ミニマリズム〜豪華でなく、貧相でもなく、簡素に[No.258] | 起業して不安はあるもののワクワクしている50歳・IT技術者・中小企業診断士のブログ

 ミニマリズムとは余計なこと、ものは程々に、大切なことにより集中することだと私は捉えています。パレート(2:8)の法則というものがあります。どういうことかと言いますと、結果の8割は全体の2割からもたらされるということです。例えば、仕事の成果の8割は費やした時間の2割から生み出されている、売上の8割は上位2割の商品から得られている、機械の故障の8割は2割の部品から生じている、といった例が挙げられます。このようなパレートの法則から、本当に大切なことに自分の想い、時間を集中することが本当に大切ですし、また難しいことですが、少なくても、いつもそうありたいと、私は考えるようにしています。

 

 ミニマリズムという言葉ですぐにイメージできるのがappleの創業者スティーブジョブズ氏です。服はいつも黒のタートルネックとジーンズがお決まりでした。日々、重要な判断が迫られている状況の中で、洋服を選ぶという些細な判断による頭の消耗を回避するということのようです。facebookの創業者であるマーク・ザッカーバーグ氏も同じような考え方をしているそうです。そのような考え方が、iPhoneのボタンが一つしかないデザインや、設定項目が少なくマニュアルを見なくても直感的に使えるシンプルさに繋がっているように思います。

 

 以前、聞いた言葉ではっとしたことが「人は変えられないが、自分は変えられる、自分の影響力が及ばないことは放っておいて、及ぶところに全力を投入する」みたいな考え方です。私はかつて困っている人に自分が良いと思われることを行ったり、伝えたりすることが当然で、それが優しさだと考えていました。ただし今は、異なる考えを持っています。困っている、助けてくれ!といった要請があれば、それに応じることもありますが、自分から率先しまくることは、いいお節介、さらには介入ではないかと考えています。実際に、自分のそういったお節介によって反発されたり、うざがられたりして、その一方で私は、折角あなたのことを思って!・・・ってことで双方にとって失われるような経験が幾度かあります。人の課題にズカズカと土足で上がらない、これが今の私の考え方です。以上のようなことを経験を通じて何となく考えていましたが、アドラーの「嫌われる勇気」を読んで、よりそのような思いを強くしました。

 

アドラー

 

 ただし家族、特に子供達には、お節介も仕方ないと思っています。というのは無駄な失敗は可能な限り避けて、本当に血肉になる失敗を可能な限り経験させてあげたいと考えているからです。ただ最近、口うるさく言い過ぎて、子供達に伝わっていないのかな?と不安に思うこともあります。もっとどんなことも自由にやらせて、失敗させて、そこから学ばせないとダメなのかな?という思いもあります。さらに感情的になって当たり散らしてしまうこともあり、自己嫌悪に・・・。ひょっとしたら半年後には彼らに任せるような、我慢な教育をしているかもしれません。

 

 別の話としてコンピュータのアプリの利用形態として、以前はサーバーと呼ばれる大きなコンピュータの中に、専用に開発したアプリを入れて、自ら構築したネットワークで利用するのが当たり前でしたが今、主流になりつつあるのがクラウド(インターネット)上に公開されているサービスを月額の利用料金を支払って利用する形態です。この方式ですと、アプリを開発したり、大きなコンピュータを購入することで必要となる目玉が飛び出そうな初期費用が不要です。つまり、アプリの所有→サービスの利用 といった簡素への変化が現在、進行中です。所有しませんので、もし何かしらの都合によって不要になったとしても、それほど悩むことなく使用を止めたり、より便利なサービスに乗り換えることができます。100万円をかけて作ったのだから、その元を取るために5年間は利用しないと!といった「初期費用」というサンクコスト(しがらみ)がないためです。豪華な結婚式を挙げて親戚、友人にお祝いしてもらった都合(面目)上、結婚後に調整不可能な夫婦間の相違が分かった後に続く長すぎる残念な関係みたいなことはありません。蓄積された過去の情報については幾分の検討の余地はありますが。(夫婦間のそれは一早く消し去ることが双方にとっての幸福でしょうが・・・)

 

 また「余分の排除」で思う事が、時間の無い(時間価値の高い)偉い人に対して会話やプレゼンをする時に、いかに短い時間で端的に重要なことを確実に伝えられるか?ということです。これも、あれも伝えたい、と思っているうちに文章が膨れ上がってしまい、全体の焦点のボケた写真のようになってしまいます。ターゲットとなる被写体だけを鮮明に写し出すために必要なことは、余計な飾り、重要でない事柄を捨てることです。その一方で捨てすぎてしまいますと唐突感、情報と情報の関連が見えなく、まとまりのない内容になってしまいます。肝要は良い塩梅なのですが、それが非常に難しく、伝える相手に応じて、豪華と簡素のバランスのつまみを調整する素養は一生磨いていくことになると思っています。

 

 簡素は素敵ですが、最初から簡素では薄っぺらい、無味乾燥になりがちです。最初は可能な限りの余計を含めて、様々な切り口やパターン、要素同士の組合せを考えたり、実際にやってみて、徐々に、やっぱりこれだ!を見つけることが素敵な簡素だと考えています。複雑に絡み合った糸を、とぎほぐすことで、まっすぐな糸になるように。私は作家のヘミングウエイの文章が大好きです。余分の省かれた簡素な文体で淡々としたリズム感が心地よいからです。おそらく出筆時には余分をそぎ落とすために、随分と葛藤があったのではないか?と勝手に想像しています。そんな簡素な格好良さをビジネス文書にも取り入れていけたら素敵なのかなと考えています。

 

我々はいつも恋人を持っている。彼女の名前はノスタルジーだ。

私の大好きなヘミングウエイの言葉

 

必要最小限を感じる山下達郎の蒼氓