多様性 〜 いろいろあった方がいい[No.261] | 起業して不安はあるもののワクワクしている50歳・IT技術者・中小企業診断士のブログ

私は多様性という言葉が大好きです。その一方、その反意語である画一性と言う言葉は好きになれません。学校や会社、趣味、地域、親類・・・といった様々なグループが形成される場面において、過度に同じが求められる環境に息苦しさを感じてしまうことがあります。もちろん、相手を配慮して、マナー、約束、時間を遵守する、自分を押しつけない、相手の立場を理解する、といったことは強く意識しますが、多くの変だな?が何となく「決まりだから」「偉い人、声が大きな人、に取りあえず合わせといた方が楽」で常識になっているような場合、窮屈を感じてしまいます。

 

バブルの時くらいまでは日本が絶好調で、ある程度の成功の法則みたいのが確立していて社員には、それに習って枠から外れることない従順さが求められ、画一性がよしとされていました。その後は徐々に失速し、場合によってはそれまでの成功の法則が足を引っ張るようなことで停滞が続き、そこから脱していない現状は皆さんの知るところです。そんな時代の変化の中、意識も随分と違ってきたように感じます。例えば僕たちが就職活動を行っていた20年以上前には「耳にタコができる」くらいに聞かされていた「協調性」という言葉に最近、出会う機会がめっきり減りました。著名なコンサルタントの方が「協調性」という言葉は会社の方針に文句を言わせず、思考を停止させ、社員をコントロールするための便利な言葉だったと述べていまして、少し恐くなってしまいました。若い頃、協調性がないと言われることは、社会人失格で居場所を失う、そんな不安を生じさせる不思議な力をもった言葉でしたので。

 

2018年5月時点、世界で4番目に大きい会社であり、地図や音声認識、スマホ、広告でびっくりするようなアイデアを世に送り出してきた、今後は自働運転や人工知能の分野で大きな期待が寄せられている、google社が社内の生産性向上を図るために、成果を上げている社内組織の共通要因を調査しました。スターのような技術者に魅せられ更に優秀な人が集まり、それが成果に結びつき収入も伸びる、といったプラスの循環がグルグル回っているんじゃない?と私は考えていました。ところが調査結果は、意外にも心理的安全性の確保が成果を出す組織に見られた共通要因でした。どういうことかというと「こんなこというとバカにされる」とか「偉い人に同調しとかないと後々面倒なことになる」といった不安がなく、自分の素直な気持ちを表現し公正に評価される環境が確保されているということです。会議なども偉い人、声の大きい人が延々と話し続けるのではなく、参加メンバーそれぞれに等しく発言の機会が与えられていることが生産性に結びつく大切な要素のようです。私も過去を振り返ってみると、結果への厳しさは求められるものの、結果を出すための手段については裁量を与えられていた時が最も成果を出せていました。逆に小さな箸の上げ下げみたいなことまで指示され、何かと後ろからも鉄砲が飛んでくるような環境では全然ダメでした。

今、ポピュリズムとか不寛容、保護主義といった内向きな考えが流行っています。健全な体を持っていないと、同じ言葉を話さないと、異性を愛さないと、同じ趣味を持っていないと、同じ記憶力がないと、同じ学歴でないと、同じ職業(技術)的バックボーンがないと、同じ文化的背景がないと、、、仲良くできない、そういう考え方、とても勿体ないです。日本の約1.5倍の労働生産性を誇るドイツでは「あの人は別の惑星に住んでいる」という言葉があるそうです。決してバカにしているワケではなく、人それぞれ考え方が違うことを受け容れるための言葉だそうです。ですので各々の「違い」を尊重しかつ、各々が「違い」にプライドを持ち、変な同調によらない自分のスタイルを大切にすることが労働生産性向上に大きく寄与しているそうです。

 

忖度という言葉は、辞書には「他人の気持ちをおしはかること」と載っています。「言われなくても、相手のことを考えて行動する」という感じなのかなと、私は思っています。この言葉自体は、長い社会人経験の中で散々言われてきた、指示待ち人間は要らないとか、相手は何をして欲しいのか?を自分で考え実行する、といった、まさに自主性そのものを表しています。自分の保身とか出世のために、偉い人に対して、ごまをする、へつらう、空気を読む といった負のニュアンスは本来の意味にはなかったそうです。時代に応じて言葉そのものの意味も変わっていく良い例だと思うのですが、「忖度」そのものの意味の変化同様に「言われなくても、相手のことを考えて行動する」自主性にも、もう少し言葉による確認の必要が増していくように思います。私は今後、多様性が進むことを予想していまして、必ずしも、こちらの「良い」が相手の「良い」であるとは限らないことが増えていくように思うからです。出会って暫くは少し面倒ですが、細かい確認が必要で、徐々に「あうん」に向かう意識が大切だと考えています。時には衝突したり、常識の違いに驚かされたり、を繰り返す中で、個人の大切の大きさに応じて譲ったり、譲られたりを重ね理解を深めていくことが、より求められるようになると思います。さすがに森友問題のようなケースでは政治家が役人から事前に相談なんてされては政治家も困ってしまうとは思いますが。あくまでも下の判断、下の責任でやってもうらうことが政治家にとっては都合の良い役人で、評価される役人となるのでしょうから。

 

私は人と会話する時に、自分が話しすぎない、可能な限り否定しない、言葉以外の相手の反応(表情、手つき、声のトーン)で相手を理解する、を気をつけています。しかし、受験を控えた遊ぶ時間に乏しくストレスを抱えた長男のイライラに対しては、一方的にキツくあたってしまうことがあります。身内だからといった甘えがあるのかもしれません。彼には彼の選択があり、彼は僕と同じである必要がないことを強く意識していきたいと反省しています。

 

彼は彼である必要がある。

 

多くの異が渾然一体となったBECK