最近、ようやくデータが揃ってきたようです。

11月25日にニコニコ動画に投稿された、厚労省、超党派国会議員連盟、各メディア、コロナワクチン被害者遺族の会が集った医学研究の報告会で、多くの興味深い発表がありました。

 

私がもっとも興味深かったのは、国内及び世界的なデータの集積を解析した事実の報告でした。

ワクチン無接種者、一回接種者、二回接種者を比べると、コロナの感染率、重症化率、死亡率のすべてにおいて、無接種者がもっとも低く、二回接種者がもっとも高いというデータは衝撃的でした。

唯一の例外は、80代以降の場合で、ワクチン接種者の方が、感染率、重症化率、死亡率が低くなっている。この点に関して、80歳以降の人は、自然免疫がもともと低いため、ワクチンによる獲得免疫が有効であるようだという推察がなされていました。

ただし、別の報告ですが、80代でも、ワクチン接種前と接種後で、コロナ感染者の死亡率が上昇しているという統計があります。

結論を言うと、一般的には、ワクチンを打てば打つほど、自然免疫が硬直化し、コロナの危険性が増すということです。特に、若年者ほど、自然免疫の喪失による長期的な危険は大きいと考えられます。

加えて、別の報告では、国内、海外でも、4回目以降の追加接種が多い国・地域ほど、明らかに感染率が高くなっているということです。

世界的にみて、特に、4回目以降は「打てば打つほど、極端に感染が増えている」というのです。おそらく、4回目以降の接種は、獲得免疫の効果を超えて著しく自然免疫を低下させるものと推測されます。

その上で、「海外では、もうそこまで接種推奨していないのに、なぜ、日本だけ、5回目接種を、これほどまでに推奨するのか?」という専門家からの当然の疑問に対して、厚労省は何も答えられませんでした。

 

さらに、皮膚科の医師の報告で、ワクチン接種後、ジンマシンや帯状疱疹のような後遺症に悩まされる症例が多くでているが、それらの症状を詳しく検査すると、一般的な症状ではあり得ない〝血栓〟が皮下に多くみられるというのです。ワクチン接種によって生産された血管中のスパイクたんぱくは、血管内壁を傷つけ、血栓や出血や炎症を引き起こすということがわかっています。ワクチンが原因で発症した皮膚の病気は、一般的な皮膚病の症状に比べて、薬も効きにくく、治りにくいのだそうです。

また、最近、多くの医療機関で、医師たちは原因不明の感染症に苦しむ患者に遭遇しています。手術中にも、患者の免疫低下が著しく、これまで見たことのない症状が現れるというのです。

多くの研究者が指摘していることですが、これまで早期に消滅するとされてきたスパイクたんぱくが、消えずにさまざまな細胞に入り込み、免疫機構に影響を及ぼしたり、脳を損傷させることが懸念されているのです。

 

日本国内では、ワクチン接種による死亡として因果関係が認められた例は一つもありません。一方で、「因果関係は不明」という死亡例は1908名です。しかし、実際に報告されているのは、ほんの数%に過ぎず、本当は、コロナワクチンの接種(によって?)4万人が死亡している(可能性がある)、そして、この数字は超過死亡のデータと一致する、という報告がありました。

さらに、今年、コロナワクチン接種率の上昇と超過死亡の急激な増加は、日本だけでなく、韓国、EUなど諸外国でも、ワクチン接種率との連動性と超過死亡増加のグラフの波形が完全に一致する上に、特に今年の8月に関しては、コロナ感染死以外の超過死亡が高く、感染率が高いのは、コロナワクチン4回目の追加接種を進めている国ばかりという衝撃的なデータの分析結果が発表されていました。

別の元厚労省官僚の報告では、ワクチン4回目接種の増加期にあたる今年2月の超過死亡は1万7000人で、そのうちコロナ感染死によるものは4000人、それ以外の1万3000人の内訳には、ワクチン4回目接種が原因である死亡数が多く含まれるかもしれない、という報道がありました。これほどの超過死亡は、震災級の災害による万に近い犠牲者数が想像されるレベルだと言うのです。

現在、ワクチン接種後の死亡報告は、医師に義務付けられていません。厚労省も統計データを記録する気がないのです。だから、累計1900名というワクチン接種後死亡人数は、誰が考えても氷山の一角に過ぎません。

したがって、上記の超過死亡がワクチン接種によるものだとしても不思議ではないというのです。

 

今回の報告で明らかになったことですが、厚生労働省には、ワクチン接種後の死亡とコロナワクチン接種との因果関係を評価・判定する能力がないようです。なぜなら、臨床医が診断や病理解剖の結果「ワクチン接種との因果関係あり」と報告した140例もの症例の報告に対して、臨床医ではない厚労省の専門官(医師免許も持っていない可能性/個人の特定は避け、氏名は公表されない)が報告を吟味して、診断・解剖報告の結論をすべて覆して否定し、「因果関係は不明」と判定している、ということがわかるからです。

直接解剖した医師の所見を、厚労省の専門官は、何を根拠に覆し否定できるのか?」という疑問が提示されていました。「この専門官は、臨床医ではないどころか、医師免許も持っていないのではないか?」という質問に、厚労省側は回答を拒否しました。

さらに、「厚労省の判定は、『ワクチンとの因果関係は絶対に認めない』という結論ありきの評価・判定であり、その評価の過程で、医学も科学も完全に無視したものではないか」という批判が、専門家からされていました。

加えて「『評価不能』の死亡が1900例も出ているのに、このワクチンは安全だと言い切るのは、詐欺ではないか」という批判もありました。

「データ不足で評価不能により因果関係は不明」は「因果関係なし」と見做すべきではなく、「因果関係がある可能性がある」と見做すべきではないか、という当然の指摘もありました。

その場合、この国には、最大で累計4万人のワクチン接種による死亡例が存在する可能性がることになります。ところが、厚労省は、この恐るべき事態を放置し続けているわけです。

こうまで不可解な厚労省の態度を見せつけられると、ファイザー・モデルナを儲けさせるために不都合な真実を握り潰すよう、アメリカから圧力をかけられており、厚労省はアメリカの言いなりになって、国民の犠牲を無視し続けているのではないか、と疑わざるを得ません。

 

以前、私も書いたことがありますが、ワクチン接種後の死亡例でもっとも多いのは、接種後翌日の死亡です。次に多いのは2日後、そして3日後、4日後と、統計グラフは、なめらかな曲線を描きます。ただ、若い人ほど、接種後3日目に亡くなる人が多く、高齢者ほど翌日に亡くなる人が多いのですが、いずれにしても、接種の翌日から3日目までの死亡例が圧倒的に多いようです。死因は、循環器系が圧倒的で、血栓によるものが多いようです。これで、ワクチン接種との因果関係がなかったら、それこそビックリです。

もちろん、報告されていない死亡例がはるかに多いため、実際には、この偏りに関する判断には注意が必要です。接種後直ぐに亡くなった事例ほど、ワクチンとの関連が疑われ、報告がなされやすいことから、報告バイアスが働いているということです。

けれども、接種当日から1週間以内の死亡であれば、おそらく報告数の偏りはそれほど多くないでしょう。遺族の医師への突き上げは同様に大きいと思われるからです。

それで30代以下の若者の死亡報告は接種から3日目が突出しており、一方、40代以降は接種翌日の死亡報告が最も多く、接種翌日>2日目>3日目>4日目>接種当日>5日目と、40代より上のどの世代においてもきれいに並ぶのですから、これは報告バイアスとは関係が薄いと考えられます。

ここから、やはり、ワクチンとの因果関係は濃厚であると推測されます。

 

しかし、これが認められない最大の要因は、上記したように厚労省にあります。

厚労省は、現場の医師たちに、ワクチン接種後の死亡事例の報告を義務付けるべきです。そうすることによって、報告バイアスの疑念を払拭することができるからです。しかし、現状では望み薄です。

ワクチン接種の翌日に亡くなって、解剖すると心臓が溶けていた(心筋細胞融解)という事例でも、それでも「評価不能」で、「データ不足でワクチンとの因果関係は不明」と断定するのが、今の厚労省の専門官の評価姿勢です。

そして、「これまでにコロナワクチン接種が原因で亡くなった例は一件もありません」と、ネット上の厚労省公式サイトでも、臆面もなく記載し続けているのです。

その一方で、これまで累計10名(※)のワクチン接種後の死亡者の遺族に対して、「ワクチン接種との因果関係は否定できない」という厚労省の分科会の簡易の判断によって、とりあえずの死亡一時金と葬祭料が支払われています。が、これは、まだ、専門官によってワクチン接種との因果関係が正式に認められたものではなく、死亡者の氏名も秘匿され、正式な認定がいつなされるのかもわからず、何のワクチンの何回目の接種によって亡くなったのかも公表されていないのです。まるで、厚労省を裁判に訴え始めた遺族の抗議の口を塞ぐための〝火消し〟を目的とした一時金支払いのようにしか見えません。

また、いじめの判定を行う第三者委員会は、メンバーを発表しますが、ワクチンとの因果関係を判定する厚労省の専門官の氏名は公表されません。こうした隠蔽体制からは、4万人の死亡者を出している可能性のあるワクチン接種の危険性を解明しようという厚労省の誠意と責任感は一切感じられません

 

報告会では、加えて、ワクチン後遺症の問題も取り上げられていました。ワクチン接種後、後遺症に苦しむ人は多くいるはずです。しかし、その人たちの救済の道は、現在、公的にはほとんど活用されていません。これも因果関係の証明が困難であるからです。結果、ほとんどの後遺症患者が救済されないまま放置され、無視されているのです。

病院の医師も、後遺症について、あまりにも無知な場合が多く、後遺症患者の人が頼れる相手がいないという問題も指摘されていました。

 

現在、少なくとも、はっきり言えることがいくつかあります。

①何回目の接種であっても、コロナワクチン接種後、亡くなる可能性があります。その確率は、最大で〝数千人に1人〟というワクチンとしては非常に高い割合である可能性が考えられています。しかし、そのデータは、まったく統計が取られていません。また、そもそも、厚労省は、接種後の死亡事例とワクチン接種との因果関係を解明する気がありません。したがって、コロナワクチンの安全性はいつまでも〝不明〟のままです。ですが、科学的には、自己免疫疾患を起こし、血栓を生じる危険性、また、交差免疫・自然免疫を抑える危険性が、かなり解明されてきているようです。

②ワクチン接種後、感染率、重症化率、死亡率は、多くの場合、低くなっていません。むしろ、4回目以降は、感染率・死亡率が急激に高くなる傾向があるようです。つまり、ワクチンの効果は、長期的には、ほぼ否定されております。コロナワクチン接種によって得られる獲得免疫は期間限定であり、一方で、ワクチン接種によって失われる自然免疫は半永久的に取り戻せないからです。

ワクチン接種による免疫効果は6カ月で消えるけれど、ワクチン接種による自然免疫の破壊効果は永続的で、重ね打ちによってダメージは蓄積されていくということです。

コロナワクチン接種を繰り返していると、ある時点で、獲得免疫の効果を自然免疫硬直化のダメージが凌駕するということです。そうなると、自然免疫が抑えられたことによって、ワクチン接種直後から、体質に大きな変化(虚弱化)を生じ、感染率・重症化率・感染死亡率が、かえって急激に上昇することになります。この分岐点が、一般的には4回目接種以降となるということです。

 

コロナワクチンの国民的な大規模接種は、巨視的に見て、人類の破滅をもたらす歴史的事件であり、我が国においては国家的な犯罪であり、民族的な悲劇です。やがて、コロナワクチン接種による被害は、コロナ感染症による被害を上回るということが統計的に立証され、コロナワクチン接種の破滅的な効果が実証され、いずれは科学によって、そのメカニズムが解明されるでしょう。

 

結論Ⅰ。4回目、5回目接種に絶対に行ってはならない

結論Ⅱ。児童・乳幼児へのワクチン接種は絶対に避けるべき

自然免疫を硬直化させ、脳の発達を阻害する悪影響リスクが、長期的に甚だしく破壊的になる可能性がある。

そもそも、生後6カ月〜4歳までの乳幼児へのコロナワクチン接種を認めている国は少ない。厚労省は、アメリカへの傾斜一辺倒で、EU諸国など、ほとんど認めていないのだが…。

 

 

 

※厚労省の分科会による一時金の初認定は、今年7月25日です。接種後に死亡した91歳の女性の遺族に一時金4420万円と葬祭料21万2千円が支払われました。次が9月9日で、90代と70代の男性の遺族に支払われました。そして10月17日には72歳の男性の遺族に、さらに11月7日には、44歳から87歳の男女6人の遺族に支払われました。

それでも、厚労省は11月25日現在の時点で、未だ一件も、コロナワクチン接種後の死亡とワクチンとの因果関係を認めていません

だから、上記の一時金支払いの行われた10例についても、接種したワクチンの種類も回数も、亡くなった人の氏名も、それぞれの症例の医学的知見についても、一切公表されていません

どう考えても、組織防衛の裁判対策であり、遺族の口封じの対策であって、コロナワクチン接種の問題を究明しようという態度ではありません。

日本は、これほどまでに、ファイザー・モデルナを有するアメリカの言いなりにならねばならないのでしょうか?

 

新型コロナワクチン、百害あって一利なし。

中学入学直後から2年間にわたる凄惨な虐待の末、被害者を死に至らしめた、この男女(主犯格7名/加害者総数60人以上)の加害者たちの将来って、もうなくていいのでは?

それが因果応報というものだろう。

というか、人類最古の刑法であるハンムラビ法典に従えば、「目には目を、歯には歯を」ということで、少なくとも主犯格7名(男子4名・女子3名)は、2年間の拷問の上、死刑(凍死)でしょ。

そもそも、これは家庭裁判所で裁かれるような少年事件ではない。

惨たらしい集団暴行強姦殺人事件である。

死因が自殺というのも、誰が考えても納得がいかない。

殺人事件の疑いを持って捜査すべき。そして、必ず起訴すべき事件。

裁判においては逆送して刑事事件扱い(※)とし、裁判員裁判となるべき事例だ。

ところが、失踪当日、何があったのか、加害者たちとの関わりはなかったのか、捜査も真相究明調査も、何も行われていない。

この加害者たち、脅迫、暴行、強姦、自殺教唆、殺人(未必の故意?/計画殺人?)などいずれか複数の罪で、実刑判決は当然のはずだが、現行の刑法と改正少年法では、あり得ないほど保護されて、減刑どころか触法少年として無罪放免となるので、意味がない。

 

だから、個人特定と氏名公表による強力な社会的制裁も必要だろう。

加害少年らに相応の報いを与えるべき法が、まったく機能していない(※※)現状では、彼らをこれ以上、自由に放置しておくべきではない。

また、大手メディアも、文春以外は、この問題をまじめに取り上げようとはしない。これほど凄惨な事件であるのに、メディアは、教育委員会の回し者か、と不思議に思うほど、不可解な沈黙を続けている。ジャーナリストには、くだらないことで時間と労力を消費する余裕があるなら、こうした社会の本当の闇に切り込む気概が欲しい。だが、それを望んでも詮ないことかもしれない。

こうなると、頼れるのは、ネットの個人発信情報ぐらいしかない。私刑はよくないと思われる向きもあるだろうが、住民保護の観点からも、彼ら加害者どもを社会的に抹殺すべき

この少年たちは、それぐらいの罪は犯している。

 

これほど重大な事件であるにも関わらず、残念ながら、真相を究明し、彼らを処断し、正当に責任を負わせる公的な措置は、何もなされていない。

加害少年たちの行ったすべての所業が黙認され、現在まで、なんの処分もないままだ。加えて、前述したように、メディアもほとんど騒がない。

凍死事件から2年が経とうとしているのに、加害者たちは実社会に野放しになったままだ。

こんなことが許されるのか?

何もかもうやむやにして済まそうとした金子圭一校長、中山岳教頭、担任菅野美里教諭含め、学校側にも重大な責任と過失がある。無関心という名の殺人幇助を行ったとも言える。

すべてを闇に葬ろうとした学校側の徹底した無視の姿勢には〝悪意〟すら感じられる。

彼ら旭川市立北星中学校の関係者もまた〝有罪〟だろう。「被害者が死んでも構わない」と考えていたとしか思えない。彼ら学校関係者も、未必の故意による〝殺人幇助〟を犯した立派な〝加害者〟ではないか。

主犯格の少年の親は、自衛隊の大隊長だそうだが、被害者の親を恫喝したらしい。少女を死に追いやって反省もない、こんな男に国を守れるとは思えない。

ともかく、誰1人として責任を取ろうとしない。責任を取らせようとしない。

子どもの苦しみも死も、完全無視…。

学校、教育委員会、第三者委員会、市の行政、警察、自衛隊、メディアを含めて、旭川市の闇は深い

まるで、出水市のようだ…。

 

9月24日、旭川市教育委員会教育長が、事件への対応の不手際に関する引責辞任すると発表したらしい。すでに事件発生から1年と7ヶ月経過しているのだが、今に至るも、ろくでもない第三者委員会のまともな報告すら出ていないのだが。

死亡といじめの因果関係が不明ってなんだよ。

そもそも、まじめに調査する気ないだろ。

学校側の父兄への説明会が開かれたのは事件発生から1年9ヶ月が経過した11月18日。加害者たち含めて、被害者と同じ学年の生徒たちはもう卒業しているのだが、今頃、何のつもりなのだ。当事者意識ゼロの気の抜けた釈明をするために、わざわざ保護者たちを呼んだのか?

教頭は「自分は被害者1人より、加害者10人の将来が大切とは言っていない」と遅まきながら、用意していた文面を読み上げて弁明していたらしいが、白々しいにもほどがある。

誤解を招いたのであれば申し訳ない、とか、今さら何を言っているのやら。裁判対策ですか?

いったい誰に対して申し訳ないのか。

死んでからでは遅いのです。

 

私は、この事件によって、少年法の本格的な見直しが進むことを切に願う。

少年法、そもそも要らないのでは?

悪徳弁護士と有力者の親を持つ〝恐るべき子どもたち〟が、あらゆる犯罪行為を犯しながら、無罪放免され、野放しにされている元凶が、この悪名高い〝少年法〟である。

未成年だから、やったことの責任は免れ、犯した犯罪の報いを受けずに済まされるというのは、何としても理不尽である。

未成年でも、やられた方は、死んでしまうのに。

今のこの社会には、残念ながら凶悪犯罪少年を改心させる教育力などない。

それは、無責任極まる事なかれ主義を露呈している学校や行政の姿を見ればわかるではないか。

所詮、今の大人には、子どもを改心させる能力はないのだ。

だから、現代社会においては、被害者の心情を無視し、加害者のみを手厚く保護する少年法は、百害あって一理なしである。

中学生であろうと、小学生であろうと(※※※)、もはや、凶悪犯罪者に容赦する必要はない。

野獣死すべし!

 

 

※現在の少年法では、被害者が死んでも、加害者が16歳以上でなければ逆送にならない。

※※たとえ起訴されても有罪判決が下されても、18歳未満であれば、実名報道されない。

※※※現在の刑法では、14歳未満であれば刑事責任を問われず、刑事罰を課せられることがない。

具体的には、14歳未満で、人を死に至らしめた触法少年については、警察が家庭裁判所に送致することができない。その判断は、児童相談所に委任される。しかし、そもそも、児童相談所には、上記の凶悪事件を起こすような狡猾で冷酷極まりない重大犯罪者級の加害少年と渡り合う能力はない。そのため不起訴処分になる可能性が高い。また、たとえ家庭裁判所に送致されたとしても、少年事件法廷では、検察官に発言権がなく、加害少年に極めて有利に裁判は進行する。そのため極端に減刑されて、被害者遺族にとっては、驚くほど不本意な軽い判決になることが多い。

プーチン氏と親交があった森喜朗さんが、親ロシア派の鈴木宗男さんのパーティーでの挨拶で話した内容が物議を醸している。

メディアは、森氏の発言について、ネット上での非難を紹介している。

「あなたはいい加減に黙ってください。」

「こんな人が日本の総理大臣だったなんて、日本人として恥ずかしく思う。情けない。」

など、罵詈雑言の嵐である。

そして、森さんが述べたとされる内容は、まとめると以下のようなものである。

 

この戦争で、プーチン氏ばかりが責められるが、ゼレンスキー氏にも責任はある

戦争を継続することで、ゼレンスキーはウクライナ国民を苦しめている。

日本のメディアの〝勧善懲悪〟的な〝英米びいき〟の報道は、西側の報道に一方的に加担した不公平なものだ。

プーチンを追い詰めすぎれば、核戦争をも招きかねない

プーチン氏と交友が深く、一定の信頼関係を築いていた安倍さんが生きていれば、この戦争を終結させるキーマンになってくれた可能性もある。残念なことだ。

岸田首相は、あまりに米国一辺倒になってしまっている。

 

このような発言が、各方面から反発を招いているようだ。

メディアは、これを「失言」と報じている。

しかし、彼は何もおかしなことは言っていない。

プーチンは絶対悪ではないし、ゼレンスキーにも責任はある、という意見は、珍しいものではないし、間違っているわけでもない。

プーチンの立場に理解を示し、開戦に至った米国の責任を指摘するミアシャイマーのような政治学者もいる。

「プーチンを追い埋めるな」と主張するのは知の巨人と称される哲学者ノーム・チョムスキーだ。チョムスキーもまた、「ゼレンスキーとバイデンにも責任はある」と述べている

プーチンは英米にはめられた」という見方は十分にありうる。それを英米が否定するのは当然だが、日本が安易に英米に同調するのはいかがなものか、と私も思っている。

岸田首相の前のめりの姿勢を危うく感じる、というのも、おかしな話ではないだろう。

これらは一つの至極真っ当な意見である。

それを「失言」と報道するメディアが中立性を欠いているだけである。

 

もちろん、森さんの主張に対立する意見があるのは当然だ。だが、それに乗じて、メディアが言論封殺に加担するのは言語道断である。

「森さんが、また〝失言〟している」という報道には、「彼の言説には、考慮すべき価値はない」というメディアお得意の印象操作の手法が用いられている。その裏には、森氏の言説の内容自体を貶める意図が感じられる。

メディアは「この戦争で、ゼレンスキーの責任を追及するような意見は考慮に値しない」という一方的に決めつけた態度を示しているわけだが、そこには明白なメディアの〝悪意〟が存在する

実は、これもまた、巧妙なプロパガンダ(情報操作・宣伝工作)である。それにしても、我が国のリベラルは「メディアがプロパガンダに加担するような国はけしからん!」とロシアや中国や北朝鮮を非難しながら、自らいそいそとプロパガンダに加担しているのは、どうかと思うのだが…。

 

 

 

※ロシア・ウクライナ戦争については、今年の2月・3月・4月、一連の記事で、詳しく論じたが、当時述べた私の考えは、今に至るも、まったく変わっていない。

ウクライナは、もともとロシアの1/3の人口に1/10のGDPを有する貧困国(一人当たりGDPは100位以下)である。だが、それに加えて、国内が東西に分断されている。

西部はウクライナ語を第一言語とする住民がほとんどで、経済的には農業中心、政治的に西側寄りであるが、東部はロシア語を第一言語とする人が5割以上(ロシア系住民は3〜4割)を占めており、経済的には工業中心、政治的にもロシア寄りで、東西の文化的・政治的意識の差は大きい。西部は欧米への強い憧れがあるが、南部のクリミアや東部のドネツクなどでは住民の75%以上がロシア語を第一言語とする上に、旧ソ連時代を懐かしむノスタルジー(※)も極めて強い。住民の感覚や心情や価値観にも大きな差があるのだ。しかも、西部と東部は、人口も面積も経済力も、ほぼ等しく、その政治的勢力は均衡している。そのため、この東西の分断は、より深刻な事態を招きやすいわけだ。

したがって、ウクライナ国内には、ある種の文化的・政治的分断があり、一枚板ではない上に、国の経済規模から考えても、米英の全面的なバックアップ(※※)がなければ、ロシアとの戦争継続は難しい

一方で、バイデンは、昔から親ウクライナで反露派。加えて、息子のウクライナ疑惑をもみ消す上でも、ウクライナに恩を売りたい。イラク撤退時の無様な失点を取り返したい意図もあったろう。ロシアのウクライナ侵攻を、うまく誘発したいというのが、当時のバイデンの本音ではなかったか、と思われる。

そこに、ウクライナ西部の反露派が、対露戦に向けて勢いづく状況が生まれた。アメリカの全面支援があるなら、ロシア(及び東部親露派)とも戦える、と彼らは思ったのではないか。だから、彼らは、NATOへの加盟とクリミア奪回を国是として掲げたのだ。これが、ゼレンスキー政権転覆を目指したロシアの軍事侵攻を誘発した。

しかし、ウクライナ西部の反露派は、このロシアの侵攻を待ち受けていた。反露派の思惑は、対露戦を通して、国内を反露一色に染め上げること。そして、ロシアの非道を国際社会に訴え続けることで、戦争継続を可能とする国際軍事支援を受け続けることだ。

彼ら〝愛国者〟たちは、クリミアを取り戻し、ロシアに敗北宣言を出させるまで、いかなる犠牲を払おうとも戦争を継続する事を目的としている。

ゼレンスキーは、もともと東部出身のユダヤ系ウクライナ人で、第一言語はロシア語で育っており、外交上ロシアに対しても宥和的であったが、アメリカで親ウクライナのバイデン政権が成立した以降は、国内の西部反露派の強力な突き上げを受けて、反露に舵を切ったのである。ウクライナ語を猛特訓し、公的にはロシア語を話さなくなった。ロシアの侵攻を招いた後は、ロシア訛りのウクライナ語で、国民に祖国防衛を訴え、国際社会に支援を訴えながら、ここまで対露戦争を継続してきた。

この戦争では、すでに、ロシア兵もウクライナ兵も、それぞれ10万人の犠牲者を出していると言われる。加えて、非戦闘員の犠牲がある。国内のインフラや工場、住居などの被害は途轍もないものがある。

また、戦争が始まって以来のウクライナへの軍事支援は、これまで、アメリカだけでも160億ドル(2兆2千億円)を超える。世界の支援総額は、6月までの5か月で770億ドル(11兆円)を超え、今はさらに増え続けている。これは、ウクライナの国家予算の2倍に匹敵する。この半分(5兆円)は、軍事支援だ。この半年分の支援軍事費総額は、世界有数の軍事大国の年間軍事費に匹敵する。すべて無償支援である。それでも、戦争は終わらない。アメリカは、今後、さらに217億ドル(3兆円)の追加支援を行う予定だ。

民主党のバイデンにとっても、これまでの情勢は歓迎すべきものだった。

自らを正義の立場におくためには、敵方を絶対的な悪に仕立て上げればよい。その点では、国内ではトランプを、海外ではプーチンを、「民主主義の敵」として、絶対的な悪に仕立て上げることは簡単だった。

また、CNNに代表されるリベラル・メディアは、このバイデンの反トランプ・反プーチン戦略に、極度に親和性があった。

そのせいで、この戦争の継続によって、今後、物価高やエネルギー危機など、世界経済にどれほどのダメージがあるか、肝心の分析はほどんどなされていない。なぜなら、戦争継続はCNNにとって〝正義〟であるからだ。

バイデンとゼレンスキーの違いは、ゼレンスキーは何とかしてNATOを参戦させたがっているが、ロシアを核使用に踏み切らせないために、バイデンはあくまでもウクライナ単独での対露代理戦争への限定的支援しか考えていない、という点だろう。

ちなみに、この戦争を終わらせるのは実は簡単である。ウクライナを支援している国々が「これ以上の支援は難しい」と援助を止めればよい。諸外国からの支援がストップすれば、西部反露派が何を叫ぼうと、たちどころにウクライナの戦争継続は不可能になる。一方で、ロシアに対しても、ウクライナ支援諸国が連名で戦争の即時停止を要求すればよい。これによって、自然に和平の機運が整う。世界的な物価上昇とエネルギー危機も、緩和の方向に向かうだろう。

鍵を握るのは、やはり、アメリカである。とは言え、バイデンには何も期待できないが…。

国民のために物価高やエネルギー危機を回避するより、ウクライナを焚き付けてロシアとの戦争を続けさせることに熱心なようようだから。

 

 

※ウクライナ全体でも、「旧ソ連時代は、今より良かった」と考える人は、国民の5割を占める。当然、東部では、その割合は過半数を占める。

 

※※ロシア人の感覚では、「西側(特に英米)が、ウクライナの前に札束を積み上げて、仲の良い兄弟国を仲違いさせている」という見方になるらしい。

 

 

最後に、私は、プーチンに責任がないとは思わない。プーチンは、明らかに、この戦争を引き起こした最大の責任者である。そのことははっきりしているし、プーチンの悪意は明白である。しかし、一方で、バイデンとゼレンスキーの悪意は隠されている。

私は、白日の下にさらされている誰の目にも明白なプーチンの悪意より、巧妙に隠されたバイデンとゼレンスキーの悪意にこそ注目したい、と思うのだ。

 

歴史を考えてみても、真珠湾奇襲攻撃で太平洋戦争を開戦した日本の悪意は明白(敗戦)であったが、ハルノートやABCD包囲網で日本を締め上げて、日本を日米戦争に誘導した確信犯ローズベルトの悪意は隠されている。インパール作戦を承認した東条英機の悪意は明白(処刑)だが、原子爆弾の開発をリードして広島・長崎の悲劇を生んだオッペンハイマーの悪意は隠されている。

しかし、これは因果律として公平ではない。それぞれの運命は、あまりにもバランスを欠いている。そのような状態を放置するのは、この世界の歪みを大きくし、さらなる悲劇を生み出す土壌となる。

だから、隠された悪意こそが重要なのだ。

 

 

遅ればせながら、安倍晋三元首相の死について、いくつかの疑問がある。

 

その一つは、「なぜ出血箇所が見つからなかったのか?」ということだ。

ドクター・ヘリの中で、出血箇所が分からず、その位置を特定するだけで、病院に着いてしまい、止血などの救命行為がほとんどできなかったと、ヘリに乗っていた医師が告白している。しかし、そうであるなら、ヘリが到着するまで、30分以上の間、その場にいた医療関係者もまた、出血箇所が分からず、血止め処置が一切できなかったということを意味する。なぜ、それほどまでに出血箇所がわからないまま、時間だけが過ぎていったのか、意味不明である。

銃撃から6分後に現場に到着していた消防(救急隊員)が、銃撃から30分後、ドクター・ヘリが着く直前に、右上腕部の銃槍を確認したらしいが、止血処置は行われないまま、ドクター・ヘリに乗せられ、そのヘリの中でも、再び銃槍の位置がわからなくなり、結局、止血できずに病院に着いている。ようやく胸部を開いて止血処置が行われたのは、銃撃から50分後、救命救急センターでのことである。これでは助かるわけがない。

安倍晋三元首相の死因は「失血死」である。血を失いすぎたということだ。だが、当時の現場を考えると、「本来なら助かったはずの命が、死ぬべくして死んでいる」という気がしてならない。

安倍さんの命を救う方法は、ドクター・ヘリに乗せられる前に、現場で、応急の止血処置を行なっておくことに尽きた。それが、失血死を防ぐ唯一の方法だったのである。

 

もう一つは「出血箇所もわからず、止血処置もされていない段階で、なぜ心臓マッサージが行われたのか?」ということだ。

銃撃時の血管損傷が原因の出血性ショックによる心肺停止に際して、損傷出血部の位置も状態もわからないまま、当然、止血もなされない状態で、AEDを使用したり、心臓マッサージを行えば、かなりの確率で、すでに損傷している血管や心臓にさらなるダメージを与え、修復不能の状態に陥り、大量失血死の恐れがあることは、火を見るより明らかである。

現場で必死の救命活動を行った善意の人々を責めるつもりはないが、この心臓マッサージが、安倍さんの命を縮めた可能性は大きいのではないか。

その場に、銃撃に対応した外科医療の専門家がいなかったのは不幸なことだった。日本には、残念ながら、銃撃を受けた時の応急治療の知識と経験を持つ者は少ないだろう。これが、例えば、現場(戦場)での止血手術の経験が豊富なアメリカ軍の軍医であれば、かなりの確率で、安倍さんの命は助かったのではないだろうか。

安倍晋三元首相の死因は、正確には、「左肩(上腕部)の銃槍から体内に入った1発の銃弾が、体内を徐々に移動して、鎖骨下の動脈を損傷したことが致命傷となった」とされている。だから、最初は意識があって受け答えもできていたのが、その後、意識不明になり、やがて、心肺停止に陥ったのだ。逆に言えば、早期に 右肩上部の銃槍を発見し、鎖骨下の損傷した動脈を、開胸手術によって止血していれば、一命をとりとめた可能性は高い。

たとえ心肺停止の状態に陥ったとしても、即座に脳死するわけではない。脳に酸素を送るのも大切だが、血管や心臓の損傷の悪化を防ぎ、それ以上の大量出血を防ぐことは、この場合、より切迫した危機対応だったのではないか。

そして、損傷した血管の止血後、心肺蘇生を行う必要があるが、そのタイムリミットは10分以内。銃撃後、15〜20分以内の処置が生死を分けたということだ。

銃弾を受けて一刻を争う場合、当然ながら病院に運んでいるヒマはない。その場での的確な応急処置が必要になる。今回の状況では、銃槍の発見と開胸手術による損傷した動脈の止血、および、その後の心肺蘇生が、必要な手順であった。しかし、そうした手順での処置は行われなかった。

やはり、「助かるはずの命が失われた」という思いが湧く。

だが、失われた命は取り戻せない。そういう意味では、後から何を言っても始まらない。

私としても、気になることは、そこではない。最大の問題は、そうした反省や総括さえなされない、この国の現状だ。失敗から学ばないようでは、この国の未来は危うい。

 

さらに最後の疑問だが「安倍元首相の警備陣(SPら)は、銃撃を受けた際の適切な基本的対応・行動が、なぜ、できなかったのか?」ということがある。

この国では、要人警護のスペシャリストたちに、もしもの時の適切な対応能力が必要とされないのか、そんなことがあり得るのか、私がもっとも不思議に思う点である。

私の疑惑の中心は、ここにある。

一発目の銃声がした後、まだ無傷だった安倍さん自身が、なぜ、その場で屈まなかったのか、3秒もあったのに、SPが、なぜ覆い被さらなかったのか、防弾バッグを開かなかったのか、警備要員の誰かが、安倍さんを壇上から引きずり下さなかったのか、も含めて、銃撃時の危機管理対応が、まったくなされていない。

それらのうち、いずれか一つでも実行できていれば、右肩上部に致命傷を負うことは防げた可能性が高い。しかし、実際には、どの危機回避行動も行われなかった。

なぜ、この国の要人警護体制が、それほどまでに脆弱であるのか、そんなことが許されるのか、私にはどうしても納得がいかない。それでは三流国以下ではないか?

さらに、このことをメディアが追及しないのが解せない。

私も現場の個々人の責任を問うべきとは思わない。ただ、あり得ないほど稚拙な救命体制であったこと、危機管理能力が欠如していたことの理由が知りたい。

なぜなら、真摯な反省こそが、次なる悲劇を防止する行動・対応を生むと信じるからだ。

韓国ソウルの中心に位置する観光地区である梨泰院(イテウォン)で、10月29日夜、ハロウィンに繰り出した若者たちが、両側を壁に囲まれた狭い斜面の路地で、坂を上ってくる人と下ってくる人が、両側の大通りから流れ込んできて立ち往生し、一時間以上、まったく身動き取れない状態に陥り、業を煮やした一部の若者たちが、押し合いへし合いを始めたり、さらにふざけて、その押し合いに迎合する連中もいたために、特に、坂の下の方にいた人たちを中心に、158人が圧死し、196人が負傷する大事故となりました。午後10時15分頃のことでした。

人が圧死していく最中にも、後ろの特に坂の上の方では、さらに人を押し続けて馬鹿騒ぎを続けている連中もいて、現場は「やめて、人が死んでる!」と「押せ、押せ!」の掛け声が入り混じる、混乱を極めた状況でした。

亡くなったのは、特に、背が低いために、人の壁に塞がれて息のできなくなった若い女性が多く、犠牲者の3分の2は、10代、20代の女性でした。「群衆雪崩」で倒れて押し潰されるように亡くなった人もいれば、立ったまま周囲の人間の壁に全方位から押されて圧死した人もいました。多くは、立ったまま意識を失い、そのまま亡くなったものとみられています。

また、亡くなった人のうち、26人は外国人でした。中国人、ロシア人、イラン人、トルコ人、アメリカ人、オーストラリア人、フランス人、etc。そして、2人の日本からの留学生もいました。

 

通りの混雑がひどいため、警察も救急車も、現場に容易に近づくことができませんでした。さらに、警察官や医療関係者が走って現場に向かうも、ハロウィンの仮装と勘違いした人々は、道を開けることもしませんでした。

不法駐車の車が多かったことも、救急車の乗り入れに苦労した原因の一つでした。結局、医師や看護婦が、すべての医療装備を持って、混雑をくぐり抜けながら、歩いて現場に入ったのは、事故発生から3時間後の翌日午前1時頃のことでした。そのため、助かる命も助かりませんでした。

加えて、事故の現場では、これほど多くの人たちが死に瀕している状況でありながら、心肺停止の友人に必死で心臓マッサージを施す人たちの周りで、助けようとするわけでもなく、不躾にスマホを向けて、黙って囲んで撮影している人たちが大勢いました。その向こうでは、救急車や死者たちの姿を目の前にして、ゲラゲラ笑って踊ったり、酔っ払って歌を歌ったり「飲みに行こうぜ!」とはしゃいでいる若者たちがいました。

 

多くの無責任な人たちが、彼らを殺した。まさしく人災だ。この日、ハロウィンの梨泰院は、陸のセウォル号と化したのだ。

 

そんな思いが湧いてきます。

死にゆく友人1人と重態の友人2人の側でなすすべもなく救助を待っていたオーストラリア人の男性が「誰も助けようとしなかった。私は自分の友人が息絶えようとしている間に、人々が事故現場を撮影したり、歌を歌って笑ったりしているのをずっと見ていた」「私たちは人々に向かって『後ろに下がって!来ちゃダメだ、人が死んでる!』と大声を張り上げたけど、誰も聞いていなかったし、人々はさらに死んでいった」「警察が到着するまで30分、支援の人々が投入されるまでに1時間かかったし、救急隊が来るまでは、もっと長く(上記の報告では3時間!)かかった。専門家ではない一般人からCPR(心肺蘇生法)を受けている人々が地面に横たわっていた」と当時の状況を伝えています。

 

今日11月1日、韓国紙は、事故発生の4時間前から、雑踏の過密の危機的状況を知らせる電話があり、また、1時間前には「息ができない」「大型事故の一歩手前」と助けを求める現場からのより切迫した電話通報が多数(合計400件以上)あったにも関わらず、知らせを受けたソウル地方警察庁の治安総合状況室では、本来いるべき状況管理官が不在で、情報が適切に扱われず、一切、総合的な対応が取られず、所轄の龍山警察署からも状況確認に出動せず、あるいは出動したはずの警官から知らされたはずの情報が生かされず、結果、初動が大幅に遅れたことを、警察が初めて認めたと報じています。

事件発生前、切迫した状況を伝える市民からの通報(全文公表された11件を含む)は、同じ場所(梨泰院)からのものであると、ソウル警察庁の治安総合状況室内では、まったく認識されていなかったのです。そして、席を外していた状況管理官が、総合状況室に戻ったのは、事件発生から1時間24分後の11時39分でした。その直後、11時42分に、大統領指揮下の国政状況室は件の状況管理官に電話をしましたが、管理官は電話に出ませんでした。到着して3分では、事故の状況が把握できず、状況室に詰めていなかったことが、大統領にバレるのが怖かったのでしょう。結局、管理官が中央警察庁に事件の報告を行ったのは、状況報告を受け始めてから23分後の翌30日午前0時2分のことでした。すでに事故発生から1時間57分が経過していました。彼女の報告は、もはや何の意味もないものでした。もう、世界中が、この事件を知っていたからです。

 

事故が発生したのは午後10時15分頃でしたが、ソウル警察庁が事態を把握したのは、事件発生の40分後、11時近く(10時56分)で、それも、消防庁からの電話連絡によってであったと報じられています。

市民からの通報を受ける警察庁内の治安総合状況室からの報告よりも、身内である所轄の龍山警察署からの報告よりも先に、消防庁が「救急車が通れないから、緊急に交通整理してくれ!」と切羽詰まって連絡してきたということです。

消防から警察への交通・人員統制を求める出動要請の電話は、その後、29回に及んだということです。

現場に到着した消防隊員は、事故発生後27分経過した10時42分、「15人ほど心肺蘇生措置を続けているが人員が足りない」と本部に無線を送っています。その14分後、事故発生から41分後の10時56分には別の隊員が「心肺蘇生が必要な患者が急増している」「隊員が足りず、市民が心肺蘇生を行なっている」と本部に伝えています。さらにその10分後、事故発生の51分後、11時6分には、地元の消防署長が、現場から「心肺蘇生の患者が何人なのか数えきれない」と混乱した状況を伝えています。

 

それにしても、現場にいた警官からの悲鳴のような緊急要請は署に届いていたはずなのですが、その情報も、所轄の龍山警察署で止まっていたのかもしれません。現場から歩いて10分のところにある所轄の龍山警察署から、署長が現場に到着したのは、事故発生から50分も経った11時5分頃のことでした。

なぜなら、龍山署長は、続々と切迫された状況が伝えられる中、9時24〜44分、飲食店で20分かけてゆったりと夕食をとり、その後、渋滞でまったく進まない道を、1時間以上かけて、官用車両で現場へ向かったからです。車が現場に到着したのは、11時5分頃のことです。現場近くで車を降り、手を後ろに組んで、急ぎもせず悠々と現場へ近づいていく署長の姿が、11時頃の監視カメラに映っています。

ちょうどその時、11時1分に、大統領に事件が電話で知らされ、警察の対応の遅さに大統領は激怒しています。11時26分・30分に、大統領指揮下の国政状況室からの状況報告を求める電話に対して、現場に居る件の龍山署長は「状況把握中」とだけ答えています。ともかく、相当無能な男と思われます。

そして、龍山署長が、ソウル警察庁へ最初の報告の電話をしたのは、現場に到着して30分後の11時36分のことです。

ソウル警察庁の交通統制の動きが本格的に始まったのは、それからさらに後になるわけです。結局、現場に機動隊が本格的に配置され始めたのは11時40分以降となりました。その頃には、すでに世界中がこの事件を知っていました。

 

日本と異なり、些細なことでも何でも直ぐに警察に通報する韓国社会の「オオカミ少年」化も、警察の対応が杜撰になる原因ではある、と言われます。

しかし、深刻な状況を目の前で見ながら見過ごし、事態の悪化を放置していた無責任さも、あったのではないかと思うのです。例えば、伝えられた情報から事件の切迫性を即座に理解できない愚鈍な人物が、現場の所轄警察署長であったことは、市民にとって不幸なことでした。ソウル警察庁の治安総合状況室の担当管理官が無断で欠席していたことも、警察の状況把握に大きな悪影響を及ぼしました。

そもそも、この日、ハロウィンの13万人の人出に対して、雑踏警備など秩序維持のために配置されていた警察官は、わずか58人でした。そして、イベント時には一方通行か通行止めにするべき狭い通りなども、一切規制されず、そのまま放置されていました。初動の遅れとともに、この準備対策がとられていなかったことも、事故が起きた原因とされています。

例えば、コロナ前の2015年のハロウィンでは、20万人の人出があったものの、ソウル警察が事前に動員され、細い危険な路地は予め一方通行か通行止めに指定されて、警察官が交通整理にあたっていたため、事故を免れていました。それに比べて、今回は、人出が少ないにもかかわらず、警察・行政は、明らかに準備も心構えも足りていませんでした。

 

死亡した156人のうち、20代が一番多く、104人でした。次いで30代が31人、10代が12人です。

2014年のセウォル号の事故時には、304人の犠牲者のうち、修学旅行中だった10代の高校生が250人亡くなりました。船長含め多くの船員が船を我先に脱出する中、「船室で待つように」という乗務員のアナウンスを信じた生徒たちが、皆、溺れ死んだのです。生き残った生徒は、大人の言葉を鵜呑みにせず、自分の判断で、自分の身を守るために動いた子たちでした。

その当時の高校生だった世代は、8年後の今、20代半ばで、今回の事故で最大の犠牲者を出した世代となっています。

どちらの事件においても、共通している犠牲者の思いは、「責任ある大人たちが、誰も助けてくれなかった」ということです。

韓国では、この世代全体に重くのしかかる深刻な人間不信のトラウマを心配する声もあるようです。

しかし、そもそも、韓国人は、他人の言葉を信じない。それだけ、騙す人が多いのかもしれません。

だから、切迫した雰囲気で走ってくる警察も救急隊員すらもコスプレだと思ってしまう。「押すな!中で人が死んでいる!」という叫びが聴こえても、無視して群衆を押すことができてしまう。

 

また、「国際的な祭りの体験の中で、人々との『一体感』に身を委ねたい、韓国の若者に特有の文化的特性」が、この事故を引き起こした背景にはあるとする評論もあります。

考えてみると、祭りの中で「一体感」を求める感覚というのは、日本人にも見られる特性で、岸和田だんじり祭などのように、ある意味、命懸けで「一体感」を競う場まで、社会の中で許容されています。

コロナ禍による、修練・練習不足から、今年は、このだんじり祭でも、引き手の男性4人がだんじりの下敷きになり、1名死者がでています。この祭りでは、過去にも何度か死者が出ています。文字通り、命懸けの祭りなのですが、それでも、伝統の祭りとして、危険はあっても存続しています。

ただ、今回の梨泰院の156名の圧死というのは、祭りの「一体感」の代償としては、あまりにも酷い。

日頃、社会も人も、信じられないのに、集団になると思考停止して群集心理に行動を委ねてしまう。不可思議な矛盾した心理があるようです。しかし、これは非常に危険なことです。ハメルンの笛吹きに導かれて、大集団が川にずぶずぶ入っていき、一斉に集団自殺することになりかねません。

今回の事故でも、一人一人が、「一体感」の中で、依存的に思考停止することなく、手遅れになる前に冷静な判断をすることで、自分の命を守らねばならなかったことは明らかです。

 

まったくもって、痛ましくもおぞましい事件です。

しかし、「責任は政府にある」と訴えて、20代の若者が「政府は若者の命を守れ!」とデモをするという韓国の現状は、やはり、どこかおかしいと感じます。

セウォル号の時と同様に、事件が政争の具にされているというのも確かですが、それ以上に、責任を押し付け合い、スケープゴートを探して、自らを絶対的な正義の側に仕立て上げる、韓国社会特有の悪き伝統の力が、ここでも圧倒的な勢いで働いていると言わざるを得ません。

結局、切迫した命の危険にさらされていた一部の人を除いて、警察に通報した大部分の人たちも、目の前で惨事を見ながら動かない警察も市民も、次から次へと密集地帯にむやみに突っ込み、高密度の群衆を外から押して圧死や群衆雪崩を招いたのに知らんぷりをしている若者たちも、問題解決へ向けての努力を、すべて他人に押し付けて、自分は被害者だと叫ぶ、お馴染みの「私は正義→貴方は悪」型の誤った二項対立の韓国的社会構造を構成しているのです。その意味で、原因と責任は、すべての市民にあると言えます。

ですから、20代の若者世代は、犠牲者であると同時に、加害者でもあるのです。そのことから、目を逸らすべきではありません。

無責任なのは、政府ではなく、韓国社会そのものであり、20代の若者たちもまた、既に、無責任な大人社会の一部となっているのです。問題(責任)は他者にあると責めるよりも、各々自分自身が、自分の命に責任を持つ方がよいと思います。

今日、韓国の社会では(いや、日本社会でも)、各々個々人が、外に悪者を探すのではなく「問題は自分たち自身の内にある」という自覚を深めること、それこそが求められているのではないでしょうか?

 

内(ウリ)に問題があるのに、外(ナム?)に抗議しても問題は解決しません。