりマイペースにお話しの内容を書けるタイミングが出来ればなぁと、
そう思っています。










(あと何か!?
他に…あったっけな!?)




チクタク(考え中と)
:
:
チクタク(時を思い出し中)






そうそう、
"時々ね思うんです。"


(えっ!?)
("何を!?")


("何を…")


("思うの")





私自身のライフイベントで
もしも家族を持てていたならば
また違う思い出が出来ていて

知らなかった景色の場面に巡り会えていたのかなぁと?





(ほうほう!?)
(なるほど!)
:
:



話し,まとめて何が言いたいのかというと、

"何気に,"ふと"そう思う時もあったりと、"



時々、
("思う時があった事を忘れてた頃に、")

("時折…何気に思い出すんですよね。")

:
:
("まとめ"は何処へ?)

:
:
(なーに!?)
(このまま"続くのかい?")
:
:
(それなら分かった!)
(その話し聞いてみよう!)
:
:
("おっと!?"ここから始まるのじゃな?)
:
:


私自身、
結婚もしてなければ子育ても出産のイベントもなく道のりを進み歩いてきました。
その中の道のり途中には両親の介護や
両親との別れもあり、大正時代生まれの
母方の方の祖父母や,父方の方の祖父母との
別れもありました。

:
:
("ほうほう!?"そんな出来事が…。)

:
:


同じ大正時代生まれの両祖母なのですが

二人とも考え方も生き方も捉え方も
真逆の正反対なタイプの祖母二人でした。




ザックリと話すと
こんな感じの大正時代生まれの母方二人でした。


母方の祖母は"旦那さんに(男性に)従い信じて三歩下がって歩く"

昔々の,しがらみに疑いもせず従い
家族と家を必死に守り生き抜いて生きてきた,(役割という名の責任を背負う)そういう大正時代生まれの母方の祖母と、


大正時代生まれの母方の祖父母は
お見合いで結婚して
戦前と戦後も互いに一緒に乗り越えて
様々な職と並行して農家として営みながら
サトウキビと田んぼの両方をこなしていました。


そういう時代と日々と背景の中で
母達7人キョウダイを育て上げてきました。
母は7人キョウダイの末っ子でした。


戦後,栄養失調で他界した母の兄にあたる
私からすると伯父にあたる、

その伯父は戦後の最中3歳で栄養失調で
病院で他界したという話しを、
母からも祖父母からも聞いた話しの思い出が,ホンの少し記憶に残っています。


祖母は、
その時の話をする時は、
いつも同じ言葉を繰り返していました。

"戦後"戦争が終わったからといって、
今日,明日が直ぐに平和かといえば
それとは程遠くて、

先ず、食べる御飯がね、
目の前に無かったから、



歩いた距離なんて数えるようなことよりも
どこまで歩けば食べる御飯に辿りつけるかなぁとかね、

"親はね,自分自身よりも先に我が子に、
お腹いっぱい御飯を食べさせたい。"




それだけの想いでね、
自分自身は,どうなっても構わない
"我が子に食べる御飯に困らないように
安心して生きていける幸せと
自分自身の幸せを生きてほしい。"
それだけの想いで、

そう信じて看病続けてたんだけどね、


涙と,その時の祖母の言葉と
祖母を黙って見守ってた祖父の姿が
思い出に残っています。





父方の方の大正時代生まれの祖母は、
大往生で100歳少しまで元気に長生き出来た
元気いっぱいな祖母の姿しか覚えてなくて

ホントに元気いっぱいに動き回ってた
とても賑やかで弱い部分は隠して
人前や周りに気を遣わせまいと、

とにかく元気、

そういう祖母でした。



母方の祖母と違うのは
孫を分けない、という部分が違っていました。



母方の祖母は、
特に私の2つ下の弟を男の子だからという理由で可愛がっていましたし、

家の手伝いも台所の手伝いや洗濯物の手伝いをしようものなら、
べた褒めで、

"男の子なのに偉いねぇ。"
"男の子なのにお家の台所のお手伝い出来て,よく頑張りました"

"それに比べて、お姉ちゃんの方は、
勉強ばかり一生懸命で,それが将来の何の役に立つのかい?少しは弟を見習わないと、"

それが母方の祖母の口癖でした。




逆に、父方の祖母は、

"男の子だろうが,女の子だろうが、"
"家族の一員なのだから、"
"一緒に乗り越える、"

"出来る事や一生懸命になれる事があるのだから,とても素敵なことだよ。"


"それが将来の何の役にも立たなくても、
自分自身で見つけて取り組む
最後までやりとげる、
大人びた余計な計算は子供時代の今は必要ない、家の手伝いだって同じこと、
誰かが見てる前だけ手伝いを装うのではなくて、
誰も見ていなくても変わらずに手伝える部分は手伝う、それで十分だよ、"


"1人で責任を背負うことはない、"

"助けが必要なら,キチンとワケを理由を伝える、"

"男の子だ、女の子だと、"
"見て分けるのは、
同じように対等に見てあげれてないから
家族だからこそ
(ありがとう)という感謝が大事、"

"1つ出来る事が増えたら倍褒める。"

"2つ出来る事が増えたら成長を喜ぶ"

"自分自身の意思や考え持って
行動して責任を知り学び
得ていく段階で逞しく育ってくれたら、
それだけを思う。"


そんな風な感じの父方の方の大正時代生まれの祖母でした。




父方の方の祖母は、

"旦那さんの(男性の)隣,横を一緒に並んで
意見が通るとか,通らないとかは別として、

従うことなく,

先ずは目の前の場面を本当なのか?
どうなのか?違うのか?
違わないのか?
その過程や流れの中で見極めながら

疑うこと=自分の考えを持つこと、"


家族のことも,代々の家の,しがらみにも左右されずに、"

"今の家族で互いに乗り越えていければ良い"
(責任と役割と役目は"分け合えば良い")
そういう考え方の祖母でした。


昔々の代々の家の
しがらみなんて知らない。
"私は私よ。"

疑いもせず,ただ従い信じるというタイプではなかった父方の方の祖母でした。


父方の祖父が他界したあとは
病院の掃除の仕事や事務職,食堂
小学校の臨時の用務員等をしながら
父達、男性兄弟ばかり6人を
祖母は、1人で育て上げてきました。
(父は6人キョウダイの3番目でした。)



父達が成人したあとの祖母は、
老人会の旅行やカラオケやグランドゴルフを楽しんで年中賑やかに過ごしていました、


口では"平気よ"と
豪語して言葉強く並べて強がってみせていた祖母でしたが、


公民館の区長さんをしてた祖父が他界後も
祖父への想いや愛は深く、



姿隠しながら,時折,涙して
祖父の遺影の前で,何か呟きながら
ひとり過ごしてた,そういう場面に





偶然に出くわした私は,
そっと静かに声をかけずに,その場をあとにしたこともありました。





そういう思い出の場面ごとを思い出してく中で、





"もしも私自身の家族や子供がいたら、
"思い出"の中の引き出しは、
また違った"景色の"
"知らなかった景色の"

新たな思い出の引き出しが誕生していたのかもしれません。






そう素直に想うことも"ふと"あることも、
そういう時も,今の風の中で描いてた景色が,
何かの拍子と同時に,




"あっ!?そういえば…。"
"そんな風なライフイベントを夢みてた時期も,あったなぁーと、"



ふとね,浮かぶ場面もあったりしてね、



でも、まぁ…、
私自身,そういうライフイベントに縁が無かったワケなものでして、



大人へとなった今の思い出は、
"歩きながら"
"ひたすら走る景色"そういう日々が、
今の私にとっての大事な部分の要の
1つ1つでして、

"感じる部分も"
"考え方も"
"捉え方も"
"自分自身"の今を知る触れることが出来る日々や場面ごとに味わうイロイロなコトやモノや,
目の前に感動を学びながら得られる喜びや,その得られるまでの道のりの過程から
"頑張れる"という自分自身だけが知る、
その物語を進みながら










あとはデスネ、(考え中…。)




:
:

"結び"に辿りつけず、
"結ばれないままの今回の記事内容、"


また次回の記事で。
それでは、この辺で。






記事を読んでいただきまして、
どうもありがとうございます。



美味しい御飯のヒトトキ
寛げるヒトトキ
素敵なヒトトキを。

御天気模様もイロイロですが、
体調にと気をつけてくださいね。
明日も素敵な優しい良い1日を。