情報理論と音楽 旋律の有限性① | 昭和レトロサウンド考房

昭和レトロサウンド考房

昭和レトロサウンド、昔の歌謡曲・和製ポップス、70年代アイドル歌手についての独断と偏見。 音楽理論研究&音楽心理学研究など

情報理論と音楽 旋律の有限性①

 音楽が大量に生産されてきた結果、シンプルでわかりやすいメロディーが創作しづらくなってきていることは、皆等しく感じるところだと思う。
 これだけ既製音楽が存在する状況では、シンプルなメロディーを作ろうとするとなにかに似てしまう はずだ。
 今回は「旋律は有限なのか?」という問題提起について、科学的な視点からアプローチする一例を紹介したい。

 ブログテーマ「昭和レトロサウンド」という趣旨からは外れてようにも見えるが、実は昭和時代は日本の大衆音楽における「旋律の大開拓時代」といってよく、大量に旋律音型が消費された時代なのである。 平成時代は、そのメロディー乱獲の、とばっちりをくっている状況といえるのでは?

■近代日本の作曲状況
 日本国内に限ってメロディーアイデアが使い尽くされてゆく過程をみてみよう。昭和流行歌史
 明治期は、きわめて少数の西洋音楽通が、国家的要請から楽曲を創作していた時代であり、式典歌、学校唱歌、軍隊のための音楽が主流であった。「旋律の有限性」を語るには、まだまだ作曲家も作品も微々たる数である。 しかし、日本歌曲の西洋音楽的枠組み はこのころ確立されたと考えて良い。

 大正期(明治の最後年含む)には国産蓄音機も現れ、専属歌手や専属作曲家の制度も出現し、ここに民間の音楽産業の黎明を見ることができる。
 中山晋平作曲による『カチューシャの唄』『ゴンドラの唄』 も人気を博し、“多くの大衆に集中的に購買される現象”いわゆる「ヒット」の原型が見られるようになった。
中山晋平
しかし楽曲の数量という視点でみれば、その生産ピッチはまだまだ緩慢な時代であった。

 昭和初期、ラジオ放送、音声付映画「トーキー」も浸透し、大衆にとって音楽は益々身近なものになった。古賀政男服部良一など新進気鋭の作曲家も現れ、楽曲生産は “ 多産 ” の時代に突入した。
 服部良一らが得意とするジャズの要素は、日本歌曲の作法に自由度を与え、“多産”だけでなく“多ジャンル化”という新たな動きの原型となった。
 支那事変、太平洋戦争が起こるにつれ、さらに大量に楽曲を需要する社会となった。国策的な作品もあるだろうが、戦時に生きる人々の様々な喜怒哀楽が「歌」の題材になったものも多い。

 そして戦後、アメリカ文化の流入、メディアの発達、生活水準向上などの要因によって、流行歌が消耗品のように量産消費される時代になり、ついには供給過多の状況に至ったことは周知のとおりである。

 以上の歴史をふまえて、「昭和の始まりはメロディーアイデア大量消費の始まりであって、平成の世に至る頃にはシンプルなメロディーは出尽くしてしまった」・・・が私の主張するところである。
ペンタトニックスケール
 特に日本人に馴染みのあるペンタトニックスケール(5音音階)は、音程の選択肢がただでさえ少ない上に好んで使用されたため、斬新なメロディ音型はほとんど残っていないのが現状であろう。

<旋律の有限性②につづく・・・>


        参考資料 『別冊 1億人の昭和史 昭和流行歌史』 (昭和52年 毎日新聞社)
                              『戦争歌(いくさうた)が映す近代 』 堀 雅昭 著  (2001年 葦書房)