新・迷って、悩んで、でも笑ったりもして…。 -28ページ目

新・迷って、悩んで、でも笑ったりもして…。

不惑の40代などと言うものの、40代になってから「踏んだり蹴ったり」、「弱り目に祟り目」な日々…。
あれから幾年過ぎ、日々の一喜一憂を好き勝手にほざいてる次第です。

9月1日は「防災の日」。

大正12年(1923年)9月1日の今と同じ11時58分に起きた「関東大震災」の記憶継承と、防災意識を高める目的で制定された。

2000年代以降も「東日本大震災」、「熊本地震」、今年も元旦に「能登半島地震」など大規模地震が多い、先日もフィリピン沖プレートの動きによる地震で南海トラフによる更なる大規模地震の派生危機も報道されたばかりだ。

地震に限らず、まさに今現在は台風の脅威に脅かされ大変な思いをされている方々もいらっしゃる。

火山も多い我が国。

個人的には花粉やPM2.5などもやっかいだし…。

ここ日本は天災に見舞われる可能性は高いので、やはり「防災」の意識・準備は必要でしょう。

と、言いつつも我が家は簡単な防災グッズの入った、何故かパンダのグッズがあるが、最近見ないな…。(苦笑)

 

これ以上、天変地異が起きて欲しくは無いが、前述のようにその可能性が高い地理条件の日本は残念だが今後も大きな被害を受けるのは間違いない。

で、この先、未来の話。

科学的に未だ地震予測は確率していないので、いわゆる都市伝説な話です。

「東日本大震災」が2011年3月に起きると予知した方がいた。

予知夢と言うのを見る元・漫画家の方が、また大地震の予知夢を見たと発表していた。

この夢では日にちまで見たとの事。

それが、来年2025年7月5日だと言う。

来夏に大震災!?

どうやらフィリピン海沖が発生地で、日本は太平洋側が東日本大震災の3倍の高さの津波が襲うというもの。

先日のフィリピン沖プレートの動きも有ったし、実際それが南海トラフに大きな影響を及ぼす事は間違いないと警戒注意報も出たしね…。

正夢にならない事を祈りつつも、防災の意識と準備はしておきたいですね。

 

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前スレッドに続いて今回も野球観戦。

先週末に行ったばかりの神宮へ、またも昨日行ってしまった。

だって、「生ビール半額ナイター」なんだもん!(笑)

値上げの生ビール一杯が通常¥800のところ半額¥400で飲めちゃう!!

毎年、何回かこの企画はやっているが、やはり年に最低1回は行きたくなる。

で、今年は昨日やっと行けた次第。

さ、とにかく飲むべし!(苦笑)

神宮での1杯目に選びたい「サッポロ黒生」でスタート。

8月も終わりだが蒸し暑い…。

入場時にウクレレ持ったつば九郎のうちわを貰った。

ビールとうちわで火照った身体をクールダウンし、プレイボールを待つ。

そしてこの日の始球式は、なんと「ずん」の飯尾氏!うれしい。(笑)

マウンド上で、お約束のメガネギャグをしながら投球。

ちなみに背番号は「110」い、い、おです。(笑)

 

おっと忘れてた、この日は広島カープと熾烈なセリーグ1位争いをしている読売ジャイアンツを迎えた、リーグ断トツ最下位の東京ヤクルトスワローズの一戦。

スターティングメンバーは下掲画像の通り。

先発投手は、ジャイアンツが助っ人グリフィン投手。

スワローズも助っ人サイスニード投手。

この日は、サイスニードの一人相撲のような展開になるのでした…。

ちなみにこの日の席からはこんな感じ。

通路前の席なので、ビールは買いやすいが人通りも多いし、上掲画像はまだ早いうちに撮影したので空席が有るが、この日は当日券で完売の満員。

しかも、打席がとても撮り難い…。

ほら!

なので、バッター画像はほぼ無し…。

カメラを頭上に上げ撮った画像を。

で、試合はと言うと、まずジャイアンツのまさかの2番で10代の浅野選手にサイスニードが2ランを打たれ先制される。

4回裏のスワローズ攻撃時、一死で6番山田四球出塁すると7番増田選手の適時二塁打で1点を返し、松本倒れピッチャーのサイスニードの打席で「ここで終わるは。」と思いきや、なんとサイスニード投手も適時二塁打で2-2の同点に。

神宮球場に傘の花が咲き乱れる!

5回終了後は、神宮球場夏名物の花火も上がる。

さあ、後半で巻き返したいところだが、6回表一死後、4番岡本、5番坂本に連打を浴び、1、2塁で6番吉川に対し、こともあろうかサイスニードがワイルドピッチで、一死2、3塁の状態に。

ここで、ヒットはもちろんだが、犠飛、スクイズでも点が入るので、何とか丁寧に一人づつ片づけたいところ。

だが、吉川選手に見事なセンターフライを打たれタッチアップで岡本生還し3-2とジャイアンツ勝ち越し。

その後はともに動きなく進行。

7回には、ポスト村上の呼び声もある澤井選手が代打で出るも、釣り球を思いっきり振り三振…。

そして最終回。

ジャイアンツはリリーフ・エースで昨年のWBCでも活躍した大勢投手がマウンドに。

二死まで来て、スワローズは代打の切り札の川端選手!

ここで一発出れば同点なのだが、内野ゴロでゲームセット。

3-2でスワローズ敗戦…。

 

今年のスワローズ神宮観戦はこれが最後かな?

来季に期待します。

 

 

 

 

 

一昨日は神宮球場へ。

かつての同僚でスワローズ・ファンでもある友人が「そろそろまた一緒に神宮観戦行きたいんですけど」と依頼が来て観戦へ。

彼とも年1回は一緒に神宮観戦している。

この日は東京ヤクルトスワローズ「TOKYO燕プロジェクトDAY」との事で、ここもう何年も恒例の緑色のユニフォームを選手もスワローズ・ファンも来て一体となろう!という企画ゲームだった。

キャッチコピーは「さあ、ミドれ。」!

スターティングメンバー発表も緑の文字。

この日はこんな眺めで観戦。

先発ピッチャーは、スワローズが高橋投手。

スワローズでは唯一の先発左腕。(ちなみに嫁は元AKB48の板野友美)

この日の対戦相手は横浜DeNAベイスターズで、先発は石田裕太郎投手。

ルーキーです。

そして、ベイスターズのスタメンには、かつてスワローズでショートを守った西浦選手も。

試合は、3回裏スワローズの攻撃時に動きが。

1死で1番西川が出塁すると、続く2番で、上掲の西浦の後にショート固定となった長岡選手もヒット!

1、3塁になったところで、打率トップのサンタナ選手の犠飛で1点先制!

ここで4番村上が打席に。

バックスクリーンに叩きこむ2ランを放つ!!

これで3-0とスワローズがリード。

偶然にも、この回のスワローズ得点のタイミングで、お隣の国立競技場から大掛かりな花火が上がった!

サッカーの試合で、そのセレモニーとスワローズの得点のタイミングが偶然にも合った。

その後も、スワローズがバントを決めたタイミングにまた花火が上がった。(笑)

 

さて、結論を言うと、この3点が両軍合わせこの日の全得点となったのでした。

ベイスターズは継投策に出る。

2番手は佐々木投手。

ん?!佐々木?!

オールドファンとすると、大魔神と呼ばれたあの佐々木投手を思い出してしまう。(笑)

そしたら、ロッテドラ1だった佐々木千隼投手ですね。

今年から移籍したんでしたっけ。

6回に入ると、今度は山崎康晃がマウンドに。

それこそ"大魔神”佐々木に次ぐ抑えのエースだったが、今は中継ぎなんですね。

時の流れを痛感。

このまま終盤になると、雨が降って来た。

スワローズ戦は雨天観戦はレインコート系での観戦がルール。

でも、最近のファンはダメだね。

全く、見えやしない。

ただ、幸いにも通り雨だったので、その後止んだ。(ラッキー。)

試合は最終回2死となり、スワローズ勝利まであとアウト1つのところで、代打に筒香選手!

メジャーから戻ったスラッガーが再び。

しかし、スワローズ小澤投手の投球に三振でゲームセット。

スワローズが3-0でベイスターズに勝利。

スワローズは、結果最下位脱出を、ベイスターズは何とか3位になりたいところ。

残り試合も少なくなって来たが、今シーズンの結果はいかに?

 

 

 

 

 

 

 

 

8月23日は「ウクレレの日」なんだそう。

 

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これは、1979年にアメリカ・ハワイ州政府が認定したそう。
なので今年で45周年ほど。
何故8月23日なのか?
ウクレレの原型となる実は「ブラギーニャ」と言う楽器を持ち込んだポルトガル人が、ハワイで移民登録を行ったのが1879年の8月23日だったとの事。
なんか多少強引な感じもするが、常夏の島ハワイと言えばやはりウクレレは付き物。
日本でもウクレレ愛好家はものすごく多い。
 
自分の昔の友人も今はウクレレを弾く。
その友人は高校~大学時代に、自分のクラスメートとバンドを組み、ヘビーメタルやハードロックを演奏するギタリストだった。
フライングVを弾き、余裕で肩まである長髪で、何故かあの頃は素肌にベストを着てたりしてた。(笑)
ところが、老齢になり指の筋を痛めてしまい速弾きが出来なくなり、どういう経緯かウクレレを弾くようになった。
 
先日、そいつともう一人お互いによく知ってる友人と3人で飲んで話をしていたが、その日まだ明るいうちが飲んでしまったこともあり、酔いが回り、ふざけて「ウクレレ・メイデン」とか「ジューダス・ウクレレ」だ、「ウクレ魔Ⅱ」弾け!などと訳の分からん事をほざいてしまったら、翌日いろんな動画が送られてきた!

アイアン・メイデンの「トゥルーパー」のウクレレカバー!

 

ジューダス・プリーストの「ペインキラー」のウクレレカバー。

 

聖飢魔Ⅱ「蠟人形の館」のウクレレカバー。(笑)

 

世の中には、もう色んな事をやってる方々が多いです。(笑)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

この2日ほどのうちに、仏日の傘寿超えの大ベテランが鬼籍に入られた。

 

お一人は、フランスの俳優アラン・ドロン

パリ・オリンピックが終わったばかりのタイミングで逝くとは。

昔、子供の頃、「ハンサム」と言えば間違いなくこのアラン・ドロン氏の名が真っ先に出た。

ことさら日本での人気は高かったのだろう。

自分も彼の映画など観た事ないのに、小学生の時分にはふざけて自分を二枚目と言うお決まり文句は「日本のアラン・ドロンだからさ!」だった。(他の人もよく口にしてたと思う。)

あと、時代的に、フランスというのもあってか、この方はよく煙草を咥えているイメージがあった。

今思えば、おそらくなのだが、当時の日本俳優も咥え煙草が「男をカッコよくみせる」小道具として演出に使ったのはこの人の影響だったのでは?などと改めて感じたりもする。(笑)

彼の代表作も多々あれどテーマ曲のヒットもあり多くの人の印象にあるのは「太陽がいっぱい」だろう。

10代の頃、テレビで観たがその頃は正直よく判らなかったが、大人になって観たら、アラン・ドロンが人を惹きつけるのがよく判ったのを覚えている。

時代を象徴した二枚目俳優アラン・ドロン、去る8月18日フランスはドゥシーの自宅で死去。

死因不明、享年88歳。

 

 

そして、日本では音楽界の流れを変えるキーマンの一人でもあったシンガーソングライターの高石ともや氏が亡くなられた。

日本の音楽界がまだ民謡や音頭ものの流れを組んでいた歌謡曲がメインストリームだった時代、職業音楽家たちでなく一般民衆が作り歌う「フォークソング」が黒船のような勢いで台頭した。

小室等や岡林信康らと共に現れたのが高石ともや氏だった。

学生運動、安保闘争など当時の若者~特に大学生が、大人に国にものを申す力をつけた時代。

歌詞にメッセージ、風刺などを込めて、作曲し、アコースティックギター1本で弾き語り、多くの支持を得たのがフォーク・シンガーだった。

井上陽水や吉田拓郎なんてその後にこの人たちの影響で曲を作り出したのだから。

3年前たった一度だけ高石氏のライブを観たっけ。

この時はギリギリ70歳代で、穏やかながらも奔放なステージで、激動の時世を過ごした若者のその遥か先がどんな舞台なのかを見た気がした。

詞は御本人ではなかったが、ユーモアと風刺の混じった「受験生ブルース」は、あの頃の受験戦争に参戦した10代たちに愛された。

他にも、ザ・ナターシャ・セブンというグループで「想い出の赤いヤッケ」もヒットさせた。

また、今や日本も「フェス」として野外での複数ミュージシャンによるライブ・イベントも多々定着したが、「宵々山コンサート」と言う今で言う野外フェスをもう50年以上前に行うそんな先陣の一ミュージシャンだった。

1970年代からは、マラソンランナー、トライアスロン・アスリートしても活躍。

生きたいように生きるを体現した稀有な人でしょう。

アラン・ドロン死去1日前の8月17日地元京都の病院にて膵炎により永眠。

享年82歳。

 

アラン・ドロン、高石ともや両名に心よりお悔やみ申し上げます。

合掌。