1982年発売の浜田省吾さんのオリジナル8thアルバムです。ちょうど、初のライブアルバム『ON THE RORD(1982)』と、初のセルフカバー・バラード集である名作『Sand Castle(1983)』の間に発表された、ミュージシャンとして脂の乗り切った時期の作品なのですが、『ON THE RORD』と『Sand Castle』が、あまりにも名盤過ぎて、この8thアルバムは、当時、その間に埋もれてしまっていた感がありました。


あの頃、『ON THE ROAD』のラスト3曲「路地裏の少年」「Midnight Blue Train」「ON THE ROAD」のパンチ力は凄まじいものがありましたし、『Sand Castle』のA面の5曲「君に会うまでは」「君の微笑」「散歩道」「いつわりの日々」「愛という名のもとに」の並びは、あまりに美しすぎました。

この二枚が、華やかで衝撃的で眩しすぎて、それなのに、その間に発売された、この8thオリジナル・アルバムは、なぜか、容易に人を寄せ付けない、とてつもなく暗く重苦しいオーラを放つ、まったく毛色の違う作品だったのです。

また、オリジナル・アルバムとしては、7thアルバム『愛の世代の前に(1981)』と9thアルバム『DOWN BY THE MAINSTREET(1984)』という二枚の怪物傑作アルバムに挟まれているがゆえに、やはり、発売当時は、あまり目立たない地味な作品というイメージであったことは否めませんでした。


例えば、7thアルバムには、名曲「愛というの名のもとに」「悲しみは雪のように」、他にも「ラストショー」「日のあたる場所」「愛の世代の前に」「モダンガール」「独立記念日」「防波堤の上」など、強力な楽曲が多く収録されていますし、9thアルバムにも、「MONEY」「MAINSTREET」「DANCE」「HELLO ROCK&ROLL CITY」「SILENCE」「EDGE OF THE KNIFE」「MIRROR」「DADDY’S TOWN」など、浜田さんの全キャリア中の代表曲と言ってもいいような曲が、多く収録されています。
それに比べると、この8thアルバムには、それほど強力な人気のある楽曲は、収録されていません。アルバム発売と同時にシングルカットされた「マイホームタウン」も、まったく売れず、オリコンでも100位以下のランク外でした。
そもそも、アルバム・ジャケットのデザインも、7thアルバムのように華麗でも美しくもなく、9thアルバムのようにシンプルでセンスのある感じでもありませんでした。それどころか、ひたすら地味で暗く、「なんだ、この背景の巨大なガスタンクは?」と首を傾げざるを得ない、とっても異様で意味不明なデザインでした。

けれども、この8thアルバムは、私にとって、当時、浜田さんのアルバムの中で最も聴き込んだ作品であり、かつ、12thアルバム『誰がために鐘は鳴る(1990)』と並んで深い思想性を感じさせ、最も強い印象を受けた作品でもあります。また、浜省さんの全アルバムをトータルで考えて、一番好きな作品と言ってもいいかもしれません。


そして、一度、その魅力にはまってしまうと、今度は、ジャケットの巨大なガスタンクだか核弾頭だかよくわからないものまで、なんだか深い意味があるように思えてくるのです。

この8thアルバムの魅力は、一曲目「OCEAN BEAUTY」から11曲目「僕と彼女と週末に」まで、一連の楽曲が、アルバム全体で大きな一つの物語となっていて、その物語のメッセージが、あまりにも深く強烈であることです。
ところが、1982年の発表当時は、そのメッセージが「リアリティに欠ける」と評され、作者本人も「観念的に過ぎたのではないか」と、不安を感じていたそうです。
それでも、後に「広島で被爆した経験のある父親のお棺の中に入れたアルバム」と、本人が語っているほどですから、長く自身の代表作と考えていたのは間違いないようです。

もちろん、アルバム発売当時、私自身は、そういう作り手の側の思い入れについては、まったく知らずに、なぜか心が惹かれて、繰り返し聴いていたわけですが。


実は、この頃の浜田さんは、7thアルバム『愛の世代の前に』のアルバムジャケットのイメージそのままに、ちょっと華やかで、かっこいいアニキというイメージがありました。

アメリカンハードロックのテイストを感じさせる、和製ブルース・スプリングスティーンという感じです。(ちなみに、スプリングスティーンが、来日した時に、たまたま浜田省吾のマイホームタウンを聴いて「声がいい」と言ったというエピソードがあります。)

そのちょっと前には、まだフォーク調の香りの残る5thアルバム『君が人生の時(1979)』(特に「さよならにくちづけ」「青春のヴィジョン」「とぎれた愛の物語」「いつかもうすぐ」などの曲)の時点で、特に感じられたのは、内省的でシャイで実直で正直者のお兄さんというイメージでした。(この〝ナイーブで内省的〟というイメージは、10thアルバム『J BOY』(特に「J BOY」「AMERICA」「悲しみの岸辺」「もう一つの土曜日」「19のままさ」「遠くへ」などの曲)で、また戻ってきたという気もします。)


ところが、この8thアルバムでは、浜田省吾というミュージシャンのイメージとか、アーティストとしての魅力や個性とか、1曲1曲の完成度とか曲の好みとかは、背景に溶け込んでしまい、聴き込むほどに、むしろ、アルバム全体が醸し出す圧倒的な存在感や重厚な思想性だけが、ひたすらじんわりと迫ってくるのです。

そして、このアルバムで表現されている世界観は、深遠かつ極めて現代的で、その壮大なイマジネーションによって語られる一連の物語からは、とても重く深い意味やメッセージが伝わってきます。

アルバム全体の整合性や統一性は、詞やメロディからだけでなく、水谷公生さんのドラマチックなアレンジからも、強く感じられます。このアルバムのアレンジの魅力は、浜田さんの全アルバムの中でも、佐藤準さんがアレンジを担当した第1バラード集『Sand Castle』と並んで、出色の出来だと思います。


また、まるごと、一枚のアルバムで、一つのまとまった作品という印象が強すぎて、そこから切り取られた一曲一曲は、その伝わる魅力というかパワーが半減してしまいます。
ですから、最初から最後まで、じっくり聴き通さなければ、このアルバムの〝魔力〟は伝わらない、という気がします。
こういうアルバムは、本当に珍しいと思います。普通は、どんなに好きなアルバムでも、つい、飛ばしてしまう曲の2、3曲はあるものです。ところが、このアルバムに関しては、それがないのです。

では、一曲目から、順に語ってみたいと思います。



①OCEAN BEAUTY
ストリングスのみのインストルメンタルの短い曲です。
イーグルスのアルバム「ホテル・カリフォルニア」のB面の最初の部分が、ストリングスのみの「Wested Time(replay)」から渋い「Victim of Love」に続いていくように、このインストロメンタル曲も、波打ち際の音から、船の汽笛の響きのような音、そして、ストリングスの美しい盛り上がりへと続き、途切れ目なく2曲めのハードなロックナンバーのドラムへとなだれ込んでいきます。
イメージとしては、工業の盛んな沿岸部の港湾都市の臨海部で、海を眺めている感じです。

②マイホームタウン
その沿岸部の工業都市に隣接する希望ヶ丘ニュータウンに生まれ、この街で育ち、大学まで出て、夢も希望もない退屈な仕事を続けている男の歌です。
「俺は、この街で生まれ、16年教科書を抱え、手にしたものは、ただの紙切れ」「同じような服を着て、同じような夢を見て、瞳の中、少しづつ死を運び込むような仕事を続けている」と続き、「今夜、誰もが、夢見ている、いつの日にか、この街から出ていくことを」というサビのフレーズが、何度も繰り返されます。
この歌詞から感じられる、この曲のテーマは、現代日本の異様に同調的な圧力の強い社会に生きていることへの絶望と激しい拒絶です。
前作7thアルバムの「土曜の夜と月曜の朝」には「生きることはいつしか、見知らぬ誰かと争い合うことに、すり替えられていく」という歌詞がありました。その歌詞の意味に繋がり、その延長線上に、この曲があります。
そして、〝死〟を連想させるシーン。
間奏部で挿入される「彼女は昼間、オフィスレディ、まるでエンジェル、でも土曜の夜は、着飾り踊るよ、ディスコ、真夜中一人、帰り道の暗がり、誰かがナイフ光らせ、彼女の背に、No,No,No,No,No!」という鮮烈な歌詞が、強く印象に残ります。
この曲が発表された1982年当時には、「ストーカー殺人」とか「通り魔殺人」なんて言葉も、まだありませんでした。
ギターのリフの効いたミディアムテンポの重厚なハードロックの曲です。

③パーキングメーターに気をつけろ!
この曲は、二曲目のマイホームタウンで、〝彼女〟の背中にナイフを突き刺した犯人の男が、主人公となる破滅的なストーリーです。
交際を申し込んで断られた相手の〝彼女〟が、街角を他の男性と腕を組み、歩いていたのを見ただけで、理不尽な嵐のように激しい嫉妬心に襲われ、夜中に〝彼女〟のあとをつけていき、後ろから〝彼女〟の背中にナイフを突き立て、殺してしまいます。
「汗まみれ、一日10時間、働き通しで、疲れ果てていた。」「昨夜、あの娘を食事に誘って、つれなく断られた。」「ジェラシー、嵐のようなジェラシー、あの娘が誰か他の奴と、街角を腕を組み、歩いていた、それだけさ。」
「どうか、あの子を助けて、俺のナイフが、あの娘の背に…。」「わからない、わからない、愛していた、それだけさ。」
心の中で突き上がってくる、理不尽だとわかっていても、抑制の効かない怒りと憎しみが、大好きな彼女の命を奪うのを、彼は止めることができません。
今の世の中では、あまりにもよくあるタイプの犯罪ですが、前述したように、当時は「ストーカー」という用語すらありませんでした。
アルバム中でも、もっともテンションの高いアップテンポの曲で、激しい疾走感のあるロック曲です。
「マイホームタウン〜パーキングメーターに気をつけろ!」の連作は、空虚で抑圧的な日常の中で壊れていく人間性という、極めて現代的なテーマを扱っているという点で、昭和から令和の時代への深いメッセージであるようにも感じられます。

④ロマンスブルー
曲調は一転して、柔らかいバラードの曲になります。この曲は、30代のためのラブソングを集めたセルフカバー・バラード集第二弾の「Wasted Tears(1989)」に、まったく別アレンジで収録されています。良し悪しの評価は、私としては、やはり、この最初のアレンジの方が、長く聴いてきたせいもあってか、聴きやすい気はします。
一人の女性との別れについて、男性の立場から歌った曲です。ただし、このアルバムに収録されているバラード曲に特徴的なのですが、たとえ別れの曲であっても、曲に込められた、何か〝祈り〟のようなものが感じられて、それが救いになっています。
「新しい恋は、生まれて消えていく。気付いた時は、いつも、一人きりだったね。君の無邪気だった笑顔は消えたけど、その眼差しは深く優しい。君を許すことができず、張り裂けそうな夜を過ごした。まるで炎で炎を消そうと、僕も何度か恋に落ちたけど、今も変わらず君だけを愛している。」
この曲のもう一つのテーマは、男女のそれぞれの心の〝成長〟です。

⑤恋に落ちたら
アルバム全曲中、もっとも明るいイメージを醸し出すミディアム・テンポの可愛らしいバラード曲です。
10代のためのラブソングを集めたセルフカバー・バラード集第三弾「EDGE OF THE KNIFE(1991)」に別アレンジで収録されています。ただし、こちらの最初のアレンジが、極めて完成度が高く、何より元気で活きがいいので、あまり別アレンジで聴きたい気が起こりません。
それに、A面後半のバラード3曲の流れが気持ちよすぎて、この曲順以外にあり得ないという気がしてしまうのです。

⑥愛しい人へ
アルバム全曲中、もっとも美しいイメージと〝祈り〟に満ちたバラードです。レコードでは、A面のラストを飾る締めの曲です。
20代の恋を描いた曲を集めたセルフカバー・バラード集第一弾「Sand Castle(1983)」に、別アレンジで収められ、アルバムのラストを飾っている大トリの曲です。
浜田省吾は「それまでの自分の作るバラードは、悲しい暗い曲ばかりだったけど、この曲ができたから、バラード集を作ろうと思った」と語ったそうです。
この曲の2種類のアレンジは、甲乙つけがたいと思います。どちらも、アルバムの重要な部分を占めていて、それぞれにふさわしいアレンジになっています。
「なくした愛も、壊れた夢のカケラも、すべてその腕に抱えて、僕についておいで。冷たい夜の暗闇の中、風の音にさえもおびえて、君は今日まで、この街ひとり、生きてきた。でも、もう泣かないで。僕がそばにいるから。」

⑦DJお願い!
深い祈りが込められたA面ラストのバラードからうって変わって、ラジオのチューニングの効果音に始まる、ドゥーワップ調のコーラスを交えた、明るい軽快なリズムのアカペラの曲です。
ここから、高校三年生の恋愛のワンシーンを描いた連作の始まりです。
「子供の頃、寂しさだけが、友達だったよ。」「でも、今夜は、あの娘と二人、海までドライブ。」「DJ、お願い!聴かせておくれ、イカしたロックンロール、ステキなリズム&ブルース。」

⑧バックシートラブ
前の曲で、主人公がDJにお願い(リクエスト)していたとおりのリズム&ブルース調の、賑やかなサックスをフィーチャーした、こちらも明るい元気な曲です。
7曲目から続く同じ二人の、彼氏彼女の恋愛の様子を、男の子の側から語っています。
「放課後、体育館の裏、早く着替えてくるんだぜ。」「クルマは兄貴の70年型、今夜二人きり、夜がふけるまで走るぜ。」「上にも下にも行けない、こんな街はもうじきすぐ、卒業したらサヨナラさ、ついてくるかい?」

⑨さよならスィート・ホーム
連作の3作目では、高校卒業後、結婚生活を始めた二人の破局が描かれています。ベース音が響くアップテンポのロック調の曲で、3連作の最後を飾る佳曲です。
激しいビートに乗せて、畳み掛けるように歌われる詞が、胸に迫ります。
「彼女はデパート、俺は街の工場で、働いて帰る夜道。日毎に、押し寄せる、わけのわからない苛立ちが、二人の夜を引き裂き始めた。若すぎたのか、愛を探し出す前に、孤独な心を見つけた二人。乾いた砂の城、音もなく崩れ落ちた。あの頃、二人、描いた一つ一つの夢が、今でも、胸を締め付ける。」
詞の内容とイメージが、スプリングスティーンの名曲「River」にかぶっているような気もします。でも、生活のリアルな実感が感じられる良い詞です。

⑩凱旋門
アルバム全曲中、もっとも深い祈りを感じさせるスローバラードです。アルバム全体の締めへと向かう最後の連作の始まりです。
ここからの二曲は、ここまでの九曲では、それほど目立っては使われなかったシンセサイザーを全編に渡ってオーケストラ風に使用した、深みと広がりのあるサウンドになっています。特に、この曲のシンセのアレンジは、アルバム全体のサウンドイメージを決定づけている気がします。
また、アルバムの英語表記「THE GATE OF THE PROMISED LAND」は、この曲のタイトル「凱旋門」に繋がっているようにも思います。
不思議なことに、この名曲は、四枚のセルフカバー・バラード集のいずれにも収められていません。また、これまで発売された、どのベストアルバムにもライブアルバムにも収録されていないのです。
「ともかく、ここで、このアルバムの中で、この曲を聴いて欲しい」というのが作者の思いなのかもしれません。
「もう少し、そばにいて。いくつもの夜を、独りきり、過ごしてきた。温もり、微笑み、頬にかかる熱い吐息。愛は、いつも悲しみだけを、君のもとに残してきたけど、もう泣かないで、僕は君だけのもの。」
この歌詞は、6曲目の「愛しい人へ」の「愛は、いつも、傷つくだけの、寂しがり屋のゲームだと、僕は、君を愛するまでは、そう信じていた愚か者さ、ひとりぼっちの」という詞の世界に重なる感じがします。
そして、「いつでも、ポケットに、君の写真、抱いて寝たよ」「戦い疲れた兵士が今、帰ってきたよ」という詞には、女性に対する聖母マリアのイメージが見られます。その点で、4曲目「ロマンスブルー」の詞の世界に通じるのではないでしょうか。
全体的には、岩崎宏美さんの「マドンナたちのララバイ」と対になる曲という気もします。

⑪僕と彼女と週末に
このアルバムが発表された1982年には、まさか、30年後の2010年代になって、この曲が、これほど有名になることなど、誰も予想していなかったのではないでしょうか。
この作品は、まず2010年のベストアルバム「THE BEST OF SHOGO HAMADA vol3 THE LAST WEEKEND」の一曲目としてリメイクされ、同時に発売されたDVD「僕と彼女と週末に」には1988年のライブ映像が収録されました。その後、ライブ・アルバム「ON THE ROAD 2011”The Last Weekend”(2012)」のCDとDVDに、2011年の3.11後のライブが収録されています。
演奏時間9分という長い曲で、途中で長い語りの部分が挿入されています。とても壮大なテーマを歌っている歌です。歌詞の意味が、かなり深いのです。
「この地球(ほし)がどこへゆこうとしているのか、もう誰にもわからない。力と力のシーソーゲームから降りることさえできない。人は一瞬の刹那に生きる。子どもは夢見ることを知らない。」「売れるものなら、どんなものでも売る。それを支える欲望。恐れを知らぬ自惚れた人は、宇宙の力を悪魔に変えた。」
そして、有名な語りの部分。
「遠く水平線や夜空を眺めて、僕らはいろんな話をした。彼女は、彼女の勤めている会社の嫌な上役のことや、先週読んだサリンジャーの短編小説のことを話し、僕は、今度買おうと思っている新車のことや、二人の将来のことを話した。そして、誰もいない静かな海を二人で泳いだ。」
サリンジャーの短編集「ナイン・ストーリーズ」の中に、代表作「バナナフィッシュにうってつけの日」があります。連作中編「フラニーとゾーイー」にも関わる、グラース家の長男シーモアの唐突に思える自殺が描かれています。語りにある短編小説は、おそらく、この小説のことを話しているのだろうなと思います。
語りは続きます。
「あくる日、僕は吐き気がして目が覚めた。彼女も気分が悪いと言い始めた。それで、僕らは朝食を取らず、浜辺を歩くことにした。そして、そこで、とても奇妙な情景に出会った。数え切れないほどの魚が、波打ち際に打ち上げられていた。」
歌詞や語りの中には、核戦争とか原発という言葉は出てきません。しかし、核戦争によって地球が滅びる様子を描いたネヴィル・シュートの小説「渚にて」を彷彿とさせるシーンです。
「いつか、子どもたちに、この時代を伝えたい。どんな風に人が夢を繋いできたか。」
浜田さんは、祈りを込めて、そう歌っています。今、私たちは、子どもたちに夢を繋いでいる、と言えるでしょうか。


このアルバムが発表されてから、もうすぐ40年になろうとしています。そして、いつのまにか、時代が、このアルバムに追いついてしまったのかもしれません。
私は、政治思想的には、おそらく、浜田省吾さんとは相容れないでしょう。彼の敬愛するブルース・スプリングスティーンだって、政治的にはリベラル過ぎて、今の私には違和感があります。
そういえば、このアルバムの1曲目と11曲目に繰り返されるストリングスの美しいメロディも、旧ソ連の国歌の調べです。浜田さん自身、後で知って驚いていたそうですから、自然と頭に浮かんだ(残っていた)メロディを曲にした時に、意図せずして、そうなってしまったのでしょう。
けれども、このアルバムを聴く上で、そういう政治信条や政治思想的な傾向は、どうでもいいのです。
私は、原発はないと困るだろうし、核武装も必要だろうとは思いますが、それでも、このアルバムには、自分なりに強い思い入れがあります。

人間の脳は、7歳から13〜15歳ぐらいまでに、思考や理解を深めていくエネルギーを生み出すエンジンの構築に時間を費やします。そして、その後、脳は、その莫大なエネルギーをもって、30歳ぐらいまでに、自分の生きている社会と対峙し、そこでどう生きていくか、受け入れるか、拒絶するか、拒絶するなら、どう新たな世界を構築していくか、という巨大な課題に向き合い、格闘し続けます。
まだ、脳が柔軟で活力に富み、心が柔らかく鋭敏な、その時期に、このアルバムと出会えたことは、私にとって、幸せなことだったと思うのです。
浜田さんが、このアルバムに込めたメッセージを受け取るのに、最も適した時期に、私はこのアルバムと出会えたのだ、と感じられるからです。
このアルバムのテーマ「世界とどう向き合うか?」を、身も心もまるごとで受け止めるのに費やした当時の時間は、今振り返っても、大切な時間であった、と私には思えるのです。



WTOだが、日本の外務省は、どんな戦略を持って、国際社会にアピールしようとしているのか。韓国という国の特殊性を明晰に分析した上で、韓国の主張にダメージを与えうる、適切でわかりやすいメッセージを世界に伝えることができているのか。日本の立場を強め、国益に利する国際状況を構築するために、的確で効果的な戦略を取っているのか。普段から、どういう視野を持って、国益の維持を考えているのか。国際宣伝戦をどう勝ち抜くつもりなのか。そこが、どうしても、信用できない。

ますます超リベラルに傾いていく国際社会において、韓国相手に徹底的に〝歴史〟戦を戦い抜くという覚悟のもとに、WTOでの政治的な争いも、透徹した歴史認識と広く深い国際視野を持って、底の底まで、しっかり考えぬいて行動しているのか。そこを問いたい。

それとも、それだけの見識と能力を持った人材がいないのか?

国連の論戦の場で、しっかりしたロジックを持って、臨機応変に堂々と適切に反論し、韓国側を論破できる人材が欲しい。
日本の官僚には、そうした能力のある人物はいないのか、それとも、適切な人材活用がなされていないのか、あるいは、そのような責任ある行動の必要性に、外務官僚がそもそも気づいていないのか。


さらに言えば、韓国びいきの日本のマゾメディアが、自国の外交について、冷静で客観的な報道が、適切にできているのかどうか、それについても、疑わしいどころではない。今回の韓国民による反日ロウソクデモや反日ボイコット運動、さらには次々と韓国で封切られる中国の反日ドラマ並みに荒唐無稽な反日捏造映画の数々の内容含めて、韓国の反日の実態を一切報道しない姿勢を見せていることからしても、いったいこの国をどこへ導こうとしているのか、不安と焦燥しか感じることができない。

今回の愛知県(出資7.8億円)・名古屋市(2.1億円)共同出資で文化庁の助成金(7.8千万円)も受けている国際芸術祭での慰安婦像展示騒ぎでも、まさしくそうなのだが、この国の文化人やジャーナリズムの見識の浅さは尋常ではない。
愛知県主催、つまり、公費で開催される国際芸術祭で慰安婦像を展示しておいて、「深刻な政治問題にはならない」と考えること自体、あまりにナイーブで非現実的である。
韓国人の「慰安婦像を世界中に建てて、日本を貶める」運動によって、どれほど歴史が捻じ曲げられ、日本と日本人が傷つけられ、恥かしめられているか。
「情の時代…。」今回の芸術祭における「表現の不自由展・その後」展示企画のテーマらしいが、情というのは、昭和天皇陛下の御影を焼くことなのか、慰安婦像を擁護することなのか。
芸術監督を務めた津田大介氏は「想定外の抗議が来た」と述べたが、そもそも県主催の芸術祭で、ソウルの日本大使館前に設置されているものと同じ慰安婦像を展示しておきながら、国民的な抗議を想定できなかったということが、あまりにも浅はかとしか言いようがない。
愛知県側が、企画展示自体を3日目で中止することに決め、運営側の組織が「一方的だ」と県を相手に裁判で訴える考えだそうだが、おそらく、今回のようなサヨク思想のプロパガンダ的傾向が極端に強い芸術祭展示企画は、少なくとも、公金の投入されている芸術祭や美術館においては、今年で終わりになるのではないだろうか。そう願いたいものだ。
ともかく、この国の知識人の表現、世界観、道徳観、すべてが、はなはだ心許ない。

沖縄タイムスの社説など、「芸術祭で慰安婦像や天皇陛下の遺影を焼いた作品を展示して何が悪い」「慰安婦像の展示に抗議して、脅迫めいた言動で中止に追い込んだ国民こそ、批判すべき」という主張である。さすが、沖縄県内に慰安婦の碑を建て、さらに慰安婦像までも設置しようとしている人々と深いつながりを持つメディアは言うことが違う。相変わらず、頭が膿んでいるようだ。
「反日ならアートで、それ以外はヘイトなのか?」と、朝日や沖縄タイムスに尋ねたいのだが。慰安婦像は、「日本死ね!」と同様に、明らかに日本へのヘイトである。そういう不特定多数へのヘイトなら許されるのか、では「韓国死ね!」なら、どうなのか。
また、朝日新聞は、大村愛知県知事のアホな発言の尻馬に乗って、「河村名古屋市長の芸術祭での慰安婦像展示中止要求は検閲だ」と主張している。政府や行政や権力への批判や攻撃を意図した作品の展示に待ったをかけるのは確かに検閲だろう。しかし、『日本国民、日本政府、日本人すべてを愚弄し貶める意図を持って制作された歴史捏造と反日プロパガンダの道具』を展示しないように要求するのは検閲でもなんでもない。何が検閲だ。バカすぎる!
これほどの見識のなさでは、世界中に「日本軍が20万人の少女を自宅から無理やり連れ去って性奴隷にした」と酷い嘘を記した碑文付きの慰安婦像を建てまくっている韓国に対して、とても太刀打ちできないだろう。
日本軍は、慰安婦の公募はしたが、自宅から強制的に連れ去ったりはしていない。未成年の少女の公募は禁止で、日本の官吏は厳しく業者を取り締まっていた。また、慰安所の経営権は民間の業者にあり、軍は慰安所の運営に関わっていない。さらに、兵は、客としてお金を払ったし、慰安婦には当時としては高額の給料が支払われていた。加えて、最初に公募したのは、日本の内地で、韓国では後に補充分を公募したに過ぎない。そして、20万人というのは、完全なデマで、せいぜい数万人程度である。一部の朝鮮人人買い業者の横暴や少女売買は横行していたが、それは、むしろ、朝鮮社会自体の問題だ。碑文の文章に関しては、何もかもが嘘と言っていい。
日本を貶める酷すぎる嘘を世界中に撒き散らしている像と碑文が、どうして「平和の像」になれるのか。あまりにも、あり得ない製作者の言い分だ。はっきり言えば、良心のカケラも感じられない。この像を展示する上でのテーマが「情の時代…。」大村知事も、津田氏も、どうかしている。はやく正気に戻って欲しい。
一方、琉球新報の紙面では、「こんな時こそ、韓国に旅行しよう!」と韓国への訪問を促す大キャンペーン中である。「韓国人は安倍政権の右傾化を攻撃して、ロウソクを掲げているのであって、日本人には反感はないから、日本人観光客は安全」という見解である。
100歩譲って、安全であれば、今、韓国に行くべきなのか。相手は、理不尽にも日本製品も日本旅行も、徹底的にボイコットし、大統領が率先して「これは経済戦争だ!」「全国民が戦いに参加すべき」「我々は二度と日本には負けない」と反日を焚きつけ、「日本は、加害者のくせに、盗人猛々しい」とまで言われているのに?

なぜ、沖縄タイムスと琉球新報と朝日新聞は、国民の90%以上の認識に逆らって、理不尽極まりない異常事態が進行している韓国を批判せずに、ある程度自制して、かなり真っ当な行動をとっている自国の政府だけを、不当に非難するのだろうか。
彼らは、「慰安婦像とは何か?」「韓国の反日の根本にある韓国人の歴史認識のどこがおかしいのか?」「韓国人の被害者意識の何が問題なのか?」という日韓対立の本質の解明を、いつまで避け続けるのだろうか?
そして、「権力との対峙こそがメディアの使命」という金科玉条を盾にして、自らの歪みきった反日姿勢の欺瞞から、いつまで目をそらし続けるのだろうか?
毎度のことながら、脳内汚染がますます広がっているように思える。ため息しか出ない。


政府にしても、今回の貿易紛争について、韓国をますます調子づかせて、日本側が事態の収拾を図るというような、お粗末な姿だけは見せないでほしいと、祈るような気持ちだ。
最後まで、韓国をなだめようとして愚かな懐柔的態度は見せないで、決して腰砕けにならずに頑張りぬいて欲しいが、果たして、それだけの肝の座った覚悟が日本外交にあるのか?
外務省も、くれぐれも政権の足を引っ張らないでほしいものだ。

いろいろ、心許ない面は多々あるが、そのすべてが、複合的に作用している結果が、現状の日本の骨なし外交の姿なのだろう。


ともかく、今回は、この国の未来のために、日本外交は、韓国の無茶苦茶な反日姿勢に対して屈することなく、揺るがずに頑張り通して欲しい。

日本が、屈すれば屈するほど、譲歩すれば譲歩するほど、妥協すれば妥協するほど、韓国にとっては、それが(悪い)クセになるのだから。
これ以上、韓国に悪いクセをつけさせるぐらいなら、日本側は、初めから何もしなかった方がマシである。

また、全世界のメディアが、8月2日の韓国ホワイト国除外の閣議決定を予測している以上、その予測に沿ってあげることが親切であろう。
メディアの予想を裏切るのは、むしろ、「決断に躊躇しているのではないか」という間違った憶測を世間に生じさせ、日韓関係に更なる不必要な混乱を招くだろう。
8月2日の閣議決定のスケジュールは、揺るがすべきではない。その後も、速やかに政令を公布し、今月末までには早々に施行すべきである。
反日を気楽に楽しんだ代償は、きっちり韓国に払わせるべきだ。

韓国人には、反省などあり得ない。自分の言葉に責任を感じるということすらない。彼らにとって、〝言葉〟は他者を支配するための道具でしかないからだ。
しかし、日本側としては、「日本人が反省して譲歩した」という誤ったメッセージを韓国に送ることだけは、なんとしても避けねばならない。
韓国が、際限なく奇怪な歴史捏造を続ける限り、隣国である日本は、自らの〝正当〟な国際的立場を守るために、戦い続けるしかないのだ。
「韓国は被害者、日本は加害者」という考え方が、そもそもおかしい。自らを被害者として道徳優位に立とうとして、そういう真実ではない不自然な図式に、歴史を落とし込もうとすることから、歴史的妄想の極端な捏造、史実のでっち上げが横行することになる。

よく、韓国では「日本人が問題なのではない。問題は日本のウヨクと安倍政権だ」などと言う。しかし、日本は、民主主義国である。安倍政権は国民の信任を得ている。ホワイト国除外にも、国民の7割が賛成している。つまり、韓国に対する姿勢は、日本政府と日本国民の間に乖離はなく、ほぼ一致しているということだ。
日本では、嫌韓教育など行われていないし、それどころか、真っ当な歴史すら、まともに教えられていない。その上、メディアの多くは親韓である。にも関わらず、韓国に対する反感や嫌悪感が強まっているのは、教育のせいでも、報道のせいでもなく、韓国自身の態度のせいである。
同じように、文在寅政権もまた、反日によって支持率を51%に上げている。日本製品ボイコットも、国民の7割が参加している。東京オリンピックのボイコットにも、国民の69%が賛成している。そして、歴史捏造も激しく、メディアの報道も酷く偏向している。
つまり、問題は文在寅本人ではなく、韓国全体の反日文化土壌にあるということだ。そして、その根本には、誤った歴史認識の妄想的肥大という問題があるのだ。


人類史に対する責任という観点からも、真実は勝たねばならない。
我々は、断じて理不尽かつ無責任かつ身勝手な韓国に負けるわけにはいかない、ということだ。
日本側としては、歴史問題を避けるのではなく、歴史問題を通して戦うことを受けて立たねばならないのだ。そして、彼らの歪んだ歴史認識と自己本位の倫理観の害悪を、深い見識を持って問わねばならない。
日本政府に、文科省、外務省に、日本の文化人・知識人・学識者、メディアに、その見識と気概がカケラでもあるのか。私が問いたいのはそこである。

「しっかりと腰を据えて本当の歴史を問う」という姿勢がなければ、決して韓国に勝つことはできない。
韓国の慰安婦問題や徴用工問題や日帝時代に関する無茶苦茶な主張を叩き潰す『真の歴史認識のあるべき姿』を、個別に具体的に、あらゆる場面で発信し続けることこそ、韓国が最も嫌がる〝無視〟〝スルー〟〝放置〟の仕方であることに、日本人は、いい加減、気づいてもいい頃だ。

外務省は、そのような歴史をめぐる熾烈な戦いの最前線にいるという自覚を持って、腹をくくって対応してほしい。付け焼き刃の知識ではなく、本格的な深い教養を養成した優秀な外交官によるがっぷり四つ相撲の取り組みが必要だ。

付け加えれば、韓国に温情は必要ない、というより害悪である。徹底して冷徹な対応を求める。輸出許可には、期間を早めることなく、きっちり通常通り90日かけてほしい。
温情をかければ、ますます調子に乗り、つけあがるだけである。
今年起こった二つの史上例のない不可解かつ凄惨かつ凶悪な無差別大量殺傷・殺害事件について、「なぜ、こんなことが起こったのか」と問いかける人は多いだろう。
動機などの真相の究明は、まだまだこれからである。しかし、すでに加害者が自殺していたり、容疑者の証言が妄想的で要領を得ない事件の場合、往々にして、捜査は事実認定だけに留まり、事件の背景や動機の解明については、うやむやにされたまま、釈然としない状態で、裁判が終わってしまうことが多い。結局、裁判においては、「なぜ、彼らが、こんなことをしでかしたのか」については謎のままで、動機は解明されないままとなる。
しかし、真相というものは、警察の捜査や裁判によってだけ、明らかにされうるものではない。この社会に生きる私たち一人一人が、自分の問題として、自分なりに考えてみるところから、見えてくるものもある。
そういう意味で、以下に、二つの事件について、私なりに考えたことを記す。


京都市伏見の京都アニメーション放火事件の青葉真司容疑者(41歳)と、神奈川県川崎市内の私立カリタス小学校の児童および保護者殺傷事件の加害者岩崎隆一(51歳)について、いくつか共通点を感じさせるものがある。
今年2019年に起こった、この二つの事件は、不特定多数の面識のない相手を狙った、一種の無差別殺人であるという点、そして、にも関わらず、攻撃の対象がはっきりしているという点でも、特徴が共通している。
5月28日に、神奈川県川崎市で、私立カリタス小学校のスクールバスを待っていた小学生の児童たちに、川崎隆一は、無言のまま近づき、いきなり刃物を持って襲った。喉を切り裂かれた小学6年生の女児1人と首や背中を刺された保護者の男性が死亡、さらに保護者の女性2人と16人の小学女児が負傷した。この事件では、加害者の岩崎隆一自身、犯行直後に、首を刺して自死している。
7月18日、青葉真司は、京都市伏見区にある、京都アニメーション第一スタジオの一階に侵入し、多数の職員が働いているオフィスの床にガソリンをぶちまけて放火した。35人の死者を出した、この事件では、容疑者の青葉真司自身、爆発的な火災による大火傷を負って、現在も入院中である。
二人の犯行の共通点は、上記したように、岩崎隆一の標的は「カリタス小学校の女児たち」で、青葉真司の標的は「京アニのスタジオとその関係者たち」というように、不特定多数を狙った無差別殺人ではあっても、彼らの目指した攻撃対象自体は、はっきりしているということだ。
岩崎にとって、私立カリタス小学校は、同居の従兄姉たちが通っていた授業料の高い裕福な家庭のための学校であり、自分は通わせてもらえなかった学校であった。その点で、恨みの対象となった可能性がある。
また、青葉の場合は、京都アニメーションに対する個人的怨恨を、単なる逆恨みか妄想であった可能性が高いとは言え、執念深く抱いていたことは、本人の言葉から明らかである。
そして、もう一つの共通点は、前もって刃物などを大量に買い込んだり、事前準備を進めたりと、かなり周到な計画的犯罪でありながら、犯行後の逃走手段など一切考えない、ある種の〝自爆テロ〟あるいは〝無理心中〟的な、自暴自棄の無差別殺戮行為であったという点だ。

このような尋常でなく残虐で破滅的な行為に至った背景として、彼ら2人の過去や生い立ちに関しても、いくつかの象徴的な共通点が見られる。
一つは、幼い頃に、両親が離婚していることだ。
岩崎隆一は、4〜5歳の幼稚園の時に両親が離婚し、母親にも父親にも捨てられ、父方の弟にあたる叔父夫婦のもとで育てられた。その後、父親も母親も、隆一に会いに来た形跡はない。
茨城県で幼少期を過ごした青葉真司もまた、栃木県にいた小学3年生の時に両親が離婚し、その後は、タクシー運転手の父親とともに埼玉県に移り、そこで真司の兄と妹と父子四人で暮らしていた。母親は、後に再婚したようだ。
つまり、二人の共通点は、まだ幼少の時期に、母親に捨てられたということである。そして、真司が22〜23歳の頃に、その父親も自殺している。父の死後、兄妹とも疎遠になったという。それ以後、真司は、ほぼ、天涯孤独だったということだ。
昭和の頃であれば、ヤクザかフーテンの寅さんにでもなりそうな設定だ。実際には、二人とも、小学校時代から、友だちが少なく、それほど目立つ子ではなかったようだ。

そして、もう一つの共通点は、幼少期から思春期にかけて、彼らを適切に見守る大人も、頼れる先輩や友人も、心の支えとなる家族や隣人や友人や恋人も、ほとんど存在しなかったということだ。経済的な庇護は、ある程度、あったのだろうが、精神的な庇護はなかったのだろう。
岩崎隆一は、叔父夫婦の家で暮らしてはいたが、叔父夫婦には少し年上の実子(長男と長女)が二人いて、二人とも私立のカリタス小学校に通っていたが、隆一本人だけは公立の小学校に通わされていた。実子二人は髪や服装もキチンとしていたが、隆一は丸刈りの坊主頭で継ぎ接ぎだらけの服を着ていた。そういう叔父夫婦の露骨な差別は、近所の人たちもよく知っていた。
そういうこともあってか、隆一は、特に中学生の時には、荒れて問題行動を起こしたりもしていたが、中学の教師が家庭訪問を行ったところ、叔母は「うちの子ではないので、あの子のことで問題だと言われても」と、言葉を濁したという。従兄姉たちは私立カリタスの制服を着て身綺麗にしていたが、隆一だけは、服もボロで制服も丈が短かった。高校には進学しなかったのではないだろうか。
青葉真司は、茨城県での幼稚園の頃は「天使のような子だった」という話もある。しかし、小学3年の両親の離婚後、母親と別れて、埼玉県での父親と兄妹との生活では、経済的に逼迫していたためか、小学校の卒業文集には、将来の夢は「お金持ちになること」と書いている。しかし、中学時代は、いじめにあって、ほとんど学校に来なかったらしく、当時のクラスメイトたちも、真司のことを、まったく覚えていない。中学の卒業アルバムのクラス集合写真にも、真司は写っていない。
高校は、父親が授業料を払えなかったためか、夜間の定時制高校に通いながら、昼間は埼玉県庁の非常勤職員として、実直にテキパキと働いていたらしい。当時、3年間、彼の上司だった女性は、「真面目で本当に良い青年だった」と証言している。しかし、19歳の時、経費削減のため、彼はリストラされた。
その後、コンビニなどで働いていたらしいが、おそらく夜間高校は卒業はしていないのではないだろうか。あるいは、卒業はできたのかもしれないが、その頃に、タクシー運転手だった父親が事故を起こして仕事をクビになり、数年後、その父親が同居していたアパートで首を吊って死んでしまい、ショックから心の支えや張りが消え失せてしまったのかも知れない。

隆一も真司も、二人とも、中学時代に、親しい友だちもなく、精神面に気を配ってくれる大人もいなかったということは確かなようだ。
彼らと同じように、幼い頃に両親に捨てられたジョン・レノンも、小学校時代にはずいぶん荒れて事件も起こしたが、中流階級の叔母夫婦は、彼を親身になって育てた。中学高校時代は実の母親との交流もあり、この時期に母親から音楽を習ったことが、ジョンのその後の人生を変えたとも言える。やがて、音楽を通して、ポールという親友もできた。何より、打ち込めることができたことが大きかった。
そんなジョン・レノンでも、ビートルズのリーダーとして、世界的な成功を収めながら、心には癒しがたい飢えがあった。彼が、幼い頃の心の傷を癒すまでには、とても長い時間がかかったことは、よく知られている。
ビートルズ時代の「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」「ヘルプ!」や、ソロになってからの「コールド・ターキー」「マザー」といった曲には、そんなジョン・レノンの心の揺らぎや苦悩が表現されている。
しかし、自分の心の揺らぎや苦悩を表現する才能や場や手段があり、聴いてくれる人がいるということは、とても幸せなことだ。それ自体が、心の支えとなりうる。
岩崎隆一と青葉真司には、ジョンが得られたような心の支えとなるものは、何一つなかった。

社会に出てからも、学歴もなく、孤独で、心の支えになる何ものも持たない彼らは、しっかりとした職歴を積むことができず、また、目をかけて親身になってくれる大人もいなかったのだろう。結局、二人とも、社会性ゼロの〝引きこもり〟になってしまった。
今回、大きな事件になって、テレビやネットのニュースでは、事件の報道の際に、彼らの顔写真を公表しているが、二人とも、小学中学時代のものしか、まともに写っている写真がないようだ。
岩崎隆一は、従兄弟たちが自立して、それぞれに家庭を持った後の叔父夫婦の家に、パラサイト・シングルとして、長く同居を続けていたのだが、この同居のあり方が異常だった。一つ屋根の下に暮らしながら、言葉を交わすことも、眼を合わすことも、姿を見かけることもなく、10年以上も、一切接点を持たない生活を続けていたのだという。
隆一が自刃した後、身元確認のために呼ばれた叔父夫婦は、隆一の顔を知らず、本人だと確認することができなかったのだ。同居していた叔父夫婦は、「長い間、顔を見ていないから、本人かどうかわからない」と言った。
いくらなんでも、同じ家に同居していながら、「何十年も顔を見ていないから、本人かどうかわからない」ということがあり得るだろうか。誰もが経験することだが、たとえ、何十年会っていなくても、高校時代の親しかったクラスメイトの顔は、ひと目でわかるものだ。ましてや、同じ家で、幼稚園時代から育てていて、顔がわからないということが、あり得るわけがない。
考えられることは、たとえ、一つ屋根の下に暮らしていても、よほど、隆一に対して関心がなかったのだろう、ということだ。ほとんど、顔をまっすぐ見たこともなかったのかもしれない。これでは、まるで〝透明人間〟のようだ。
青葉真司の場合は、職も住居も転々としていたようだ。真司は、中学時代から、学校でも〝透明人間〟だったようだし、定時制高校でも、真面目に通ってはいたが、親しい友だちはできなかったのだろう。
青葉真司は、父親が死んで、アパートで一人暮らしをしていた20代の頃、一度、下着泥棒で捕まったことがあり、その時、滞納していた家賃は幼少期に別れた母親が払ったのだという。多少は、母親との交流もあったのかもしれない。
しかし、その後も、真司は職業や住居を転々とした。母親、兄妹とも、ますます疎遠になり、親しい友人も親戚もいなかったようだ。
2012年、34歳の時には、茨城県内のコンビニに包丁を持って押し入り、現金を奪って逃げた。しかし、その日の夜には自首し、「逃げられないと思った」と言っている。
強盗犯として3年半服役した後、刑務所を出た際に、帰れる場所がなかったので、真司は、さいたま市の保護観察施設に入寮し、そこでしばらく生活していた。その寮を出たのが、2016年7月だ。
その後も、さいたま市内のアパートで、精神疾患を理由に生活保護を受けながら一人暮らしをしていたが、深夜に酷い騒音を響かせ、警察を呼ばれたり、逆に、上の階の物音を隣人の出す音と勘違いして壁をドンドン叩いたりし、しまいには誤解を解こうと部屋を訪ねた隣室の住人ともみ合いになったりしている。その際、真司は「殺すぞ、こっちも余裕ねえんだ」「俺には、失うものがねえんだ」などと凄んで、隣人の胸ぐらと髪をつかんだという。
いつ頃からか、天使のようだった幼稚園児は、生真面目で孤独な少年となり、やがて、短気で何をしでかすかわからないような凶暴な面を持つ大人へと変貌していった。

これほどの事件を起こした2人だが、きっかけはおそらく単純なことだ。隆一も真司も、社会生活を営める精神の状態ではなかったが、生活資金や住居といった生活の基盤を、失いそうになっていた。
隆一は、「自分たちが死んだら、将来は、どうするんだ」「いつまでも引きこもりではいられないでしょう」「自立してはどうか」と、年老いた80代の叔父夫婦に、二通の手紙で現実を突きつけられていた。甥の生活の面倒をみている老いた叔父夫婦にしてみれば当然の意見ではある。しかし、51歳の隆一には、引きこもりから脱する方向性が、まったく見えなかった。
手紙の一通は、ビリビリに破かれていて、隆一の返事は「引きこもりとはなんだ」「食事、洗濯、自分のことはちゃんとやっている」というものだった。しかし、毎月の生活費は、叔父夫婦が、テーブルの上に置いておく小遣いだったし、食事も、冷蔵庫のものを勝手に調理していた。家賃や電気代も払ってはいなかった。
真司の方は、刑務所からの出所後、無料で住み、無料で食べられる保護観察寮で、一定期間保護を受け、国に依存して生活していた。しかし、そこを出されてから、精神疾患ということで生活保護を受けながら、アパート生活を送っていたものの、その生活は順調にはいかなかった。精神状態は不安定で、隣人ともうまくいかず、度々騒ぎを起こしていた。
2人とも、自らの生活力のなさと性格的な適応力になさが原因で、生活の破綻は、もう時間の問題だった。自分の人生がどん詰まりであることを、日々、思い知らされつつ、生活の基盤すら脅かされ、追い詰められた彼らは、自分自身に対して、この社会で生きていく何の価値も見出せず、「もう、何もかも、おしまいだ!」と思ったのだろう。

普通なら、将来を悲観し、自分自身に絶望して自殺、あるいは、やがて、生活費が尽きて孤独死、で済んだ話かもしれない。
けれども、岩崎隆一も、青葉真司も、幼い頃から、家庭で、あるいは学校で、〝透明人間〟として、まるで存在しないものであるかのように扱われてきた。精神的には、幼い頃から傷つけられ、知らず知らずのうちに追い詰められていた。
加えて、実生活でも、自己崩壊の予感しか感じられず、切羽詰まってしまったために、彼らの内面からは、積もり積もった怒りが、想像を絶する圧力で、一気に突き上げてきた。タガの外れた、その怒りが、とてつもなく巨大な自暴自棄の破滅的エネルギーを生んだのかもしれない。
彼らは、自分自身の呪わしい人生を終わらせるにあたって、ひっそりと無意味な人生を終わらせる代わりに、運命に対する残虐な復讐を遂げることにしたのだ。

隆一も真司も、「お前は、取るに足りない存在だ」と、小さい頃から、嫌という程、思い知らされてきていた。
小学、中学校の頃から、彼らは、心の深いところで、繰り返し、繰り返し、叫び続けていたかもしれない。「俺は、透明人間じゃない!」「俺は、ここにいる!」と。
それでも、誰も彼らの声に出さない叫びに、耳を傾ける者はいなかった。彼らの痛みに気づく者も、いなかった。たとえ気づいた者がいたとしても、「所詮は他人事」と無視されてきた。
誰も彼らを愛さなかった。必要としなかった。彼らの痛みと苦悩を、気にかける者はいなかった。
だから、彼らも、誰も愛さなかった。そして、全世界に向かって、吠え続けてきた。「俺も、お前らが、どう思おうが、どうでもいい!」「お前ら、みんな、死ね!」と。
毎日、毎日、心の中で叫び続けて、次第に、心は闇に沈んでいった。「俺を、紙くずのように、ゴミのように扱いやがって、絶対に、絶対に許さない!」「必ず、思い知らせてやる!」「みんな、破滅させてやる!」「お前ら、皆殺しだ!」「俺は、やるといったら、必ず、やる!」
そして、ついに、自暴自棄の破滅的な感情に、心のすべてが支配される瞬間がやってきた。彼らは、考えられる限り、最凶の犯罪を実行することに決めた。
ちょうど、村上龍の小説「コインロッカー・ベイビーズ」の主人公たちのように、世界を破滅に追い込む決意を固めたのだ。
「俺には、世界を滅ぼす権利がある」と彼らは感じていた。
それは、根拠のない理不尽で無法な感情であったが、彼らにとっては、切実で根源的な感情だった。
その感情を否定しようとする理性を、彼らは、卑怯な方法で封じ込めた。これから行う凶行の対象に向けて責任転嫁したのだ。
「俺は悪くない!」「ぜんぶ、あいつらが悪いんだ。」

隆一にとっては、破滅すべき世界の象徴は、決して、自分が通うことが許されなかった私立カリタス小学校と、そこに通う恵まれた少女たちだった。実際、従姉の娘も、今、カリタスに通っている。時々、叔父夫婦の家に顔を見せに訪れる従姉と娘の少女は、とても幸せそうな親子に見えた。
隆一は、嵐のような憎しみと嫉妬心に駆られて、その幸せな世界をめちゃくちゃにしたかった。そして、「お前ら、ムカつくんだよ!」「俺が破滅する前に、お前らこそ、この世界から消えてなくなれ!」と、カリタス小学校に関わる幸福な世界のすべてを、この世から消し去る決意をしたのだ。隆一は、長い時間をかけて入念に準備し、その日、計画を決行した。
5月28日、火曜日の朝、岩崎隆一は、スクールバスに乗り込もうとしていた子どもたちに、ナイフを持って無言で襲いかかり、手当たり次第、少女たちにナイフを突き刺した。厄介な保護者の父親を最初に血祭りに上げると、子どもを庇おうとする母親たちを切り裂いた。そして、学友や下級生を庇って前に出た少女の喉を一瞬の躊躇もなく切り裂き、滅多刺しにした。世界は、血に染まった。

真司にとっては、憎むべき対象は、明るく希望に満ちたアニメワールドを創り出し、世界に向けて発信している京都アニメーションだった。京アニの世界は、真司にとって、自分が決して与えられることのなかった世界、幼少期に自分から暴力的に奪われた世界だった。
「俺のものになるはずだった世界を、ぜんぶ奪いやがって、丸ごとパクリやがって、絶対許さねえ!」と、真司は、強烈な嫉妬の炎に焼かれ、京アニに破滅をもたらすために突き進んだ。彼の頭の中では、日々、妄想が展開されていた。いつしか、彼の恨みの念は「京アニが、俺の小説をパクリやがった」という妄想に結実していた。彼は、京都アニメーションのスタジオを焼き尽くす決意を固めた。真司は、入念に準備し、その日、計画を決行した。
7月18日午前10時半、青葉真司は、多くの才能ある若いアニメーターたちが、作品づくりに没頭していた京都アニメーション第一スタジオに駆け込むと、「死ね!」と叫び、3階まで吹き抜けの螺旋階段の近くの床にガソリンをぶちまけ、ライターで火をつけた。その瞬間、爆発的な炎が部屋の内部で炸裂した。炎は螺旋階段を駆け上り、わずか数分で、3階建ての建物の内部は、全てを焼き尽くす炎に包まれて、阿鼻叫喚の地獄と化した。火のまわりが速すぎて、屋上に脱出できた人さえ、一人もいなかった。スタッフの中で、無傷で脱出できた人は、ごく少数だった。

岩崎隆一は、凶行に及んだ直後、自らの刃を喉に突き刺して死んだ。青葉真司は、全身に火傷を負って重篤な状態だが、おそらく命はとりとめるだろう。とは言え、これだけ周到に準備をして大量無差別殺人計画を練り上げて決行した以上、精神疾患とかは、問題にはならない。必ず死刑になるはずだ。
けれども、加害者二人が死んだからといって、失われた罪のない多くの人々の命は戻らない。残された人たちの哀しみも、悪夢の記憶も、決して消えることはない。

問題は、それだけじゃない。
今、日本に、どれくらい、岩崎隆一や青葉真司のような深い闇を抱えている者たちがいるだろうか。
この「人間が人間を簡単に見捨てる社会」「他人のことなどどうでもいい社会」「人が喜ぶことを願って、一生懸命頑張る人を、大切にできない社会」には、きっと、二人のような闇を抱えた者たちが、たくさんいるだろう。
彼らが、次の隆一や真司に、なることがないように、せめて、彼らの心が、完全に闇に呑まれることのないように、誰かが彼らの心を照らしているだろうか。
「俺は、いったい、何のために生まれてきたんだ?」「いったい、この世界のどこに、俺が必要だというんだ?」という呟きに、誰かが耳を澄ませているだろうか。



【注意】
以上の文章は、多くの推測を交えたものであり、必ずしも事件の真実の解明に寄与する見解ではないかもしれない。
それに、同じような環境に置かれ、同じような経験をした者が、皆、彼らのような犯行に走るわけではないし、必ず人格が破綻するとは限らない。
また、周囲にいた大人たちは、特別に悪人だったわけでも、とりわけ冷酷だったわけでもないだろう。ただ、彼らの存在に責任を感じる大人がいなかっただけのことだ。
責任を感じていたとしても、「最低限の経済的援助さえすればいい」ぐらいの気持ちだったのではないか。「それ以上に、何ができる?」という思いもあるだろう。
そして、周囲の大人たちも、子どもたちも、一様に、「人の〝心〟が何によってダメージを受けるか」「人の心が何によって支えられるか」について関心が薄く、心の動きが鈍かっただけのことだ。みんな「お金さえあれば、なんとかなる」と思っているのだ。だから、逆に「お金がなくなったら、誰でも犯罪者になりうる世の中」なのかもしれない。
特に、周囲の大人たちについては、『自分の境遇とはかけ離れた状況にいる人の気持ちを理解する想像力に欠けていた』のは間違いないだろう。しかし、それも、現代の令和の日本社会においては、別に珍しいことではない。
また、世界においては、もっとずっと前から、日本の比ではなく、事態ははるかに深刻である。
夢を持つ能力に欠け、祈ることのできない大人たちが、世界中で増え続けているようだ。


Mother, you had me but I never had you.
I wanted you, you didn’t want me.
So I, I just got to tell you.
Goodbye, goodbye.

Father, you left me but I never left you.
I needed you, you didn’t need me.
So I, I just got to tell you.
Goodbye, goodbye.

Children, don’t do what I have done.
I couldn’t walk and I tried to run.
So I, I just got to tell you.
Goodbye, goodbye.

Mama, don’t go.
Daddy, come home.

(John Lennon/Mother/1970)


おまえが大きくなった時、
あの青い空に、白い紙飛行機が、夢を運ぶだろうか。
おまえが大きくなった時、
あの枯れた大地に、咲いた名もない花が、命を語るだろうか。
ごらんあの街を、あかりがゆれている。
おまえのあたたかい、この手を握りしめれば、
ああ、聞こえる、ふるさとの唄。

おまえが大きくなった時、
このビルの谷間に、やさしい唄が、流れているだろうか。
おまえが大きくなった時、
この灰色の窓辺に、沈む夕陽が、やすらぎをくれるだろうか。
ごらんあの街を、あかりがゆれている。
おまえのあたたかい、この手を握りしめれば、
ああ、聞こえる、ふるさとの唄。

おまえが大きくなった時、
この小さな胸に、確かな喜びが、育っていくだろうか。
おまえが大きくなった時、
この手のひらに、愛する心が、通い合うだろうか。

(かぐや姫/南こうせつ/1978)











韓国の文在寅大統領は、北朝鮮に子分のように尽くしまくったあげく、「仲裁者を気取って余計な口を出すな」「お前など必要ない」と素気無く言われても、近距離弾道ミサイルを何発も飛ばされて、「これは、度重なる警告にもかかわらず、軍事演習に熱をあげる南朝鮮への武力威嚇である」とまで言われても、あるいは、中国にTHAAD問題でボコボコに叩かれても、殴られっぱなしでいながら、ニコニコ笑顔で「何の問題もありません」と言う。文在寅政権は、中韓に対しては、ひたすら低姿勢で相手を懐柔しようとする融和的な姿だけを見せている。
ところが、日本に対しては、慰安婦合意反故と慰安婦財団の勝手な解散、徴用工判決放置、レーダー照射問題、親日残滓清算運動などに代表されるように、文在寅政権は一貫して強硬な姿勢を取り続けてきた。さらに「心情的には日本は同盟国ではない」と、安倍首相の目の前で明言し、安倍首相の贈ったケーキを「私はケーキは嫌いだから」と、一口も食べようとしなかった。
こうした日本への敵対的な姿勢は、文在寅の盟友であった盧武鉉が、大統領に就任(2002年12月)後、2004年に、アメリカ軍司令官に「日本を共通の仮想敵国に規定しよう」と提案して、アメリカ側を当惑させたり、同じく盧武鉉が、2005年にドイツ訪問時に「ドイツの国連安保理常任理事国入りは支持するが、日本の常任理事国入りには反対」と表明し、「日本の朝鮮統治はナチス・ドイツによるユダヤ人へのホロコーストと本質的に同じである」と主張して、「日本の反省のなさをナチスと同一視して批判する共同声明を出そう」と持ちかけたが、ドイツ側の猛烈な反対にあって実現しなかったという当時の状況と重なる。
韓国大統領府の度重なる反日の態度や政策に業を煮やした日本が、これまでアジアで一国だけ許してきた韓国に対する貿易上の厚遇措置(特別扱い)をやめると宣言すると、途端に「これは日本の経済報復だ!」「貿易戦争だ!」「経済侵略だ!」「韓国は負けない!」「日本は一方的な圧迫をやめよ!」と、猛然と、牙をむき出した。
「これからは、韓国も、台湾や香港やシンガポール並みに扱う」と言われたのが、そんなにショックだったのか。EUにしたところで、韓国をホワイト国として扱ってはいない。なぜ、「日本だけは、アジアで唯一、韓国だけを、未来永劫、特別扱いし続けねばならない」と思い込んでいるのか、なぜに「韓国が日本を冷遇しても問題ないが、日本が韓国を冷遇するのはけしからん」と考えられるのか、本当に謎である。
そして、文在寅大統領の日本に対する対決姿勢と大々的な反日扇動は、日を追うにしたがって、ますます研ぎ澄まされていく。
「李舜臣は、日本の攻撃をたった12隻の亀甲船で守った」と演説し、「この国家的危機を、義兵精神で団結し、共に心を一つにして乗り越えねばならない」と、国民に向かって〝日本に対する総力戦〟を呼びかけている。
日本が「これからは、貿易の手続きを、2004年以前のやり方に戻す」と言っているだけで、この騒ぎである。どうかしている。今まで、韓国が理不尽に騒ぐたびに、日本が黙って懐柔策をとってきたことで、今回も、そうなるだろうと、文在寅含めて韓国の人々は、どこかで信じているのだろう。
実際、根拠のない強気を見せるムン大統領を、韓国民の50%が、熱烈に支持している。また、大統領府とそのコアな支持団体が、日本製品の非買・非売運動を焚きつけ、日本への旅行中止を呼びかける運動を牽引している。
大統領が率先してヒステリックに日本との対決を叫び、国民に反日を呼びかけているのだ。彼には、反省というものがない。
これを機会に、国内をますます反日一色に染め上げていくつもりのようだ。大統領を支持する左派メディアも、市民団体も、それを、熱狂的に支持している。そして、文在寅の支持率があがっていく。
7月25日現在、韓国民の63%が、日本製品不買運動に参加しているという。また、韓国民の61%が、今回の対立の責任は日本にあると考えている。さらに、韓国民の7割が、文在寅政権の日本への対応は適切と考えているか、むしろ、さらに強い対応を求めている。特に、この傾向は、10〜20代の若者に圧倒的である。
こうした反日現象は、反日反米を掲げるロウソク革命の続きであり、韓国での革命運動の激化は、むしろ、これからの話で、今は、まだまだ序の口である。
(*一方で、当然のことだが、日本国民の71%が、日本政府の韓国への輸出規制を支持している。反対しているのは17%である。)


彼ら、熱狂的なムン支持派は、大統領府に批判的な人々だけでなく、日本製品を買う人、日本に旅行に行く人、日本旅行の写真をインスタでネット上にあげる人などを、「土着倭寇(親日派)」と指差して、猛抗議の末に黙らせる。「日本が正しい」と理性的に判断できる人も、袋だたきになりたくなければ、首をすくめて黙っているしかない。強烈な同調圧力である。
彼らムン派に言わせれば、「何もかも、日本が悪い」ということなのだ。韓国で「日本の言い分にも一理ある」などと、当たり前のことを言えば、たちどころに〝土着倭寇〟にされてしまう。
そして、韓国では、韓国人の好む理不尽な反日言動を繰り返す、鳩山由紀夫のような〝愚かすぎる脳の足りない反日日本人〟が褒めそやされる。
さらに、「親日残滓清算」のために、日本人校長や親日派によって学校に植えられた樹木をことごとく切り捨て、彼らの作った校歌や地名をすべて廃止し、校庭には「少女像」と「徴用工像」を建て、日本企業の教材や文具には、チョークから鉛筆からノート、筆箱や下じきまで、「戦犯企業」のステッカーを貼ることを義務付けるという話まで出ている。
その上、韓国のある地方の教育庁などは、「修学旅行」「訓話」「ファイティング」など、日本由来の言葉(和語)を、日帝残滓と指摘する文書を管内の小中高校に通知した。彼らは、これらの単語を、韓国語から追放する決意を固めているようだ。
いずれは、「学校」「教育」「教師」「担任」「班長」「国語」「英語」「単語」「算数」「数学」「物理」「地理」「歴史」「美術」「音楽」「体育」「自由」「民主主義」など、あらゆる日本語由来の言葉を、教科書と学校教育から追放するなどと言いだしかねない。
やがては、いつの日か、「国民」「家族」「本人」「大統領」「社会」「文化」「科学」「宗教」「哲学」「大学」「博士」「経済」「健康」「常識」「概念」「清算」といった日本語も、すべて韓国社会から排斥されることになるかもしれない。「日本から伝わったものは、すべて悪であり、韓国から消し去らねばならない」というのだから、バカじゃなかろか、と言うよりない。
それなら、いっそ、稲作も放棄してはどうだろうか。稲作は、紀元前10〜5世紀ごろ、長江文明から日本へ、日本から朝鮮半島へと伝わったのだから。
また、だからと言って、日本人は、「日本が朝鮮半島に稲作技術を教えてあげたのに、恩を仇で返す韓国」というような感じ方や考え方はしない。そんなことを日本で言えば「恩ってなんだよ、お前、何歳だから、その時、生きていたのか、2500年前のこと、持ち出してどうするんだよ、ばかじゃないの」としか、誰も思わない。
ところが、韓国人は、そう考えるのだ。「漢字も儒教も仏教も養蚕も製紙法も、全部、教えてあげたのに、日本人は、その恩も忘れて」と。その上、稲作まで、自分たちの祖先が日本にもたらしたと思い込んでいる。
何よりも彼らは、「もたらした方が上だ」と思っている。彼ら韓国人の考えによれば、「イタリアは永遠にギリシャに頭が上がらないし、ドイツは永遠にイタリアの下にあり、世界は永久にアフリカの上位を認めなければならない」ということになる。
韓国人は、真面目にそう思っているので、逆に、自分が、相手から、何かもたらされたと考えるのは、大いなるプレッシャーの元になる。それで、都合の悪いことは、無視することにする。そして、実際、それができてしまうのだ。


なぜ、そういうことになるのか、というと、韓国には、日本について、また自国の真実の姿(歴史含めて)について、まともに研究する機関がほとんどないからだ。そもそも、ソウル大、延世大、成均館大、梨花女子大には日本語・日本文学部がない。これまで存在したこともない。唯一の日本研究総合機関であるソウル大日本研究所は、もう一年以上、政府の支援金が途絶えている。
それというのも、マジメに日本研究をすると、韓国人が知ってはならない「不都合な真実」が、あまりにもたくさん出てきてしまうからだ。真実を求めて実直に研究をすると、彼らの拠って立つ正統なはずの足場が、完全に崩落してしまう危険がある。だから、彼らは、正しい知識を知ろうとはしない。
あらゆるファクトを無視して、その上で、彼らは、常に、日本への「〝正しい(正統だと彼らが妄想している)〟怒り」に燃えている。
だから、現実の日本をよく知っている韓国内の知日派から聞こえてくる客観的で冷静な正しい意見は、激しいバッシングの対象となり、血祭りにあげられることになる。知っていても無益なことは、誰も学ぼうとはしないだろう。
しかし、今回、彼らの乗っている船は、亀甲船ではなく、文在寅号という名の泥舟である。この一見、威風堂々とした船は、実は、船底が抜けている。彼らの信じている「反日の正統性」もまた、実は、中身は空虚で底がスッポリ抜けているのである。
このまま反日航路を、ためらうことなく漕ぎ続けていくと、彼らの文在寅号は、大海を見る前に、ずぶずぶと沈んでいきそうだ。
しかし、そうやって泥の中で絶望的に漕ぎ続けながら、それでもなお、彼らは叫んでいることだろう。
「こうなったのも、何もかも、すべて、日本が悪い、日本のせいだ!!」
「我々が、あんなに頼んだのに、アメリカが仲裁に介入しなかったせいだ!」
「我々は間違っていない!」
それもまた、彼ら自身の選んだ道であれば、自分は間違っていないと信じ続けている以上は、己の納得がゆくまで、どこまでも、この破滅への道を突き進んでもらいたいと思うのだ。
そして、この先、どれほどムン「ロウソク」革命が先鋭化したとしても、日本政府は、もう二度と、決して韓国に譲歩してはいけない。粛々と、8月2日に韓国のホワイト国除外の政令改定を閣議決定し、日本国民も、そうした政府のブレない姿勢を支援していく。政府も国民も、しっかり腹を決め、一切動揺を見せることなく、後は、冷静に事態を静観するべきだろう。


ただ、韓国に住む日本人、世界中に住む日本人、あるいは日本に住む韓国人のためにも、日本の外務省やジャーナリストや研究者たちは、〝日韓関係の真実〟を広める努力をしなければならない。
慰安婦問題でも、徴用工問題でも、韓国併合と日本の朝鮮半島統治についても、金玉均と甲申事変についても、戦後の日韓関係についても、韓国の特殊な精神文化の研究に関しても、歴史的な事実を丁寧に掘り起こし、正しい認識を世界中に広めていかなければならない。
韓国人の執拗なデマと捏造の拡散、および、中国政府の戦略的プロパガンダに抗していくためには、それこそ、これからの日本人は、命がけで賢く饒舌にならなければ、自らの立場を守ることはできないだろう。
ところで、韓国へ行ってアイドルをしている人たちに言いたいのは、「この日韓葛藤の状況は、一時的なものではないし、これから永久についてまわることは覚悟した方がいい」ということだ。
そして、いったい何が正しいのか、この機会に、本当のことをじっくり学んでほしいのだ。
ネット上のバッシングなどによって「極度の精神的ストレスと不安」に苦しめられている韓国で活動する日本人芸能人の方たちには、本当に気の毒に思う。しかし、こうなることは、十分に予測されたことでもあった。何もわからないまま、日韓葛藤の狭間で翻弄されるのでなく、正確な知識と深い知恵を身につけて、たくましく生きて欲しいと願う。
日本のK-POPファンの子たちにも、日本と韓国の間に横たわる問題を、より深く理解するきっかけとしてほしい。
こういう時に不安になるのは、これまで、日本では、あまりにも真実の歴史、日本と世界の真実について、人々の関心が薄く、いざ、海外で日本への激しいバッシングにあったときに、対抗しうるだけの日本人としての背骨が育っていないということだ。
ともすると、日本人であることを恥ずかしいと思わされたり、日本が悪いと思い込んでしまう日本人も多いのではないだろうか。
実は、そうではない、ということを、いかにして理解させられるだろうか。そこが、一番の問題である。



〈参考に〉
日本は、確かに、豊臣秀吉が朝鮮出兵をして、戦(いくさ)で多くの韓国の人を殺した。しかし、戦国時代なのだから、日本国内ではさらに多くの人たちが、さまざまな戦(いくさ)で死んだ。もう、400年以上前のことだ。
この時代、武将も雑兵も、戦場で略奪や人狩りが横行するのは普通であった。大勢の朝鮮人が、特に抵抗する力の弱い老人や子女が、船に乗せられて日本に拉致された。日本で、彼らの多くは、奴隷として耕作に従事させられた。悲惨な生活を送った者も少なくない。一方では、教養や技術を持つ者や働き者は、主人に信頼されて、重く取り立てられ、結婚も許されて、子孫が繁栄したという者も意外と多い。
また、この時、李参平ら、少なからぬ数の朝鮮の陶工もまた、日本軍に拉致されて、船で日本に送られた。彼らにとっても、見知らぬ異国に無理やり連れてこられたのは、確かに悲劇であった。
しかし、その彼ら朝鮮人陶工が、世界的に有名な有田焼の生みの親となったのである。日本では、陶工のような技術者は、伝統的に尊敬されていたので、大名などに大切に保護されて、例えば、名工李参平直系の子孫(第14代)などは、今でも陶工として活躍している。
その一方で、朝鮮では、技術者を大切にする伝統がなく、名のある陶工も出なかったし、陶芸の技術が洗練されることもなかった。
しかし、韓国併合後、大正期になって、日本の文化人である柳宗悦が、朝鮮の無名の職人らの手によって作られた日用の雑器を、民衆の暮らしの中から生まれた芸術(民芸)として評価し、朝鮮の文化に魅せられて民芸運動を推進した。
こうした発想も、本来、朝鮮には存在しない価値観であった。柳宗悦は、朝鮮の古美術の蒐集に大正13年、ソウルに朝鮮民族博物館を建て、李朝時代、民衆の間で使用されてきた日用雑器を展示した。

1910年に、日本は、韓国を併合して自国の一部としたが、これは植民地化ではない。むしろ、アメリカがハワイを併合したのと同じことだ。それは、もちろん正しいことではなかった。しかし、1945年まで35年間の日本の統治は、上記した柳の件なども含めて、必ずしも悪いことばかりではなかった。
韓国に庶民が学ぶことのできる公立の学校を作り、ハングル文字の使用を奨励し、上下水道や発電所や港湾や道路など、さまざまなインフラを整備し、病院を建て、衛生環境を整え、現在でも使われているさまざまな建築物を建て、法律を整備し、行政機関を整え、産業を興し、食糧生産を増やし、人々を豊かにした。おかげで韓国の人口は、35年間で2倍に増えた。
韓国の人々が、彼らの希望によって、日本風の名字を新たに創始して名乗るのは許したが、強制ではなかった。望むなら、それまでの姓を名乗るのも自由だった。そして、すべての韓国人に日本人としてのパスポートが発行され、世界中どこへ行っても日本人としての身分を保証された。

第二次大戦において慰安婦を募集したのは、最初は日本の本土でだった。それで足りない分は、後に韓国で募集された。しかし、それは、決して、強制ではなかったし、徴用でもなかった。職業として十分な給料も払われた。
少女の応募は、原則として禁じられていた。朝鮮人の人買い業者が、未成年の少女を慰安婦として連れて行くことを、日本の官吏は厳しく取り締まっていた。だから、少女慰安婦の存在は、法の目をかいくぐった悪質な朝鮮人〝人買い〟業者による例外的な悲劇であった。
徴兵は、終戦の前年まで、韓国では行われなかった。行われたのは、志願者を募る募兵だけだった。優秀な者は、内地の陸軍学校や海軍学校に入り、朴正煕のように士官や将校となる者もいた。
朝鮮半島で徴兵が行われた時点では、もう終戦が近づいていて、訓練が終わる頃には、もう終戦だった。だから、彼らは戦場に送られることはなかった。
国民徴用令の施行も、本土よりはるかに遅い、終戦の前年のことで、この施行で徴用された労働者のうち、内地へ船で送られた者は、ほんの数百人に過ぎなかった。その彼らにも、内地の日本人と同様の仕事があてがわれ、同額の賃金が支払われた。
日本人も朝鮮人も、仕事が終われば、一緒に仲良く酒を酌み交わした。軍艦島でもそうだった。
慰安婦募集、徴兵令、国民徴用令のいずれについても、まずは内地で施行され、内地の人間が、まずは日本人としての義務を課せられた。朝鮮半島では、その後何年も、徴兵も徴用も施行されなかったのだ。日本人になって間もない彼ら朝鮮人に対しては、日本人の義務を課すのを、なるべく大目に見ていたわけだ。
そういう意味では、朝鮮半島の人々は、宗主国に差別されている植民地人ではなかった。言わば、〝新米の日本人〟として、扱われていたのだ。
当時、このような状況に関して「日本人としての義務である兵役を担えないのは、朝鮮人に対する差別だ」と主張して、日本政府を非難する論調も朝鮮半島にはあり、実際、大戦中、朝鮮での3000人の募兵に対して10万人の朝鮮人の若者が日本兵になることを志願したこともあった。

上記したように、よく、韓国人は、日本の朝鮮統治を、ナチス・ドイツのユダヤ人虐殺(ホロコースト)と同列に扱いたがる。しかし、2005年に、ドイツでも、「ナチスのホロコーストは、人類史上例のない犯罪であり、これを日本の朝鮮統治と同一視することは、ユダヤ人虐殺の人類史的な意味を不当におとしめる、極めて非国際的で悪辣な愚論である」と盧武鉉の提案が批判されたように、似ても似つかぬ状況であり、比較できる道理はない。
女子挺身隊についても同じである。15〜25歳の女性を徴用して工場などで働かせたわけだが、これも、まずは内地で施行された。朝鮮人で、この挺身隊として内地に送られた少女など、ほとんどいなかった。ただ、徴用があったことは事実である。
それも、正しいことではなかったろう。だから、戦後、日本は、半島にあったすべての日本人の財産を、個人の資産も、公的財産も、すべて放棄したのだ。鉱山も、工場も、会社も、家も、農地も、預金も、政府の建物も、病院も、学校も、船も飛行機も、鉄道網も、発電所も、ともかく、あらゆる資産を放棄して、北朝鮮と韓国に譲り渡した。
ところが、韓国では、日本と異なり、挺身隊とは、慰安婦を指す用語として知られている。そのため、後に、1990年代になって「日本は、少女たちを慰安婦として徴用したのだ」という間違った認識が韓国で広まった。この勝手な思い込みは訂正されることなく、今も「少女像」というかたちで世界に広まり続けている。

ともかく、1945年の終戦の時点では、朝鮮半島は、米軍の空襲で焦土と化した本土よりも、インフラもしっかりしており、はるかに豊かだったのだ。
そして、1945年当時、敗戦直後の日本には、沢山の朝鮮人が住んでいた。彼らの多くは、自らの意思で、内地に働きに来た労働者やその家族であった。日本政府に強制徴用された人々など、ほとんどいなかったのは確かな事実である。
それでも日本政府は、朝鮮半島への帰還船を出し、彼ら在日朝鮮人の2/3を朝鮮に帰した。
こうして、焼け野原で仕事も食べ物もない内地から、大戦の被害が少なく、内地より豊かな半島へと、彼らの多くが帰っていったのだ。帰らなかったのは、それでも帰りたくなかった朝鮮人、主に済州島の出身者などであった。
その彼ら朝鮮人が、再び日本に舞い戻ってきたのは、1950年に勃発した朝鮮戦争に付随して起こった、二つの悲劇的な虐殺事件のためだった。共に韓国軍による大規模な住民虐殺であり、一つは済州島四・三事件、もう一つは保導連盟事件という。
もともと半島人からの差別が激しかった済州島では、1950〜57年にかけて、28万人の住民のうち、8万人が、自国軍である韓国軍によって、女子供から老人に至るまで、共産主義者とされて無差別に惨たらしく虐殺された。子女も、凄惨極まる暴行・凌辱の果てに惨殺された。
韓国軍による殺戮を生き延びた20万人の島民のうち、17万人は、この地獄を逃れて、非合法で海を渡って日本に密入国した。その結果、1957年には、済州島の人口は3万人にまで激減した。7年間で、実に、25万人(89%)も減少したのである。
同じく、1950年に、李承晩は、国内の共産主義者を皆殺しにするように命じ、韓国軍は、無実の国民114万人を、老人、婦女子にかかわらず、手当たり次第に虐殺した。また、共産主義者の家族とされた多くの未成年者を含む子女を、慰安婦として、戦闘の最前線まで連れて行き、性奴隷として使役した。
ちなみに、韓国軍の慰安婦は、旧日本軍の慰安婦とは異なり、民間の業者が運営する慰安所で働く労働者ではなく、軍の管理する支給物資であった。

当時、韓国内で横行する軍による虐殺を逃れて、多くの韓国の住民が、済州島民と同じように日本に密入国した。その総数は100万人とも言われる。彼らは理不尽な韓国軍による虐殺を逃れて、自分の意思で、日本に密入国したのだ。しかし、日本政府は、恩情から、彼らを密入国者とはせず、戦前から日本に住んでいた在日朝鮮人として扱ったのである。
こうして、この朝鮮戦争の時期に日本に住み着いた朝鮮人の多くは、当然の事ながら、韓国政府と韓国軍に激しい恨みを抱いていた。そのため、彼ら韓国軍による大虐殺の生き残りとその子孫にあたる在日朝鮮人は、今でも、北朝鮮籍を名乗り、北朝鮮系在日団体である朝鮮総連を支えている人たちも多い。
こうした韓国への深い恨みを背景とした〝北朝鮮びいき〟が高じて、1959〜1984年まで続く、悲劇的な在日朝鮮人の北朝鮮への帰国事業が行われ、9万3千人もの朝鮮人および日本人妻子が、「地上の地獄」で、辛酸を舐めることになったのである。多くは、過酷な労働を強いられ、拷問を受け、差別と飢えに苦しみ、少なくない人々が強制収容所に送られて安否不明となった。
結果として、朝鮮総連は、北朝鮮を「地上の楽園」と宣伝して、帰国事業を25年間に渡って継続し、結果として、10万人近い人々を、地獄に突き落としたのである。これは、帰国者たちを騙して、組織的に北に拉致したに等しい、犯罪的行為であった。
しかし、朝鮮総連は、その重大な責任を、いまだに認めていない。それどころか、朝鮮総連は、今でも、北朝鮮を「素晴らしい国」と主張し続けている。彼らの主張にはブレがない。これもまた、済州島四・三事件と保導連盟事件のせいであろう。彼ら日本への密入国者たちにとって、地獄とは韓国のことだったのだ。

さて、話は、朝鮮戦争当時の韓国の問題に戻すが、韓国軍は、当然ながら北朝鮮での住民虐殺も行なっている。ピカソの「朝鮮の虐殺」は、朝鮮戦争における北朝鮮住民への虐殺をテーマとした作品だが、その主体となったのは、韓国軍なのか米軍なのか、諸説ある。しかし、実際問題として、韓国軍による住民虐殺が横行したことは間違いのない事実である。
現代の韓国人のイメージする旧日本軍は、この時期の韓国軍の実像と重なる。また、韓国の主張する旧日本軍慰安婦のイメージも、この時期の韓国軍による慰安婦の取り扱いの実像に重なる。
「韓国軍が、自国民や自民族に対してさえ、これほど残虐になれるのだから、日本軍は韓国人に対して、それ以上に残虐であったに違いない。いや、そうでなければならない。」
韓国の人々は、今、そのように感じているのだろうと思う。そして、当時の真実を知る者がいなくなるにつれて、その間違った思い込みは、確固としたものになっていくのだ。

その後、1965年に、旧日本軍将校だった朴正煕大統領との間で、日韓基本条約が結ばれ、日本は、当時の韓国の国家予算の3倍以上に当たる11億ドルの援助を行なった。このうち、3億ドルは無償援助であった。ちなみに、当時の韓国の国家予算は3.5億ドルであった。さらに、日本側は、朝鮮統治時代に残した53億ドル分の資産の請求権を放棄した。
この条約により、両国および両国民の間の財産、権利、請求権に関する問題は、完全かつ最終的に解決されたことを、日本と韓国は互いに認め合ったのだ。そして、「以後、両国民は、これ以前の事由に基づくどんな請求権の主張もすることができない」とされた。
こうして、この日本からの援助、特に3億ドルの無償援助を国内投資にまわすことによって、韓国は「漢江の奇跡」と呼ばれる経済発展を成し遂げた。

韓国の経済発展のもう一つの要因は、1965年から本格化したベトナム戦争における米軍の特需であった。また、この戦争に、韓国軍は米軍の友軍として参加し、アメリカ軍以上に、多くの住民虐殺を繰り広げた。
この時、韓国軍兵士に強姦されたベトナム女性の産んだ子は、憎むべき韓国人の子(ライダイハン)として、差別を受けた。その数は、少なくとも3000人以上と言われ、数万人にのぼるという説もある。
韓国軍兵士は、強姦を繰り返した後には、虐殺して立ち去ることが多く、生き残った女性はむしろ少ないと見られている。
また、当時、韓国軍は、兵士による住民暴行・虐殺を抑えるために、ベトナム各地に慰安所を設置して、ベトナム人少女らを慰安婦として強制的に働かせた。これこそ、まさに性奴隷であった。このように、半ば強制的に慰安婦にされたベトナム人の女性の数は、数十万人に及ぶ。
こうして韓国軍兵士によって陵辱・暴行を受けたベトナム人女性の人権を擁護し、韓国軍の悪行を世に知らしめるため、2017年に、イギリスのロンドンで「ライダイハンのための正義」という市民団体が、イギリス人市民活動家ピーター・キャロルが呼びかけ人となって設立された。
その後、2019年4月には、韓国軍による民間人虐殺について真相を究明し、公式に謝罪するように、ベトナム人遺族や生存者らが文在寅政権に請願書を提出した。彼らは「韓国政府は、日本政府に対して謝罪を要求しているが、それ以前に、まず、韓国政府自身が、我々に謝罪するべき」と話している。
また、朝鮮戦争中、米兵や韓国兵のために、第5種補給品と呼ばれて、国営慰安所で働いていた韓国人・北朝鮮人女性たちは、「特殊慰安隊(女子挺身隊)」として最前線までドラム缶に詰められてトラックで移送され、性奴隷として働かされた自分たちの方が、日本兵のための私設慰安婦であった年長の人たちより、はるかに辛酸を舐めたにもかかわらず、韓国内で、その存在を無視されている状況に憤っている。
1945〜1980年代まで、韓国軍や米軍の相手をした韓国人女性(洋公主・売春婦)は、通算で100万人を超える。
しかし、日本軍慰安婦の問題が取りざたされるようになった1990年代以降、彼女たち、韓国政府によって運営される軍事基地の慰安婦は、突如、韓国では「慰安婦」と呼ばれなくなった。そして、「基地の女性」などと呼ばれるようになった。一方で、旧日本軍の時代の慰安婦だけが、「慰安婦」と呼ばれるようになったのである。



上記のような「正しい歴史」は、残念ながら、韓国はもとより、日本でも、一般に、学校教育において教えられることはない。
幸い、日本国内では、次第に、この「正しい歴史」が、少しづつではあるが、一般にも知られるようになってきた。しかし、韓国では、こうした「正しい歴史」について語る者は、たとえ歴史研究者であっても、刑事・民事訴訟に悩まされ、国民的な弾圧にあってしまう。
韓国人にとって『正しい歴史』とは、真実の歴史ではなく、「こうあるべき歴史」であり、もっと言えば、「韓国人にとって都合のいい理念に沿ったフィクションの歴史」なのだ。したがって、「韓国人にとって不都合な真実の歴史」は、国を挙げて抹消されてしまう。それでも、表に現れてくる彼らの反日理念に合わない「不都合な真実」は、取るに足りない瑣末なこととして無視される。
これでは、日本人と韓国人は、永遠に仲良くなることなどできない。それどころか、年々、理解し合うことは困難になっていくだろう。
残念なことだ。
また、7月23日の中露による竹島上空での領空侵犯のような単純な策略で、ますます日韓が離反していく。中露に踊らされているようで、実に、不愉快な話だが、そもそも文在寅「ロウソク革命」政権が、強烈な反日反米政権なのだから、実際のところ、どうしようもないのだ。

最後に、盧武鉉と文在寅に関して、一言、言っておきたい。以前、私は、文在寅を、韓国の鳩山由紀夫と評したことがある。しかし、今は、政策や政治家としての姿勢は別として、人間的には、彼らを、鳩山由紀夫と同一視しているわけではない。
頼るもののない極貧の中で育った盧武鉉と文在寅を、内閣総理大臣鳩山一郎を祖父に持ち、母はブリジストンの創始者の長女で、何不自由なく育ち、学習院初等科・中等科に通い、東大に進学し、スタンフォード大学で博士号をとり、祖父の地盤を受け継いで政界入りしたという日本屈指の御曹司鳩山由紀夫と同列に考えているわけではないということだ。
文在寅は、朝鮮戦争の動乱の中、北朝鮮に両親を残したまま脱北した避難民夫婦の長男として韓国に生まれ、激しい差別と貧困の中で育った。そして、その劣悪な環境の中でも、不屈の闘志で、奨学金を得て大学を卒業し、弁護士試験に合格した。その間に、朴正煕政権、全斗煥政権に対する民主化デモに参加して、二度逮捕されている。盧武鉉の場合も、小農出身で、貧しくて大学へ行けず、高卒後、働きながら独学で弁護士になったという点では、同じような苦しい経験をしてきている。
二人が共同で弁護士事務所を開き、民権派弁護士として、社会的な弱者のために、働いてきたことは事実だ。貧しい者の味方であろうとする彼らの強い信念は、自身の生々しい経験に裏打ちされたものであり、生き方そのものなのだ。お金の心配など、生まれてこのかた、したことのない、恵まれた環境で生きてきた鳩山由紀夫には、彼らの情念は、決して理解できまい。
また、日本から譲り受けた資産によって富裕となり、日本の助力によって、その地位を盤石にして繁栄を維持してきた韓国の既成権力層である保守勢力に対して、彼らが強い敵愾心と憎しみを抱くのも、理解できないわけではない。
盧武鉉が、自殺に追い込まれたことも気の毒に思うし、腹心の友であった文在寅の無念も察するに余りある。
従北親中反米左派とか、そういう政治的スタンスは別にして、人間として、彼らの生き方は、尊敬に値する。
しかしながら、多くの日本人が、「勝てない戦争に巻き込んでしまった」という韓国人への贖罪意識から、長きにわたって韓国への援助を惜しまなかったこと、その深い心情について、彼らが理解しているとはとても思えない。
この二人にとっては、日本の援助など、権力者たち(左派の言う「親日残滓」)を肥え太らせただけの豚のエサ、ぐらいにしか思っていないだろうし、そう思っているのは、彼らだけではないだろう。
かと言って、朴槿恵、李明博ら、韓国の保守派が日本に感謝していたか、というと、そんなことはない。彼らもまた、ただ、日本を利用していただけなのだ。
文在寅の娘だって、日本の国士舘大学に留学している。右派も左派も関係なく、誰もが、日本を利用している。これが、韓国人の言う「用日」だ。
そういう意味では、残念ながら、保守(親米右派)であろうが、革新(従北左派)であろうが、韓国人に、日本への理解や感謝など、どこにも、かけらもない。「無」である。それどころか、韓国が目指しているのは「克日」である。韓国人の考える克日とは、日本を自分の足の下に踏みつけるという意味である。
であるならば、韓国をアジアで唯一のホワイト国として貿易上優遇する意味がない。日本が、わざわざ、『自分を潰そうとしている敵に、そのための力をつけさせる』という韓国への優遇策は、本当に、あまりにも愚か過ぎる最低最悪の政策である。だから、早急にやめるべきだ。

そういうことなのだ。

この韓国との敵対状況は、おそらく、永久に変わらない。どれほど、日韓両国の間を行き交う相互の観光旅行者数が増えようと、両国の若者が互いの国の文化に親しもうと、経済的な関係の緊密化による相互依存が深まろうと、それによって相互の摩擦や軋轢がさらに深まることはあっても、対立が解消されることは決してないだろう。
それほどまでに、日韓の対立問題は、その前提となる基本的な事実認定から、根本的に食い違っているのである。










国連の人権委員会、国連ユニセフ、国連食糧支援機構などの国際的な人道支援機構、さらには、セーブ・ザ・チルドレン、日本ユニセフ協会、国境なき医師団などの慈善NGO団体、WWF、グリーンピース、シーシェパードなどの環境保護NGO団体、ICAN、ピースボートなどの平和運動NGO団体、それらの組織や団体に関する私たちのイメージの一部は、「人類の善意と希望」に結びついている。
戦争や飢餓や独裁や圧政が、〝人類社会の闇〟であるとするなら、彼らは〝人類社会の光〟を代表しているように、一般に考えられている。
しかし、本当にそうだろうか。古代ゾロアスター教やマニ教では、光と闇は、永遠に勝負のつかない対極同士でありながら、実は、自然界のあらゆるものに、ともに表裏一体に内在すると考えられていた。
「強い光の眩さに惑わされてはいけない。強い光を放つ者の陰にこそ、深い闇が身を隠すことができるということを忘れるな。むしろ、一筋縄ではいかない深淵の闇こそが、強烈な光の陰に隠れることを特に好むのだ。光の裏側を、注意してみていなさい。決して、表面の輝きに気を許して、警戒を怠ってはならぬ。」
この古代の知恵は、現代でも通用する考え方だと思う。
世間では「とても良いことをしている」と絶大な信頼を受けている国連や人権団体や環境保護団体や巨大慈善事業やNGOにも、必ずと言っていいほど、巨大な闇はついてまわるのだ。その闇は、組織やコミュニティの利権や金に関わっている部分と、根深い思想の歪みによって生じている部分の両面がある。
彼らの元に集まるお金(寄付金や支援金)は、人々の善意である。また、そこで働いている人たちの多くもまた、個人的善意と熱意から働いている。
けれども、これらの組織もまた、自らの利益を最優先する利権構造を作り上げ、巨大ビジネスの維持を、時には、支援する対象(子どもとか自然環境とか地元社会)の利益よりも優先する事態となっている。彼らは、巨額の資金を政府や個人から集め、その資金によって生活している。彼らの関心は、いかにして助けるかではなく、いかにして巨額の資金を集め続けるか、に集中している。これが「あなたの寄付に関する不都合な真実」である。
老人と障害者を喰いものにして自らの利権を貪る福祉ビジネスNGO、不必要な大量の薬で国民を薬漬けにして身も心も薬依存にさせる日本医師会、自らの活躍の場を狭める少年法改正を断固として阻むことに努力を傾ける日本弁護士会なども、そうした支援対象より自らの利益を優先する利権団体である。
にも関わらず、総じて、彼らの態度は〝独善的〟で〝差別的〟である。

彼らに共通する特徴のひとつは、独善的である一方で、「不都合な真実」が明るみになるのを恐れ、世間に知られたくない事実の公表を阻止し続け、悪の温床を放置していることだ。
2019年の国際エミー賞で最優秀時事番組に選ばれたのは、国連平和ミッションの闇を暴いたスウェーデンの調査報道番組だった。この番組では、国連の専門家2人がコンゴで殺された事件で、コンゴ政府が殺害に関与していたこと、国連調査委員会が、その事実を隠蔽したことを、リークされた内部文書をもとに、調査によって明らかにしていく。不都合な真実の隠蔽には、国連組織の上層部が関与している。
また、例えば、UNHCRなど国連職員による小児暴行含むレイプ事件が、毎年、100件以上発生しているが、それによって処分された職員は、これまでに一人もいない。
さらに、セーブ・ザ・チルドレン元CEO(現ユニセフ副事務局長)、「国境なき医師団」職員含む、慈善NGO団体職員による小児暴行含む性的事件もまた、毎年、100件以上、発生している。解雇される職員もいれば、逃げおおせる職員もいる。ある団体を解雇されても、別の団体に移って、自身の異常性愛嗜好を満足させる小児への虐待を続ける者もいる。彼らは、どこまでも、闇に潜み続けており、結果として、世の中の善意によって運営されている慈善コミュニティが、幼児凌辱嗜好のサイコパスを、野放しの状態で養っているのだ。
彼らが真相の究明を恐れるのは、醜聞によって、彼らの集金機能にダメージを被ることを恐れているためだ。
日本人の個人の募金は、赤い羽根募金で日本赤十字社へ180億円、また、NGO法人「日本ユニセフ協会」を経由して、国連ユニセフへの募金が180億円と多く、最近では、国境なき医師団やセーブ・ザ・チルドレンへの募金も増えている。しかし、これら国連組織やNGO団体が、本当にこの世界の役に立っているのか、無邪気に信じこむのは危険である。
ハイチのように、食糧援助が、地元産業を破壊することもあるし、北朝鮮のように、食糧援助が、国民を苦しめる体制維持に役立っている場合もある。しかし、こうした「慈善事業にとっての不都合な真実」は、まず広く報道されることはない。なぜなら、マスメディアもまた、彼らのコミュニティの一員だからだ。

また、彼らは、自らの支援する対象(北朝鮮とかウイグルとかチベットとかクジラとか子どもとか野生動物とか)を恣意的に選ぶこともあるし、恣意的に避けることもある。
例えば、世界最大の環境NGOであるWWF(世界自然保護基金)は、環境保護の名の下に、アフリカの先住民ピグミーを、先祖代々の居住地から不法に退去させているという。その際に、「多くの先住民が、WWFの自然保護官によって、密猟者扱いされ、嫌がらせや殴打・拷問を受け、中には死に至らしめられたケースも複数ある」という事実が2017年に告発され、その後の調査により、アジア・アフリカの各地で、毎年、同様の事例が数多く起こっていることが、明らかになっている。
例えば、カメルーンの国立公園では、11歳の男の子が、レンジャーに両親の前で暴行された。ネパールの国立公園では、地元男性がサイの角を隠していると疑ったレンジャーが、男性を拷問して死に至らしめたが、結局、サイの角は発見されなかった。
しかし、こうしたWWFの保護官やWWFが支援する密猟監視レンジャーによる虐待や殺害は、世界各国で広範囲に行われており、告発されたものは、ほんの氷山の一角に過ぎない。
国によっては、ほぼ全てのコミュニティに、レンジャーに対する「恐怖と不信」が蔓延しているという。WWFのスタッフと本部は、その事実を知りながら、そのような暴力的政府と傲慢で残虐なレンジャーの弁護を繰り返し、彼らに対して、全面的に援助を続けている。
WWFと、その保護官やレンジャーたちは、野生動物を自らの保護の対象として選んだ。その一方で、先住民や現地住民については、彼らのミッションの障害であり、排除すべき存在と考えているのだ。人間を殺して、動物を守る道を選んだということだ。それも、彼らの恣意的な選択である。
何万年も動物を狩ってきたピグミーの狩猟生活を、WWFの野生動物保護官たちは、不法な密猟行為と決めつけ、現地住民を犯罪者と決めつけて処分する。
あるいは、彼ら動物愛護主義者たちが、イルカやクジラを保護する対象に選ぶと、それを狩る者たちは、絶対的な悪として認識される。
だから、WWFやグリーンピースやシーシェパードにとって、イルカやクジラの追い込み漁を誇りを持って行う日本の太地町やデンマークのフェロー諸島のクラクスビーク町は、叩き潰すべき最大の敵となる。
アフリカのピグミーや、アジア・アフリカの現地住民への虐待も、図式は一緒である。

彼らの恣意的な選択には、彼ら自身の選択する意思に強い影響を与えている思想的(ないしは嗜好的)な歪みが存在するのだ。そして、彼らが、悪とするもの、善とするものは、彼らのコミュニティに特有の思想的な思い込みによって、極めて偏向している。
また、彼らの思想や意思は、ある意味では、彼らの属しているコミュニティの人間関係によって規定される。そして、彼らの棲むコミュニティは、実は、とても狭い。
例えば、国連ユニセフ、セーブ・ザ・チルドレン、日本ユニセフ協会、毎日新聞の繋がりは深い。あるいは、WWF、グリーンピース、シーシェパードの繋がりも深いし、ICANとピースボートと朝日新聞の繋がりも深い。だから、彼らの闇は、なかなか白日の下へ晒されることがない。
それは、例えば、共産党や社民党などの野党勢力が、自らの支持基盤である教育委員会や教職員組合に関する「不都合な真実」の闇を暴くことになるために、学校でのいじめ自殺に関わる教育委員会や学校側による卑劣極まる〝いじめの隠蔽〟について、徹底した解明をしようとせず、本質的な追及を避けるのと構造は同じである。
ICAN、WWF、共産党、社民党、ユニセフ、赤十字、国連人権委員会、グリーンピース、セーブ・ザ・チルドレンなどの組織に共通する特徴は「絶対的正義」を掲げることである。しかし、この、誰も反対できない絶対の正義こそが、最大の問題なのだ。その光があまりに強すぎるがゆえに、闇は容易にその陰に隠れることができるからだ。しかも、その強すぎる光の陰には、なんとも巨大な闇が隠れていることもあるのだ。


職員による少女・小児への性的暴行事件が、頻発・横行する慈善NGO団体セーブ・ザ・チルドレンの〝おかしさ〟は、彼らの発表するデータにも現れている。
以下に、彼らが毎年作成している「子どもが守られている国」ランキングを記し、同時に、合計特殊出生率ワースト20、および、自殺率と人口減少率の上位20位までを併記した。
下記のように、出生率の低さと、自殺率の高さと、人口減少の大きさは、なぜか、彼らの発表する「子どもの守りの強さ」ランキングと重なるのである。

「子どもが守られている国」ランキング(2019)
1位 シンガポール(合計特殊出生率1.16W5)
2位 スウェーデン(自殺率20位)
3位 フィンランド(自殺率12位)、ノルウェー、スロベニア(自殺率4位)⇦⭐️
6位 ドイツ、アイルランド
8位 韓国(自殺率2位/合計特殊出生率0.98W1)、イタリア(合計特殊出生率1.34W9)⇦⭐️
10位 ベルギー(自殺率8位)⇦⭐️
11位 アイスランド(自殺率17位)、ポルトガル(合計特殊出生率1.36W11/人口減少率9位)
13位 スペイン(合計特殊出生率1.34W9/人口減少率14位)、キプロス(合計特殊出生率1.34W9)
15位 オーストラリア(自殺率15位)、スイス(自殺率16位)
17位 イスラエル、ルクセンブルク(合計特殊出生率1.41W17)⇦⭐️
19位 日本(自殺率7位/合計特殊出生率1.43W19/人口減少率17位)、フランス(自殺率12位)、リトアニア(自殺率1位/人口減少率1位)⇦⭐️
22位 イギリス
23位 カナダ、デンマーク
25位 ニュージーランド(自殺率19位)、ポーランド(自殺率11位/合計特殊出生率1.39W16)
27位 ラトビア(自殺率4位/人口減少率2位)、エストニア(自殺率9位)
29位 クロアチア(合計特殊出生率1.42W18/人口減少率12位)
30位 ギリシャ(合計特殊出生率1.38W15/人口減少率8位)
31位 ハンガリー(自殺率6位/人口減少率15位)
32位 マルタ(合計特殊出生率1.37W12)
33位 バーレーン
34位 ベラルーシ
35位 クウェート
36位 アメリカ(自殺率10位)、中国⇦⭐️
38位 ロシア(自殺率3位)、ボスニア・ヘルツェゴビナ(合計特殊出生率1.38W14/人口減少率18位)
40位 カザフスタン、カタール
42位 ウクライナ(合計特殊出生率1.37W13/人口減少率16位)
43位 アラブ首長国連邦
44位 チュニジア
45位 サウジアラビア
46位 セルビア(人口減少率11位)
47位 レバノン
48位 オマーン
49位 ブルガリア(人口減少率7位)
50位 モンテネグロ
51位 ルーマニア(人口減少率6位)
52位 モーリシャス(合計特殊出生率1.44W20)
53位 キューバ(人口減少率20位)
54位 モルディブ
55位 チリ
56位 スリランカ、バルバドス
58位 サモア
59位 トンガ
60位 ヨルダン
61位 アルバニア(人口減少率3位)、アルメニア
63位 アルジェリア、ブルネイ
65位 北朝鮮⇦⭐️
66位 トルコ
67位 トルクメニスタン
68位 バハマ
69位 コスタリカ、北マケドニア
71位 マレーシア
72位 ウズベキスタン
73位 ジョージア(人口減少率13位)
74位 アルゼンチン、セントルシア
76位 モンゴル、ウルグアイ
78位 フィジー
79位 イラン、セントビンセント
81位 モルドバ(合計特殊出生率1.23W6)
82位 セイシェル
83位 モロッコ
84位 パレスチナ⇦⭐️
85位 スリナム
86位 タイ⇦⭐️
87位 ジャマイカ
88位 トリニダード・トバゴ
89位 アゼルバイジャン
90位 タジキスタン
91位 カーボベルデ
92位 ペルー
93位 エジプト
94位 キルギスタン
95位 ベトナム
96位 メキシコ
97位 エクアドル
98位 ブータン⇦⭐️
99位 ブラジル
100位 パラグアイ
101位 ベリーズ
102位 ボツワナ、フィリピン
104位 バヌアツ
105位 ニカラグア
106位 ドミニカ
107位 インドネシア、パナマ⇦⭐️
109位 ミャンマー、ギアナ
111位 ガボン
112位 マーシャル諸島
113位 インド、南アフリカ
115位 イラク
116位 ボリビア
117位 ガーナ
118位 コロンビア
119位 ナミビア
120位 カンボジア
121位 サントメ・プリンシペ
122位 ケニア、エスワティニ(旧スワジランド)
124位 エルサルバドル
125位 ルワンダ
126位 ジブチ
127位 バングラデシュ
128位 東チモール
129位 ハイチ
130位 コンゴ共和国
131位 ベネズエラ
132位 セネガル
133位 ソロモン諸島
134位 ネパール
135位 コモロ
136位 ウガンダ
137位 ホンジュラス
138位 トーゴ
139位 ジンバブエ
140位 ブルンジ
141位 パプアニューギニア
142位ガンビア
143位 イエメン
144位 エチオピア
145位 ラオス、シリア
147位 グアテマラ
148位 ベナン
149位 パキスタン
150位 ザンビア
151位 スーダン、マラウィ
153位 コートジボワール
154位 エリトリア
155位 タンザニア
156位 リベリア
157位 ギニアビサウ
158位 アフガニスタン、マダガスカル
160位 シエラレオネ
161位 カメルーン、モーリタニア
163位 アンゴラ、赤道ギニア
165位 レソト
166位 モザンビーク
167位 ブルキナファソ
168位 コンゴ民主共和国
169位 ギニア
170位 ナイジェリア
171位 ソマリア
172位 南スーダン
173位 マリ
174位 チャド
175位 ニジェール
176位 中央アフリカ共和国

※自殺率は20位まで、人口減少率は20位まで記入した。人口減少率は、日本は17位だが、18位ボスニア・ヘルツェゴビナ、20位のキューバを除き、記入されている国は、すべて日本より人口の減少が激しい。
※合計特殊出生率は、ワースト19位の日本(1.43)より小さい国、および20位のモーリシャスだけ記入した。つまり、記入されている国は、モーリシャスを除いて、日本以上に少子化の進む度合いが激しいということだ。
※上記の統計には、オーストリア、チェコ、台湾、香港、プエルトリコなど、主要な国や地域のいくつかが、なぜか欠落している。理由は不明である。これらの国や地域も、合計特殊出生率のワーストや、自殺率、人口減少率の上位に含まれている場合がある。


このランキングでは、一位のシンガポールが、そもそも、不思議すぎて奇妙すぎて、どうしょうもない。いったい、どんな基準なのだ、と首を傾げてしまう。
日本(19位)が、アイルランド(6位)、イタリア・韓国(8位)、アイスランド(11位)、キプロス(13位)より下で、それどころか、ミサイルやロケット弾が飛び交うイスラエル(17位)よりも下位にあるというのも、実に不思議である。
よりによって、この日本が、15〜24歳の若年失業率が40%(日本は6%)もあり、マフィアによる富裕層の子女の誘拐が盛んな国イタリアより下で、さらに、イスラエルのような紛争地帯よりも下位になっているのだ。ムスリムとユダヤの憎しみあう紛争地帯で、どう、日本より〝子どもが守られている〟というのか、私には意味がわからない。
そして、世界の中でも極端に差別意識が激しく、2010年には自殺率世界一となり、世界で唯一、合計特殊出生率が1以下(0.98/2018年度)を記録した韓国(8位)が、東アジア地域における「子どもの生育環境」として最高だというのなら、韓国民が、なぜ、これほど子どもを生もうとしないのか、大きな謎である。あるいは、自殺率と、このランキングは比例し、合計特殊出生率とは反比例するのかもしれない。
例えば「誰もが一度は自殺を考えるような、こんな国で、子供は産みたくないし、育てたくない」と誰もが思い、女性が子どもを生む数が少ないから、希少な子供たちが社会によって手厚く守られるとか、そういうことだろうか。中国の一人っ子政策とは、動機は異なるが、結果は同じか。
そうすると、上記のランキングは、人口減少率とも比例しそうだが、必ずしもそうならないのは、産業界の要請によって、人口(労働力)が減った分は移民で補ってきた国々も多いからだろう。少なくとも、ドイツやイギリスの場合はそうだ。

今回、日本と同順位の19位だったリトアニアは、2016年、韓国を抜いて、自殺率世界一となっている。3位のスロベニアは、リトアニア、韓国、ロシアに次ぐ、自殺率4位の国である。10位のベルギーも、日本並みに自殺率が高く、欧州一自殺が多い。日本と同順位で19位だったフランスも、自殺率は日本に迫るが、国民の経済格差は日本より激しい。
実は、2015年の自殺率上位20カ国と、この「子どもの守られる国」上位20カ国のうち、11カ国が重なるのだ。自殺者の多い国=子どもが守られる国、という不可思議なランキングに意味があるのだろうか。
加えて、合計特殊出生率のワースト20のうち8カ国が、「子どもの守られる国」上位20カ国に含まれる。やはり、子どもは少ないほど、このランキングでは「守られる」にカウントされやすいようだ。
また、処刑や拷問によって人口が減り続け、無断で外国に電話をかけたり、外国のTVドラマをディスクで見たことが理由で公開処刑される、壮絶鎖国独裁国家である北朝鮮(65位)は、市民の脱北者が後を絶たず、今年、国民の40%が飢餓に直面する可能性を指摘されていて、この夏以降、数百万人が餓死する恐れがあると警鐘が鳴らされているが、それでも65位ということは、それ以下の国々はどうなっているのだろうか。「北朝鮮よりも、子どもが守られていない」ということは、おそらく、66位以下の国々は、どこもかしこも、天変地異か紛争によって滅亡寸前の無政府状態にあるのだろう。
例えば、「天国に一番近い島」と言われたセイシェル(82位)や、「微笑みの国」タイ(86位)や、「幸せの国」と言われるブータン(98位)なども、皆、北朝鮮よりも、ずいぶん下の方だ。
そもそも、タイもブータンも、紛争地域であるパレスチナ(84位)よりも下なのだ。経済発展が著しいインドネシア(107位)なども、アフリカのボツワナ(102位)やバヌアツ(104位)以下の順位である。
これが、本当に「子どもが守られている国」の順位なのだろうか。

やはり、セーブ・ザ・チルドレンは、おかしい。