情熱はどこから出てくるのか?
いろいろ考え過ぎてしまうと、夢を実現するための最初の一歩目を踏み出すのにかなりの勇気が必要になってしまうが、その意味ではRさんのようにある程度の見切り発車も悪くない。先日読んだ『小屋大全』という本のなかの一節。Rさんというのは、3年がかりでログハウスをひとりで完成させた女性のことで、その内容は読んで頂きたいけど、私の心に留めて置きたい言葉だなと思った。セルフビルドの人たちの情熱夢の実現には困難がつきものだ。しかし、困難が多ければ多いほど、失敗する確率も高くなる。誰も失敗などしたくはないから、夢に向かって進むことに二の足を踏んでしまう。そして、いろいろ考えるうちに、夢が実現「できない理由」を指折り思いついてしまう。お金がない、時間がない、技術がない……。夢というものはそういうもの。想像するだけならワクワクするが、考えれば考えるほど困難に思えてくる。一方、セルフビルドの人たちは、私が困難だと思っていることを軽々と超えているように思える。本のなかに掲載されている写真をみると、みんな良い笑顔をして写真におさまっているのが印象的で、誰もがパワーに溢れているように見える。自分で家を建てる困難をも楽しんでいるような情熱のパワーを感じる。どうして、私とセルフビルドの人たちとに違いがあるのだろうか。どうして、セルフビルドの人たちは情熱に溢れているのだろうか。そこで思い至ったのが、最初に書いた「見切り発車」のことだった。なぜ見切り発車が必要なのか今にして思うと、私とセルフビルドの人たちとの違いは「行動」にあったと思う。私は困難な状況に怖気づいて、夢から遠ざかろうとしていた。しかし、セルフビルドの人たちは私と同じように不安がありながらも、その不安を抱えたまま夢に飛び込む決断をしていた。私は動けなかったが、セルフビルドの人たちは動いた。その差が違いになるのかもしれない。いろいろ考え過ぎてしまうと、夢を実現するための最初の一歩目を踏み出すのにかなりの勇気が必要になってしまうが、その意味ではRさんのようにある程度の見切り発車も悪くない。情熱は何もないところに生まれることはない。情熱は行動するうちに自然と湧き上がってくるものだ。私には、どこかで「見切り発車」する決断が必要だったのかもしれないと今は思う。情熱の炎なぜこんなことを書いたのかというと、最近、Bライフやセルフビルドの本を読んでいて、私には「いつか自分で家を建てたい」という夢があったのに、一冊の本だって読んでこなかったことに気付いたからだった。いままで、夢は想像するばかりで、いつの間にか諦めていた。何ひとつ行動したことがないのに諦めているのだ。こんなバカな話があるのかと思うけど、私はそんなバカだった。ネットで動画なんかを観て山ほど時間を浪費しているくせに、一冊の本を読む時間さえ惜しんでいたのだ。でも、最近ふとしたきっかけで数冊の本を読みはじめ、そのことに気付いた。そして、本を読むにつれて気持ちも変わってきた。具体的な行動をはじめたら、徐々にやる気の炎が大きくなってきたのだ。「情熱の炎を燃やして」というように、情熱は火に例えられる。私のイメージは、焚火の火。私は焚火が好きで、よくキャンプに行くけれど、小さな種火に、小枝をのせ、中くらいの枝を乗せて、火を大きくしていくのがなんだか好きでたまらない。火が小さなうちは、大きな木に火が移ることはない。ちょっとした加減で消えてしまうこともある。しかし、火が徐々に大きくなると、横に置いた木にすぐに燃え移るようになる。そして、火が大きくなるほど、どんなに湿っている木でも燃やしてしまうような力になる。そんな火を眺めているといつまでも飽きることがない。火は本当に不思議だ。夢を歩んでいる人のことは、必ずどこかで誰かが見ているもの。夢とか情熱っていうのは絶対に伝染するし、同じ志を持った人たちが自然と集まってくるものなのだ。焚火の火が大きくなり隣の木へと移っていくように、夢や情熱もまた伝染していくのだろうか。『小屋大全』の表紙を見ると多くの笑顔が写っている。著者とその仲間たちの顔を見ながら、そんなことを考えた。最後まで読んで頂きましてありがとうございました。