「ざまぁ見ろ」との感情を考えて見ると・・・・。

「ざまぁ見ろ」との感情は、相手が、悪い!ずるい!と言えるような状況とは限らない。
そうでない時でも、人は、「ざまぁ見ろ」との感情を持つことはある。

「ざまぁ見ろ」の感情は、あまり上品なものとはいえないが、相手の非とは無関係に、誰もが持ちうる感情であろうとは思う。

先日、中年の男性社員が中高年年女性を6人位を同乗させ、小型バスを運転していた。
私も乗っていたのだが、雨の強い日で、坂道の低地で、一台の小型車が、水がたまった道路の凹みにはまり、抜けだせなくなってしまっていた。

あっという間に、その後ろに車がつらなり、延々と車が並ぶ渋滞になっていた。
対向車で走っているこちらの車からは、この対向車線の小型車が起こした悲劇的渋滞がよく見渡せる。

しかし、渋滞に巻き込まれた対向車線の車からは、なぜ、渋滞しているのかは、予想できない。事故かもしれないし、そうでないかもしれない・・・。どれ程の事故なのか?、どれほどの渋滞なのか?の見極めるのは難しい。誰しも、いらいらはつのる。

私たちの乗っている車が、しばらく走ると、対向車線の渋滞車列を走リ抜けたのだが、この時、男性運転手は、女性たちに声をかけた。

「やっと列が切れたね!。ここまで続いているのかぁー。次々とまだまだ、車がくるね。こいつら、この先で、渋滞しているのを知らねえで、調子よく運転しているな。この先でずーと渋滞しているんだよ。ざまぁ見ろ。こういうのを見るのって楽しいね!」
と言った。

この男性は、普通の会社生活をしている社会人である。中高年と言え、女性たちを前にして、悪ガキぶってみせただけかもしれないが、この男性の言葉を聞かされた私は、その場でいろいろ考えてしまった。

女性の私には、「ざまぁ見ろ」は、男性的感情ではないかと感じたのである。だから、考えさせられた。

競争社会で生きる立場の人の感情である。つまり、戦略、勝利、だまし討ちなど、人生の競争に生きる男性志向の感情と感じる。女性も同様の競争的感情を持つとはいえ、やはり、「ざまぁ見ろ」は男性的だ。

「ざまぁ見ろ」は、天下を取りたい男性的な感情に通じるものがあると思う。

人類は、狩猟民族であり、男性は外に出て狩をし、女、子どものくいぶちをかせぐ大昔の暮らし方があった。ついこの間まで、男性が女性を養うのはあたりまえであった。
男性は、生涯をかけて、自らの力で城を築きたい志向の強い生き物なのだろう。
他人と競争するという行動において、男性は、より本能的な要素があるような気がする。

女性にとって、男性の「ざまぁ見ろ」の感情は、男性心理を理解する糸口に思える。

男女は言い争っても、なかなか落としどころが見つからないことがある。
喫茶店で話し合っている若い男女、道路を歩いている時に、後ろから聞こえる男女の会話など、かみあっていない様子である。

最近は、女性が強いので、男性がやられている場合が多いと感じる。
男性は理屈をこねて、女性を納得させようとする。しかし、女性は、若干、言葉をカモフラージュさせこそすれ、「あんたのかせぎが悪い」と言いたいのである。

男性は傷つきながらも、二人の会話が続くようであれば、落しどころがあるようだ。
しかし、男性がもはや、女性との関係の修復を望まない場合、男性は強くなる。
こうした場合、女性は裁判などを起こしたとしても、戦うためのスキルが劣る。
つまり、戦うことにおいて、男性にかなわないのだ。
それは、動物的、本能的な能力の差であると思う。

男性社会では、常に戦いがあり、「ざまぁ見ろ」の感情は、そうした競争の落し子であるだろう。

男性社会では、職種、立場を選ばず、どこにも激しい競争と、陥れあいがあると感じる。
小保方事件もそうした背景を感じる。男性たちが、よってたかって、「ざまぁ見ろ」の感情を、小保方氏にぶつけたのである。

STAP細胞は、小保方氏の認識では、存在している。しかし、それを男性たちは認めない。

無いと騒いだ男性研究者にとって、STAPがあってもなくてもどうでも良いのだ。
“STAPは存在しないと決めた”、だから、それで押し通すのである。男性たちの強い自己主張に、小保方氏はつぶされたのだと思う。

彼女も、寂聴氏との対談で、男の嫉妬はすさまじいと語っているが、まさに「ざまぁ見ろ」そのものだった。