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昭和レトロサウンド考房

昭和レトロサウンド、昔の歌謡曲・和製ポップス、70年代アイドル歌手についての独断と偏見。 音楽理論研究&音楽心理学研究など

早見 優 『夏色のナンシー』(1983年)
作詞:三浦徳子 作曲:筒美京平 編曲:茂木由多加

今年4月1日、『夏色のナンシー』は、発売30周年を迎えたのであります。

30年前の記憶をたどってみる。
まだ『ドラマティックレイン』に酔いしれている1983年の2月ごろ、レコード流通の冊子に
     「早見優の新曲、筒美京平作曲による『夏色のナンシー』。4月1日発売!」
という記事があった。
夏色のナンシー?!なんという心地よい語感だろうか。しかも筒美京平。どんな曲に仕上がっているのだろう?
松田聖子の隆盛、ニューミュージック系の台頭という当時の状況から、「歌謡曲らしい歌謡曲はもう書かないだろう。 きっと筒美先生なりの新境地を狙ってくる。 『ドラマティックレイン』のように!」  と思った。
そう思うと発売日が待ち遠しく、ずっとワクワクしながら過ごした1983年の春であった。

 
さて1コーラスあたりの構成は以下のようになっている。


とりあげるべき秀逸なポイントは沢山あるが、当作品は、和声やスケールに注目したい。
※なお、オリジナル音源のキーはDb長調であるが、便宜上、文章は楽譜ではC長調(Am短調)に移調して説明する。

■イントロ
C→B→C→B7
 のように、半音違いのコード CB とで往復させるアイデアである。
C長調をにおわせながら、 Em につなげるためには、手っ取り早い方法である。


■サビ前半
「恋かな?」と問うて「Yes!」と返す。この掛け合いのアイデアは愉快である。一方、伴奏では不思議なコード進行が試みられていた。

Emで始まるのでE短調と思いきや、E短調と特定できるほどの音は現れず、調性が曖昧なまま進行する。あとにDmが続くが、EmからDmへの接続は少し意外性のある響きだ・・・と言っても(C長調:Ⅲ=トニック代理であれば) Ⅲm→Ⅱmという進行は禁則ではない。
要は、低音をミ→レ→ド→シと下降させながら最後はドミナントGで締めくくり、Cへつなげたい・・・そういう4小節なのであろう。
最後がGになるように帳尻を合わすというのなら、Em7 → A7 → Dm7(11) → G7 というようなありふれた進行パターンでもよかったはずだ。

おそらく、短3和音の形のまま長2度下にスライドさせるアイデアにこだわったのだと思う。

調性音楽においては、 Em→Dm ような接続になる局面は意外に少なく、聴き慣れないためか現代音楽のような響きにも聴こえる。
この短3和音のスライド下降が起す心理的効果を言葉で表現するのは難しい。「調性が薄い」とか「現代音楽ぽい」としか言いようがないかも知れない。
きわめて抽象的な表現で恐縮だが、次のような心理的効果があるのでは?と感じている。
  ・主体的に感情を催す存在ではなくなる。
  ・いわば添え物のような消極的存在になる。
つまり、感情を表現する主役ではなく、ムードを提供するだけの役割になる、そんな効果ではないだろうか?
さらに言えば、ドビュッシー印象主義音楽の目指す方向のようでもある。
・・・と、大袈裟に書いたが『夏色のナンシー』ではたった数小節ほどの短い期間の出来事なのである。

ちなみに短3和音のスライド下降は、先日とりあげた小泉今日子『天然色のロケット』にも現れる。


■サビ後半

こちらも下降型クリシェラインだが、特異なものではなく聴きなじみのあるパターン。

半音ずつ下がって A7 へ導き、さらにフィニッシュのツーファイブへ導く。
さきほどの無表情な4小節と対照的に、情感がくすぐられる4小節。私は、ベースが下降するごとに胸キュンとなるのだが、皆様はいかがであろうか?


■サビ最後部
一般的なツーファイブフィニッシュである。
 
ここでC長調の確定感を得る。 ここまでペンタトニックしばり はまったくなく、むしろ ファが多用されている。
どうでもいい話だが、私は、この ミ→レ→ファ→シ→ド という終わり方が、『ブルーインパルス行進曲』の中間部の終わり方ににているので、ブルーインパルス終止と勝手に名づけている。


■コーラス部
有名なコーラスグループEVEが歌うAメロへの導入部である。

低い からオクターブ上の へ一気に上昇し、その後ファ→ミ→レ→ド と順次降りてくる音型は、ダ・カーポ 『地球(テラ)へ』 を思わせる。 宇宙のような壮大なスケールを想像させるお約束の音型だと思う。
私はこの音型からくる心理効果をスターウォーズ効果と勝手に呼んでいる。
『夏色のナンシー』の場合は宇宙ではなく、もちろん海だ。

3小節目に例のアレ、これまでも何回も書いてきた同主短調のⅣm6 が使われている。ここで聴く人は、せつなく深い郷愁へぐっと引き込まれる。
4小節目にもC長調にはない特徴的なコード Bb7 が出てくる。Rockの世界ではおなじみの和音だが、多用されるきっかけになったのは、ジグソー『スカイ・ハイ』(1975年) で C→Bb の進行により壮大なスケール感の演出に成功した例があり、その影響も大きいと推測している。
4小節の終わりを Fm6 のまま終わらせるよりはインパクトある締めくくりになっている。


■Aメロ
これまた不思議で解釈に困るコード進行なのであります。

”終止処理の結果現れた和音であって、あるセクションの冒頭に置かれた和音” を、人は その調の主和音と認知する傾向にある。
したがって、ここではAm調との推定が働くだろう。

次に現れる D7 は、通常の短音階にはない和音なのでいささか耳が戸惑うが、それは心地よい戸惑いだ。しかもメロディが 9th を奏でているので、不思議感倍増である。
 D7 は、Am調Ⅳ7 である Dm7 の第3音を半音上げた変化和音である。
ドリアンスケールの和音Ⅳとの解釈もできるが、それ以降はまったくドリアンらしい動きは出てこないので、ちょっと大袈裟な解釈ではある。
D77thを含んでいるので、C長調におけるダブルドミナントとも解釈できるが、G7 へ進まなかったことの説明がつかない。

次の Fm6  は、C長調とすれば、おなじみの同主短調 Ⅳm6 である。 お約束どおり一定の「切なさ効果」を付加してくれているが、D7→Fm6 の進行を許容する決定的な音楽理論が見つからない。
今のところ、「D7 も、Fm6 も、 いずれもサブドミナントの一種であって、サブドミナント同士だから接続が可能」 と強引に解釈しておくしかない。
また、このあたりからAm短調なのかC長調なのかわからなくなる。

最後に Em で終わるが、これはC長調であって、淡いトニック機能を持つ和音と解釈すればよいだろう。
 Emは、適度に切なさ・寂しさがある響きで、『夏色のナンシー』では、Em の 終わったか終わっていないか、はっきりしない性質を逆に上手く利用している。


■Bメロ前半4小節
前半4小節は、ほぼ順当な循環コードである。

をつけたクロマティックな経過音、刺繍音が心地よい。

 
■Bメロ後半4小節
後半4小節は、B7→Em の反復で緊張感を高めている。

まるで Em調 のような振る舞いであり、原調から離れた調にいること自体が緊張感を生む。
最後は、なんと Dm で終わる。これもサビの項で取り上げた、 Ⅲm→Ⅱm という短3和音のスライド下降であり、従来の歌謡曲にはない異様な響きである。 
もう、このワザは、『夏色のナンシー』の一番のアイデアといっても過言ではない。



■Cメロ 後半4小節
冒頭の「If You love me」 のメロディーは、稲妻型の特徴的な音型だ。「If You」  と  「love me」との間にはなんと長9度の音程差がある。 アイドルポップといえども、一定の歌唱力を要する箇所である。
Dm→DmM7→Dm7→Dm6 の並びは高音部でクリシェラインを形成する。クリシェの行き着く先はやはり、切なさの切り札 同主短調のⅣm6 である。
さきほどの、Bメロ後半部が、 ”緊張のピーク” だったとすれば、ここCメロの後半部は、 ”情緒のピーク” といえよう。
 

■おわりに・・・
以上見てきたように、和声的な工夫が随所にみられ、時には調性をあえて薄くしてポーカーフェイス的な響きを演出するなど、実に巧妙で大胆な作品である。
歌手 早見 優さんの新しいスタイルを切り開く契機にもなった作品である。

なお、この画期的なサウンドの一端を支えたアレンジャーの茂木由多加さんは惜しくも2003年亡くなられた。
30年経っても、この「響き」のカッコよさは衰えない。 素晴らしいサウンドを生んでくれた茂木さんに感謝。
(おわり)



盟友  佐久間 正英氏が茂木由多加について語るブログ
memories of Yutaka Mogi

(後日、訂正・加筆する場合があります。)


youtube動画 コカ・コーラCM 早見 優『夏色のナンシー』 (1983年)

小泉今日子 『魔女』 (1985年)
作詞:松本隆 作曲:筒美京平 編曲:中村哲

いわゆる小泉今日子全盛期 といってもいい1985年の作品であるが、今ひとつ地味な存在である。
秋元康氏が仕込んで42万枚を売り上げた同年のシングル『なんてったってアイドル』の存在が大きすぎるのかも知れない。
『なんてったってアイドル』が商業音楽的な側面が強いのに対し、『魔女』には、いわば純文学的?な清貧さ?が感じられる。
実際、CMやTVドラマなどの主だったタイアップは無い作品である。
とはいえ、オリコン週間第1位は獲得しており、商業的成果も小さくない。
 
さて、楽曲。
16ビート刻みのメロディーが淡々と展開される曲である。
まずAメロから見てみよう。


小節単位の音型を高さを変えながら3回繰り返し、4回目に異なる音型で締めくくる手法。

この音型の後半 は、南沙織『早春の港』のAメロにも同一のモチーフが見られる。筒美先生が常用されるモチーフだろうか?筒美作品における使用頻度を機会があったら計測してみたい。

歌のメロディーが各和音の9thの音をアクセントにしている点も特徴的である。

Ⅰ→Ⅵ→Ⅱ→Ⅳm  というコード進行は、先日取り上げたTOKIO 『AMBITIOUS JAPAN!』サビのコード進行と本質は同じである。(※ⅣとⅡはカデンツ機能的には同じ)

これらコード進行の最も重要な点は、4小節の最後を 長調におけるⅣmで締めくくっている点である。Ⅳmの効用は散々当ブログで書いた。なんともいえない「優しい切なさ」を付加する筒美先生御用達の和音なのである。


次に、♪魔女になりたいの絶対~♪ の絶対(ぜったい)のリズムに着目してみたい。

さきほどのAメロは小刻み(16分音符単位)に動く、ナイーブ、デリケート、繊細さを感じさせる動きであった。
対して、この「ぜっ たい!」のリズムは何のシンコペーションも無い、ベタな4分音符そのままである。
このリズムは、日常会話において「おれは必ず~する。ぜったい!」と決意を語る際のリズムに擬態している。
魔女になりたい女の子の “不器用ながらも切実な想い” が強調され、聴く者に「いじらしい」と感じさせる効果があると推測する。
かっこいいリズムだけにこだわってしまうミュージシャンなら選択しないメロディー(リズム)であろう。


コミカルで軽快なアレンジは、ラブコメディーに出てくるような変装劇によく合っている。
メロディーも伴奏も大きな起伏がなく淡々と展開される曲であるが、情感はむしろ強い曲である。
松本隆氏の編み出した虚構の女の子とはいえ、おそろしいまでのジェラシー。
平静を装った裏で燃やす恋慕の心。
自己嫌悪からくる変身願望。

音楽が軽快で爽やかなだけ、この子の切実さに一層胸を打たれる。


(※後日、加筆・訂正する場合がございます。)

youtube動画 小泉今日子 『魔女』 (1985年)

ゲストは岩崎宏美さん
 
♪  あなたお願いよ~ Lalalala~ 席を立たないで~ Lalalala~ ♪



私がいつもお世話になっているメディカツさん。
以前、影山一郎氏も出演したUストリーム番組『メディカツ』に、あの岩崎宏美さんが登場です!

Uストリーム番組『メディカツ』6月11日放送アーカイブ ←クリック

以下、メディカツさんより抜粋
 岩崎宏美さんが歌う大人のラブ・ソング集、全曲書下ろしによるオリジナルアルバム「Love」が近日中リリースされます。
 レコーディングの裏話や曲に秘める思いなど、楽しいトークで新曲を紹介しま~す♪ 
 また、これから夢を叶えたい人へのアドバイスや、岩崎さん自身のこれかの夢などももお聞きしちゃいます!
  当日は生で見ることができないという方も、アーカイブがありますのでご安心を。
 でも、やはり当日見ていただき、できれば、応援のメッセージなどをリアルタイムでいただきたいです!


とのこと。
リアルタイムで応援いただければ、司会の水越さんが取り上げてくれるかも!
拡散宣伝もよろしく!

他にもどんな話が飛び出てくるか楽しみです。
わたくし個人は、やはりデビュー当時、筒美京平作品を歌っていらっしゃった頃のエピソードを聞きたいですね。 しかしデビュー時のエピソードは、もう語り尽くされているかもしれませんが・・・
 
またいずれ、岩崎宏美さんの楽曲分析についても書いてみようかなと思います。


それでは皆さま是非、『メディカツ』をご覧になってください!

♪ もしも飛べるなら~ Lalalala~ 飛んでついてゆく~ ♪

Uストリーム番組『メディカツ』 歌手の岩崎宏美さん登場!







株式会社ピュアサウンド

TOKIO 『 AMBITIOUS JAPAN ! 』 (2003年)
作詞:なかにし礼 作曲:筒美京平 編曲:船山基紀

2003年10月1日東海道新幹線品川駅開業(とそれに伴うダイヤ改正)に合わせて制作されたJR東海のキャンペーンソングである。  品川駅で「のぞみ号」に乗れるという利便性向上もさることながら、新型(700系)車両の大幅増便が図られた画期的なダイヤ改正であった。
 
流線型の車体に「AMBITIOUS JAPAN!」 の塗装、くっきり鮮明なLED式発車案内表示などは、キャンペーンの重要なビジュアルシンボルとなり、“新幹線新時代”の幕開けをイメージさせた。

JR東海から提示された楽曲のコンセプトは「新しい鉄道唱歌を作って欲しい」という内容だったとのこと。
なかにし礼氏はそこから、クラーク博士の名言「Boys, be ambitious(少年よ、大志を抱け )」に寄せて「希望(のぞみ)は叶う」、「勇者」、「友情」、「輝く未来」といったポジティブなキーワードをつむぎだした。

世界に誇る高速度と安全性の一方で、効率化・省力化が進む日本の鉄道技術。無機質な方向へ技術が進化している中で、あえて「人の心」にコンセプトを置いた点は評価したい。

夢の超特急、東海道新幹線は長らく高度経済成長のシンボルでもあった。『AMBITIOUS JAPAN!』はカッコいい音楽でありながら、その実は“ニッポン経済再起”を願う応援歌なのかもしれない。

楽曲が素晴らしいことは言うを待たない。ソツないメロディー造りは、さすが安心の筒美ブランドである。歴史的キャンペーンソング制作にふさわしい人選だったと思う。

全体を支配している8ビートリズム(ドラム&ベース)は、列車の走行感をうまく表しており、高速、それでいてドタバタを感じさせない静音設計は、まさに現代新幹線の走行感である。
Aメロの「風切り裂いて走るように」の箇所のコード進行 Cm → F7 → BbM7 もインテリジェンスを感じさせる響きであり、これまた新幹線の高度(smart)な運転制御を思わせる要素である。

サビには、例によって筒美先生の得意技、長調におけるⅣmが登場する。
 これまで何度も書いているが、長調進行でⅣmを混ぜたときの「切なさ効果」は絶大である。「切なさ」に加えて空間的広がり(深み)を感じさせる心理効果があり、人によっては、新幹線の半世紀の歴史をもイメージさせる歴史的広がり を感じさせる効果さえあるかもしれない。
筒美作品が、ただ「単にカッコいい」だけで終わらないのは、こういうサビの最も深いところに哀愁の仕掛けを潜ませる技術によるところも大きい。

さて2003年のキャンペーンから今年でちょうど10年経過したが、楽曲はまったく色あせない。
Aメロとサビの冒頭のメロディーは、今でものぞみ号車内オルゴールで使用されている。おそらく半永久使用となるだろう。流行歌で終わるはずだったメロディーが、長期にわたって実用され続けることは筒美先生、作曲家冥利につきるのではないだろうか?


(※後日、加筆・訂正する場合があります)

youtube動画 TOKIO 『AMBITIOUS JAPAN ! 』

小幡洋子 『もしも空を飛べたら』 (1986年)
作詞:松本隆   作曲:筒美京平   編曲:鷺巣詩郎

皆様ご存知、スタジオジブリの名作『天空の城ラピュタ』のイメージソングである。
清涼飲料水『ラピュタ』(味の素)のCMソングとして制作された。
アニメの劇場公開は1986年の8月。イメージソングは約2ヶ月先行して5月25日に発売。
当時、わたしは社会人1年生。新人研修が終わって配属先で働き始めた頃だ。
CMに登場する"フラップター”とかいう羽ばたき飛行機に、大人げもなく乗ってみたいと思ったものだ。

レコード盤を見ると、『アニメージュレコード』と印刷されている。
アニメ雑誌『アニメージュ』 (徳間書店)が主導するという趣旨のレコードレーベルであったと思うが、現在このレーベルは存在しない。

例によって筒美京平作品。1コーラスの構成は、
 
となっている。
どこを切り取っても素晴らしいので、ピックアップする箇所に迷うが、先に間奏に触れておこう。
間奏のダイナミックなアレンジはもはや神業である。見事にフラップターの"滑空感”が表現されている。
ロックなどのカッコいい伴奏スタイルにこだわってしまう人だったら、このような情景描写はできない。ファッション的なかっこよさを追求するのではなく、あくまでも情景の動きを忠実に追う姿勢が要求される。
「叙情的」とか「叙景的」という芸術を評価する言葉があるが、 「叙動的」という言葉があってもよいのではないかと思う。
ちなみにこの間奏部分は、かつてファミコンソフト『グリーンベレー』オープニングを作曲する際、大いに参考になった。
 
サビの ♪もしも~空を飛べたら~あああ~♪ はたいへん覚えやすく爽快である。
CMで使用される性格上、サビはキャッチーでなければならず、あまり難解にはできない。
この曲に限らず80年代以降の筒美作品は、サビはわかりやすいメロディーにし、サビ以外の部分で難解なメロディーにチャレンジする実験が少なからず見受けられる。

最も難解だと思われるBメロのコード解析をしてみた。ここは小幡洋子さんも歌いづらい箇所だったのでは?と思う。

この曲はAm(マイナー)調である。 
  Am 調のであるコード Dm を、Dm9
  Am 調のであるコード E を、E7b9
のように9th音で装飾する手法は、先日書いた ル・ミストラル『青い地平線』とまったく同じ。ジャズ的なお約束なのである。

注目すべきは後段。ここはE長調への転調とみていい。
♪助走して飛びあがるから~♪ のメロディーを聴いて、地に足がついていないような微妙な不思議感を感じるのは、Am調からの転調先としてあまり期待(予想)されないE長調であるためと思われる。
作曲初心者の場合、こんな調に転調してしまうと元の調に戻れなくなってしまう。

凝っているのは、和音 Baugを使用している点。aug(オーギュメント)和音は極度な不安定さを感じさせる。
さらに印をつけたカウンターメロディーのの音は、Baug構成音であるレ#とぶつかり合い濁る。まさに不安定感の極地である。この小節は、一刻も早く安定和音EM7へ進むことを耳が要求する。

EM7へ到達すると、ひとときの安心を耳が感じるが、まだアウェイ感はぬぐえず、ひとまず一時避難したような感じ。本来の調ではないからだ。

最後の小節でうまくAm調へ戻れるように誘導している。ここのクロマティックな下降はとてもお洒落だ。

以上のようなテクニックはジャズ系の人なら基本的なことかもしれないが、"大衆に親しめる歌”という点を維持しながら、これらを応用するのは難しい。アイドルポップという範疇で、きわめて巧妙に難易度を調整した傑作だと思う。




(※後日、加筆・訂正する場合があります。)


youtube動画 小幡洋子『もしも空を飛べたら』


おまけ
味の素『ラピュタ』のCMを見る→ youtube動画 『ラピュタ』CM

丸山圭子 『ラ・ムール』 (1983年)
作詞:丸山圭子 作曲:筒美京平 編曲:小笠原 寛

平岩弓枝ドラマシリーズ『湖水祭』(フジテレビ系)の主題歌である。アルバム『XANTHIPPE』(読み方がわからない;;)A面2に収録されている。

1983年の筒美京平といえば、松田聖子、中森明菜の攻勢に負けじと早見優、小泉今日子、河合奈保子らへの楽曲提供をスタートさせた年でもある。
筒美京平研究家の榊ひろとさんの年代区分によると第5期(第2次女性アイドル隆盛期)に相当するらしい。
華やかなアイドルポップが歌番組を席巻する中で『ラ・ムール』のようなアダルトポップも脈々と作られていたのであり、野口五郎『19:00の街』などと同様、期間限定のドラマ主題歌には隠れた傑作が多い。

さて、筒美センセが形式(楽式ともいう、モチーフ、フレーズ、楽節、二部形式などの用語で音楽の構造を定めたルールのこと) にこだわらない斬新な作り方をすることは、シェリー『カリブの夢』や 稲垣潤一『ドラマティックレイン』の記事でも述べた。

突拍子もない対比になってしまうが、音楽の形式は、明治陸軍の師団編成に似ている。
 2個連隊で1個旅団を編成し、2個旅団で1個師団を編成する。
音楽も、 
  2個モチーフで1個フレーズを編成し、2個フレーズで1個楽節を編成する。

というように階層的に構成されており、基本的にどの単位も2個で1組となっている。
 
2という数を組にしやすいのは、「提起」に対して「応答」というように、人間が最も理解しやすい原初的な構造だからである。
童謡や文部省歌のほとんどは、この2個1組ルールに則って作られており、やはりこのルールが最も安心かつ安定して聴けるのである。
逆にいえば、あまりにも「当たり前」すぎてつまらないともいえる。

さて、以上の古典的ルールを踏まえて『ラ・ムール』のサビがいかに変則的であるかを見てみたい。

形式の境目がわかりづらくなっている。 マークを入れたところまでが一区切りであろう。そこまでは3小節でできていることになる。3小節となるとこれをモチーフと呼んでいいのかわからない、フレーズと呼ぶべきかもしれないのだ。

おそらくモチーフ1個あたり3小節、フレーズ1個あたり6小節という解釈でよいだろう。

歌詞に照らしてみると、 
 ♪ラ・ムール今わたしをだきしめて~♪ で、小さな終止があるのである。

終止の種類には「半終止」と「完全終止」があるが、このような終止を何と呼べばいいのかわからない(しいて言えば「半終止」の一種だろう)ので仮に「プチ終止」とでも名づけよう。

筒美作品には、3小節モチーフでプチ終止させるパターンがたびたび見られる。 
『ドラマティックレイン』
   ♪レインもっと強く~♪ 
も3小節で構成され、「強く~」でプチ終止させている。 

『ブルーライトヨコハマ』
  ♪街の灯りがとてもきれいねヨコハマ~♪
も3小節で構成され、「ヨコハマ~」でプチ終止させている。

「筒美センセの作られる曲は、他の人が作った曲とどこかが違う」という感覚が起こるのは、以上のような形式の変則性も原因のひとつになっているように思う。

               参考文献: 石桁真礼生 著 「楽式論」 音楽之友社
                       「よい子の歌謡曲」 冬樹社

(※後日加筆訂正する場合があります。)

youtube動画 丸山圭子 『ラ・ムール』

南沙織 『想い出通り』 (1975年)
作詞:有馬三恵子 作曲:筒美京平 編曲:萩田光雄

筒美京平ウォッチャーの第一人者である近田春夫氏が、かつて、「筒美作品を好きな順でランキングするのは迷う。その日の気分によって変わるから」という趣旨の発言をされていたが、私も同感である。
すべての筒美作品についてランキングせよと言われたら躊躇するだろう。愛すべき曲があまりにも多く、ジャンルも多岐にわたるからである。
聴くときのシチュエーションごとに好きな曲が存在するといっても過言ではない。


南沙織さんの『想い出通り』は、陽射しがまぶしく、薄着で過ごせる爽やかな頃合になると、決まって聴きたくなる曲。  最も好きな曲(の一つ)と言ってもいい。
 
まずこの曲のリズムが好き。1拍3連系の四拍子である。
 (※いわゆる「ロッカバラード」か?リズムを表す用語は結構あいまいで困る)
ベースラインの動きがいかにもロッカバラード風だが重くはなく、全体として軽快なノリに仕上がっている。
フレンチポップスの名曲『オー・シャンゼリゼ』もそうだが、3連音符でスキップするようなリズムは、ウキウキとした気分で「歩く」ような動作の表現にぴったりだ。

『オー・シャンゼリゼ』(南沙織)を聴く→

『想い出通り』は、もう少しゆったりしているが、まさに街を闊歩する曲なのである。

街を闊歩する・・・といえば、超ローカルネタで恐縮だが、神戸三宮のさんちかタウンのテーマ曲 チェリッシュ『愛の風景』 (作詞:林春生 作曲:馬飼野俊一)も1拍3連系の四拍子である。

      さんちかタウンのテーマ曲を聴く→

さんちかタウン(笑)を歩いてるような気分になっていただけたであろうか?
 
さて、 筒美センセの『想い出通り』は、歌詞、メロディー、コードのマッチングがいつもながらに素晴らしい。使用しているコード自体に奇抜なものはない。しいて言えばBm(G調におけるⅢ)の多用が挙げられるだろうか。Ⅲの和音は、長音階の曲にちょとした切なさを付加する。
今回はメロディーのアクセント(強勢)についてみてみたい。

小節の頭からフレーズが始まるものを“強起”という。強起のフレーズは、弱起に比べ、ストレートさ(率直さ)や積極さを感じさせる傾向にある。つまり、まわりくどさ、もったいぶりの無いフレーズということだ。
この曲は、拍をまたがるシンコペーションの頻度も少ない。これは拍の先頭に素直にアクセントが来ることを意味する。

次に歌詞を見てみよう。「恋人」、「底抜け」という単語は、

というように先頭の音節にアクセントがあると考えられる。ここでいうアクセントとは強勢(Stress)のことであってイントネーションのピークではない。これら単語のアクセント位置は、第1拍目と第3拍目に一致する。
南沙織さんがそのポイントでとりたてて力んで歌っているわけではないが、「恋人」の「こ」、「底抜け」の「そ」に自然にアクセントが入っているはずだ。(アクセントがあると思われる位置にマークをつけてみた)

さらに、この曲は、
  ・比較的音符がつまった「密」 (1小節)
  ・比較的音符がまばらな「疎」 (1小節)
を「密」→「疎」のようにつなげてモチーフ一単位とし、交互に並べるというルールにおおむね支配されている。(※サビ部は幾分、変則的である。)
「密」の部分は歌詞アクセントと拍子との一致が顕著で強く押し出す区間である。対して「疎」の部分は少し力をぬくようなニュアンス。「急」→「緩」という表現でもいいかもしれない。

これらの特性が、のっけからたたみかける印象を持たせ、底抜けな明るさ、遠慮のない屈託の無さの表現に一役買っていると推測する。

~~~~
♪遠慮を知らないあの若さ ひと時代まえね~♪
もう、ひと時代どころではなくなってしまった1975年。戻れるものなら戻ってみたい・・・

(※後日加筆訂正する場合があります。)


南沙織 『想い出通り』 (1975年)

 

 

ル・ミストラル 『青い地平線』 (1978年)
作詞:なかにし礼,LINDA RHEE  作曲:筒美京平

70年代後半。朝の情報番組『おはよう700』 (TBS系列)にはキャラバンIIという人気コーナーがあった。
車で外国を旅する企画で、『ビューティフル・サンデー』、『カントリー・ロード』、『バタフライ』など、その背景に流すテーマソングが代々ヒットするという現象を生み出した。中学生の頃、朝ごはんを食べながらよく見ていたものである。

最初の『ビューティフル・サンデー』から外国曲が5曲続いたが、6曲目に日本人が歌う『青い地平線』が採用された。
歌っているのはブレッド&バターという兄弟なのだが、当初それは秘匿されてル・ミストラルという名義で公開されたとのこと。高音域をカバーするソフトな声は後年登場する稲垣潤一を思わせる。

当時、世の中はディスコがフィーバーしていた頃で、その影響あってか ”2拍4拍のスネアに重点が置かれた正確なリズム” である。
しかしベースの動きなどを見ていると『オリーブの首飾り』に近いかもしれない。イントロやメロディーに絡むオブリガードに使われる楽器もエキゾチックな感じ。
そういえば、この曲はキャラバンIIのヨーロッパ編に使われていた。想像の域を出ないが「ヨーロッパをイメージするように」という要請もあったかもしれない。
とはいえ、サビのコードはかなり jazzyである。今回はこのサビ部分をピックアップしたい。

特徴的なモチーフ ♪Dreaming♪ と ♪wanting♪  は、まったく同じ音形であるが、前者はDm99thが、後者はFM9メジャー7thが、メロディーのアクセントノートに当てられている。アクセントノートに当てるということは、そのモチーフの核心(重心)が、9th や メジャー7thであることを、より強調する意図がある。
狭義のジャズスタイルとはいえないが、ジャズテイストな響きではある。

2小節目の和音GはC長調のドミナント(Ⅴ)にあたるので、古典的な機能和声としてはトニック(Ⅰ)に進行するべきところだが、サブドミナント(Ⅳ)のFM9に逆進行している。実は7thや9thなどのテンションを重ねてゆくと、機能性が和らぐというかあいまいになるのである。
FM9はトニック的な構成音(ド、ミ、ソ)も含んでおり、もはやサブドミナントなのかトニックなのかはっきりしなくなる。
  
このあいまいさが逆にジャズ的響きを強調するのである。フュージョンが普及する80年代以降では、めずらしい手法ではないが、この頃の歌謡曲としては先駆的であると思う。

6小節目のD7は本来G に進むことを期待させる借用和音であり、C長調では特別な響きを持ち、当曲の中で最も意外性を感じさせる和音である。
歌のメロディーは、♪I Know~♪  と小規模に終止させているが、 D7 の特別な響きは、その終止を彩るかのように使われ、実際にはGには進まない。
和音 D7 の第3音 ファ# は、原スケールに無い音であり、それをあえて歌のメロディーに使用している。 これは伴奏にたよらなくとも歌だけで意外性を感じさせられることを意味する。

意外性のある和音を、メロディーの重要箇所と一致させる巧妙さ。 簡単なようで上手くはめるのはけっこう難しい。
筒美京平先生のこういうセンスは、他の追従を許さないものがある。


 

(※後日、加筆・訂正することがあります)
youtube動画 ル・ミストラル 『青い地平線』
お宝文献発掘② 伊福部 昭 『管弦楽法』 下巻 音楽之友社

お宝文献発掘というよりは、「宝の持ち腐れ」というシリーズにした方がいいかもしれない。
当ブログを書くようになって、自宅の押入れや事務所倉庫にホコリをかぶって眠っているレコード、CD、楽譜、教科書、雑誌を発掘することが増えた。 雑誌のオマケの歌本から立派そうに見える書籍まで色々ある。 中には買った覚えがないものまで・・・うーん謎だ。

その中でひときわ分厚い本があった。「伊福部昭 著」と書いてある。伊福部・・・今さらながら、うひゃっ!だ。
 
伊福部昭さんといえば、一連のゴジラ作品(東宝 1954~1995年)など特撮映画の音楽を手がけていることで有名。
わたしの好きな映画音楽『八甲田山』を手がけた芥川也寸志さんの師匠にもあたる。

この本は高校3年生の時、姫路市の書店でふと目にして買ったように思う。
単純な私のことだから、これさえ読めばオーケストラの曲が書けるようになると浅ましく考えたにちがいない。
値段を見ると4000円と書いてある。2か月分の小遣いがふっとんだはず。上巻ではなく下巻なのは、たまたま下巻しか置いてなかったという単純な理由だと思う。
ぶっちゃけ、読んでみたらさっぱり理解できず、早々に放り出してしまった。

この本を手に取ると芸大受験の面接(1982年)を思い出す。
面接官は作曲科の 七ッ矢博資教授(当時、助教授)だった。
「君はどんな本を読んでるか?」とたずねられた時に、とっさに 伊福部 昭 『管弦楽法』と答えてしまった。すると七ツ矢先生は「君!それは今、絶版になっていてなかなか入手できない貴重な本なんだよ!」とたいそう驚かれた。
しばし呆然としている私の顔を見て(ああ、この子は理解してねーな)と察したようで、それ以上たずねられなかった。
伊福部昭さんが凄い人だと知ったのは、ずっと後のことである。当時、歌謡曲ばかり聴いていた私にはわからなかった。
なんとも苦々しい思い出である。

さて、この「下巻」の内容だが、主に人間の聴覚のしくみや、楽器の音響特性 などが書かれていて、なぜか理系的な内容ばかり。
一般的な管弦楽法本に書かれるような楽器の用法、オーケストラの構成などは、おそらく「上巻」で完結していたのだろう。
各楽器の固有の周波数特性(共鳴特性)の図までが詳細に載っており、これはもはや音響工学。自然科学系の学者の仕事である。
一流の音楽家でも、音色スペクトルまで計算に入れてスコアを書く人は少ないのでは?と思う。

伊福部昭さんは、音楽の英才教育を受けてきたわけではなく、作曲もバイオリンもほとんど独学でマスターしてきた。 専門は林業技師なのである。
太平洋戦争中は、戦時科学研究員として放射線による航空機用木材強化の研究に従事したとのこと。

伊福部昭さんは、音楽家であると同時に科学者であったのだ。


youtube動画  伊福部 昭  『怪獣大戦争』(自衛隊マーチ)
宇野誠一郎 と 学生劇団 『自由舞台』

作曲家 宇野誠一郎先生は、いわゆる流行歌(歌謡曲)の作曲家ではない。
私が知っている限りでは、流行歌は1曲もない。
(※朝丘雪路さん、松島トモ子さんに作品提供したとの情報あるが、内容不詳)

後日とりあげたい作曲家 渡辺岳夫先生と同様、劇伴(劇中BGM)の作曲家なのである。恐れ多い比較だが、この点われわれゲーム音楽屋にも通ずるところがある。
諸先生方が劇伴作曲家の道へ進まれた動機は様々だが、渡辺岳夫先生がTBS社員としてドラマ制作に関わっていた体験が大きいように、宇野先生においても演劇の仲間たちとの共同作業から得た体験や連帯感が、その後の人生に大きく影響していると思う。

人形劇「チロリン村とくるみの木」(1956年)、人形劇「ひょっこりひょうたん島」(1964年)などNHKのラジオ・テレビ番組での数々の仕事は、プロとしての実力を蓄え、知名度を着実に上げていった。
また、この時期、放送作家の井上ひさし氏、童話作家の山元護久氏らと出会うが、そういう人脈、信頼関係が70年代アニメでの大活躍につながってゆく。

童謡『アイアイ』もこの頃の作で、まさに児童向けの音楽に徹しているようなご経歴である。
では、子供のための音楽が宇野誠一郎の原点なのであろうか?

先日、当ブログで「戦後の労働歌、革命歌、そしてその影響を受けたであろうと思われる当時の学生演劇を調べている」と書いたが、その過程で『第7旅団の歌』なる過激な歌が存在することを知った。歌詞の要所だけ抜粋させていただく。

 俺らは戦うために来たのだ
 第七旅団のゆくところ ファシストは滅ぶ
 第七旅団のゆくところ ファシストは滅ぶ
 進め! 進め!

なんと!この曲の作曲者は宇野誠一郎とのこと。そこに “ひょっこり” や “アイアイ”のようなコミカルさはない・・・

さて、私の大好きな政治評論家に三宅久之さんがいる。
惜しくも昨年亡くなられた。

三宅久之さんが学生時代に演劇に没頭されていたことはご存知であろうか?

三宅さんは1949年に早稲田大学第一文学部に入学。宇野誠一郎さんも早稲田第一文学部なので三宅さんの3期先輩にあたる(※宇野さんに浪人時代がなければ)

入学早々に三宅さんが入部したのが学生劇団『自由舞台』である。そこで三宅さんは役者としてよりもプロデューサーとして敏腕をふるい、1951年公演のロマン・ロラン「愛と死との戯れ」では大隈講堂を観客で満員にする。
三宅さんは財政難だった劇団の建て直しに貢献した功労者なのである。

当時、終戦からまだ4~6年しか経ってなく、多大な戦禍をもたらした帝国主義の対極にあるものとして社会主義が希求され、大学はイデオロギー闘争の場と化した。
当人が好むと好まざるにかかわらず、過激な風潮に呑み込まれざるを得ない時代だったと推測する。
三宅久之さんの回想からも、当時の早稲田の過激なムードがうかがえる。
劇団『自由舞台』が演じる演目に当然イデオロギー色の強いものもあったであろう。

翌年の1952年、『自由舞台』はスペイン内戦を描いた『プラーグの栗並木の下で』を上演する。ここで音楽を担当したのが当時25歳の宇野誠一郎さんなのである。
『第7旅団の歌』は、この演目のために作られた。『第7旅団の歌』はその後『自由舞台』で代々歌い継がれたらしく、代表的な革命歌のひとつとして挙げられる。
あいにく音源も楽譜もなく、どのようなメロディーだったかわからない。また、宇野誠一郎さんがどのような考え・気持ちで作曲に臨まれたかを知る術はない。

ただ、言えるのは、子供向けの曲 = 穏便・無難 ではない ということだ。
CD『宇野誠一郎作品集』のブックレットを読むと、既成の価値観との壮絶な闘い、信念に反する要求は断固拒否する姿勢等々、反骨精神隆々たる宇野誠一郎の仕事ぶりを見ることができる。
 
『ムーミン』、『ふしぎなメルモ』の源流に以上のような意外な背景があったことは興味深い。

いや、もっと興味深いことがある。
政治評論家 三宅久之 と 作曲家 宇野誠一郎。  
この両先生に接点はあったのだろうか?


          参考文献 回想記〈「自由舞台」と私〉 坪松裕
                 CD 宇野誠一郎作品集 (発売元:ウルトラ・ヴァイヴ)
後日、加筆・訂正することがあります。