HEAVY METAL CAFE 

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HR/HMを中心に、メロディの美しい音楽について語らせていただきます♪
映画にもハマっております。

…実は、その他なんでもありだったりして…

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Vista/138分

監督:ダーレン・アロノフスキー
出演:ラッセル・クロウ、ジェニファー・コネリー、レイ・ウィンストン、エマ・ワトソン、アンソニー・ホプキンス、ローガン・ラーマン、ダグラス・ブース

ノアがある夜に見た夢は、堕落した人間を滅ぼすために、すべてを地上から消し去り、新たな世界を創るという神の宣告だった。
大洪水が来ると知ったノアは家族と共に、罪のない動物たちを守る箱舟を作り始める。
やがて大洪水が始まる。空は暗転し激しい雨が降り注ぎ、地上の水門が開き水柱が立ち上がる。
濁流が地上を覆う中、ノアの家族と動物たちを乗せた箱舟だけが流されていく。閉ざされた箱舟の中で、ノアは神に託された驚くべき使命を打ち明ける。
(TOHOシネマズHPより)

思ったほどの感動も壮快感もなし。
大洪水の場面はそれなりに迫力あるが、期待以上の驚きはない。
ただただ神託に従い、使命を果たそうとするノアに共感もできず。自分たちも滅びる覚悟なら舟に乗る必然性が低い。

映画独自の設定なのだろうが、舟は『番人』たちが作ってくれたのが意外。その『番人』の造型とキャラクターが微笑ましく、本作の最高の見所。

聖書でそこのところどうなってるのか知らないが、その後双子の孫娘は誰の子どもを産み、子孫を成すのだろう。

72点。
フリーパス使用。
本作4回目の鑑賞。

4回目でも作品にアラは見えず。

一週間ほど前に、MBSラジオ「ありがとう浜村淳です」中でリスナーの『青天の霹靂を観てきました』の投稿に答えて浜村さんが『よく出来てました…初めての監督作品にしては。』『ただ、若い頃の両親に出会う、というアイディアは「異人たちとの夏」という作品が以前にありまして』『それに主演した風間杜夫さんは本作でも…』(大意)などと、さらっと流しておいでだった。

浜村さんが高く評価しなかったのは残念だが、確かに冷静に見れば晴夫は余りにも甘ったれで、なぜそこまで人生に絶望していたのかがイマイチ弱いとは思う。
『アラ』というほどでもないとは思うが設定上、晴夫の弱さを嫌悪する人もいるだろう。

それに入れ込む私は余りにも『病んでいる』という事だ。
Vista/104分

監督:落合賢
プロデューサー:コウ・モリ, 大野裕之, 佐野昇平
協力プロデューサー:浜野高宏
制作プロデューサー:増田悟司
プロダクション統括:竹村寧人
ラインプロデューサー:森洋亮
脚本:大野裕之
撮影:クリス・フライリク
美術:吉田孝
照明:山中秋男
録音:林基継
編集:洲崎千恵子
音楽:戸田信子, 陣内一真
助監督:中川裕介
監督助手:中野広之
殺陣:清家三彦

出演:福本清三, 山本千尋, 本田博太郎, 合田雅吏, 萬田久子
劇中劇の殺陣は迫力満点。
ヒロインも魅力十分。
ストーリーにも引き込まれて十分楽しめた。

だが…福本清三という日本映画の功労者を称えるための映画だという『いわく』は拭えない。

福本は斬られ役一筋という括りだけでなく魅力的な役者だ。
だが、チャップリンの『ライムライト』と比べるまでもなく、恋愛要素を求めるのは酷。華はあれども、容貌が『老人』だ。ストーリーも何らそういった寄せかたをしない。

終盤、プロデューサーたちが突如として福本の味方につくのも良く分からない。

ラスト、劇中劇で終わっていいの?
斬新だがカタルシスは弱い。

82点。
学問は満足しようとしない。しかし経験は満足しようとする。
これが経験の危険である。 谷川徹三 (哲学者)


真の知恵とは、自分の無知を知る事である。 ソクラテス (哲学者)


人は自分がどんなに幸福か知らないから、不幸なのである。 フョードル・ドストエフスキー (小説家、思想家)
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映画『青天の霹靂』の原作小説。

本日映画を3回目の鑑賞。その後、途中まで読んでいたのを読了した。

映画がいかに無駄を削ぎ落とし、素晴らしい親子のドラマを作り上げたか、改めて思う。

もっとも違うのは、父親・正太郎のキャラクターだ。
映画では、ろくでなしだが笑いも取れる一人前の手品師で少々ヤンチャな性格として描かれるが、原作小説のイメージで浮かぶのは例えばウド鈴木だ。
優しい以外なんの取り柄もなく、ただ愚直なだけ。むしろどこかちょっと『足りない』んじゃないか、と思わせる。

映画を観た後で読まないほうが良かったかもしれない。
いや、余りにも映画(脚本)の出来が素晴らし過ぎるのだ。


本日、TOHOシネマズ1ヶ月フリーパスを取得。

本作は今日で3回めの鑑賞になる。

2回目の鑑賞後に原作小説を読んだ(3/4ほどまで)せいで知ってしまった、映画では描かれていない部分や映画とは違う設定などが少し鑑賞の邪魔をする。
特に、原作では父親の正太郎がいかに優しく甘過ぎるダメな父親かと子どもの視点から描写されるのだが、映画の世界では全く触れられない。もしくは設定自体を変えた。これは少し残念でもあるのだが。

そして3回目で初めて気付いた小ネタ。冒頭で父親の小屋で見つける写真の入った缶箱。これは若い頃の夫婦の部屋にあり、入院中には母親が編物をするのに手元に置いていたものだ。

それにしても、病室での晴夫と母親・悦子のやり取りの場面は何度観ても素晴らしい。
多分、ここで悦子は自分の運命を悟ったと思うのだが、目の前にいるペペが自分の子どもの成長した姿だと気付いたかどうかは…。
私は『気づいていない』解釈をとる。
気付いたなら、自分のお腹を触らせるよりも、もっと違う行動を取ると思うのだ。
悦子の「大好きよ。…あ、蹴った…聞こえたの?」とお腹の赤ちゃんに向かって言う優しい言葉に、晴夫が嗚咽をこらえながらそっと呟く「…聞こえました…」は泣ける。

本作は生涯のベスト映画だ。
ただし、晴夫に自己投影をし過ぎ、のめり込んでしまった感じは否めない。


Inside Llewyn Davis
Vista/105分

監督:ジョエル・コーエン/イーサン・コーエン
出演:オスカー・アイザック/キャリー・マリガン/ジョン・グッドマン/ギャレット・ヘドランド/F・マーレイ・エイブラハム/ジャスティン・ティンバーレイク


アカデミー賞監督コーエン兄弟の最新作は、ボブ・ディランが憧れた伝説のフォーク・シンガー、デイヴ・ヴァン・ロンクの回想録をベースに兄弟が脚色。カンヌ国際映画祭において見事グランプリを受賞しコーエン兄弟の健在ぶりを世界に知らしめた。 
 物語の舞台は1961年、NYのグリニッジ・ヴィレッジ。ライブハウスで歌うフォーク・シンガーのルーウェン・デイヴィスは、最近何をやっても裏目に出てばかりだった。レコードはまったく売れず、一文無しで知り合いの家を泊まり歩く日々。つい手を出した女友達からは妊娠したことを告げられ、おまけに仕方なく預かるはめになった猫にも振り回される始末。そんなトラブル続きの日常から逃げ出すように、ルーウィンはギターと猫を抱えて人生を見つめ直す旅に出る…。
 ルーウィン・デイヴィスのモデルになったのは、1960年代グリニッジ・ヴィレッジのフォーク・シーンの中心的人物だったフォーク・シンガー、デイヴ・ヴァン・ロンク。ボブ・ディランとも交流があり彼が憧れたというヴァン・ロンクの回想録にインスパイアされコーエン兄弟はこの物語を作り出した。映画の舞台となる1961年のNYではフォーク・ミュージックが流行、多くの若者たちがコーヒーハウスと呼ばれたライブハウスでフォーク・シンガーの歌に耳を傾けていた。ルーウィンもそんなフォーク・シンガーの一人。ルーウィン・デイヴィスを演じるのは、映画初主演となる本作で一躍脚光を浴びたオスカー・アイザック。今回、劇中のライブ・シーンをすべて吹き替えなしの生の録音で挑み、観る者の心を揺さぶる見事なギター・プレイと歌声を披露している。(公式HPより)


想定外の猫の活躍ぶりにニンマリ…肝心の本筋は少々退屈。コーエン兄弟の演出が好みではないのだろう。いつもストーリーや設定は骨太で好ましいのに、鑑賞後は首を傾げさせられる。なぜもっと素直に観せないの?

ラストの曲は特にメロディも歌唱も良かった。

74点。
今年に入ってから飲食店に入る機会が増えて、以前から気になっていた小さな違和感が大きくなってきた。

従業員が接客の際に使う言葉、『大丈夫ですか?』というものだ。
まず普通に『大丈夫ですか』を使う場面を想像してみよう。

1、倒れている人、怪我人などを介抱する

2、苦しそうにしている人を気遣う

3、激しく泣くなど取り乱している人を気遣う

…どれも尋常ではない事態だ。

だが最近、飲食店などで使われる例を挙げてみると…。

1、水割りで大丈夫ですか

2、(お冷や)おかわり大丈夫ですか

3、お得なセットもございますが単品で大丈夫ですか

……改めて挙げてみて愕然としたが、どれも『よろしいですか』できちんと言える状況ばかりだ。

直接関係ないが実は平成3年頃、『大丈夫』を多用する人物に出会った事がある。
出稼ぎに日本に来ていた中国人の中年男性だ。
何かにつけて『ダイジョブ』と返事をする彼は明らかにややこしい日本語の会話を避けていた。

最近の接客業の従業員がなぜ『大丈夫ですか』を多用するのかは分からない。

もうすっかり定着した感もある変な丁寧語の『~していただいてよろしいですか』みたいな耳当りの良さも無いし、敬語でも丁寧語でも無いのだ。

職場の上司は気づかないのか、それとも最近はそんな些末な事を口うるさく注意してはいけないのか…。

食事に誘った相手が『大丈夫』と断ってくる。これも何だかね。

いずれにせよ、新しい日本語用法の誕生だ。
魔法の言葉『大丈夫』

…私は嫌いだ。
午前十時の映画祭
スタンダードサイズ/モノクロ/110分

監督:川島雄三
脚本:田中啓一/川島雄三/今村昌平
製作:山本武
ナレーター:加藤武

出演:フランキー堺/左幸子/南田洋子/石原裕次郎

音楽:黛敏郎
撮影:高村倉太郎
編集:中村正
公開: 1957年7月14日

落語『居残り佐平次』から主人公を拝借し、『品川心中』『三枚起請』『お見立て』などを随所に散りばめ、その落語世界を幕末の志士たちが駆け抜ける特異な世界を作り上げている。会社の看板スターを脇役扱いにしたことや、幻となったラストシーンなど逸話も多く、50年前の時代劇映画であるにもかかわらず年代を問わず観客の支持を得る。
日本映画史上、屈指の名作とのことだが、私にはその良さが分からない。

岡田真澄がJOYそっくりだったり、ちょんまげ姿の石原裕次郎が大根臭かったり…南田洋子はやはり美人だったり…。

映像にノイズは皆無。なぜか皆さん早口で台詞が聞き取りにくい。ところどころ字幕がほしいと思ったほど。

72点。
6/1(日曜)に私は公休。Oの吉方行脚(?)もその日イケるとのこと。
ならば、と勢いで私も6/2(月曜)に早目の夏休みを挿入。
6/3(火曜)と繋いで三連休を設定。

6/1(日曜)はダービー。一度は京都競馬場に二人で行ってみるか、画策。

競馬場の入場券をくれた呑龍さんに寄ってビール、餃子、唐揚げ、焼きそば。Oは明け方まで呑んでたので烏龍茶。後から冷麺を追加。

京都競馬場。
暑い。広大な敷地なので照り返しが強烈。
後にこれが祟り、Oは軽い熱中症に。

競馬を堪能。
東京12R出走直前に競馬場を後にする。

二条駅からウチに寄り、自転車を引いて四条大宮へ。ホテルでチェックインを済ませOはシャワー。

四条大宮でIさんと合流。

Iさんが予約しておいてくれた店は寿司店の床席。

料理も寿司も美味いが鮎の塩焼はイマイチ。身に味がない。
接客にも難。愛想はいいんだが。
席の配置も詰めすぎ。給仕しにくい。


次。
前回からOが惹かれてる串揚げ店はまたも満席。
次の店がなかなか決まらずしばし徘徊。
喉の渇きに耐えきれず、バーへ。
値段が高そうでびくびくしながら呑んだが、会計してみれば思ったより安い。
席料が付いてるようなのでじっくり呑めば割安だろう、との結論。


次はお目当ての串揚げ店になんとか潜り込み成功。想像以上に店内は狭いが、味も接客も良い。Oの嗅覚はやはり凄い。

四条大宮へタクシーで戻る。二人を降ろし解散。
今回は私だけ三条までタクシー。やはり四条大宮から家まで歩くのはキツい。


さて、翌日…。
Oを連れて映画『青天の霹靂』鑑賞。
私にはこれが今回の目玉だったのだ。
一回めより泣けた。声を殺して泣くのが大変。
Oも泣いてくれたようで良かった。

京都駅へ。

たかばし『新福菜館』で昼食。
ラーメンにヤキメシ、朝鮮漬(!)。
私にとって26年越しにやっと食べた京都ラーメンの老舗中の老舗。
Oも私もそれなりに納得。
少加水の太麺に真っ黒なスープ。悪く言えば下品だがインパクト強。

地下街の喫茶店で休憩。Oがしんどそうだ。悪いことをした。

想定より早目の14時過ぎの電車でOは離京。

ではまた。
今回もありがとう。楽しかった。