Diarios de Varrio -22ページ目

NO DOUBT

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ヤッターマン!!!!!ノーダウト再始動後のニュー・アルバム発表!!!!!今月の下旬に出ますよ、出ますよ!
96年、アメリカよりほぼ1年遅れで発売された「トラジック・キングダム」が有名!
学祭のライヴでもスカ・パンクが流行ってた頃だったなぁ。
しかしながら、このアルバムがスカとかコアとかパンクなのかと言われれば否だと思うが、スカ・パンクの波をメインストリームで最も上手く乗りこなした1枚である事に間違いは無いだろう。ヴァラエティ豊かだが、どの曲もみなキャッチー!そこに上手くスカのリズムを絡めた曲があったりして、かと思えばバラードも堂々と歌いこなす。全米1200万枚のセールスも納得させられるパワーだ!
紅一点グウェン・ステファニのキュートでパワフル、艶やかで表情豊か、そしてどこかミュージカルっぽい歌い方も魅力的!
スカやレゲェイをかなり取り入れてはいるものの、ランシドやヴゥードゥーグロウスカルズ、バックオーナインを始めととするいわゆるスカ・コアの流行に乗って出て来たわけでは決してない!
何たって結成は87年で、最初から「2トーン」に影響を受けた音楽をやっていたのだから。
ベーシストは11歳までロンドンにいてイギリスのスカ・バンドを目の当たりにしていたし、グウェンちゃんはバッドブレインズに夢中、フィッシュボーンも大好きで(アンジェロ・ムーアがノーダウトのショウに飛び入り共演した事も)、実はダンサブルなサウンドには筋金入りなのだ!
結成当時、グウェンちゃんは女子高生になったばかり。当然始めは地元アナハイムでのギグを中心に活動、幾つかデモ・テープを作ったりもしていたようだが、1年も経たない内に試練が訪れる。
オリジナルのドラマーが亡くなってしまったのだ。彼らが2トーンの影響を受けていた事は既に触れたが、音楽的な部分と共に、精神面でも”2トーン”であった。つまり、白人のグウェンちゃんと黒人であったドラマーが2人で歌う形を取っていて、黒人と白人の調和を実践していたのだ。
その辺りはトラジック~に収録されている「ディファレント・ピープル」にも歌われている。
グウェンちゃんは言う。
「10代の終わりの方は、人間的な成長とバンドの成長が並行していたわ。音楽をやりながらも、常にノーマルな生活と普通の精神状態を保っていたかった。(変に夢を抱いたりせず)そういう視点から音楽業界を現実に捉える様になっていったわけ。だって、例え今日が良くても、明日になったら消えてるかもしれないじゃない?」
実に足元はしっかりしているのだ!
そして彼らが歌うのは今の日常だ。
「殆どの男は、女の子である事がどんなに大変か分かってないと思うの!ジャスト・ア・ガールは、ベーシストの家に行って、凄く遅く帰った時にお父さんに怒鳴られた事に思い付いたのよ。」
「才能無いもん!制作前の2、3年はビジネス上でも大変だったし辛かったから、その辺が歌詞に表れてるんじゃないかな。」
ジャスト・ア・ガールは1stシングルで大ヒットし、女の子達の間でカリスマ的な存在となっていった。また、そうしたアイドル的な人気を一方で持ちつつも、不遇時代に徹底して鍛え上げたパンキッシュで力強いライヴ・パフォーマンスも各地で大好評!列記とした実力派である事も強くアピールした!
そして、バラード「ドント・スピーク」が全米のレディオ・チャートで数ヶ月に渡りダントツの1位を記録!これにより、アルバムも全米1位を獲得!セールスでも1000万枚を超える特大ヒットになった!そして96年の9月には、初の日本公演も果たした!
このちょっと後ぐらいに、イギリスのグランジ・バンド<BUSH>のヴォーカリスト、ギャヴィン・ロステイルとの交際がゴシップ誌を賑わせる。
更に、(微妙に音楽性を変えた)2枚のアルバムを発表し、2002年にはサマー・ソニックで3度目の来日を果たした。同年の10月にはギャヴィンともゴールイン!そしてノーダウトは一旦活動を休止し、グウェンちゃんはソロ・アルバムを2枚送り出した。
2008年にバンドは再始動!今月の下旬に待望のニュー・アルバムが出ます!!!!!
実は、彼女のファッションはチョラ<CHOLA>スタイルと呼ばれているモノをモチーフとしたファッションなんです。
あれれ?チョラと言えば、、、そうです!
この俺の「チョロ」という名前と関係があるんだよね。
ファッション的な意味で言うと、ハットかバンダナを被り、タンクトップにチェックのシャツ、そしてボトムスはチノパンというのが定番スタイルだな。あとは、真っ黒なサングラスがあればバッチリ!
このスタイルを男は「チョロ」、女は「チョラ」と言うんだ。
LAやチカーノ・コミュニティ、メキシコ辺りでよく目にするファッションだね。
チョロというのは、南アメリカのボリヴィア、チリ、ペルーのインディオ及び、メスティーソの事を指す。
メスティーソとはスペイン語圏全般のハーフの人を指すが、中南米では白人とインディオのハーフを指す事が多い。
元々は18世紀頃、スペイン人の服装や言葉、生活様式を取り入れて暮らすようになった人達(特にスペイン女性の格好を真似た現地女性)の事を言っていた。
そしてチョロの語源は、スペイン語で「着飾った人」や「素敵な人」という意味のチュロ<CHULO>から用いられていると言われている。
また、若年の女性に愛称を示すチョリータ<CHOLITA>と言う呼び方もあるが、近年では一概にはそうは言えなくなってきているそうです。
現在ではチョロな男性はあまり見られなくなったが、女性はまだまだ多いらしい。
近年ではファッション的な意味合いで使う事が多い。
話がちょっと脱線したが、帰って来たよぉ、グウェンちゃんが!
も1回でイイから学生に戻って学祭ライヴしたいなぁ。
are you happy now?

HISTORY OF INDUSTRIAL STYLE 2

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ハイハイ、今日はインダストリアル・ミュージックについての第2弾!
ソクサツウゴウゴ!!!!!(寝起きなんで許して、意味はちゃんとあるよ)
ミニストリーによって一般レヴェルにまで広がったインダストリアル!90年代はどんな背景だったのか?

90年代的な意味でのインダストリアル・メタルという名が広まるキッカケとなったのは、88年にミニストリーが発表したアルバム「ザ・ランド・オブ・レイプ・アンド・ハニー」にあると言われている。それまで「ボディ」と呼ばれたエレクトロニクス・ミュージックに、言わば禁じ手となっていたヘヴィ・メタリックなギター・リフを大胆に導入したこの問題作によって、一気にテクノ、ロック、ヘヴィ・メタルというジャンルの壁が取り払われたというわけだ。そして更にそれを一般レヴェルにまで一気に浸透させたのが、キャッチーなメロディを武器に90年代のポップ・ミュージックとして時代にハマったナインインチネイルズの成功にあった事に異論を挟む余地は無い!
しかしながら、現在ではミニストリー、ナインインチネイルズ以降に登場した90年代グループからは、70年代後期~80年代のオリジナル・インダストリアルにあった先鋭的且つ実験的なエレクトロニクス・ミュージックという当初のアーティスティックな精神性は殆ど感じられない。そこにあるのは、よりヘヴィ&ハード・エッジなモダンなサウンド・フォーマットの一形態というロックの機能美の追求の様に思えるが、つまりそれだけミニストリーやナインインチネイルズがアメリカを中心とするHM/HRシーンに与えた影響や商業的な成功がもたらしたインパクトが大きかったという事だろう。それは丁度80年代後半に於いて一世を風靡したHM/HRが産業ハード・ロックと言われた様に、どんな音楽でも1度ポピュラリティを得たら最後、フォロワーが数多く登場する事でスタイルとして確立され、次第に形骸化の道を歩むのは避けられない運命なのかもしれない。既にインダストリアル・メタルも本来の実験的なエレクトロニクス・ノイズという語源から、英語本来の意味の産業ロックへと変わってしまった感もある。

ハ~イ、如何だったでしょうか?
まぁ、メジャーになってくると金儲けな行動になってくるのは仕方無いとは思うが、良いバンドを見つけたら自分だけのバンドでいてほしいよね。
現在最も勢いのあるインダストリアル・バンドと言えば、ドイツ出身のラムシュタインだろうか。
彼らは93年に結成し、95年デビューしたインダストリアル・ロック・バンドだ。メンバー全員が東ベルリン出身である。
本国ドイツだけでミリオン・セラーを記録するヨーロッパのモンスター・バンドで、打ち込みビートやサンプリングも使ってはいるが、基本はいわゆるジャーマン・メタル。重さでは誰にも引けを取らないゴリゴリのギター・リフと、ド迫力のドイツ語ヴォーカルの厳ついジャーマン・テイストは実に個性的!またメロディもキャッチーでシアトリカル。
しかし、このバンドの1番のウリはやはり変態ライヴ・ショウの一言に尽きる!!!!!
ディルド(擬似ぺ〇ス)やSM道具を使ったライヴ・パフォーマンスが話題となり、ライヴ会場によっては公然ワイセツでメンバーが逮捕される事件も起きるぐらいブッ飛んでる!!!!!
ヴォーカルがキーボードに対して行うSMプレイがやたら面白い!ちょっとコントっぽく見えるが、以前の様にSM道具を使わなくなってしまったのはちょっと残念。最近は専ら火炎放射機等の火を使ったパフォーマンスが多いが、ロックなので充分迫力あるライヴには変わりない!
曲の題材も変態っぷりを醸し出すモノが多い。
<MEIN TEIL>という曲は、実際にあった人食事件を取り上げたモノで、この事件の犯人からも訴えられた問題作。
しかも、この事件は犯人が被害者の了承得て起こした事件で、その一部始終が犯人のカメラによって撮影されていたようだが、勿論一般には公開されていない。
更には、被害者も犯人と一緒に自分の体を生きている内に食べている様子が映っていて、被害者が段々と衰弱していく様子も映っていたという。(食前、食後の方には申し訳無い)
あと、<PUSSY>という曲ではメンバーがモデルとヤッているクリップが撮影され、アダルト・サイトで公開された。コレ、多分ガチでヤッてると思われます!(勿論、海外盤は無修正、アマゾンで購入可能だが、一旦アダルト部門に飛びます)
ライヴでは御礼の言葉以外はMCを一切喋らない事もあり、ノン・ストップでテンポ良く流れるので聴き応えも良い!ヴォーカルの人は、ソウル・オリンピックで競泳の控え選手だったとか。メンバーの中で1番体格が良く、尚且つメンバーの平均身長は190cm以上というドデカ集団だ!
ギターのリヒャルトって人は、ソロ・アルバムで「マイ・ワールド」という曲を、映画「バイオハザード3」に提供してます。
インダストリアルをエンターテイメントの域で鳴らすラムシュタイン。
とにかく、ライヴは必見です!!!!!
THE ELECTRIC SONIC SOUND POUND YOUR SOUL!

HISTORY OF INDUSTRIAL STYLE

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今日は、日本ではあまり聞かれないジャンル<インダストリアル>について書いていこう。
インダストリアルとは直訳すると「工業用の、産業の」という意味だが、そんな工業地帯で響き渡る金属的な音を音楽に取り入れたのがインダストリアル・ミュージックと呼ばれるモノだ。
今回は、このインダストリアル・ミュージックを全2回に渡って紹介していこう。
エレクトロニクスにロックの初期衝動を叩き込み、ノイズや電子音塗れになりながらもアナーキズムを放出していたインダストリアル創世期から、突如としてスラッシーなギターを取り入れ、一躍ラウド・ロックのメイン・ストリームに躍り出たインダストリアルの歴史とは?

今やHM(ヘヴィ・メタル)/HR(ハード・ロック)というカテゴリーの中で、テクノ/インダストリアルと呼ばれるロックは、時代に選ばれたハード&ヘヴィなロックのサウンド・フォーマットとしてその地位を確立したように見える。事実欧米では、これらのバンドはHM/HRチャートにも数多くランクインしており、今更区別して考える必要も無い程だ。既にその兆候は90年代初頭からあり、例えばライヴでは完全マニュアル演奏のバンドであってもレコーディングでは巧妙にドラムのサンプリングや打ち込み(プログラムされたビート)を用いる等、徐々にそのテクノロジーはHM/HRの世界にも深く静かに浸透している。そしてその最も顕著な例と言えるのが(作品としての良し悪しはともかく)、既に解散したとは言え、メタル・ゴッドとまで呼ばれた男、元ジューダスプリーストのロブ・ハルフォードが結成した<TWO>で披露したサウンドである!
そこで、混乱を避ける為に今現在、一般的にインダストリアルと呼ばれる音楽と、70年代後半から80年代にそう呼ばれた用語としてのインダストリアルとの違いを簡単に説明しておきたい。まずインダストリアルという音楽的な意味での言葉の起源だが、これは70年代のパンク・ムーヴメントと同時多発的に欧米から登場した、ロックを含む初期の実験的なエレクトロニクス・ミュージックの総称として便宜的に用いられたのがその発端だ。また丁度その頃、実験的なノイズ・サウンドと過激なパフォーマンスで知られたアート集団、スロッピング・グリッスル("脈打つ男根"の意)が、その名もインダストリアル・レコーズという自主レーベルを設立した事もこの呼び名を広める事となった。またその直後にはシェフィールド出身のキャバレー・ボルテールが、インダストリアル・ビートの原点とされる様なプリミティヴなエレクトロニクス・ビートを生み出し、オーストゥレリア出身のフィータスはロンドンで音楽活動を開始。またドイツからはエレクトロニクス・ノイズの個性派、SPKの登場や、EINSTURZENDE NEUBAUTEN(ゴメン、読めない)は、産業廃棄物やメタル・ジャンクを楽器として使った独創的なパフォーマンスで注目される等、従来のロック・バンド形態に拘らない自由な発想のもと、まだサンプリング・マシーンも無い時代に様々なジャンク・ノイズやテープ・ループ(注:サンプラーやシークェンサーが無かった時代、アナログ・テープを輪状に繋いで、同じパートを繰り返し再生させるテクニック。転じて同じ音源を機械的にリピートさせる事をループ再生と言う)等を用いて独自のサウンドを作り上げていった事がその基礎になっている。従って最初はイギリスのエレクトロニクス・ポップに呼応する様な、ソフトな音楽性のグループとしてスタートしたミニストリーが、マーク・スチュワートやNEUBAUTENとも関係が深いON-Uレーベルのエイドリアン・シャーウッドやキース・ルブランらのサポートを得て、エレクトロニクス・インダストリアル・ミュージックの傑作「トゥウィッチ」を86年に作り上げたのは偶然ではないし、またシャーウッド、ルブランが後にナインインチネイルズのデビュー・アルバムをプロデュースし、フィータスやスロッピング・グリッスルのピーター・クリストファスン等、インダストリアル・ミュージックのオリジネイター達がいてこそ、ナインインチネイルズ等のリミックスを手掛けてるのも歴史の必然と言えるだろう。
そして少なくともドイツ出身のKMFDMやイギリス出身ながらドイツでデビューしたピッグ、そしてキャナダのスキニーパピーやニューヨーク出身のコップシュートコップ等、80年代にデビューしたインダストリアル系のアーティストは、間違い無く上記のオリジネイター達と直接、間接を含め、何らかの繋がりや共通する音楽的背景があり、ミニストリーやナインインチネイルズ同様に後続のバンドに多大な影響を与え、90年代に入って一気に花開いた感のあるインダストリアル・ロック・ブームの基盤を築いていったというわけだ!

この話を聞いてると、ヒップホップのサウンドやビートって白人達が作り上げた様に思えるのは俺だけか?まさか、この話にロブ・ハルフォードの名前が出て来るとは思わなかったなぁ。
さて次回は、90年代のインダストリアル・ミュージックの背景について書いていきます。
アクセスはそのまま!!!!!
to be continue...