あなたの脳のはなし | ささやかだけれど、役に立つこと

ささやかだけれど、役に立つこと

読書、映画、時事ニュース等に関して感じたことをメモしています。忘れっぽいので、1年後にはきっと驚きをもって自分のブログを読めるはず。

 

率直に言って以前読んだ同じ著者の本「あなたの知らない脳──意識は傍観者である」の方が数段面白かったと思う。

 

本著はそもそもテレビ番組を下敷きにしていることから、各テーマの議論が深まり面白くなってくる前に次のテーマに移らざるを得ず、また各テーマで行われる議論が焦点を結ぶようなメタ・テーマもないため、全体として散漫とした印象を与ているように思われる。

 

個人的には第6章「私たちはなにものになるのか?」の前半が最も興味深かった。たとえば人工内耳や人工網膜等では、デバイスが伝える刺激が本来の正常な感覚器官が脳に伝えていた情報と同じである必要がない。脳にとっては全く未知のノイズのような刺激を与えたとしても、脳は刺激のパターンを解析しフィードバックされた情報との照合を経由して刺激から情報を抽出することができる。

 

以前、米軍に属する研究所が失明した負傷兵の脳に電極を刺して視力の回復を図る、という番組を見たことがあり、脳にとってはある意味デタラメな電気的刺激を脳に与えてなぜ見られるようになるのか全く理解できなかったが、本著では正にその点が議論されていた。脳は刺激が与えられ、その刺激に関するフィードバックが得られれば、それが意味するものを自発的に解釈できるようになるのだ。

 

他には、情報とそれを取得する感覚器官の対応関係は必ずしも一意に決まっているわけではない、という点が興味深かった。通常は眼球から得られた可視光線に関する刺激を視覚情報として処理しているが、カメラで捉えた情報を味覚・触覚・聴覚器官等を経由して脳に伝えても人はある意味目が見えるようになる(感覚代行)。

 

今見えているように見えないなら、それは見えているとは云えない、と考える人がいるかもしれないが、今見えているこの見え方もまた数ある見え方のうちの1つに過ぎず、何か絶対的な必然性があるわけではない。結局、脳は光の波長と振幅に関する情報が得られれば良いわけで、それがどのような経路で取得されているかは重要ではないのだ。