憶測ではあるが、金正恩は亡くなったのではないかと思われる。

権力の空白を生まないように、その事実は秘匿されているのかもしれない。

 

そして、代わりに、金正恩の側近中の側近である妹金与正への権力集中が、密かに始まっている。

それに伴い、金与正の権力に、強引に最高指導者の権威を付与する作業が、北朝鮮国内で急ピッチで進んでいるようだ。

 

北朝鮮がもっとも恐れているのは、韓国に吸収されるかたちでの南北朝鮮統一であろう。

それを阻止する者こそが、軍も官も民も、誰もが認める、北朝鮮の権力の正統な継承者たりうるのだ。

また、その後継者は、金日成の直系の血筋(白頭山血統)でなければならない。

 

それゆえ、金王朝の権威を護持することは、北朝鮮の体制維持の要である。

そのため、かなり唐突ではあるが、金与正が、韓国への対決姿勢を鮮明に打ち出し、金正恩の後継者として、外交の前面に出てきたのだろう。

 

とは言え、金与正は、まだ32歳の若い女性である。

そして、中国大陸や朝鮮半島では、因習的な男尊女卑の意識が、日本では考えられないほど根深い。

 

特に、北朝鮮では、今もって、黙って男の言うことをきく従順で忍耐強い女性が良い女性とされる。

だから、北朝鮮では、伝統的に、「女性は指導者には向かない」と考えられているようだ。

 

そうした背景から、金与正が確固たる権力を握るためには、時として、これまでの男性指導者たちよりも、よりいっそう苛烈な行動が求められることもあるだろう。

それが、今回の韓国への激しい対応に繋がっていると考えられる。

 

はたして金与正は、女帝として立つことができるだろうか。

それはわからない。

 

しかしながら、ほかに帝王として立ちうる人材が、北朝鮮では見当たらないというのも事実であるようだ。

 

人間の身体がもつ、細菌やウイルスに対する免疫には二種類あります。

一つは、その細菌やウイルスに対する抗体を獲得することによって生じる免疫効果で、「獲得免疫」と呼ばれます。一度、そのウイルスに感染した人は、身体に抗体を持つようになりますが、こうして後天的に得られる免疫が獲得免疫です。最近よく話にのぼる「集団免疫」についても、この獲得免疫の効果を基にして、免疫の成立を考えています。また、ワクチン摂取の目的も、あらかじめ、ウイルスの抗体を獲得させることによって、感染予防効果を得ることにあります。

もう一つは、人体が、もともと持っている細菌やウイルスに抗する自然治癒力のことで、「自然免疫」と呼ばれます。自然免疫は、後天的な獲得免疫と異なり、人体がもともと有している先天性の免疫機能です。

しかし、この自然免疫の強さには、年齢や性別や体質による個人差があり、身体・精神コンデションによっても変わります。さらに、自然免疫は、何世代にもわたって、時には、100年単位、1000年単位で培われてきた機能であって、当然、地域差や人種差があります。

また、体内に侵入してくる細菌やウイルスの種類の違いによっても、自然免疫の効力は大きく異なります。つまり、「ある地域の人々にとって致命的なウイルスや細菌が、別の地域の別の民族にとっても致命的であるとは限らない」ということです。

 

そして、今回のコロナ禍においては、まったく新しいウイルスに対して、当初、世界中の誰も抗体を持っていないわけですから、欧米での死者数があまりにも多く、その他の地域、特にアジアで犠牲者が極端に少ないのは、前者の獲得免疫の差ではなく、後者の「先天性の自然免疫によるウイルスへの耐性の地域差」によるところが大きいと考えられます。

これは、欧米の人々が、その他の地域より、身体全体の自然免疫機構そのものが劣っているということなのか、特に新型コロナウイルスに対して免疫機能が弱かっただけなのか、そこのところはよくわかりません。

ただ、中国発の菌やウイルスに対して、中国人及び周辺諸国のアジア人の耐性・抗力が強く、逆に、遠隔地である欧州・アフリカ出身の白人や黒人が弱いというのは、ペスト菌の場合にもみられることであり、理解しやすいことです。

その反面、欧州、あるいは米カンサス州が発生源とされるスペイン風邪(インフルエンザ)の場合には、欧米よりも、むしろ、日本を含めてアジアでの死者数が非常に高かったと言われています。

 

具体的にみていきましょう。

14世紀に欧州で猛威をふるったペスト(黒死病)は、中国に起源を持つと言われますが、ジェノバの商人によって、西アジアからイタリアにもたらされ、1348〜52年にかけて欧州全域に広がり、死者数は推計2500万人、当時の欧州総人口の1/4が亡くなりました。欧州人の自然免疫が、中国発のペスト菌に対して弱かったのです。

1918〜20年に、全世界で猛威をふるったスペイン風邪(A型インフルエンザ)の大流行では、当時の世界人口(18億人)の1/4以上にあたる5億人が感染し、全世界で推定2000万人以上の死者を出したとされます。感染致死率4%以上というところでしょうか。しかし、アジア諸国の死者数は1900万人以上、欧米は300万人以下と、地域差が非常に大きかったと考えられています。アジア人の自然免疫は、欧米発のインフルエンザウイルスに対して弱かったのでしょう。

また、ネイティブアメリカンやハワイ先住民が、白人のもたらした疫病によって、壊滅的な人口減少に見舞われ、種族としての繁栄を終えたことは有名です。例えば、南米のインカ帝国は、スペイン人の持ち込んだ天然痘ウイルスによって、人口の6〜9割が感染死し、弱体化したところをピサロの侵略で滅亡しました。ピサロはウイルスを生物兵器として使用したのです。

先住民には、未知のウイルスに対して「獲得免疫」がなかったことはもちろんですが、未知のウイルスに対する「自然免疫」も極端に低かったものと考えられます。自然免疫は、民族や地域集団が多くのウイルスや細菌との遭遇を重ねることで、歴史的に形成される面があるからです。

 

加えて、自然免疫の強さは、食生活に関わりが深いと考えられています。自然免疫を高める食事と低下させる食事があるということです。納豆や味噌やヨーグルトなどの発酵食品は、自然免疫を高めるという有力な説があります。

さらに、日々の生活習慣、体調管理も重要な要素です。過労が蓄積されていたり、精神的な疾患を抱えていたり、糖尿病や高血圧など慢性病の持病のあったり、がんの放射線治療を行なっている場合などには、身体の自然免疫機能が極度に弱っていることがあると言われます。ストレスによっても、免疫細胞の機能が低下して、風邪をひきやすくなったり、ウイルス感染への抵抗力(自然免疫)が弱まることも知られています。運動不足によっても、自然免疫は弱くなります。運動不足から血流やリンパ流が滞ると、免疫細胞が体内をくまなく移動することが妨げられて、免疫力が弱まり、感染しやすくなるのです。

また、過度のワクチン摂取は、身体が抗体を獲得することで、「獲得免疫」を得る一方で、代わりに「自然免疫」を弱体化させる可能性があるとも考えられています。皮肉なことですが、感染を恐れるあまりに、さまざまなワクチンを次々と大量に摂取することで、本来、身体が持っているはずの自然治癒の力が低下し、かえって免疫機能が低下する可能性があるということです。

 

例えば、毎年、インフルエンザ・ウイルスのワクチンを欠かさず予防接種している人に限って、自然免疫によるウイルスへの耐性が弱まっていて、抗体ができたものとは別種のインフルエンザに罹患しやすく、重症化しやすいということもあり得るのです。特に、「生ワクチン」については、そうした危険性が高いと考えられています。

ですから、新型コロナウイルスのワクチンができたとしても、それを予防接種することが、本当に免疫強化に良いのかどうか、判断するのは難しく、なかなか悩ましいところです。

加えて、何らかの理由から自然免疫が低下している人は、ワクチンの摂取によって、激しい副作用が起こる可能性もあるでしょう。無批判に「ワクチン万能」と考えるのは、WHOと製薬会社の罠にはまっているというか、人間の現在の科学技術への盲信の害というか、やはり、問題があると思うのです。

欧米の場合、日本以上に予防医学が発達しているために、このワクチンの使いすぎによって、自然免疫機構を弱体化させていたことが、もしかすると新型ウイルスのパンデミックによる犠牲者を増やした原因の一つかもしれません。

もちろん、致死率の高い感染症に関しては、ワクチン予防が必要な場合もあります。あちら立てれば、こちら立たず、というよりも、自然界の事象は、すべからくバランスの上に成り立っているということを、よく知っておくことが大切ということなのです。

 

「集団免疫」の成立についても、人口のどのくらいの割合が獲得免疫を得ることで成り立つのか、それを考える上で、その集団を構成する個々人のもともとの自然免疫の強さによって、獲得免疫を得た人の割合が20%程度でも集団免疫が成立する場合もあるでしょうし、60%の人々の抗体獲得が必要な場合もあるかもしれません。

つまり、その集団が持っている自然免疫の強さによって、集団免疫の成立に至るまでの感染者数の割合(バランス)は大きく変わるということです。地域や人種や国によって、また、ウイルス発生地域からの距離によって、もともと持っている自然免疫の質や強さが大きく異なるためです。

その点では、「殊、新型コロナウイルスに関しては、欧米に比して、感染死者数が、1/15〜1/85にとどまっていることから考えても、日本の場合、個々人の自然免疫が強いために、集団免疫の成立は、欧米諸国よりはるかに容易であろう」と思われるのです。

自然免疫の強さは、時には、民族の存亡にも関わります。そして、一般に、他集団との接触が少ない隔絶した集団・民族は、自然免疫が弱い傾向があるようです。ネイティブアメリカンが、白人のもたらしたウイルスによって壊滅的な打撃を受けたのも、ハワイアンが白人のもたらしたウイルスで人口激減したのも、主原因は隔絶した環境による自然免疫の弱体化によるものと考えられます。

 

今回の新型コロナ事態における各国の死者数や発症数を考えると、欧米以外の地域、特に中国とその周辺国においては、かなり強力に自然免疫が働いていると考えるのが自然です。そして、「自然免疫さえ、しっかり働いているなら、新型コロナウイルスの感染を、過度に心配しすぎる必要はない」ようです。ですから、日本を含む中国周辺地域では、自粛警察やマスク警察など、まったく不要と感じられます。

加えて言えば、アフター・コロナの日本社会が、従来以上に、スキンシップや身体的接触の少ない、過度に自粛傾向の大きい、現状よりもっとストレスの大きい、閉塞感の強い社会になることで、個々人の自然免疫が衰えていくとしたら、むしろ、ウイルス感染の見えないリスクを増大させることになります。そのせいで、結果として、重症化する人の割合が大きくなり、死者数が増大する可能性だってあるのです。

3密の防止についても、過度に神経質になるのは害となる可能性があります。何事もバランスが大切です。過度のストレスにさらされる生きにくい社会は、人の自然免疫(自然治癒力)を低下させ、ウイルス感染のリスクを大きくする恐れがあります。

 

一説によると、新型コロナの感染致死率は、0.5%程度と考えられています。これは、1957〜58年に大流行したアジアインフルエンザの致死率と同じレベルです。無症状の感染者の人数をどう考えるか、にもよりますが、少なくとも、5%とか、そんなスペイン風邪並みの高い致死率ではないようです。この感染致死率0.5%というデータは、抗体検査の結果を踏まえた感染者数の推測から割り出されたもので、日本やニューヨークなどで数値が一致しています。

ちなみにアジアインフルエンザの時には、日本では二年間で300万人が感染し、5700人が亡くなりました。これは、現在のインフルエンザの二年間での累計死者数とほぼ同じです。しかし、当時、世界的には100万人以上が亡くなりました。日本の死者数は人口割合からすると明らかに低いのです。中国発のインフルエンザウイルスには、日本人の自然免疫が強く働いたものと考えられます。

上記したように、人類は、これまでにも、ペストやスペイン風邪など、新型コロナ以上に致死率が高く感染率も高い危険な疫病に、歴史上、何度も遭遇してきました。そして、それらの疫病に対する集団免疫を成立させながら、大規模感染(パンデミック)を克服するという過程を繰り返してきました。

不謹慎であることを承知で、敢えて言わせていただければ、「コロナごときで、生活様式を根本的に変えざるを得なくなるとしたら、現生人類は、ご先祖様に顔向けできない」のではないでしょうか。

孔子は「食糧と信頼と、この二つのうち、どちらかを捨てねばならないとしたら、世の中が成り立つために、どちらを残すべきか」という弟子子貢の政を問う質問に対して、「信頼を残す」と答えました。「人は、誰しも、いずれ必ず死ぬが、人の社会は、信頼なしには成り立たないからだ」と。

 

このように、古来、「この世には命より大切なものもあるのだ」と、賢者たちによって繰り返し説かれてきました。ですから、今回も、私たちは「時に、命以上に大切なものがあることを見失ってはいけない」と、自ら言い聞かせねばならないと思われるのです。

「ニューノーマル」と称されるコロナ後の「新しい日常」において、公共の場でのマスクの着用が義務化されたり、人と人が直接会うことが忌避されて、3密の回避やソーシャルディスタンスの維持が、いつまでも要求されるようであってはいけないのです。

また、ただでさえ、人間関係が希薄になりがちで、人と人の濃密な触れ合いが欠如していることが心配されている現代日本社会で、「ソーシャルディスタンス」や「3密」という言葉が、人と距離を置いたり、人を避けるための口実に使われるようでは困ります。

日本では、そもそもコロナの感染率自体が低く、抗体検査の結果から推測しても、現時点で感染者の割合は、総人口の0.1〜0.2%程度と考えられています。東京でも0.1%程度ですから、ニューヨーク州(12.3%)やロンドン(17%)などとは、桁が違います。中国発のコロナウイルスに対する個々人の強い自然免疫機能が、感染を極めて初期の段階で防いでいるものと思われます。

ですから、このような新型コロナに対する強い自然免疫機構をもって免疫力を維持している限り、日本人は、欧米に比べて、それほど感染を恐れる必要はないのです。

 

そう考えると、「自粛によって過度に経済を止めてしまうのは、日本においては、あまり良策ではない」ということが理解できると思います。

何よりも、倒産が激増し、失業者が倍増し、経済が死んでしまえば、時間の問題で、いずれは自殺者や餓死者など死者数も増えていくことになります。実際、景気の悪化に伴って、自殺者数は1万人程度増加する傾向があります。経済問題もまた、命の問題となるのです。

新型コロナの死者数は、日本国内で累計で1000人に満たない一方で、自殺者は毎年2万人にのぼります。ところが、この国のメディアは、毎日コロナの犠牲者数をカウントしてコロナの脅威を宣伝する一方で、自殺者数をカウントしたり、その増加に警鐘を鳴らし続けたりはしません。

この社会において、「人を比較的致死率の低いウイルスに感染させるのは巨悪であるが、人を自殺に追い込むのは、さほど問題ではない」と考えられているとすれば、ずいぶんとおかしな話です。ウイルス感染で死がもたらされるのも、人を自殺に追い込むのも、見えない世界の話という点ではさほど違いはないと思うのですが。

それとも、「自分は経済的に脅かされていないので、自分以外の人の経済的窮地は、どうでもよい」というのでしょうか。それは、「自分以外の命はどうでもよい」というのと同義です。そんな殺伐とした社会へと向かうのが、「ニューノーマル」だというのでは、人類は滅びの道へ向かって一直線です。

私たちは、死を恐れるよりも、豊かな生を失うことをこそ恐れねばなりません。

 

「身を捨ててこそ、浮かぶ背もあれ」と、言うではありませんか。

 

 

〈参考資料〉

➡︎6月11日現在、新型コロナ感染による国別累計感染〝死者〟数は、

1位アメリカ(113,774人【3.47人】←1万人あたり死者数⑨)

2位イギリス(41,364人【6.23人】②)

3位ブラジル(40,919人【1.95人】⑬)

4位イタリア(34,167人【5.65人】④)

5位フランス(29,349人【4.53人】⑥)

6位スペイン(27,136人【5.84人】③)

7位メキシコ(15,357人【1.22人】⑱)

8位ベルギー(9,636人【8.45人】①)

9位ドイツ(8,772人【1.06人】⑮)

10位イラン(8,584人【1.05人】⑲)

11位インド(8,102人【0.060人】★)

12位カナダ(8,071人【2.15人】⑫)

13位ロシア(6,522人【0.45人】)

14位ペルー(6,088人【1.90人】⑭)

15位オランダ(6,063人【3.53人】⑦)

16位スウェーデン(4,814人【4.71人】⑤)

17位トルコ(4,713人【0.57人】)

18位中国(4638人【0.033人】★)

19位エクアドル(3,720人【2.18人】⑪)

20位チリ(2,648人【1.41人】⑰)

21位パキスタン(2,356人【0.11人】)

22位インドネシア(2,000人【0.075人】★)

23位スイス(1,937人【2.28人】⑩)

24位アイルランド(1,703人【3.48人】⑧)

25位コロンビア(1,505人【0.30人】)

26位ポルトガル(1,504人【1.46人】⑯)

27位エジプト(1,377人【0.14人】)

28位ルーマニア(1,369人【0.70人】㉒)

29位南アフリカ(1,284人【0.22人】)

30位ポーランド(1,215人【0.32人】)

33位日本(935人【0.074人】★/国内922人)

38位オーストリア(674人【0.75人】㉑)

39位デンマーク(593人【1.03人】⑳)

※韓国(277人【0.054人】★)

※ルクセンブルク(110人【1.83人】⑮)

←ジョン・ホプキンス大学(6/12)参照

 

★は、中国とその周辺国の人口1万人あたりの死者数です。その少なさは、その他の国々とは桁が違うところに注目してください。100万人あたりで考えると、★印の国は、インド6人、中国3人、インドネシア7人、日本7人、韓国5人と、どこも死者数が一桁です。

一方で、歴史的に中国との交流が少なかった欧州、北米、南米では、100万人あたりの死者数が、ベルギー800人、イギリス600人、スペイン600人、イタリア550人、スウェーデン500人、フランス450人、オランダ350人、アメリカ350人、カナダ200人、ブラジル200人、ペルー200人、エクアドル200人、ポルトガル140人、メキシコ120人、ドイツ100人と、どこも3桁です。

単純に考えて、100倍の差です。この差が、自然免疫の差と考えられます。ですから、おそらく、政府の対策の差とか民度の差などではないのです。死者数の100倍差は、効果的なロックダウン(都市封鎖)のおかげでも、マスクのおかげでも、PCR検査数のおかげでもないということです。

そして、アジア諸国がウイルス封じ込めに成功した理由は、K防疫が優れているとか、日本の自粛が効果的であったというわけではなく、中国の徹底した強権的ロックダウンが功を奏したということでもありません。

単に、もともとアジア圏の人々の自然免疫が、中国発の新型コロナウイルスに対して強かったというだけのことです。

ちなみに、上記の100万人あたり死者数ですが、アジア圏と欧州との境にあたる国々では、例えばイランは100人、ルーマニアは70人、トルコは57人、ロシアは45人、ポーランドは30人、パキスタン11人です。やはり、中間的な数値ですね。

よく、「アメリカの白人と黒人の間で、コロナの死亡率に差がある」「その差は、白人と黒人の社会的格差と関係がある」などと言われていますが、その差はせいぜい2倍とか3倍というレベルの差であって、それほど大きな差ではありません。アメリカの人口当たりコロナ死亡率が、アジア圏と比べて、10倍、100倍の数値である、という歴然とした大差とは、比べものになりません。黒人と白人の貧富の格差による死亡率の差などより、はるかに大きな欧米と中国周辺諸国(中国・日本含む)の間の死亡率の差が見られるのです。

 

そう考えると、評論家がまことしやかに述べる「日本の死者数が少ない理由」は、どれも真実とは言い難い、というように思えてくるのではないでしょうか。「運よく」とか「幸いにも」被害が少なかったということでもないのです。「香港・台湾に比べれば多い」などと、脅威を煽るのも的外れです。香港人・台湾人の方が、さらに中国型ウイルスへの自然免疫が強いというだけのことです。

ともかく、現時点で言えることは、日本人にとって、新型コロナウイルスの脅威は、新型のインフルエンザウイルスに毛の生えた程度のもの(感染致死率0.5%程度/国内感染率0.1〜0.2%)であって、多くの日本人が怖がっているような高いレベルの脅威ではない、ということです。

ちなみに日本では、一般に、インフルエンザは、感染致死率が0.1%未満ですが、国内感染率が例年総人口の10%程度と非常に高く、そのため、例えば、2018年のインフルエンザの国内死者数は3,325人、2017年は2,569人でした。100万人あたり死者数は、例年10〜25人程度です。

また、1918年に大流行したスペイン風邪(インフルエンザ)では、一年間で国内で25万人の死者を出しました。国内感染率37%、感染致死率1.2%でした。当時の人口は5500万人ですので、100万人あたり死者数は4,500人です。翌1919年には感染率4.4%、感染致死率5.3%で、死者数12万人となりました。100万人あたり死者数は、2,200人です。

このように、重要なのは感染率と感染致死率の積であって、感染致死率だけ単独に取り上げて、しかも、発表されている感染者数を分母にして死者数を割ることで、異常に高い致死率を仕立て上げ、いたずらに危機を煽るのは、不適切な論の立て方であるのみならず、悪質な印象操作というよりほかありません。

むしろ、実際の脅威の程度を考える上で、もっともわかりやすいのは、累計死者数を基にした人口当たりの死者数です。例えば、インフルエンザと新型コロナの人口当たりの死者数、あるいは年間累計死者総数を比べると脅威の度合いがはっきりします。(←下記の参考資料2を参照願います。)

以上考察してきたように、新型コロナを「正しく怖がる」ということを心がけるなら、新型インフルエンザとさほど変わらない脅威として怖がるべきです。それ以上の飛躍したレベルのものとしてではなく。

繰り返します。メディアも、政府も、識者と呼ばれる人々も、「日本では、新型コロナは、インフルエンザレベルで警戒すべき」と呼びかけるのが、良心的で正当な姿勢というべきでしょう。

 

 

〈参考資料2〉

➡︎日本のインフルエンザ年間死者数の推移(厚生労働省の人口動態統計より)

2018年/3,325人

2017年/2,569人

2016年/1,463人

2015年/2,262人

2014年/1,130人

2013年/1,514人

2012年/1,275人

2011年/574人

2010年/161人

2009年/625人

 

年間の死者数で考えると、新型コロナよりも、例年のインフルエンザの方が、犠牲者はむしろ多いかもしれない、と考えられるのです。

 

 

 

5月27日の「文春オンライン」の記事の中で、トロント大学のフィリップ・リプシー准教授が「日本が『コロナ失敗国』のレッテルを貼られるのは不公平です」と、文春の取材に答えて述べています。

ところが、誰よりも日本を失敗国にしたいのは、日本のメディアと野党とリベラル市民なのです。実際、この取材でも、文春側は「日本政府は失敗した」という前提で話を進めています。

このメディア側の無作為の〝思い込み〟あるいは作為による〝印象操作〟は、非常に不可解です。

 

フィリップ・リプシー准教授は、このコロナ禍における日本をとりまく状況に関して、「印象と現実とのギャップは、異常なほど大きいと言わざるを得ない」と評価しています。

すでにpart1とpart2でも繰り返し述べたことですが、「日本は新型コロナ対策に失敗している」という世間に広まっている印象と「日本の新型コロナによる犠牲者が少ない」現実とのギャップが、あまりにも大きいのです。

さらに、当の日本人自身が、この状況を放置しているのが、外から見ると実に不可思議に見えるはずです。

 

本来なら、リプシー准教授の疑念表明と実態評価は、日本のメディアや知識人が、とっくの昔に指摘しているべきことです。データを見れば、当事者である日本人が、真っ先に違和感を抱いたはずなのです。その違和感を、「日本のコロナ対策の評価に関して、実態と印象があまりに乖離している」と、言葉にして表現するのは、当事者である日本人の表現者や知識人が為すべき仕事であり、義務だったはずです。

なぜ、こんな当たり前のことが、日本人にはできないのでしょうか。外国人の口を借りなければ言えないのでしょうか。情けなくはないですか?

 

また「なぜ、この異常なギャップが生じるのか?」について分析・考察するのも、当事者である日本人自身の責務です。「己を知る」って、大切ですよね。

私自身は、日本社会におけるメディアと教育の偏向の大きさが、この印象と現実との間の極端なギャップを生んでいる主な原因と考えています。非現実的なまでに過激な権力不信の思想に、多くの国民が毒されているため、「日本政府の対策は、不十分であり、間違っているに違いない」という強固な決めつけと思い込みが、メディア側、国民の側に、初めからあるのです。

この「自国政府を悪と考える意識の根深さ」は、第二次大戦の敗戦国としての宿命かもしれません。

 

では、同じ敗戦国だったドイツやイタリアでは、日本ほどの政府不信がなく、犠牲者が日本の15〜85倍も出ているのに、政府への支持率が日本より遥かに高いのはなぜなのでしょう。

その原因を考えてみると、私は、例えば、「EUでは、日本と比べて、政治が全体として、人権重視の建前を重視すること」、「ドイツの文化空間ではナチズムが、全否定されていること」が、一つの理由としてあると思います。

したがって、メルケル首相も、移民問題に関して、非常にリベラルでした。これも、「指導者はリベラルでなければならない」という強迫観念かもしれませんが。

 

もう一つは、「ドイツもイタリアも、現在、地政学的に軍事的脅威にさらされていない」ということが大きいと思います。ある意味、「脅威がないから、綺麗事が言える」ということです。

中国やロシアや北朝鮮の軍事的脅威にさらされている日本とは、とりまく状況がまったく違うのです。

EUもNATOもあるし、巨大軍事国家の周辺国でもないので、右派の危機意識が先鋭化する外的要因が存在しません。ですから、政治家は、なんの不安もなくリベラルの旗を掲げられるわけです。

 

ですから、外的要因の厳しさから考えると、日本は、現状より、はるかに右傾化していてもおかしくないはずなのです。それが普通です。ところが、そうはなっていない。

これは、左派メディアが、日本という国の解体と、グローバル平和主義を、同義で考えており、「日本の防衛」という意識それ自体を悪と考えていることから、すべての情報にバイアスがかかって報道されてしまう傾向があり、そして、それが、政府に対して異様に否定的な言論空間を生み出す内的要因となって、国民の意識を硬直させているのではないか、と思われるのです。

この国のメディアが、そして、教育が、国民に向かって、常に発しているメッセージは「何があっても、この国の政府を絶対に信用するな!」というものです。その刷り込みが、あまりにも根深い。

 

一方、日本のそうした特殊事情を知らない諸外国から見ると、日本人の反応は、当然、奇異なものと感じられます。これが、リプシー准教授の反応ですね。

ところが、当の日本人自身が、「日本が犠牲者が少なかったのは、国民意識の高さのお陰であって、政府は何もしていない」などと声高に言い続け、「油断するな!」と国民の不信感と恐怖心を煽り続けるので、ますます経済の正常化が遅れ、自らの首を締める結果となっています。

さらに、この日本の特殊事情や日本社会の自国政府不信の傾向をよく知っていて、それを故意に国益のために利用している国もあります。

それが中国と韓国です。

 

最悪なのは、日本のメディア関係者や、左派学識者が、欧米など他国メディアで「日本のコロナ対策は失敗している」と喧伝し、そのコメントが載った記事を、「海外では日本の失敗を批判している」などと紹介しつつ、そのつくられた外圧を利用して日本の失態を激しく攻撃する自作自演の八百長劇場パターンが、昭和の昔から常態化していることです。

これが、悪名高い日本の「サヨク・マッチポンプ」戦略です。慰安婦問題も、徴用工問題も、南京大虐殺問題とかも、皆、この同じパターンでつくりだされたのです。そして、日本のサヨクからこの方法を直接直伝された韓国や中国が、国家規模で、この戦略を採用するようになり、歴史捏造が過激化しました。

元を質せば、全部、日本のメディアと学識者と文化人と運動家が悪いのです。

 

一方で、日本のメディアや学識者は、自分たちの〝正義〟にとって都合の悪い問題には、徹底してダンマリを決め込み、「不都合な真実」が国民に広まるのを阻止しようと完全無視を貫きます。その極端さは、いっそ清々しいほどです。

例えば、アメリカ議会で1時間も演説し、トランプ大統領ともハグしあった世界一有名な〝元慰安婦のおばあさん〟が、「私は挺対協に30年間、利用されて、騙され続けてきた」「性奴隷なんていやらしい言い方はやめてくれと何度頼んでも聞き入れてくれなかった」「正式な聞き取りもせずに慰安婦証言集を出版している」「日韓の慰安婦問題合意成立を、私たち元慰安婦の意思抜きで、勝手に壊してきた」「水曜集会など、憎しみを募らせるのに役立つだけ」と激しく正義連(挺対協)を非難していますが、日本のメディアはほとんど完全無視です。

「正義連(挺対協)は悪である」という不都合な真実が世に広まることは、彼ら自身の〝正義〟を傷つけることになるからです。

 

想像してみて欲しいのです。

現在、アメリカでは、感染死者数が10万人を超え、失業者は4000万人、4人に1人が失業中です。そして、警官の問題をキッカケに各地で大規模な暴動が起こっています。それでも、トランプ大統領の支持率は41%あります。一方で、安倍内閣の支持率は38%です。

安倍内閣は、今の満身創痍のトランプ大統領よりも支持率が低いのです。おかしいとは思いませんか。

それから、今、アメリカでは、黒人差別への抗議デモが、香港では、天安門事件の追悼集会が中国政府に禁止されたものの、強行されています。

日本の多くのメディアは、この事態に対し、トランプ大統領を手厳しく非難しつつ、習近平主席を激しく批判することはありません。なぜでしょうか?

相変わらず、日本のマスコミ、野党、重箱の隅を突きすぎ。そんなに暇なのか?

 

かけマージャン問題、去年の財務省事務次官のセクハラの時とパターン一緒だ。

朝日の自社社員を犠牲にした自爆テロのマッチポンプにしか見えないんだけど。

ハイエナにだって、ハイエナなりの仁義がなけりゃ、

今の世の中、右も左も、真っ暗闇じゃござんせんか。

 

こんなふうに、

どんな手段を使ってでも、安倍政権への国民のヘイトを煽るのが、

メディアのやるべき仕事なのか?

これだから、内閣支持率が、理不尽に低くなる。

それでいいんだろうね。計算通り?

 

他国のメディアが団結と信頼を叫ぶ時、

日本のメディアは分裂と不信を掻き立てる。

こんなアホなこと、いつまでもやってたら、国が滅ぶぞ。

 

それから、

専門家会議の議事録がないのが、そんなに問題なのか?

正義連よりも、香港デモよりも、尖閣での海警の日本漁船追尾よりも?

 

ところで、

久しぶりに見た「朝生」、

三浦瑠璃以外、意味のわかることを話す人が誰もいないんでびっくりだ。

それ以外の人たちは、大声出して、盛んに口動かしているけど、

一向に言っていることが、さっぱり頭に入ってこない。

話す内容が、聴き手に迎合する建前ばかりで、あまりにつまらなすぎて。

何が言いたいのだ?

 

「コロナの死亡率が低いのは、日本の場合、たたまた運が良かっただけ」

「死亡率を欧米と比べるな、日本は東アジアでは劣等生」

「油断してると第二波がくるぞ」と、誰もが無意味にがなりたてる。

一方的な意見が続くので、聴いていて、イライラだけが、秒単位でつのる。

 

どんどんフラストレーションが溜まっていき、やがて、ようやく、

三浦瑠璃の

「実は欧米以外、みんな死亡率低い」

「集団免疫は、実は2割で成り立つかもしれないと言われている」の言。

建前のない本音の二言の方が、はるかに〝力とビジョン〟を感じる。

 

「自粛自粛とウイルスを必要以上に恐れるな!」

「客観性と論理性の欠落した稚拙な議論で、考えなしに恐怖を煽るな!」

「人心を引きこもらせて、経済を殺すな!」

「引きこもりを増やしたあげく、神経症で国が滅ぶぞ!」

という現実主義に徹した的確なメッセージを感じたなあ。

そういう意味では、スウェーデン方式、間違ってないかもしれない。

 

テレビ朝日だけど、「大下蓉子のワイドスクランブル」は良いな。

きちんと重要なことを重要なこととして掘り下げていく。

当たり前だけど、

その当たり前のことを、ちゃんと伝えていこうとする姿勢が潔い。

 

 

今日、2020年5月27日、香港の中心街で、中国の国歌への侮辱を禁じる「国歌条例案」の香港議会での審議再開に抗議する千人規模のデモが行われた。「香港独立が唯一の道」と叫ぶデモは、警官隊によって排除され、約360人が、違法集会参加の疑いで逮捕された。

ちなみに、中国は、2004年に、日中戦争の「抗日歌」である「義勇軍行進曲」を、中華人民共和国憲法に「国歌である」と正式に明記した。その後、2017年に、全国人民大会は、国歌への侮辱に刑事責任を追及することを明記した、全十六条に及ぶ「国歌法」を採択し、施行した。

こうして中国の国歌となった「義勇軍行進曲」の歌詞は、もともと1935年につくられた抗日愛国映画「風雲児女」の主題歌であった。日中戦争中には、代表的な「抗日歌」として、広く歌われていたという。

なぜ、その歌を、わざわざ、当時の歌詞のまま、2000年代になって、国歌として正式に認定し、国歌の尊重を強調し始めたのかと言えば、いろいろと理由はあるだろう。

例えば文革と毛沢東の死の後で、毛沢東を讃える詞から元の抗日の歌詞に戻したのは、当時、経済の巨人だった日本に対して、中国人の誇りを維持する意味もあったろう。しかし、天安門事件後、1990年代以降には、反日が国家統一の手段として利用され、抗日の詞を持つ国歌もまた、反日教育の一環として教えられ、愛国心高揚のために用いられてきた。

そして、今度は、香港への国歌の強制だ。香港の民主派は、中国政府への抗議を行う意思表示を示す時に、国歌斉唱を拒否してブーイングしたり、替え歌を歌ったりするのだが、そうした侮辱行為に対して、禁固3年、罰金70万円を科す内容である。

 

《義勇軍行進曲》
起来!不願做奴隷的人們!
(立ち上がれ! 奴隷になるのを望まぬ人々よ)
把我們的血肉築成我們新的長城!
(我らの血と肉でもって、新たな長城を築こう)
中華民族到了最危険的時候,
(中華民族に最大の危機がやってきた)
毎個人被迫着発出最后的吼声。
(誰もが最後の雄叫びを上げるのだ)
起来!起来!起来!
(立ち上がれ! 立ち上がれ! 立ち上がれ!)
我們万衆一心,
(我々万民が心を一つにして)
冒着敵人的炮火,前進!
(敵の砲火をくぐり抜け、進め!)
冒着敵人的炮火,前進!
(敵の砲火をくぐり抜け、進め!)
前進!前進!前進!
(進め!進め!進め!)

 

詞を読めばわかる通り、この歌は、明らかに軍歌であり、しかも、この歌詞の中に出てくる敵とは、当然、日本のことである。中国では、日常、この抗日国歌が、幼稚園児から大人まで、毎日のように歌われているわけだ。見方によれば、国民に対する、ある種の反日洗脳にも思える。誰もが、日本を敵として戦う共同幻想を抱き、個々人の無意識に反日が刻まれ、日本への闘争心が醸成されていく。

「平和を愛する」はずの日本のメディアが、これを批判しないのがやるせない。情けない。

「君が代は、天皇の世の末長い繁栄を願う歌だ」と批判するなら、当然、「義勇軍行進曲は、日本を敵として、全国民に戦うことを号令する好戦的な歌だ」と非難しないのがおかしい。

「義勇軍行進曲は、日中戦争の当時、侵略者である日本と戦い、国を守ろうと国民を鼓舞した歌であって、好戦的な歌ではない」と中国を弁護するなら、「君が代は、君主制の時代に、君主の治める時代の繁栄を願って歌っているわけで、それは、当時の感覚では、国の末長い繁栄を願うのと同義だ」と君が代を弁護することもできる。

「なぜ、今の時代に、天皇の御代の末長く続くことを願わねばならないのか」と反発するのに、「なぜ、今の時代に、中国は、日本との戦闘で勝つように国民を鼓舞しなければならないのか」とは反発しないのか。

現在、中国海警の船が、尖閣諸島沖で日本漁船を追い回す事件が多発している。中国は、現在、むしろ、日本との小規模な軍事衝突を望んでいるのではないか、と思うほどだ。アメリカとの経済対立でジリジリと国力を削がれるよりも、その方が、習近平指導部としては国民の一致団結を促すうえで、かえって都合が良いのではないだろうか。

日本のリベラルは、『安倍は戦争好き』と、根拠のない非難はするのに、『中国はなぜこんなに好戦的なのだ』と根拠ある批判はしない。なぜだ?

 

もっとも、中国が、フランスのように自由な国ならば、「ラ・マルセイエーズ(国歌・革命歌)」の歌詞にあるように「憎き隣国ドイツ人の喉をかき切って、そのけがれた血を大地に流せ」と歌っても(問題がないわけではないが)別に構わないのだ。ところが、中国は、「一九八四年」を連想させるデジタル独裁の国で、習近平は独裁者「偉大なる兄弟」のようだ。だから、怖い。

巨大な強権国家中国の香港への「国歌安全法制(治安維持法に類似)」導入決定(2020.5.28)によって、一国二制度は瓦解し、分離独立発言や反政府的発言は違法行為とされ、香港の言論の自由は遠からず失われるだろう。そうなれば、次の標的は「一つの中国」を否定する蔡英文総統の率いる台湾、その後は尖閣諸島、そして、沖縄だ。

アメリカは、昨年11月に議会で成立した「香港人権・民主主義法」に基づいて、これまで香港に与えていた貿易上の特権を廃止するだろう。また、アメリカ下院は、27日、「ウイグル人権法案」を民主党・共和党含む超党派で可決し、トランプ大統領の署名があれば、法案はいつでも成立する状態である。つまり、アメリカ議会が、とりわけ野党民主党が、大統領に対して、ウイグル人を迫害する中国への制裁を促したかたちにあるということだ。

 

日本の国会は、特に野党は、何をしているのだ?

 

そして、やはり、最大の問題は日本のメディアだ。香港では「日本のメディアが最も中国寄り」と言われているという。欧米は、一貫して中国の人権抑圧を非難する報道を続けているが、日本では、中国政府の言い分に沿った報道も多く、はっきり言えば中国寄りの立場に立っているように思える、と。

今年も、6月4日が、やってくる。けれども、天安門事件から31年目にして、香港の追悼集会は初めて禁止された。理由はコロナ対策だが、それが単なる口実であることを誰もが知っている。そして、来年以降も、国家安全法の適用によって、天安門追悼集会は禁止される可能性が高い。今日も、香港議会では、市民の意思を無視して中国国歌の侮辱禁止条例を可決した。中国政府の締め付けは、ますます厳しくなっている。

しかし、6月4日、香港民主派は、今年も、1万人規模で、「禁止」されている追悼集会を強行した。そして、香港市民は「中国では、あの弾圧と虐殺は、タブー視され、忘れられている」「けれども、我々は、決して忘れない」と、口々に言うのだ。

 

日本の国会、特に左派リベラルの共産党、社会党、立憲民主党は、なぜ、超党派で「香港民主派市民への連帯」決議を提出しないのだろうか。「天安門事件忘却拒絶、香港への正義の連帯」決議でもいい。

肝心の時に沈黙するなんて、君たちの思想は、いったい何なのだ?

 

 

因みに、中国の人々がつくった国歌の替え歌の一つには、次のようなものがある。

 

立ち上がれ! (証券)口座未開設の人びとよ
持てる資金のすべてを、値上がり株に投じよう
中華民族に最大の儲けるチャンスがやってきた
誰もが株購入の雄たけびをあげるのだ
(株価よ)上がれ! 上がれ! 上がれ!
我々万人が心を一つにして
ぼろ儲けの夢を抱いて、進め!
銭進! 銭進! 銭進進!

 

中国では、もう、こんな愉快なユーモアあふれる替え歌も歌えない。警察に逮捕され、裁判で有罪になってしまうから。