こんにちは。
園原夫婦です。
新潟編の途中ではありますが…
今奈良に来ているので、
スポットで「奈良編~法隆寺~」をお届けしようと思います。
(興奮を忘れる前に、記録しておきたいのでねw)
2015年6月30日
奈良は私が生まれた病院がある県で、
私としては「祖母との懐かしい思い出」がある土地でもあります。
これまで「観光」のために訪れたことはほぼ無く
(今回も仕事のついでに友人宅にお邪魔しています)
わざわざ観光しに行こうと思うことがあまりなかった土地です。
ですが、せっかく古都 奈良に来ているのです!
歴史スポットを回らないのはもったいない!!
(一方、夫は…
海のない県に来ているにも関わらず
釣りに行かないのはもったいない!!
と吉野川、大和川…と、毎夜、川へ釣りに出かけていますw)
ということで、
パワースポットに興味のある友人家族と
歴史に興味のない夫(昼間は釣りに行かないから付き合ってくれる♪)と
「法隆寺」まで足を延ばしてきました。
「法隆寺」は日本史の教科書に必ず出てくる、あの有名なお寺です。
聖徳太子と推古天皇が607年に創建されたと伝えられ、
境内の建築物のうち55棟が国宝・重要文化財、
仏像などの宝物は2300点に及びます。
日本で初めて登録された世界遺産であり、
飛鳥時代の姿を今に伝える最古の木造建築でもあります。
現在、法隆寺は、
「塔・金堂を中心とする西院伽藍」と
「夢殿を中心とする東院伽藍」で
構成されています。
(伽藍とは金堂や塔、講堂など寺院の中にある建物群のことを指します)
「法隆寺式」と言われる伽藍配置は
西に「塔」、東に「金堂」をおき、それを「回廊」がぐるっと囲みます。
「講堂」は回廊の外側、「南大門」の反対側(北)に位置するのが特徴です。
(イメージできん!という方は、ググってください)
この伽藍の配置は時代により変化します。
飛鳥寺式、四天王寺式、法隆寺式とか…
日本史の授業で伽藍配置を覚えましたよね。
あれ、苦手だったなぁ。
でもちょっと復習で調べてみたら、「なるほど~」と理解。
◆「塔」はお寺のシンボルのようですが、本来は仏舎利(釈迦の遺骨)を安置する場所です。
◆「金堂」はお寺の本尊を安置するお堂。
◆「講堂」は経典の講義や説教が行われる学び・研究の場。
この3つの建物の重要度が、時代によって変遷することにより、
伽藍配置が変わっていきます。
仏教が伝来したばかりの頃は 信仰の対象は仏舎利で、
仏舎利を崇拝し安置する「塔」が中心でした。
後に、信仰の対象は仏像へ移り、本尊を安置する「金堂」が中心に。
さらに儀軌や教義を重視する「講堂」へと移り変わっていきます。
塔は徐々に廻廊の外に追いやられ…
東大寺式では、金堂と講堂が廻廊で囲まれ、中門の外へ。
さらに大安寺式になると、南大門(お寺の正面玄関)の外へ。
建物の配置にも、ちゃんとストーリーがあるっ(*‘∀‘)
受験の時にこれを理解していればなぁ。
塔の変遷(扱われ方)で7~8世紀の伽藍配置を覚えると、 かなり覚えやすいですね。
▼南大門(室町時代)
1438年に再建されたもの
▼中門(飛鳥時代)
▼中門の左右に立つ塑像の金剛力士像(奈良時代)
表情が魅力的でわたし好みでした
ここから先の「西院伽藍」は、拝観料を払って見学することができます。
▼五重塔(飛鳥時代)
わが国最古の五重塔。
中には塑像群があるのですが、
なんだか鍾乳洞に刻まれた仏像を見ているようで・・・
不思議な感じでした。
▼五重塔の相輪
相輪の根元にある鎌は
雷除けとも、聖徳太子が怨霊除けのためにつけたとも言われて、
いくつか伝承が残っているようです。
ケータイカメラでは雰囲気しか撮影できませんでしたorz
▼金堂(飛鳥時代)
金堂内部には聖徳太子やその父母のために作られた仏像群があります
▼左:金堂 右:五重塔
▼廻廊の柱
エンタシスの柱
飛鳥時代の建築群なだけあって、シンプルな造り。
このシンプルさが法隆寺の魅力ですね。
(大講堂の写真、撮り忘れてましたorz)
拝観料は1500円とお高めですが、
これらの西院伽藍、さらに 大宝蔵院(宝物館)と東院伽藍も全て観覧できます。
そう思うとお得かな?
順路に沿って歩くと、次は「大宝蔵院」です。
ここには有名なお宝がいっぱい!!
夫でさえ知っていた(覚えていた?)
推古天皇所持の仏殿と伝えられる「玉虫厨子(たまむしのずし)」をはじめとし、
「夢違観音」や「百万塔陀羅尼経」「七星剣」
そして八頭身のすらりとして優美な「百済観音像」まで!!
飛鳥・奈良時代の仏像好きにはたまらない~(*´з`)
私は日光・月光の顔が無性に気に入ってしまいましたw
続いて、少し休憩してから最後の「東院伽藍」へ向かいます。
▼東大門(奈良時代)
奈良時代を代表する建物の一つ、珍しい三棟(みつむね)造り。
下からの写真、とればよかったorz
▼夢殿(奈良時代)
夢殿は聖徳太子の遺徳を偲んで、
739年(天平11年)に 行信僧都が建立した
上宮王院(じょうぐうおういん)の中心となる建物です。
この夢殿は601年(推古9年)に造営された
聖徳太子の斑鳩宮跡に建立されています。
日本書紀によれば、
斑鳩宮は4年半の歳月をかけて造営された宮で、
605年(推古13年)、
聖徳太子は20年間住み慣れた上宮(かみつみや)から一族で移り、
622年(推古30年)、
49才で逝去するまでの17年間をこの宮で過ごしました。
その後、斑鳩宮は長男の山背大兄皇子に伝領されましたが、
21年後、蘇我入鹿により急襲されます。
山背大兄皇子は生駒山中に一度逃れるも、
聖徳太子開基の斑鳩寺で自決して果てました。
ということで、斑鳩宮は上宮王家滅亡の舞台と言われています。
そんな場所に立つ夢殿。
この地にあるストーリーを知ると、 より一層興味深い場所となります。
▼弁天池の近くにいた猫
▼近寄って「写真とっていい?」って聞いたら、
このポーズをとってジッとしてくれました(*ノωノ)
▼法隆寺内でよく見かけた紋(布に注目)
こういうのに詳しい歴女仲間にラインで聞いたら
速攻で「多聞天紋っていうみたいだよ」って返事がきました。
彼女の歴史オタクぶりも素晴らしい(。-`ω-)
とうことで、お天気の良くない中ではありましたが、法隆寺を満喫できました。
まぁ…雨女の噂は払しょくされませんでしたがね。
歴女仲間には「さすが雨女」とお褒めにあずかりもしましたが( ;∀;)
友人は「スピリチュアル的視点」で満喫していたようです。
神社仏閣の楽しみ方は人それぞれ♪
私はこれからも歴史視点で旅情報をお届けしていきますねw
最後に、付き合ってくれた友人家族と夫に感謝を!!
【法隆寺】
住所:奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内1の1
電話:0745-75-2555
拝観時間:8:00~17:00(冬季は16:30まで)
料金:1500円
<つづく>
園原夫婦です。
新潟編の途中ではありますが…
今奈良に来ているので、
スポットで「奈良編~法隆寺~」をお届けしようと思います。
(興奮を忘れる前に、記録しておきたいのでねw)
2015年6月30日
奈良は私が生まれた病院がある県で、
私としては「祖母との懐かしい思い出」がある土地でもあります。
これまで「観光」のために訪れたことはほぼ無く
(今回も仕事のついでに友人宅にお邪魔しています)
わざわざ観光しに行こうと思うことがあまりなかった土地です。
ですが、せっかく古都 奈良に来ているのです!
歴史スポットを回らないのはもったいない!!
(一方、夫は…
海のない県に来ているにも関わらず
釣りに行かないのはもったいない!!
と吉野川、大和川…と、毎夜、川へ釣りに出かけていますw)
ということで、
パワースポットに興味のある友人家族と
歴史に興味のない夫(昼間は釣りに行かないから付き合ってくれる♪)と
「法隆寺」まで足を延ばしてきました。
「法隆寺」は日本史の教科書に必ず出てくる、あの有名なお寺です。
聖徳太子と推古天皇が607年に創建されたと伝えられ、
境内の建築物のうち55棟が国宝・重要文化財、
仏像などの宝物は2300点に及びます。
日本で初めて登録された世界遺産であり、
飛鳥時代の姿を今に伝える最古の木造建築でもあります。
現在、法隆寺は、
「塔・金堂を中心とする西院伽藍」と
「夢殿を中心とする東院伽藍」で
構成されています。
(伽藍とは金堂や塔、講堂など寺院の中にある建物群のことを指します)
「法隆寺式」と言われる伽藍配置は
西に「塔」、東に「金堂」をおき、それを「回廊」がぐるっと囲みます。
「講堂」は回廊の外側、「南大門」の反対側(北)に位置するのが特徴です。
(イメージできん!という方は、ググってください)
この伽藍の配置は時代により変化します。
飛鳥寺式、四天王寺式、法隆寺式とか…
日本史の授業で伽藍配置を覚えましたよね。
あれ、苦手だったなぁ。
でもちょっと復習で調べてみたら、「なるほど~」と理解。
◆「塔」はお寺のシンボルのようですが、本来は仏舎利(釈迦の遺骨)を安置する場所です。
◆「金堂」はお寺の本尊を安置するお堂。
◆「講堂」は経典の講義や説教が行われる学び・研究の場。
この3つの建物の重要度が、時代によって変遷することにより、
伽藍配置が変わっていきます。
仏教が伝来したばかりの頃は 信仰の対象は仏舎利で、
仏舎利を崇拝し安置する「塔」が中心でした。
後に、信仰の対象は仏像へ移り、本尊を安置する「金堂」が中心に。
さらに儀軌や教義を重視する「講堂」へと移り変わっていきます。
塔は徐々に廻廊の外に追いやられ…
東大寺式では、金堂と講堂が廻廊で囲まれ、中門の外へ。
さらに大安寺式になると、南大門(お寺の正面玄関)の外へ。
建物の配置にも、ちゃんとストーリーがあるっ(*‘∀‘)
受験の時にこれを理解していればなぁ。
塔の変遷(扱われ方)で7~8世紀の伽藍配置を覚えると、 かなり覚えやすいですね。
▼南大門(室町時代)
1438年に再建されたもの
▼中門(飛鳥時代)
▼中門の左右に立つ塑像の金剛力士像(奈良時代)
表情が魅力的でわたし好みでした
ここから先の「西院伽藍」は、拝観料を払って見学することができます。
▼五重塔(飛鳥時代)
わが国最古の五重塔。
中には塑像群があるのですが、
なんだか鍾乳洞に刻まれた仏像を見ているようで・・・
不思議な感じでした。
▼五重塔の相輪
相輪の根元にある鎌は
雷除けとも、聖徳太子が怨霊除けのためにつけたとも言われて、
いくつか伝承が残っているようです。
ケータイカメラでは雰囲気しか撮影できませんでしたorz
▼金堂(飛鳥時代)
金堂内部には聖徳太子やその父母のために作られた仏像群があります
▼左:金堂 右:五重塔
▼廻廊の柱
エンタシスの柱
飛鳥時代の建築群なだけあって、シンプルな造り。
このシンプルさが法隆寺の魅力ですね。
(大講堂の写真、撮り忘れてましたorz)
拝観料は1500円とお高めですが、
これらの西院伽藍、さらに 大宝蔵院(宝物館)と東院伽藍も全て観覧できます。
そう思うとお得かな?
順路に沿って歩くと、次は「大宝蔵院」です。
ここには有名なお宝がいっぱい!!
夫でさえ知っていた(覚えていた?)
推古天皇所持の仏殿と伝えられる「玉虫厨子(たまむしのずし)」をはじめとし、
「夢違観音」や「百万塔陀羅尼経」「七星剣」
そして八頭身のすらりとして優美な「百済観音像」まで!!
飛鳥・奈良時代の仏像好きにはたまらない~(*´з`)
私は日光・月光の顔が無性に気に入ってしまいましたw
続いて、少し休憩してから最後の「東院伽藍」へ向かいます。
▼東大門(奈良時代)
奈良時代を代表する建物の一つ、珍しい三棟(みつむね)造り。
下からの写真、とればよかったorz
▼夢殿(奈良時代)
夢殿は聖徳太子の遺徳を偲んで、
739年(天平11年)に 行信僧都が建立した
上宮王院(じょうぐうおういん)の中心となる建物です。
この夢殿は601年(推古9年)に造営された
聖徳太子の斑鳩宮跡に建立されています。
日本書紀によれば、
斑鳩宮は4年半の歳月をかけて造営された宮で、
605年(推古13年)、
聖徳太子は20年間住み慣れた上宮(かみつみや)から一族で移り、
622年(推古30年)、
49才で逝去するまでの17年間をこの宮で過ごしました。
その後、斑鳩宮は長男の山背大兄皇子に伝領されましたが、
21年後、蘇我入鹿により急襲されます。
山背大兄皇子は生駒山中に一度逃れるも、
聖徳太子開基の斑鳩寺で自決して果てました。
ということで、斑鳩宮は上宮王家滅亡の舞台と言われています。
そんな場所に立つ夢殿。
この地にあるストーリーを知ると、 より一層興味深い場所となります。
▼弁天池の近くにいた猫
▼近寄って「写真とっていい?」って聞いたら、
このポーズをとってジッとしてくれました(*ノωノ)
▼法隆寺内でよく見かけた紋(布に注目)
こういうのに詳しい歴女仲間にラインで聞いたら
速攻で「多聞天紋っていうみたいだよ」って返事がきました。
彼女の歴史オタクぶりも素晴らしい(。-`ω-)
とうことで、お天気の良くない中ではありましたが、法隆寺を満喫できました。
まぁ…雨女の噂は払しょくされませんでしたがね。
歴女仲間には「さすが雨女」とお褒めにあずかりもしましたが( ;∀;)
友人は「スピリチュアル的視点」で満喫していたようです。
神社仏閣の楽しみ方は人それぞれ♪
私はこれからも歴史視点で旅情報をお届けしていきますねw
最後に、付き合ってくれた友人家族と夫に感謝を!!
【法隆寺】
住所:奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内1の1
電話:0745-75-2555
拝観時間:8:00~17:00(冬季は16:30まで)
料金:1500円
<つづく>