ROCK 'EM ALL SERIES
う~、ネタが無いんだよ。すまんが付き合ってくれよ。コイツを聴けば、メチャクチャにしてくれるから!あぁ、やっぱりこんな事になったか~。
今回は、ドラゴンフォースの真逆版!スレイヤー!!!!!
<リフを切り刻む残虐音の1つ1つに込められた念が聴く者を震え上がらせる!あえて言いたい、「これがスラッシュ・メタルである!」と>
スレイヤーは82年に、ケリー・キング(ギター/右上)、デイヴ・ロンバード(ドラム/右下)、ジェフ・ハンネマン(ギター/左下)、トム・アラヤ(ベース、ヴォーカル/左上)によりLAで結成された。カヴァーもしていたジューダスプリーストやアイアンメイデン等のブリティッシュ・ヘヴィ・メタルに、パンクやハード・コアのパワーやスピードを加えた音楽性が評判となり、メタル・ブレイド・レコードのコンピレーション盤「メタル・マサカー/vol・3」に参加。そのまま同レーベルと契約し、83年にデビュー作の「ショウ・ノー・メルシー」をリリース。アンダーグラウンド・シーンで大反響を呼び、スレイヤーの名は地下水脈を通じて広がっていったのである。
支持を固めた「ハウンティング・ザ・チャペル」と「ライヴ・アンデッド」を挟み、85年に「ヘル・アウェイツ」を発表。ヴェノムやエクソダスとのアメリカ・トゥアーも行い、その勢いでメジャーのデフ・ジャムと契約。86年にリリースした「レイン・イン・ブラッド」で、スレイヤーは地位を不動のものとした!デイヴが一時脱退してバンド内は揺らいだが間も無く復帰し、映画「レス・ザン・ゼロ」のサントラ盤にアイアンバタフライのカヴァーで参加する。88年には「サウス・オブ・ヘヴン」を発表。アルバム・セールスはうなぎ上りであった。90年に「シーズンズ・イン・ザ・アビス」をリリース後、アメリカとイギリスに分かれて「クラッシュ・オブ・ザ・タイタンズ」というトゥアーに参加。メガデス、テスタメント、スイサイダルテンデンシーズ、アンスラックス、アリスインチェインズらと共演した。そして翌年に「ディケイド・オブ・アグレッション」をリリースし、10年間の総括をしたのであった。
しかし、以前からトゥアーに積極的でなかったデイヴが完全に脱退。スレイヤー最大の危機を迎えたが、元フォービドゥンのポール・ボスタフが新ドラマーとして加入する。新編成第1弾音源は93年にリリースされたサントラ盤「ジャッジメント・ナイト」への参加である。アイス・Tと組んだスレイヤーは、エクスプロイテッドのカヴァー3連発でキメてくれた!94年に「ディヴァイン・インターヴェンション」、その翌年にはライヴ・ヴィディオ「ライヴ・イントゥルージョン」を発表し、健在ぶりを示す。しかし95年、カヴァー中心の「アンディスピューテッド・アティテュード」のリリースを待たずに、自分のプロジェクトを始める為ポールが脱退。間も無く元テスタメントのジョン・デッティが迎えられた。だが、暫く新しいメンバーでやってはみたものの、どうもしっくりいかなかったようで、結局はポールが復帰する。そして98年に「ディアボロス・イン・ムズィカ」を発表したのであった。
絶え間無い深化を続けるスレイヤー。スラッシュ・メタルをはじめ、デス・メタル、ハード・コア・パンク、そしてニュースクール系ハード・コア等、常にヘヴィ・ミュージック全般に影響を与え、大衆に迎合しないその音楽は多方面からリスペクトされている。
スレイヤーもバンドのギターの子から教えてもらいました。丁度「ディアボロス~」が発売されていたので買いましたよ。しかも、初回限定盤の真っ赤なケース・ヴァージョンを!
速い、重い、爆音の3拍子揃った見事なスラッシュ・メタル!しかし、友人からメタリカ、パンテラ、スレイヤーと立て続けに知ったので、この時はまだスレイヤーはそんなに好きにはなれなかった。
「ディアボロス~」のライナーに「レイン~が最高傑作だ」と書いてあったので、その後に「レイン~」を買ってノックダウンしてしまいました!
全曲速い!!!!!古いアルバムなので重さこそ無かったが、最新アルバムより断然こっちの方が良かった!
それとやはりライヴ・アルバムとヴィディオで決定付けてくれた!
ヴィディオは特に衝撃的で、冒頭からスレイヤーのファンが手術用のメスで自身の腕に「SLAYER」と血を流しながら切り刻む姿はイカしてた!!!!!ライヴ会場はモッシュ等で流血したファンが溢れていたのも衝撃的だったね!ライヴ・アルバムの1曲目のヘル・アウェイツがバイヤー!!!!!
補足しとく事は、デイヴは2006年に「クライスト・イリュージョン」でスレイヤーに正式復帰しました。ポールはその後、テスタメントに加入して行きました。
現在まで10枚のアルバムを発表して来ましたが、10枚目の発表インタヴューでトムは「もう年だし、アルバムは出さないかもな。」という事を言ってるので、もうライヴだけに専念するのかもね。因みに、最後のアルバムは全然良くなかった。
<レイン・イン・ブラッド>/86年発表
リック・ルービンとの共同プロデュースにより塊状となった音の中で、殺傷エキスが加速する彼らの本質を引き出した。微妙に変わるスピード、コード、リフ、フレーズ、不安感を煽る音色、不吉な歌詞。全てにおいて完璧なスラッシュ・メタル・マスターピース!!!!!オマケに全曲速い!
スレイヤーは「レイン~」だけ知っていれば良い!!!!!くらいのスラッシュ感で全てを薙ぎ倒すスピードが迫り来る!立ってらんないよ、マジで!
ライヴは必見です!!!!!観ないヤツは死あるのみ!!!!!
see you hell
ROCK 'EM ALL SERIES
書くネタが無いし、マーヒーなんでいきなり「ロックだらけ」シリーズやっちゃいます。汗
今回のバンドは、ヘヴィメタ?ハード・コア?いやいや、どっちもだよ。パンテラさん!
<ギッザギザに尖った音塊の凶暴さは人間万事の感覚器官を激しく衝動する究極のヘヴィネス>
パンテラは81年の夏にテキサスで結成された。当時のメンバーはダレル・アボット(後にダイアモンド・ダレル、ダイムバック・ダレルと改名~左から2番目のギタリスト)とその兄のヴィニー・アボット(後にヴィニー・ポールと改名~1番右のドラマー)、レックス・ロッカー(後に単にレックスと名乗る~1番左のベーシスト)、テリー・グレイズ(後にテレンス・リーと改名~ヴォーカル)。
83年に1stアルバム「メタル・マジック(日本未発売)」をリリース。発売元は自主制作レーベルのメタル・マジックから(以下暫く同じ)だったが、日本への流通経路もしっかり整えられていた。
地元を中心にしたライヴをやりながら、84年「プロジェクツ・イン・ザ・ジャングル(日本未発売)」、翌年「アイ・アム・ザ・ナイト(日本未発売)」を発表。ヴィディオを作ってレコード会社に送ったりと、コンスタントなリリースをしていった彼らの名は、徐々に知れ渡っていく。
しかしその後、音楽的な方向性の違いからテレンスが脱退。新ヴォーカリストが固まるまで時間を要し、最終的にミズーリ州出身のフィリップ・アンセルモ(右から2番目のヴォーカル)に決定。88年に発表した「パワー・メタル(日本未発売)」により、多数のビッグ・レーベルからのオファーが舞い込み、パンテラはアトランティック・レコード系列のアトコと契約したのである。
そして90年、満を持してメジャー・レーベル第1弾の「カウボーイズ・フロム・ヘル」をリリースし、90年代のヘヴィ・ミュージックの幕開けを告げたのである!その後、当時人気だったスキッド・ロウの全米トゥアーのオープニング・アクトに抜擢され、ジューダス・プリーストとのヨーロッパ・トゥアーに同行し、AC/DC、メタリカ、ブラック・クロウズらとモスクワでイヴェントを行う。その勢いのまま、92年に「ヴルガー・ディスプレイ・オブ・パワー(俗悪)」をリリース。欧米日を廻る長期トゥアーを行いつつ、「バッフィー・ザ・ヴァンパイア・キラー」、「ザ・クロウ」といったサントラ盤に参加(後者にはポイズン・アイディアのカヴァーを提供)。フィリップはクロウバーのアルバムのプロデュースも行った。
そして94年に「ファー・ビヨンド・ドライヴン(脳殺)」をリリース。全米チャート1位となった!リミックス等で構成されたEP「ウォーク」も続けざまに発表。そして96年に「ザ・グレイト・サザーン・トレンドキル(鎌首)」、97年にライヴ盤「オフィシャル・ライヴ・101・プローフ(ライヴ~狂獣)」をリリースした。
現編成になってからのパンテラの魅力は、ヘヴィ・メタルへの愛着が強いダレルを始めとする演奏陣と、フィリップとの奇跡的なブレンドにある!
なおフィリップは、C.O.C.やアイ・ヘイトゴッドのメンバーらとのプロジェクトである「ダウン」の一員であり、AxCxの「40モア・リーズンズ・トゥ・ヘイト・アス」やヴィジョン・オブ・ディスオーダーの「インプリント」へゲスト参加。この辺の人脈があまりにも素晴らし過ぎなのだ。そして、ヴィディオ作品におけるイノセントなバカっぷりも忘れてはならない!
ちょっと補足しときますぜ!
この後、フィリップは兼ねてから摂取していたヘロインにより生死の境をさ迷い、何とか一命は取り留めたが、これを機にメンバーとの関係が悪化していった。そして、フィリップが自身のプロジェクトに費やす時間が多くなってきた為、バンドは解散を決意。ダレルは、兄と一緒に「ダメージ・プラン」を結成し、ベーシストのレックスはフィリップの「ダウン」に加入した。
しかし、2004年12月8日。ダイムバック・ダレルはライヴ中に精神疾患のある熱狂的ファンに、ステージ上で頭を中心に4発の銃弾を浴び殺されるという衝撃的な事件が起こってしまう!犯人は計15発の銃弾を発射し、客や警備員3名が死亡、負傷者2名という惨事になった。犯人はその後、警官により射殺された。後の捜査で犯人の自宅からは、「パンテラを解散させたのはヤツのせいだ!」等という日記が見つかったという。
フィリップとレックスは、ダレルの家族から葬式には来ないでほしいと拒否られた。2人共、葬式会場には行ったが、やはり葬式には参加出来なかったという。
フィリップは、「後味悪い別れ方をしてしまった。この関係を修復出来ないままアイツが死んでしまったのが残念でならない。アイツは俺の親友だった。」と、悔いの残るコメントを残している。
奇しくも、殺害された日はジョン・レノンの24回忌だったそうだ。
脳殺のジャケットって額にドリルが刺さってるが、本当はア〇ルに刺さったジャケットだったらしいが検閲に引っ掛かったらしく、あのジャケットになったんだそうだ。
もう1つの画像は、ダレルの若かりし頃のレア物!彼は、キッスの大ファンでした。
いやぁ、衝撃も衝撃でしたよ、この事件は。確か、めざましテレヴィでもこのニュースやってた様な気がします。ホント残念です。
パンテラさんのライヴ・アルバムはヤバいよ、マジで!
個人的にはこのアルバムがベスト・アルバムと言っても良いぐらいの出来です。オーディエンスの声がものスゲェー入ってるので、ライヴの臨場感がパねぇっす!これもバンドのギターの子から貰ってパンテラを知りました。
<オフィシャル・ライヴ・101・プローフ(ライヴ~狂獣)>/97年発表
96~97年のアメリカでの「トゥアー・キル」というトゥアーから選ばれたライヴ・テイクを中心に構成され、新曲を2曲最後に足したCD。プロデュース&ミックスはヴィニー&ダレルだが、当然あらゆる面で「俗悪ライヴ」よりもクオリティー・アップである。1度曲をキチッとした形で残したい故かスタジオ盤だと整合感も重視しているようだが、これはもう汗も唾も渦巻く野卑仕上げ。曲を崩しているわけではないし、歓声は別として、激震する音はまるでライヴ・ハウスで録ったかのごとし!潰れたギターが特に粗暴!訳分からんフラストレーションが揺れて不安定にブチ切れるフィリップが喋くる曲間の俗悪MCも聴きどころ!ハード・コア・メタル総括盤と呼ぶにしても濃過ぎである!!!!!
俗悪のリリース20周年記念のリマスター盤が発売中であります!
ジャケットの様に殴られろ!!!!!
thank you very fuckin' much
NEW SERIES "ROCK 'EM ALL"
イェーイ!!!!!遂に始まるぜ!新しいシリーズ「ロックだらけ」
2000年になるまでに出て来た世界中で暴れ回ったロック・バンドを紹介するシリーズだぜぇー!
余計な事を言わず、早速爆走するぞーーーーー!
記念すべき第1回目は、やはり出ました!メタリカーーーーー!!!!!
<現代の全てのロックは、何処かで必ずメタリカを通過する!そう断言しても良いくらいの風格、貫禄、歴史、そして重みがある>
メタリカの90年代は、アリーナ・ロック・バンド。メタリカの歴史と見なす事が出来る。ガンズ&ローゼズとのダブル・ヘッドライナー・トゥアー、フレディ・マーキュリー・トリビュート・コンサート、ロラパルーザ参加等、90年代の名場面には何時も彼らの姿があった。99年11月時点で、全米旧譜チャート1位、計1100万枚を売り上げている!人々の「メタル」に対する期待を完璧に演じ切った作品は90年代ヘヴィネスの頂点であり続け、その影響はクリードやシルヴァーチェアーといったバンドの作品にも容易に見い出す事が出来る。
80年代、アンダーグラウンドの星として活躍した彼らの歴史は、ラーズ・ウルリッヒとジェームズ・ヘットフィールド(真ん中の2人)の出会いから始まる!ハード・コアのスピードとヘヴィ・メタルを融合した「スラッシュ・メタル」の誕生に、初期メタリカのリード・ギタリスト、デイヴ・ムステイン(現メガデス)という才人が多大な貢献をした事は周知の事実!ベースにクリフ・バートン(1番左の人)を迎え、デイヴの後任にカーク・ハメット(1番右の人)を加えたバンドは、83年の「キル・エム・オール」でデビューする。84年には「ライド・ザ・ライトニング」、そして86年の傑作「メタル・マスター」で破竹の快進撃を続け、全米チャート上位に食い込む大健闘でアンダーグラウンドのカリスマ視されるようになる!
しかし86年、トゥアー・バスの事故でクリフ・バートンが他界。バンドは後任にジェイソン・ニューステッドを迎えるが、ラーズとジェームズに対等に意見出来るクリフを失った痛手はあまりにも大きかった。クリフの死後、増える一方のアルバムの収録時間にもその影響が窺える。89年の「メタル・ジャスティス」は<ONE>のグラミー賞ノミネートもあって大ヒットを記録した!だが、この作品で従来のスラッシュ・メタル・スタイルに限界を感じた事が、メタリカの徹底したヘヴィネス志向に繋がって行く。
91年の「メタリカ」のモンスター・ヒットはバンドを頂点へと押し上げるが、より普通のロックに近付いた96年の「ロード」辺りから旧ファン層の風当たりが強くなる。冒頭に述べた様に90年代の彼らはアリーナ・ロック・バンドであり、AC/DCやU2、エアロスミス同様、最早過去のアルバムと比べてどうこう言われる存在ではなくなっているのだが、一方で80年代のあの熱狂を知る者には、そう簡単に他人事みたいに割り切れない事もまた事実だろう。
リンキンパークやコーンが全米1位になるこの時代、彼らは既に世界最重量バンドでもなければ世界一速いバンドでもない。彼らの魅力は元々、そんな数字じゃ測れない何かなのだ。次に彼らに望まれるのは、その「何か」を形にする事。つまり純粋に「良い!」と思える作品を作ってくれる事だけだろう。
メタリカ、、、避けては通れませんよ、絶対!ロックの歴史を変えた2枚のアルバム。
<メタル・マスター>/86年発表
80年代メタリカの最高傑作とされ、彼ら独特の哀愁味と完璧な構築美で唯一無二の世界を築いた作品!ボン・ジョヴィが全米1位を取った年とはいえ、スラッシュ・メタルが全米トップ30入り&100万枚突破なんてのは正気の沙汰じゃない!!!!!最も勢いづいていた時期のバンドの圧倒的なテンションが感じられる!
<メタリカ>/91年発表
真っ黒なジャケットからファンの間では「ブラック・アルバム」という愛称が付く程、全米初登場1位、1000万枚売り上げ、2000年を明けてからも年間100万枚ペースで売れ続けている90年代を代表するモンスター・アルバム!!!!!全米トップ40シングル「エンター・サンドマン」を含むこの作品が彼らのターニング・ポイントとなった。速い曲に頼らない、徹底してヘヴィなサウンド・プロダクションの生み出すイメージは正に黒一色!90年代ヘヴィネスの1つの指針となり、この先10年間のロックの未来を保証するアルバムとなった!
俺の明るくハジけたヘヴィメタのイメージを一気に覆したバンドでもある!
メタリカに出会わなかったら、ロックに対するイメージが全然違うモノになっていたと思う。メタリカのようなバンドが嫌いなロッカーは、エクストリームやミスタービッグ、ボン・ジョヴィやエアロスミス等を好む人が多い。
同じロック好きでも陰と陽に分かれるが、俺はどっちもイケる。
当時のメタリカのファンは、マニアなファンの集まりでしかなかった。しかし、たった2枚のアルバム(特に「メタリカ」)で、マニア以外の一般層の人達も巻き込んでしまったのだ!
2000年に入ると、長年ベースをやってきたジェイソンが脱退。更に、メンバーとジェイソンの確執やメンバー同士での言い争いが続き、一時期は解散の噂が付き纏っていた。
しかし、バンドにセラピストを入れさせてお互いの全てをさらけ出さし、新しいベーシストも加入して2003年に大復活作「セイント・アンガー」を発表!!!!!
アルバムは全世界で次々と1位を獲得し、メタリカ完全復活を果たしたのだ!!!!!
俺がメタリカを知るまで聴いてきたモノと言えば、昔のパンク・ロック、クウィーン、ポリス、エクストリーム、ミスタービッグ、オアシス、ヴァンヘイレンと、ちょっと明るい感じのロックが殆どだった。
学生の時にバンドのギターの子が「要らないからあげる。」と言って貰ったのが、WOWOWで録画したメタリカの97年、イギリスでのレディング・フェスティヴァルでの映像だった。
ドラム以外、全員真っ黒な服に身を包み、「SO FUCKIN’WHAT!」と言った瞬間、俺は死んだ!(訳分からんw)
あの時の衝撃たるや、何とも言い表し様の無い感情に襲われましたねぇ。これ以降、爆音生活の始まりです!
いやぁ~、皆さん!やっぱりいるんですねぇ。(怪談話か)
どうでしたか?新シリーズ「ロックだらけ」
まぁ、独断と偏見でやって行きますんで、いつも通りお手柔らかに!
exit:light enter:night




