早見 優 『夏色のナンシー』(1983年) | 昭和レトロサウンド考房

昭和レトロサウンド考房

昭和レトロサウンド、昔の歌謡曲・和製ポップス、70年代アイドル歌手についての独断と偏見。 音楽理論研究&音楽心理学研究など

早見 優 『夏色のナンシー』(1983年)
作詞:三浦徳子 作曲:筒美京平 編曲:茂木由多加

今年4月1日、『夏色のナンシー』は、発売30周年を迎えたのであります。

30年前の記憶をたどってみる。
まだ『ドラマティックレイン』に酔いしれている1983年の2月ごろ、レコード流通の冊子に
     「早見優の新曲、筒美京平作曲による『夏色のナンシー』。4月1日発売!」
という記事があった。
夏色のナンシー?!なんという心地よい語感だろうか。しかも筒美京平。どんな曲に仕上がっているのだろう?
松田聖子の隆盛、ニューミュージック系の台頭という当時の状況から、「歌謡曲らしい歌謡曲はもう書かないだろう。 きっと筒美先生なりの新境地を狙ってくる。 『ドラマティックレイン』のように!」  と思った。
そう思うと発売日が待ち遠しく、ずっとワクワクしながら過ごした1983年の春であった。

 
さて1コーラスあたりの構成は以下のようになっている。


とりあげるべき秀逸なポイントは沢山あるが、当作品は、和声やスケールに注目したい。
※なお、オリジナル音源のキーはDb長調であるが、便宜上、文章は楽譜ではC長調(Am短調)に移調して説明する。

■イントロ
C→B→C→B7
 のように、半音違いのコード CB とで往復させるアイデアである。
C長調をにおわせながら、 Em につなげるためには、手っ取り早い方法である。


■サビ前半
「恋かな?」と問うて「Yes!」と返す。この掛け合いのアイデアは愉快である。一方、伴奏では不思議なコード進行が試みられていた。

Emで始まるのでE短調と思いきや、E短調と特定できるほどの音は現れず、調性が曖昧なまま進行する。あとにDmが続くが、EmからDmへの接続は少し意外性のある響きだ・・・と言っても(C長調:Ⅲ=トニック代理であれば) Ⅲm→Ⅱmという進行は禁則ではない。
要は、低音をミ→レ→ド→シと下降させながら最後はドミナントGで締めくくり、Cへつなげたい・・・そういう4小節なのであろう。
最後がGになるように帳尻を合わすというのなら、Em7 → A7 → Dm7(11) → G7 というようなありふれた進行パターンでもよかったはずだ。

おそらく、短3和音の形のまま長2度下にスライドさせるアイデアにこだわったのだと思う。

調性音楽においては、 Em→Dm ような接続になる局面は意外に少なく、聴き慣れないためか現代音楽のような響きにも聴こえる。
この短3和音のスライド下降が起す心理的効果を言葉で表現するのは難しい。「調性が薄い」とか「現代音楽ぽい」としか言いようがないかも知れない。
きわめて抽象的な表現で恐縮だが、次のような心理的効果があるのでは?と感じている。
  ・主体的に感情を催す存在ではなくなる。
  ・いわば添え物のような消極的存在になる。
つまり、感情を表現する主役ではなく、ムードを提供するだけの役割になる、そんな効果ではないだろうか?
さらに言えば、ドビュッシー印象主義音楽の目指す方向のようでもある。
・・・と、大袈裟に書いたが『夏色のナンシー』ではたった数小節ほどの短い期間の出来事なのである。

ちなみに短3和音のスライド下降は、先日とりあげた小泉今日子『天然色のロケット』にも現れる。


■サビ後半

こちらも下降型クリシェラインだが、特異なものではなく聴きなじみのあるパターン。

半音ずつ下がって A7 へ導き、さらにフィニッシュのツーファイブへ導く。
さきほどの無表情な4小節と対照的に、情感がくすぐられる4小節。私は、ベースが下降するごとに胸キュンとなるのだが、皆様はいかがであろうか?


■サビ最後部
一般的なツーファイブフィニッシュである。
 
ここでC長調の確定感を得る。 ここまでペンタトニックしばり はまったくなく、むしろ ファが多用されている。
どうでもいい話だが、私は、この ミ→レ→ファ→シ→ド という終わり方が、『ブルーインパルス行進曲』の中間部の終わり方ににているので、ブルーインパルス終止と勝手に名づけている。


■コーラス部
有名なコーラスグループEVEが歌うAメロへの導入部である。

低い からオクターブ上の へ一気に上昇し、その後ファ→ミ→レ→ド と順次降りてくる音型は、ダ・カーポ 『地球(テラ)へ』 を思わせる。 宇宙のような壮大なスケールを想像させるお約束の音型だと思う。
私はこの音型からくる心理効果をスターウォーズ効果と勝手に呼んでいる。
『夏色のナンシー』の場合は宇宙ではなく、もちろん海だ。

3小節目に例のアレ、これまでも何回も書いてきた同主短調のⅣm6 が使われている。ここで聴く人は、せつなく深い郷愁へぐっと引き込まれる。
4小節目にもC長調にはない特徴的なコード Bb7 が出てくる。Rockの世界ではおなじみの和音だが、多用されるきっかけになったのは、ジグソー『スカイ・ハイ』(1975年) で C→Bb の進行により壮大なスケール感の演出に成功した例があり、その影響も大きいと推測している。
4小節の終わりを Fm6 のまま終わらせるよりはインパクトある締めくくりになっている。


■Aメロ
これまた不思議で解釈に困るコード進行なのであります。

”終止処理の結果現れた和音であって、あるセクションの冒頭に置かれた和音” を、人は その調の主和音と認知する傾向にある。
したがって、ここではAm調との推定が働くだろう。

次に現れる D7 は、通常の短音階にはない和音なのでいささか耳が戸惑うが、それは心地よい戸惑いだ。しかもメロディが 9th を奏でているので、不思議感倍増である。
 D7 は、Am調Ⅳ7 である Dm7 の第3音を半音上げた変化和音である。
ドリアンスケールの和音Ⅳとの解釈もできるが、それ以降はまったくドリアンらしい動きは出てこないので、ちょっと大袈裟な解釈ではある。
D77thを含んでいるので、C長調におけるダブルドミナントとも解釈できるが、G7 へ進まなかったことの説明がつかない。

次の Fm6  は、C長調とすれば、おなじみの同主短調 Ⅳm6 である。 お約束どおり一定の「切なさ効果」を付加してくれているが、D7→Fm6 の進行を許容する決定的な音楽理論が見つからない。
今のところ、「D7 も、Fm6 も、 いずれもサブドミナントの一種であって、サブドミナント同士だから接続が可能」 と強引に解釈しておくしかない。
また、このあたりからAm短調なのかC長調なのかわからなくなる。

最後に Em で終わるが、これはC長調であって、淡いトニック機能を持つ和音と解釈すればよいだろう。
 Emは、適度に切なさ・寂しさがある響きで、『夏色のナンシー』では、Em の 終わったか終わっていないか、はっきりしない性質を逆に上手く利用している。


■Bメロ前半4小節
前半4小節は、ほぼ順当な循環コードである。

をつけたクロマティックな経過音、刺繍音が心地よい。

 
■Bメロ後半4小節
後半4小節は、B7→Em の反復で緊張感を高めている。

まるで Em調 のような振る舞いであり、原調から離れた調にいること自体が緊張感を生む。
最後は、なんと Dm で終わる。これもサビの項で取り上げた、 Ⅲm→Ⅱm という短3和音のスライド下降であり、従来の歌謡曲にはない異様な響きである。 
もう、このワザは、『夏色のナンシー』の一番のアイデアといっても過言ではない。



■Cメロ 後半4小節
冒頭の「If You love me」 のメロディーは、稲妻型の特徴的な音型だ。「If You」  と  「love me」との間にはなんと長9度の音程差がある。 アイドルポップといえども、一定の歌唱力を要する箇所である。
Dm→DmM7→Dm7→Dm6 の並びは高音部でクリシェラインを形成する。クリシェの行き着く先はやはり、切なさの切り札 同主短調のⅣm6 である。
さきほどの、Bメロ後半部が、 ”緊張のピーク” だったとすれば、ここCメロの後半部は、 ”情緒のピーク” といえよう。
 

■おわりに・・・
以上見てきたように、和声的な工夫が随所にみられ、時には調性をあえて薄くしてポーカーフェイス的な響きを演出するなど、実に巧妙で大胆な作品である。
歌手 早見 優さんの新しいスタイルを切り開く契機にもなった作品である。

なお、この画期的なサウンドの一端を支えたアレンジャーの茂木由多加さんは惜しくも2003年亡くなられた。
30年経っても、この「響き」のカッコよさは衰えない。 素晴らしいサウンドを生んでくれた茂木さんに感謝。
(おわり)



盟友  佐久間 正英氏が茂木由多加について語るブログ
memories of Yutaka Mogi

(後日、訂正・加筆する場合があります。)


youtube動画 コカ・コーラCM 早見 優『夏色のナンシー』 (1983年)