An Ulterior Weblog -14ページ目

An Ulterior Weblog

更新は全く不定期です。広告は勝手に付き、外す費用も馬鹿らしく、アメーバからも一切頂いておりません(コメント・読者登録もアフィリエイト狙い多く、受けておりません。ご容赦下さい)
Read-only, not set communicative and periodical updating, sorry.

戦前、大学と言えばほぼ帝国大学のことである。


敗戦により外れた台湾の台北帝国大学やソウルの京城帝国大学を除き、よく旧七帝大と呼ばれるのが北海道から九州の7つの帝国大学である。

ところが、終戦を迎えていなければ確実に帝国大学に昇格することが決まっていた第八番目の大学がある。広島大学である。広島大学は以前の市街域から郊外の筑波を抜いて日本一広大なキャンパスに移転している。たしか北大の倍ほどではなかったかと思う。北大は東大の倍の広さと言われる。いかに広いかがわかる。(ここでの広さは複数キャンパスの合計で演習林や保養地などは除いた数値での話。調べると九大が広島大以上のキャンパスを新設。正確にはわからないが、今は九大が一番だろう。演習林などを入れるともう桁はずれで北大の独壇場。日本の国土の1/570だそうだ。広大な敷地確保できるところが旧帝大の威光か)

8番目(戦前では10番目)の帝国大学としては岡山とか金沢も対象だったような話もあるが、計画としては中国の旅順が10番目で11番目に広島ということになっていたと言われる。大学時代に大学内で聞いた話であり、帝国の審議会でどうなっていたかまではわからない。

なお、検討段階だったようであるが、徳島大学が四国での帝国大学昇格の上申がされていたように記憶しているが、それは本当かどうかはわからない。(ノーベル賞が出たので予算確保しやすくなったと思われるが、受賞者の人間性にちと問題が。。。)


帝大昇格が迫っていた広島大であるが、戦後、その勢いは長くは続かなかったようだ。例えば、理学専門では京大の基礎物理学研究所と数理解析研究所を除くと唯一、独立した研究所の理論物理学研究所を持っていて、理論物理のサブリーダー的役割をしていた。それも1990年に基礎物理学研究所に吸収されている。敷地は拡大したが、中身の方はどうか、というのが学会関係者の意見ではないだろうか。


大学の格は世間的には偏差値かもしれないが、実態は別で国やほかからの研究予算規模とその質で見られるべきものだ。予算では東大がトップで、次に京大となるが、このあとは旧帝大は大体同じで、偏差値的には高い大学(例えば神戸大)はより下の格付けでしかもらえていない。旧八帝大のはずだった広島も残念ながらその威光はなく、下の格付けでの予算である。

特に独立行政法人化となってから各大学は研究予算確保に大変で、旧帝大はまだいいものの、東工大とかの単科大学はなかなか厳しく、学長人事の問題にまで発展してしまっている。

以前に総合大学がいいと書いたのにはこういう背景がある。それでもその予算は多いとは言えない。東大でも特別プロジェクトは別にした個々の研究予算はまあ何とか質は落とさずにやっていけるレベルといったところだろうが、ほかの大学の研究室からすれば羨ましい限りだろう。

(今後の大学の計画についてはスーパーグローバル大学制度を参照。各大学の計画書を見ることができる:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%BC%E3%83%91%E3%83%BC%E3%82%B0%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%AB%E5%A4%A7%E5%AD%A6



おそらく、東大、京大による偏差値序列を受験生と親は見ていると思う。特に受験生やすでに入っている学生は身びいきで旧帝国大がいいとかいや偏差値の高い専門大学の方がいいとかいろいろ言っている。

これに対する答えは簡単だ。偏差値基準を知名度として威張りたいなら、その通りに自分の位置を確認して入れる大学を選び、卒業後もそれをひけらかせばいいし(偏差値人生)、やりたいことがはっきりしていればそれに適した研究室のある大学に行けばいい。つまり教授陣を見て選ぶ。ネットを使えばそれほど難しくない。論文などもある程度たどれる(有料の場合あり)。


今は世界的な大学ランキングもわかるようになってきている。それを見れば日本の偏差値ランキングが必ずしも対応していないことがわかるだろう。それと同時にやはり旧帝大のような総合大学が上位に来ていることからも、総合大学の強みであることがわかる。総じて学問の力をつけたいなら総合大学がいい。専門に拘るなら大学院で選べばいいだけの話。


そこでそれらの卒業生が転がっているわが職場の状態を見ると、偏差値どおりでも世界ランキングでもない。

東大は意外にダメ。役に立たない人物が多い。感覚的に半分。さすが官僚養成大学と言われるだけのことはあって口先だけの者が少なくない。幹部はその典型だ。その分野の博士号をもっているのに役に立たないのもいた。東大は学問をちゃんとしていない人、自分で切り開けない人が多い。昔からも言われているが、どうも受験体制万全で自力というよりエスカレーターに乗って成績を確保してきた人間が多く、大学までで伸びきってしまっているのではないかと思われる(最近は財務省が採用で有名進学高校卒を敢えて避けているような話も聞く)。地方の田舎から出てきている人間が勇躍の可能性が高い感じだ。人の成果をそのまま自分のものにするのも東大が多い。どこの世界も一番で威張っている奴にろくな奴はいないということだろう。コンスタントに実力があるのは京大。さすがに東大とは対照的な学問の大学だ。ノーベル賞が多いのも頷ける。ただ、変人ぽいことが多い。京大出身者の平均像は存在しない。皆ばらばらというか普通というものがない。


その他の旧帝大も総じて学問的には悪くない。北大や東北大は北国のせいか真面目な者が多い(日本の最初の大学は東北帝大の分校から始まった札幌農学校。クラーク博士教頭の下、「学位」というのを初めてきちんと授与した。新渡戸稲造は農学校から東大に進むが学問のレベルの低さに退学し米国へ留学している)。その反面、覇気に欠ける。凡庸かもしれない。結果あまり目立たず、アピール下手。幹部にはあまりなっていない。東工大は単科大学で優秀なのだが(各分野での活躍者多い)、非常にマニアックで幅がないことが多い。その点では右に出るものはいない気がする。大学院では私大から移って来るのが多いこともこのマニアック性上昇の一因かも知れない。それでも、いわゆる理工系の会社において使える人材を一番提供するのはたぶん東工大だろう。ビジネス側からの世界ランキングでも日本のトップだった。東大の役立たずは一杯いたし、酷いのは大体、東大だが、東工大の役立たずは見たことがない。愚かな元首相ぐらいだ。


あとは地域性か。阪大は関西人が多いから灰汁が強いし、絶対他の地域の人たちのペースに協調しない。自分のペースで都合いいように押し通していく。それが職場に留まらず、居酒屋やスナックでも全開である。九大はほとんどが九州人で上昇志向が強い。特に中央での成功。関西とかは意外に向いていない。中央目指して我武者羅に働く。関西人の次に灰汁が強い感じ。

慶応はぼんぼんで真面目の感じだが、学閥が強い感じで地方ではあまり活躍できないかもしれない。早稲田は京大といい勝負の実力主義のはちゃめちゃさがある。理工系については概して真面目ではある。どちらも旧帝大に比べるとやや学問の力が弱い。大学というより大学院の自力の違いが出ている気がする。その点、地方でも国立大の方が大学院の自力が安定して高い感じがするし、実際に旧帝大との実力差がそれほどあるわけでもない。高専ではなかなか上には上がれないが、それでも優秀な人は上がる。ただし、国立の院卒と比べると技術知見の差は大きい感じはする。


これら以外の大学はどうか。大方、偏差値どおりと考えていい。文系で偏差値の割に就職に強いのに一橋とか神戸が上がるが、もっとお得は小樽商大とか、偏差値の割に就職がよくないICUとかいろいろ聞くが、概して偏差値通りでそれで各大学の特色を知り、やりたいこと、卒業後はどうするつもりなのかを考えて選ぶことになろう。さあ、合否の差が付く夏本番が間近である。受験生はなお一層奮闘努力せよ。


さて、受験生のキミ、受験生のお父さんお母さん、どこの大学を選びますか?



名大が出てないとお怒りの方もあろう。名古屋の人は目立たず実を取るといわれるが(悪く言えばせこい)、どうもそうらしく目立たない。人も少ないので、特徴がまったくわからないのである。猫のようにみゃーみゃー言っていないのだけは確かである。受験の世界では栄誉ある旧帝大だが、産業界ではトヨタ大学との認識が強いように思う。


※※

筑波大は大学紛争を反例として、以前の文部省がその威信にかけて自治を解体し管理下において戦後の新構想総合大学として旧帝大に対抗する形で創設されたと言われているが(筑波を成功させて教育行政における旧帝大系の発言力を殺ぐのが目的)、残念ながらそう簡単には行っていないようである。管理の強さが問題だったのかどうかはわからないが、当初は広大な敷地に殺風景な建物ばかりで自殺者が多かったとも聞いた。東京教育大を前身としているが、朝永振一郎が学長をしていた頃の面影は当初から無く、全く別の大学と聞いている。最近の新人の実力を見ると良い方である。


※※※

旧帝大ではないが、その流れに食い込み、偏差値の高い神戸大であるが、大学および大学院入試でTOEICを指標採用しているようで、この大学の質の程度が知れてしまう。たしか教授会か何かで入試を全面的にTOEICに変更してはどうかとかいう話もあったと聞く。入試問題作成は大変ではあるが、だからと言ってそれを外に丸投げでは大学の名が泣く。よくこんな話が出るものだと教授陣の頭の中身を疑う(せっかくノーベル賞を獲得したというのに)。言語というもの、言語習得ということがどういうことか全く理解していない証拠だ。もし、その意味がわからないならTOEICの対策ばかりをしてきた高得点者に高度と言われる英文を読ませたり、適当な題で英文を書かせればわかるだろう。京大や慶応あたりの入試問題をやらせてみればわかるはずだ。


現代は少なくとも理系では大学院が標準になってきている。専門的な分野では大卒ではほとんど使い物にならない。大学院を見ると結構動きがあるし、大学は地元の近いところで費用を抑え、大学院でいいところに行くことを考えていいと思う。入試程度で偏差値でひいこら言わされて苦労せずに、大学で自分の適性にあった研究内容をみつけて、院試でがっちりと勉強して狙った研究のできるところに行った方がずっとよい。すでにそういう時代になっている。そのよい例がノーベル賞を受賞した大村氏や梶田氏だ。

直前の投稿で街並みに触れたので関連した話を。


欧州を仕事なり観光で回ったことのある人ならわかると思うが、どこの国でも多くの人が昔からの古そうな建物に住んでいることに驚かれると思う。日本のように新しいが薄っぺらい家とは違って重厚感がある。

特に日本の「マンション」のような無機質的な建物は少ないし(たくさん見たければロシアがいい)、あっても雰囲気のある旧市街などからは離れたところに造られるのが普通だ。


オーストリアのインスブルックからイタリア目指してブレンナー峠を越える列車に乗ると、中央駅を出て市街の端に近いところ(今は市域が広がり飲み込まれているが)に古都インスブルックらしくない建物がいくつも見えてくる。それが、日本などではよく見かけるマンションと呼ばれるようなアパート群である。

欧州をめぐると、またどこの町でも旧市街をめぐると、この建物は異様に映る。新しく綺麗は綺麗だが、無機質的過ぎて街並みにそぐわない。


それが、1976年、札幌に次いで開かれた冬のオリンピックの選手村だと気がつくのには時間がかからなかった。五輪からだいぶ経っていて、家賃としては安目で提供されているようだった。つまり、多くの人はこの無機質な建物には好んでは住みたがらないようである。日本ではちょっと考えられないだろう。地方とはいいながら中核都市、日本で言えば政令指定都市に匹敵するインスブルックでこうなのである。


さて、その初見で違和感を覚えた選手村はどうなっているかというと、現在は大改修でパッシブアパートとして再生しているようだ。

http://blog.livedoor.jp/morinokazekobo/archives/23018710.html

パッシブでエネルギーコストはかからないのはいいが、やはりこのあまりに無機質なアパート群の中で暮す気は私は起きない。(チロル地方らしい家は前後の記事にある)

なので、夜景は綺麗かもしれないが、東京とかのタワーマンションにも住みたいと思ったこともない。セキュリティチェックで出入りが厳しく高いエレベーターを通じて隔離された空中空間はまるで感染防止のための特別病室のようだ。それを特権的愉悦とみるかどうかは人によるだろう。いくつも家を持てる人は一つの休憩所としてるかもしれない。あるいは城主が天守閣から城下町を見るように、下々の庶民が住む下界を見下ろすことを喜びとするのかもしれない。


故郷にタワーマンションが建つことはないが、アパートはあり、上のURLのような感じだ。これでは他との差別化なんかできはしない。

旧市街の雰囲気の良さの後にあれを見たときには急激にインスブルックの印象が悪くなってしまった。以後、また行きたいという気が起きたことがない。五輪という特別の状況でできた建物ではあるのだが。。。

とあるブログがあるとき目に止まった。私のいい加減なブログと違い、対象と話題からみても人気があるのがわかる。特に女性に。主も女性で同じ小さな町の出身だった。


故郷の町にはサイトがあり意見箱がある。中央依存でない町の再生はどうしたら実現できるかというのは多くの自治体が抱えている問題だ。私はこれには最終的には第一次産業の現代化によって、現就業者による継続と若者の取り込み以外には無いと思っている(日本は世界的に農林水産資源が豊かな国)。仕事がないことには人が残れない。といって旧来のやり方では若者は残ろうとしないし、結婚問題ほかでできないことも多い。

これに限らず、現実的なものからハードルの高いものまでいろいろと意見を送った。担当者は面倒なことだろうとも思ったが、相当に危機感があるのか、これまでの意見に対して無反応だったのが一転、かなり真剣な返信が届いている。一部は関係先に投げかけられているという。


町に働き場所がないので役場には若い人が多い。町が少しは動き始めれば希望が湧く。

そんな折に、同じ故郷出身者で会社を経営し、有名大学と共同研究をしている人がいることを知った。その人とは家族とひょんな関係があることがわかり、そこで接触を持ってみた。いろいろその方も試行錯誤で地方を元気にしたいと考えておられるが、会社経営の方を優先しなければならないので限界もある。なかなか互いにこれといった妙案がないというのがわかっただけだった。


その経営者にしても私にしても男である。女性の視点はない。そこで思い切って最初に触れたブログ主の女性に女性の観点から何か再生の案を投げかけて頂けないかと連絡した。

けんもほろろだった。


女性はフリーで仕事をしている。つまり基本的に安定していない。ご主人の仕事についてはわからない。現在は東京在住だ。都内で生活をするためには金がかかる。といってフリーとなると都心から遠く離れては難しい面があるだろう。そういう仕事は人に当っていって獲得するしかいいネタは得られない。ネット社会だからと遠くに構えていてお零れが来るなんてことはない。

だから、状況は十分に理解できる。しかし、ネタ繋ぎか何か知らないが、故郷の話をずいぶんとブログにあげているので、郷土への思いがあるのかと思ったら、先の経営者とは全く異なっていた。


彼女が言うには、産業は消え、名物も名所も何もない。地元は田舎で人はいいかもしれないが、提案には耳を貸さない。東京と比べたら閉鎖的だ。町を出た母親も同じ意見だという。そして、知合いがいるわけでもない役場に自分が提案しなければならない理由は無い旨を告げ、お役に立てないと断られたのだった。


正直に言えば、故郷を都合のいいブログネタにしてるだけかと思った。少しは還元したらどうかとも思った。名物は少ないだろう。しかし、名所は少ないとは私は思っていない。潜在的なところはある。事実、メジャー嫌いな人のブログに上がっているものもある。単に地元のことをよく知らず、郷土愛もないだけの話だろう。自分が住んでいた場所を更地にされている以上、気持ちはわかるのだが。。。


東京のど真ん中や各地の大きな都市で暮らしていたことがある身として言わせてもらえば、東京など大都市が開放的だと特別思えたことなどない。人の出入りが激しくて無関心にならざるを得ないか(煩わしさは少ないがまとめることは容易でないし、疎外感や虚無感に陥りやすい)、逆に田舎とは比べ物にならないくらい、アパート(マンション含む)住人間の意地の張り合いや見栄がある。一度ギスギスすると手の付けようがない。まあまあ、なんてのが通用しない。下町の年配者などは頑固一徹だし、一体、どこをみれば開放的だろうか。東京の下町と活気ある故郷の昔の雰囲気には大きな差を感じない。

(東京も行政的には一地方に過ぎない。東京が特別なのは関東という日本一広い平野と東京湾という大きな内海を持って物流と人口の集中が可能な絶好の場所で、かつ4千万以上の連続した居住空間を与えている世界一の巨大人口地域でそれを背景に変てこで非生産的な人間たちが多少はいても受け入れられる人口余力を持っているという、その薄皮部分である。この薄皮部分の文化は今や世界的ではあるが、それが主たる国力としての原動力になりえているかどうかはやや疑問に思う。日本が文化輸出で国力を引っ張ったことは歴史上ないからである。あくまで付随物)


東京や大都市は開発がいろいろ進むから開放的な印象は受けるがそこに住む人は単にそれを受け入れているかそうせざるを得ないだけの話で特別開放的でもないし、田舎とさして変わるものでもない。事実、限界集落的社会問題は都内でも生じていて話題にもなっている。開放的であれば、変革によって避けることができるものが少なくないにも関わらずだ。

都会に住んでから積極的になったとか建設的な意見を述べるように人が変わったなんて話は聞いたことがない。仕事が無くて抑鬱的だったとか何かの事情で村八分にでもされていたなら別だが。逆もそうで、故郷に東京とか大阪など大都市から人が来ても、大体、周囲を田舎者として馬鹿にするしか能がないか、溶け込めずにどこかに消えるというようなことが多い。普通の人は普通に溶け込んで行った。田舎者だからかもしれないが、父などは故郷に移り住んで半世紀を越えた程度だが、別に余所者扱いなどされたことなどないし(本人に確認)、私もされたことはない。ほかの町に一時期いたときも同じだった。されていたのはいつまでも前の土地の意識を引き摺っている人たちばかりだ。

提案を受け入れないという傾向はたしかにあるが、それは田舎と都会というより、高齢者かどうかの話で、年齢構成を無視して比べても意味がない。

庶民はまだいい。政治、各業界、いくつもの構造を都会では成してしるが、その世界の層だけみればそれほど広い世界ではなく、ある意味身内で回っているようなものである。その世界があまりにあるので、多様に見えて開放的に映るのかもしれないが、実は狭い。それに各世界ともに、東京で決めたことはすべて全国に通用すると思いこんでもいる。


むしろ、こういう型に嵌った思考回路こそ閉鎖的だ。町の活性化と言えば名物だ名所だとしか浮かばないところも閉塞的だ(先の経営者とのやり取りではどちらからもこの手の話題は出ていない)。この思考回路が故郷から一緒に持って出て行った代物かどうかは全くわからない。

私などはここまで人が減ったのだ、更地も多い。なら綺麗さっぱりにして以前とは違う町づくりに逆に打って出る絶好の機会ではないかと思っているし、そう役場には意見してある。

記憶ある街並みが消えてしまうのは悲しいが、もう完全に変わる覚悟がないと再生などという言葉を軽々しくは言えないのが地方再生だろうと思う。棚から牡丹餅などない。



※日本の農業生産量については以下。あの広大なロシアより上である。

http://ameblo.jp/orange54321/entry-11870660328.html

世界的に著名な歌手エルトン・ジョンが11月に来日する。8年ぶり。聞くところでは日本嫌いらしい。

日本でのセールスは決して悪くないはずだが、なぜか日本には滅多に来ない。お友達のビリー・ジョエルはよく来るというのに(来日のうち、クラプトンとノップラー、ジョエルとのを除く単独来日はやはり少ない)。日本であまりやらないので、なお認知度は高くないのではないかと思う。どちらかといえば、ゲイとしての行動の方で知っている人の方が多いかもしれない。


東京止まりでそこから北には全然進出したことがない。福岡、広島、京都、名古屋はやっている。特に意外に福岡で3度もやっている。しかし、地続きの新潟、仙台がないし、北日本最大の札幌さえない。

私は1回だけ見に行ったことがある。わざわざ遠出して東京ドームだが、音響がやはり悪いのでもう二度と大きな会場でのコンサートは行きたくないと思った。


今回も大阪と横浜だそうで、案の定だ。


エルトン・ジョンの曲の魅力もさることながら、バーニー・トーピンのちょっと不思議な詩が気に入っている。逆にビートルズやポール・マッカートニーは世代の違いというのを除いてもどうしても馴染めない。


会場は大阪城ホールと横浜アリーナ。

もうエルトン・ジョンを生で見ることは一生なさそうだ。


Hey, Elton! Why don't you come to Japan with your band? Why do you always sing in only a few big halls and stadiums?

You should sing your songs in more appropriate size music halls and make concert plans in Hokkaido and Tohoku, in special Sendai to encourage the people still being overwhelmed with the tsunami disaster in 2011.

Gaga, your close friend, has come sometimes after that, but you haven't.

I don't wanna go on with you like that. Ain't that so?

何度も触れてきた我が故郷はさびしくなる一方だ。

毎年、帰省はしていても、ごく家の周りだけで出歩かないか、車で遠くへ観光するかでほとんど街中を歩いていなかった。母の葬儀の関係であちこち用事で動き回っている中で、その寂れ具合は危機的な状況になっていることを実感した。


10年前の記憶からしても寂れ方が加速している。JRに乗っても以前は人のいないボックス席はなかったのに、今では空いている。ざっと半分になった感じだ。長距離バスの方も以前は座れるかどうかだったのが今は横に荷物を置いていても困らないぐらいだ。


町で景気がいいのは、病院、薬局、お寺、葬儀屋、花屋、酒屋、写真屋、パチンコ、スーパー、お菓子屋、時計店(めがねや補聴器含む)、コンビニといったところだ。これらを見てお気づきだろうか。高齢者が生命維持とその末後処理に必要なものばかりなのである。


これは故郷に限らない。近隣の自治体はみなそうだし、全国的に見れば、東京を中心とした関東の一部を除きどこも同じだ。ただ、それがもっとも顕著に見えている地域が故郷に過ぎないだけの話。

故郷が消えていく姿を見るのはやはり寂しい。所詮、人生とは自分たちが過ごした記憶のことであり、思い出のことなのである。それは街並みや自宅、風土とともに刻まれる。更地になってしまえば記憶の糸さえ失われていく。

時にはダムによって完全に水没してしまい訪れることさえできない集落もある。 ビデオ記録があってもごく一部だろう。多くは元住民の記憶にしかその街並みと生活の息遣いは残っていない。



東京や大阪などの人には想像できないだろうが、もし地方が、特に農林水産が主体の自治体がだめになった場合、食卓は激変するだろう。海外から安く輸入すればいいという意見があるだろうが、それは日本全体としてはお金以上の損失になっていることに気づいていない。原料輸入で加工品貿易で外貨獲得が主体にならざるを得ない日本で、一次生産者になっているのは農林水産だけである。


ことさらものづくりの工業商品の先鋭化が日本の命のように言われている。それは正しい。しかし、そう言えるのは農林水産が我々の生活というか、生命維持の部分をある程度担ってくれているからできる話であって、もし食糧や衣類が倍とか十倍とかに価格が上がっていった場合や完全に枯渇した場合(人口爆発の中国やインドが掻き集めてしまうという現実性がある)、工業輸出品の稼ぎでどこまで耐えられるかというのはわからない話なのである。


工業製品に多用されているレアメタルが中国の愚かな政策により輸出制限されたが、日本は逸早く代替技術を構築してほとんど不要にし、中国のレアメタル生産者に悲鳴を上げさせたことはご存知だろう。工業品はこういうのが比較的簡単にできるが、食材関係はそう簡単にはいかない。吉野家が狂牛病で豚丼にして回復が思わしくなかったのも食材における代替の難しさがある。胃袋に入れば皆同じと消費者は必ずしも思わないのである。ましてや最近とみに煩くなった食の安全性を考えると、それを国外に期待して安心できる人がいるとしたら、ずいぶん呑気な人だと思う。


地方再生問題は我々の経済発展だけでなく、生きるために必要な食材の変更を迫る重要な問題なのである。

1.親族

2.弔問客(ご近所や職場関係者など)

3.お寺さん

4.葬儀屋さん/花屋さん/酒屋さん

5.故人

6.家族


の順と思う。経験者の方は納得してもらえるだろう。家族の態度によっては故人が一番下かもしれない。


少ないながら通夜に出たことはある。しかし、父母両家の親類からは遠く離れているので、多くは入院段階で見舞い、葬儀には香典を親に持参してもらっていた。それが葬儀を開く番となり、初盆だ一周忌だと仏事を仕切ることになった。葬儀の精神的肉体的負担は想像を絶した。急死で、何の準備もしていなかったというのがある。見舞うつもりが葬儀の仕切りに変わった。

母は家族の負担を少しでも軽くしようと時期を選んだかもしれない。正月(祖父は1月3日が命日)とか盆とかGWだと移動そのものが難しくなるからである。特に冬で猛吹雪となると実家にさえ辿りつけないことになりかねない。


もちろん、初めての施主なので(喪主は父)、何をどうしていいやらだった。本やネットで調べたりもしたが、直感で動いていた部分もある。

葬儀屋は父の付き合いから移動中に携帯で相談して決めた。着いて遺体と対面後は葬儀屋と打合せたり、親族たちと連絡したり、お坊さんの相手もしなければならない。町内会の葬儀委員長とも調整をする。その間に遺品の整理を兼ねて棺に入れるものや遺影の写真を決めるなどしていった。


希望は家族葬だった。が、遠くからはできるだけ早く駆けつけても無理で、ご近所さんたちが弔問にすでに訪れていた。一般葬にするしかなかった。ここに来て家族葬では、断られた側では不思議に思うだろうし、不満も出る。ご近所との軋轢を残しては意味がない。


苦労した。葬儀の進行の詳細はわからなかった。昔ながらの葬儀屋さんで、チェーン店の至れり尽くせりとは毛色が違う。結婚式のように式次第みたいなものは出てこなかった。それらしきものを頂いたのは葬儀が終わった後だった。地域による風習の違いもある。お骨上げや繰り上げ法要も自分が住んでいるところとは違う。

仏壇と神棚の封印もしなくてはいけない。やらなければならないことが多い上に、やってはいけないこともある。それがまた宗派によってかなり違う。頭の中は混乱を極めた。父含めて、葬式の仕切りの経験があるのは配偶者の1人だけだった。その人に様子を聴いたりしたが、実は地域性が違うというのが後でわかるなど、混乱や後悔の元となったりもした。


葬儀はある意味、失敗が許されない。しかし、最初のものであれば避けられない。ストレスは相当になる。兄弟とその配偶者と父と一緒になって対応していてもきつかった。葬儀が終わったあとは市役所への手続き関係が続く。保険の連絡もしなければならない。


昔は農業従事者が多く、その村社会の中でお互い様で葬儀はできたのだろうが、今は農家は継ぐ人が少なく、多くが遠くに出て会社で働いていたりする。そうなると、すぐに対応できる人がいなかったりする。我が家のように。そんな中でいろいろ格式ばったことを要求されても対応できないし、精神的肉体的に厳しいものになる。実際、葬儀が終わって2日後、とうとうダウン。いまだにその不調を引き摺っている。隔週で父を見舞ったり、お墓(故郷には無い)探しに出たりしていると完治もしない。

ご近所は告別式も終わればもう関係ないが、親族は四十九日だ初盆だと何かと続くし、その対応を誤ると、何だこの様はということになってしまう。闘いは続く。


葬儀で大きな問題も出た。枕経のときから疑問を持ったお坊さんが実は悪評と判明。もともと墓が無いので葬儀屋が決めたのだが、葬儀でも手抜きをされた。そこで、四十九日は別のお坊さんを探したが、小さな町のこと、当然伝わる。1人断られ、2人目も最初断られたが、事情を話して受けて頂いた。おかげで四十九日の法要はよい供養ができたとともに如何に最初が酷かったかよくわかった。新しい住職さんには敢えて危険を冒して頂いているのでお布施は多めに。よい方で、今後の仏事は安心してできるのは幸いだ。


親類は連絡はして来るが助けてなどくれるものでもない。彼らには彼らの生活がある。仏事の苦労は残された家族にいつまでも続く。家族が皆亡くなるまで。


仏事は故人を偲ぶために必要な儀式なのだ、というのは実感しているが、同時にもっと簡素化しないと少子高齢化の中ではもう成り立たず、遺された者たちに苦労だけが多大になって押しつぶしにかかってくることも事実である。

今回、故人である母と残された父を最大限優先している。だから、不満がある親類は少なくないだろうと思うし、実際にぶつけられている。必要なことはやるし、注意して動いてはいるが、気持ちとしては事前に手伝ってくれてるわけでもないのだから、知ったことではない、と思ってやっている。

さて、初盆の準備を始めなくては。



少子高齢化では結婚式で親族の様子がわかるということはかなり減った。若い人の経済的余裕はどんどん無くなっていて、いわゆる地味婚で親類など呼ばないのも珍しくない。そうなると親類の状況がわかるのは葬式だけ。葬式の数は年を取った関係でずいぶんと増えた感じだ。初めて知った親類の名や現状をこれだけはっきりとわかったことはなかった。また、親類たちは互いに親睦を深めていたようだった。密葬なんかにしたらさぞかし言われただろうし、たぶん親類全体を敵に回していただろう。もっとも、これからの少子化の中で様式は変わらざるを得ないから、今回のような葬儀を行うことは無理になっていく。それを見越してなのか、イオングループの葬儀パックなどというものもある。


※※

墓が無く、選択可能な場合にお坊さん問題を防ぐには、ベテランの居る葬儀屋に宗派を伝え、よいお坊さんを最初から選択してもらうのが一番。概してだが、互助会などでは当りが悪いように聞く。宗派を伝えるには自分の家系が何宗か知らなくてはいけない。いつ人が死ぬか誰もわからないので、事前に家族や親類に確認しておいた方がよい。地域によってはその宗派が存在しないこともありえ、宗派が違っても実は問題ないのだが、親族が黙っていないと思われるので親族の重鎮に確認しておいた方がよいだろう。

人生の最期を迎えるなら自宅で、と決めている年配の方や病気の方は多いだろう。また、それは自然なことだと多くの人は感じているに違いない。

しかし、これはある意味とんでもない危険なことなのである。


家族を亡くした方はご存じかも知れない。それでも、多くの人が知らないだろうと思う。

例えば、親子で暮らしていて、父親なり、母親なりが急に体調を崩し、床に伏せたとする。看病していたが一晩経って、気がついてみると冷たくなっていた。

あなたならどうするか?


ここで救急車を呼んだら、アウト!

あなたは親が亡くなったので病院に運んで死亡診断書をもらうために救急車がいいだろうと思うかもしれない。しかし、救急車は病人は運ぶが死人は運ばないのである。そして、死亡を確認すると警察に連絡することになっている。すぐに警察が来て、現場を押え、そこに居合わせた全ての人に個別に執拗に尋問を開始する。亡くなったときにどの部屋にいたかとか、相続関係はどうなっているか、遺言などは、とか。家族や親族などの関係も訊かれる。捜査は数時間に及ぶことがあり、遺族は葬儀どころの話ではなくなったという。

なぜ?

1つの死に対し、「事件性」がないことをはっきりさせるためである。

皆が臨終を見届けたいと『犬神家の一族』の冒頭シーンのような状況でも同じだ。ただし、映画のように、その場に医者が居て、その人が死亡診断書を書いてくれるのであれば問題ない。医者がおらず、救急車を呼んだらそれまでである。なので、自宅療養の人はいざというときのためのお医者さんを確保しておく必要がある。もしくはそのときには入院する。


よく老人(に限らないのだが)の孤独死のニュースが飛び込む。周囲は大変である。警察の事情聴取がご近所に及ぶ。会社勤めをしていれば同僚たちにも警察は訊きに来る。今だとあまり適当に済ませて、後日、実は事件性があってなどとなるとあとが大変なので、手をそう抜くこともできないようだ。



母はずっと父より元気だった。背中は曲がってきたが、てきぱき歩くし、意識もシャキッとしていた。父の方が足腰が弱り、ボケではないがボォっとした感じで周囲に対して鈍感にもなっていた。その母の状態が急速に悪くなっていたのである。それを危険な状態だと父は認識できなくなっていた。死因はちゃんとあるが、本当の原因は老々介護である。特に元気な方がダメになった場合は母のようなことになってしまう。

高齢者同士のみの生活は非常に危険である。それを母の死を持ってまざまざと見せつけられた。何かあった場合、すぐに駆けつけてしばらく面倒を見れる人がいない場合は特に。


ある日の夕方、父から母の様子がおかしいと電話が来たが、一晩様子を見て翌朝も悪ければ救急車を呼ぼうと思うと言った。私はしばらく入院する準備をして救急車を呼ぶように強く言った。それは上記の問題が絡むからだ。その一方でこちらは移動を検討したが、公共交通機関でその日のうちに辿りつくことはできないことがわかり、翌朝一番に出ることにした。父の動きは悪かったが、何とか救急車で運ばれ入院。ひとまず安心した。

会社関係者に休みの連絡をし、翌朝家を出た。

移動中に訃報を受け取った。

これまで亡くなった親族は、入院してしばらくそこで時間を経過することが全てできた。その度に遠くから駆け付けて生前に会話を交わすことができた。それが自分の母とでは全く許されないなんてことがあっていいのだろうか。

兄弟は私が、親族のキーマンには父が連絡を分担して行い、とにかく、これから始まる壮絶な葬儀の攻めから父を守ることだけを考えた。兄弟で束になってそれを受け止めてこなしていかなければならない。

死亡診断書はすぐに書かれ、上記のような問題は何一つ発生していない。救急の間、母は迷惑をかけまいと最期まで頑張っていたのではと思えて仕方がない。母と再会したのは自宅の畳の上だったが、その傍に蝋燭が煌々と灯っているのはあってはならないことだった。



もし、父が連絡をくれず、自分の判断で翌朝、冷たくなった母に気がつき、救急車を呼んでいたら、警察の尋問の負担が母を失って弱った体に追い打ちをかけ、道連れとなっただろう。葬儀のとき、親戚から今後、父をどうするのかと何度も訊かれたし、葬儀後も訪問や電話があった。今にも倒れそうなほどあまりに急な衝撃に弱っていた。本当にそのまま亡くなってしまうのではないかと思った。もし、身寄りのない老夫婦の場合、残った方は葬儀やその後の手続きなどで死んでしまうのは確実だ。


※※

大きな病院で最期を迎えた場合、安置室から葬儀屋によって運び出されるが(自分たちの手でやっても構わない)、あなたの町に葬儀チェーン店があるなら、そこにずっと張り付いているはずだ。葬儀まで一手に引き受けてくれる。他社にとられないために。遺族としては負担がかなり低減する一方、お金に反映もされる。私の故郷にはチェーン店はない。なので、葬儀屋探しからだった。

映画の話ではない。現実の話。

納棺師は女性で、白衣を着ていた。まず、お湯と水を用意する。

次に、遺体(年配の女性)の腐敗を遅らせるための大きなレンガのようなドライアイスを掛け布団の下から何個も取り除いていく。遺族が鈴(りん。チーンと鳴る器)を間を長くおいて鳴らし始めると作業が始まる。


遺族側からは遺体が見えないように掛け布団をうまく使いながら、体を先ほど用意したお湯で綺麗に拭いていく。いわゆる湯灌。皮膚が傷んでいるところなどに何がしかの処置をしたりして、そのあと、白装束を広げ、手から入れ替えて、病院から運ばれたままの病衣から着替えさせる。その所作はお見事。魔術のようにいつの間にか掛け布団の下から病衣が抜き取られる。それなりに時間がかかるので遺族は交代しながら鈴を鳴らし続けて故人を送る。


足袋をはかせ、白装束が整うと、表情の整え。口の中に脱脂綿を白い布で隠しながら露骨に見えないようにして入れて顎など形よくうまく収める。次に髪の毛のセット。櫛をよく通し、遺族の希望で直前までの普段に近い髪型にされる。ここで鈴も鳴り止む。その次に、遺族が1人づつ顔を小さな白い布を手渡されて次々と拭き、そして女性の娘が納棺師とともに一緒に死に化粧を施していく。もともと寝ているようにしか見えない顔が化粧によって、まるで本当に息をしているような温かみが加わる。化粧ができあがって、最後に掛け布団が外される。


女性の兄弟たちと残された家族によって敷布ごと持ち上げられ、その遺体は葬儀屋によって運ばれてきていた棺に納められる。火葬後も残る10円玉が多数、足元に入れられ、生前着ていた服などがその胸元に掛けられた。蓋がされ、ここで納棺師の役目は終わり。

棺は親族の手によりワゴン車に納められる。車の後部には納めやすいようにローラーがついていた。リアハッチが閉まり動き出し、お通夜の会場へとどんよりした空の下を移動して行った。


遺体の女性は母である。

『大学への数学』とともに『数学セミナー』について何度か触れた。前者が大学受験範囲なのに対し、後者はもともと大学以上の内容が記事の中心だ。

受験範囲としては『大数』の「宿題」コーナーが一番難しいが、その様子が昔と今では違うことは既に書いた。今もそうだろうが、「宿題」で満足しない人たちは『数セミ』の「エレガントな解答をもとむ」を目指すようだ。

何かにつけランキングや、一たび定量化されたものについては上位を目指すのが好きな人が多い日本人。社会人になってもいろいろな資格試験の点数やランキングを競う姿がネット上などでよく見受けられる。

数学においてはそれが「宿題」や「エレ解」のように思われる。


「宿題」の安定的な難易度に対し、「エレ解」の難易度はまちまちで、必ずしも難しい問題ばかりではないし、問題も数学の問題とは趣の違う出題のされ方をするので、どちらかと言えば少し特殊だ。

ただ、決定的に違うことがある。「エレ解」では主に大学の講師陣から直接、大学の数学を背景とした問題が出され、ある意味、交流がなされる点である。最高学府と学問について交流できる場はそうはないだろう。その1つが、それも誰でも参加可能なのが「エレ解」なわけである。

しかも、その歴史は創刊以来続いている。言ってみれば「エレ解」ひいては『数セミ』は日本の数学の文化と言うことができるだろう。最先端の研究記事と一般人との交流が両立しているのは本誌しかない。


しかし、疑問もある。「エレ解」の正解者はかなり常連と準常連で占められている。数学ばかりに現をぬかすわけにもいかないから、結局、時間切れなどで断念している人や最初から諦めてしまう人も少なくないのだろうと思う。でなければ、これほど少数の常連による固定化は起きないからだ。

ネットを見ると東大などの問題の解答といったものを延々と示している人もいれば、「エレ解」の自分の解答を出している人もいる。言ってみれば数学オタクである。

常連の人たちは永くそれを趣味としてきただけの話で、特に何か誇示する意味でやってはいないだろう。むしろ、ときどき投稿する人間の方にそういう人が多いように思える。そういう人たちは数学を楽しむことより、常連として名を残すことが目的なのかも知れない。中には教育関係の仕事をしていて、その必要性がある人もいるようだ。

これらよりも上の数学の問題を解いて世に知らしめる場が別に現れるのかどうかはわからないが、もし出たら、またそこが数学オタクの巣窟になるのだろう。そういう意味で現在は「エレ解」と「宿題」がその受け皿となっているようだ。


さて、「エレ解」に以前に1度だけ出して、正解者として名前が出た私も数学オタクだろうか。実は、所在地を故郷の町にした。住んでいる場所への思い入れは全くないし、むしろ寂れる一方の故郷の名を知らしめたいという思いがあった。『大数』に出身地名が載ったのもおそらく私の1回切りではないかと思うが、「エレ解」でも最初で最後ではないかと思う。町の書店には『数セミ』はもう並んでいない。私も年を取った。次の未来を考え、私なんか軽く越える若者が故郷から出てきてほしいのだが。。。



※数学雑誌ではほかに現代数学社刊『現代数学』(一時期『理系の数学』と改名)がある。内容は大学から大学院にかけてのものだが、高校の範囲の記事が入ることもある。それに触れていないのは片手落ちではないかと思う人がいるだろう。残念ながら、この雑誌は私の町にはほとんど出回ったことがない。近くの書店では大数は1冊入ってくる程度。数セミも同じだが、数セミは増刊号含めバックナンバーがおかれていた。それもなかなか捌けていかず、しばらく経って私が面白い号を買ってやっと消える状況だった。『現代数学』は院試のあたりまでで、大学院までは入っていかなかったと思う。町には大学は無いのだから売れるわけがないのは当たり前だった。一般人にも対応する数セミとはそこが異なる。大学で教わる内容についての解説であって、研究の先端の紹介とか、大学の先生による研究書に匹敵するような啓蒙記事とかの類はなかったと思う。強いていえば、内容を限定した『大学院への数学』といったところか。解説連載は本になるので、そっちで買うことにして雑誌は買わなかった。さらに進むとなると以前にも触れた岩波から出ている日本数学会の季刊誌『数学』があり、最先端の研究情報を知ることができる。もちろん、これは故郷で見たのではない。政令指定都市の大きな書店に行ったときに初めてその存在を知った。(専門雑誌となると東大や京大の生協で初めて見たとかいうのが多い)

『現代数学』には宿題とかエレ解などのような読者参加型のコーナーはなかったと思うが、エレ解などの常連の方々や数学ファンはたぶん、こちらの雑誌も買い続けておられるのではないかと思う。

それにしても雑誌の廃刊が多い中で、大学入試レベル以上の数学の一般雑誌が3誌もあり続けられる国がほかにあるのだろうか?それなのに数学オリンピックの国別優勝が無いのは残念だ。

GWが終わると、大学生だと5月病などといったことが起きるが、受験生はそんなことを言っていられる状況ではない(そもそも受験生にGWは無い)。これから夏場に向けて実力を上げておかないといけない時期だ。

もっとも、中高一貫の学校では高校2年にはもう受験対策に入っているはずだから、すでに相当な実力を見せていないと秋以降の本番では不安が残るだろう。


これまで、たまたま始まりが中学受験の算数の話のために数学ばかりだったが、ほかの教科はどうかというか、自分の受験時代の様子になってしまうが、どうだったかを述べておくのも悪くないかもしれない。ここでは、難しいというか、その後、大学や社会に出て、世界レベルでの思考と知識のためには受験を利用した実力の涵養という観点で挑戦しがいのあるレベルはどこかをあげる。


英語。

慶応など、予備校連合から是正を希望されたような非常識とも言える超長文とかいった特殊なものは除いて、全般に難しいと思うのは、京大、東外大と上智大という印象だった。京大が昔ながらの解釈と作文の伝統の頂点で、伝統的総合力が東外大、実用的な面でそのまま現地で通用する上智という感じだった。

変わったところでは東工大。ときたまとんでもない難問が出る。伝説的なものとしてはシェークスピアの『間違いの喜劇』(本当は間違いの連鎖の滑稽という意味だが)を下地にしたものがある。ほとんどネイティブ級の小説読解力が要求されたものだった。

今はどうかわからないが、一橋は昔は佐々木高政、山田和男など、英語に無茶苦茶強い人たちがいて、とてもレベルが高かった。(東外大はそれこそ辞書の神様、岩崎民平が学長をしていた)

これらの英語の問題が十分にできるのであれば、TOEICなどという下らないものは気にかけなくてよい。TOEIC高得点者にこれらの難問題を与えたら、たぶん、問題を前にして途方に暮れるかいい加減な訳や英文を書いて、できたと思いこんで悦に入るだけだろう。TOEFLとは相関があるので、そちらの勉強は役に立つが、筋から言えばこれらの問題が解けるようになってからTOEFL練習をする方がいいだろう。当然、海外の大学に直接進むのであれば、TOEFL対策はほぼ必須だし、大いに海外に出ることを勧めたい。大学は日本で、大学院から海外でというのでもいい。海外では大学院生はほとんどの国で雇われるので金銭的にもよい。その代わり、実力勝負で首になることも覚悟する必要がある。MBAコースなどは違うと思うが、理系の場合は多くは雇われる(企業からの派遣的なのは別)。その基準は都度変わるらしいので(研究室に依ったりする)、詳細は現在、行きたい先の院生に接触して情報を獲得しておく必要がある。それが簡単にできる時代でもある。


数学。

『大学への数学』をやっていれば困ることはない。総じて東大と東工大(特にAO入試)、そして防衛医大あたりが最高峰の難問セットになるだろうか。東大のグラフ理論を背景とした伝説的難問のようなものはもう出ないだろう。でも、これらで高得点を得たからといって、大学でも数学がうまくいくとは限らない。大学の数学は高校数学とは別世界だ。大抵はそのスタイルに馴染めずに挫折していくことが多い。

ちなみに、数学オリンピックでは日本は表彰台に上がったことがない。最近、上昇しているが、上位の常連では全くない。

研究者になりたい人は京大がいいだろう。何せ、数理解析研究所があり(フィールズ賞受賞した森重文が昨年度まで所長をしていた。現在、アジア人初として国際数学連合総裁を務めている)、そのすぐ傍には湯川の創った基礎物理学研究所もあり、交流している。ここの右に出る環境は日本ではほかにないと思う。基礎物理学研究所は広島大学の理論物理学研究所を合併したので、歴代、最強体制だ。


日本史。

何を持って難問かは難しい。各大学でかなり特色が分かれる。よく言われていたのは早稲田政経と立命館だった。これは今も同じかどうか知らないが、ただ、どちらも重箱の隅の感じで、果たしてこれで日本史としていい問題なのかは疑問だった。国立大など論述中心で受ける場合はこういった問題は避けた方がいいように思う。

海外に行くと、日本のことを訊かれることがあるし、相手との会話の中で触れることにもなる。受験というよりは日本を理解してもらうための常識として身につけておく必要がある。そのときには細かな知識というよりは大局観が重要で、そういう意味で上記の難問の姿勢には疑問符が付く。


世界史。

昔は論述で東大とか一橋がとんでもない難問を出していたことがある。これも日本史と同じで立命館、早稲田政経の印象があるが、日本史に同じでこれらの問題で世界史観が養えるのかどうか大いに疑問。

世界史は海外に行ったときに相手を理解する上で重要な下地になる。

ちなみに、日本史も世界史も千ページを越えるような大人向けの全史の書籍がほしいとずっと思っている。全何巻というようなものではなくて、せいぜい2巻構成までの受験レベルは大きく越えて詳しい専門的要素も加わったものがほしい。


地理。

どちらかと言えば、文系より理系の人間の方が得意になりやすいのではないかと思うが、地理の問題はセンター試験以外は受けたことがないので、どこが学習に値する先かというのは何も言えない。

地理は社会に出て世界情勢や政治の動きを理解するのに(資源獲得競争や紛争における地勢関係理解など)非常に役に立つ。


倫理、政治・経済。

こちらもセンター試験のみだったが、倫理はいろいろな哲学思想を学ぶ上で役に立つし、政治経済は現代を生きていく上で大事な知識である。難問に挑む意味があまりある科目とは思えない、というか、難問を造ることに意味があまりないように思う。どちらものちのち社会に出たときには前者は生き方に、後者は実生活に有用だと気づくことが間々ある。


物理。

印象としては東工大、東北大だったが、1つだけ変わったところがある。滋賀医大。大学の物理を意識したような難問が多かった。平均的にはここがいつも難問製造工場だった。ここのを解けることができれば、大学の物理へうまく接続できるだろう。高校生としては最高レベルと誇ってよい。


化学。

東工大。とにかく難しい上に正確さを要求されることで評判だった。過去問をやったことのある人はわかるだろう。まさしく化学屋を求めているというような問題。ただ、この方面でも進むつもりがない人間にはかなりきつい気がする。あと、京都府医大、慈恵医大など医歯薬系で上位の大学のも専門に直結することもあって概して難しい。


国語。

残念ながら、センター試験しかなかったため、特に残っている大学の印象はない。ただ、海外で生活すると、必ずといっていいほど源氏物語などの有名古典文学について訊かれるので(李白や杜甫、老子といったことは訊かれないが、中国系の人間との話では重要になる)、日本人の基礎として押えておく必要がある。ほかには仏教や禅について訊かれることが多い。

数学の集合や論理に強い人は国語もしっかりした文章を書くことができる。なので、自分は文系だからとあまり数学をおろそかにしない方がいいだろう。


最後に、受験時代に一番難しかったものを挙げると、駿台予備校の駿台模試。英語や数学は記憶にないのだが、日本史、世界史、物理は化け物並みに難しかった。物理はほぼ大学教養の内容。滋賀医大をさらに高度にしたといったところか。日本史や世界史は誰も知らないだろうという事項を問う問題を好き勝手に出していた感じだった(大学入試を意識してるというより、歴史マニアを叩き潰そうというような。それでも両方で満点の人間が居たのには呆れた)。物理は将来的にはいいが、受験としてはやりすぎだし、ほかの2つもかなり疑問な出題方針に思えた。今もこうなのかは知らない。


多くは自分の志望校の過去問を消化するのでも大変だろう。しかし、自分の好きな教科があった場合、その方面の目標値として上記の大学の問題に挑戦する意味はあるし、そういう意図であげた。もし、許せば駿台模試を受けるのもいいだろう。

合格を目指すことはもちろん受験生の第一義ではあるが、科目によっては基本的に学ぶのは大学入試が最後というのが多い。つまり、その分野に関する知識が一生涯、ほぼこの時期で決まってしまうのである。折角なので、ここで多いに勉強しておいてほしい。それは国内外の生活で知の源になるからだ。



※いったい、秀才とか天才とかどういう人種なのか、というのに対する1つの解答は以下がいいだろう。これを読んで勇躍するか落ち込むかは貴方次第。

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/20944


※※国際的とかグローバルとか言うが、実際にはどういうことが問われるのかという意味では、国際バカロレア試験がある。日本とは如何に違うかががよくわかる。まるで、大学生並み(日本のではなく海外の)

http://toyokeizai.net/articles/-/35943