新・迷って、悩んで、でも笑ったりもして…。 -32ページ目

新・迷って、悩んで、でも笑ったりもして…。

不惑の40代などと言うものの、40代になってから「踏んだり蹴ったり」、「弱り目に祟り目」な日々…。
あれから幾年過ぎ、日々の一喜一憂を好き勝手にほざいてる次第です。

前スレッドのプロ野球「東京ヤクルトスワローズvs北海道日本ハムファイターズ」戦でもちょっと触れたが、今年のスワローズのチケット代の設定が酷い事になっている。

昨年から「ダイナミック・プライシング」なる制度を導入~簡単に言えば「変動料金制」である。

 

もう、何年も前から動員力のある球団とそうでない球団、また平日か土日祝日かで3段階の設定が始まった。

「スタンダード」、「スーパーバリュー」、「バリュー」というランク付けで、まあ松竹梅というところだ。

今後のカードをちょっと確認したら、

7月5日 中日ドラゴンズ戦(バリュー設定)で、ライトスタンドB席で2600円~。

7月19日 横浜DeNAベイスターズ戦(スーパー・バリュー設定)で、ライトスタンドB席が2900円~。

6月30日 阪神タイガース戦(スタンダード設定)はライトスタンドB席が4500円~!

となっていた。

これは全てスワローズ側だが、動員力のある球団のビジター席はもっと高い!!

7月27日の広島東洋カープ戦はライトスタンドB席は3600円~となっているが、カープ側のビジター用レフトスタンドB席はなんと6600円~だと!!!

おそらく阪神のビジター席は相当な値段をつけているだろう。

しかし、今調べたら阪神戦レフトスタンドは売り切れ!

 

そんな状況をこの4月に「ヤクルト〝阪神サマサマ〟外野席1万円突破が目前」という記事があった。

 

他にも「ヤフー知恵袋」にも投稿があった。

これらは、この3月・4月の記事なので「1万円近い」となっていたが、実際自分が行った対ファイターズ戦はライトスタンドB席で14,000円台の値を付けていた!!

さらにトイレの出入りがしやすい通路側席はさらに数百円割高設定にしている…セコ過ぎる!

 

阪神ファンが、対ジャイアンツ戦で巨人応援歌「闘魂込めて」を「商魂込めて」と替え歌にして歌う事を自粛するようにと話題になったが、「商魂込めて」は対スワローズ戦で歌っていいよ。

ちなみに、ジャイアンツは外野スタンドは全カード2300円で、最安価の2階席D指定は2000円です。

なんて良心的なんだ!

以前は、スワローズ主催試合の神宮の外野席なんて1000円台の設定だったのに…。

2年連続リーグ優勝でちょっと勘違いしてんのかな?

 

 

 

 

 

 

 

先週末、また野球観戦しに神宮へ。

今回はプロ野球交流戦で、東京ヤクルトスワローズvs北海道日本ハムファイターズの一戦。

セリーグでビリのスワローズとパリーグ2位のファイターズの試合はどんなものか?

 

プロ野球で最も応援しているのは東京ヤクルトスワローズで、スワローズはセリーグなので、パリーグでは?と問われたら北海道日本ハムファイターズになる。

(理由は、どちらも知人絡みで、スワローズはかつてタッグを組んでいた仕事の先輩が大

ファンだったが他界したためその後を継いで応援しており、ファイターズは同級生のご子息がファイターズの選手なため。)

今回は、たまに野球観戦する知人が今年もまた行きたいとリクエストがあり、6月8日はスケジュールともにOKだったし、彼も新庄采配も観たいとの事でチケット予約をした。

(ただね…これ次回記そうと思うが、昨今スワローズ運営がちょっと勘違い甚だしいのだ。。。)

ライト側外野席が1万4千円?!

なので、レフト側席(それでも4千円台)にて今回は観戦。

高津監督と新庄監督のベンチ入りメンバー表の交換。

なごやかです。(笑)

そして、スターティングメンバーは下掲画像の通り。

先発投手はスワローズがサイスニード投手。

ファイターズが金村投手。

ファイターズで金村投手と聞くと、後に阪神に移籍した金村暁氏をどうしても思い浮かべてしまう。(苦笑)

 

試合は3回表のファイターズ攻撃時に万波選手のレフトスタンドへのソロホームランが飛び出した。

ファイターズ1点先取。

しかし4回裏スワローズがサンタナの3ランで逆転。

3-1となる。

さらに7回にはこの日、中村に代わりスタメンでマスクを被った松本(直)捕手にも3ランが出て6-1とスワローズが優位に。

しかしながらパリーグ2位のファイターズもこのままでなく、8回には水谷選手のが飛び出すタイムリーヒットで1点追加し6-2に。

さらには、ファイターズのキャッチャー田宮にも適時打が出て6-3に持ち込む。

しかし、もうゲームは終盤。

スワローズは帰って来た守護神田口投手をマウンドに送り込む。

田口がしっかり抑え、6-3でスワローズが勝利。

夏のような日差しの中で、ビールや焼酎片手に観る野球はやっぱり楽しい!(笑)

 

 

 

 

 

 

 

先月、兄貴分の知人と大学野球観戦した後の事。

すでに球場内で、知人が持ち込んだチューハイ、自分が持ち込んだ焼酎でとーってもいい感じになっちゃって(笑)はいた。

試合観戦後に、知人がGショックを修理に出したいとの事で渋谷へ向かった。

そこまでは覚えている。

しかし、その後の記憶が無く、帰宅後も床に伏したまま、長時間ほぼ死体状態だった。(苦笑)

 

だが、数日後にスマホの「フォト」を開いたら、渋谷にある老舗にして名店の町中華「兆楽」の画像を発見。

この日、兆楽に行ってたのか!(苦笑x2)

もう、夏の気配すら感じる陽気だったので、AMEMIYAばりに冷やし中華始めましたのポスターも撮っていた。(笑)

しかし、頼んだのはチャーハンと餃子とビールだった。(ま、定番だね)

画像を見て、なんか寄った記憶がうっすら且つ断片的に甦る。

 

しかし「兆楽」は、ひょっとしたら20年近くぶりくらい??

しまった~…せっかくなのでちゃんと味わっておきたかった!

まあ、兆楽さんは行こうと思えばすぐ行けるからね。

(って、この考えがついつい「また次でもいいか」になってご無沙汰しちゃうんだよね。)

 

で、今日もこれから野球デイゲーム観戦。

自分より若い酒豪と一緒なので、またもヘベレケ爺になりそうな。。。(苦笑x3)

 

 

 

 

 

 

 

 

先日、また音楽ドキュメンタリー映画を観た。

シド・バレット 独りぼっちの狂気」だ。

ここんとこ映画は、何か音楽ドキュメンタリーものばかり観てる…CCRリトル・リチャードモンタレー・ポップ加藤和彦…。

今回は、伝説のバンド「ピンク・フロイド」の生みの親である〝シド・バレット”。

ピンク・フロイドはシドとロジャー・ウォーターズ、リチャード・ライト、ニック・メイスン4名が学生時に結成したバンド。

1960年代半ばから、サイケ~プログレの路線、その世界観はこのシドによって決定づけられたと言えるだろう。

しかしながら、メジャーデビューの年に精神疾患を患い翌年には脱退せざるを得なかった。

そして2006年に60歳で他界した。

シド不在後、ピンク・フロイドは世界的成功と偉業の快進撃を続けるが、ピンク・フロイドのファンはシド・バレットの存在を忘れるどころか、「シドこそ真のピンク・フロイド」と称賛し続けた。

改めて、そのシド・バレットはどんな人物だったか、かつての知人らにインタビューし検証する内容。

監督でインタビュアーはストーム・ソーガソンで、この方はあのピンク・フロイドの名盤「狂気」などのジャケット・デザインを手がけた「ヒプノシス」の中心人物。

しかしながら、彼もこの映画の製作途中で他界…映像作家のロディ・ボガワが後を継ぎ完成した映画。

ピンク・フロイドのメンバーはもちろん、シドの妹、友人、さらには歴代の彼女たちまで登場し、一人物、一人の男としてのシドの側面がどんどん語られていく。

それらの話を聞いてると、改めてシドの才能とチャーミングさが伺える。

LSDなど、当時の欧米ミュージシャンがおおよそ使っていたドラッグのせいではあるが、狂人というレッテルを貼られたのは可哀そうな気がした。

やはり、繊細でその時々に生まれる欲望をどう実現するのがベストなのか?という部分が下手な人だった面もあると思う。

さらに、成功を収めた直後のアルバム「炎~あなたがここにいてほしい」制作時に突然スタジオに現れたシドは、以前とは全く違う風貌で最初は誰も彼とは気づかなかったし、会話もほとんど無かったようだ。

この事もシドの異変を膨らます大きな要因となったのではないか。

 

自分も、ピンク・フロイド以外にもシドのソロ・アルバムを2作持っているので、彼の思い描く世界を今一度、音楽を通して向かい合ってみたいと思った。

映画「シド・バレット 独りぼっちの狂気」は現在公開中。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昨日から、ある音楽ドキュメンタリー映画が公開となった。

トノバン 音楽家 加藤和彦とその時代

日本で、加山雄三と並びシンガーソングライターの基盤を作った加藤和彦を振り返る作品。

日比谷シネマズシャンテの最終回、登壇者挨拶もあってか超満員!

ちなみに上掲画像は左から、MC:上柳昌彦アナウンサー(ニッポン放送)、松山猛、尾崎亜美、小原礼、高野寛、石川紅奈、高田漣、相原裕美監督。

まずは、この面子で加藤和彦の思い出や印象を語る。

加藤氏の人柄や、作り出した作品が今も愛されるその魅力を近しい人物、ミュージシャンの立場から語られていく。

 

そして、本編。

まずは、あの迷曲!「帰って来たヨッパライ」を一躍メジャーに導いたラジオ「オールナイトニッポン」の顔だった斉藤安弘氏が久々に「オールナイトニッポン」にて喋っているシーンから。

「トノバン」とは加藤和彦のニックネームで、英国シンガーソングライター〝ドノバン”をもじって「殿バン」というところからのようだ。

果たして、今の世の中で老若男女問わず「トノバン」、「加藤和彦」と言ってどれほど知っているだろうか?

また知ってる方々もその印象がそれぞれ違うのではないか?

1960年代半ば、関西の大学生たちがフォークグループ「ザ・フォーク・クルセイダーズ(通称フォークル)」を結成。

学生生活終了の記念に自費制作版のアルバムを作り、その中で現代では普通な宅録を行ない、テープの録音・再生の回転数を上手く利用し、それまでに無かったポップスを作り出した。

それが「帰って来たヨッパライ」だった。

この曲が、関西のラジオで火が付き、前述の「オールナイトニッポン」で全国区のヒットとなった。

自分も、当時団地住まいで2階に住んでるヒロミちゃん家に行くとお父さんがステレオでよく聞かせてくれたのを覚えている。

その後、朝鮮の名曲「イムジン河」を2ndシングルで発売準備し発売直前で朝鮮総連から国として正式にクレームが入り発売中止。

その代わりに咄嗟に作成したのも「悲しくてやりきれない」という名曲!

これらの中心人物こそ加藤和彦。

ここまででもかなりのドラマだし、その辺りの事も映画では関係者が当時を振り返り色々と語る。

今でこそ、フォークソングと言うと前世紀のダサい音楽とされているが、当時は現在で云うK-POPと同じ立ち位置で、若い世代は皆夢中で聴き、自らパフォーマンスを行なった。

時代の最先端の音楽で、そのルーツはアメリカの大学生たち。

K-POPと違うのは、PPMやボブ・ディラン、ジョニ・ミッチェル、そしてドノバンらが、社会に対してメッセージも発して時代を変えていくほどのものだった。

そんな米英のフォークを皆こぞってコピーするさなかに、アジアのしかも朝鮮の曲を取り上げるあたり既にグローバルなアンテナと感覚を持っていたのが加藤氏だった。

学生生活も終えるにあたり、フォークルは解散するが、その後加藤氏はいきなりロックバンドを作る。

まだ日本にロックミュージックなど無い時代だ。

当時、世界を席巻していたグラムロックやハードロックの要素をいち早く取り込み「サディスティック・ミカ・バンド」を結成し、なんと日本でなく先にイギリスで注目を浴びる。

そして、50年前にあの日本初のロック名盤「黒船」を、ビートルズやピンクフロイドを手掛けたクリス・トーマスを日本に呼び制作した。

この辺りのクリス氏が日本のスタジオで何したか的な話はかなり面白かった!!

イギリスのテレビ番組で行われたライブシーンも音色も含めとても綺麗に仕上がっていて感激。

この時のドラマーが高橋幸宏だった。

その高橋氏が、相原監督の前作「音響ハウス Melody-Go-Round」に出演した際、監督に「もっと加藤和彦が評価されるべきだと思うんです、今なら僕も色々話せると思う…」と言って、この映画は生まれる事になった。

だが、高橋氏はこの映画に携わることなく他界。

言ってみればこの映画は高橋幸宏の遺言とも言えるだろう。

 

映画は、加藤氏の音楽面はもちろん、ファッション、食、女性、その生きざまを許される範囲で描いていた。

改めて、加藤和彦という未来先取り感覚に秀でたアーティストの面白さを伝えてくれる。

最後は、教科書にも載る「あの素晴らしい愛をもう一度」を、坂本美雨、石川紅奈、高野寛、高田漣、きたやまおさむ、坂崎幸之助、他、加藤氏本人の歌声もAIを使い時空を超えてリメイクし、この名曲を次世代に残したい=加藤和彦の存在を残すためのバトンとなって終わる。

 

全国順次ロードショーらしいので、今月~来月に公開される映画館もあるようだ。

ご興味のある方はご覧ください。