今年起こった二つの史上例のない不可解かつ凄惨かつ凶悪な無差別大量殺傷・殺害事件について、「なぜ、こんなことが起こったのか」と問いかける人は多いだろう。
動機などの真相の究明は、まだまだこれからである。しかし、すでに加害者が自殺していたり、容疑者の証言が妄想的で要領を得ない事件の場合、往々にして、捜査は事実認定だけに留まり、事件の背景や動機の解明については、うやむやにされたまま、釈然としない状態で、裁判が終わってしまうことが多い。結局、裁判においては、「なぜ、彼らが、こんなことをしでかしたのか」については謎のままで、動機は解明されないままとなる。
しかし、真相というものは、警察の捜査や裁判によってだけ、明らかにされうるものではない。この社会に生きる私たち一人一人が、自分の問題として、自分なりに考えてみるところから、見えてくるものもある。
そういう意味で、以下に、二つの事件について、私なりに考えたことを記す。


京都市伏見の京都アニメーション放火事件の青葉真司容疑者(41歳)と、神奈川県川崎市内の私立カリタス小学校の児童および保護者殺傷事件の加害者岩崎隆一(51歳)について、いくつか共通点を感じさせるものがある。
今年2019年に起こった、この二つの事件は、不特定多数の面識のない相手を狙った、一種の無差別殺人であるという点、そして、にも関わらず、攻撃の対象がはっきりしているという点でも、特徴が共通している。
5月28日に、神奈川県川崎市で、私立カリタス小学校のスクールバスを待っていた小学生の児童たちに、川崎隆一は、無言のまま近づき、いきなり刃物を持って襲った。喉を切り裂かれた小学6年生の女児1人と首や背中を刺された保護者の男性が死亡、さらに保護者の女性2人と16人の小学女児が負傷した。この事件では、加害者の岩崎隆一自身、犯行直後に、首を刺して自死している。
7月18日、青葉真司は、京都市伏見区にある、京都アニメーション第一スタジオの一階に侵入し、多数の職員が働いているオフィスの床にガソリンをぶちまけて放火した。35人の死者を出した、この事件では、容疑者の青葉真司自身、爆発的な火災による大火傷を負って、現在も入院中である。
二人の犯行の共通点は、上記したように、岩崎隆一の標的は「カリタス小学校の女児たち」で、青葉真司の標的は「京アニのスタジオとその関係者たち」というように、不特定多数を狙った無差別殺人ではあっても、彼らの目指した攻撃対象自体は、はっきりしているということだ。
岩崎にとって、私立カリタス小学校は、同居の従兄姉たちが通っていた授業料の高い裕福な家庭のための学校であり、自分は通わせてもらえなかった学校であった。その点で、恨みの対象となった可能性がある。
また、青葉の場合は、京都アニメーションに対する個人的怨恨を、単なる逆恨みか妄想であった可能性が高いとは言え、執念深く抱いていたことは、本人の言葉から明らかである。
そして、もう一つの共通点は、前もって刃物などを大量に買い込んだり、事前準備を進めたりと、かなり周到な計画的犯罪でありながら、犯行後の逃走手段など一切考えない、ある種の〝自爆テロ〟あるいは〝無理心中〟的な、自暴自棄の無差別殺戮行為であったという点だ。

このような尋常でなく残虐で破滅的な行為に至った背景として、彼ら2人の過去や生い立ちに関しても、いくつかの象徴的な共通点が見られる。
一つは、幼い頃に、両親が離婚していることだ。
岩崎隆一は、4〜5歳の幼稚園の時に両親が離婚し、母親にも父親にも捨てられ、父方の弟にあたる叔父夫婦のもとで育てられた。その後、父親も母親も、隆一に会いに来た形跡はない。
茨城県で幼少期を過ごした青葉真司もまた、栃木県にいた小学3年生の時に両親が離婚し、その後は、タクシー運転手の父親とともに埼玉県に移り、そこで真司の兄と妹と父子四人で暮らしていた。母親は、後に再婚したようだ。
つまり、二人の共通点は、まだ幼少の時期に、母親に捨てられたということである。そして、真司が22〜23歳の頃に、その父親も自殺している。父の死後、兄妹とも疎遠になったという。それ以後、真司は、ほぼ、天涯孤独だったということだ。
昭和の頃であれば、ヤクザかフーテンの寅さんにでもなりそうな設定だ。実際には、二人とも、小学校時代から、友だちが少なく、それほど目立つ子ではなかったようだ。

そして、もう一つの共通点は、幼少期から思春期にかけて、彼らを適切に見守る大人も、頼れる先輩や友人も、心の支えとなる家族や隣人や友人や恋人も、ほとんど存在しなかったということだ。経済的な庇護は、ある程度、あったのだろうが、精神的な庇護はなかったのだろう。
岩崎隆一は、叔父夫婦の家で暮らしてはいたが、叔父夫婦には少し年上の実子(長男と長女)が二人いて、二人とも私立のカリタス小学校に通っていたが、隆一本人だけは公立の小学校に通わされていた。実子二人は髪や服装もキチンとしていたが、隆一は丸刈りの坊主頭で継ぎ接ぎだらけの服を着ていた。そういう叔父夫婦の露骨な差別は、近所の人たちもよく知っていた。
そういうこともあってか、隆一は、特に中学生の時には、荒れて問題行動を起こしたりもしていたが、中学の教師が家庭訪問を行ったところ、叔母は「うちの子ではないので、あの子のことで問題だと言われても」と、言葉を濁したという。従兄姉たちは私立カリタスの制服を着て身綺麗にしていたが、隆一だけは、服もボロで制服も丈が短かった。高校には進学しなかったのではないだろうか。
青葉真司は、茨城県での幼稚園の頃は「天使のような子だった」という話もある。しかし、小学3年の両親の離婚後、母親と別れて、埼玉県での父親と兄妹との生活では、経済的に逼迫していたためか、小学校の卒業文集には、将来の夢は「お金持ちになること」と書いている。しかし、中学時代は、いじめにあって、ほとんど学校に来なかったらしく、当時のクラスメイトたちも、真司のことを、まったく覚えていない。中学の卒業アルバムのクラス集合写真にも、真司は写っていない。
高校は、父親が授業料を払えなかったためか、夜間の定時制高校に通いながら、昼間は埼玉県庁の非常勤職員として、実直にテキパキと働いていたらしい。当時、3年間、彼の上司だった女性は、「真面目で本当に良い青年だった」と証言している。しかし、19歳の時、経費削減のため、彼はリストラされた。
その後、コンビニなどで働いていたらしいが、おそらく夜間高校は卒業はしていないのではないだろうか。あるいは、卒業はできたのかもしれないが、その頃に、タクシー運転手だった父親が事故を起こして仕事をクビになり、数年後、その父親が同居していたアパートで首を吊って死んでしまい、ショックから心の支えや張りが消え失せてしまったのかも知れない。

隆一も真司も、二人とも、中学時代に、親しい友だちもなく、精神面に気を配ってくれる大人もいなかったということは確かなようだ。
彼らと同じように、幼い頃に両親に捨てられたジョン・レノンも、小学校時代にはずいぶん荒れて事件も起こしたが、中流階級の叔母夫婦は、彼を親身になって育てた。中学高校時代は実の母親との交流もあり、この時期に母親から音楽を習ったことが、ジョンのその後の人生を変えたとも言える。やがて、音楽を通して、ポールという親友もできた。何より、打ち込めることができたことが大きかった。
そんなジョン・レノンでも、ビートルズのリーダーとして、世界的な成功を収めながら、心には癒しがたい飢えがあった。彼が、幼い頃の心の傷を癒すまでには、とても長い時間がかかったことは、よく知られている。
ビートルズ時代の「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」「ヘルプ!」や、ソロになってからの「コールド・ターキー」「マザー」といった曲には、そんなジョン・レノンの心の揺らぎや苦悩が表現されている。
しかし、自分の心の揺らぎや苦悩を表現する才能や場や手段があり、聴いてくれる人がいるということは、とても幸せなことだ。それ自体が、心の支えとなりうる。
岩崎隆一と青葉真司には、ジョンが得られたような心の支えとなるものは、何一つなかった。

社会に出てからも、学歴もなく、孤独で、心の支えになる何ものも持たない彼らは、しっかりとした職歴を積むことができず、また、目をかけて親身になってくれる大人もいなかったのだろう。結局、二人とも、社会性ゼロの〝引きこもり〟になってしまった。
今回、大きな事件になって、テレビやネットのニュースでは、事件の報道の際に、彼らの顔写真を公表しているが、二人とも、小学中学時代のものしか、まともに写っている写真がないようだ。
岩崎隆一は、従兄弟たちが自立して、それぞれに家庭を持った後の叔父夫婦の家に、パラサイト・シングルとして、長く同居を続けていたのだが、この同居のあり方が異常だった。一つ屋根の下に暮らしながら、言葉を交わすことも、眼を合わすことも、姿を見かけることもなく、10年以上も、一切接点を持たない生活を続けていたのだという。
隆一が自刃した後、身元確認のために呼ばれた叔父夫婦は、隆一の顔を知らず、本人だと確認することができなかったのだ。同居していた叔父夫婦は、「長い間、顔を見ていないから、本人かどうかわからない」と言った。
いくらなんでも、同じ家に同居していながら、「何十年も顔を見ていないから、本人かどうかわからない」ということがあり得るだろうか。誰もが経験することだが、たとえ、何十年会っていなくても、高校時代の親しかったクラスメイトの顔は、ひと目でわかるものだ。ましてや、同じ家で、幼稚園時代から育てていて、顔がわからないということが、あり得るわけがない。
考えられることは、たとえ、一つ屋根の下に暮らしていても、よほど、隆一に対して関心がなかったのだろう、ということだ。ほとんど、顔をまっすぐ見たこともなかったのかもしれない。これでは、まるで〝透明人間〟のようだ。
青葉真司の場合は、職も住居も転々としていたようだ。真司は、中学時代から、学校でも〝透明人間〟だったようだし、定時制高校でも、真面目に通ってはいたが、親しい友だちはできなかったのだろう。
青葉真司は、父親が死んで、アパートで一人暮らしをしていた20代の頃、一度、下着泥棒で捕まったことがあり、その時、滞納していた家賃は幼少期に別れた母親が払ったのだという。多少は、母親との交流もあったのかもしれない。
しかし、その後も、真司は職業や住居を転々とした。母親、兄妹とも、ますます疎遠になり、親しい友人も親戚もいなかったようだ。
2012年、34歳の時には、茨城県内のコンビニに包丁を持って押し入り、現金を奪って逃げた。しかし、その日の夜には自首し、「逃げられないと思った」と言っている。
強盗犯として3年半服役した後、刑務所を出た際に、帰れる場所がなかったので、真司は、さいたま市の保護観察施設に入寮し、そこでしばらく生活していた。その寮を出たのが、2016年7月だ。
その後も、さいたま市内のアパートで、精神疾患を理由に生活保護を受けながら一人暮らしをしていたが、深夜に酷い騒音を響かせ、警察を呼ばれたり、逆に、上の階の物音を隣人の出す音と勘違いして壁をドンドン叩いたりし、しまいには誤解を解こうと部屋を訪ねた隣室の住人ともみ合いになったりしている。その際、真司は「殺すぞ、こっちも余裕ねえんだ」「俺には、失うものがねえんだ」などと凄んで、隣人の胸ぐらと髪をつかんだという。
いつ頃からか、天使のようだった幼稚園児は、生真面目で孤独な少年となり、やがて、短気で何をしでかすかわからないような凶暴な面を持つ大人へと変貌していった。

これほどの事件を起こした2人だが、きっかけはおそらく単純なことだ。隆一も真司も、社会生活を営める精神の状態ではなかったが、生活資金や住居といった生活の基盤を、失いそうになっていた。
隆一は、「自分たちが死んだら、将来は、どうするんだ」「いつまでも引きこもりではいられないでしょう」「自立してはどうか」と、年老いた80代の叔父夫婦に、二通の手紙で現実を突きつけられていた。甥の生活の面倒をみている老いた叔父夫婦にしてみれば当然の意見ではある。しかし、51歳の隆一には、引きこもりから脱する方向性が、まったく見えなかった。
手紙の一通は、ビリビリに破かれていて、隆一の返事は「引きこもりとはなんだ」「食事、洗濯、自分のことはちゃんとやっている」というものだった。しかし、毎月の生活費は、叔父夫婦が、テーブルの上に置いておく小遣いだったし、食事も、冷蔵庫のものを勝手に調理していた。家賃や電気代も払ってはいなかった。
真司の方は、刑務所からの出所後、無料で住み、無料で食べられる保護観察寮で、一定期間保護を受け、国に依存して生活していた。しかし、そこを出されてから、精神疾患ということで生活保護を受けながら、アパート生活を送っていたものの、その生活は順調にはいかなかった。精神状態は不安定で、隣人ともうまくいかず、度々騒ぎを起こしていた。
2人とも、自らの生活力のなさと性格的な適応力になさが原因で、生活の破綻は、もう時間の問題だった。自分の人生がどん詰まりであることを、日々、思い知らされつつ、生活の基盤すら脅かされ、追い詰められた彼らは、自分自身に対して、この社会で生きていく何の価値も見出せず、「もう、何もかも、おしまいだ!」と思ったのだろう。

普通なら、将来を悲観し、自分自身に絶望して自殺、あるいは、やがて、生活費が尽きて孤独死、で済んだ話かもしれない。
けれども、岩崎隆一も、青葉真司も、幼い頃から、家庭で、あるいは学校で、〝透明人間〟として、まるで存在しないものであるかのように扱われてきた。精神的には、幼い頃から傷つけられ、知らず知らずのうちに追い詰められていた。
加えて、実生活でも、自己崩壊の予感しか感じられず、切羽詰まってしまったために、彼らの内面からは、積もり積もった怒りが、想像を絶する圧力で、一気に突き上げてきた。タガの外れた、その怒りが、とてつもなく巨大な自暴自棄の破滅的エネルギーを生んだのかもしれない。
彼らは、自分自身の呪わしい人生を終わらせるにあたって、ひっそりと無意味な人生を終わらせる代わりに、運命に対する残虐な復讐を遂げることにしたのだ。

隆一も真司も、「お前は、取るに足りない存在だ」と、小さい頃から、嫌という程、思い知らされてきていた。
小学、中学校の頃から、彼らは、心の深いところで、繰り返し、繰り返し、叫び続けていたかもしれない。「俺は、透明人間じゃない!」「俺は、ここにいる!」と。
それでも、誰も彼らの声に出さない叫びに、耳を傾ける者はいなかった。彼らの痛みに気づく者も、いなかった。たとえ気づいた者がいたとしても、「所詮は他人事」と無視されてきた。
誰も彼らを愛さなかった。必要としなかった。彼らの痛みと苦悩を、気にかける者はいなかった。
だから、彼らも、誰も愛さなかった。そして、全世界に向かって、吠え続けてきた。「俺も、お前らが、どう思おうが、どうでもいい!」「お前ら、みんな、死ね!」と。
毎日、毎日、心の中で叫び続けて、次第に、心は闇に沈んでいった。「俺を、紙くずのように、ゴミのように扱いやがって、絶対に、絶対に許さない!」「必ず、思い知らせてやる!」「みんな、破滅させてやる!」「お前ら、皆殺しだ!」「俺は、やるといったら、必ず、やる!」
そして、ついに、自暴自棄の破滅的な感情に、心のすべてが支配される瞬間がやってきた。彼らは、考えられる限り、最凶の犯罪を実行することに決めた。
ちょうど、村上龍の小説「コインロッカー・ベイビーズ」の主人公たちのように、世界を破滅に追い込む決意を固めたのだ。
「俺には、世界を滅ぼす権利がある」と彼らは感じていた。
それは、根拠のない理不尽で無法な感情であったが、彼らにとっては、切実で根源的な感情だった。
その感情を否定しようとする理性を、彼らは、卑怯な方法で封じ込めた。これから行う凶行の対象に向けて責任転嫁したのだ。
「俺は悪くない!」「ぜんぶ、あいつらが悪いんだ。」

隆一にとっては、破滅すべき世界の象徴は、決して、自分が通うことが許されなかった私立カリタス小学校と、そこに通う恵まれた少女たちだった。実際、従姉の娘も、今、カリタスに通っている。時々、叔父夫婦の家に顔を見せに訪れる従姉と娘の少女は、とても幸せそうな親子に見えた。
隆一は、嵐のような憎しみと嫉妬心に駆られて、その幸せな世界をめちゃくちゃにしたかった。そして、「お前ら、ムカつくんだよ!」「俺が破滅する前に、お前らこそ、この世界から消えてなくなれ!」と、カリタス小学校に関わる幸福な世界のすべてを、この世から消し去る決意をしたのだ。隆一は、長い時間をかけて入念に準備し、その日、計画を決行した。
5月28日、火曜日の朝、岩崎隆一は、スクールバスに乗り込もうとしていた子どもたちに、ナイフを持って無言で襲いかかり、手当たり次第、少女たちにナイフを突き刺した。厄介な保護者の父親を最初に血祭りに上げると、子どもを庇おうとする母親たちを切り裂いた。そして、学友や下級生を庇って前に出た少女の喉を一瞬の躊躇もなく切り裂き、滅多刺しにした。世界は、血に染まった。

真司にとっては、憎むべき対象は、明るく希望に満ちたアニメワールドを創り出し、世界に向けて発信している京都アニメーションだった。京アニの世界は、真司にとって、自分が決して与えられることのなかった世界、幼少期に自分から暴力的に奪われた世界だった。
「俺のものになるはずだった世界を、ぜんぶ奪いやがって、丸ごとパクリやがって、絶対許さねえ!」と、真司は、強烈な嫉妬の炎に焼かれ、京アニに破滅をもたらすために突き進んだ。彼の頭の中では、日々、妄想が展開されていた。いつしか、彼の恨みの念は「京アニが、俺の小説をパクリやがった」という妄想に結実していた。彼は、京都アニメーションのスタジオを焼き尽くす決意を固めた。真司は、入念に準備し、その日、計画を決行した。
7月18日午前10時半、青葉真司は、多くの才能ある若いアニメーターたちが、作品づくりに没頭していた京都アニメーション第一スタジオに駆け込むと、「死ね!」と叫び、3階まで吹き抜けの螺旋階段の近くの床にガソリンをぶちまけ、ライターで火をつけた。その瞬間、爆発的な炎が部屋の内部で炸裂した。炎は螺旋階段を駆け上り、わずか数分で、3階建ての建物の内部は、全てを焼き尽くす炎に包まれて、阿鼻叫喚の地獄と化した。火のまわりが速すぎて、屋上に脱出できた人さえ、一人もいなかった。スタッフの中で、無傷で脱出できた人は、ごく少数だった。

岩崎隆一は、凶行に及んだ直後、自らの刃を喉に突き刺して死んだ。青葉真司は、全身に火傷を負って重篤な状態だが、おそらく命はとりとめるだろう。とは言え、これだけ周到に準備をして大量無差別殺人計画を練り上げて決行した以上、精神疾患とかは、問題にはならない。必ず死刑になるはずだ。
けれども、加害者二人が死んだからといって、失われた罪のない多くの人々の命は戻らない。残された人たちの哀しみも、悪夢の記憶も、決して消えることはない。

問題は、それだけじゃない。
今、日本に、どれくらい、岩崎隆一や青葉真司のような深い闇を抱えている者たちがいるだろうか。
この「人間が人間を簡単に見捨てる社会」「他人のことなどどうでもいい社会」「人が喜ぶことを願って、一生懸命頑張る人を、大切にできない社会」には、きっと、二人のような闇を抱えた者たちが、たくさんいるだろう。
彼らが、次の隆一や真司に、なることがないように、せめて、彼らの心が、完全に闇に呑まれることのないように、誰かが彼らの心を照らしているだろうか。
「俺は、いったい、何のために生まれてきたんだ?」「いったい、この世界のどこに、俺が必要だというんだ?」という呟きに、誰かが耳を澄ませているだろうか。



【注意】
以上の文章は、多くの推測を交えたものであり、必ずしも事件の真実の解明に寄与する見解ではないかもしれない。
それに、同じような環境に置かれ、同じような経験をした者が、皆、彼らのような犯行に走るわけではないし、必ず人格が破綻するとは限らない。
また、周囲にいた大人たちは、特別に悪人だったわけでも、とりわけ冷酷だったわけでもないだろう。ただ、彼らの存在に責任を感じる大人がいなかっただけのことだ。
責任を感じていたとしても、「最低限の経済的援助さえすればいい」ぐらいの気持ちだったのではないか。「それ以上に、何ができる?」という思いもあるだろう。
そして、周囲の大人たちも、子どもたちも、一様に、「人の〝心〟が何によってダメージを受けるか」「人の心が何によって支えられるか」について関心が薄く、心の動きが鈍かっただけのことだ。みんな「お金さえあれば、なんとかなる」と思っているのだ。だから、逆に「お金がなくなったら、誰でも犯罪者になりうる世の中」なのかもしれない。
特に、周囲の大人たちについては、『自分の境遇とはかけ離れた状況にいる人の気持ちを理解する想像力に欠けていた』のは間違いないだろう。しかし、それも、現代の令和の日本社会においては、別に珍しいことではない。
また、世界においては、もっとずっと前から、日本の比ではなく、事態ははるかに深刻である。
夢を持つ能力に欠け、祈ることのできない大人たちが、世界中で増え続けているようだ。


Mother, you had me but I never had you.
I wanted you, you didn’t want me.
So I, I just got to tell you.
Goodbye, goodbye.

Father, you left me but I never left you.
I needed you, you didn’t need me.
So I, I just got to tell you.
Goodbye, goodbye.

Children, don’t do what I have done.
I couldn’t walk and I tried to run.
So I, I just got to tell you.
Goodbye, goodbye.

Mama, don’t go.
Daddy, come home.

(John Lennon/Mother/1970)


おまえが大きくなった時、
あの青い空に、白い紙飛行機が、夢を運ぶだろうか。
おまえが大きくなった時、
あの枯れた大地に、咲いた名もない花が、命を語るだろうか。
ごらんあの街を、あかりがゆれている。
おまえのあたたかい、この手を握りしめれば、
ああ、聞こえる、ふるさとの唄。

おまえが大きくなった時、
このビルの谷間に、やさしい唄が、流れているだろうか。
おまえが大きくなった時、
この灰色の窓辺に、沈む夕陽が、やすらぎをくれるだろうか。
ごらんあの街を、あかりがゆれている。
おまえのあたたかい、この手を握りしめれば、
ああ、聞こえる、ふるさとの唄。

おまえが大きくなった時、
この小さな胸に、確かな喜びが、育っていくだろうか。
おまえが大きくなった時、
この手のひらに、愛する心が、通い合うだろうか。

(かぐや姫/南こうせつ/1978)