昭和レトロサウンド考房

昭和レトロサウンド考房

昭和レトロサウンド、昔の歌謡曲・和製ポップス、70年代アイドル歌手についての独断と偏見。 音楽理論研究&音楽心理学研究など

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昭和歌謡曲 作曲編曲実験

~ヴィンテージアレンジ(歴史的編曲法の研究)~


~ 松本隆+筒美京平 という様式 ~
その様式の制限内でいかにオリジナリティを創出できるかの作曲実験。
加えて萩田光雄的ストリングス作法の追求。
今作は、ポール・モーリア全盛期である1975年あたりのクラシカルなアレンジを目指します。

  ♪ 『夜想曲』2024.5.8版        作詞:定村 薫       作曲・編曲:禎 清宏

©Music Composition Experiment Project

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ハイヒール 歌詞は、松本隆作品を統計学的に分析研究されている東京国際大学の定村薫 先生に書いていただきました。
『松本隆の歌詞の使用単語についての計量テキスト分析』 定村 薫
https://shobi-u.repo.nii.ac.jp/records/684
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カラオケ 歌声は合成ではなく加工です。フォルマント近似者の協力を得て作成しました。
※近年話題の生成AI(人工知能)は一切利用せず、すべて手作業で加工処理したものです。
 



 

 

 太田裕美さんの声質を研究中!

 われわれの世代、特にわたしのような裕美ファンにとっては「神聖にして侵すべからず」というべき声であり、測定にかけること自体畏れ多いことだが、この美声の本質に迫りたい一心ゆえの探求、なにとぞご容赦願いたい。

画像は母音「あ」のフォルマント分布図。
ある対象の"特徴"を知るためには、当然ながらその対象以外の多くの事例と比較しなければならない。 しかし、日本人の声の高次フォルマントの調査文献は意外に少ない。特に日本人女性についての調査資料は探しきれなかった。 そこで前回の研究対象であった南沙織さん(以下 敬称略)の「あ」と比較することにした。
カラオケ
第1フォルマント(F1)、第2フォルマント(F2)は音韻(言葉としての弁別)を表すピークで、両者ともに平均的な「あ」の配置に見事に一致している。
第3フォルマント(F3)は音韻性と個人性の両方に寄与するピークだが、ここも両者ほぼ一致している。

注目点は4000Hz台に分布する第4フォルマント(F4)である。ここでは両者で大きな違いが見られる。 第4フォルマントは、調音(唇、舌、歯、鼻腔で音を意図的に作る行為)の影響を受けず、「喉頭室の容積」といった個々人の身体的特徴により決まるとされる。すなわち最も個人性を表す指標といえる。
太田裕美が4000Hz台の上半分に分布しているのに対し、南沙織は、下半分にピークが見られる。この違いを聴感上のイメージとして言葉で表現するのは難しいが、太田裕美の声は比較的「幼く」聴こえ、南沙織の声は「大人びて、低音が艶やかに」響くといえるのではないだろうか。

竹内まりあさんの声を分析したことはないが、低音の魅力あふれる彼女の声もおそらく南沙織同様、4000Hz台の比較的低いところにF4が分布しているものと推測する。
 


今回図示したのは「あ」のみだが、「い」、「う」、「え」、「お」のF4についても、ほぼ同様の結果が得られた。 太田裕美の歌声のあのケナゲな愛くるしさは、F4の分布位置によるものが大きいのかもしれない。
ハイヒール
加えて独特な「舌足らずさ」も太田裕美の大きな魅力である。たとえば「い」の発音は総じて「え」に近い。こういう特徴は母音ごとに切り出してみないとわからない。人間の耳がいかに都合よく補正しているかがよくわかる。

さて、次の段階ではフォルマント近似者の協力を得て太田裕美の歌声の再現にトライしてみたい。

昭和歌謡曲 作曲編曲実験

~ヴィンテージアレンジ(歴史的編曲法の研究)~


 

 (壮大なる?)作曲実験!  4曲まとめて聴いてね!
今年は沖縄返還(1972年)から50年とのこと。曲調はその頃のサウンド傾向を目指して制作。
ボーカル音声は合成ではなく加工。シンシアな声に聴こえるかな?
声の分析から始めて7年経過。軽く実験のつもりが、けっこう大がかりなことになってしまった。
歌声の母音部分の加工に莫大な時間と労力を費やしたが、目標の声への近似度は50%以下といったところか(泣)
…チキショー!AIなんかに負けたくない!

ハイビスカス 映像について:
香川県の映画監督 梅木桂子さんをはじめ映像のプロの方々が昭和な背景を添えてくれました。
協力いただいたすべての人に感謝です。


 

  ♪ 『約束のなぎさ』2022.6.16版        作詞:深町めおん       作曲・編曲:禎 清宏

©Music Composition Experiment Project



 

  ♪ 『帰らぬ季節』2022.2.16版        作詞:喜美納子       作曲・編曲:禎 清宏

©Music Composition Experiment Project



 

  ♪ 『唇の予感』2022.6.16版        作詞:深町めおん       作曲・編曲:禎 清宏

©Music Composition Experiment Project



 

  ♪ 『気まぐれな人』2022.6.15版        作詞:喜美納子       作曲・編曲:禎 清宏

©Music Composition Experiment Project




 

  ~ Cynthia Project Credit ~

   Musician
    Chorus 勝 桂子 浅川礼奈
    Trumpet 山崎千裕
    Trombone 脇村佑輔
    AcousticGuitar JERRY
    ElectricGuitar 川島憲治 多賀元哉
    Keybord 住用 市
    Bass 山田 豪
    Drums 坂本 唯

   Engineer
    Mixing Engineer 前田 励

   Studio
    Nasoundra Palace Studio
    Studio MARK

   Special Thanks
    Original Vocalist Cynthia

 

 

~ 南沙織らしさは鼻音化がカギか ~

 憧れの南沙織さんの歌声を再現するべく フォルマント近似者 の協力を得て2015年から研究を続けているが、なかなか納得ゆく仕上がりにならない。かれこれ3年も経過してしまった。
聴き手が歌声の個人性を識別できるのは母音(a,i,u,e,o)の 周波数特性 によるところが大きい。

 会話音声においても一般に母音は子音に比べパワー持続時間が長いが、歌声の場合は、歌であるがゆえに当然に母音の持続時間が長くなる。かかる理由から研究時間の9割を母音の分析加工に捧げてきた。

 母音の個人性は 共鳴周波数のピーク(フォルマント) を特定し、そこを強調することで理論上再現できる

 たしかに、母音区間だけを短く切り出し再生させてみると、その瞬間はけっこう南沙織さん声に聴こえる。 しかし、複数の音節にわたって聴くと似ていないのである。これには正直まいった;;
 おそらく、ひとつの母音の区間においてもなんらかの 経時的変化 が生じており、とりわけ 鼻音化 による変化が大きいのだろうと想像はついた。
 実際、恥ずかしさに耐えながら自分でモノマネして歌ってみると要所要所で無意識に鼻声にしている(いやはや自分の声は聴くにたえない;;)。

 この鼻音がやっかい。共鳴周波数のピークであるフォルマントとは逆の「谷」にあたる部分アンチフォルマントを特定しなければならない。アンチフォルマント推定に関する文献はおそろしく少ない。今の私の実力ではアンチフォルマントを数学的に求めるのは無理であろう。

 ならば、南沙織さん声「ん」のスペクトルを眺めてみよう。
最も南沙織らしく聴こえる「ん」を2個選び出し FFT解析


 


 スペクトル図を遠目でぼんやり眺めて見ると、なんとなく3,000Hz と 6,000Hzあたりに負のベクトルを感じる。
それが正しければアンチフォルマントは3000Hz間隔で分布してるのかもしれない。
(※注:鼻腔のような分岐音響管の場合、共鳴周波数の分布は複雑で必ずしも等間隔とは限らない)
 9000Hz以上の高域は、個人性識別には大きく寄与しないので無視してもよいだろう。 ある母音に対して3,000Hzと6,000Hzあたりのパワーを下げてみた。なるほど鼻声だ(鼻音といっても「m」と「n」と鼻濁音とでは厳密にはフォルマント構造が異なるのだが)。

 目標達成にはまだまだ遠いが、フィルター加工により(聴いた感じ)ある程度近似できたことは、大きな前進でありました。


 

(後日、加筆・訂正する場合があります。)

小原乃梨子『ドラドラ子猫とチャカチャカ娘』(1970年)
作詞:水野礼子 作曲:橋場清

本作は『チキチキマシン猛レース』などで有名なハンナ・バーベラ・プロダクション製作のアニメ『Josie and the Pussycats』の日本語吹き替え版の主題歌である。

 

 


放映権者のNET(現テレビ朝日)は、一連のハンナ・バーベラ作品を放映するにあたり、日本独自の主題歌を各個に制作した。『チキチキ~』をはじめとして、このシリーズは味わい深い主題歌が多い。

ドラドラ子猫

さてこの『ドラドラ子猫とチャカチャカ娘』、歌うのは“のび太”の声を長らく演じられた小原乃梨子さん(当時35歳)。
けっして本格歌手ではない小原乃梨子さんだが、懸命に歌う声が60~70年代流行のエレキバンドなアレンジに乗ってたいへん印象深い。
チャカチャカ娘という語感もたまらないものがある。

冒頭の歌詞「いたずら大好き 冒険大好き」の箇所は、
  Dm-A7-A7-Dm (Ⅰm-Ⅴ7-Ⅴ7-Ⅰm)
という 旋律的短音階 特有の和声進行である。ちょいとレトロで悲しげな響きのする進行であり、古くはアンドリューズ・シスターズ『O Joseph,Joseph』(1938年)などにその進行を見ることができる。
※『O Joseph,Joseph』は後年、『ニューヨーク恋物語』(1989年フジテレビ)の主題歌として EVEがカバー。


ドラドラ子猫Aメロ


メロディーに短音階の導音(Leading-tone)を積極的に使うことにより旋律的短音階が持つ “モノ悲しさ” がより強調される(丸印参照)。
身近なところでは、 Mi-Ke『想い出の九十九里浜』(1991年)、美少女戦士セーラームーンの主題歌『ムーンライト伝説』(1992年)にも同様の手法が見られ、いずれも歌の冒頭(Aメロ部分)に使用されている。


ドラドラ子猫Bメロ


Bメロの前半4小節は、A7-Dm-Gm7-C7-F は、いかにも日本のポップスらしい進行。
特に Gm7-C7-F という4度進行部分は、戦後の日本人が好む響きのひとつだと思われる。
『ぼくらのバロム・1』『戦え! 仮面ライダーV3』『がんばれロボコン』など、あの菊池俊輔先生もBメロ導入(サビ導入)に多用するする和声進行である。

にゃー

このシリーズは他にも、『スカイキッド・ブラック魔王』『ペネロッピー絶体絶命』など記憶に残る良曲が多いが、これらを作曲した橋場 清 さんについての情報は驚くほど少ない。個性的な作風だけに、もっと評価されてもよい作曲家だと思う。

(後日、訂正・加筆する場合があります)
 

パティ・ペイジとパツィー・クライン



先日買ったCD「コニー・フランシス」に続き、日本の歌謡曲に影響を与えたカントリーミュージックを聴き込んでみたい。

■パティ・ペイジ
帯に「ポピュラーの定番」とある。
わたしの両親はいずれも戦前生まれで、パティ・ペイジをリアルタイムで聴き馴染んだ世代。とりわけ母親は今でも『テネシーワルツ』が好きと言う。
映画「鉄道員」(ぽっぽや)の劇中でも『テネシーワルツ』が、この世代の象徴のように使われた。

■パツィー・クライン
パツィー・クラインの活躍は主に60年代。「カントリーミュージックをポップ化させた人」という位置づけらしい。
カントリー調であるがリズムのスタイルとしては3連ロッカバラード(12/8拍子)の比率が高い。
パティ・ペイジよりも10年ほど時代が下るので、アレンジ・録音技術いずれも進歩がみられ、たいへん聴き心地がよい。
低音に存在感のある伸びやかな声であります。

これらCDを聴いてると、日本の歌謡曲で聴き馴染みのある、あのパーツこのパーツが随所に現れ、やはりこのあたりが原点なんだろうなぁと、あらためて思う。



『作詞入門』 阿久 悠 著(岩波書店)




いえいえ、私なんぞが作詞をするわけではありません;;

この本、「入門」と銘打っているものの内容は、詞に対する考え方、歌手の売り出し方、時代の読み方、それらの実践例が綴られ、阿久悠さんの仕事哲学、生き様を汲み取るべきドキュメンタリーのような本であります。

阿久先生、冒頭から「入門書なんて読んだところで作詞家にはなれない」と厳しいお言葉;;
読む者にパンチを食らわしておいて持論に引きずり込むのも阿久流マーケティングか?

もちろん作詞の技術・ノウハウも書かれているので、作詞家志望の人は読む価値あり。
歌謡曲ヲタの私は、当時の制作現場の空気感が伝わって来て面白かった。

「歌詞は文学ではない。商品だ」 とか 「良いものを作るより、売れるものを作る」 とも言い切っておられ、数々のヒット曲の裏に綿密な広告戦略・商品戦略が練られていたことをうかがわせる。

そういえば阿久悠さん、糸井重里さん、売野雅勇さん、三浦徳子さん、以上の先生方は皆、広告業界ご出身。

メディアミックスの手法が発達・成熟してゆく時代。
文才とマーケティング力との両方を兼ね備えた作詞家たちが、短納期・大量生産という激務をこなしたのであります。その作品たちがキラ星のごとく昭和歌謡曲に彩りを添えているのですね。

情報理論と音楽 旋律の有限性②

 前回に続き「旋律の有限性」について考察したいが、音楽を耳で聴いている分には、なぜ有限なのかは一見わかりづらい。そこで今回はその前提として音楽を「情報」として捉える過程をみる。

音楽情報科学

 音楽は、よく 「時間方向(横方向)へ展開される芸術」 と言われる。 リズム(Rythm)の概念を説明するだけなら、それで十分である。
しかし、狭義の音楽は音の高さ(ピッチ)の変化にも大きな価値が置かれるものであるから、厳密には 「周波数方向(縦方向)へも展開される芸術」 でもある。 

■8ビート1小節におけるリズムの有限性
 ここでは理解しやすいように、まず「リズムだけしかない世界」を想定してみる。つまり音の高さについては全く考えないものとする。 ここでいうリズムはハンドクラップ音(手拍子音)のように、音の持続時間(デュレーション)に意味がない楽器音を想定する。
 さらに単純なモデルにするため、「8ビートの1小節」に限って考える。つまり時間の最小単位を8分音符とする。

リズムだけしかない世界における「8ビートの1小節」を、下記のような、8個の枠(部屋)でイメージしてみる。
8beet

各々の枠(部屋)には、0 か 1 いずれかの数値が入るものと考える。 すると、「8ビートの1小節」とは、8ビット(1Byte)の情報そのものである。
8個や16個をひとかたまりの単位とする点において、音楽情報とコンピュータは親和性が高い といえる。
1Byte

たとえば上記ビット配列は、下記のリズムを表していることになる。リズム例

このようにリズムを、数値0と1で表すと何種類のパターンが作れるのだろうか?
2進数 00000000 から 11111111 までのパターン数は下記の計算に示すように、2の8乗ということで256とおり。
しかし、オールゼロ 00000000 は全く音が鳴っていない状態であり、これをリズムとは呼べないのでそのパターンを除外するため1を引くのである。
255とおり

なんと! 1小節で作れるリズムパターンは、たったの255種類しかないのである。 
こんなに少ないのは1小節に限定したからかも知れない。 では2小節に拡張すると、

一気に6万以上の数に増える。 一見これだけの余地があればオリジナリティーあるリズムを作るには十分なようにも思える。
 しかし考えてみてほしい。 音楽というものは遠い昔からこの今においても世界中で刻々と作られているのである。 6万パターンの余地があっても、あっという間に使いつくされてしまうのである。
 また、たとえ6万パターンの選択肢があったとしても、あるパターンは別のパターンと類似関係にある場合も多い。オリジナリティーあるリズムを作る際には、既存パターンと類似しないように留意するわけだから、実質的に選択しうるパターン数はぐっと減るのである。

■旋律パターンはやはり有限
 以上、リズムだけ見れば、思いのほか作曲家が採りうる選択肢は少ないのである。  実際には、ここに音程が加味されることになるので、単純計算すると選択肢は膨大な数になる。 しかし、音程の種類が有限であるかぎり、リズムと音程で織り成す音型も有限 になるのは自明の理なのである。

 メロディーのオリジナリティーを創出する困難性は、当然、時代を経るごとに高まる。その点において後世の作家ほど、ハンデを負っていることとなる。 極端に推移すると、 いずれ音楽は「創作物」ではなく、商標と同じく「選択物」と解される日が来るかもしれない。
 今後、どの程度のオリジナルパターンが残っているのか? どういう方法で新規パターンを発見するか? 音楽情報科学の役割は大きいと思われる。

※後日、加筆・訂正する場合があります。
情報理論と音楽 旋律の有限性①

 音楽が大量に生産されてきた結果、シンプルでわかりやすいメロディーが創作しづらくなってきていることは、皆等しく感じるところだと思う。
 これだけ既製音楽が存在する状況では、シンプルなメロディーを作ろうとするとなにかに似てしまう はずだ。
 今回は「旋律は有限なのか?」という問題提起について、科学的な視点からアプローチする一例を紹介したい。

 ブログテーマ「昭和レトロサウンド」という趣旨からは外れてようにも見えるが、実は昭和時代は日本の大衆音楽における「旋律の大開拓時代」といってよく、大量に旋律音型が消費された時代なのである。 平成時代は、そのメロディー乱獲の、とばっちりをくっている状況といえるのでは?

■近代日本の作曲状況
 日本国内に限ってメロディーアイデアが使い尽くされてゆく過程をみてみよう。昭和流行歌史
 明治期は、きわめて少数の西洋音楽通が、国家的要請から楽曲を創作していた時代であり、式典歌、学校唱歌、軍隊のための音楽が主流であった。「旋律の有限性」を語るには、まだまだ作曲家も作品も微々たる数である。 しかし、日本歌曲の西洋音楽的枠組み はこのころ確立されたと考えて良い。

 大正期(明治の最後年含む)には国産蓄音機も現れ、専属歌手や専属作曲家の制度も出現し、ここに民間の音楽産業の黎明を見ることができる。
 中山晋平作曲による『カチューシャの唄』『ゴンドラの唄』 も人気を博し、“多くの大衆に集中的に購買される現象”いわゆる「ヒット」の原型が見られるようになった。
中山晋平
しかし楽曲の数量という視点でみれば、その生産ピッチはまだまだ緩慢な時代であった。

 昭和初期、ラジオ放送、音声付映画「トーキー」も浸透し、大衆にとって音楽は益々身近なものになった。古賀政男服部良一など新進気鋭の作曲家も現れ、楽曲生産は “ 多産 ” の時代に突入した。
 服部良一らが得意とするジャズの要素は、日本歌曲の作法に自由度を与え、“多産”だけでなく“多ジャンル化”という新たな動きの原型となった。
 支那事変、太平洋戦争が起こるにつれ、さらに大量に楽曲を需要する社会となった。国策的な作品もあるだろうが、戦時に生きる人々の様々な喜怒哀楽が「歌」の題材になったものも多い。

 そして戦後、アメリカ文化の流入、メディアの発達、生活水準向上などの要因によって、流行歌が消耗品のように量産消費される時代になり、ついには供給過多の状況に至ったことは周知のとおりである。

 以上の歴史をふまえて、「昭和の始まりはメロディーアイデア大量消費の始まりであって、平成の世に至る頃にはシンプルなメロディーは出尽くしてしまった」・・・が私の主張するところである。
ペンタトニックスケール
 特に日本人に馴染みのあるペンタトニックスケール(5音音階)は、音程の選択肢がただでさえ少ない上に好んで使用されたため、斬新なメロディ音型はほとんど残っていないのが現状であろう。

<旋律の有限性②につづく・・・>


        参考資料 『別冊 1億人の昭和史 昭和流行歌史』 (昭和52年 毎日新聞社)
                              『戦争歌(いくさうた)が映す近代 』 堀 雅昭 著  (2001年 葦書房)  
早見 優 『夏色のナンシー』(1983年)
作詞:三浦徳子 作曲:筒美京平 編曲:茂木由多加

今年4月1日、『夏色のナンシー』は、発売30周年を迎えたのであります。

30年前の記憶をたどってみる。
まだ『ドラマティックレイン』に酔いしれている1983年の2月ごろ、レコード流通の冊子に
     「早見優の新曲、筒美京平作曲による『夏色のナンシー』。4月1日発売!」
という記事があった。
夏色のナンシー?!なんという心地よい語感だろうか。しかも筒美京平。どんな曲に仕上がっているのだろう?
松田聖子の隆盛、ニューミュージック系の台頭という当時の状況から、「歌謡曲らしい歌謡曲はもう書かないだろう。 きっと筒美先生なりの新境地を狙ってくる。 『ドラマティックレイン』のように!」  と思った。
そう思うと発売日が待ち遠しく、ずっとワクワクしながら過ごした1983年の春であった。

 
さて1コーラスあたりの構成は以下のようになっている。


とりあげるべき秀逸なポイントは沢山あるが、当作品は、和声やスケールに注目したい。
※なお、オリジナル音源のキーはDb長調であるが、便宜上、文章は楽譜ではC長調(Am短調)に移調して説明する。

■イントロ
C→B→C→B7
 のように、半音違いのコード CB とで往復させるアイデアである。
C長調をにおわせながら、 Em につなげるためには、手っ取り早い方法である。


■サビ前半
「恋かな?」と問うて「Yes!」と返す。この掛け合いのアイデアは愉快である。一方、伴奏では不思議なコード進行が試みられていた。

Emで始まるのでE短調と思いきや、E短調と特定できるほどの音は現れず、調性が曖昧なまま進行する。あとにDmが続くが、EmからDmへの接続は少し意外性のある響きだ・・・と言っても(C長調:Ⅲ=トニック代理であれば) Ⅲm→Ⅱmという進行は禁則ではない。
要は、低音をミ→レ→ド→シと下降させながら最後はドミナントGで締めくくり、Cへつなげたい・・・そういう4小節なのであろう。
最後がGになるように帳尻を合わすというのなら、Em7 → A7 → Dm7(11) → G7 というようなありふれた進行パターンでもよかったはずだ。

おそらく、短3和音の形のまま長2度下にスライドさせるアイデアにこだわったのだと思う。

調性音楽においては、 Em→Dm ような接続になる局面は意外に少なく、聴き慣れないためか現代音楽のような響きにも聴こえる。
この短3和音のスライド下降が起す心理的効果を言葉で表現するのは難しい。「調性が薄い」とか「現代音楽ぽい」としか言いようがないかも知れない。
きわめて抽象的な表現で恐縮だが、次のような心理的効果があるのでは?と感じている。
  ・主体的に感情を催す存在ではなくなる。
  ・いわば添え物のような消極的存在になる。
つまり、感情を表現する主役ではなく、ムードを提供するだけの役割になる、そんな効果ではないだろうか?
さらに言えば、ドビュッシー印象主義音楽の目指す方向のようでもある。
・・・と、大袈裟に書いたが『夏色のナンシー』ではたった数小節ほどの短い期間の出来事なのである。

ちなみに短3和音のスライド下降は、先日とりあげた小泉今日子『天然色のロケット』にも現れる。


■サビ後半

こちらも下降型クリシェラインだが、特異なものではなく聴きなじみのあるパターン。

半音ずつ下がって A7 へ導き、さらにフィニッシュのツーファイブへ導く。
さきほどの無表情な4小節と対照的に、情感がくすぐられる4小節。私は、ベースが下降するごとに胸キュンとなるのだが、皆様はいかがであろうか?


■サビ最後部
一般的なツーファイブフィニッシュである。
 
ここでC長調の確定感を得る。 ここまでペンタトニックしばり はまったくなく、むしろ ファが多用されている。
どうでもいい話だが、私は、この ミ→レ→ファ→シ→ド という終わり方が、『ブルーインパルス行進曲』の中間部の終わり方ににているので、ブルーインパルス終止と勝手に名づけている。


■コーラス部
有名なコーラスグループEVEが歌うAメロへの導入部である。

低い からオクターブ上の へ一気に上昇し、その後ファ→ミ→レ→ド と順次降りてくる音型は、ダ・カーポ 『地球(テラ)へ』 を思わせる。 宇宙のような壮大なスケールを想像させるお約束の音型だと思う。
私はこの音型からくる心理効果をスターウォーズ効果と勝手に呼んでいる。
『夏色のナンシー』の場合は宇宙ではなく、もちろん海だ。

3小節目に例のアレ、これまでも何回も書いてきた同主短調のⅣm6 が使われている。ここで聴く人は、せつなく深い郷愁へぐっと引き込まれる。
4小節目にもC長調にはない特徴的なコード Bb7 が出てくる。Rockの世界ではおなじみの和音だが、多用されるきっかけになったのは、ジグソー『スカイ・ハイ』(1975年) で C→Bb の進行により壮大なスケール感の演出に成功した例があり、その影響も大きいと推測している。
4小節の終わりを Fm6 のまま終わらせるよりはインパクトある締めくくりになっている。


■Aメロ
これまた不思議で解釈に困るコード進行なのであります。

”終止処理の結果現れた和音であって、あるセクションの冒頭に置かれた和音” を、人は その調の主和音と認知する傾向にある。
したがって、ここではAm調との推定が働くだろう。

次に現れる D7 は、通常の短音階にはない和音なのでいささか耳が戸惑うが、それは心地よい戸惑いだ。しかもメロディが 9th を奏でているので、不思議感倍増である。
 D7 は、Am調Ⅳ7 である Dm7 の第3音を半音上げた変化和音である。
ドリアンスケールの和音Ⅳとの解釈もできるが、それ以降はまったくドリアンらしい動きは出てこないので、ちょっと大袈裟な解釈ではある。
D77thを含んでいるので、C長調におけるダブルドミナントとも解釈できるが、G7 へ進まなかったことの説明がつかない。

次の Fm6  は、C長調とすれば、おなじみの同主短調 Ⅳm6 である。 お約束どおり一定の「切なさ効果」を付加してくれているが、D7→Fm6 の進行を許容する決定的な音楽理論が見つからない。
今のところ、「D7 も、Fm6 も、 いずれもサブドミナントの一種であって、サブドミナント同士だから接続が可能」 と強引に解釈しておくしかない。
また、このあたりからAm短調なのかC長調なのかわからなくなる。

最後に Em で終わるが、これはC長調であって、淡いトニック機能を持つ和音と解釈すればよいだろう。
 Emは、適度に切なさ・寂しさがある響きで、『夏色のナンシー』では、Em の 終わったか終わっていないか、はっきりしない性質を逆に上手く利用している。


■Bメロ前半4小節
前半4小節は、ほぼ順当な循環コードである。

をつけたクロマティックな経過音、刺繍音が心地よい。

 
■Bメロ後半4小節
後半4小節は、B7→Em の反復で緊張感を高めている。

まるで Em調 のような振る舞いであり、原調から離れた調にいること自体が緊張感を生む。
最後は、なんと Dm で終わる。これもサビの項で取り上げた、 Ⅲm→Ⅱm という短3和音のスライド下降であり、従来の歌謡曲にはない異様な響きである。 
もう、このワザは、『夏色のナンシー』の一番のアイデアといっても過言ではない。



■Cメロ 後半4小節
冒頭の「If You love me」 のメロディーは、稲妻型の特徴的な音型だ。「If You」  と  「love me」との間にはなんと長9度の音程差がある。 アイドルポップといえども、一定の歌唱力を要する箇所である。
Dm→DmM7→Dm7→Dm6 の並びは高音部でクリシェラインを形成する。クリシェの行き着く先はやはり、切なさの切り札 同主短調のⅣm6 である。
さきほどの、Bメロ後半部が、 ”緊張のピーク” だったとすれば、ここCメロの後半部は、 ”情緒のピーク” といえよう。
 

■おわりに・・・
以上見てきたように、和声的な工夫が随所にみられ、時には調性をあえて薄くしてポーカーフェイス的な響きを演出するなど、実に巧妙で大胆な作品である。
歌手 早見 優さんの新しいスタイルを切り開く契機にもなった作品である。

なお、この画期的なサウンドの一端を支えたアレンジャーの茂木由多加さんは惜しくも2003年亡くなられた。
30年経っても、この「響き」のカッコよさは衰えない。 素晴らしいサウンドを生んでくれた茂木さんに感謝。
(おわり)



盟友  佐久間 正英氏が茂木由多加について語るブログ
memories of Yutaka Mogi

(後日、訂正・加筆する場合があります。)


youtube動画 コカ・コーラCM 早見 優『夏色のナンシー』 (1983年)