2月に神戸メンタルサービスのヒーリングワーク・ベーシックというワークショップに参加してきた。
心理学や癒しの基本的な理論を学ぶとともに、「癒しの体験」をすることができる。
わたしはそこで、父親との関係性の癒しを体験してきた。
「エディプス(エレクトラ)・コンプレックス」という言葉をご存知だろうか。
ご存知ないかたは、神戸メンタルサービスを母体とする「カウンセリングサービス」の下記の記事をご覧いただければと思う。
わたしは、恋愛をするととにかくいつも「助けたい」と思うようなパートナーを選んでしまうことが多かった。
そして、子どもを育てはじめてからは、つい子どもに過干渉になりそうになる自分に気づいてもいた。
ここ数年、自分の身の回りで起きている出来事たちをきっかけに、自分自身と向き合いはじめたわたしがたどり着いたのが、この父親との関係性をはじめとする、自分と両親との関係性でできた傷(思いこみ)だった。
その傷を癒すきっかけを見つけたくて、わたしは神戸メンタルサービスのヒーリングワークに参加した。
以前、Facebookでシェアしたそのときの体験談を以下に転載する。
☆☆☆☆☆☆☆
幼いころ、わたしはおとうさんっ子だった。
どこへ出かけるにも父と一緒だった。
父のことが大好きだった。
女の子にとって、父親は初恋の人。
でも、その恋には、母親という恋敵がいる。
この恋の勝者となるか敗者となるか(自分がどう感じたか)が、その後の人生に大きく影響してくるらしい。
特に恋愛に色濃く影響が出てくる。
(男性の場合は母親への初恋で、父親が恋敵)
この話を聞き、自分がこれまでしてきた恋愛を振り返り、ドキッとする人は多いのではないだろうか。
わたしはドキッとした。
やばい、、影響出まくり、、、と苦笑い。
父との関係性を振り返るとき、
わたしの中に強く蘇る思い出がある。
実際にその年齢のときの出来事だったかはさだかではないが、わたしの心には2~3歳くらいの幼いわたしが思い浮かぶ。
母が笑いながら言った。
「おとうさんは、ほんとうは男の子がほしかったのよね」
そして、当時わたしは父から「愛すけ」と呼ばれていた。
そのときの自分の感情は思い出せない。
でもきっと、相当なショックを受けたのだろう。
「父の期待に応えられなかった」
「女のわたしは愛されない」
「そのままのわたしでは愛されない」
わたしの心には、そんな思いこみが強く刻まれた。
父の期待に応えたい。
その一心で、必死にがんばって生きてきた。
がんばって、がんばって、
でも、どんなにがんばっても、叶えられない。
だって、わたしは女だから、、。
勉強が得意で、仕事も好きなわたし。
そして、父は成長したわたしにも言った。
「男だったらよかったのになあ。女にしておくのは、もったいないなあ。」
父の言葉に他意はない。
わたしが「思いこみ」というフィルターを通して受け取ることで、その言葉は凶器に変わる。
なんでわたしは女なんかにうまれたんだろう。
女になんかうまれてこなければよかった。
そんな風に悔やみ続けて生きてきた。
男性から女性として意識されることを嫌悪してきた。
「かわいい」「美人」とほめられても、受け取れなかった。
お願いだから、わたしを女として見ないで。
心の中で叫び、勝手に傷ついて、生きてきた。
女である自分を責め続け、傷つけ続けるわたしがいるから、
恋人からは、責められたり、傷つけられる恋ばかりしてきた。
母となりわが子を腕に抱いたとき、うまれてはじめて「女にうまれてよかった」と感じた。
しかし、母親になることは「女が男になること」。
赤ちゃんを育てるために、女は男になる。
わたしの中の女性性は、そこで再び、心の奥深くへと追いやられてしまった。
深く傷ついたまま、置いてきぼりにされた女性性。
わたしの心の中の女性性は、「愛すけ」と呼ばれていた幼児のころのまま、心のかたすみでひっそりと隠れて生きてきた。
「女にうまれてごめんなさい」
「わたしなんかいなければよかった」
と思いながら。
ヒーリングワーク・ベーシック二日目の公開カウンセリングで、このことをとりあげてもらった。
父から娘として愛されて育てられてきたこと。
成長し自分も親になり、頭では理解できるようになっていたが、心が受け取れていなかった。
成長できずに泣いているわたしの中の女性性が、父の愛を受け取れずにいた。
父親役の人と、自由に楽しく人生を生きる大人の女性役の人を選ぶよう言われた。
まず、父親から「娘として、そのままの自分で愛されてきたこと」を受け取る。
そして、「自由に楽しく人生を生きる大人の女性」を手に入れる。
父親役の人の前に立った。
その人は、わたしを見つめながら号泣していた。
わたしは足がすくみ、一歩を踏み出せない。
その場に立ちつくしたまま、しばらく泣いた。
勇気を出してようやく一歩を踏み出したが、
一歩踏み出すたびに、何かがこみあげてくる。
勝手に勘違いしてきたのはわたしだった、、。
わたしはそのままのわたしで愛されてきたのに、、、
「そのままのわたしではダメなんだと思ってた」
涙が溢れて、なかなか前に進めない。
「罪悪感ではなく愛を選ぶのよ」
とトレーナーが言った。
わたしはまるで幼児のようにしゃくりあげてワンワン泣きながら、一歩ずつ一歩ずつ父(役の人)のもとへと進んだ。
わたしはいつの間にか、傷ついたまま成長できずに泣いていた幼い少女のわたしに戻っていた。
ようやく父(役の人)のもとへとたどり着き、抱き合いながら一緒にワンワン泣いた。
「これがずっと受け取れなかったね」というトレーナーの言葉に、
「遠回りしすぎだよ、わたし」と思わずつぶやき、父親役の人と一緒に大笑いした。
そしてわたしは、自由に楽しく人生を生きる大人の女性役の人のもとへ進み、笑顔でその人と抱き合った。
終わったあと、ワークを見ていたグループメンバーから言われた。
「幼い女の子が、大人の女性へと成長していくようすが見えた。ほんとうに美しかった。」
遠い過去に忘れてきた忘れ物を、わたしはようやく取り戻すことができた。
☆☆☆☆☆☆☆
この日の癒しをきっかけに、わたしはとても楽になった。
これまで、「苦しい」「傷つけられた」と感じてきた出来事のほとんどが、この「古傷(過去の思いこみ)」を刺激されることによって起きていたことがわかった。
そのことに気づくことで、「決して傷つくことのない自分」をわたしは手に入れることができた。
今も、悲しみを感じることは当然ある。
だけどそのことにより「自分」が傷つけられるわけでは決してないのだ。