女、子どもを守るのは、男性の役割と考えられている。これに異論を唱えるのが、フェミニズム活動だ。

男性は、元々、腕力、財力、知力を持ち合わせているから、男性優位の社会になっている。
集合してとる記念写真などを見ていても、前列の椅子に座るお偉方は、ほとんど男性だ。
男性優位の典型である医学界のイベントの集合写真、たとえば例会、受賞記念会、叙勲記念会などなど、集合写真は、まさに男性優位を象徴している。

女性にとって、男性の財力に頼って過ごす人生は、安楽的な生き方であると言われる。確かに、女性にとって、“従”の人生は、安定した要素があるだろう。しかし、“従"に甘んじる女性は、今ある安定や幸運が今後、失われてしまうのではないかの不安につきまとわれる。

こうした女性は、自らで解決できない行き詰まり感で悩まされる。つまり、“従”な人生につきものの不安を自覚する。
”従”の生活は、一見、安定しているようにみえるが、女性たちは、不安、不満、自己否定から解放されるわけではない。女性たちが不幸を感じる根っこは消えていない。
女性が“従”であって良かったと自覚できないと、幸福感は薄れてしまうだろう。

そして、“従”は、女性の人生に悲劇的であったり、屈辱的であったりもする。そこも女性たちを苦しめる。
女性自身で解決できないことが、不安、不満の温床になるのだ。
だからこそ、そこに気づきいた女性たちが、自らで選択できる人生を押し進めて来たのがフェミニズム活動なのだろう。
男性が、フェミニズム活動を支持するのは、女性の幸せを考えてのことだ。

不安、不満を抱く女性たちは、自ら自覚せずして、身体症状へと転換することが多い。これは、男性にとって、とても厄介な問題なのではないだろうか?

なにしろ、女性たちは、体の病気として症状を訴えてくるので、その対処が男性には難しいのだ。
女性たちは、症状を正当化させようと、医者にも通う。
そして、副作用の強い薬を飲むことになるのである。

男性が、女性を仮病だと見なせば、ますます、自己主張的に女性の症状は強くなる。
しかし、女性たちは、症状が自己主張から来るとは認めない。ここに触れると、女性たちは怒り、症状は強くなる。

しかし、女性の体の病気を認めて、男性が女性に配慮しても、女性の症状が増長することもあり、ますまずわがままが出る。しかし、反対に、男性が無視したら自己主張と相まって、訴えはますます強くなる。

女性自らで、体の症状が出るのは、不安や自己主張の代替症状やその一連のものではないか?と自覚を持たない限り、女性たちの身体症状は治まらない。他人が意見しても、女性たちに自覚させることは難しいと思う。

自己主張は、他人からコントロールされることを嫌う。だから、女性自身で自らの行動の問題点に気づかない限り、改善の見込みがないのだ。

女性は、年齢に関係なく、不安、不満のメンタルトラブルを身体症状で表わす傾向がある。
昔から、女性が願い事をかなえる時は、自らの身を痛めるのだ。
代表的な身体症状は、ヒステリーであったり、うつ、不眠、痛み、全身倦怠感であったりするが、すべてなんでも有りなのだ。

特に、子供や若い女性では、人生経験が少なく、周りの人の影響を強く受ける。
つまり、親の態度によって、子供の不安や不満は増長するのだ。

子宮がんワクチン後のメンタルトラブルで悩まされている女子生徒の問題は、女性の陥りやすい不安の思考回路を良く表したものと言えよう。

ワクチン導入前から、外国では注射時、卒倒する女生徒の問題が指摘されていた。
しかし、外国では、それでワクチン自体が問題化されたことはない。現在も、がん予防効果が期待され、ワクチンは続けられている。

外国でもワクチン後に、体調不良となる女性徒はいないわけではない。しかし、ワクチンとは、元々、10万人、100万人の単位で、異常がおきることがあり、それを外国社会が受け入れている。現代の医学のレベルでは、ワクチンとの因果関係の有無がはっきりしない事実も、外国社会が受け入れている。

つまり、外国では、ワクチン接種後に、何か不都合な症状が出た人は、運が悪かったとの考えなのだ。
特に、不活化ワクチンの場合は、症状とワクチンの因果関係の解明が困難だ。医学的証拠をしめすことができない。

ワクチン被害者の訴えは多彩で、代表的なものに、だるいとか、起き上がれない、手がふるえる、歩けない、考えることができない とからしい。

ワクチン後に不都合な症状が出た時は、誰でも不安がつのる。そして、ワクチンを体内に入れてしまったことを後悔する。しかし、その時に、どう気持ちを切り替えるかは、とても大事で、まずは、運の悪さをうけいれることから始めざるをえない。

他の人が何でもないのに、ワクチンを受けた本人のみが具合悪くなる場合は、本人の体質の問題なのである。

特に、人生経験の少ない子供のワクチン被害の場合は、親が子供にワクチンの基本をしっかり話してほしいと思う。 不安からくる二次的なメンタル症状につながらぬよう、子供を安心させることが大事だ。

母親と女の子の関係でおきやすい問題なので、そこに、父親の役割を期待したいところである。

どうもこのブログでは、男性批判的な文章が多くなってしまい恐縮だが、女性の行動志向も、おおいに問題はある。
女性の問題ある行動試志向について、考えてみたいが、まずは、手始めに、女優から学ぶ行動を書こう。

国連での演説というのは、政治家、芸能人として、大変、名誉なことのようだ。


確かに、彼女の演説は、人を引き付けるものがあり、ボランティア活動に熱心だ。アンジーは、女優だけではものたらない博愛主義者を目指す人であるようだ。

この報道内容が真実かどうかは知らないが、アンジーは、国連難民高等弁務官事務所の特使として活動を続けていて、国連演説などもこなしていた。

この国連での仕事というのは、離婚の材料にもされるほど権威と威力があるようで、芸能人を夢中にさせるのは間違いないようだ。

若手のエマワトソン氏も、仕事を休んでまでして、国連でのフェミニズム活動にのめりこんでいるようである。
彼女は、女優業を一時中止して、フェミニズム活動をするようである。
この判断については、男性ファンは、がっかりするだけでなく冷ややかであろうし、離れていくであろう。

いままで、可憐で繊細な美少女を演じてきた彼女のファンは、そうした女性が好きな人達であろうし、男性が守ってあげたい美少女というのが、エマワトソンだったのではないか?
エマワトソンは、そうした男性たちの期待をうらぎったことに、彼女自身はどの位、気づいているのだろうか?

ファンだけではなく、エマワトソンを売り込んできた周りの人たちも、がっかりか?
さらに、1年後、又、エマワトソンが映画に復帰したとしても、その時、女優業の立ち回りが難しくなるような気がする。

国連でのエマワトソンの演説を聞くと、それはまさにフェミニズム活動である。
女性は、弱く、壊れやすい美しさが求められているのではないか?心身を鍛えることは期待されていないのではないか?
などと、女性が従であったり、受け身である現代社会を批判した演説内容だ。
こうしたストレートに男女の問題点を指摘しても、受け入れない人は少なくない。

この演説を聞いた人は、「ああそうですか?もちろん、女性は人形ではないですよね。」という一般論に賛成はするものの、「エマワトソン氏さん、あなたの姿態は、まさに美しい人形のようです。ファンはそこが好きです。あなたに、そこを否定して欲しくない。」
「エマワトソンさん、国連で演説できるのも、あなたが人気ある女優さんだからですよ。そこの関係はどうなっているの?」
と感じるかも・・・。

さらに、エマワトソン氏は、さら男性ファンにとって、カチンとくるような発言をしている。これでは、ますます、男性心理が離れていくであろう内容である。

彼女はこう演説している。
「男性は、強くありたい、妻子を豊かな環境で養いたいとの願望が強く、その目的をかなえるために、男性は人生に大きな負担を抱え込まされることになる。フェミニズム活動は、こうした男性を救うことにもなる。これは、男性にとっても良いことではないのか?」
と言っているのだ。

これを聞かされた男性たちは、
「あまえ(エマワトソン)にそんなことを言われたくない!」と感じると思う。

フェミニズム活動は、若く美しく可憐な女性が説くような話ではないのである。

フェミニズム活動の大御所のグラハムスタイナムのように、女性が一生をかけてこの問題を追及し続けた時、女性のみでなく、男性たちの支持を得られるのだろうと思う。

社会における男女の役割や関係は、時代と共に変わっていくであろうが、近未来では、男女の役割を逆転させることなどできないし、生物学的にも不可能なことである。

競争社会で得た男性優位を転換させる力は、今の女性たちにはない。
今後も永久に来ない気がする。

グラハムスタイナムも、フェミニズム活動の究極の目的は男女の幸福追求であると言う。
歩み寄りに必要なのは、妥協、あきらめ、配慮、同情など、複雑な高等脳機能が必要だろうが、男女は、お互いの歩み寄りができてこその関係である。

「ざまぁ見ろ」との感情を考えて見ると・・・・。

「ざまぁ見ろ」との感情は、相手が、悪い!ずるい!と言えるような状況とは限らない。
そうでない時でも、人は、「ざまぁ見ろ」との感情を持つことはある。

「ざまぁ見ろ」の感情は、あまり上品なものとはいえないが、相手の非とは無関係に、誰もが持ちうる感情であろうとは思う。

先日、中年の男性社員が中高年年女性を6人位を同乗させ、小型バスを運転していた。
私も乗っていたのだが、雨の強い日で、坂道の低地で、一台の小型車が、水がたまった道路の凹みにはまり、抜けだせなくなってしまっていた。

あっという間に、その後ろに車がつらなり、延々と車が並ぶ渋滞になっていた。
対向車で走っているこちらの車からは、この対向車線の小型車が起こした悲劇的渋滞がよく見渡せる。

しかし、渋滞に巻き込まれた対向車線の車からは、なぜ、渋滞しているのかは、予想できない。事故かもしれないし、そうでないかもしれない・・・。どれ程の事故なのか?、どれほどの渋滞なのか?の見極めるのは難しい。誰しも、いらいらはつのる。

私たちの乗っている車が、しばらく走ると、対向車線の渋滞車列を走リ抜けたのだが、この時、男性運転手は、女性たちに声をかけた。

「やっと列が切れたね!。ここまで続いているのかぁー。次々とまだまだ、車がくるね。こいつら、この先で、渋滞しているのを知らねえで、調子よく運転しているな。この先でずーと渋滞しているんだよ。ざまぁ見ろ。こういうのを見るのって楽しいね!」
と言った。

この男性は、普通の会社生活をしている社会人である。中高年と言え、女性たちを前にして、悪ガキぶってみせただけかもしれないが、この男性の言葉を聞かされた私は、その場でいろいろ考えてしまった。

女性の私には、「ざまぁ見ろ」は、男性的感情ではないかと感じたのである。だから、考えさせられた。

競争社会で生きる立場の人の感情である。つまり、戦略、勝利、だまし討ちなど、人生の競争に生きる男性志向の感情と感じる。女性も同様の競争的感情を持つとはいえ、やはり、「ざまぁ見ろ」は男性的だ。

「ざまぁ見ろ」は、天下を取りたい男性的な感情に通じるものがあると思う。

人類は、狩猟民族であり、男性は外に出て狩をし、女、子どものくいぶちをかせぐ大昔の暮らし方があった。ついこの間まで、男性が女性を養うのはあたりまえであった。
男性は、生涯をかけて、自らの力で城を築きたい志向の強い生き物なのだろう。
他人と競争するという行動において、男性は、より本能的な要素があるような気がする。

女性にとって、男性の「ざまぁ見ろ」の感情は、男性心理を理解する糸口に思える。

男女は言い争っても、なかなか落としどころが見つからないことがある。
喫茶店で話し合っている若い男女、道路を歩いている時に、後ろから聞こえる男女の会話など、かみあっていない様子である。

最近は、女性が強いので、男性がやられている場合が多いと感じる。
男性は理屈をこねて、女性を納得させようとする。しかし、女性は、若干、言葉をカモフラージュさせこそすれ、「あんたのかせぎが悪い」と言いたいのである。

男性は傷つきながらも、二人の会話が続くようであれば、落しどころがあるようだ。
しかし、男性がもはや、女性との関係の修復を望まない場合、男性は強くなる。
こうした場合、女性は裁判などを起こしたとしても、戦うためのスキルが劣る。
つまり、戦うことにおいて、男性にかなわないのだ。
それは、動物的、本能的な能力の差であると思う。

男性社会では、常に戦いがあり、「ざまぁ見ろ」の感情は、そうした競争の落し子であるだろう。

男性社会では、職種、立場を選ばず、どこにも激しい競争と、陥れあいがあると感じる。
小保方事件もそうした背景を感じる。男性たちが、よってたかって、「ざまぁ見ろ」の感情を、小保方氏にぶつけたのである。

STAP細胞は、小保方氏の認識では、存在している。しかし、それを男性たちは認めない。

無いと騒いだ男性研究者にとって、STAPがあってもなくてもどうでも良いのだ。
“STAPは存在しないと決めた”、だから、それで押し通すのである。男性たちの強い自己主張に、小保方氏はつぶされたのだと思う。

彼女も、寂聴氏との対談で、男の嫉妬はすさまじいと語っているが、まさに「ざまぁ見ろ」そのものだった。
山登りから、より人工的、より競技的な形に発展してきたようなボルダリングと呼ばれる新スポーツの人気があがっているらしい。

大きな筋肉質の男性より、スリムなビジネスマンが勝つというストリー仕立てのコマーシャルでも人気が出た。このコマーシャルは、意外性を狙って、人々の注目を集めた。

確かに、ボルダリングという新スポーツは、筋力のみでなく、とっさの判断力などが求められ、見ていてのハラハラ感なども味わえる等の鑑賞性も高く、人気が出ているのだろう。しかし、人気の理由は、なかなか複雑のような気がする。

人気の出てきた新スポーツは、新聞報道もされるようになるが、問題は女性版のボルダリングである。

今回の大会で、2位に入った女性の写真が新聞にあったが、なかなか、見ごたえがあった。
つまり、人の肉体として美しいのだ。スポーツする人の腕や足の美しさが強調されていた。

この2位の女性は、美人であった。逆さにつかまった状態で、髪の毛がさかさに美しく広がっていた。女性がさかさで、必死につかまり落ちないようにしようとするため、緊張している体の筋肉が効率的に同調をする。それは肉体美である。

さらに、気になったのは、男女でコスチュームが若干、違うことだ。すなわち、男性のズボンの丈の方が長いのだ。一方、女性は短い。逆さに宙ぶらりになる時に、いやがおうでも下肢、特に大腿部分が露出する。もちろん、露出した足は美しいのだが、エロチックな印象はある。
女性の私が感じるのだから、男性はもっと、ニヤニヤしているかもしれない。
 
ボルダリングに限らず、陸上でも何でも、選手の美しい肉体というのは、スポーツ鑑賞にはつきものと思う。女性なら顔を美しければ、ますます人気が出るのはあたりまえであろう。

但し、競技に集中している選手たちからみると、容姿や大腿が強調されるのは、困るだろう。

こうした競技中の容姿や肉体美がうんぬんされるのを、一番、気にしているのは、女性のボルダリング選手だと思うけど・・・。とっさに露出されてしまうものだけに、選手たちの複雑な感情があると思う。
神奈川県茅ケ崎市で開かれたスタンドアップパドルボード(SUP)の国際大会「マイナビ THE JAPAN CUP」で、配られたTシャツを着た選手ら30人以上がかぶれなどの症状を訴えた問題で、大会を主催したNPO法人、スタンドアップパドルユニオンは18日、化合物の塩化ジデシルジメチルアンモニウムが原因だった可能性があると公表した。
とのネット記事(青字)があった。

競技会で配られたTシャツにより、かなりの人に皮膚炎が起きた。
皮膚に障害を与える化合物が除去されずにいたようだ。

当初、この事故では、皮膚障害は、アレルギー反応と報道されていた。
私は、看護系学生に、「これはアレルギー反応と言ってよいかな?」などと、質問してみた。
学生の反応は、「・・・・・」であった。

学生は、医学知識があるために、いろいろ考えてしまって、答えが難しいようだった。
答えは、Noである。厳密な意味でアレルギー反応ではない。
 
塩酸などの強酸のような刺激物質と同様に、皮膚への直接作用による炎症である。
自然免疫というタイプに近い反応である。

一方、アレルギー反応とは、同じ炎症であっても、体質の関与が大きい。
感作と呼ばれる準備段階の過程が必要なのである。

アレルギー反応では、感作の経過も、病気の出方も個人差が大きい。
その人が感作するかどうかに、個人差があるのだ。

つまり、アレルギー反応とは、他の人では何でもない物質なのに、特定の人だけに症状がでるタイプの病気である。

こうした複雑な生体反応の方が、病気の機序の解明がしやすい(医学が進んでいる)。

一方、自然に治ってしまうタイプの病気の解明が一番難しい。つまり、人が病気になったと感じないタイプの病気の機序は、解明が難しいのだ。

もちろん、今回の事件も、皮膚炎がひどかった人と、軽かった人がいるであろうから、個人差があるじゃないか?と言う人もいるであろうが、反応系は違うのである。

アレルギーという言葉は、一般的に良く使われるが、通俗的な使い方も広まっている。
そうした意味では、今回の事件もアレルギー反応かもしれない。

言い方はどうであれ、人にはさまざまな反応の仕方がある。

最もやっかいで、詐欺のターゲットになるのは、実態の無い反応である。
頭の中だけで、本人はその気になってしまうタイプのものだ。心因反応である。

前回のブログに書いたような、皮膚を持ち上げるドリンク剤などの広告は、思い込み効果だけで、売ろうとするのだろう。

テレビでは、老化を防ぐとする化粧品の宣伝もオンパレードだ。
モデルのように顔立ちの良い中年女性がすっぴん顔面でアップとなり、しわ、しみがテレビ画面に映し出される。

さて、その広告化粧品を使用前の女性が、化粧品を使用後に再び、テレビ画面に映し出されるのだが、確かに美しくなっている。化粧をしたのだから、当たり前だ。
しみ、しわが目立たない。共演の女性たち同士、お互いに美しくなりましたねえーと、会話し合っている。

ファンデーションを塗って、スポットライトをあてて、皮膚を光らせれば、ハレーションでしわは消えてしまう。

もともと、美人な人たちだから、化粧後はばっちりだ。テレビを見ている視聴者は、最初から美人じゃないの!と白けるような気がする。

つまり、こうしたミエミエ広告は有効なのだろうか?と考えてしまう。
多くの女性は、使用前、使用後に使われているトリックを知っているであろうし、さらに、最近は、画像処理の技術はすごくあがっているのだろう。
使用前の顔を、できるだけふけ顔にするのはたやすいだろう。

そうしたことを考えると、この手の化粧品効果の広告は、錯覚を狙うための手のうちが見えて笑える。

しかし、一方、皮膚の持ち上がるドリンクやクリームの宣伝には抵抗がある。
公的機関も消費者センターなども規制をしないのだが、メーカー同士がお互いをけなしあい、つぶしあってでたらめ商品の終わりがくることを狙っているのだろうと思う。

グルコサミンと、プロテオグリカンで、お互いメーカー同士がけなしあって、真実があからさまになってほしい。

実際に、グルコサミンは、プロテオグリカンの一部にすぎないから、軟骨に効くわけはないなどのライバル企業による広告が出回っている。

このライバル広告で、グルコサミンメーカーは、どんな手段のでるのであろうか?無視して、相変わらず、効くよ!効くよ!と刷り込み作戦で行くのか?あるいはどんな反撃に出るのか?

グルコサミンメーカーの言い分は、刷り込み作戦に徹するかもしれない。

プロテオグリカンなど、体内に吸収もしないけど、グルコサミンはそのまま確実にあなたの軟骨に行きます!との主張になるのか・・・・?
皮肉にも、このブログに寄生?!してきた広告に、皮膚が持ち上がるとの触れ込みの商品がある。

この広告の手法をみると、食品会社らしく(製薬会社ではなく)、とにかく、購買者に向けて“思い込ませること“をねらっている。

食品は、メーカーがおいしい、おいしいと言っても、食べた人が自身でおいしいかどうかを判断できる。だから、食品メーカーは、おいしい!おいしい!と連呼しても、それほど罪なことではない。
本当においしければ、商品は売れるし、おいしくなければ売れないだけのことだ。
こうした、広告手法は、食品メーカーに染み付いている。

それと同じノリで、食品メーカーは、老化予防と称する商品を売ろうとするのだ。これは、罪作りなことである。

たとえば、クリームの使用後は皮膚が持ち上がり若返ることができるとする宣伝がある。
買った本人が、おまじない効果を信じて、顔が変わったと錯覚すれば、商品は売れる。

新しい服を試着する時、店員が口をそろえて、「まあ、お似合いだこと!」と言ってくれるのと同じ作戦だ。

クリームを塗られた皮膚は、外来性のプリテオグリカンなる異物を載せられてしまうのである。

もし、本当に、それで皮膚がぶりぶりになるのなら、プリテオグリカンは表皮を通過して、皮膚の中(皮下)に、プリテオグリカンのままの形でとどまらなければならない。

プリテオグリカンなる物質が、そのままの形で皮膚に吸収され、皮下にとどまるとしたら、皮膚にとって、大変な異常な状況だろう。

生きている皮膚の細胞で、そうしたことが実際に起きたら、人はさまざまな病気になってしまうだろう。美容整形を繰り替えている人におきてくるアジュバント病が起きてくるだろう。

プリテオグリカンは、分子量の多い物質だろうから、皮膚の細胞にとっては簡単に吸収できないだろうし、プリテオグリカン濃度が低ければ、皮膚の細胞はそのままプリテオグリカンを無視するかもしれない。プリテオグリカンを分解していくのは、皮膚細胞にとって、難しい任務になりそうだ。

元々、生きている皮膚は、体内に外来物質がとりこまれないように、外来物質を必死に鑑別、排除を行う。もちろん、この外来物質は無視すべきと皮膚細胞が判断すれば、その外来物質は無視される。
そうこうしているうちに、やがて、その外来物質ははがれ、生体にいつまでも、とりついていることはできないのだ。

皮膚の上に載った物質を、皮膚細胞が感知すれば、その物質を分解するなり、吸収するなり、何らかの作業を開始するかもしれない。こうした免疫反応は、個人差が大きなものであろうが、いろいろな、免疫反応を起こしてくるリスクがある。

しかし、実際の商品開発の時点で、研究者同士で皮膚に載せたりして試しているだろうから、実際には、たいした皮膚変化はないことは確認しているだろう。つまり、なんの影響も無い物質なのである。

実際に何がどの程度に入っているのかは、不明である。
研究開発で何が検査され、安全が確認されたかは、企業秘密なのだと思う。

とにかく、実際にプリテオグリカンに活性があれば、何からの、アレルギー反応も心配される。
皮膚の上に載った小麦蛋白が、小麦アナフィラキシー(小麦に対する強いアレルギー反応)を起こした過去の出来事を思い出すことが必要だ。

こうした話を、広告文を作っているメーカーの人に話しをしても、通じないと思う。

皮膚の上に載せた物質と、皮膚とのせめぎあいで、どうしたことが懸念されるかについて、メーカーは、どのくらいに考えているのか?食品メーカーは、そうしたことを考えるプロ集団ではない。

以前に美白製品の使用後、白斑がおきて、カネボウがメーカー責任を問われたことがあった。
この時は、カネボウの研究者は、まじめに悩んだし、責任も感じたであろう。

とにかく、メーカーの研究者たちは、皮膚の医学についての知識は大いにあったと思う。
だから、医療者との話も通じやすかった。カネボウは、まじめに効果ある美白製品を開発しすぎたのだと思う。

つまり、ほとんど皮膚に影響を与えないような物質でごまかしておけば、美白が白斑症まで進むようなことはなかったのではないだろうか?そう考えると、商品というのは、あたりさわりのない効果の無い商品が無難だ。

使用効果が無くても、派手な宣伝で購買者の錯覚を誘導できれば、そこそこ売れている商品の開発につながるのではないだろうか?

しかし、こうした商品の氾濫は、詐欺のようなもので、やはり健康的な商業活動とは思えないが・・・。
この夏は、都知事選挙やオリンピックがあり、刺激がいろいろあったため、私は、しばらく、文章をつくることをさぼってしまった。

小保方事件なども、手記発表の後、小保方氏の新たな挑戦を期待していたのだが、残念なことに、その後の進展はない。
今後に、小保方氏が名誉回復のために、もう一歩踏みだしてほしいと思う人は、少なくないと思う。

そんな現状の私ではあるが、以下のようなネット記事が載ると、文章を書きたいなと思う気持ちが刺激されるのである。

下が、気になるネット記事である。記事は青字

9月2日、米食品医薬品局(FDA)が19種類の殺菌剤を含有する石鹸などの販売を禁止すると発表し、衝撃を与えている。これらの殺菌剤を含む石鹸は、通常の石鹸と比べて優れた殺菌効果があるとはいえず、かえって免疫系に悪影響を及ぼすおそれがあると警鐘を鳴らしている。
特に、殺菌剤のうちトリクロサンとトリクロカルバンは、日本でも殺菌作用をうたう石鹸、ハンドソープ、ボディソープ、歯磨き粉などに広く使用されている。さらに、防腐剤・抗菌剤・消臭剤として、化粧水やクレンジング剤、美容液、フェイスクリーム、日焼け止めといった化粧品類にも添加されている。

このFDAの判断は、日常雑貨品の安全性を問題にしていて、なかなか奥の深い議論をはらんでいる。

トリクロサンとか、トリクロカルバンがどの位にどれに入っているのか、私は無知であるが、多くの商品は、皮膚への雑菌効果ではなく、商品の保存性を高めるために添加してあるのだと思う。
つまり、化粧品やクリームの長期保存に耐えるようにするためだろう。

殺菌効果のある石鹸やクリームなどは、それが皮膚への刺激物質になる可能性があるが、実際の人の皮膚に症状が出るのは、ごく一部の人である。
多くの人では、何も起きないからこそ、日常使用できる商品として通用できている。

ネット記事の上から3行目に、免疫系に悪影響を及ぼす可能性があると書かれているが、この文章も微妙な表現である。元々、皮膚には常在菌がバランスの取れた状態で存在しているので、殺菌剤は、その自然の細菌層のバランスをくずす可能性がある。

免疫系への影響とは、たぶんそうしたことを示唆したものと思うが、一般の人にはわかりにくい表現のではないだろうか?

外傷や褥瘡などの際に、殺菌剤を皮膚に使うべきかどうか、医学界では相変わらず論争が続いている。以前は、傷には必ず消毒剤が付きものであったが、必ずしも消毒剤が、皮膚の回復を高めるかどうかが不明なのである。

恐らく、殺菌剤が必要な場合と、必要ない場合と、両方あって、怪我の状況や、その人の体質的なものによって、結論的に方針を出すのが難しいのであろう。
人の反応というのは、すべてにおいて個人差が決めてなのである。

消毒剤は、実際に殺菌効果が期待できるものであれば、人の皮膚の細胞にも、ダメージを与える可能性はある。だから、健康な人であれば、皮膚の傷は、清潔にして軽く保湿し、触らないようにするのが一番であろう。

つまり、人は細菌やウイルスなどの微生物と共に生きている仲間同士である。
皮膚の傷を治しているのは、人の細胞(生体反応)であり、薬の効果ではないのである。

だから、人にとりついている微生物と体のバランスが乱れる時が、病気の元になるだろうし、そこを考えると、殺菌の必要性は限定的なものとなる。

多様な菌のうちの一部が、増えすぎぬように、独占状態にならないようなしくみが働くことで、生物は健康を保っている。菌と体は、究極の共存状態を維持している。

殺菌対策をとって、微生物を退治したら、健康になれるわけではないのである。

この菌やウイルスとの共存状態は皮膚に限ったことでない。この細菌層のバランスが崩れると全身的に病気が起きる。

腸もしかりで、急性腸炎は、赤痢チフスなどの病原菌の排除に役立っている。しかし、慢性の腸炎などは、腸内細菌層がバランスを保てなくために、腸の免疫細胞が暴走が起きているようである。病名となると、潰瘍性大腸炎とかである。

世の中には、においの元になる菌を殺す消臭剤とかがあるが、こうした人工物質が若干、皮膚につくのは問題が少ないが、吸い込むのは避けた方がよさそうだ。気管支を刺激する物質となりそうである。

こうしたことを考えていると、気になってくるのが、世の中に出回る日常製品の過剰宣伝の問題である。商品宣伝は、いろいろなリスクを棚上げにして、活発に行われている。その最たるものは、病気や老化を防ぐとする健康食品だろう。

今の日本では、問題のある商品の宣伝が野放しで行われていると思う。

日本の経済活動を上げるために、国の研究機関も、根拠のないでたらめ広告に規制をかけようとしない。

宣伝効果で、ものを売ろうとする広告が多いのである。
お金にあかして、意味のない(もしかすると有害性のあるもの)商品の大規模宣伝が、新聞紙面をにぎわせている。小さな名前の知らない会社でも、一面広告を打てる時代である。

広告の中には、明らかな詐欺的な表現がある。
意味のない物質名をあげ、それがすばらしい新発見であるかのように、効能を謳うもの。

生理的な体の反応にすぎない症状をとりたてて騒ぎ、それが病気である、あるいは病気の始まりであるかのように解説して、読者の不安をあおって、購入意欲を刺激するもの。

トリクロサンとトリクロカルバンは、商品の保存性に貢献はしている。今後、日本でどのような規制が始まるかは不明であるが、ウオッチしていきたい問題である。

FDAがトリクロサンとトリクロカルバンなどの無効性、有害性などを指摘したことをきっかけに、日本でも、広告規制に関して議論が高まってほしいものである。

「自民党のやり方は、汚い。自民党は一枚岩のくせして、まるで小池氏が反自民であるかのような見せかけをした。ずるいじゃないか?自民党、そして、自民党とぐるになった小池ヨ!こんなやり方は許せない?」
と、前回ブログに書いたが、今回の知事選は、劇場的選挙だ。

自民党と小池知事が演じた、大当たり奇襲戦を見せつけられた野党4党は、絶望のため息をつかざるを得なかった!

分裂したかのように装った自民党に対し、分裂しているのに共闘したかのように装って、失敗したのが、4野党の鳥越氏擁立策だった。

だから、散々たる結果に、4野党の関係者は傷ついた。
応援演説をした民進党、共産党の党首も随分、嘆いたことだろう。

反自民や無党派層の集票に全く失敗したのである。自民党票が割れるはずだったのに、そうならず、革新の票をかっさらっていった。
民進党支持者も、驚くほど高い割合で、小池氏に投票したとのことである。

宇都宮氏も、不満一杯の人だろう。
彼は、一度も鳥越氏の応援演説に参加しなかった。
それに加えて、宇都宮氏は応援演説に参加しない理由をマスコミに公開した。
応援に参加しない理由は、実にストレートであった。
鳥越氏に対して、「討論会を欠席するな、週刊誌記事の女性に対してきちんと対応せよ!」との注文をつけた。
人権家の宇都宮氏のまじめな性格を反映している。
彼はいつも、都知事選挙期間中は、激しく燃える演説をこなしていただろう。

だから、宇都宮氏が、もっとしっかり、鳥越氏は演説会をこなせ!、革新政党の政策論旨をきちんと演説しろ!と叫ぶのは当然だ。

スキャンダル対応などで、鳥越氏の知名度が逆方向に作用した。
民進党の選挙本部は、望ましい対応ができず、がたがただった。

選挙参謀は、選挙期間中のうらみつらみを留めることができず、憤懣やるかたない恨みをマスコミに流すのをためらわなかった。

批判の当事者であった鳥越氏当人は、選挙後、「貴重な経験をさせてもらった・・・。」とのコメントであった。
鳥越氏の感想は素直であったが、この言葉を聞いた4野党の選挙関係者は、(鳥越氏は)真剣みがたらなかった!と怒りを感じたかもしれない。

しかし、鳥越氏を推した野党4党は、少し頭を冷やせば、プロの政治家以外の人に立候補を依頼し、知名度で勝ってもらおうと期待したことが間違っていたことに気づいただろう。

そして、自らの選択のミスを猛省せざるえを得ず、重大な選択ミスをした自分自身に絶望したことだろう。

プロの政治家ではない鳥越氏は、野党4党から熱く要望されて、それに答えたにすぎないのである。だから、夏の暑い炎天下で、日に何度も、大汗をかいてスタミナ演説するなどはできないのだ。

それこそ、病み上がりの体で、ストレスでがんを再発したら大変だ。
16日間というのは、プロの政治家でない人にとって、果てしなく長く消耗する日々である。

一方、プロの政治家にとって、選挙活動期間というのは、珠玉の毎日であろうし、1日たりとも無駄にできない黄金の日々だ。
たくさんの有権者とふれあって、票をいれてもらうのだ。

しかし、マスコミ人は、テレビでしゃべるだけで、街頭演説の何倍もの影響力をもたらすことができる。

そうした選挙に対する認識の違いは、鳥越氏と選挙本部の間で大きな亀裂があったと想像できる。

本物の政治家は、常に政治課題をかかえている。求められれば、政治に関する話題であれば、いつでも演説に持っていける。

しかし、にわか政治家の鳥越氏は、そういうわけにはいかない。疲れていたり、暑かったりしたら、体にしみついていない演説をこなせないと思う。
つまり、演説用語をぽんぽんと繰り出すことができない。

だから、炎天下、疲れた頭で無理して演説して絶句してしまう。
演説中の失言や間違いも命取りだ。
すべてに良い演説をこなせなければ、マスコミに恥じを書きたてられてしまう。
ジャーナリスト全体に対する評価を落としてしまう。

特に、鳥越氏は、都政に関することは、良く知らない。それより、原発問題、憲法問題などが得意だろう。こうした漠然とした話題なら、鳥越氏は、普段から問題意識をかかえているだろうから、言葉につまらずに、話すことができる。
結局、選挙戦後半は、そちらの方へシフトしていたようである。

マスコミ人は、権力者の政策に抵抗して、革新的な話題が好きである。
漠然と反対したり、言いぱっなしに非難できるこうした問題を扱うことは、得意なのである。

マスコミの人気者が立候補するとどうなるか?のリスクを、選挙民は間のあたりに見ることができた。そして、鳥越氏の選挙本部は、まずい対策の見本を披露してくれた。

増田氏も、気の毒な役回りになってしまったが、今後も政治家として活躍できるだろう。

知事選での登場人物は多様で、人間くさかった。
こうしたつくりものでない劇場型ドラマに、人々はひきつけられたと思う。

リオオリンピックが開幕して、すぐ金メダルが飛び込んできた。人々の気持ちは、一気にオリンピックになった。

激しくファイトして勝利する選手の様子を見て、多くの人が何らかのエネルギーをもらえるだろう。

テロとかが引き続き心配だが、実際のリオではずいぶんと神経を使っているだろうし、すごい事件が起きずに、無事終わってほしいものだ。

人の流れがある限り、テロ対策は難しいと思うが、テロリストを検出できる装置など、新規の防護策なども進化してほしいと思う。才能ある人たちの発明、発案に期待したい。

テロ対策の手段がいろいろ開発され、日本が世界に売り込む技術となっていくかもしれない。こうした問題は、技術や知識を持つ人たちと、国や都の役人たちとの良い関係で対策が進むであろう。法整備などに、若狭氏のような人が活躍するのかもしれない。

さて、小池知事の服装があれこれとりざたされているが、白のジャケットに青のインナーを、丸川大臣が同じようなスタイルであったことが注目されている。いまや、小池氏の服装の変化を多くの人々が注目している。

ミニスカートが登場したり、だんだん、小池知事の服装がカジュアルになっている。小池氏は、いつでもジャケット着用であることには変わりないが、そのジャケットは皇族が着るような無地で薄い色のタイプから、変化してきた。うすい色の無地のジャケットは、上品さと格調を示すにはうってつけだ。

今は、街を歩いていても、ジャケット着用の女性は少ない。昭和の時代には、スーツにこだわり、女性は、服にお金をかけた。しかし、人々が豊かになってから、人々が服装にお金をかけなくなってきている。スーツの似合う人や、見とれる服を着ている人がいなくなってきた。

だから、小池氏のジャケット姿で、再び、女性のキャリアップアイテムのジャケット姿に、人気が出てほしいものだ。銀座マギーなど、日本女性の体形にあう服づくりをしているメーカーも期待していると思う。

ジャケット着用は、小池知事の警戒心がとれてきている証拠なのだろう。小池氏と安倍総理との会談時は、ひざ上丈のワンピースの上に、白いジャケット着用であった。座ると小池氏ご自慢の足がばっちり見える。小池知事の気分が、ややリラックス化してきた証拠だろう。

さらに、区長会では、花柄のジャケットであり、インナーは無地で完全にカジュアル化していた。

多分、小池知事とすると、区長会への出席時には、余裕を感じ始めていたのだろう。皇族のような服装をやめ、フレンドリーな服に変えた。ご自身の華やかさを強調する若々しい服装になった。

当分は、マスコミは、小池知事の服装から、彼女の意気込みや気分を読み取って、報道をするのではないだろうか?

さて、民進党の岡田氏は、7月31日の選挙直前に、次期の党首選に立候補せず、党首を降りる声明を出したが、辞退した時の心境について、記者から聞かれた時、岡田氏は、「発表するのは、この時期しかないと考えた・・・」と答えた。

これでは、記者からの答えになっていないのであろうが、岡田氏の党首選辞退宣言がなぜ、知事選の前日だったのか?が少し、不思議だ。普通なら、選挙後だろう。
民進党の選挙参謀の人の中には、岡田氏のこの行動をすごく怒っている人もいる。

しかし、岡田氏は、自民党が勝利する前に、自らの辞退を発表したかったのだ。

この時の岡田氏の心境を考えるのは、興味深いと思う。

岡田氏は、鳥越氏立候補策を進めた責任者であるからして、鳥越氏大敗が判明すれば、責任問題が出てくる。

岡田氏の辞退宣言は、前日であることが必要だった。つまり、岡田氏は、小池知事が決まってからでは遅いと判断したのだが、その理由は、自民党へのうらみつらみだったのではないだろうか?つまり、自民党への抗議である。
岡田氏は、「その茶番、私たちにはバレてるぞ!」と言いたかったのでは・・・・?

31日の選挙当日、夜8時をまわってすぐ、ほとんど開票されていない状態にもかかわらず(票差が少しの時点)、NHKは小池氏の当選確実を打った。その位、選挙結果は、前日には判明していた。

だから、岡田氏は、選挙前に、すでに勝負のついた知事選に対して、自民党の戦略に抗議をしたのだろう。

「自民党のやり方は、汚い。自民党は一枚岩のくせして、まるで小池氏が反自民であるかのような演出をした。多くの選挙民は、この作戦にだまされた。自民党政治に反対の反自民だけでなく、無党派層の多くの人たちをひきつけてしまった。ずるいじゃないか?自民党ヨ!、小池ヨ!、そんなやり方は許せない?」

とした岡田氏の心境が想像できるようだ。


自民党所属の衆議院議員(1期)の若狭氏であるが、小池氏の演説では、常に彼が付き添っていた。

この二人の関係については、特にスキャンダル化して、週刊誌が書き立てることはなかった。男女関係のような週刊誌的なネタがでるのではないかと心配したが、選挙戦が終わった今でも、二人の関係を取りざたする記事は見当たらない。
ここが少し不思議な気がしていた。

彼は、ウキペディアによると元検事で、洞爺湖サミットなどの警備を担当したりしていたようだ。その後は、テレビの報道番組などのマスコミにも登場し、自民党の比例区で衆議院議員になった。

その彼が、なぜ、今回、自民党の除名のリスクをかかえてまで、これだけ小池氏をサポートしたのであろうか?

若狭氏は、演説をするために選挙カーの上に乗りながら、一種のボディガードの役割も担っていたと思う。多分、本人は、小池氏の前座弁士のみでなく、ボディガードのつもりで乗っていたと思う。

プロのSPなどもいたと思うが、SPは選挙カーの上には乗っていなかった。
同じく応援を買って出た登山家の野口氏も、動画でみる限り、選挙カーの上で、緊張した様子であった。野口氏も、何かあったら小池氏を守らなければならないと考えていたのだろう。

若狭氏も、選挙期間中、ずーとそうした思いでいただろう。
若狭氏は、大事な小池氏を守っていた。

若狭氏は、ウキペディアによると。自身の基本政策として「法律の整備によって健全な社会を取り戻す」を挙げているそうだ。

(勝手に想像させてもらえば、)彼のような人(正義漢)は、自民党内部の腐った部分、なれ合いの部分を修正したいと思うだろうし、周りからもそうした役割が期待されているだろう。

都庁は、古い体質を抱えていたことが、今回の知事選を契機に明らかになったと思うが、自民党議員は、地方政治では特に、そうした親分的、やくざ的な体質があるのだと思う。

政治家の中には、既得権をもつ古い派閥をつぶしたいと思う新興勢力もあるだろうから、そうした新興派閥は、正義漢を持つ議員仲間が、旧態派閥を潰してくれる事を期待するかもしれない。

若狭氏のような人は、旧態(悪)を退治するにはうってつけであろう。
比例代表の議員名簿順は、派閥間の権力争いが関連する。
こうした正義漢が強い人が議員になるのは、選挙民にとっては、悪い話ではない。

つまり、議員になった若狭氏は、どこかの時点で、内田派閥の解体をもくろんでいたのかもしれない。

今回の小池知事の誕生は、ドラマ仕立てのように、おもしろかった。

昨日の安倍総理と小池知事の会談の周到の良さも、できすぎた話と言える。
安倍総理が小池知事と握手をしているといより、安倍総理は小池知事の手を包み込むように握って、守ってあげるヨの雰囲気の写真であった。
マスコミも、小池知事は、安倍総理という強い味方を得たと書いた。

一方の内田氏は、都連幹部を去り、まさにドラマッチク仕立だ。
憮然とした顔の石原氏であるが、彼も案外、どこかで演技なのではないだろうか?

安倍総理が、小池知事に、「一本とられた」と言ったそうだが、最初から、こうなることを予想していたかのようである。
安倍総理は、一度も、増田氏の街頭演説に参加しなかった。
つまり、安倍総理自身あるいは、そのブレインの誰かは、小池知事誕生を予期していたことは明らかである。

そうして、根回しとして、若狭氏を内田派への刺客として都連に送り込んでいたというストリーを書けなくもない。

つまり、今回の都知事選を小説にしようと思えば、いろいろなストリーがつくれるであろう。

まず、若狭氏が刺客として都連に入り込んで、小池氏の立候補を持つというストリーだ。小池氏の人気が高まることは最初から予想しており、都連の古い体質潰し、自民党の圧勝なども最初から予期されていた。
それを、仕組んだ人がいてもおかしくない。

実際に、どこまで、あらかじめの台本があったのであろうか?
仕組んだ人は、どんな人か?いろいろ場面で、どう策略をめぐらしたのであろうか?

但し、小池氏自身は、そうした仕組まれたストリーはあまり知らされていなかったと思う。彼女は、敷かれたレールの上に乗って行動したわけでないだろう。
若狭氏と小池氏の関係は、どの位、周到だったのかはわからない。

小池知事は組織を失い、行き先未定の大きなル不安をかかえて、必死に選挙運動をしていた気がする。

“病み上がりの人”という問題発言も、後がない小池氏の窮地を表したものであろうし、“鳥なんとかさん”という相手を侮辱する呼び名も、小池氏に勝てる余裕があれば出てこない禁句であろう。

政治は、本当にドラマのようなことが実際に起こり得るからして、どこが仕組まれていたかの真実は闇の中だ。