人間の身体がもつ、細菌やウイルスに対する免疫には二種類あります。
一つは、その細菌やウイルスに対する抗体を獲得することによって生じる免疫効果で、「獲得免疫」と呼ばれます。一度、そのウイルスに感染した人は、身体に抗体を持つようになりますが、こうして後天的に得られる免疫が獲得免疫です。最近よく話にのぼる「集団免疫」についても、この獲得免疫の効果を基にして、免疫の成立を考えています。また、ワクチン摂取の目的も、あらかじめ、ウイルスの抗体を獲得させることによって、感染予防効果を得ることにあります。
もう一つは、人体が、もともと持っている細菌やウイルスに抗する自然治癒力のことで、「自然免疫」と呼ばれます。自然免疫は、後天的な獲得免疫と異なり、人体がもともと有している先天性の免疫機能です。
しかし、この自然免疫の強さには、年齢や性別や体質による個人差があり、身体・精神コンデションによっても変わります。さらに、自然免疫は、何世代にもわたって、時には、100年単位、1000年単位で培われてきた機能であって、当然、地域差や人種差があります。
また、体内に侵入してくる細菌やウイルスの種類の違いによっても、自然免疫の効力は大きく異なります。つまり、「ある地域の人々にとって致命的なウイルスや細菌が、別の地域の別の民族にとっても致命的であるとは限らない」ということです。
そして、今回のコロナ禍においては、まったく新しいウイルスに対して、当初、世界中の誰も抗体を持っていないわけですから、欧米での死者数があまりにも多く、その他の地域、特にアジアで犠牲者が極端に少ないのは、前者の獲得免疫の差ではなく、後者の「先天性の自然免疫によるウイルスへの耐性の地域差」によるところが大きいと考えられます。
これは、欧米の人々が、その他の地域より、身体全体の自然免疫機構そのものが劣っているということなのか、特に新型コロナウイルスに対して免疫機能が弱かっただけなのか、そこのところはよくわかりません。
ただ、中国発の菌やウイルスに対して、中国人及び周辺諸国のアジア人の耐性・抗力が強く、逆に、遠隔地である欧州・アフリカ出身の白人や黒人が弱いというのは、ペスト菌の場合にもみられることであり、理解しやすいことです。
その反面、欧州、あるいは米カンサス州が発生源とされるスペイン風邪(インフルエンザ)の場合には、欧米よりも、むしろ、日本を含めてアジアでの死者数が非常に高かったと言われています。
具体的にみていきましょう。
14世紀に欧州で猛威をふるったペスト(黒死病)は、中国に起源を持つと言われますが、ジェノバの商人によって、西アジアからイタリアにもたらされ、1348〜52年にかけて欧州全域に広がり、死者数は推計2500万人、当時の欧州総人口の1/4が亡くなりました。欧州人の自然免疫が、中国発のペスト菌に対して弱かったのです。
1918〜20年に、全世界で猛威をふるったスペイン風邪(A型インフルエンザ)の大流行では、当時の世界人口(18億人)の1/4以上にあたる5億人が感染し、全世界で推定2000万人以上の死者を出したとされます。感染致死率4%以上というところでしょうか。しかし、アジア諸国の死者数は1900万人以上、欧米は300万人以下と、地域差が非常に大きかったと考えられています。アジア人の自然免疫は、欧米発のインフルエンザウイルスに対して弱かったのでしょう。
また、ネイティブアメリカンやハワイ先住民が、白人のもたらした疫病によって、壊滅的な人口減少に見舞われ、種族としての繁栄を終えたことは有名です。例えば、南米のインカ帝国は、スペイン人の持ち込んだ天然痘ウイルスによって、人口の6〜9割が感染死し、弱体化したところをピサロの侵略で滅亡しました。ピサロはウイルスを生物兵器として使用したのです。
先住民には、未知のウイルスに対して「獲得免疫」がなかったことはもちろんですが、未知のウイルスに対する「自然免疫」も極端に低かったものと考えられます。自然免疫は、民族や地域集団が多くのウイルスや細菌との遭遇を重ねることで、歴史的に形成される面があるからです。
加えて、自然免疫の強さは、食生活に関わりが深いと考えられています。自然免疫を高める食事と低下させる食事があるということです。納豆や味噌やヨーグルトなどの発酵食品は、自然免疫を高めるという有力な説があります。
さらに、日々の生活習慣、体調管理も重要な要素です。過労が蓄積されていたり、精神的な疾患を抱えていたり、糖尿病や高血圧など慢性病の持病のあったり、がんの放射線治療を行なっている場合などには、身体の自然免疫機能が極度に弱っていることがあると言われます。ストレスによっても、免疫細胞の機能が低下して、風邪をひきやすくなったり、ウイルス感染への抵抗力(自然免疫)が弱まることも知られています。運動不足によっても、自然免疫は弱くなります。運動不足から血流やリンパ流が滞ると、免疫細胞が体内をくまなく移動することが妨げられて、免疫力が弱まり、感染しやすくなるのです。
また、過度のワクチン摂取は、身体が抗体を獲得することで、「獲得免疫」を得る一方で、代わりに「自然免疫」を弱体化させる可能性があるとも考えられています。皮肉なことですが、感染を恐れるあまりに、さまざまなワクチンを次々と大量に摂取することで、本来、身体が持っているはずの自然治癒の力が低下し、かえって免疫機能が低下する可能性があるということです。
例えば、毎年、インフルエンザ・ウイルスのワクチンを欠かさず予防接種している人に限って、自然免疫によるウイルスへの耐性が弱まっていて、抗体ができたものとは別種のインフルエンザに罹患しやすく、重症化しやすいということもあり得るのです。特に、「生ワクチン」については、そうした危険性が高いと考えられています。
ですから、新型コロナウイルスのワクチンができたとしても、それを予防接種することが、本当に免疫強化に良いのかどうか、判断するのは難しく、なかなか悩ましいところです。
加えて、何らかの理由から自然免疫が低下している人は、ワクチンの摂取によって、激しい副作用が起こる可能性もあるでしょう。無批判に「ワクチン万能」と考えるのは、WHOと製薬会社の罠にはまっているというか、人間の現在の科学技術への盲信の害というか、やはり、問題があると思うのです。
欧米の場合、日本以上に予防医学が発達しているために、このワクチンの使いすぎによって、自然免疫機構を弱体化させていたことが、もしかすると新型ウイルスのパンデミックによる犠牲者を増やした原因の一つかもしれません。
もちろん、致死率の高い感染症に関しては、ワクチン予防が必要な場合もあります。あちら立てれば、こちら立たず、というよりも、自然界の事象は、すべからくバランスの上に成り立っているということを、よく知っておくことが大切ということなのです。
「集団免疫」の成立についても、人口のどのくらいの割合が獲得免疫を得ることで成り立つのか、それを考える上で、その集団を構成する個々人のもともとの自然免疫の強さによって、獲得免疫を得た人の割合が20%程度でも集団免疫が成立する場合もあるでしょうし、60%の人々の抗体獲得が必要な場合もあるかもしれません。
つまり、その集団が持っている自然免疫の強さによって、集団免疫の成立に至るまでの感染者数の割合(バランス)は大きく変わるということです。地域や人種や国によって、また、ウイルス発生地域からの距離によって、もともと持っている自然免疫の質や強さが大きく異なるためです。
その点では、「殊、新型コロナウイルスに関しては、欧米に比して、感染死者数が、1/15〜1/85にとどまっていることから考えても、日本の場合、個々人の自然免疫が強いために、集団免疫の成立は、欧米諸国よりはるかに容易であろう」と思われるのです。
自然免疫の強さは、時には、民族の存亡にも関わります。そして、一般に、他集団との接触が少ない隔絶した集団・民族は、自然免疫が弱い傾向があるようです。ネイティブアメリカンが、白人のもたらしたウイルスによって壊滅的な打撃を受けたのも、ハワイアンが白人のもたらしたウイルスで人口激減したのも、主原因は隔絶した環境による自然免疫の弱体化によるものと考えられます。
今回の新型コロナ事態における各国の死者数や発症数を考えると、欧米以外の地域、特に中国とその周辺国においては、かなり強力に自然免疫が働いていると考えるのが自然です。そして、「自然免疫さえ、しっかり働いているなら、新型コロナウイルスの感染を、過度に心配しすぎる必要はない」ようです。ですから、日本を含む中国周辺地域では、自粛警察やマスク警察など、まったく不要と感じられます。
加えて言えば、アフター・コロナの日本社会が、従来以上に、スキンシップや身体的接触の少ない、過度に自粛傾向の大きい、現状よりもっとストレスの大きい、閉塞感の強い社会になることで、個々人の自然免疫が衰えていくとしたら、むしろ、ウイルス感染の見えないリスクを増大させることになります。そのせいで、結果として、重症化する人の割合が大きくなり、死者数が増大する可能性だってあるのです。
3密の防止についても、過度に神経質になるのは害となる可能性があります。何事もバランスが大切です。過度のストレスにさらされる生きにくい社会は、人の自然免疫(自然治癒力)を低下させ、ウイルス感染のリスクを大きくする恐れがあります。
一説によると、新型コロナの感染致死率は、0.5%程度と考えられています。これは、1957〜58年に大流行したアジアインフルエンザの致死率と同じレベルです。無症状の感染者の人数をどう考えるか、にもよりますが、少なくとも、5%とか、そんなスペイン風邪並みの高い致死率ではないようです。この感染致死率0.5%というデータは、抗体検査の結果を踏まえた感染者数の推測から割り出されたもので、日本やニューヨークなどで数値が一致しています。
ちなみにアジアインフルエンザの時には、日本では二年間で300万人が感染し、5700人が亡くなりました。これは、現在のインフルエンザの二年間での累計死者数とほぼ同じです。しかし、当時、世界的には100万人以上が亡くなりました。日本の死者数は人口割合からすると明らかに低いのです。中国発のインフルエンザウイルスには、日本人の自然免疫が強く働いたものと考えられます。
上記したように、人類は、これまでにも、ペストやスペイン風邪など、新型コロナ以上に致死率が高く感染率も高い危険な疫病に、歴史上、何度も遭遇してきました。そして、それらの疫病に対する集団免疫を成立させながら、大規模感染(パンデミック)を克服するという過程を繰り返してきました。
不謹慎であることを承知で、敢えて言わせていただければ、「コロナごときで、生活様式を根本的に変えざるを得なくなるとしたら、現生人類は、ご先祖様に顔向けできない」のではないでしょうか。
孔子は「食糧と信頼と、この二つのうち、どちらかを捨てねばならないとしたら、世の中が成り立つために、どちらを残すべきか」という弟子子貢の政を問う質問に対して、「信頼を残す」と答えました。「人は、誰しも、いずれ必ず死ぬが、人の社会は、信頼なしには成り立たないからだ」と。
このように、古来、「この世には命より大切なものもあるのだ」と、賢者たちによって繰り返し説かれてきました。ですから、今回も、私たちは「時に、命以上に大切なものがあることを見失ってはいけない」と、自ら言い聞かせねばならないと思われるのです。
「ニューノーマル」と称されるコロナ後の「新しい日常」において、公共の場でのマスクの着用が義務化されたり、人と人が直接会うことが忌避されて、3密の回避やソーシャルディスタンスの維持が、いつまでも要求されるようであってはいけないのです。
また、ただでさえ、人間関係が希薄になりがちで、人と人の濃密な触れ合いが欠如していることが心配されている現代日本社会で、「ソーシャルディスタンス」や「3密」という言葉が、人と距離を置いたり、人を避けるための口実に使われるようでは困ります。
日本では、そもそもコロナの感染率自体が低く、抗体検査の結果から推測しても、現時点で感染者の割合は、総人口の0.1〜0.2%程度と考えられています。東京でも0.1%程度ですから、ニューヨーク州(12.3%)やロンドン(17%)などとは、桁が違います。中国発のコロナウイルスに対する個々人の強い自然免疫機能が、感染を極めて初期の段階で防いでいるものと思われます。
ですから、このような新型コロナに対する強い自然免疫機構をもって免疫力を維持している限り、日本人は、欧米に比べて、それほど感染を恐れる必要はないのです。
そう考えると、「自粛によって過度に経済を止めてしまうのは、日本においては、あまり良策ではない」ということが理解できると思います。
何よりも、倒産が激増し、失業者が倍増し、経済が死んでしまえば、時間の問題で、いずれは自殺者や餓死者など死者数も増えていくことになります。実際、景気の悪化に伴って、自殺者数は1万人程度増加する傾向があります。経済問題もまた、命の問題となるのです。
新型コロナの死者数は、日本国内で累計で1000人に満たない一方で、自殺者は毎年2万人にのぼります。ところが、この国のメディアは、毎日コロナの犠牲者数をカウントしてコロナの脅威を宣伝する一方で、自殺者数をカウントしたり、その増加に警鐘を鳴らし続けたりはしません。
この社会において、「人を比較的致死率の低いウイルスに感染させるのは巨悪であるが、人を自殺に追い込むのは、さほど問題ではない」と考えられているとすれば、ずいぶんとおかしな話です。ウイルス感染で死がもたらされるのも、人を自殺に追い込むのも、見えない世界の話という点ではさほど違いはないと思うのですが。
それとも、「自分は経済的に脅かされていないので、自分以外の人の経済的窮地は、どうでもよい」というのでしょうか。それは、「自分以外の命はどうでもよい」というのと同義です。そんな殺伐とした社会へと向かうのが、「ニューノーマル」だというのでは、人類は滅びの道へ向かって一直線です。
私たちは、死を恐れるよりも、豊かな生を失うことをこそ恐れねばなりません。
「身を捨ててこそ、浮かぶ背もあれ」と、言うではありませんか。
〈参考資料〉
➡︎6月11日現在、新型コロナ感染による国別累計感染〝死者〟数は、
1位アメリカ(113,774人【3.47人】←1万人あたり死者数⑨)
2位イギリス(41,364人【6.23人】②)
3位ブラジル(40,919人【1.95人】⑬)
4位イタリア(34,167人【5.65人】④)
5位フランス(29,349人【4.53人】⑥)
6位スペイン(27,136人【5.84人】③)
7位メキシコ(15,357人【1.22人】⑱)
8位ベルギー(9,636人【8.45人】①)
9位ドイツ(8,772人【1.06人】⑮)
10位イラン(8,584人【1.05人】⑲)
11位インド(8,102人【0.060人】★)
12位カナダ(8,071人【2.15人】⑫)
13位ロシア(6,522人【0.45人】)
14位ペルー(6,088人【1.90人】⑭)
15位オランダ(6,063人【3.53人】⑦)
16位スウェーデン(4,814人【4.71人】⑤)
17位トルコ(4,713人【0.57人】)
18位中国(4638人【0.033人】★)
19位エクアドル(3,720人【2.18人】⑪)
20位チリ(2,648人【1.41人】⑰)
21位パキスタン(2,356人【0.11人】)
22位インドネシア(2,000人【0.075人】★)
23位スイス(1,937人【2.28人】⑩)
24位アイルランド(1,703人【3.48人】⑧)
25位コロンビア(1,505人【0.30人】)
26位ポルトガル(1,504人【1.46人】⑯)
27位エジプト(1,377人【0.14人】)
28位ルーマニア(1,369人【0.70人】㉒)
29位南アフリカ(1,284人【0.22人】)
30位ポーランド(1,215人【0.32人】)
33位日本(935人【0.074人】★/国内922人)
38位オーストリア(674人【0.75人】㉑)
39位デンマーク(593人【1.03人】⑳)
※韓国(277人【0.054人】★)
※ルクセンブルク(110人【1.83人】⑮)
←ジョン・ホプキンス大学(6/12)参照
★は、中国とその周辺国の人口1万人あたりの死者数です。その少なさは、その他の国々とは桁が違うところに注目してください。100万人あたりで考えると、★印の国は、インド6人、中国3人、インドネシア7人、日本7人、韓国5人と、どこも死者数が一桁です。
一方で、歴史的に中国との交流が少なかった欧州、北米、南米では、100万人あたりの死者数が、ベルギー800人、イギリス600人、スペイン600人、イタリア550人、スウェーデン500人、フランス450人、オランダ350人、アメリカ350人、カナダ200人、ブラジル200人、ペルー200人、エクアドル200人、ポルトガル140人、メキシコ120人、ドイツ100人と、どこも3桁です。
単純に考えて、100倍の差です。この差が、自然免疫の差と考えられます。ですから、おそらく、政府の対策の差とか民度の差などではないのです。死者数の100倍差は、効果的なロックダウン(都市封鎖)のおかげでも、マスクのおかげでも、PCR検査数のおかげでもないということです。
そして、アジア諸国がウイルス封じ込めに成功した理由は、K防疫が優れているとか、日本の自粛が効果的であったというわけではなく、中国の徹底した強権的ロックダウンが功を奏したということでもありません。
単に、もともとアジア圏の人々の自然免疫が、中国発の新型コロナウイルスに対して強かったというだけのことです。
ちなみに、上記の100万人あたり死者数ですが、アジア圏と欧州との境にあたる国々では、例えばイランは100人、ルーマニアは70人、トルコは57人、ロシアは45人、ポーランドは30人、パキスタン11人です。やはり、中間的な数値ですね。
よく、「アメリカの白人と黒人の間で、コロナの死亡率に差がある」「その差は、白人と黒人の社会的格差と関係がある」などと言われていますが、その差はせいぜい2倍とか3倍というレベルの差であって、それほど大きな差ではありません。アメリカの人口当たりコロナ死亡率が、アジア圏と比べて、10倍、100倍の数値である、という歴然とした大差とは、比べものになりません。黒人と白人の貧富の格差による死亡率の差などより、はるかに大きな欧米と中国周辺諸国(中国・日本含む)の間の死亡率の差が見られるのです。
そう考えると、評論家がまことしやかに述べる「日本の死者数が少ない理由」は、どれも真実とは言い難い、というように思えてくるのではないでしょうか。「運よく」とか「幸いにも」被害が少なかったということでもないのです。「香港・台湾に比べれば多い」などと、脅威を煽るのも的外れです。香港人・台湾人の方が、さらに中国型ウイルスへの自然免疫が強いというだけのことです。
ともかく、現時点で言えることは、日本人にとって、新型コロナウイルスの脅威は、新型のインフルエンザウイルスに毛の生えた程度のもの(感染致死率0.5%程度/国内感染率0.1〜0.2%)であって、多くの日本人が怖がっているような高いレベルの脅威ではない、ということです。
ちなみに日本では、一般に、インフルエンザは、感染致死率が0.1%未満ですが、国内感染率が例年総人口の10%程度と非常に高く、そのため、例えば、2018年のインフルエンザの国内死者数は3,325人、2017年は2,569人でした。100万人あたり死者数は、例年10〜25人程度です。
また、1918年に大流行したスペイン風邪(インフルエンザ)では、一年間で国内で25万人の死者を出しました。国内感染率37%、感染致死率1.2%でした。当時の人口は5500万人ですので、100万人あたり死者数は4,500人です。翌1919年には感染率4.4%、感染致死率5.3%で、死者数12万人となりました。100万人あたり死者数は、2,200人です。
このように、重要なのは感染率と感染致死率の積であって、感染致死率だけ単独に取り上げて、しかも、発表されている感染者数を分母にして死者数を割ることで、異常に高い致死率を仕立て上げ、いたずらに危機を煽るのは、不適切な論の立て方であるのみならず、悪質な印象操作というよりほかありません。
むしろ、実際の脅威の程度を考える上で、もっともわかりやすいのは、累計死者数を基にした人口当たりの死者数です。例えば、インフルエンザと新型コロナの人口当たりの死者数、あるいは年間累計死者総数を比べると脅威の度合いがはっきりします。(←下記の参考資料2を参照願います。)
以上考察してきたように、新型コロナを「正しく怖がる」ということを心がけるなら、新型インフルエンザとさほど変わらない脅威として怖がるべきです。それ以上の飛躍したレベルのものとしてではなく。
繰り返します。メディアも、政府も、識者と呼ばれる人々も、「日本では、新型コロナは、インフルエンザレベルで警戒すべき」と呼びかけるのが、良心的で正当な姿勢というべきでしょう。
〈参考資料2〉
➡︎日本のインフルエンザ年間死者数の推移(厚生労働省の人口動態統計より)
2018年/3,325人
2017年/2,569人
2016年/1,463人
2015年/2,262人
2014年/1,130人
2013年/1,514人
2012年/1,275人
2011年/574人
2010年/161人
2009年/625人
年間の死者数で考えると、新型コロナよりも、例年のインフルエンザの方が、犠牲者はむしろ多いかもしれない、と考えられるのです。