1982年発売の浜田省吾さんのオリジナル8thアルバムです。ちょうど、初のライブアルバム『ON THE RORD(1982)』と、初のセルフカバー・バラード集である名作『Sand Castle(1983)』の間に発表された、ミュージシャンとして脂の乗り切った時期の作品なのですが、『ON THE RORD』と『Sand Castle』が、あまりにも名盤過ぎて、この8thアルバムは、当時、その間に埋もれてしまっていた感がありました。
あの頃、『ON THE ROAD』のラスト3曲「路地裏の少年」「Midnight Blue Train」「ON THE ROAD」のパンチ力は凄まじいものがありましたし、『Sand Castle』のA面の5曲「君に会うまでは」「君の微笑」「散歩道」「いつわりの日々」「愛という名のもとに」の並びは、あまりに美しすぎました。
この二枚が、華やかで衝撃的で眩しすぎて、それなのに、その間に発売された、この8thオリジナル・アルバムは、なぜか、容易に人を寄せ付けない、とてつもなく暗く重苦しいオーラを放つ、まったく毛色の違う作品だったのです。また、オリジナル・アルバムとしては、7thアルバム『愛の世代の前に(1981)』と9thアルバム『DOWN BY THE MAINSTREET(1984)』という二枚の怪物傑作アルバムに挟まれているがゆえに、やはり、発売当時は、あまり目立たない地味な作品というイメージであったことは否めませんでした。
例えば、7thアルバムには、名曲「愛というの名のもとに」「悲しみは雪のように」、他にも「ラストショー」「日のあたる場所」「愛の世代の前に」「モダンガール」「独立記念日」「防波堤の上」など、強力な楽曲が多く収録されていますし、9thアルバムにも、「MONEY」「MAINSTREET」「DANCE」「HELLO ROCK&ROLL CITY」「SILENCE」「EDGE OF THE KNIFE」「MIRROR」「DADDY’S TOWN」など、浜田さんの全キャリア中の代表曲と言ってもいいような曲が、多く収録されています。
それに比べると、この8thアルバムには、それほど強力な人気のある楽曲は、収録されていません。アルバム発売と同時にシングルカットされた「マイホームタウン」も、まったく売れず、オリコンでも100位以下のランク外でした。
そもそも、アルバム・ジャケットのデザインも、7thアルバムのように華麗でも美しくもなく、9thアルバムのようにシンプルでセンスのある感じでもありませんでした。それどころか、ひたすら地味で暗く、「なんだ、この背景の巨大なガスタンクは?」と首を傾げざるを得ない、とっても異様で意味不明なデザインでした。
けれども、この8thアルバムは、私にとって、当時、浜田さんのアルバムの中で最も聴き込んだ作品であり、かつ、12thアルバム『誰がために鐘は鳴る(1990)』と並んで深い思想性を感じさせ、最も強い印象を受けた作品でもあります。また、浜省さんの全アルバムをトータルで考えて、一番好きな作品と言ってもいいかもしれません。
そして、一度、その魅力にはまってしまうと、今度は、ジャケットの巨大なガスタンクだか核弾頭だかよくわからないものまで、なんだか深い意味があるように思えてくるのです。
この8thアルバムの魅力は、一曲目「OCEAN BEAUTY」から11曲目「僕と彼女と週末に」まで、一連の楽曲が、アルバム全体で大きな一つの物語となっていて、その物語のメッセージが、あまりにも深く強烈であることです。
ところが、1982年の発表当時は、そのメッセージが「リアリティに欠ける」と評され、作者本人も「観念的に過ぎたのではないか」と、不安を感じていたそうです。
それでも、後に「広島で被爆した経験のある父親のお棺の中に入れたアルバム」と、本人が語っているほどですから、長く自身の代表作と考えていたのは間違いないようです。
もちろん、アルバム発売当時、私自身は、そういう作り手の側の思い入れについては、まったく知らずに、なぜか心が惹かれて、繰り返し聴いていたわけですが。
実は、この頃の浜田さんは、7thアルバム『愛の世代の前に』のアルバムジャケットのイメージそのままに、ちょっと華やかで、かっこいいアニキというイメージがありました。
アメリカンハードロックのテイストを感じさせる、和製ブルース・スプリングスティーンという感じです。(ちなみに、スプリングスティーンが、来日した時に、たまたま浜田省吾のマイホームタウンを聴いて「声がいい」と言ったというエピソードがあります。)そのちょっと前には、まだフォーク調の香りの残る5thアルバム『君が人生の時(1979)』(特に「さよならにくちづけ」「青春のヴィジョン」「とぎれた愛の物語」「いつかもうすぐ」などの曲)の時点で、特に感じられたのは、内省的でシャイで実直で正直者のお兄さんというイメージでした。(この〝ナイーブで内省的〟というイメージは、10thアルバム『J BOY』(特に「J BOY」「AMERICA」「悲しみの岸辺」「もう一つの土曜日」「19のままさ」「遠くへ」などの曲)で、また戻ってきたという気もします。)
ところが、この8thアルバムでは、浜田省吾というミュージシャンのイメージとか、アーティストとしての魅力や個性とか、1曲1曲の完成度とか曲の好みとかは、背景に溶け込んでしまい、聴き込むほどに、むしろ、アルバム全体が醸し出す圧倒的な存在感や重厚な思想性だけが、ひたすらじんわりと迫ってくるのです。
そして、このアルバムで表現されている世界観は、深遠かつ極めて現代的で、その壮大なイマジネーションによって語られる一連の物語からは、とても重く深い意味やメッセージが伝わってきます。
アルバム全体の整合性や統一性は、詞やメロディからだけでなく、水谷公生さんのドラマチックなアレンジからも、強く感じられます。このアルバムのアレンジの魅力は、浜田さんの全アルバムの中でも、佐藤準さんがアレンジを担当した第1バラード集『Sand Castle』と並んで、出色の出来だと思います。
また、まるごと、一枚のアルバムで、一つのまとまった作品という印象が強すぎて、そこから切り取られた一曲一曲は、その伝わる魅力というかパワーが半減してしまいます。
ですから、最初から最後まで、じっくり聴き通さなければ、このアルバムの〝魔力〟は伝わらない、という気がします。
こういうアルバムは、本当に珍しいと思います。普通は、どんなに好きなアルバムでも、つい、飛ばしてしまう曲の2、3曲はあるものです。ところが、このアルバムに関しては、それがないのです。
では、一曲目から、順に語ってみたいと思います。
①OCEAN BEAUTY
ストリングスのみのインストルメンタルの短い曲です。
イーグルスのアルバム「ホテル・カリフォルニア」のB面の最初の部分が、ストリングスのみの「Wested Time(replay)」から渋い「Victim of Love」に続いていくように、このインストロメンタル曲も、波打ち際の音から、船の汽笛の響きのような音、そして、ストリングスの美しい盛り上がりへと続き、途切れ目なく2曲めのハードなロックナンバーのドラムへとなだれ込んでいきます。
イメージとしては、工業の盛んな沿岸部の港湾都市の臨海部で、海を眺めている感じです。
②マイホームタウン
その沿岸部の工業都市に隣接する希望ヶ丘ニュータウンに生まれ、この街で育ち、大学まで出て、夢も希望もない退屈な仕事を続けている男の歌です。
「俺は、この街で生まれ、16年教科書を抱え、手にしたものは、ただの紙切れ」「同じような服を着て、同じような夢を見て、瞳の中、少しづつ死を運び込むような仕事を続けている」と続き、「今夜、誰もが、夢見ている、いつの日にか、この街から出ていくことを」というサビのフレーズが、何度も繰り返されます。
この歌詞から感じられる、この曲のテーマは、現代日本の異様に同調的な圧力の強い社会に生きていることへの絶望と激しい拒絶です。
前作7thアルバムの「土曜の夜と月曜の朝」には「生きることはいつしか、見知らぬ誰かと争い合うことに、すり替えられていく」という歌詞がありました。その歌詞の意味に繋がり、その延長線上に、この曲があります。
そして、〝死〟を連想させるシーン。
間奏部で挿入される「彼女は昼間、オフィスレディ、まるでエンジェル、でも土曜の夜は、着飾り踊るよ、ディスコ、真夜中一人、帰り道の暗がり、誰かがナイフ光らせ、彼女の背に、No,No,No,No,No!」という鮮烈な歌詞が、強く印象に残ります。
この曲が発表された1982年当時には、「ストーカー殺人」とか「通り魔殺人」なんて言葉も、まだありませんでした。
ギターのリフの効いたミディアムテンポの重厚なハードロックの曲です。
③パーキングメーターに気をつけろ!
この曲は、二曲目のマイホームタウンで、〝彼女〟の背中にナイフを突き刺した犯人の男が、主人公となる破滅的なストーリーです。
交際を申し込んで断られた相手の〝彼女〟が、街角を他の男性と腕を組み、歩いていたのを見ただけで、理不尽な嵐のように激しい嫉妬心に襲われ、夜中に〝彼女〟のあとをつけていき、後ろから〝彼女〟の背中にナイフを突き立て、殺してしまいます。
「汗まみれ、一日10時間、働き通しで、疲れ果てていた。」「昨夜、あの娘を食事に誘って、つれなく断られた。」「ジェラシー、嵐のようなジェラシー、あの娘が誰か他の奴と、街角を腕を組み、歩いていた、それだけさ。」
「どうか、あの子を助けて、俺のナイフが、あの娘の背に…。」「わからない、わからない、愛していた、それだけさ。」
心の中で突き上がってくる、理不尽だとわかっていても、抑制の効かない怒りと憎しみが、大好きな彼女の命を奪うのを、彼は止めることができません。
今の世の中では、あまりにもよくあるタイプの犯罪ですが、前述したように、当時は「ストーカー」という用語すらありませんでした。
アルバム中でも、もっともテンションの高いアップテンポの曲で、激しい疾走感のあるロック曲です。
「マイホームタウン〜パーキングメーターに気をつけろ!」の連作は、空虚で抑圧的な日常の中で壊れていく人間性という、極めて現代的なテーマを扱っているという点で、昭和から令和の時代への深いメッセージであるようにも感じられます。
④ロマンスブルー
曲調は一転して、柔らかいバラードの曲になります。この曲は、30代のためのラブソングを集めたセルフカバー・バラード集第二弾の「Wasted Tears(1989)」に、まったく別アレンジで収録されています。良し悪しの評価は、私としては、やはり、この最初のアレンジの方が、長く聴いてきたせいもあってか、聴きやすい気はします。
一人の女性との別れについて、男性の立場から歌った曲です。ただし、このアルバムに収録されているバラード曲に特徴的なのですが、たとえ別れの曲であっても、曲に込められた、何か〝祈り〟のようなものが感じられて、それが救いになっています。
「新しい恋は、生まれて消えていく。気付いた時は、いつも、一人きりだったね。君の無邪気だった笑顔は消えたけど、その眼差しは深く優しい。君を許すことができず、張り裂けそうな夜を過ごした。まるで炎で炎を消そうと、僕も何度か恋に落ちたけど、今も変わらず君だけを愛している。」
この曲のもう一つのテーマは、男女のそれぞれの心の〝成長〟です。
⑤恋に落ちたら
アルバム全曲中、もっとも明るいイメージを醸し出すミディアム・テンポの可愛らしいバラード曲です。
10代のためのラブソングを集めたセルフカバー・バラード集第三弾「EDGE OF THE KNIFE(1991)」に別アレンジで収録されています。ただし、こちらの最初のアレンジが、極めて完成度が高く、何より元気で活きがいいので、あまり別アレンジで聴きたい気が起こりません。
それに、A面後半のバラード3曲の流れが気持ちよすぎて、この曲順以外にあり得ないという気がしてしまうのです。
⑥愛しい人へ
アルバム全曲中、もっとも美しいイメージと〝祈り〟に満ちたバラードです。レコードでは、A面のラストを飾る締めの曲です。
20代の恋を描いた曲を集めたセルフカバー・バラード集第一弾「Sand Castle(1983)」に、別アレンジで収められ、アルバムのラストを飾っている大トリの曲です。
浜田省吾は「それまでの自分の作るバラードは、悲しい暗い曲ばかりだったけど、この曲ができたから、バラード集を作ろうと思った」と語ったそうです。
この曲の2種類のアレンジは、甲乙つけがたいと思います。どちらも、アルバムの重要な部分を占めていて、それぞれにふさわしいアレンジになっています。
「なくした愛も、壊れた夢のカケラも、すべてその腕に抱えて、僕についておいで。冷たい夜の暗闇の中、風の音にさえもおびえて、君は今日まで、この街ひとり、生きてきた。でも、もう泣かないで。僕がそばにいるから。」
⑦DJお願い!
深い祈りが込められたA面ラストのバラードからうって変わって、ラジオのチューニングの効果音に始まる、ドゥーワップ調のコーラスを交えた、明るい軽快なリズムのアカペラの曲です。
ここから、高校三年生の恋愛のワンシーンを描いた連作の始まりです。
「子供の頃、寂しさだけが、友達だったよ。」「でも、今夜は、あの娘と二人、海までドライブ。」「DJ、お願い!聴かせておくれ、イカしたロックンロール、ステキなリズム&ブルース。」
⑧バックシートラブ
前の曲で、主人公がDJにお願い(リクエスト)していたとおりのリズム&ブルース調の、賑やかなサックスをフィーチャーした、こちらも明るい元気な曲です。
7曲目から続く同じ二人の、彼氏彼女の恋愛の様子を、男の子の側から語っています。
「放課後、体育館の裏、早く着替えてくるんだぜ。」「クルマは兄貴の70年型、今夜二人きり、夜がふけるまで走るぜ。」「上にも下にも行けない、こんな街はもうじきすぐ、卒業したらサヨナラさ、ついてくるかい?」
⑨さよならスィート・ホーム
連作の3作目では、高校卒業後、結婚生活を始めた二人の破局が描かれています。ベース音が響くアップテンポのロック調の曲で、3連作の最後を飾る佳曲です。
激しいビートに乗せて、畳み掛けるように歌われる詞が、胸に迫ります。
「彼女はデパート、俺は街の工場で、働いて帰る夜道。日毎に、押し寄せる、わけのわからない苛立ちが、二人の夜を引き裂き始めた。若すぎたのか、愛を探し出す前に、孤独な心を見つけた二人。乾いた砂の城、音もなく崩れ落ちた。あの頃、二人、描いた一つ一つの夢が、今でも、胸を締め付ける。」
詞の内容とイメージが、スプリングスティーンの名曲「River」にかぶっているような気もします。でも、生活のリアルな実感が感じられる良い詞です。
⑩凱旋門
アルバム全曲中、もっとも深い祈りを感じさせるスローバラードです。アルバム全体の締めへと向かう最後の連作の始まりです。
ここからの二曲は、ここまでの九曲では、それほど目立っては使われなかったシンセサイザーを全編に渡ってオーケストラ風に使用した、深みと広がりのあるサウンドになっています。特に、この曲のシンセのアレンジは、アルバム全体のサウンドイメージを決定づけている気がします。
また、アルバムの英語表記「THE GATE OF THE PROMISED LAND」は、この曲のタイトル「凱旋門」に繋がっているようにも思います。
不思議なことに、この名曲は、四枚のセルフカバー・バラード集のいずれにも収められていません。また、これまで発売された、どのベストアルバムにもライブアルバムにも収録されていないのです。
「ともかく、ここで、このアルバムの中で、この曲を聴いて欲しい」というのが作者の思いなのかもしれません。
「もう少し、そばにいて。いくつもの夜を、独りきり、過ごしてきた。温もり、微笑み、頬にかかる熱い吐息。愛は、いつも悲しみだけを、君のもとに残してきたけど、もう泣かないで、僕は君だけのもの。」
この歌詞は、6曲目の「愛しい人へ」の「愛は、いつも、傷つくだけの、寂しがり屋のゲームだと、僕は、君を愛するまでは、そう信じていた愚か者さ、ひとりぼっちの」という詞の世界に重なる感じがします。
そして、「いつでも、ポケットに、君の写真、抱いて寝たよ」「戦い疲れた兵士が今、帰ってきたよ」という詞には、女性に対する聖母マリアのイメージが見られます。その点で、4曲目「ロマンスブルー」の詞の世界に通じるのではないでしょうか。
全体的には、岩崎宏美さんの「マドンナたちのララバイ」と対になる曲という気もします。
⑪僕と彼女と週末に
このアルバムが発表された1982年には、まさか、30年後の2010年代になって、この曲が、これほど有名になることなど、誰も予想していなかったのではないでしょうか。
この作品は、まず2010年のベストアルバム「THE BEST OF SHOGO HAMADA vol3 THE LAST WEEKEND」の一曲目としてリメイクされ、同時に発売されたDVD「僕と彼女と週末に」には1988年のライブ映像が収録されました。その後、ライブ・アルバム「ON THE ROAD 2011”The Last Weekend”(2012)」のCDとDVDに、2011年の3.11後のライブが収録されています。
演奏時間9分という長い曲で、途中で長い語りの部分が挿入されています。とても壮大なテーマを歌っている歌です。歌詞の意味が、かなり深いのです。
「この地球(ほし)がどこへゆこうとしているのか、もう誰にもわからない。力と力のシーソーゲームから降りることさえできない。人は一瞬の刹那に生きる。子どもは夢見ることを知らない。」「売れるものなら、どんなものでも売る。それを支える欲望。恐れを知らぬ自惚れた人は、宇宙の力を悪魔に変えた。」
そして、有名な語りの部分。
「遠く水平線や夜空を眺めて、僕らはいろんな話をした。彼女は、彼女の勤めている会社の嫌な上役のことや、先週読んだサリンジャーの短編小説のことを話し、僕は、今度買おうと思っている新車のことや、二人の将来のことを話した。そして、誰もいない静かな海を二人で泳いだ。」
サリンジャーの短編集「ナイン・ストーリーズ」の中に、代表作「バナナフィッシュにうってつけの日」があります。連作中編「フラニーとゾーイー」にも関わる、グラース家の長男シーモアの唐突に思える自殺が描かれています。語りにある短編小説は、おそらく、この小説のことを話しているのだろうなと思います。
語りは続きます。
「あくる日、僕は吐き気がして目が覚めた。彼女も気分が悪いと言い始めた。それで、僕らは朝食を取らず、浜辺を歩くことにした。そして、そこで、とても奇妙な情景に出会った。数え切れないほどの魚が、波打ち際に打ち上げられていた。」
歌詞や語りの中には、核戦争とか原発という言葉は出てきません。しかし、核戦争によって地球が滅びる様子を描いたネヴィル・シュートの小説「渚にて」を彷彿とさせるシーンです。
「いつか、子どもたちに、この時代を伝えたい。どんな風に人が夢を繋いできたか。」
浜田さんは、祈りを込めて、そう歌っています。今、私たちは、子どもたちに夢を繋いでいる、と言えるでしょうか。
このアルバムが発表されてから、もうすぐ40年になろうとしています。そして、いつのまにか、時代が、このアルバムに追いついてしまったのかもしれません。
私は、政治思想的には、おそらく、浜田省吾さんとは相容れないでしょう。彼の敬愛するブルース・スプリングスティーンだって、政治的にはリベラル過ぎて、今の私には違和感があります。
そういえば、このアルバムの1曲目と11曲目に繰り返されるストリングスの美しいメロディも、旧ソ連の国歌の調べです。浜田さん自身、後で知って驚いていたそうですから、自然と頭に浮かんだ(残っていた)メロディを曲にした時に、意図せずして、そうなってしまったのでしょう。
けれども、このアルバムを聴く上で、そういう政治信条や政治思想的な傾向は、どうでもいいのです。
私は、原発はないと困るだろうし、核武装も必要だろうとは思いますが、それでも、このアルバムには、自分なりに強い思い入れがあります。
人間の脳は、7歳から13〜15歳ぐらいまでに、思考や理解を深めていくエネルギーを生み出すエンジンの構築に時間を費やします。そして、その後、脳は、その莫大なエネルギーをもって、30歳ぐらいまでに、自分の生きている社会と対峙し、そこでどう生きていくか、受け入れるか、拒絶するか、拒絶するなら、どう新たな世界を構築していくか、という巨大な課題に向き合い、格闘し続けます。
まだ、脳が柔軟で活力に富み、心が柔らかく鋭敏な、その時期に、このアルバムと出会えたことは、私にとって、幸せなことだったと思うのです。
浜田さんが、このアルバムに込めたメッセージを受け取るのに、最も適した時期に、私はこのアルバムと出会えたのだ、と感じられるからです。
このアルバムのテーマ「世界とどう向き合うか?」を、身も心もまるごとで受け止めるのに費やした当時の時間は、今振り返っても、大切な時間であった、と私には思えるのです。